もう一度、花のような君を見られない

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もう一度、花のような君を見られない

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清水夏澄は増田祐介に十年尽くして、ようやく「結婚しよう」という一言を手に入れた。 しかし、結婚式当日、彼は彼女を置き去りにし、長年自分...

Chương (1)

第1章

清水夏澄は増田祐介に十年尽くして、ようやく「結婚しよう」という一言を手に入れた。 しかし、結婚式当日、彼は彼女を置き去りにし、長年自分に片思いしていた秘書・今井百合子を助けに行ってしまった。 祐介の身を案じた夏澄は、悲しむ暇もなく、後を追って飛び出した。 現場に駆けつけると、百合子が祐介の資料を守るために彼のライバルに突き落とされ、植物状態になるところを目の当たりにした。 罪悪感に苛まれた祐介は、百合子を医療設備の整った最高の病院に入院させた。 夏澄も祐介の言葉に従い、精神病を患う百合子の母・今井文代の面倒を二年間見続けた。発作が起きるたびに受ける悪意ある侮辱にも耐えながら。 そしてまた文代が発作を起こし、彼女のバッグの中身を、戸籍謄本ごとズタズタに切り裂いてしまうまでは。 疲れ果てた体を引きずり、戸籍謄本の再発行を依頼しに行った彼女は、役所の職員に呼び止められた。 「清水さん、この戸籍謄本は偽物のようですが……現在、あなたの婚姻状況は未婚となっています」 第1話 清水夏澄(きよみず かすみ)は増田祐介(ますだ ゆうすけ)に十年尽くして、ようやく「結婚しよう」という一言を手に入れた。 しかし、結婚式当日、彼は彼女を置き去りにし、長年自分に片思いしていた秘書・今井百合子(いまい ゆりこ)を助けに行ってしまった。 祐介の身を案じた夏澄は、悲しむ暇もなく、後を追って飛び出した。 現場に駆けつけると、百合子が祐介の資料を守るために彼のライバルに突き落とされ、植物状態になるところを目の当たりにした。 罪悪感に苛まれた祐介は、百合子を医療設備の整った最高の病院に入院させた。 夏澄も祐介の言葉に従い、精神病を患う百合子の母・今井文代(いまい ふみよ)の面倒を二年間見続けた。発作が起きるたびに受ける悪意ある侮辱にも耐えながら。 そしてまた文代が発作を起こし、彼女のバッグの中身を、戸籍謄本ごとズタズタに切り裂いてしまうまでは。 疲れ果てた体を引きずり、戸籍謄本の再発行を依頼しに行った彼女は、役所の職員に呼び止められた。 「清水さん、この戸籍謄本は偽物のようですが……現在、あなたの婚姻状況は未婚となっています」 雷に打たれたように、夏澄はその場で呆然と立ち尽くした…… どうやって役所から出てきたのか、さっぱり分からなかった。 覚えているのは、誰もが自分に向ける、哀れみと同情の眼差しだけ。 「聞いた?旦那が他の女と籍を入れて、自分は偽の戸籍謄本で騙されてたって。どっちが愛人なのかしらね!」 「バカね、入籍されてない方が愛人に決まってるじゃない!聞くまでもないでしょ?入籍してこそ合法的な夫婦。そうじゃないなら、やってることは不倫よ」 よろめきながら車に乗り込むと、体はふるいのように震えていた。 耳の奥で、役所の職員との会話が何度も繰り返される。 「ありえない!私たちは結婚してもう二年ですよ。見間違いじゃないでしょうか?もう一度、よく確認してください!」 職員は困惑した様子で、目の前のパソコンの画面を彼女に向けた。 「見間違いではありません、清水さん。あなたは本当に未婚です。ですが、あなたの旦那様は既婚者ですね。配偶者欄には今井百合子という方ですが、この女性に心当たりは?」 夏澄は車内で、笑ったかと思えば、次の瞬間には泣いていた。 今井百合子。知らないはずがない。 病院で療養している、あの秘書だ。 彼に長年片思いし、応えてもらえずとも、決して諦めようとしなかった女。 頭がガンガンする。アクセルを踏み込み、家へと車を飛ばした。 ドアに鍵がかかっていなかったため、家に入っても中の人間は気づかなかった。 書斎では、祐介が仲間たちと談笑していた。時折、楽しげな笑い声とグラスのぶつかる音が聞こえてくる。 「兄貴、さすがっすね!美人の奥さん二人を両脇に抱えて、まさに甲斐性ありって感じ。マジで羨ましいっすよ!」 祐介はそう言った男の足を軽く蹴り上げ、苦笑した。 「バカなこと言うな。俺の前だけにしとけよ。外で夏澄に聞かれたらタダじゃおかねえからな。分かったか?」 「そんなに夏澄さんに知られるのが怖いんすか?なのに百合子が目覚めたこと、隠してるじゃないすか。それに、百合子に結婚してくださいって言われたら、すぐ籍を入れるなんて。彼女に気がないって言われても、俺たちは信じませんよ!」 