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結婚式で、私は彼の新婦をやめた
「凛々、本当に花嫁の名前を高木彩羽(たかきいろは)に変えるつもりなの?」 松原凛々(まつはらりんりん)の声は揺るぎなく、はっきりしてい...
Chương (1)
第1章
「凛々、本当に花嫁の名前を高木彩羽(たかきいろは)に変えるつもりなの?」
松原凛々(まつはらりんりん)の声は揺るぎなく、はっきりしていた。
「うん、私の言った通りにして」
電話を切ったあと、彼女は一人でしばらく黙って座っていた。
彼女の脳裏には、婚約パーティーの後に見た光景が浮かんだ。
揺れる車の中で、婚約者は他の女を抱きしめ、離れがたい想いを語っていた。
彼女と稲葉辰一(いなば しんいち)がようやく結婚までこぎつけたというのに、どうして彼が浮気などできたのか、凛々には到底理解できなかった。
だが、もう関係がない。彼が愛しているのが別の人なら、彼女は身を引いて応援する。
彼にはその女と結婚させればいい。そして彼女自身も、彼が夢見ていた理想の結婚式をプレゼントするつもりだ。
第1話
「凛々、本当にこれでいいの?」
松原凛々(まつはらりんりん)は目の奥にある複雑な感情を押し殺し、静かにうなずいた。
彼女はスマホを開き、すでに用意してあった電子招待状の「松原凛々」の名前を削除し、「高木彩羽(たかきいろは)」に書き換えた。
それを見ると、親友の賀茂青凪(かもあおなぎ)は、心配そうに彼女を見つめた。
凛々は招待状を直し終えると、それを青凪に転送した。
「結婚式の前日に招待状を送って。写真も動画も、全部辰一と高木のものに差し替えて。その日、私は海市を離れるわ」
青凪がその場を後にした後、凛々は窓の外を静かに見つめ、長い間そのまま動かなかった。
たった8時間前、彼女と稲葉辰一(いなばしんいち)は盛大な婚約パーティーを終えたばかりだった。
多くの祝福を受けながら、彼女はすぐに辰一との結婚式を迎えられると信じていた。
しかし3時間前、パーティーの後で、彼女は車に置き忘れたスマホを取りに行ったとき、辰一が会社の女性タレントを車に乗せるところを見てしまったのだ。
「彩羽、お前が金のために俺と別れた時、心底恨んだ。でも俺は約束したんだ、新婚の夜はお前に捧げるって。
今日にしよう、いいか?お前以外の女に、俺の初めてをあげたくないんだ」
辰一の声には、ほろ酔いの気配があった。
だが、その言葉には心からの想いが込められていて、かすかに彼の嗚咽も混じっていた。
車内の熱気が高まっていく中、彩羽は彼を抱きしめ、首筋にキスをした。
「辰一、あの時私が離れたのは、お金のためじゃないよ。あなたにふさわしくないと思ったの。
でも、あなたが松原なんかと結婚するって早く知ってたら、何があっても離れなかったわ」
辰一は一瞬驚き、それから嬉しそうに彩羽を抱きしめた。
「彩羽、たとえ俺があいつと結婚しても、好きなのはお前だけだ」
凛々は車の外に立ち尽くしていた。そして、彼女の耳には荒い息遣いが響き、目の前の車もゆっくりと揺れ始めていた。
彼女はそっと左手の婚約指輪を外し、苦笑した。
その指輪は、彼女が一番好きなデザイナーの作品だ。
辰一は彼女を喜ばせたい一心で、半年以上もかけて海外でそのデザイナーを説得し、世界に一つだけの婚約指輪を作ってもらった。
それなのに、口では愛していると言う人が、どうしてこんなにも早く他の女と情を交わせたのか、彼女にはどうしても理解できなかった。
凛々は最後に一度だけ指輪を見つめ、それをゴミ箱に投げ入れた。
この指輪も辰一も、彼女にはもう要らない。
彼がそれほどまでに彩羽を愛しているのなら、その恋を成就させてあげよう。
一か月後の結婚式は、彼と彩羽のものにしてあげる。
ノックの音が凛々の思考を遮った。使用人が温かい牛乳を持って入ってきた。
「松原さん、稲葉さんが特別に電話で頼んだ牛乳を、温めてお持ちしました。それと、稲葉さんが帰ってきたら、サプライズがあるそうなので、眠らないでいてくださいと言ってました」
凛々は使用人に牛乳をテーブルに置くように指示し、そのまま退出させた。
