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愛の末に選ぶのは、別れ
愛は救いでもあり、苦しみでもあった。 もしやり直せるなら、中尾南月(なかお なつき)は絶対に藤村白羽(ふじむら しらは)を愛さなかった。
Chương (1)
第1章
愛は救いでもあり、苦しみでもあった。
もしやり直せるなら、中尾南月(なかお なつき)は絶対に藤村白羽(ふじむら しらは)を愛さなかった。
第1話
南月が人生で一番後悔していることは、自分の叔父を愛してしまったことだった。
十歳のとき、南月は初めて白羽に出会った。背の高い白羽は両親を亡くした彼女を抱きしめて、「これからは俺がずっと守ってやる」と約束してくれた。
十五歳のとき、白羽はいじめに遭っていた南月を救って、加害者をその場に跪かせて謝らせた。
十八歳のとき、ミッションに失敗して瀕死状態の白羽に、南月は医者の反対を押し切って彼に肝臓を提供した。
その日、南月は白羽にそっとキスを落とした。ちょうどその瞬間、白羽が目を覚ました。
だが、甘い展開なんてなかった。ただ白羽の驚きと、それに続く冷たい疎遠だけがあった。
そして、白羽の憧れ続ける女が重病になったとき、唯一適合するのは、南月の腎臓だった。
いつも冷たい白羽が彼女を訪ねてきた。「腎臓をくれたら、君の願い、何でも叶えてやる」
南月は沈黙で拒絶した。その結果、小林柔音(こばやし やわね)は手術中に命を落とした。
白羽は一滴の涙も流さなかった。まるで何事もなかったかのように。
だが、柔音の一七日のとき、白羽は南月が彼に抱いた恋心を綴った日記を世間に公開した。
「叔父が好きだった女」という烙印を、南月の人生に刻みつけた。
南月の誕生日、白羽は彼女に薬を盛って拉致した。南月は他の人にいじめられてしまった。
白羽はただ立ち尽くし、冷たく言った。
「俺がお前に近づくわけないだろ。汚らわしい」
最後に、気を失いかけた南月に、白羽は冷水を浴びせて目を覚まさせた。
薄れる意識の中、南月は刃を手にした白羽が近づいてくるのを見た。
そして、彼は刃が振り下ろした。「これは、お前が柔音への借りだ」
再び目を開けたとき、南月は、腎臓提供の話があったあの日に戻っていた。
……
「お願いだ、この腎臓が君にはたいしたことないが、柔音はこれがないと死ぬ。
腎臓をくれたら、君の願い、何でも叶えてやる」
耳に響く白羽の懇願の声で、南月は我に返った。
彼女は生まれ変わったのだ。
前世、彼女はこの日に彼を断ったことで、死亡の結末を迎えてしまった。
でも、あのとき彼女は白羽のためにすでに肝臓を失っていたのだ。もう一つの腎臓を提供する余力なんてなかった。
だけど今の南月は、何もかもが悟った。
提供しないと死ぬ結末だった。どうせ死ぬなら、この腎臓で、白羽の十一年間の恩を返した。これで、彼女は白羽との縁が完全に終わった。
そう思うと、南月は手のひらをぎゅっと握りしめてきっぱりと言った。「あげるよ」
言いかけていた言葉が白羽の喉に詰まり、隣にいた医師が慌てて止めに入った。
「中尾さん、本当にいいんですか?臓器を二度も提供するなんて、通常なら絶対に勧められません。手術のリスクも死亡率も跳ね上がります」
だが、それを聞いた南月は強く頷いた。
そのリスク、彼女は誰より理解していた。けれど、白羽と縁を切れるなら、命なんて惜しくなかった。
サインを終えた南月を見て、白羽はようやくほっと安心した。
てっきり彼女が騙しているのではと疑っていたのだ。まさか、本当にためらいもなくサインするとは。
そう思うと、彼は表情を緩めて南月に言った。
「腎臓をくれた以上、俺も約束は守る。希望を言え」
「一つだけ。藤村家との縁を切ってほしい。これから、私はもう藤村家の人間じゃない」
白羽は眉をひそめた。「本気か?」
南月がこの機に乗じて「自分と結婚して」と迫ると思っていたのに、まさか、彼女の願いは彼と縁を切ることだったとは。
南月は白羽を見つめて、冷たく言った。「本気だよ」
数秒間、白羽は彼女を疑うように見つめて、顔を曇らせた。
「南月、君の小細工、もうやめろよ。藤村家と縁を切ったからって、俺と何かあるって思ってんのか?
