雪の降る時、止まらぬ想いを抱えて

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雪の降る時、止まらぬ想いを抱えて

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「牧野さん、あなたの余命は、おそらく三十日もないでしょう……申し訳ありませんが、我々は最善を尽くしました」 牧野咲月は氷の穴に突き落と...

Chương (1)

第1章

「牧野さん、あなたの余命は、おそらく三十日もないでしょう……申し訳ありませんが、我々は最善を尽くしました」 牧野咲月は氷の穴に突き落とされたかのようで、検査結果を握りしめる手から血の気が引いている。 先月、父が病で亡くなり、母はショックで寝込んでしまった。一族の重荷が、彼女一人の肩にのしかかっている。 諦めずに頑張り続ければ、いつかきっと苦労が報われる日が来ると信じていた。 しかし、運命は最後まで彼女を見放そうとはしない。 咲月は震える手でスマートフォンを取り出した。 今、牧野辰樹の声が聞きたくてたまらない。 たとえ、いつもの口喧嘩でもいいから。 だが、見慣れた番号を目にすると、辰樹の嫌悪に満ちた顔が脳裏に浮んでいる。 自分のことをあれほど嫌っている。こんな落ちぶれた姿を知ったら、きっと何日も夜通し花火を鳴らして祝うに違いない。 第1話 「牧野さん、あなたの余命は、おそらく三十日もないでしょう……申し訳ありませんが、我々は最善を尽くしました」 牧野咲月(まきの さつき)は氷の穴に突き落とされたかのようで、検査結果を握りしめる手から血の気が引いている。 先月、父が病で亡くなり、母はショックで寝込んでしまった。一族の重荷が、彼女一人の肩にのしかかっている。 諦めずに頑張り続ければ、いつかきっと苦労が報われる日が来ると信じていた。 しかし、運命は最後まで彼女を見放そうとはしない。 咲月は震える手でスマートフォンを取り出した。 今、牧野辰樹(まきの たつき)の声が聞きたくてたまらない。 たとえ、いつもの口喧嘩でもいいから。 だが、見慣れた番号を目にすると、辰樹の嫌悪に満ちた顔が脳裏に浮んでいる。 自分のことをあれほど嫌っている。こんな落ちぶれた姿を知ったら、きっと何日も夜通し花火を鳴らして祝うに違いない。 躊躇していると、スマートフォンの画面にニュース速報が飛び込んでくる。 咲月は、何かに引き寄せられるようにそれをタップしてみる。 目に飛び込んできたのは、血が沸き立つような一枚の写真。 薄暗い個室の中、露出の多い服を着た女たちが、着崩れた格好の男を取り囲んでいる。 その傍らには、目を刺すように派手な見出しが躍っている。 #若妻そっちのけ!牧野辰樹、美女と朝まで「乱痴気騒ぎ」! 咲月の胃が痙攣し、うわっと嘔吐した。 三年間、こんな光景は数え切れないほど繰り返されてきたが、それでも慣れることはできない。 三年の結婚生活で、辰樹は離婚を認めさせるため、あらゆる手を尽くした。 咲月がベッドで高熱にうなされている時、彼は他の女を連れて街を闊歩している。 咲月が実家の会社のために頭を抱えている時、彼は高井の会社を徹底的に叩きのめす。 数少ない二人の夜でさえ、酔って彼女を前川日奈子(まえかわ ひなこ)と間違えた時だけ。 ぐしゃぐしゃに握りしめた検査結果に目を落とし、咲月は深い疲労を感じている。 もう、手放すべき時なのかもしれない。 咲月は再び電話をかける。 二度かけたが、二度とも切られた。 三度目も切られるだろうと思ったその時、怒りと苛立ちを含んだ声が聞こえてくる。 「また何を狂った真似をしてるんだ?離婚に応じないなら、煩わせるな。