湯気の立つ牛乳は、以前と何も変わらない。
辰一は彼女が眠れないと知ってから、毎晩自分で牛乳を温めてくれていた。
彼女がそれを飲むたび、彼の顔には幸せそうな笑みが浮かんでいた。
彼はキャリアの絶頂期に、世間に堂々と二人の交際を公表し、稲葉辰一が松原凛々を愛していると皆に伝えた。
彼は彼女のために、重要なビジネスの契約をいくつも断り、高額な違約金まで支払った。
しかし、凛々が一番心を打たれたのは、料理などしたこともない彼が、何年も欠かさず牛乳を温めてくれたことだった。
彼女の指先がカップに触れた。熱いはずなのに、心の中は氷のように冷たい。
派手な愛情表現が、本物の愛とは限らない。
彼女は決して、裏切りを許さない人間だ。
一か月後の結婚式で、新婦を見たとき、辰一はどんな表情をするのだろうか。
時計の針が真夜中の12時を指したとき、辰一から電話がかかってきた。
彼は興奮して叫んだ。
「凛々、外を見て!」
彼女は思わず窓の外を見上げた。
無数の花火が空に打ち上がり、夜空を鮮やかに彩っていた。
花火は30分もの間続いた。
そのあと、ドアが開くと、辰一は凛々の後ろに駆け寄り、彼女の腰を抱きしめながら、優しい笑みを浮かべた。
「プレゼント、気に入った?」
辰一の彼女への愛情はいつも派手で、誰にでも見せつけたいほどだった。
でも、全部偽りだった。
辰一は凛々を抱き寄せ、親しげに彼女の首筋にすり寄った。
「凛々、夢みたいだな。本当に俺たち、婚約したんだな。やっとこの日が来たよ」
彼の声には、幸せに満ちた愛情があふれていた。
もし、彼の体からあのかすかなジャスミンの香りがしなかったら、あの車内の出来事は、彼女の勘違いだったと思えたかもしれない。
凛々は立ち上がり、そっと彼の腕を振り払った。そして、目を伏せて彼を見下ろしたとき、ちょうど彼の頸にかかっているネックレスが目に入った。
それは、付き合い始めた頃から彼がいつも身につけていたネックレスだ。
ネックレスの内側には、白い羽が彫られていた。
以前、凛々もそれが気になったことがあった。しかし辰一は、「白はお前のラッキーカラーだし、羽の模様はなんとなく選んだだけだ」と説明していた。
今になってようやく彼女は気づいた。あの白い羽は、彩羽の象徴だったのだ。
第2話
テーブルの上の冷めた牛乳を見たとき、辰一の目に心配の色が浮かんだ。
「まだ飲んでないのか?俺が遅く帰ったせいかな。もう一杯温めてくる」
すぐに彼は新しい牛乳を持って戻ってきて、なおも説明を続けていた。
「帰るの遅くなったのは、お前に花火を準備してたからなんだ。でも、これから数日忙しくなるかも。俺が遅くても待たなくていいよ」
凛々は牛乳を受け取ったが、口をつけなかった。
以前の辰一は、夜遅くまで帰ってこないなんてこと、一度もなかった。
だが、ある日彼は一晩帰らず、何度電話してもつながらなくて、凛々は夜通し彼を探し回った。
翌日、彼が戻り、プロジェクトの打ち合わせが長引いたため、そのままホテルで寝ていたと説明した。
その頃の凛々は、彼が本当に仕事をしていたと信じて、ひどく心を痛めた。
しかし、二日前に彼女は、あの日が彩羽が辰一の会社に入社した日だと知った。
凛々はそれまで、彼に大切な初恋がいたことだけ知っていた。
そして、その初恋が金のために彼を捨てたことも聞いていた。
その失恋の痛みからずっと抜け出せなかった辰一は、凛々と出会ってからは彼女に夢中になった。
凛々にとって、辰一は理想とはほど遠い人だった。
しかし、彼女は辰一の熱烈で一途なアプローチに根負けし、研究のキャリアまでも手放してしまった。
なのに辰一は、彼女が最も彼を愛していた時に、容赦なく裏切った。
優しい笑みを浮かべる男の顔を見ていると、凛々は胸の奥が重苦しく、息が詰まりそうになった。
彼女は視線をそらし、窓の外に目を向けてようやく息をつけた。
「凛々、大丈夫?どこか具合でも悪い?」
辰一は心配そうに手を取った。そこで彼は、彼女の薬指に指輪がないことに気づいた。
「お前の指輪は?」
凛々が何かを言おうとした時、彼女の視線が彼の手元に移った。そして微笑しながら、逆に問い返した。
「あなたのは?」