そんなことなんて、絶対にない。俺の心の中にいるのは柔音だけだ。君じゃない」
その言葉に、南月の睫毛がかすかに震えた。「わかってるよ」
前世でのあの仕打ち、忘れるわけがなかった。白羽がどれだけ柔音を愛していたか、彼女が一番わかっていた。
だからこそ、今世の南月は、もう彼を愛さなかった。ただ、彼から遠ざかりたかった。それだけだった。
それを聞くと、白羽の目が彼女に数秒留まった。
どこか違和感を感じたが、理由がわからなかった。
白羽は何かを言おうとしたそのとき、病室の奥から柔音の声が聞こえた。
反射的に、白羽は病室へ駆け込んだ。南月も顔を曇らせてその後をついていった。
柔音は咳き込みながら涙ぐんでいた。
「白羽、もう中尾さんを困らせないで。中尾さんがあたしのこと嫌いって、知ってるよ。だから、彼女が腎臓をくれないとしても、あたしは恨まないよ」
柔音はまだ何かを言おうとしたが、白羽は彼女の手を強く握り、喜びの声を上げた。
「柔音!南月が承諾してくれた!これで君は助かる!」
柔音の言葉が止まった。彼女は驚きの目で南月を見つめ、そして目が赤く染まった。
「白羽、彼女の条件って……まさか、あなたと結婚することじゃないでしょわね?」
白羽が返事をする前に、柔音が南月に平手打ちした。
南月の顔に真っ赤な手形が浮かんだ。柔音は胸を押さえながら怒って言った。
「中尾南月、恥を知れ!白羽はあんたの叔父よ!そんな下劣なこと、よくもまあ……
白羽、もしあなたが彼女と結婚するなら、あたし、今すぐ死ぬわ!」
柔音の感情が爆発した。白羽は、頬を腫らした南月を無視して、ただ柔音を抱きしめた。
「柔音、愛してるのは君だけだ。この一生、君だけと結婚するんだ。他の女なんて、考えたこともない」
痛い頬を押さえながら、南月は自嘲の笑みを浮かべた。彼女はすぐにその場を離れた。
だが、背中越しに聞こえてしまった。
「彼女はもうあなたに肝臓まで提供してくれたのよ?今度また腎臓なんて、大丈夫なの?」
南月の足が止まった。彼の返事を少しだけ期待したが、次の瞬間、その期待が破滅してしまった。
「柔音、わかってるだろ。君以外の他人の生死なんて、俺にはどうでもいい。君さえ助かれば、それでいいんだ」
病室を出た南月は、数秒間落ち着いてから、携帯を取り出して指導教官の番号を押した。
「もしもし、先生。この前おっしゃってた教育支援プロジェクト、参加したいです」
第2話
指導教官は電話の向こうで喜びを隠せなかった。
「素晴らしいわ、南月。先生、本当に誇りに思う。今の社会には、君みたいに奉仕の心を持った若者が必要なんだよ。
でもね、このプロジェクトは本当に大変よ。赴任地もかなり辺鄙なところだし。
君のおじさん、そんなに君のことを心配してるけど、本当に許可してくれるかしら?」
南月は携帯をぎゅっと握りしめ、きっぱりと答えた。「彼の許可なんていらないです。私のことは自分で決めます」
電話を切った瞬間、南月の身体から力が抜け、壁にもたれようとした。
だが、一歩後退してから、彼女は白羽の硬い胸板にぶつかった。
南月はビクッと身体を震わせ、白羽は眉をひそめた。
「誰と電話をかけたの?参加って、どういう意味?」
南月は平然とした声で答えた。「ああ、先生がサークルに参加しないかって聞いてきただけ」
白羽はそれ以上問い詰めなかったが、まるで通達するかのような口調で話を続けた。
「手術は一週間後に決まった。その間、柔音をうちに連れてくる」
言い終えると、彼は少し間を置いて、冷たい声で付け加えた。
「それと、書斎で変な手紙を見かけるのは勘弁してくれ。柔音に余計な誤解をさせたくない」
南月は目をそらしながら、指先に力を込めて掌を掴み、悲しい声で答えた。「……わかった」
あの「キス事件」以来、南月は白羽への想いを伝えるために、毎週彼にびっしり書いたラブレターを送っていた。
だがそれらのラブレターは、毎回ゴミ箱へ捨てられていた。
それでも、南月は諦めきれず書き続けた。
彼女の一途な愛の告白が、白羽にとっては気味悪く、変なものだった。
白羽は南月の返答を聞くと、それ以上何も言わず、運転手に何かを指示して病室へ入っていった。
一時間後、病院の門前に白羽の車が停まり、柔音が白羽に支えられて車に乗り込んだ。
それを見ると、南月は急いで階段を駆け下った。
彼女は車のドアを開けて乗ろうとしたが、車がそのまま走り去った。ただひとすじの排気ガスだけが残った。
南月は呆然と立ち尽くしていたそのとき、携帯が震えた。白羽からのメッセージだった。
【柔音は潔癖症なんだ。他人の匂いは嫌なんだよ。君はタクシーで帰って】
南月は目が暗くなって、携帯をしまうと手を上げてタクシーを止めた。