暇じゃないんだ」 「辰樹……離婚しましょ。私、同意するわ」 電話の向こうが一瞬、静まり返った。 次の瞬間、辰樹の嘲るような声が再び響く。 「咲月、その手は一度で十分だ。何度もやられると面白くもなんともない。お前の遊びに付き合ってる暇はないんだよ!」 咲月は、これまで何度も喧嘩のたびに、かっとなって離婚を切り出したことを思い出すした。 だが、役所の入口に差し掛かる頃には、いつも決まって後悔していた。 だから辰樹は、今回も彼女がからかっているだけだと思っている。 でも、今回は本当に、残り少ない自分の人生にけりをつけたいだけ。 「今回は本気よ。前川さんがもうすぐ帰国するでしょう?まさか既婚者のまま彼女に会うつもり?」 電話の向こうから荒い息遣いが聞こえてくる。辰樹は相当頭にきているようだ。 「一体どんな手を使う気だ!」 咲月はぐっと歯を食いしばり、胸に刺さる痛みを飲み込む。だが、口から出た声は皮肉に満ちている。 「そんなに臆病だったなんてね。何度か脅かされたくらいで来られないなんて、前川さんへの想いもその程度なのね。最後のチャンスをあげるわ。明日の午前、役所で。時間を過ぎたら待たないからね」 電話を切った瞬間、向こう側でテーブルか椅子がぶつかる音が聞こえた。 胸の痛みを抑え、咲月は役所へと急いだ。 辰樹は彼女の姿を見て、少し意外に思う。 あれほど何度も離婚騒ぎを起こしたが、役所まで来たのは初めて。 「本当に来やがったのか。また俺をからかってるんじゃないだろうな」 咲月は口の端を歪める。 「ええ、一つだけ条件があるの」 辰樹はすぐに嘲りの声を上げる。 「やっぱり性根は腐ったままか。信じた俺が馬鹿だった。一体何がしたいんだ!」 咲月は胃の刺すような痛みに耐えながら、離婚届を彼に差し出す。 「安心して。この要求を飲んでくれさえすれば、必ず離婚するから」 辰樹は離婚届を受け取る手をこわばらせる。 「何が欲しい?株か、不動産か。離婚してくれるなら、何でもくれてやる」 鋭い言葉が咲月の心を打ち、激しい痛みが走っている。 辰樹がどれほどの苦労を重ねて今の地位を築いたか、誰よりも知っている。 日奈子との未来のために、それをすべて手放すというのか。 牙を剥くのは自分に対してだけ、真心はすべて日奈子に捧げられている。 咲月は、自分がまるで道化のように思える。 喉の奥からこみ上げる血の味をぐっとこらえ、顔を上げる時、その表情はいつもの気高さに満ちている。 「十本の動画を撮ってほしいの」 これを撮り終えたら、完全にあなたのもとを去り、あなたの世界から消える。 その時、この世界にもう咲月という人間は存在しなくなる。 第2話 「断ってもいいわ。でも、この離婚届は見えるわよね?私の分はサインも判も、もう済ませてある。今、あなたにチャンスをあげるわ。今日から三十日間、私の条件を飲んでくれるなら、この紙はあなたのものよ」 辰樹の目に浮かんでいた葛藤と躊躇が、次第に期待の色へと変わっていった。 「咲月、もしもう一度俺を騙したら、ただじゃおかないからな!」 咲月は唇を歪め、心の中で苦笑している。 その頃には、きっと私を探したくても見つけられないわ。 辰樹がようやく頷いたのを見て、咲月は彼を母校の大学の前に連れてくる。 ちょうど下校時間で、幼い顔つきの学生たちが次々と校門から出てくるところ。 北野沢(きたのさわ)町の冬の風は骨身に染みるほど冷たく、咲月はぶるぶると震えている。 「そんなに着ぶくれしてるくせに、幽霊みたいに凍えてやがって。咲月、相変わらず役立たずだな」 嫌味な言葉とは裏腹に、一着のコートが咲月の腕の中に投げ込まれる。 コートに残る温もりが、咲月の心まで温めた。 「ありが……」 「礼なんて言うな。