Đang tải thông tin quảng bá...
彼を忘却の海に沈めて
交通事故で頭を打った私は、魚のように短い記憶しか持てなくなった。 けれども、原川徹(はらかわ とおる)を好きだったことだけは、七年もの...
Chương (1)
第1章
交通事故で頭を打った私は、魚のように短い記憶しか持てなくなった。
けれども、原川徹(はらかわ とおる)を好きだったことだけは、七年もの間、決して忘れなかった。
その想いも、彼が賭けに負け、私、吉戸美愛(よしと みあい)をひとり山頂に置き去りにした時までだった。
彼は侮蔑を込めた笑みを浮かべ、言った。
「美愛、この出来事を日記に書いておけ。二度と忘れないように、いい薬になるだろう」
零下の冬の山で、私は死の淵を彷徨った。
その後、私は徹に関するすべてを焼き捨て、脳裏に残っていた彼の記憶さえも、風化するに任せた。
だがある晩、「原川徹」と名乗る男から電話がかかってきた。
嫉妬に駆られた恋人が私の腰を押さえつけ、低く問った。
「その人は誰だ」
私は朦朧としながら首を振り、答えた。
「知らない人」
私のその一言に、電話の向こうの男は完全に取り乱した。
第1話
原川徹(はらかわ とおる)からの電話を受けたあと、私、吉戸美愛(よしと みあい)は心を焦がすようにして彼のレース会場がある山頂へと急いだ。
冬の山道は凍りつき、滑りやすく、到着が10分以上も遅れてしまった。
ようやくキャンプ地の近くに辿り着いたとき、彼の友人たちの声が耳に飛び込んでくる。
「美愛はどうなってんだよ。まさか遅刻するなんて。今の賭け金は、俺にとっちゃ一か月の生活費なんだぞ」
「徹さん、まさか美愛、お前が彼女を賭けに使ったのを知ってて、わざと遅れて来たんじゃないだろうな?」
ちょうど駆け寄ろうとしていた私は、その言葉に足を止めた。
賭け?いったい、どんな賭け?
徹はレーシングカーのボンネットに腰掛け、無関心な笑みを浮かべて言った。
「だからどうした?たとえ俺が彼女を賭けの道具にしたと知ったところで、どうせ尻尾を振って駆けつけてくるさ」
仲間のひとりが眉をひそめて問った。
「本当にそんな馬鹿がいるのか?他人の一言のために、冬の零下の寒さを三時間も歩いて山を登るなんて」
すぐ横の男が彼の肩を叩きながら笑った。
「いやいや、そう言うなって。美愛は本当に馬鹿なんだよ。子どもの頃、交通事故で頭をやっちまってさ」
「は?じゃあ徹さんは、そんな馬鹿に何年も追いかけられて、気持ち悪くならないのか?」
徹はタバコに火をつけ、煙を吐きながら逆に問い返した。
「お前ならどうだ?馬鹿に追いすがられて、気持ち悪くないか?」
「うわぁ……考えただけで鳥肌立つわ」
大袈裟な仕草に、仲間たちは一斉に笑い声を上げた。
私は必死にスマートフォンを握りしめた。そこには、三時間前に徹から送られてきたメッセージが表示されている。
【怪我をした。秋明山(しゅうめいざん)の頂上。三時間以内に来い】
その一言のために、私は病院のベッドから生理痛を我慢して這い出し、三時間かけて山道を歩き続けてきたのだ。
だが、耳にしたのは、彼の心の底からの本音だった。
募っていた心配は、瞬時に霧散した。
下腹部を締めつける痛みも、胸を抉る痛みに比べれば取るに足らない。
そのとき、誰かが私に気づいた。
徹は眉を上げ、慌てる様子もなく私を見据え、ゆっくりと歩み寄ってきた。
最初に口にしたのは、冷酷なひと言。
「美愛、遅かったな」
両手をポケットに突っ込んだまま、私の苦しみも惨めさも一切見ようとしない。
私は下腹部を押さえ、痛みを誤魔化そうとしながら、震える声を絞り出した。
「それで?」
「だから、お前はひとりで歩いて帰れ」
彼は屈んで人差し指を曲げ、私の額を何度も突いた。
「美愛、この出来事を日記に書いておけ。二度と忘れないように、いい薬になるだろう」
言い捨てると、仲間たちに声をかけ、次々と車に乗り込ませた。
レーシングカーが唸りを上げながら私の脇を駆け抜け、土煙だけが残った。
最後の陽光が消え、山頂の気温は急激に下がった。
冷気が四方から容赦なく身体に入り込んでくる。
そのとき、下腹に激しい痛みが走り、全身が震えだした。
背中が凍りつき、視界には無数の黒点が広がり、すべてを覆っていく。
気を失う――そう悟った瞬間、恐怖が胸を締めつけた。
このまま倒れれば、私は山で凍死する。
慌てて徹に電話をかけるが、何度かけても応答はない。
バッテリー残量の警告が点滅する画面を見つめながら、私は怯え、取り乱して必死に音声メッセージを送った。
「徹……お願いだから。いま、すごく苦しいの。迎えに来て、お願い!