乗車中、彼女は黙ったまま窓の外を眺めていた。運転手が心配そうに声をかけてきた。
「お嬢さん、その顔ひどく腫れてますね。薬局に寄っていきましょうか?」
南月は首を横に振ったが、瞳の奥はさらに深く沈んでいった。
自分の家族からは、たった一言の心配もなかった。優しい言葉をくれたのは、赤の他人だった。
どれほど皮肉で、どれほど滑稽なことか。
ほどなくして車は別荘前に到着した。南月は車を降りて、別荘の扉を開けた。
だが、目に入るのは白羽ではなく、ネックレスをいじっていた柔音だった。
目を凝らすと、彼女はそのネックレスが自分が金庫にしまっていた勾玉に気づいた。
それは亡き両親が唯一残してくれたものだった。南月にとっては、触ることさえ躊躇うほど大切なものだった。
けれど、それが今、柔音の手の中にあった。
南月の顔色が一瞬で冷たくなった。彼女は手を差し出して言った。「勾玉を返して。
私の許可もなく部屋に入るなんて、淑女のすることとは思えないね?」
その言葉に柔音の顔が引きつった。だがそれよりも早く、階段の上から白羽の声が響いた。「柔音を中に入れたのは俺だ。
柔音はこの部屋の未来の女主人。どの部屋に入るのも、彼女の自由だ。
それに、彼女が望むなら、君の部屋に住んでもいいくらいだろう」
白羽は南月の前に立って、冷たい視線で彼女を見つめた。
南月は顔色が真っ青になった。柔音は白羽が来たのを見て一層強気になった。
「たかが勾玉でしょ?返せばいいんじゃん、ほら」
そう言って柔音は手を伸ばした。
南月は手を差し出して勾玉を受け取ろうとしたが、次の瞬間、勾玉はするりと滑り落ち、床にぶつかって真っ二つに割れた。
「やめて!」
勾玉が砕けた。
南月の心もそれとともに砕けた。
それは、両親が残した唯一のもので、彼女の唯一の心残りだった。
床に落ちた勾玉を見つめ、南月は目を真っ赤にし、目の前の柔音を突き飛ばして、形振り構わずその場に膝をついた。
床に散らばった破片を拾い集めようとしたが、勾玉は元に戻らなかった。
柔音は呆然と立ち尽くした。まさか南月がこんなに取り乱すとは思っていなかった。
白羽の目に迷いの色が浮かんだ。
何年も一緒に住んできて、こんな南月を見るのは初めてだった。
けれど、怖がる柔音を見た後、彼は眉をひそめて南月を慰めた。
「もういい。柔音もわざとじゃない。この勾玉、いくらでも弁償してやる」
第3話
南月は何も答えなかった。ただ、砕けてしまった勾玉を大切そうにバッグに仕舞い込んだ。
しばらく沈黙の時が流れた後、南月は白羽に向かって、物悲しい笑みを浮かべて言った。「いらない、おじさん」
その言葉を残して、南月はさっさと立ち去ったが、白羽はその場に呆然と立ち尽くしていた。
おじさん?彼女が自分の気持ちを打ち明けて以来、南月は一度たりとも「おじさん」と呼んだことがなかった。
白羽が何度も強調したとしても、彼女は頑なに拒み続けていた。
そんな南月が、自ら「おじさん」を口にした。
白羽はまるで何かに打ち抜かれたように立ち尽くし、我に返ったのは、柔音が彼の腕を揺すった時だった。
「白羽?どうしたの?」
白羽はすぐに優しい声で答えた。
「いや、なんでもないよ。さっきのことも気にしないでくれ。南月は本当は悪い子じゃないんだ。ただ、俺が甘やかしすぎたせいで、ちょっとわがままになっただけさ」
柔音は一瞬呆然とした。まさか白羽が南月の肩を持つとは思わなかったのだ。
彼女は理解あるふりをして頷いたが、その目の奥には嫉妬と冷酷な光が一瞬だけ閃いた。
安心感を求めるように、柔音は白羽の腰に抱きつき、甘えるように言った。
「ねえ、白羽。あたし、手術が終わったら……結婚しよう?もう待ちきれないよ、あなたと一緒に暮らすの」
白羽の目に優しさが浮かび、彼は柔音の鼻先をそっと指で撫でながら甘やかすように言った。
「うん、全部君の望む通りにするよ」
柔音は興奮して言った。「ホント?じゃあ、あたしは世界で一番綺麗な花嫁になるね!」
……
それから数日間、南月はずっと大学に通い、教育支援プロジェクトの手続きを進めていた。
彼女は朝早くから家を出て夜遅くまで帰って、同じ家にいながらも白羽と顔を合わせることは一度もなかった。
ある日、南月はかつて白羽に送った無数のラブレターを箱に詰めて、暖炉へ向かってそのすべてを燃やしてしまおうとした。
そして最後の一通に火をつけようとしたその時、背後から、白羽の怒声が飛んできた。
「何してる?」
南月は答えなかった。だが白羽の目に、まだ燃え残っているラブレターが映った。
彼は表情が一気に険しくなり、南月の手首を強く掴んだ。
彼は低い声で警告した。「南月、今度は何を企んでる?こんなことして、俺の気を引こうってわけか?