その瞬間、辰一は自分の指にも指輪がないことに気づき、慌てて手を隠そうとしながら、青ざめた顔で答えた。
「やばい。たぶんパーティーが混雑してたから、盗まれたかも」
「そう?」
凛々は、その言い訳があまりにも稚拙で、馬鹿にされている気さえした。
愛していた頃は、彼の言葉を信じて疑わず、盲目的に受け入れていた。
でも今の彼女は、もうバカのままではいられなくなった。
「あるいは、車の中に置き忘れただけかも」
彼女の黒い瞳を見つめ返したとき、辰一の心に妙な後ろめたさが走った。
凛々はそれ以上追及する気にもなれず、寝ようとした。
そのとき、使用人がドアをノックした。
「何度言えばわかる?夜はどんな用事でも凛々を邪魔するなって言っただろ!」
「稲葉さん、高木さんがどうしても今夜会いたいって、緊急だそうです」
彩羽の名前を聞いた瞬間、辰一の手がわずかに震えた。
彼は凛々を見つめ、何か言いかけた。
だが凛々が先に口を開いた。
「行って。きっと、あなたに会いたかったんでしょうね」
そして、彼の慌てた様子を見て、彼女はさらにひと言を言った。
「もし会社に本当に何かあったら、彼女という新しいスターはあっという間に消えてしまうでしょうね」
それを聞いた辰一は、目に見えて安堵した。
彼は彼女の肩をそっと抱き、「じゃあ、先に寝てて。すぐ戻るから」と言い残し部屋を出ていった。
数分も経たないうちに、凛々のスマホに匿名のメッセージが届いた。
【外を見て。辰一があなたのために用意した、最高のショーよ】
凛々は窓辺に歩み寄り、空ではなく、下の庭を見た。
花園のブランコの上にいたのは彩羽だ。彼女は辰一にしがみつき、何度もその唇にキスをしていた。
その角度は他の場所からは見えない。だが、彼女の部屋からだけは、すべてが丸見えだった。
彩羽は辰一をブランコに座らせ、自分は立ち上がって上階に目をやった。
目が合った瞬間、凛々はすべてを悟った。あのメッセージも、見せつけるための演出も、すべて彩羽の仕業だ。
辰一は慌てて彩羽をなだめながら立ち去らせようとしたが、彩羽はポケットから彼のあの指輪を取り出した。
彼がそれを取り返そうとした瞬間、彩羽は自分の指にはめたあと、一枚の写真を撮った。
間もなく、その写真が彩羽のSNSに投稿された。
キャプションにはこう書かれていた。
【私が欲しいものなら、彼はなんでもくれるみたいね】
凛々はさらに過去の投稿を遡った。すると、10日前の投稿が目に留まった。
【寝る前のホットミルクね。まったく、誰かさんに甘やかされたせいよ】
苦しみは心の隅々にまで広がっていった。
彼女は、それが自分だけへの思いやりだと思っていたが、実はかつて彩羽の特権だったのだ。
胸の痛みによろめいた凛々は、椅子に手を伸ばしかけたが、体は支えきれず倒れ込んだ。
声があまりにも大きかったせいか、すぐに辰一が慌てて駆け上がってきた。
凛々の腕にガラスのコップでできた傷口から血が止まらず流れているのを見て、辰一の目には一瞬で涙があふれた。
「凛々!ケガしてる!今すぐ病院に連れて行くから!」
第3話
凛々が階下に降りると、彩羽の姿はもうなかった。
辰一は眉をひそめ、あたりを見回していたが、彩羽が見当たらず、どこか上の空だった。
車に乗った後も、彼は何度もスマホを確認し、ぼんやりと信号を見落として赤信号を突っ切ることさえあった。
三度目の信号無視で事故になりかけたとき、辰一はバツが悪そうに凛々の方を見て言った。
「お前の傷が心配で、急いで病院に向かってたんだ。怖くなかった?」
凛々は視線を外し、前方を見つめたまま、淡々と答えた。
「傷は大したことないから、ちゃんと運転して。もう信号は無視しないで」
辰一は彼女の冷たい態度に少し違和感を覚え、何か言いかけたとき、突然、スマホが鳴った。
彼の目に一瞬、喜びの色が浮かび、メッセージを確認すると、顔に浮かんでいた不安と緊張がようやく消え去った。
病院に着くと、辰一は夜食を買ってくると言い訳をして、病室を出て行った。
彼が出て行ったあと、医師が凛々の様子を見て、眉をひそめながら訊ねた。
「あなた、心臓に持病がありますか?」
凛々は黙ってうなずき、胸の奥がさらに苦くなるのを感じた。