祐介はすぐには答えなかった。 革張りのソファに深くもたれかかり、目を細める。その表情からは何も読み取れない。 「夏澄は俺に十二年ついてきた。性格は導火線の短い爆弾みたいで、すぐにカッとなる。時々、女とは思えないほど気が強くてな。 十二年だぞ。あいつの体に触れても、自分の体に触れてるみたいで、もう何の新鮮味もない。でも、愛してないわけじゃない。むしろ、一生あいつなしではいられないんだ。 だが、百合子は違う」 彼の目は不意に輝きを帯び、どこか恍惚としていた。 「あいつは優しくて恥じらいがある。体に触れるだけで赤くなるほど繊細なんだ。俺は愛と、公に隣に立つチャンスを夏澄にやった。百合子は日陰の女でいるしかない。それに、あいつは俺を救うために命を落としかけたんだ。保障を与えてやるのは当然だ。それ以外に、俺がしてやれることはない」 壁に寄りかかり、夏澄は崩れ落ちそうな体を必死で支えた。 「でも夏澄さんに知られたらどうするんです?百合子の精神病の母親の面倒まで見させて。知られたら、兄貴のこと死ぬほど恨みますよ!」 祐介は目を伏せ、何かを思い描くように黙り込む。 そして体を起こすと、目の前で両手を組んだ。 「安心しろ。絶対に知られたりしない」 心臓を鈍器で殴られたような痛みが走る。呼吸さえ、一瞬止まった。 涙が、糸の切れた真珠のようにこぼれ落ちる。 十二年。 彼の背中を、十二年も追いかけ続けた。 どうりで結婚式がないわけだ。どうりで出張ばかりなわけだ。どうりで深夜まで忙しく、寝室に戻ろうとしないわけだ…… 今の自分は、どこからどう見ても、ただの笑い者だ。 書斎からは、まだ笑い声が聞こえてくる。 夏澄は涙を拭うと、その場を離れ、遠くから電話をかけた。 「帰国に同意するわ。縁談の件も……受ける」 第2話 「本当なの?嘘じゃないよね?」 電話の向こうから、相手の興奮した声が聞こえてくる。 夏澄の耳には、ただ不快に響くだけだった。 「でも条件がある」 「何でも言いなさい。古川家へ嫁いでくれるなら、母さんはどんな条件だってのむわ」 夏澄の口元に、嘲るような笑みが浮かんだ。 「迎えにはヘリコプターを寄越して。それから、こっちでの私の記録をすべて消してほしいの。最後に、デザイン画を送るから、この……このウェディングドレスを作って」 電話口の女は、いぶかしむような声を上げた。 「古川家ではすべて用意してあるのよ。自分でドレスを準備する必要なんてないわ。それに、そういうものは女の子が自分で用意するものじゃないでしょう?」 夏澄は軽く目を伏せた。 無駄話はしたくない。 「もういい。言われたものを持ってきて。約束通り、古川孝弘(ふるかわ たかひろ)と結婚する」 電話を切ろうとした瞬間、再び母・清水佐枝子(きよみず さえこ)の声がした。 「嫁に来る前に、離婚は済ませておきなさい。古川家はあなたがバツイチでも気にしないけど、縁を切るなら、きれいさっぱりとね!」 夏澄は自嘲の笑みを浮かべた。 「安心して。最初から、私は未婚だから」 腕がだらりと力なく垂れる。 「え?何ですって?未婚って――」 電話の向こうから佐枝子の問いかける声が聞こえたが、夏澄はもう相手にせず、通話を切った。 「未婚?誰が未婚だって!?」 背後から、聞き慣れた声がした。 ゆっくりと振り返ると、そこには顔をこわばらせ、奇妙な笑みを浮かべた祐介が立っていた。 彼は大股で近づき、夏澄の手首を強く掴んだ。 掴まれた痛みはあったが、声を上げなかった。 ただ、落ち着き払った顔で、瞬きもせずに祐介を見つめる。 「私が未婚よ」 祐介は、じっと彼女を見つめた。 やがて、唇の端を吊り上げると、大きな手で彼女の肩を強く抱き寄せた。 「お前が未婚なら、俺は何だ?冗談はやめろよ。お前は一生、俺から逃げられないからな!」 そう言って、彼女の眉間にキスを落とした。 しかし夏澄は、頭のてっぺんから足の先まで冷え切っていくのを感じるだけだった。 そうよ、祐介。 私が未婚なら、あなたは一体、私の誰なの? 舌の先を噛み締め、血の味を感じる。爪が肉に食い込む。喉の奥から叫び出したい衝動を必死で唇を噛んでこらえた。目の奥が、じんと痛む。 祐介は彼女の様子に、どこか戸惑いながらその涙を拭った。 涙を流す夏澄など、いつぶりに見るだろうか。 そんな姿は、庇護欲を掻き立てた。 「誰にいじめられた?絶対に泣かない性格だったのに。今日は一体どうしたんだ?」 夏澄の眉が、ぴくりと動いた。 自分が、泣いてる? 無意識に手で顔を拭うと、確かに濡れていた。 心配そうに自分を見つめる祐介を前に、自嘲気味に笑ってごまかすしかなかった。 「生理が来たの。生理痛よ。疲れたから、もう寝る」 立ち去ろうとする彼女を、祐介はひょいと抱き上げた。 二人が入ってくると、さっきまで夏澄をからかっていた仲間たちが、今度は打って変わって二人の仲睦まじさを褒め称え始めた。 