そんなこと、意味あると思ってんの?」
南月はうつむき、彼の手を振りほどいた。
「考えすぎだよ」
しかし白羽は、彼女の行動に別の目的があると確信して、冷たく告げた。「十日後、俺と柔音の結婚式だ。君も来ればいい」
その言葉を聞いた瞬間、南月の顔から血の気が引いた。彼女は無理に笑みを浮かべた。
「おめでとう」
十日後、彼女はもう教育支援プロジェクトに出発していた。彼の結婚式に出席する可能性がなかった。
だが、そんなことは口にせず、彼女はただ背を向け、部屋を出ようとした。
だが玄関についたとき、白羽の声が再び彼女を呼び止めた。「柔音が言ってた。結婚式は人生で一度きりだから、他人に任せたくないって」
南月はその言葉の意味が分からず、振り返って聞き返した。「……だから?」
「だから、今回の結婚式は君に任せたい。君は俺が育ててきた子だから、俺の好みも、全部分かってるだろう?」
第4話
南月はその言葉を聞いた後、目を伏せて微笑んだ。その笑みには、自嘲と皮肉が深く隠されていた。
「おじさん、私は本当に、もうあなたのこと好きじゃないの。そんな方法で私を侮辱する必要なんてないわ」
そう言い終えると、南月は迷いもせず大きく足を踏み出し、別荘を離れた。白羽だけがその場に立ち尽くしていた。
南月はタクシーで大学へ向かった。まだ提出しなければならない書類がいくつか残っていた。
事務室を出たところで、彼女は無数の視線が突き刺さるように向けられるのを感じ、ひそひそと笑い声も交じった。
「えっ、マジで?金持ちってほんと、やることヤバすぎ」
「表向きは清楚ぶって、裏じゃあんなことしてんのかよ」
「タイトルつけるなら『大富豪に飼われたカナリア』だな」
まだ何が起こっているのか理解できなかったその時、ルームメイトが慌てて彼女を引っ張った。
「南月!早くトレンド見て!」
慌てて携帯を取り出すと、目に飛び込んできたのは、衝撃的なタイトルだった。
#藤村家の御曹司、禁断の恋バレる
開いたその先にあったのは、モザイクのかかった官能的な動画だった。
動画の中の顔は、まぎれもなく彼女と白羽だった。
動画では、彼女が白羽の下で、恥じらいもなく合歓していた。
南月は目が真っ赤に染まり、拳をぎゅっと握りしめていた。
「これは加工した動画だよ!私、こんなことしてない!」
「あなたを信じるよ、南月。あんなトレンド、どう見たって操作されてる。絶対に犯人を見つけて、法律で裁かせなきゃ!」
その言葉を聞くと、南月はすぐにタクシーで別荘へ戻って白羽と話し合おうとした。
階段を上がったばかりの時、階段の上に白羽の姿があった。
彼女はまだ何も言わないうちに、白羽が冷たい目つきで彼女を見つめ、皮肉な口調で言った。
「これが、君の言ってたもう好きじゃないって意味か?