彼女は幼い頃から心臓に疾患があったが、健康には気をつけていたため、ここ数年は大きな問題がなかった。
ただ、最近の数か月は、辰一を待つ日々が続き、夜更かしが増えたことで悪化していた。
だから、さっき彩羽の投稿を見て倒れた。
「これ以上無理をすると、手術が必要になるかもしれませんよ。ちゃんと休んでください」
医師がそう忠告し、傷の処置をして病室を後にした。
空っぽの病室には、凛々のかすかな呼吸音だけが残った。
天井を見つめながら、彼女はふと思い出した。
以前、辰一が病気になった時、彼女はいつもそばにいて看病していた。
なのに今、彼は別の女のもとへ行って、彼女を一人病室に置き去りにした。
スマホがピコンと鳴り、また彩羽の新しい投稿が表示された。
【彼はいつも私の好みを覚えててくれるの。確か、初めて作ってくれた料理は、いも煮だったわ】
まさか、辰一が彩羽のために料理までしていたなんて、スマホを握る凛々の手は、思わず小さく震えていた。
それから1時間ほどして、辰一がようやく病室に戻ってきた。その頬にはうっすら赤みが残っていた。
彼が身をかがめて弁当箱を開けた瞬間、凛々の目に、彼の首元についた新しい赤いキスマークが映った。
「外が渋滞してたから、ちょっと遅くなった」
冷えて油の膜が張ったいも煮を見つめ、凛々の目には皮肉な笑みが浮かんだ。
「先に食べてくれ。俺はちょっと先生に、お前の病状を聞いてくる」
辰一が病室を出て間もなく、凛々のスマホが鳴った。彼からの電話だった。
だが、受話器から聞こえてきたのは、彩羽の声だった。
「彼女、まだ病室にいるんでしょう?先にそっち行かなくていいの?」
彩羽の口調には、濃い嫉妬の色がにじんでいた。
辰一が笑いながら答えた。
「嫉妬してる?俺、あいつを放っておいて、お前に会いに来たんだ。まだ怒ってるのか?」
「今夜、一緒にいてくれない?あなたが他の人と結婚するって思うと、すごくつらいの」
「ほら、もうすぐ夜が明けるよ。明日にしよう。明日なら、ずっと一緒にいてあげる」
「じゃあ今、キスしてくれる……」
その直後、通話は切れた。
凛々はその後の会話は聞こえなかったが、戻ってきた辰一の唇には、明らかに口紅の痕がついているのが見えた。
テーブルの上に手つかずのいも煮を見ると、辰一は心配そうに凛々に駆け寄り、手を握った。
「どこか調子悪い?」
凛々は首を振った。
「ううん、食欲がないだけ」
その言葉に、辰一はすぐに真剣な表情になった。そして、医師を呼び、一通りの検査をさせた。
すべて異常なしと確認されてから、彼はようやく安心した様子を見せた。
医師の指示も丁寧にメモを取り、どんな話にも真剣に耳を傾けた。
医師が去った後、彼は凛々の手を取り、優しい笑みを浮かべた。
「大丈夫だ、凛々。先生の言葉、全部覚えたから。これからは絶対、もう病院なんて来なくて済むようにする。
怪我はどう?痛いか?ごめん、俺が悪かった。あの時、すぐに牛乳のカップを片づけていれば、こんな事にならなかったのに」
そう言いながら、辰一の目は思わず赤くなった。その目に浮かんだ罪悪感と悲しみは、嘘とは思えないほど真に迫っていた。
凛々はふと、わからなくなった。
辰一の心配は、果たして本物なのか、それとも偽物なのか。
本物だとしたら、どうして彩羽の残したスープを、彼女に食べさせようとするのか。
偽物だとしたら、こんなにも真剣に心配する態度は、何なのだろう。
辰一は隣でずっと話し続けていたが、凛々はもう聞く気になれなかった。
彼女が目を閉じると、彼は慌てて毛布をかけてあげた。
そしてベッドの横に座り、頬杖をついて彼女の顔をじっと見つめた。
「凛々って本当に綺麗だ。どれだけ見ても飽きない。お前が誰か他の人を好きになる前に、出会えて本当によかった」
その言葉を聞いたとき、凛々はそっと目を開け、彼を見つめた。
彼女は本当に聞きたかった。
彼は一体、誰を心から愛しているのか?
第4話
夜が白み始めたころ、凛々は目を覚ました。
病室に、辰一の姿はなかった。
隣のテーブルには、彼が置いていった朝食があった。
【凛々、会社の用事で先に帰る】
スマホを見ると、1時間前に彼からそのメッセージが届いていた。
彼はそんなに待ちきれずに彩羽に会いに行ったのか?
