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もし最初の出逢いのままだったら
結婚式は、指輪の交換の場面を迎えた。 けれど、私の婚約者・芹沢湊(せりざわ みなと)は、どうしても「誓います」と言おうとしなかった。 理...
Chương (1)
第1章
結婚式は、指輪の交換の場面を迎えた。
けれど、私の婚約者・芹沢湊(せりざわ みなと)は、どうしても「誓います」と言おうとしなかった。
理由は明白だった。一時間前、かつて彼が想いを寄せていた女・北川望結(きたかわ みゆ)が、突然SNSで破局報告を投稿したから。
添えられたのは、都城行きの航空券の画像。到着まであと一時間。
沈黙を破って、兄の東雲悠真(しののめ ゆうま)が突然壇上に立ち、「結婚式を延期します」と出席者に告げた。
その直後、悠真と湊は何の言葉も交わさず、まるで示し合わせたかのように、私をその場に残して去っていった。
私は淡々と後処理を進めた。そしてスマホを開くと、彼女のSNSには一枚の写真。
悠真と湊が、望結を囲むように立ち、すべてを彼女に捧げる姿が映っていた。
私は苦笑しながら、実の両親に電話をかけた。
「……お父さん、お母さん。政略結婚を引き受けるよ。五條家のために」
第1話
結婚式は、指輪の交換の場面を迎えた。
けれど、私の名ばかりの婚約者・芹沢湊(せりざわ みなと)は、どうしても「誓います」と言おうとしなかった。
理由は明白だった。一時間前、かつて彼が想いを寄せていた女・北川望結(きたかわ みゆ)が、突然SNSで破局報告を投稿したから。
添えられたのは、都城行きの航空券の画像。到着まであと一時間。
沈黙を破って、兄の東雲悠真(しののめ ゆうま)が突然壇上に立ち、「結婚式を延期します」と出席者に告げた。
その直後、悠真と湊は何の言葉も交わさず、まるで示し合わせたかのように、私をその場に残して去っていった。
私は淡々と後処理を進めた。そしてスマホを開くと、彼女のSNSには一枚の写真。
悠真と湊が、望結を囲むように立ち、すべてを彼女に捧げる姿が映っていた。
私は苦笑しながら、実の両親に電話をかけた。
「……お父さん、お母さん。政略結婚を引き受けるよ。五條家のために」
電話を切ったあと、私は式場のお祝いの飾りを見つめ、目の奥に皮肉めいた光が滲んだ。
出席者はすでに全員帰っていた。だが、悠真も湊も、まだ戻ってくる気配すらなかった。
思い返せば五年前、私は実の両親に見つかった。DNA鑑定の結果、私は都城に本家を構える五條家の娘だった。
「ごめんね……こんなに長い間に、ひとりにしてしまって」
五條夫人は、優しげな眼差しで私を見つめながら、静かに言った。
「あなたを立派な後継者として育てたい。そして、明るい未来を築くよ。一緒に帰ってこない?五條家に」
目の前の夫婦を見つめながら、複雑な思いを胸に沈めた。
これまでの私は、ずっと施設で育ってきた。けれど、決して愛に飢えていたわけではない。
そばには、いつも湊と悠真がいたからだ。
だから三年前の私は、「帰りません」と迷いなく、家に戻る誘いを断った。
名家の世界では、自分の意思なんて通じない。それに、人を出し抜いてまで何かを手に入れる「後継者」なんて、なりたくなかった。
ましてや、政略結婚の駒になるなんてごめんだった。
「……つらいよね」
「私たちはあなたの決断を尊重するわ。そして、幸せに生きてほしい」
「本当はね、あなたのお祖父さまと綾小路家のお祖父さまが決めた許嫁の話があって……五條家の娘として果たすべき務めだった。でも、こういう形になったのも、それもいいかもしれないわ」
「もちろん。いつでも帰ってきていいのよ。あなたが私たちと家族となり、責任を共に担いたいと思ったときに」
私は同じ施設にいる悠真を兄のように、家族のように思っていた。そんな彼を、私がひとりで置いていくなんて、できなかった。
五條夫婦は残念そうに帰っていった。何しろ実の子なのだから、簡単には諦められなかったのだろう。
その後、東雲グループがここまで大きくなったのは、陰で五條家が多くの支援をしていたことを、私は知っている。
けれど、私が自分の手で選び取った家族と恋人は、人生でいちばん大切な日に、私を裏切った。
時間だけが静かに過ぎていく。さまざまな視線が突き刺さった。
それでもなお、二人は帰ってこなかった。
私は何度も、何度も、彼らに電話をかけた。
やっと繋がったそのとき、電話越しに聞こえたのは、湊の怒りに満ちた声だった。
「心音、結婚式なんていつだってできるだろ!