自分の清白を犠牲にしてまで、柔音との結婚式を壊そうとするなんて、少しは、女としての自重とかないのか?」
南月は唇を噛み締め、何か言おうとしたが、何も言えなかった。
まさか白羽が、こんなふうに自分を疑うとは。彼女は言い返す気力すら残らなかった。
だが白羽は、彼女がただ後ろめたくて黙っているのだと誤解していた。彼の口元には嘲笑が浮かび、その目つきも冷たく変わっていた。
「南月。もし世間の目を気にして、俺が君と結婚すると思ったなら、大間違いだ。
俺はこの人生、柔音以外、結婚するつもりはない」
その言葉が放たれた瞬間、柔音が背後から現れた。
彼女は南月に近寄りながら、軽蔑的な口調で言った。「中尾さん、女の子なら、自尊心くらい持つべきだわね?そんなやり方、自分を台無しにするだけだよ」
南月が何か言いかけた瞬間、柔音がそっと力を込めて彼女を突き飛ばした。彼女の背後には五十段がある長い階段だった。
その瞬間、柔音も自分の足をくじいたふりをして、階段の前に倒れかけた。
こんな危機一髪だった時、白羽は迷いなく柔音の腕を掴んだ。
だが、南月は階段から転げ落ちていった。そのゴロゴロと鈍い音に気付き、ようやく白羽の視線が南月に向いた。
南月は痛みで体を必死に抱きしめて、膝を嚙んだ。涙がその痛みを緩められるかのように、とめどなく流れ続けた。
その姿を見た白羽は緊張した表情を浮かべ、駆け下りるように彼女のもとへ向かった。
「南月!大丈夫か!ケガしてないか?」
第5話
南月が目を覚ましたとき、最初に目に映ったのは、白羽のやつれた顔だった。
彼女が目を開けた瞬間、白羽の声は珍しく柔らかくなった。
「助けなかったのは、柔音が患者だったからだ」
南月は淡々と言った。「わかってるよ」
白羽はわずかにため息をつき、そのまま続けた。「数日後に腎臓を提供するんだ。体、ちゃんと整えておけよ」
その言葉を聞いて、南月は苦笑した。
彼が自分を看病してくれた理由、それがやっとわかった。柔音への腎臓提供に支障が出るのを恐れていただけなのだ。
しばらく沈黙のあと、白羽がふたたび口を開いた。
「それと、どんなことがあっても、俺の約束は忘れてない。たとえ結婚しても、一生君を守る」
南月は、その言葉にわずかに視線を上げた。
そして、心の中でそっと呟いた。「でも、もういらないの」
その一日中、白羽はもう姿を見せなかった。南月はひとりで点滴を終え、退院の手続きを済ませた。
手続きを終えたばかりの時、ICUへ全速力で運ばれる担架が目に入った。
担架の隣には、焦った白羽の姿があった。担架の上に横たわっていたのは、なんと柔音だった。
その光景に、南月の頭が真っ白になった。前世では、自分が腎臓を提供しなかったせいで、柔音は命を落とした。
今回は、自分が腎臓の提供を決めたのに、どうして彼女がまた危篤状態になったの?
理由を考える暇などなかった。南月も急いでICUへ走った。
ドアの前に、白羽が呆然とうなだれた。指でベンチを叩く姿は、彼の焦りを物語っていた。
南月が白羽にその理由を尋ねた。
すると、彼女は初めて柔音が血液凝固障害にかかることを知った。
柔音は風呂場でふっと目まいがして、そのままバスタブに頭を打ちつけ、頭から出血していたのだった。
しばらく、医師がICUから出た。
「患者は大量に出血しています。家族の方、輸血をお願いします」
白羽はすぐに立ち上がった。「俺がやります!」
「患者はRhマイナスの血液型です。あなたの血液型は?」
その言葉を聞いた瞬間、白羽の顔から血の気が引いた。彼の声が震えていた。「俺は、B型です……」
Rhマイナスは超希少な血液型だった。その場にいた中で、それを持っているのは南月だけだった。
彼女は、一秒の迷いもなく立ち上がった。「私はRhマイナスの血液型です。私がやります!」
前世が経験したすべてが彼女の頭に生々しく残っていた。今回はやっとその運命から抜け出せたのに。
だからこそ、今回は絶対に同じ結末にはさせなかった。
南月は看護師に導かれて、千ミリリットルの血液を提供した。
献血した後、彼女は視界が一気に暗くなり、採血室で倒れ込んだ。
目を覚ましたとき、南月の隣には誰もいなかった。
点滴を外すと、南月はベッドを飛び降り、そのまま裸足で柔音の病室へ駆け出した。
病室についた瞬間、目に飛び込んできたのは、あまりにも温かい光景だった。
白羽が、まるで何か大切なものを失いかけた直後のように、必死に柔音を抱きしめていた。
彼の声が潤んだ。「よかった、本当によかった……」