お前が病気で寝込んで、三十日後の離婚届の提出が遅れるのが嫌なだけだ」 咲月がコートを羽織る手が止まり、胸が締め付けられる。 自分が死ねば、辰樹は完全に自由になる。離婚届なんて、もうどうでもよくなるはずなのに。 深呼吸をして胸中の複雑な感情を抑え、スマートフォンのカメラを起動した。 「辰樹、一本目の動画を撮りましょう」 せめて、死ぬ前に何か記念を残しておきたい。 しかし、向かいの男は聞こえていないかのように、自分の写真や動画を撮るのに夢中で、笑みを浮かべながらスマートフォンの向こうの誰かに送っている。 誰と青春を懐かしんでいるのか、推測するまでもない。 咲月の心は、きゅっと締め付けられるように痛んでいる。 どれくらいの時間が経っただろうか、辰樹がようやく気づいた。 「女って、本当に面倒だな」 ぶつぶつ言いながらも体を傾け、スマートフォンの画面に顔を近づける。 同じフレームに映る二人を見て、咲月はどこか夢見心地だ。 こんなふうに穏やかに過ごすのは、もうずいぶん久しぶり。 過ぎ去った時間の中で、二人はいつもいがみ合ってばかり。 「この動画が編集される頃には、お前から解放されてるといいな」 辰樹はカメラに向かって眉をひそめ、自分の願いを記録する。 咲月はまるで苦い薬を飲んだかのように、心が苦渋で満たされている。 辰樹、安心して。すべてあなたの思い通りになるわ。三十日後、この世界に私の痕跡はもうないのだから。 二人が示し合わせたかのように学校を散策しようとした時、辰樹のスマートフォンが鳴った。 次の瞬間、男は足を止めた。 「悪いが、一人で見て回ってくれ。急用ができたから、もう行く」 咲月は、日奈子が彼に送った、手を切ったという写真を見てしまった。 そのごくわずかな傷は、まるで咲月の身の程知らずを無言で嘲笑っているかのようだ。 彼女の心は、見えない大きな手にぎゅっと掴まれたように、息ができなくなる。 口を開いたが、何も言うことができない。 体に激しい痛みが走り、目の前がかすんでいる。 咲月が我に返った時、目に入ったのは辰樹の慌ただしい後ろ姿だけ。 口元に苦笑が浮かび、その後、潤んだ目で自分を慰める。 「行っちゃったなら仕方ないわ。一人で撮りましょう」 深呼吸をして、咲月はカメラに向かって、壁一枚隔てたビルを指さす。 「辰樹、初めて会った場所、覚えてる?ちょうど、このビルの下だったわ。 あの頃、このビルはまだ建設中で、私が通りかかった時、作業員に絡まれそうになったの。そんな私を助けてくれて、朝まで慰めてくれたのがあなただった。 たぶん、あの時から、あなたに惹かれていたんだと思う。 その後、前川さんがあなたと別れて海外に行ったと知って、何とかして婚約者としてあなたのそばに来ようとしたの」 そして、彼女は何かを思い出したように苦笑する。 「でも、まさか父が結婚式の初日に、あなたに高井の会社への資金援助を頼むなんて思わなかった。それで、家の利益のために、周到に準備して近づいたと誤解したのね。 プライドの高い私は、いくら説明しても信じてもらえなくて……もう、自分を守るためには、全身に針を立てるしかなかったの」 そこまで話すと、咲月は疲れ果てていた。冷たい風の中でしばらく座り込み、ようやく落ち着きを取り戻した。 この冬が嫌いだ。骨まで冷気が染み渡るような気がする。 それからの一週間、咲月はずっと療養していた。 辰樹から電話がかかってきた時、咲月は放射線治療を受けている最中だった。 体の痛みで、スマートフォンをしっかりと握ることさえままならなかった。 「咲月、まだ九つ残ってるぞ。時間を稼ごうなんて思うなよ」 「あなたと一緒に、キャンプに行きたいの」 第3話 「お前は本当に思いつきで行動するな」 「まだ九本の動画が残ってることを忘れないで。