嘘じゃない……ほんとうに駄目なの。もう動けない……
ここじゃタクシーも呼べないし、携帯の電池も切れそうなの……
お願い、お願いだから……」
何度もメッセージを送ったが、返事はひとつも返ってこなかった。
気がつけば、十六歳のあの日、事故で絶望に呑まれた記憶が蘇り、同じ恐怖が再び覆いかぶさってきた。
そのとき――
目の前に、鮮やかな赤が現れた。
私は残された力を振り絞り、ふらつきながらその人影に近づいた。
そして倒れ込んだ瞬間、ミントの香りに包まれ、強い腕に抱きとめられた。
耳元で驚きの声が響いた。
「おい、嘘だろ……!」
第2話
目を覚ますと、私はすでに病院のベッドに横たわっていた。
ベッドの周囲にはカーテンが引かれ、その向こうに人影が見える。
徹だ。
「ああ、大したことはない。ただ気を失っただけだ。俺に電話してきた奴、ほんと大げさだな。
いや、今すぐ行く。あれはもう廃盤のレーシングカーだ。逃したら悔やんでも悔やみきれない……
それに、あいつの記憶力の悪さは知ってるだろ。どうせすぐ忘れる。慰める必要なんかないさ」
電話を切ると、彼はカーテンを開けようとした。私はとっさに目を閉じ、まだ意識が戻っていないふりをした。
やがて足音が遠ざかっていき、恐る恐る瞼を開けると、半ば開いたカーテンの隙間から、何のためらいもなく去っていく彼の背中が見えた。
鼻の奥が熱くなり、涙が込み上げた。
手元のスマートフォンを取ると、誰かが充電してくれていたらしい。
私は慣れた手つきで日記アプリを開いた。
そこには七年間にわたって綴られた日記が並んでいる。
七年前、私は交通事故に遭い、奇跡的に命は助かったが、脳に深刻な損傷を負った。
記憶は壊れ、ついさっきのことも、すぐに忘れてしまう。
だから私は、日記をつける習慣を持つようになった。
ページをめくると、ほとんどが徹のことばかりだ。
無理もない。七年間、彼を想い続け、彼を追い続け、忘れてしまうことを恐れて、何度も何度もその気持ちを刻み込んできたのだから。
だが今ようやく気づいた。この七年、私は徹頭徹尾の馬鹿だったのだ。
新しい日記を作成した。
【12月18日 私はもう二度と徹を好きにならない】
荷物をまとめ、退院の準備をして病室の扉を開けた瞬間、誰かと正面からぶつかった。
鼻先に清涼感のあるミントの香りが広がっている。
私を助けてくれた人だ。
顔を上げると、そこにはどこか派手な印象の少年が立っていた。
彼は電話を切り、眉をひそめながら私を上から下まで見回した。
「もう大丈夫か?」
妙に親しげな口調に、私は思わずうなずいた。
私は生理の初日の激痛さえ乗り越えれば、あとはただ力が出ないだけで、特に不調は残らない体質だ。
「助けてくれてありがとう」
唇を噛み、他に言葉が見つからなかった。
すると彼はふいに手を伸ばし、親指で私の目尻を押さえて、そこに残る湿り気をなぞった。
「泣いたのか?辛かった?」
私は一瞬、呆然とした。
そして我に返った途端、大きく後ずさった。
彼はそんな反応を予想していなかったらしく、口を開きかけたが、電話の向こうの怒鳴り声に遮られた。
「今井朝彦(いまい ともひこ)!お前、来るのか来ないのか!これは廃盤のレーシングカー展示会なんだぞ!」
今井朝彦……
彼の名前を、初めて知った。
電話口を押さえながら、彼は私に視線を向けた。
「分かった、もう一席確保しておいてくれ」
そう言うと、私の手を引いて歩き出した。
あまりに唐突で、私は戸惑いながら言った。