祐介は笑いながら彼らを追い払うと、夏澄をベッドに寝かせた。 服を着たまま隣に横になると、温かい手のひらで彼女の下腹部を優しく、円を描くように撫で始めた。 「少し楽になったか?」 毎月この数日間、夏澄は生理痛で死ぬような思いをする。 そんな時、祐介はいつも仕事をすべて放り出して家に帰り、ただ彼女の隣で、眠りにつくまで体を温めてくれるのだった。 半睡状態で「気持ちいい」と甘えるように答えるのを聞くのが好きだと言った。 その口調が、昔の彼女を思い出させる、と。 かつての夏澄は、京野市の清水家の令嬢で、臆病なくせに意地っ張りだった。 父親が亡くなると、母親は界隈で有名な遊び人になった。 そんな母親を嫌い、憎んだ。尽きることのない富を得るために、次々と男と寝ることで表面的な華やかさを保つ佐枝子を。 反抗心から、夏澄はバーに入り浸り、酒を覚えた。 そして佐枝子が原因で、危うく男に襲われそうになった。 その危機一髪のところを救ってくれたのが、チンピラ上がりの祐介だった。 その日から、祐介のそばを離れなかった。 彼が京野市の増田家の私生児であること、その辛い生い立ち、そして彼が抱く野心を知った。 二人は密かに国を出て、ラスカリアで自らの勢力を築くのを支えた。 「弱い者嫌い」と言われれば、夏澄は強くなろうと努めた。 「すぐに泣くな」と言われれば、たとえ弾丸が肩を貫いても、歯を食いしばって一滴の涙も見せなかった。 祐介に十年尽くし、臆病だった夏澄は、組織内で誰もが恐れる「姉貴」へと変わった。 そうしてようやく、祐介の心を開かせたのだ。 「夏澄、結婚しよう」 その一言を、待ち続けて。 だが今、夏澄は知ってしまった。 すべてが、嘘だったのだと。 祐介はしばらく待ったが、彼女からの返事はなかった。 枕元のスマホが、ブーンと震える。 さっと手を引っ込め、スマホを手に取った。 薄暗い部屋の中、スマホの光が彼の満面の笑みを照らし出す。 十本の指が、スクリーン上で素早く踊り始めた。 夏澄の下腹部に残っていた温もりは、次第に冷めていった。 第3話 翌朝、夏澄は真っ青な顔で、やっとの思いでベッドから起き上がった。 ヘリが迎えに来たらすぐに出られるように、荷物を先にまとめておきたかった。 ドアを開けた途端、黒糖生姜湯を持った祐介と鉢合わせしそうになった。 祐介は眉をひそめ、コップをテーブルに置いた。 「どうして起きたんだ?もう少し寝てればいいのに」 夏澄は彼の顔を無感情に見つめた。 「出張じゃなかったの?どうしてまだ家に?」 祐介は月に何度も、様々な理由で出張に出かける。 以前は本当に忙しいのだと思っていた。 だが今は違う。 忙しいのは確かだ。しかし、仕事ではなく、百合子に会いに行くために。 祐介は手を伸ばし、彼女を腕の中に引き寄せると、その通った鼻筋を人差し指でつんとつついた。 「こんなに辛そうなのに、出張なんか行けるか。 安心しろ。今日はどこにも行かない。家でお前のそばにいる」 愛情のこもった言葉も、以前なら、夏澄は感動して涙ぐんでいただろう。 祐介を愛しすぎていた。だから、彼が施してくれるほんの少しの温もりさえも、幸せだと感じていた。 だが今、目に映る彼の姿に、心臓を針で刺されるような痛みしか感じない。 何かを言いかける前に、祐介の電話が鳴った。 相手の名前を見て、祐介は無意識に彼女を一瞥した。 「夏澄、勇人(はやと)からだ。ちょっと出てくる」 そう言い終わると、夏澄の返事を待たずに、書斎へと大股で歩いて行った。 ドアに鍵がかかる音を、はっきりと聞いた。 いつから勇人は、百合子という名前になったのかしら。 テーブルの上の黒糖生姜湯には手をつけず、外へと足を向けた。 書斎のドアが、すぐにまた開いた。 着替えを済ませた祐介が、喜びを顔に浮かべ、慌ただしく外へ向かう。 その瞬間、夏澄の存在を忘れていた。 彼が玄関にたどり着いた時だった。 「どこへ行くの?家で一緒にいてくれるんじゃなかったの?」 よほど嬉しかったのか、彼女の言葉に含まれた痛烈な皮肉に気づきもしなかった。 祐介は夏澄の腰を引き寄せると、興奮した様子で彼女の唇にキスを落とした。 「大きな契約が取れたんだ!でもどうしても俺が直接サインしなきゃならなくてな。家でいい子で待ってろ。好きなケーキを買って帰るから!」 夏澄は、引きつった笑みを浮かべた。 彼が出て行った後、すぐに後を追った。 案の定、祐介が向かったのは契約の場ではなかった。 車を空港に走らせた。そして間もなく、少し膨らんだお腹の女を抱きしめる祐介の姿が見えた。 彼はあらかじめ用意していた花束を、女の前に差し出した。 その顔を、夏澄は見飽きるほどよく知っていた。 二年間、「植物人間」だった百合子だ。 心臓が、ずきりと痛む。 