離婚届を出したくないなら、来なくてもいいわ」 辰樹は腹を立て、ガチャリと電話を切る。 地下駐車場までわずか十分ほどの距離なのに、咲月はテントを引きずりながら、まる一時間もかけてようやく辰樹の前にたどり着く。 「テント一つ運ぶのにぐずぐずしやがって。お前みたいな人間は、生きてるだけで命の無駄遣いだ」 辰樹は嘲りながらも、自然な手つきでテントを受け取り、トランクに放り込む。 だが、背後の咲月の顔が真っ白なことには気づかなかった。 そうね、もうすぐ地球の資源を節約できるわ。 道中、車内は異常なほど静かな空気。辰樹は少し落ち着かなくなる。 いつもなら咲月はぺちゃくちゃと口答えしてくるのに、今はただ目を閉じて黙っている。 その時、辰樹は咲月がずいぶん痩せたことに気づいた。元々ぴったりだった服が、今ではだぶだぶになっている。 彼の心に、なぜかふと切なさがよぎる。 二人が山頂に着いてテントを張り終えた頃には、すでに夜の帳が下りている。 夜風が寒気を運び、骨まで染み渡る。ただでさえ衰弱しきっている咲月は、ぶるぶると震えながら隅でうずくまるしかない。 「真冬にこんな所まで苦労しに来るなんて、お前、病気じゃないのか?」 「ええ、そうよ、病気よ。それが何か?」 咲月の声は刺々しかったが、辰樹には彼女の目が潤んでいるのが見えた気がする。 何かを問い詰めようとしたその時、夜空に一筋の光が走った。 「流星群だ」 辰樹の驚きの声に、咲月は平然としている。 そして、スマートフォンを取り出し、歩み寄る。 「さあ、二本目の動画を撮りましょう」 辰樹は珍しく素直に体を動かし、さらに咲月の肩に手を置いている。 画面の中で寄り添う二人、その背後を流れる流星群。ロマンチックで美しい雰囲気に、咲月は少し我を忘れてしまう。 少し気持ちを落ち着かせ、探るように言う。 「辰樹、流れ星に願い事をすると、すごく叶うって聞くわ。試してみない?」 辰樹が以前、そういった伝説を最も嫌っていたのを覚えていた。「信じる奴は馬鹿だ」とまで言っていた。 しかし今回、辰樹の声は彼女の耳元で響く。 「そんなの聞くまでもないだろ。もちろん、お前と早く離婚届を出すことだ。早ければ早いほどいい。 それと、日奈子が平穏で、健やかで、憂いなく過ごせるように」 咲月の心は、鷲掴みにされて、そのまま握り潰されるような激痛に襲われている。 彼女から一刻も早く解放されるため、そして日奈子の未来のためなら、辰樹は自分の信念さえも捨て去ることができる。 なんという皮肉な対比だろう。 再び体に激痛が走り、咲月は立っているのもやっとだった。 辰樹が彼女を支えようとした時、スマートフォンの着信音が鳴り響く。 日奈子の甘えた声が聞こえてくる。 「辰樹、怖い夢を見たの。すごく怖いわ。そばに来てくれない?」 「日奈子、心配するな。すぐにそっちへ行く」 辰樹は振り向くと、今度は挨拶もなしに歩き去る。 車を発進させ、曲がりくねった山道に入っていくのを見て、咲月の涙がこらえきれずにこぼれ落ちる。 この山道は険しく、夜間の運転は極めて危険だ。 しかし辰樹は、日奈子の一言で、命さえも顧みない。 愛する人のためには、どんな困難も乗り越えられる。だが、愛していない人のそばにいるのは、一秒でも苦痛なのだ。 動画の画面に、涙に濡れた咲月の顔が映し出されている。 「辰樹、また前川さんのために私を置き去りにしたわね。でも、もうすぐ死ぬ私が、何を気にすることがあるかしら。 ハネムーンで北エストリアにオーロラを見に行こうって約束したこと、覚えてる?残念ながら、三年間、私たちはお互いを傷つけ合うことばかりに時間を使ってしまった。