柔音は弱々しく笑みを浮かべながら言った。
「白羽、もしあたしが死んでも……それであなたが中尾さんと幸せになれるなら、それも……悪くないかも」
その言葉を聞いた白羽は、彼女の手を強く自分の胸に押し当てた。
「柔音、そんな馬鹿なこと言うな。
わかるか?この心臓は、君のためだけに動いてる。他の誰かなんて、俺たちの愛には関係ない。
この人生も、来世も、俺は永遠に君だけを愛してる」
その瞬間、南月の胸がぎゅっと締めつけられた。まるで本当の物理的な痛みを感じたようだった。
彼女は壁に寄りかかり、目に悲しみの色を浮かべたまま、呟いた。
「今回は、そんな悲劇が起こらない……」
第6話
退院して間もなく、白羽はオークションハウスからの招待電話を受けた。
そのことを柔音に伝えると、彼女は興奮して部屋に駆け込み、コーディネートを始めた。
しばらくして、彼はソファに座る南月を見て、まるで施しを与えるかのように口を開いた。
「君も来いよ。柔音に献血してくれた礼だ」
南月が断ろうとしたが、白羽は背を向けて自室へ戻った。
彼女に反論の隙すら与えなかった。
……
オークション会場では、柔音が興味を示した品はすべて、白羽が躊躇なく競り落とした。
だが南月は終始興味なく、一度も札を上げなかった。
次の瞬間、値千金のジュエリーのセットが現れ、会場が一気にざわめいた。
柔音は白羽に甘えた。「白羽、このジュエリーつけて、あなたの花嫁になりたいの」
それを聞いて、白羽はすぐに札を上げた。
最終的に二十四億円でそのジュエリーを競り落とした。
「藤村さんって、まさに愛妻家の鏡だよね」そんな声が会場であちこちから上がった。
南月はその一切に目もくれなかったが、次の瞬間、オークショニアの口から次の品が紹介された。
「続いての品は、非常に貴重な記念物です。十年前の戦闘で、中尾仰志(なかお あおゆき)将校が使用した銃弾の殻です」
中尾仰志……彼女の亡き父の名前だった。
南月は驚きに目を見開き、思わず顔を上げた。
目が潤み始めて赤くなり、次の瞬間、彼女は迷わず札を上げた。
白羽は札を上げず、ただ複雑な表情で南月を見ていた。
「六百万円、1回!
六百万円、2回!
落札!中尾さん、おめでとうございます……」
「待って!」
今まで無関心だった柔音が白羽の腕を掴み、甘えるように言った。
「白羽、あたしもあの弾殻ほしいなぁ。コレクションにしたい」
おそらくそれが南月にとって特別な品だと知っていたせいで、白羽は一瞬ためらった。
だが、柔音の期待に満ちた目を見て、彼は南月に向かって言った。
「南月、その品は諦めてくれ。他の欲しいものなら、全部買ってやる。でも、これは柔音のものだ」
南月の目に、悲しげな色が広がっていった。彼女は無言のまま、再び頑なに札を上げた。
その瞬間、白羽は顔が険しくなり、ある決断を下したように手を上げて空を指さして、この品を絶対に競り落とすジェスチャーを送った。
「えっ!藤村さんが空を指さしたぞ!ってことは、誰ももう競れないじゃん!完全勝利じゃん!」
「すげぇ、このジェスチャー初めて見たんだ!さすが愛妻家の鏡!」
どよめく会場の中で、南月の顔はどんどん青ざめていった。
彼はこの弾殻が彼女にとってどれだけ大切だと知っていたはずなのに、それでも……
南月の目から光が消え、彼女は涙を堪えながら頷いた。「わかった」
手に持っていた番号札を手放し、それと同時に、長年抱えていた白羽への執念も手放した。
南月は腰を屈めてバッグを持つと、白羽の驚きの目つきを無視して、会場を離れた。
携帯には航空券の通知が届いていた。明日の午後六時、腎臓を提供する予定の日だった。
南月はそれを見て、ほっと息をついた。
あと一日。
それが終わったら、彼女がやっと離れられた。
部屋に戻った南月は、手早く荷物をまとめた。
この家に十年以上住んでいたのに、置いていく物は柔音の物より少なかった。可笑しく思えるほどだった。
ちょうどスーツケースを閉め終えたそのとき、部屋のドアが勢いよく白羽に蹴り開けられた。
彼の表情は暗く、全身から発する圧が空気を凍らせた。
その鋭い視線はまるで人を突き通す利剣のようだった。
彼の声は氷のように冷たかった。「中尾南月、いつからそんな下劣な女になったんだ。欲しさのあまり、盗みに走るなんてな!」
南月は呆然とその場に立ち尽くしていた。問いかけようとしたが、白羽は彼女に言葉を発する隙すら与えなかった。