「あ、あの……今井……今井朝彦さん、どこへ連れて行くつもりなの?」
もし記憶が正しければ、彼と会うのは初めてのはず。なのに、こんなにも馴れ馴れしいなんて。
私が彼の名を呼ぶと、彼は少し驚いたようにこちらを見つめた。
「覚えてたのか?」
私は困惑し、首を振った。
「さっき、友達がそう呼んでるのを聞いただけ……」
つまり、知らない人だ。
彼はどこか寂しげに目を伏せ、独り言のように何かを呟いた。
私と彼は、知り合いなのだろうか。
私は自分の記憶の不確かさを思い出し、慌てて日記を開いた。
そこには、これまで出会った人々の写真と名前が、一人ひとり対応して記録されている。
だが、車が会場に到着するまで何度見返しても、「今井朝彦」という名も顔も見つからなかった。
私はやはり、彼を知らない。
けれどもどうしてだろう。彼は、まるで私と親しい旧友であるかのように振る舞っていた。
第3話
朝彦が私を連れて来たのは、大型のホールだった。扉をくぐった瞬間、耳をつんざくような歓声が押し寄せ、空気は熱気と高揚感に包まれていた。
中央の円形サーキットでは、何台ものレーシングカーが互いに追い抜き、火花を散らしている。
徹がレース好きだったから、私も多少は知識を持っていた。
観客の興奮に引き込まれるように、先頭の車がゴールラインを駆け抜けた瞬間、思わず私も拍手し、笑顔で声を上げていた。
笑いながらふと気づいた。燃えるような視線がずっと私を追っていることに。
振り返ると、柵にもたれた朝彦が片手で頬を支え、眩しい笑顔を浮かべてこちらを見つめていた。
私は慌てて手を下ろし、少し居心地が悪くなった。
「気分、少しは晴れた?」
彼がそう尋ねた。
私は驚いた。まさか、そのために私をここへ連れてきたのだろうか。
「どうして、私の気持ちなんて気にするの?だって……私たち、さっき会ったばかりでしょう?」
朝彦は急に姿勢を正し、妙に複雑な表情をした。
「誰が……そんなことを……」
言葉の続きを遮ったのは、不意にかけられた声だった。
「美愛?お前、こんなところで何してるんだ」
振り返ると、そこには徹と、彼の仲間たちがいた。
私は彼らが苦手だった。いつも私をからかい、「馬鹿だ」と罵る。
私が忘れていると思っているのだろう。だが、全部日記に残してある。忘れるはずがない。
本当に、大嫌いな人たち。
思わず数歩後ずさりした。
その気配を察したのか、朝彦がすっと私を庇うように前に立った。
「お前には関係ないだろ」
私は盾を見つけたように、彼の背中に隠れて小声でつぶやいた。
「そうよ、そうよ……あなたに関係ない」
徹は露骨に不機嫌になり、命じるように言った。
「美愛、こっちへ来い。三つ数えるぞ」
「三……」
「三二一、一二三、一二三四五六七!」
朝彦は一気に数えきり、にやりと笑った。
「言ってくれればよかったのに。数の数え方、教えてやろうか」
私が動かないのを見て、徹は苛立ちと嘲笑が混じったような表情を浮かべた。
これは、私が初めて、彼の言うことを聞かなかった瞬間だった。
彼の視線が朝彦へと移り、その目に不思議な敵意がにじんでいる。
やがて私たちを見比べ、冷ややかに吐き捨てた。
「お前、知ってるのか?こいつ……頭がおかしいんだぜ」
私は息を呑み、信じられない思いで徹を見上げた。
次の瞬間、氷の刃のような言葉が突き刺さった。
「こいつは昔、交通事故に遭って頭をやられた。分かりやすく言えば……ただの馬鹿だ」
その言葉に合わせて、背後の仲間たちが下品に笑い声を上げた。
朝彦が振り返り、私を見た。