百合子はとっくに意識を取り戻していただけでなく、妊娠までしていたのだ。 夏澄は全身が震え、心臓から血が滴り落ちるようだった。 百合子は、はしゃぎながら祐介の胸に飛び込んだ。 祐介はサングラスを外し、人差し指で彼女の鼻先を軽くつついた。 遠くから見ていた夏澄の目が、カッと見開かれる。 その仕草は、祐介が彼女に愛情を感じた時、いつもしていたものだった。 あの仕草さえも、一人だけのものじゃなかったのね。 百合子はたまらず、祐介にキスを求めた。 最初、彼は周りを気にしてためらっていた。 だが、百合子が執拗につま先立ちで彼の首に腕を回し、キスをねだり続ける。 その甘えるような仕草は、かつて彼が最も愛したものだった。 祐介の下腹部が熱を帯びる。百合子を抱き上げると、空港の隅へと向かって歩き出した。 夏澄は無感覚のまま後を追ったが、彼らの歩みには追いつけなかった。 たどり着いた場所は、授乳室だった。 ドアには固く鍵がかかっており、中からは生々しいキスの水音が聞こえてくる。 「どうしていきなり来たんだ?今日子さんはどうした?一人でなんて、心配させやがって」 祐介の声。あまりにも聞き慣れた声だ。 今の彼は、まるで連射砲のように、中の女に次々と質問を浴びせている。 彼の焦りように、百合子はくすくすと笑った。 「そんなにたくさん質問されても、どれから答えたらいいの?」 「全部だ!全部聞かせろ――」 百合子は突然チュッと彼の唇にキスをした。 そして、彼の顔を得意げに見つめる。 「全部答えるなら、答えは一つよ。あなたに会いたかったの」 祐介は荒い息をつき、その目は一瞬にして熱を帯びた。 次の瞬間、百合子の首を掴み、激しくキスを返した。 「この意地悪な子。ここから歩いて出られないようにしてやる!」 「ああっ!だめ……そこはキスしないで……祐介さん!ゆ……許してね!」 「分かったか?もう遅い!」 低くかすれた声が、ドアの外に立つ夏澄の心を突き刺す。 中からは、女の恥じらうような声と、水音が絶え間なく聞こえてくる。 虚ろな目で、心がえぐり取られたかのように血を流しながら、来た道を引き返し始めた。 だが、あの声は、どうやっても頭から離れなかった。 第4話 内藤今日子(ないとう きょうこ)。夏澄が長年使っていた家政婦だ。 だが二年前、百合子が事故に遭って間もなく、今日子は突然辞めてしまった。 孫の面倒を見るために国に帰った、祐介はそう言った。 ラスカリアの食事が口に合わず、今日子もいなくなったその時期、彼女は祐介が心配するほど痩せこけてしまった。 わざわざ国際電話をかけ、今日子に料理を教わった。 あの時の、彼の真剣な横顔が、まだ目に焼き付いている。 だが今となっては、ただ滑稽に思えるだけだった。 どうやって空港を出て、どうやって車に戻ったのか、夏澄には分からなかった。 突然、電話のベルが鳴り響く。 彼女は麻痺した手で、通話ボタンを押した。 「夏澄さん、ショッピングモールであなたを襲った男が見つかりました!」 夏澄の顔が、一瞬にして冷たくなった。 「待ってて」 夏澄が駆けつけた時、男はすでにさんざん痛めつけられた後だった。 数日前、彼女は祐介とパーティー用の服やアクセサリーを買いにショッピングモールへ行った。 しかし、そこで暴漢に襲われたのだ。 部下たちは祐介の宿敵の仕業だと思い込み、彼を重点的に守った。 だが、男の狙いは夏澄だった。 弾丸が彼女のふくらはぎをかすめ、半月間、病院での療養を余儀なくされ、パーティーへの出席も叶わなかった。 吊るされた暴漢は彼女の姿を見るなり、信じられないといった表情を浮かべた。 そして、か細い声で、逆上したように怒鳴り散らした。 「お前らか、俺を攫ったのは!増田はどこだ!あいつを呼んでこい!最初からこれ以上は追及しないって話だっただろうが、これはどういうことだ!?俺様をからかってんのか!?」 夏澄は頭の中で何かが鳴り響き、一瞬、目の前が真っ白になった。 彼女の周りにいた部下たちの顔色が一変し、男の体に蹴りを入れる。 「これ以上ふざけたことを言ったら、その口を裂いてやる!」 彼らは男を殴る蹴るの暴行を加え、喋れないようにした。 部下の吉岡実(よしおか みのる)が、眉をひそめながら夏澄のそばに寄る。 「夏澄さん、あいつの言うことを信じないでください。わざと仲違いさせようとしてるのかもしれません」 夏澄はしばらく呆然としていたが、やがて自分の声を取り戻した。 彼女の青白い顔に、笑みが浮かぶ。 「もし、彼の言っていることがすべて本当だったら?」 実は愕然として彼女を見た。 「夏澄さん――」 「実、彼に聞きたいことがあるから、みんな外に出て」 実は心配でその場を離れたくなかったが、夏澄の強い眼差しに、仕方なく部下たちを連れて部屋を出た。 去り際に、夏澄は彼を呼び止めた。 