「弾殻が、君の父親の遺品だってことは知ってた。柔音が飽きたら渡すつもりだった。でも今の君を見ると、心底がっかりだ」
彼の怒りは全身を貫き、まるで氷のような声で吐き捨てた。
「こうなったのは、俺がちゃんと育てなかったからだ。君の両親に顔向けできない……だから、俺がちゃんとしつけてやる!」
白羽の体は怒りで震えた。彼は南月に近づいて、手を上げて彼女に平手打ちをした。
南月は衝撃で顔を横に向けられ、頬には真っ赤な手形が浮かんだ。頭がぼうっとして、目に浮かぶのはただ信じられない現実だった。
彼が彼女を叩いたのは、これが初めてだった。だがその理由は、根も葉もない濡れ衣だった。
その直後、白羽は病院からの電話を受けた。
「もしもし、小林さんのご家族の方でしょうか?小林さんが現在、ICUに運ばれています。すぐにご来院ください」
第7話
白羽の顔色が急に変わり、ほとんど瞬時に別荘を飛び出していった。
南月が病院に到着した時、ちょうど医師がICUから出てきたところだった。
医師は白羽に向かって重々しく言った。「小林さんの状態は非常に急を要します。腎臓移植手術を早めて、30分後手術を始めます。
ドナーに連絡が取れますか?今すぐ対応可能か確認してください」
白羽が答える前に、南月が後ろから声をかけた。「大丈夫です!私、対応できます」
南月は打たれた顔を押さえて、もう何の未練もなかった。
彼女はただできるだけ早く白羽と藤村家から離れて、すべての関係を断ち切りたかった。
白羽は一瞬複雑な表情を見せたが、それでも言った。「ありがとう」
南月は返事をせず、ただ携帯でフライトを今日の午後に変更した。
30分後、南月は手術室の中に横たわっていた。
だが、恐れの気持ちは一切なく、ただ心の中に安堵と解放感だけが広がっていた。
横になった直後、看護師が慌てて駆け込んできた。「大変です!麻酔薬が足りません。あと一人分しか残っていません」
この時、医師が手袋を外し、眉をひそめて白羽と廊下で話し合った。
次の瞬間、南月は白羽の断固とした声を聞いた。「柔音は体が弱いから、麻酔は使わなければならないです」
……
しばらくして、医師が入ってきて、彼女を見て同情の眼差しを向けた。
「中尾さん、手術には麻酔薬がありません。もし耐えられないのであれば、今すぐ腎臓提供を辞退することもできます」
「大丈夫です、私は耐えられます」
予想通りの答えだったが、南月の心は冷たくなった。
あの優しかったはずの「おじさん」、唯一の家族が、変わらず同じ選択をしていた。
彼女は何も悪いことをしていなかったのに。
医師はそれ以上何も言わず、ただ南月を慰め続けた。
麻酔なしの手術は、予想通りの激しい痛みを伴った。南月の青筋が浮き、額から冷汗が噴き出してきた。歯を食いしばっても、ついには悲鳴を上げてしまった。
手術が終わった時、南月は痛みで気絶していた。
再び目を覚ました時、彼女の隣には何もなく、ただ薬を取り替えに来た看護師が心配そうに声をかけてきた。
「中尾さん、目を覚ましましたか?
あなたのおじさん、本当に冷たいですね。自分の彼女のために、麻酔なしであなたに手術をさせるなんて」
南月は返事をせず、ただ無理に笑みを浮かべた。看護師が去った後、南月は携帯を取り出し、時間を確認した。
あと2時間、タクシーで荷物を取りに行って空港に向かえば、ちょうどいいタイミングだった。
彼女は安堵の息をつき、起き上がろうとしたが、激痛が彼女の全身から広がっていった。
その痛みは骨の奥に突き刺さり、心の奥深くまで響くようで、まるで無数の刃が彼女の体内を切り裂いているように激しかった。鼓動ごとに耐え難い苦しみが押し寄せてきた。
だが、白羽から離れることを考えると、南月は歯を食いしばり、必死にベッドの縁に手をついて立ち上がった。
彼女は苦しく服を着替え、長い間持ち歩いていた関係断絶の誓約書を手に取り、柔音の病室に向かった。
病室で、白羽は眠っている柔音にじっと見入っていて、南月が入ってきても、彼は気づかなかった。
南月が誓約書を彼に差し出すと、白羽はようやく気づいた。
誓約書を見た後、白羽の顔色が暗くなった。
彼は低い声で言った。「どういう意味?本当に俺と縁を切るつもりか?俺は言っただろ、俺と君はもう無理だって、まだそんなことを考えてるのか?」
南月は痛みで汗を流しながら、歯を食いしばって言った。「これは、あなたが私に約束したことだ」
白羽は南月の真っ青な顔を見て、苛立ちを覚えた。
しばらくして、彼は誓約書を取り、サインをした。