私は恐ろしくて顔を上げられなかった。もし見上げて、彼の瞳にあの軽蔑や嘲りが浮かんでいたら――そう思うと、胸が凍りついた。
何度も見てきたはずの視線。それでも、どうしても怖い。彼の目にだけは、絶対に見たくなかった。
私は握っていた彼の服の裾をそっと放し、背を向け、振り返ることもなく必死に逃げ出した。
第4話
私と徹は、あの交通事故の生き残りだった。
同じ病室で過ごすことになり、そこで初めて知り合った。
彼は、私の記憶力が人よりずっと悪いことを知ると、自作の日記アプリをプレゼントしてくれた。
「美愛、これからは俺のことを日記に書いて。そうすれば、絶対に俺のことを忘れないだろ。
もし誰かにいじめられたら俺に言えよ。必ずそいつをぶん殴ってやるから」
高校三年の頃、私の後ろの席には、授業を聞かずに問題ばかり起こす男子がいた。
彼は毎日のように私の椅子を蹴り、不快で仕方なかった。私は丁寧にやめてほしいと頼んだ。
けれど彼は下品に笑った。
「何を装ってるんだ。お前みたいな頭で、勉強しても覚えられるはずねえだろ?」
その笑顔の奥に、私が必死に隠してきた秘密が暴かれているのを悟った。どうして彼が知っているのかは分からなかった。
初めて、あからさまな悪意を向けられた瞬間だった。
そのことを耳にした徹は、相手を呼び出して殴り合いになった。
それ以来、その男子は私にちょっかいを出すことはなくなり、他の誰も手を出してこなかった。
私は毎日同じことを繰り返して勉強した。
他の人が一日で覚えられることを、私は十日、二十日かけて、身体に染み込ませるしかなかった。
その結果、大学入試では、かろうじて地元の二流大学に合格できた。
徹は、北国の名門大学へ進んでいった。
その後、彼は私を友人たちに紹介してくれた。
彼が一人一人名前を言うたびに、私は必死に覚えようとした。絶対に間違えたくなかった。
けれど、振り返った瞬間には記憶が混濁し、誰一人正しく呼ぶことができなかった。
彼の友人たちは互いに視線を交わし、気まずそうに話題を逸らした。そして、私たちの関係について尋ねた。
徹はしばらく沈黙し、淡々と答えた。
「ただの友達だ」
私は否定しなかった。けれど心の奥で、どうしても失望を抑えられなかった。
確かに、私たちは何年も一緒にいたけれど、関係をはっきりさせたことはなかった。
友達、そう言われても間違いじゃない。
だが、それ以来、彼の友人たちは私の記憶の弱さを知り、陰で「馬鹿」と呼ぶようになった。
私は悔しくて、徹に訴えた。しかし彼は、軽く笑い飛ばした。
「美愛、友達同士の冗談だろ?そんなに気にするなよ」
冗談?どうして私には、少しも笑えなかったのだろう。
心に黒い靄がかかっても、徹はただ私の頭を撫でて言った。
「大丈夫だ。どうせすぐ忘れるだろ」
でも、私は全部日記に書き残していた。忘れないように。
時々読み返すたびに、胸の奥が締め付けられた。
それでも、平気なふりをした。
徹さえ、私を嫌わなければ、それでいいと思ったから。
まさかその「馬鹿」という言葉が、彼自身の口から出てくるなんて。
その瞬間、私が積み上げてきた守りの壁は、音もなく崩れ落ちた。
七年。二千日を超える日々。
日記には、徹にまつわることばかりが積み重なっていた。
私は延々とスクロールを続けた。
けれど終わりは見えなかった。
とうとう耐え切れなくなり、すべて削除のボタンを押した。
【2396件の日記を削除しますか?削除後は復元できません。】
迷わず【はい】を選んだ。