「今日のことは、一言も外に漏らさないで」 実は夏澄がまるで別人のように感じたが、自分の命は彼女に救われたものだ。 祐介よりも、夏澄に忠誠を誓っていた。 ドアが閉まり、静かに床の男の前に立った。 「知っていることを、すべて話しなさい」 男は血を吐き出した。その中には、殴られて折れた歯も混じっている。 彼は皮肉っぽく笑った。 「あんたの男の愛人が、あんたを再起不能にするよう俺に金を渡した。増田は真相を知って、金で俺の口を封じようとした。ただそれだけだ。他に何が知りたい?」 爪が深く肉に食い込む。それでも夏澄の顔は、必死で平静を装っていた。 床の男の目が、怪しく光る。 次の瞬間、彼女が気を失っている隙をついて、一本の鉄線が不意に夏澄の首に巻きつけられた。 ドアの外で待機していた実は物音を聞きつけ、ドアを蹴破った。 夏澄の首からは、すでに血の筋が滲んでいた! 彼は目を見開き、夏澄を救うため、やむなく男を逃してしまった。 医者が夏澄の首の傷の手当てを終え、新しい包帯を巻いた、まさにその時だった。 祐介が部屋に飛び込んできた。 額に汗を浮かべ、その目は恐ろしいほどに血走っている。 彼女の首に目をやった瞬間、そばの椅子を力任せに蹴り飛ばした。 「誰だ?どこのどいつがお前を傷つけやがった!そいつはどこだ!」 夏澄の視線が、ゆっくりと彼の上へと移る。 全身の力を振り絞り、目の前の男をはっきりと見ようとした。 ラスカリアに来たばかりの頃、彼はまだ足元がおぼつかなかった。 おまけに、腹違いの兄が殺し屋を雇って彼を殺そうとしていた。 最もひどかった時は、体に四太刀も浴び、背中からは蛇口の緩んだ水道のように血が流れ出ていた。 そんな彼を、死の危険も顧みずに肩に担いだのは、夏澄だった。 凍える冬の夜、裸足で彼を病院に運び込み、必死で助けたのも彼女だった。 目覚めた祐介は、彼女の頭を掴むと、力強くその唇を奪った。 そして、彼女の額に自分の額を押し付け、かすれた声で言った。 「夏澄、人は死ぬ間際になってようやく、自分が一番手放せないものが何なのかを知るんだな」 祐介は、彼女を手放せなかった。 だが数年も経たないうちに、彼の心には、また別の女が住み着いていた。 夏澄の胸は空っぽで、まるで何かをえぐり取られたかのようだった。 その眼差しは、静かで、無感動だった。 「大丈夫。自分で処理する」 第5話 祐介は愕然として彼女を見た。 「処理?お前一人でどう処理するんだ?」 彼は怒りを抑えきれなかった。 「今みたいにか?夏澄、いつもそんなに意地を張るのはやめてくれないか?俺はお前の夫だ。何をするにも、なぜまず俺に知らせない?お前が傷つくのを、ただ黙って見てろって言うのか!」 荒い息をつきながら夏澄の前に歩み寄ると、その動作は不意に優しくなった。 そして、眉をひそめながらぶっきらぼうに言った。 「痛むか?」 夏澄はゆっくりと目を伏せた。 傷の痛みが、心の痛みに敵うはずがない。 夫だと? 祐介が、どうして彼女の夫でありえようか。 入院している間、祐介はまるで家を引っ越してきたかのように、身の回りのものを運び込んだ。 甲斐甲斐しく、ただ夏澄一人のために動き回った。 ある夜、ナース姿の女がマスクをして静かに病室のドアを開け、祐介の膝の上に座った。 眠りから覚めた祐介は、膝の上の百合子を見て、顔色を変えた。 彼女を奥の部屋に引きずり込むと、ドアを閉める前に、ベッドでぐっすり眠っている夏澄をちらりと確認した。 「誰がここに来させた!」 祐介の声には怒りがこもっていた。 だが、百合子は全く怖がる様子もなく、彼の下半身に手を伸ばした。 「祐介さん、赤ちゃんがパパに会いたがってるわ!パパに撫でてほしいって……ママを撫でてほしいって――」 彼女の声は甘く、蠱惑的な魅力があった。 祐介の瞳は次第に深みを増し、喉が上下に動く。 やがて、全身の血液が頭に昇りつめ、もう自分を抑えきれなくなった。 「百合子、本当にいやしい女だな!」 向かいの部屋から、男の低い唸り声と、女のわざとらしい挑発的な甘い声が聞こえてくる。 祐介は額に汗を浮かべ、大きな手で力いっぱい彼女の口を塞いだ。 「黙れ!」 だが、彼女はわざと声を上げ、ベッドの女に聞かせようとする。 夏澄は、実はとっくに目を覚ましていた。 百合子が病室に足を踏み入れた瞬間から、もう起きていた。 全身が震え、心臓を誰かの手で握り潰されているかのように痛む。指先まで、制御不能なほど震えていた。 祐介、よくも…… こんな風に、侮辱するなんて! 飽くことなく百合子を送り出した後、静かな足取りで夏澄に近づいてきた。 そして、慎重に彼女に布団をかける。 百合子の体に触れた手で、夏澄の頬を撫でようとした。 次の瞬間、彼女は寝返りを打つふりをして、それを避けた。 祐介は気まずそうに手を引っ込めた。 彼が去っていく足音が聞こえなくなるまで待って、再び目を開けた。 スマホが震える。 