その日、夜になるまで辰一は戻ってこなかった。
戻ってきた彼の手にはカメラがあり、目を輝かせながら凛々に話しかけた。
「凛々、今日すごく素敵なウェディングフォトの場所を見つけたんだ!一緒に行こうよ。前に撮ったやつ、完璧じゃなかった気がしてさ。今回は絶対、いちばん幸せな姿を残したいんだ」
目的地に着いてみると、そこは誰もいない寂れた山だった。
「見てよ凛々、この星空、他の場所よりずっと綺麗だろ?」
彼は用意していたウェディングドレスを取り出し、着替えようとしたとき、一本の電話が掛かってきた。
辰一が電話に出ると、その笑顔は一瞬で曇り、不安な表情に変わった。
そして、凛々はぼんやりと彩羽の名前を耳にした。
「すぐに向かうから、心配しないで!」
彼は慌てて電話を切ると、凛々に何も言わないまま、車を出して行ってしまった。
辰一はためらうことなく、車を猛スピードで走らせ、視界から消え去った。彼女のスマホすら持ち去られてしまった。
凛々は苦笑し、仕方なさそうにゆっくり山を下り始めた。
彼女はもともと体が弱く、山はとても寒かった。しかも、辰一の撮影に合わせるため、彼女は薄いシャツ一枚だけを着ていた。
4時間以上歩いて、凛々はようやくタクシーを捕まえたが、帰宅した頃には熱が出ていた。
彼女は休もうとベッドに入ろうとした時、パソコンに映ったのは今夜の芸能ニュースだった。
「注目の新人高木彩羽、スキャンダル危機に。稲葉辰一が自ら弁明……」
動画を開くと、辰一が彩羽を庇い、堂々と記者たちの前に立っていた。
「彼女とはただの上下関係じゃない。でも彩羽は愛人じゃない。俺たちは10年前からの知り合いだ。
それに、今回の新しい広告契約も、最初から彩羽に決まっていたものだ」
その言葉を聞いて、凛々の胸が凍りついた。
彼女の広告契約はなんと、いつの間に彩羽に変わっていた。
しかも、それはすでに公式に発表されていたことだ。
今になって彼がそんなことを言えば、世間は凛々が横取りしたと思うに決まっている。
案の定、コメント欄は炎上していた。
「ってことは、松原が本当の愛人ってこと?」
「研究辞めて芸能界に入った時点で、真面目な人じゃないって思ったよ」
「まさか高木の広告契約を奪おうとしたなんて、恥知らずね。幸い、稲葉は彼女をひいきしなかった。さもないと、高木のキャリアが台無しになるのよ!」
辰一が戻ってきた時、まだその動画は再生されていた。
彼はそれを見るなり顔を青ざめさせ、慌てて言い訳を始めた。
「ごめん凛々!山に置き去りにするつもりじゃなかったんだ、ただ急いでて。だってこの件、会社にとって本当に大事だったから。
でも、どうせ俺たち結婚するんだし、お前はもうそんな仕事しなくていい。今回は会社と俺のために、ちょっとだけ我慢してくれないか?」
凛々は顔を上げ、静かに彼を見つめた。
「あのときも、あなたのために、私が研究を辞めて芸能界に入ったのよね」
「ごめん、凛々。本当に不公平だってわかってる。でも、これが最後だ。怒らないで。事態が落ち着いたら、またお前がやりたいことをやらせてあげる」
凛々は何も返さなかった。
彼女はもう責める気もなかった。
どうせ、その仕事も、辰一も、もういらないから。
その晩、彼女は高熱を出し、朦朧とした意識の中にいた。
だが、ちょうどその時、外祖父が病気だという知らせが届いた。
海市には外祖父にとって彼女しか親族がいない。だから、彼女はどうしても駆けつけなければならなかった。
凛々はふらつく足取りで起き上がり、何歩か進んだところで床に倒れ込んだ。
次に目を覚ましたときには病院のベッドの上で、昨夜ほどの辛さはもうなかった。
彼女は外祖父のことが心配で、点滴の針を抜いて立ち上がろうとしたが、看護師に止められた。
「松原さん、勝手に動かないようにと、稲葉さんから言われています。お祖父様のことは、稲葉さんがすでに対応しています。昨夜、あなたを病院に運んだあと、すぐにお祖父様のもとへ向かいました」
その言葉を聞いて間もなく、青凪が病室にやってきた。
「稲葉から電話があって、あなたの看病を頼まれたわ。彼、あなたのお祖父様を一番有名な心臓専門病院に連れて行ったって。昨晩も一晩中休まなかったそうよ。それに、あとでここにも来るって言ってたの。
あと、あなたの仕事も全部キャンセルしてくれて、相当な額の違約金も払ったみたい。正直、私も少し彼を見直したわ。もしかして、本当にあなたを愛してるのかもって」
それを聞くと、凛々は苦笑いした。
そうなんだ。彼女にはもう、辰一が自分に抱いている感情がどんなものなのか、まったく分からなくなっていた。
でも、それがどうであれ、彼女の考えは変わらなかった。
裏切りは裏切りだ。
彼女は裏切りを絶対に許せない人間だ。
第5話
夜になって、辰一が別の病院から慌ただしく駆けつけてきた。
凛々が目を覚ましているのを見ると、彼は嬉しそうに走り寄り、そのまま彼女を抱きしめた。
「本当に、死ぬほど心配したんだ。全部俺が悪い。お前が病気になったのも俺のせいだ。もしお前に何かあったら、一生自分を許せない」
凛々は彼を見つめ、そっとその腕を押しのけた。
「お祖父さんのこと、ありがとう。お疲れさま」
辰一は彼女を睨むように見つめた。
「言っただろ。俺にそんなに他人行儀にしないでって。お前のお祖父さんは、俺にとっても家族だ。世話をするのは当然のことだ。
手術も無事に終わったし、介護士も何人もつけてあるから安心して」
そう言いながら、彼は買ってきたスイーツを取り出し、テーブルに一つずつ並べていった。
「病気の時は甘いものを食べた方が元気になるって聞いたんだ。どれも俺のお気に入り。食べてみて?」
彼は瞳を輝かせながら、楽しそうに彼女の反応を待っていた。
だが凛々は、それを見つめたまま、ひと口も食べようとしなかった。
その様子に、辰一の目にかすかな寂しさが浮かんだ。
「食べたくないなら仕方ないけど。でも、凛々、この間ずっと冷たいよ。もしかして、俺のこと怒ってる?」
その言葉を口にする頃には、彼の目は赤くなり始めていた。
「凛々、お前が悲しそうにしてるのを見ると、俺も辛いんだよ」
辰一が彼女の手を握るのを見て、凛々は本能的に避けようとした。
ちょうどその時、辰一のスマホが鳴り響いた。
もともととても面倒くさそうに電話を取った辰一だったが、次の瞬間にはその目に不安の色が一気に広がった。
「どうしてそんなことに?今どこにいるんだ?