望結の体調が悪いのは知ってるだろ?今回の海外行きでさらに悪化したんだ。譲ってやれよ」
私が何か言おうとすると、今度は悠真が電話を取った。
「心音、お願いだからやめてくれ!
望結は君とは違う。彼女にはもう、誰も残ってない。たった一人の家族も亡くなって、この世界でたった一人なんだ!
今は彼女に家族が必要なんだよ!
今回の結婚式は中止だ。後日、改めて行おう」
私は何も言わず、無数の視線にさらされながら、後始末をすべてひとりで済ませた。
しばらくして、望結がSNSを更新した。
【いつだって、どんなに遠くても、あなたたちは私のもとに来てくれる。私はずっと、あなたたちに大切にされるお姫さまなの】
私の婚約指輪と、入籍のために用意したオーダーメイドの振袖は、悠真と湊によって、北川望結を出迎えるプレゼントにすり替えられ、彼女の手に渡されていた。
その瞬間、私はもう、自分を誤魔化すことができなかった。
すべてが、終わったのだ。
第2話
「……本当に、それでいいのね?」
電話の向こうで、五條夫婦の声は未だに信じられない様子だった。
三年前、私は彼らにきっぱりと言ったのだ。――私は、愛のない結婚なんて望まない。
五條家に戻るということは、自分自身の幸福を切り捨てること。
家同士が選んだ政略結婚は、たしかに双方にとっては最適な選択かもしれない。
五條夫人がため息をついたあと、静かに、けれど重みのある口調で続けた。
「安心して。たとえ政略結婚でも、あなたは私たちの大切な娘よ」
私は窓の外に目をやって、そっと涙を拭った。夜の帳が、静かに町を包み始めていた。
「……お父さん、お母さん。こっちの後始末に、あと一週間ほどください」
「分かったわ。お兄さんたちとも、きちんとお別れしておきなさい。結婚式の準備は私たちに任せて。どんな時も、五條家はあなたの味方よ」
瞳が熱を帯びる。あのときと同じように、悠真と湊も、こう言ってくれた。
「心音、怖がらなくていい。これからは、僕たちが家族だ」
「何があっても、ずっと君のそばにいるよ」
あの時、施設の管理人・林さんも彼らを笑顔で見ながら、こう言ったものだった。
「お兄ちゃんたち、妹ちゃんを守ってあげなきゃだめよ?男の子の約束は、絶対なんだから」
そのとき、湊は頬を赤く染めて私を見て言った。
「僕、お兄ちゃんなんかやだ!大きくなったら心音をお嫁さんにするんだ!」
――その一言が、私の心を動かした。
それからはずっと、悠真は本当の兄のように私を気遣い、一方、湊は、何かいいことがあるたびに一番に私を思い浮かべ、喜んで差し出してくれた。
彼らは、私の家族であり、恋人だった。
だからこそ、実の両親が現れても、私は彼らに何も伝えなかった。
名家には、誠実な愛は望めない。そこにあるのは、争いと計算ばかり。
それに比べて、私たちのささやかで温かい日常は、なによりも手放しがたい幸せだった。
――けれど。
北川望結が現れたとき、私はやっと、自分がいかに思い違いをしていたかを思い知った。
彼女は、家で働いていた北川さんの娘だった。幼くして父を亡くした。その北川さんも、一昨年、病でこの世を去った。
その年の正月、私たちは彼女の身を案じ、家に招いて一緒に年を越した。
……それ以来、彼女はいつのまにか我が家に居着くようになり、それどころか悠真と湊と、どんどん親しくなっていった。
私はある日、彼女を呼び出してやんわりと伝えた。
「もうすぐ湊と結婚するの。だから、ちょっと距離を考えてくれると嬉しいな」
思いもよらなかったが、彼女はそれに応える代わりに、一通の手紙だけを残して、ひとりで海外に行ってしまった。
その手紙には、私への羨望と、みんなへの名残惜しさが綴られていた。