【ウェディングドレスは発送済み。一週間後、出発の準備を】 彼女は返信せず、スマホを握りしめて固く目を閉じた。涙が頬を伝って流れ落ちる。 あと一週間。 それだけで、この十二年間と完全に決別できる。 そして、もう二度と、祐介の顔など見たくない! 翌朝、テーブルには彼女の好物が並んでいたが、祐介の姿はなかった。 まるで彼女が起きる時間を知っていたかのように、スマホにメッセージが届く。 【組織で急用ができた。後で戻る。愛してる!】 夏澄は冷笑しながら、彼とのトーク画面を削除した。 祐介はとっくに忘れているようだが、彼女も組織の一員だ。 以前は、彼の行動は例外なく自分に報告されていた。 だが二年前から、祐介は隠し事と嘘を覚えた。 一人で退院手続きを済ませ、タクシーで家に戻った。 自分のものをすべてまとめ、祐介に関するものは、一つも持っていかなかった。 無心で箱に詰め、一つ一つ整理していく。 突然、スマホの着信音が鳴った。 百合子の、あの精神病の母親・文代からだった。 百合子は文代をラスカリアに置き去りにし、自分はのうのうと幸せを享受している。 文代の病状は、良くなったり悪くなったりを繰り返していた。 この二年、文代からさんざん苦しめられてきた。 だが、百合子が祐介のために植物人間になったのだと思うたびに、歯を食いしばって耐えてきた。 祐介に、一言の不満も漏らさずに。 まさか、自分がこちらで馬鹿みたいに尽くしている間に、向こうの二人が新しい命を育んでいたとは、思いもよらなかった! 夏澄は冷たい顔で電話に出た。 受話器の向こうから、文代のヒステリックな怒声が響く。 「夏澄!この恥知らずのクソ女!今日、診察日だってこと忘れたの!?あんたは私が死ぬのを待ってるんでしょ?そうすれば私から、あんたの罪から解放されるものね! へっ、言ってやるわ、そうはさせないから!」 聞き苦しい侮辱の言葉が、受話器から絶え間なく聞こえてくる。 夏澄は奇妙なほど落ち着いていた。電話を切らず、逆に文代を診察に連れて行くことを承諾した。 第6話 病院に着くと、文代は神経科ではなく、産婦人科で待っていた。 夏澄が口を開く前に、彼女は目を吊り上げ、その鼻を指差して罵った。 「あんたのせいよ!あんたのせいで、腹が立って場所を間違えたじゃない!」 終始、夏澄はただ彼女の芝居を見ているだけだった。 やがて、産婦人科から若い夫婦が出てくると、彼女の罵声はぴたりと止んだ。 「夏澄!!」 祐介は顔色をさっと変え、すぐに百合子の手を離した。 百合子は不満そうな顔をしたが、すぐに悲しげな表情で夏澄を見た。そして文代の顔は、さらに面白いことになっていた。 目の前の光景を見て、夏澄は確信した。 あの日、文代はわざと発作を起こしたふりをして、偽りの戸籍謄本を破り捨てたのだ。その目的も、言うまでもない。 彼女が答えないのを見て、祐介は無理に笑顔を作り、ためらうことなく彼女の方へ歩み寄った。 「ちょうどいいニュースを伝えようと思って電話するところだったんだ!百合子が目を覚ましたんだ。でも、俺たちを驚かせようと、わざと黙ってて、飛行機を降りてから教えてくれたんだよ」 祐介は彼女の腰を抱こうとしたが、夏澄は無意識に一歩下がり、それを避けた。 彼は呆然と彼女を見た。 夏澄は不意に口を開いた。 「あら、それはおめでとう」 百合子の目には、狡猾な光が宿っていた。彼女は前に出て、夏澄の手を掴んだ。 「夏澄さん、この二年、祐介さんが面倒を見てくれたおかげで、こんなに早く良くなったの。祐介さんから聞いたわ。私のお母さんのことも、ずっと手伝ってくれてたって?それは本当に……感謝してるわ!」 百合子の鋭い爪が、夏澄の肉に食い込んだ。 彼女は痛みに、思わず手を振り払った。 百合子はその反応に驚いたふりをして、次の瞬間、後ろに倒れ込もうとした。 そばに立っていた祐介が、素早く彼女の腰を抱きとめ、慎重に支えた。 何か言う前に、文代が狂ったように突進してきた。 パシン! 乾いた音が響き、夏澄の顔に衝撃が走った。 祐介の顔は見る見るうちに険しくなり、わずかに身じろぎしたが、そばの百合子に強く掴まれた。 「……祐介さん、お腹が痛い!」 祐介は慌てふためいた。 「夏澄、百合子は妊娠してるんだ。旦那もそばにいないし、先に医者に診せてくる。ここで待っててくれ!」 焦って背を向ける彼の姿を見つめる夏澄の目からは、もう乾いた涙さえ流れなかった。 文代は得意げに夏澄を見つめ、口元は耳まで裂けんばかりに歪んでいた。 「あんたごときが何様のつもり?私の娘と男を取り合うなんて?分かったらとっとと失せな!この売女、誰にでも股を開く汚い女!」 頬が熱く、ひりひりと痛む。文代の前に歩み寄った。 文代は彼女の殊勝な態度を見慣れていたため、すぐに目を剥いて再び手を振り上げようとした。 