わかった、すぐ行く。ちゃんと守ってやれ!何かあったら絶対に許さないから!」
電話を切ると、彼は凛々に一言も告げず、慌ただしく病室を飛び出していった。
彼の後ろ姿が消えていくのを見て、凛々は無言でスマホを開いた。
案の定、また彩羽が関係していた。
ただ、画面の片隅には、自分の名前まで出ていた。
彩羽が勝手に、凛々の大切な役を奪っていたのだ。
その役は、凛々にとって芸能人生を大きく変えるチャンスだ。
うまくいけば、彼女はこの役を足がかりにして、さらにキャリアをステップアップさせることさえできる。
だが今、彼女が病気で寝込んでいる間に、彩羽はなんと勝手に辰一の社印を使って書類に捺印し、制作側に役の交代を持ちかけに行ったのだ。
もし相手が彩羽だけだったなら、制作側も当然相手にはしなかっただろう。
だが今は違う。彼女の背後には、辰一がついているのだから。
辰一は確かに実力があるが、いつも会社の名誉を何より大切にしていた。ほかのタレントがこんなことをすれば、即座にクビにしたはずだ。
しかし、相手が彩羽となれば話は別だった。
この事態を収めるために、彼は惜しみなく大金を使い、他の話題でトレンドを埋め尽くした。さらに、金の力を使って制作側に役柄の交代を働きかけた。
彼は凛々のことなど、まるで考えていなかった。もしその役を奪われれば、彼女はこの業界で再びチャンスを得ることは難しくなる。
彩羽のアカウントでは、すでに公式発表として出演決定の報告がなされていた。
それを見て、凛々の心は、底知れぬ深さに沈んでいった。
そして彼女のSNSには、激しい非難のコメントが押し寄せていた。
凛々がちょうど彼女を非難するコメントを読み終えたところで、辰一が戻ってきた。
再び病院に戻った辰一の目の下にはくまができている。その目は疲れ切っていて、歩く足取りもふらついていた。
しかし、彼の顔には安心した表情が浮かんでいた。彩羽の問題を解決したことで気分は悪くなさそうだった。
彼は凛々のそばに歩み寄り、親しげに彼女の腕を絡めた。
「今夜は家に帰って寝よう。病院のベッドなんかより、家のほうがずっと落ち着くだろ」
それを聞くと、凛々は静かに尋ねた。
「それって、私のこと心配してるの?」
辰一は一瞬だけ動きを止め、それから笑顔を見せた。
「もちろんだ。お前以外に、俺が心配する人なんていないさ」
本当に、そうなのか?じゃあ彩羽は?