それを受け取ると、南月はようやく安心した。彼女は一歩一歩、足元を引きずるように病室を離れた。
白羽は眉をひそめて聞いた。「手術を終えたばかりで、体調が悪くなったでしょ?病院でちゃんと休むはずなのに、自分の服を着て外出するつもりか?」
南月の喉は乾ききり、細くなった背中は今にも倒れそうだった。
「病院の中は息苦しい。少し外へ散歩しようと思って」
白羽は彼女の背中を見つめ、珍しく心配そうに言った。「外は風が強いから、早く戻ってきて」
南月は「うん」と返事をしたが、心の中で呟いた。
「藤村白羽、私はもう戻らない」
彼女は荷物を取り、傷だらけの体を引きずりながら、西海市行きの飛行機に乗り込んだ。
日差しが彼女の痩せた背中を照らしていた。その時、南月は振り返り、この町を最後に深く見つめた。
「さよなら、私が十二年間過ごしたところ。さよなら、藤村白羽」
第8話
窓の外では強風が吹き荒れていた。柔音は寒さに思わず布団の中へ身を縮めた。
その様子に気づいた白羽は、すぐに立ち上がって窓を少し閉めた。
外の荒れた風を眺めながら、なぜか彼の脳裏に南月の姿が浮かんできた。
今日の彼女はあまりにも痩せ細り、今にも風に吹き飛ばされそうなほどだった。彼女を見るだけで、その痛みが伝わってくるような気がした。
あの時、もし南月に麻酔を使ったら、彼女がそんなに痛くないのではないか。
そんな考えが浮かんだ瞬間、白羽は額を軽く叩いて、その思考を振り払った。
もし自分が南月に麻酔を使ったら、今は柔音が苦しむことになった。
柔音は昔から痛みに弱かった。南月なら、きっと自分の選択を理解してくれた。
そう自分に言い聞かせながら、白羽は柔音に優しい眼差しを向け、彼女の額に深いキスを落とした。
……
五日後、柔音は退院した。
柔音を車に乗せた白羽は、その時ようやく南月のことを思い出した。
彼は頭を軽く叩き、少し考えた後、病院に戻って南月を迎えに行くことにした。
なんといっても、南月は柔音のために腎臓を提供してくれたのだ。感情としても倫理としても、彼女を病院に置き去りにするのは間違っていた。
だが病院に戻って彼はふっと気づいた。南月がどの病室に入院していたのか、まったく知っていなかったことに。
この五日間、彼は片時も離れず柔音の世話をしていた。南月の存在など、すっかり忘れていたのだった。
白羽は眉をひそめながら、通りかかった看護師に声をかけた。「すみません、中尾南月の病室をご存知ですか?」
「中尾南月?当院にその名前の患者はいません」
その答えに白羽の顔が一気に険しくなった。「そんなはずはありません。彼女は俺の彼女と同じ日に手術したんです」
看護師は頭を軽く叩き、思い出したように言った。「ああ、その方なら五日前に退院されました」
「退院?間違いでしょう?彼女は手術したばかりなのに、退院したなんてありえないでしょう?」
「間違いありません。当時、医師も数日休養するように勧めていましたが、ご本人が退院すると言い張りました。急ぎの用事があったんでしょう」
そう言い残して看護師は去っていったが、白羽はその場に立ち尽くし、言葉を失った。
五日前に退院した。つまり、あの日彼女は散歩ではなく、病院を離れたということか?
彼は立ち尽くし、脳裏に信じられない衝撃的な考えが浮かんだ。
南月は出て行った。
だがその考えが生まれた瞬間、白羽はすぐに頭を振った。
ありえない。南月は彼のことをあんなに愛していて、彼のために肝臓まで提供したが、彼を置いて行くわけがなかった。
きっと病院が嫌で、先に別荘に戻っただけだ。
そうに違いなかった。
そう信じて、白羽は足早に病院を後にし、車の後部座席へ乗った。
柔音が不思議そうに尋ねた。「白羽、どうしてあなた一人なの?中尾さんは?」
白羽の表情が暗くなった。「放っておけ。俺たちだけで帰ろう」
別荘に戻った後、白羽は苛立ちを隠せないで南月の名前を呼んだが、何の返事もなかった。
彼は階段を駆け上がって南月の部屋のドアを開けた。そこには何かを片付けている人影があった。
その姿を見た瞬間、白羽は口元を冷笑で歪めた。
やっぱり、南月は彼から離れるわけがなかった。
「中尾南月、最近ちょっと調子に乗ってるんじゃないか?勝手に退院なんてして、みんながどれだけ君を待ってたと思ってるんだ?」
だが次の瞬間、その人影がこちらを振り返ると、メイドの怯えた顔が見えた。
彼女は震える声で言った。「旦那様、お嬢様は五日前にすでにこの別荘を出て行かれました。私は、さっき部屋の掃除をしていただけです」