今回計画した流星群で、その心残りを埋められると思ったのに、結局は私の甘い考えだったのね」 涙が再び溢れ出し、体が引き裂かれるような痛みに襲われ、咲月はついに耐えきれずに倒れ込んだ。 病院で目を覚ましたのは、一週間後のことだった。 「咲月さん、やっと目が覚めたんですね!すごく心配したんですよ!」 三上悠乃(みかみ はるの)が駆け寄り、彼女を強く抱きしめる。 高井家が衰退し、牧野家から度重なる打撃を受けて以来、社交界の人々は咲月を敬遠している。息も絶え絶えの高井家と、飛ぶ鳥を落とす勢いの牧野家、どちらに取り入るべきかは明らかだったから。 しかし、かつて咲月に支援してもらったこの大学生だけは、彼女の窮状を知り、世話をしたいと強く申し出てくれる。 咲月は彼女の背中を優しく叩きながら慰める。 「大丈夫よ。まだしばらくは死なないから」 悠乃は、その言葉にたちまち目を赤くする。 ベッドサイドのスマートフォンが光り、辰樹から電話がかかってくる。 第4話 画面には数十件の不在着信が表示されており、すべて彼女が昏睡している間に辰樹からかかってきたもの。 咲月は力を振り絞ってスマートフォンを掲げる。 「心配しないで、私は大丈夫……」 「今どこだ!あと八本の動画、まさかまた約束を破るつもりじゃないだろうな?俺を馬鹿にして面白いか?」 辰樹の苛立った声は、まるで爆弾のように咲月の心身をずたずたにする。 この人が電話してきたのは、ただノルマをこなすためであって、彼女を心配してのことではない。 咲月は苦笑いを浮かべる。 化学療法でごっそりと抜け落ちた髪の束を手に取り、かすれた声で言う。 「午後三時、家で映画を一緒に見てほしいの」 「わかった。今から新居へ向かう。くだらない真似はするなよ」 痛みが咲月の四肢に広がる。 辰樹はそんなにも早く、自分から解放されたいのだろうか? 自分の青白い顔色を隠すため、咲月はわざわざ悠乃に化粧をしてもらった。 ゆっくりとリビングに入ると、辰樹がいるせいか、氷のように冷たかった新居が少しだけ暖かく感じられる。 なにしろ、この三年間、辰樹が帰ってきた回数は片手で数えるほどだったのだから。 寝室のドアを開ければ、辰樹の冷たい嘲笑が待っているだろうと、彼女は思っている。 しかし、目に飛び込んできたのは、予想もしない光景。 テーブルにはアロマキャンドルが灯され、カーペットにはバラの花びらが敷き詰められ、プロジェクターのスクリーンには彼女が一番好きな「タイタニック」が映し出されている。 咲月はドアノブを握る手を、緩めてはまた強く握りしめる。 「何突っ立ってるんだ?映画が見たいって言ったのはお前だろう?入れよ」 咲月は頬を火照らせる。 「別に、私のためにこんなに豪華に……」 「誰がお前のために用意したなんて言った?」 咲月はその場で凍りつく。 「ごめんなさい、遅れちゃった。咲月さん、気にしないわよね?」 日奈子は微笑んでいるが、咲月に向ける視線は挑発に満ちている。 部屋には椅子があるのに、日奈子はそれに見向きもせず、新婚用のベッドに腰掛ける。 「どうしてこの人をここに?」 咲月の声は震え、喉の奥から血の気がこみ上げてくる。 「どうせ動画を撮るだけだろ。何人いようが関係ない。日奈子はこの数日、疲れすぎてるんだ。映画でも見てリラックスするべきだ」 辰樹は彼女を一瞥もせず、日奈子の方へ歩み寄る。 「日奈子、お前が一番好きなジャスミンのアロマだ。いい香りだろう?床に敷いたのは、一番好きなダマスクローズの花びら。映画も、お気に入りの『タイタニック』だよ」 「辰樹、本当に優しいのね」 咲月の心は、引き裂かれるように痛んでいる。 これらすべては、日奈子のために用意されたもの。 