凛々は目をそらし、窓の外を見つめた。
漆黒の夜に、何一つ見えない。それはまるで、辰一の心の中のようだった。
彼の言葉は、どれが本当で、どれが嘘なのか。彼女はもう分からなくなった。
家に戻ると、辰一はベッドに倒れ込むように眠ってしまった。
凛々は彼をそっと残し、下の書斎で夜を明かした。
翌朝、けたたましいインターホンの音で目を覚ました。
ドアを開けると、そこに立っていたのは彩羽だった。
「松原さん、辰一は?家にいる?用事があるの」
凛々が答える前に、後ろから慌ただしい足音が聞こえた。
振り返ると、辰一が靴も履かずに飛び出してきた。
「彩羽!朝からどうしたんだ?何かあったか?」
「父さんが倒れたの。一緒に病院についてきて。辰一、私、すごく怖いよ」
彩羽は涙ぐんでいた。
辰一はすぐに服を着替え、靴を履いた。すると、急いで玄関に向かった。
その背中に向かって、凛々が彼の名前を呼んだ。
「辰一、今日……」
だがその言葉を、彼は遮った。
「凛々、その話は帰ってからにしよう」
第6話
辰一が急いで立ち去る姿を見て、凛々は言いかけた言葉を飲み込んだ。
二人が婚約した日、彼はいくつかの記者を家に呼び、婚前準備の様子を記録させようとしていた。しかし、辰一はそのことをすっかり忘れているようだった。
約束した日時は、今日だった。
彼女は記者たちに、今日は撮影は不要だと連絡しようとしていたが、すでに彼らは到着していた。
「松原さん、不倫疑惑について説明はありますか?」
「あなたが何度もわがままを言って、決まっていた仕事を断り、その後は高木さんが後始末をしているというのは本当ですか?」
「俳優としてのプロ意識はありますか?松原さん、最近の騒動について、一般の方々に説明してもらえますか?」
記者たちの攻撃的な質問を聞いて、彼女は心が一気に沈んだ。
彼らは最近のことを知っているとしても、辰一が温かい日常を撮るために呼んだのだから、こんなにストレートな質問はしないはずだ。
今日の質問は、誰かが裏で仕組んでいるに違いない。
記者やカメラマンがどんどん増えていき、凛々は一時的に家に隠れるしかなかったが、彼らはまったく帰らず、外に張り付いていた。
だんだん暗くなり、外の人は増える一方だったが、辰一はまだ戻っていなかった。
凛々は何度も彼に電話をかけたが、一回も出なかった。
彼女は外の騒音に一晩中悩まされ、朝になる頃には明らかに心臓の調子が悪くなっていた。
だが、外の人はまだ散らばっていなかった。凛々は一度でも顔を出せば、また囲まれてしまうことを知っている。
記者もカメラマンも彼女の言い分を聞くつもりはなかった。
だんだん悪化する心臓の痛みを感じて、凛々は震える手で再び電話をかけた。
今回は、ようやく電話がつながった。
しかし出たのは彩羽だった。
「松原さん、辰一を探してるの?彼は一晩中忙しくて、さっきやっと寝たところよ。特に用がなければ、後でかけ直してね」
一晩中忙しい?彼は何をしていたんだ?
「これから病院に父を見舞いに行くの。松原さん、先に切るね」
どうやら彼らは昨夜、病院にはいなかったらしい。
凛々は苦笑いをして電話を切った。
外を見れば人でごった返している。
手を胸に当てた彼女は、ソファで丸くなり、痛みに冷や汗をかいている。
昼まで待って、ようやく辰一が戻り、外の記者たちを追い払った後、急いで部屋に入ってきた。
その時、凛々の心臓は限界に近く、記者たちが去ったのを見て、必死に起き上がり病院へ行こうとした。
本棚を通り過ぎる時、彼女の心臓に激しい痛みが走り、思わず隣の棚に手をついたが、そこにあったガラスのオルゴールを倒してしまった。
オルゴールは床に落ちた。凛々も膝をついて座り込み、痛みで冷や汗をかいた。
辰一が駆け寄ってきたが、彼女を押しのけて、床に落ちたオルゴールを拾うと、壊れていないか慎重に調べた。
その様子を見て、凛々は心の中で冷笑した。
辰一にとって、彼女はオルゴールよりも価値がないのだ。
凛々の視線に気づくと、辰一はすぐにオルゴールを慎重に棚に戻し、彼女に近づいて助け起こそうとした。
しかし彼の手が触れた瞬間、凛々は強く押し返した。
驚いた辰一の目を見て、凛々は隣のテーブルをつかみながらよろめきながら立ち上がった。
「怒ってるか、凛々。このオルゴールは、彩羽の母親が亡くなる前に彼女に残した最後の形見だ。彼女はこれを贈り物として俺にくれたんだ。大切にしなければならない。これは、彼女が母親を思い出すための最後の形見なんだから」
凛々は顔を上げ、辰一を見て軽く笑った。
「そうね、やっぱりオルゴールの方が大事なのね。私の病気なんて何でもないわ。あなたはオルゴールが壊れてないかちゃんと確認すればいい」
凛々の顔色を見て、辰一はようやく異変に気づいた。
「凛々、どうした?顔色が悪い。退院した時は大丈夫だったじゃないか」
彼は前に出て彼女の腕を支え、心配そうに声をかけた。