だが、その手が振り下ろされた瞬間、誰かに腕を強く掴まれた。 夏澄は素早く外側へ腕を捻り上げた。ゴキッという音が響く。 文代はその場に崩れ落ち、痛みに叫んだ。 「痛い!痛いよ!誰か来て!人殺しよ!」 夏澄は彼女をまたぎ、目もくれずに院外へと歩いて行った。 同じ過ちは、二度と繰り返さない! 百合子の誕生日パーティーのために、祐介はかつて夏澄にプロポーズした別荘を彼女の祝いの場として使った。 あの日、文代の腕を脱臼させた後、祐介はすぐに夏澄を見つけ出した。 「おばさんは病人だ。どうして病人と張り合うんだ?それに、百合子の母親だ。百合子が俺を救ってくれた免じて、この件は水に流せないのか! 夏澄、その意地っ張りな性格、どうにかならないのか!俺が甘やかすからいいものの、他に誰がお前に耐えられる!少しは自分の問題を探したらどうだ! 明日の百合子の誕生日パーティーで、俺の言うことを聞け。百合子に謝って、この件は終わりにしよう」 夏澄は終始、一言も返さなかった。だが、百合子に謝れという言葉を聞いて、不意に冷笑した。 「もし謝らなかったら?」 「もし謝らないなら、探してくれと頼んだあの絵を、お前からの謝罪の印として百合子に贈る」 夏澄は一瞬、言葉を失った。 「あれは父さんが死ぬ前に描いた最後の絵よ。私への最後の形見なの。謝らないからって?それを百合子に贈るっていうの?」 彼は疲れたように額を押さえた。 「言っただろう。謝れば、贈らない。いい子だから、謝りに行くのを忘れるなよ」 夏澄がそれ以上何も言わなかったのを、パーティーに来ることを承諾したと解釈した。 翌日、彼は百合子のために会場の準備に奔走していた。百合子の少し膨らんだお腹は、もう妊娠していることが見て取れた。 祐介の部下たちは、口々に「奥さん」と呼び、彼女を笑わせた。 「清水さんに聞かれないようにしてね。困らせたくないから」 百合子は賢く口を開いた。 第7話 祐介は彼女の従順さに、心が痛んだ。 そして、いつも自分の言うことを聞かず、反抗しては腹を立てさせる夏澄のことを思う。 眉間を揉んだ。 「百合子、あいつらは呼び間違えてない。お前こそが俺の妻だ。ただ、お前には辛い思いをさせてるな――」 その言葉が終わらないうちに、百合子は細い指で彼の唇に触れた。 「辛くないわ。赤ちゃんのことさえ覚えていてくれれば。もう、私が一番欲しいものをくれたもの。しつこく付きまとって、困らせたりしないわ!」 祐介は思わず彼女を抱きしめ、キスをした。 その光景を、夏澄は監視カメラの映像でとっくに見ていた。 そして、彼女が到着すると、門の外にいた部下は不意に顔色を変え、スマホを取り出すと背を向けて小声で何かを話した。 夏澄が中に入ると、そこは和やかな雰囲気に包まれていた。 祐介がスーツ姿で彼女に歩み寄ってくる。 口を開こうとした瞬間、夏澄は外に向かって手を振った。 遠くから、実が男を引きずって入ってきた。 その男を、百合子の足元に力任せに投げつけた。 血だらけの顔に、彼女は悲鳴を上げ、慌てて後ずさりした。 祐介は瞬時に顔をこわばらせ、彼女の前に立ちはだかった。 「何をする気だ!」 祐介に向かって、夏澄は皮肉っぽく笑った。 「私に来いと言ったんでしょ?これが彼女への誕生日プレゼントよ。どう、今井さん、お気に召さない?」 百合子はずっと祐介の背後に隠れていた。明らかに、床の男が誰か分かったのだろう。 続けて、夏澄はポケットから素早く拳銃を取り出した。 拳銃を見た瞬間、百合子は理性を失い、大声で叫んだ。 「ああっ!清水さん、また何をするつもり?この前、転ばせて流産させようとしただけじゃ足りないの?一体、何をしたっていうの?」 周りは、彼女を止めようとする人々でごった返した。 「夏……夏澄さん!話があるなら、ちゃんと話しましょう。おめでたい日に血を見るのはよくありません」 「そうですよ、夏澄さん。何か誤解があるなら、宴会が終わってから話しましょう。そんなことしてると、暴発しますよ。早くしまってください。ご自身が怪我をします!」 祐介は顔を張り詰め、口を開こうとしたが、夏澄が構わず弾を込め、百合子に銃口を向けるのを見て、顔色を青くした。 もう、何も構っていられない。 右手を伸ばし、ポケットから拳銃を取り出すと、ためらうことなく夏澄の足に向けた。 パンという轟音が響く。 その場にいた者たちは、訓練されたように百合子を固く守った。 「夏澄さん!」 夏澄は足に痛みを感じ、全身から力が抜け、撃たれた足がつい前に倒れ込んだ。顔を真っ青にし、ゆっくりと顔を上げ、向かいに立つ男を見た。彼の目には、非情な光が宿っていた。 弾丸にかすられた場所からは、血が滲み出ており、彼女の拳銃もそばに落ちていた。 勇人が素早く床の拳銃を拾い上げたが、手にした後、愕然とした顔で祐介を見た。 「兄貴、弾が入ってません」 祐介は一瞬、言葉を失い、すぐに夏澄を見た。 