そして――湊はその手紙を読んで、すぐに顔を曇らせ、私に怒りをぶつけた。
「……心が狭すぎるんじゃないか?少しぐらい、許してやれよ!」
悠真もまた、失望の目を向けて私に背を向けた。
「心音……お前ってやつは、ほんとに自分勝手だな」
彼らは信じて疑わなかった。望結のほうが、私よりも愛を必要としているのだと。
だから、彼らは私が注いできた愛を、何のためらいもなく彼女に渡した。
今回の結婚式は、私の夢だった。
ウェディングドレスも、指輪も、招待状の模様ひとつまで、すべて自分の手で作り上げたものだった。
私は目を閉じた。
結婚式場の中心にひとり立ち、無数の視線を浴びながら、さっきまで保っていた冷静さは、あっけなく崩れ去った。
「……なんなの、結婚式、途中で中止?」
「新郎、逃げたってこと?」
「新婦の親族まで帰っちゃったよ」
「自業自得なんじゃない?なにか後ろめたいことでもやったんでしょ」
「……顔見りゃ分かる、なんか信用できない感じだもん」
悪意と中傷の言葉が、洪水のように私を飲み込んでいく。
「一生、守ってあげる」――そう言った彼らは、今や、私の心臓に突き刺さる二本の刃となっていた。
第3話
後始末をすべて終えたあと、私は湊との新居に戻った。扉を開けた瞬間、思わず足を止めた。
……部屋の中に、誰かがいた。
「心音姉ちゃん、久しぶりだね」
そこにいたのは、北川望結だった。軽やかなルームウェアをまとい、曲線を強調するその姿は、まるで見せつけるかのようだった。
望結は私と湊の寝室から出てきて、挑発的な笑みとともに、申し訳なさそうな顔を作った。
「悠真兄さんと湊が心配して、ここに住んでもいいって言ってくれたの」
私が丹精込めて整えた新居は、知らぬ間に望結の住むところへと変えられていた。
すべてのペアの物件は書斎に押し込まれ、その代わりに、望結の私物が無遠慮に置かれていた。
「湊が言ってたの。『この部屋は日当たりがよくて、術後の療養にぴったりだ』って」
望結が今いるこの部屋は、まさに私と湊の部屋だった。私の瞳の奥に、一抹の暗い影がよぎった。
そのとき、扉がもう一度開いた。悠真と湊が、ケーキと花束を手に入ってきた。
私を見るなり、二人の目に不満の色が浮かんだ。
「……また何するつもりだ?望結は一度追い出されたんだ。これ以上いじめる気?」
湊が睨みながら言った。
「今は、望結も家族なんだ。ここは望結の家でもある」
悠真の視線も冷たかった。
この小さなヴィラは、もともと悠真が私にくれた贈り物だった。
「いつでも帰ってこられるように」
「俺がいる限り、お前の帰る場所はここにある」
そう言ってくれた家。
けれど、望結が住みついた。
亡き北川さんへの義理もあって、私は一時的に滞在を許した。
望結が新たな部屋を見つけ次第、出ていくという約束で。
しかし彼女はどんどん図に乗り、私の化粧品やアクセサリーを勝手に使い、さらには酔った湊と同じベッドで眠っていたことさえあった。
我慢の限界だった私は、彼女を平手打ちしてしまった。
しかし、湊は私を床に突き飛ばした。
「望結にはもう家族がいない。俺たちを兄だと思って頼ってるだけだ!
お前はずっと、俺たちに守られてきた。だけど望結は違う。いろんな苦しみを味わってきたんだ!
お前の方が年上だろ。少しは妹を思いやってやれよ!」
砕けたガラスの破片で、手のひらに切り傷ができた。そのとき、私は湊の顔から、はじめて「よそ者」のような冷たさを感じた。
――そして今日。
望結は再び戻ってきて、まるでこの家の主のように振る舞っている。
「心音、お前は俺の世話になってきたんだぞ。食わせて、住まわせてやって――その恩を忘れたのか?