その時、凛々は辛くて言葉を発することができなかった。
彼女が手で胸を強く押さえているのを見て、辰一はようやくあることに気づいた。
震える声で彼は言った。
「凛々、もしかして、心臓病なのか?」
第7話
ちょうどその時、彩羽から電話がかかってきた。
辰一は凛々を支え、一目見ただけで電話を切った。
「凛々、なぜもっと早く言わなかったんだ?今すぐ病院に連れて行く!」
彼がそう言い終わると、また電話が鳴り始め、二人の心に急迫した着信音が響き渡った。
辰一はもう一度電話を切った。
「大丈夫、病院に行かなくていい、少し休めば治る……」
凛々がそう言い終わらないうちに、辰一のスマホがまた光った。彼女は彼の手を押しのけた。
「出て。会社からの緊急連絡かもしれない」
「凛々、まずは座って少し休んでて」
辰一は凛々をソファに座らせると、ようやくそばを離れて電話を取った。
だが、今回はいつもの優しい声ではなく、どこか冷たい声だった。
「どうした?なぜ何度も電話をかけてくるんだ?お父さんの方は最高の医者と介護士を手配してある。そんなに心配しなくていい」
またもや彩羽だった。
凛々はソファに寄りかかり、疲れて目を閉じた。
辰一はすぐに電話を切り、そばに戻って彼女の世話をした。
その後数日間、辰一は会社に行かず、ずっと家にいて結婚式の準備をしていた。
特注のタキシードを着た彼が目の前に現れ、楽しそうに服をいじる姿を見ると、凛々の眼差しはどこか曇り、何を考えているのか分からなかった。
「凛々、明日ついにお前と結婚できるんだ。とても嬉しいよ」
辰一の笑顔を見ても、凛々の視線はずっとそのドレスに留まっていた。
なぜなら、三時間前に凛々は一つの動画を受け取っていたからだ。
動画の中で、彩羽はそのドレスを着て、辰一と離れがたく絡み合っていた。
「凛々、今夜は早く休んでくれ」
凛々は眠ったふりをして、辰一がこっそり家を出るのを感じ取った。
辰一が新婚の前夜を彩羽に捧げるつもりだと、彼女は知っていた。
彼女は静かに起き上がり、少ないながらも大切なものをまとめた。
辰一がこれまでに贈ってくれたプレゼントは、一つも持って行かなかった。
すべて終えると、彼女は朝まで静かに待ち、結婚式会場へ向かった。
ゲストはほぼ揃っていた。
凛々は入口で自分と辰一のウェルカム写真を、彩羽と辰一の写真に差し替えた。
その時、辰一が急いで車から降りてきた。
「凛々、道が渋滞してて遅れた。早く中に入って着替えよう」
その後ろには、新婦と変わらない服装をした彩羽がいた。
凛々の視線と合うと、彩羽の目には挑発的な光が宿っていた。
慌てふためく辰一は、入口のウェルカム写真に気づかなかった。
彼は腕を組みながら更衣室へ向かった。着替えている時、凛々は彼の頸に、厚く塗ったファンデーションでも隠しきれない赤い痕を見つけた。
「凛々、まだ着替えないのか?結婚式がもう始まるさ」
凛々は笑いながら彼を見て、首を振って静かに言った。
「急がないよ」
凛々の笑顔を見て、辰一は少しぼんやりした。
彼女が優しく笑っていたが、彼の心のどこかで不安を感じていた。
着替えとメイクが終わった頃、辰一は凛々が何も準備していないことに気づいた。
戸惑っていると、凛々が手を差し出した。
辰一がその手を取ると、凛々は彼を連れて外に出た。
たくさんのゲストの注目を浴びながら、彼女は辰一の手を離し、動画の再生ボタンを押した。
辰一は少し恥ずかしそうに振り返り、スクリーンに映る自分と彩羽の顔を見ると、全身が凍りつくような寒気を感じた。
彼は慌てて凛々を見つめ、何か言おうとしたが、凛々は先に口を開いた。
「今日は、友人としてあなたと高木さんの結婚式に出席する」
辰一の足がふらつき、倒れそうになった。
彼はようやく、なぜさっきから不安だったのか理解した。
凛々は笑っていたが、その目は冷たくて温もりがなかった。まるで見知らぬ人を見ているようだった。
「凛々、何を言ってるんだ?今日は俺たちの結婚式だ」
彼は凛々の前に歩み寄ると、彼女の手首を掴んで、最後のあがきを続けた。
「違う、今日はあなたと高木さんの結婚式よ」
彼女は場内の写真と招待状を示した。
辰一はそこにある名前と写真がすべて彩羽のものに変わっているのを見て驚いた。
「そんなことはない、違う……凛々……」
しかし彼の声は、動画の音声にかき消された。
それは婚約の日に、車の中で彩羽に言った言葉だった。
「彩羽、たとえ俺があいつと結婚しても、好きなのはお前だけだ……」
その瞬間、辰一の頭は真っ白になった。凛々はずっと前から知っていたのだ。
目の前の凛々を見つめ、彼は必死に彼女の腕を掴んだ。
彼の心の中には、凛々を決して離したくないというただ一つの想いだけがあった。
凛々は彼の手を押しのけ、穏やかで優しい笑みを浮かべた。
「辰一、私たちは終わったわ。ご結婚、おめでとう」