彼女は青白い顔をしていたが、唇の端を吊り上げ、皮肉っぽく彼に笑いかけた。 その表情に、彼はなぜか胸が詰まる思いがした。 だが、彼が反応する間もなく、人だかりの中心から叫び声が上がった。 「今井さん?今井さん!」 祐介の顔は瞬時に引き締まり、人垣をかき分け、気を失った百合子を抱き上げた。 実はもう見ていられず、足早に祐介の前に立ちふさがった。 「兄貴、どうして夏澄さんを撃てるんですか!」 祐介の目には暗い影が差し、薄い唇は一文字に結ばれていた。 「どけ!」 実を力強く押し開け、扉のところまで来ると、再び足を止めた。 「夏澄は勝手に仲間を傷つけた。勇人、夏澄を女子刑務所に三日間ぶち込んで、頭を冷やさせてやれ!」 夏澄は、自分の胸の中で鈍い音が響くのを聞いた気がした。心臓を巨石に押し潰され、目の前がチカチカと暗くなるほどの痛みが走る。 祐介が彼女を撃ったその銃は、夏澄が贈ったものだった。そこには、彼女の名前のイニシャルが刻まれている。 祐介はかつて夏澄に言った。自分とこの銃は、永遠に彼女一人だけを守る、と。 だが今、彼は彼女の敵となり、その銃で夏澄の足を撃ったのだ。 勇人は呆然としていたが、祐介の固い決意を見て、素直に応じるしかなかった。 数人が夏澄を押さえつけ、実が止めに入ろうとしたが、他の者たちに地面に押さえつけられた。 勇人は気まずそうに鼻を掻いた。 「夏澄さん、すみません」 「何をもたもたしてる!早く連れて行け!」 第8話 夏澄は乱暴に押され、鉄の扉の向こうに閉じ込められた。 足の傷は簡易的な手当てしかされておらず、すでに血が滲んでいた。 びっこを引きながら、座る場所を探した。 青白い顔には、血の気が全くない。 夏澄が壁に手をついた途端、頭上から洗面器が顔面に叩きつけられた。 数人の女たちが、大笑いしながら彼女に近づいてくる。 先頭の一人が、いきなり夏澄の怪我をした足に蹴りを入れた。 「うっ!」 夏澄は無理やり膝をつかされた。 次の瞬間、髪を力任せに掴まれ、頭皮が剥がれ落ちそうなほどの痛みが全身を駆け巡ったが、必死で耐えた。 「いつもはいい気なもんだったけど、あんたにもこんな日が来るなんてね」 「まだ知らないでしょう?増田さんからお達しがあったのよ。私たちが『しっかりあんたに躾をしてやれば』、自由にしてくれるってね!」 頭の中でゴーンと音が鳴り響く。 夏澄の体は、瞬時に硬直した。 まさか、百合子のために、祐介が本当に人に「躾」をさせるとは! 頭皮の痛みは、心の痛みには届かない。 何の反応も示さないのを見て、女たちはタオルを彼女の口に詰め込むと、その頭頂部を掴んで力いっぱい引き抜いた。頭皮の一部が髪の毛とともに、一気に剥がれ落ちる。 二人が彼女の苦しむ体を抑えつけ、他の者たちが彼女の下腹部や下半身に殴る蹴るの暴行を加えた。 彼女の足から血が滲んでいるのを見ると、今度は彼女を鉄格子のそばまで引きずり、左右に力いっぱい引っ張った。ゴキッという音が響く。 夏澄の額に青筋が浮かび、激しい痛みで頭を壁に打ち付けたくなる。 だが、彼女が何かする間もなく、女たちは夏澄の髪を掴み、力任せにコンクリートの床に叩きつけた! この凌辱は、三日間続いた。 解放された夏澄は、まるで病死した犬のように、扉の前に投げ捨てられた。 そばに立っていた女は立ち去らず、地面に倒れている夏澄を足で蹴った。 「増田さんが言ってたわ。あんたのせいで、今井さんは三日三晩眠れてないって!明日、今井さんに謝りに行けってさ!」 そう言い放つと、彼女は背を向けて去っていった。 今の夏澄は、一言も発することができず、全身を突き刺すような痛みに、涙を流していた! 自分が中で生き地獄を味わっていた三日間、祐介は眠れない百合子を心配していたのだ! 焼け付くような日差しに晒され、夏澄は立ち上がる力さえなかった。 実が駆けつけた時、信じられないといった様子で彼女のそばに走り寄った。 「夏澄さん!誰があなたをこんな姿に!」 彼は怒りに銃を構え、中にいる連中と話をつけようと飛び込もうとした。 だが次の瞬間、夏澄に服を強く掴まれた。最後の力を振り絞り、熱湯で爛れた喉から、ひどく聞き取りにくい声を出した。 「連れてって……ここへ……」 実はわずか三十分で、彼女が言った場所に到着した。 ヘリポートではすでに誰かが待っており、彼らは慌てて実の手から気を失った夏澄を受け取った。 「実も一緒に来なさい」 実は拳を固く握りしめ、こんなにも痛めつけられた夏澄の姿に、目を赤くしながら首を振った。 この十二年間、彼は夏澄がどのように祐介のそばに寄り添い、彼と共に銃弾の雨の中を歩んできたかを見てきた。 だが、この一途な想いは、こんなにも悲惨な代償となって返ってきたのだ! 「早く夏澄さんを連れて行ってください。この場所には、二度と戻ってこさせないで!」