今は望結が俺の妹だ。彼女を追い出す権利は、お前にはない。
そもそも、お前が無神経にあの子を責めたせいで、海外で病状が悪化したんだ。
これからは書斎で寝ろ。望結の療養が終わるまでだ」
悠真の声は警告のようだった。
「望結には付き添いが必要だ。俺たちはまだ籍を入れてないし、文句があるなら結婚そのものを見直してもいいんだぞ」
湊の目は、まるで私が爆弾でも抱えているかのような、そんな用心深さに満ちていた。
私はそんな彼らを見つめ、ふっと目を伏せた。
そこにあったのは、悲しみではなく、失望だった。
ここはもう、私の居場所じゃない。もう、迷いはない。
何も言い返さず、私は静かに書斎へと足を運んだ。
その部屋は、ぐちゃぐちゃに荒れていた。私がひとつずつ時間をかけて選んだインテリア、未来への夢や希望を託したアイテムの数々は、すでに無惨に片隅へ追いやられていた。
私は黙って、望結に壊された婚礼用品をひとつずつ拾い、ゴミ袋へと放り込んだ。
それを見て湊は満足そうにうなずいた。
「そんな安物、また式のときに買えばいいじゃん」
――安物なのは、モノだけじゃない。私の視線は冷たく沈んでいた。
もう、ここに私の「未来」はない。
第4話
別れの前に、私が会っておきたい人は、たったひとりだけだった。
その人にきちんと挨拶ができれば、もう未練はない。
「お嬢さん、また林さんのお墓参りかい?」
霊園の管理人が私に気づき、笑顔で声をかけてきた。
毎年この季節になると、私は決まってここを訪れていた。
私は一束の白菊を林さんの墓前にそっと供えた。
「林さん……私、もう行くね」
風がやさしく吹き抜け、写真の中の林さんは変わらぬ微笑みをたたえていた。
霊園を出たあと、私はしばらく当てもなく街を歩いた。
ケーキショップの前を通りかかったとき、甘くて懐かしい匂いが鼻をくすぐった。
ふと、思い出した。昔、悠真と湊が買ってくれたバースデーケーキ。
安いホイップクリームだったけれど、あれほど甘く感じたものはなかった。
そのとき、スマホが震えた。
【誕生日おめでとう】
それは五條家からのメッセージだった。同時に、大きな額の送金通知が届いていた。
私が帰りたがらなくても、毎年こうして節目のタイミングには必ず連絡をくれる――それが五條家だった。
その数時間前、望結がSNSに投稿していたのは、新作映画のチケットの写真。三枚。
気がつけば、私はかつての児童養護施設の前に来ていた。
そこはもう取り壊され、いまは小さな遊園地に変わっていた。夜になっても、子どもたちの笑い声が響き、にぎやかさは尽きない。
「心音姉ちゃん!」
あの声が聞こえた瞬間、私は立ち止まった。望結が笑顔でこちらに駆け寄ってくる。
「こんなところで会うなんて!今日ちょっと気分が沈んでたんだけど、悠真兄さんと湊がどうしてもって言って、遊びに来たの」
望結が急に近づいてきたとき、私はなぜか本能的な違和感を覚えた。
その刹那、望結の表情に、一瞬だけ奇妙な笑みが走った。そして突然、私の手をつかんで、勢いよく後ろに倒れ込んだ――
直後、バイクが猛スピードで突っ込み、私たちを巻き込んだ。
悠真と湊の目には、私が望結を突き飛ばしたようにしか見えなかったはずだった。
彼らの顔色は、見る間に険しく変わっていった。望結の額と膝からは血が流れていた。
私のほうはというと、地面にうつ伏せに倒れ、右手が完全に感覚を失っていた。バイクのタイヤが直撃したその手は、もう自分の一部ではないようだった。
病院に着いたとき、看護師がこう言った。
「今日は当直医がひとりしかおりません」
すると湊が大声を上げた。
「望結の手術を先に!女の子なんだぞ、顔に傷が残ったら大変だろ!」
確かに、彼女の額や脚には痛々しい傷があった。しかし、よく見ればそれらは表皮の裂傷であり、命に関わるものではなかった。
看護師が私の腕を見て口を開いた。
「芹沢様、北川様の処置はこちらでも可能です。でもこの方は手の骨にかなり深刻な損傷が見られます。遅れれば後遺症が残るかもしれません」
しかし、湊と悠真はまったく取り合わなかった。
「望結の手術を優先して!」
その決断は、驚くほど即断だった。
私の顔から血の気が引いていく。この手を失えば、私はもう二度と筆を持てないかもしれない。
「……お願い、お兄さん、湊……
少しだけでいい、先に処置して……すごく、痛いの」
それでも、返ってきたのは怒声だった。
「心音!お前はなんで望結ばかりを目の敵にするんだ!
忘れたのか?お前は孤児だった!俺が育てなければ、路上で飢え死にしてたくせに!
今日から、望結は俺の妹なんだ。二度と彼女に手を出すな!
お前があの子を海外に追いやったから、病気が悪化したんだ!
自分は無傷のくせに、大げさに倒れ込みやがって!」
そして次の瞬間、私はその場に叩きつけられた。
湊の手が私の頬を打ち、その衝撃で視界が白くなった。血の気が完全に引き、身体の力が抜けていく。
床に投げ出された私の右手は、ありえない角度に曲がったまま動かなくなっていた。
ようやく、湊は違和感に気づいたようだった。
「……心音?大丈夫、か……?」