辰樹は一度も、咲月のことなど気にかけていない。 「テーブルの上も、お前の好きなスナックとフルーツだ。味見してみてくれ」 辰樹がフルーツの一切れを日奈子の口に運ぶのを見て、咲月の喉に血の味がこみ上げる。 ついに耐えきれず、テーブルの上の食べ物を床に叩きつける。 「ここは私の家よ!いちゃつきたいなら、外でやって!」 「また何を狂った真似をしてるんだ?」 辰樹の嫌悪に満ちた眼差しが、鋭い剣のように咲月の心を貫いている。 「辰樹、もういいわ。咲月さんはきっと機嫌が悪いだけよ。彼女に水を一杯、淹れてあげて」 辰樹を部屋から出した途端、日奈子は猫をかぶるのをやめた。 テーブルの上の赤ワインを手に取り、咲月の頭から注ぎかける。 「咲月、あんたみたいな捨てられた女が、いくらみっともなくまとわりついても、牧野夫人の座は最終的に私のものよ」 咲月も黙ってはいない。手を振り上げ、彼女の頬を平手打ちする。 「私が死ぬまでは、夢にも思わないで」 「咲月、何をしてるんだ!」 辰樹が駆け寄り、咲月を平手打ちする。 咲月は頬を押さえ、目を真っ赤にする。 「辰樹、どっちが先に手を出したか、聞きもしないの?」 彼女の目の中の失望に、辰樹は一瞬ためらった。口を開こうとしたその時、日奈子が泣き崩れる。 「全部、私が悪いの。あなたたちを邪魔して、咲月さんを怒らせるべきじゃなかった。私、帰るわ」 日奈子が部屋を飛び出していくのを見て、辰樹も後を追おうとする。 咲月の手のひらが、肉に深く食い込む。 「辰樹、まだ動画を撮ってないわ。今までの努力を無駄にするつもり?」 第5話 辰樹の足が止まった。 彼は咲月が持つカメラに駆け寄り、冷たい声で言う。 「咲月、俺が気づいてないとでも思ったか?キャンプにしろ、今回の映画にしろ、全部俺を好きだからだろう? だが、俺はお前が好きじゃない。俺が好きなのは日奈子だ。もし彼女が、俺が死にかけた時に骨髄を提供してくれなかったら、とっくに死んでいた。お前みたいに、利益のために自分の結婚を売り渡し、陰湿な手で彼女をいじめる女とは違う。 だから、俺がお前を愛することは永遠にない。満足か?」 咲月は散らかった床に座り込み、こみ上げる痛みで、ついに一口の血を吐き出す。 涙が頬を伝い、カメラに向かって悲痛な笑みを浮かべる。 「辰樹、本当に骨髄を提供したのが誰なのか、永遠に知ることのないように願うわ。 それと、結婚三周年、おめでとう」 咲月が再び目を覚ました時、無意識にスマートフォンを手に取った。 中には様々な広告以外、何の電話もなく、誰一人として自分を気遣う者はいない。 しばらく黙った後、辰樹に位置情報を送る。 「三本目の動画は、結婚式場で撮るわ」 悠乃は止められないと知り、ただ痛ましげに、無理をしないように、少しでも体調が悪くなったらすぐに病院に戻るようにと念を押す。 咲月が友人の結婚式場に着いた時、辰樹は日奈子を連れてあちこちで談笑している。その姿はまるで夫婦そのもの。 咲月の胸に鋭い痛みが走っている。 彼女の姿を一目見た瞬間、辰樹は日奈子の手を放し、こちらへ歩いてくる。 彼は今日、仕立ての良い黒いスーツを着ており、まるで咲月と結婚した日のようだった。 しかし、彼女に向ける視線は苛立ちに満ちている。 「この前のことは水に流してやる。三本目の動画をさっさと撮って終わらせるぞ」 胸の痛みをこらえ、咲月は後ろで行われているブーケトスの場所を指す。 「私のためにブーケを取ってくれたら、動画を撮るわ」 「咲月、本当に恥知らないんだな」 「嫌ならいいわ。今すぐ帰ってもいいのよ。でも、今までの努力が無駄になるだけだけど」 辰樹は奥歯を噛みしめ、振り返ってブーケ争奪戦に加わった。 咲月はスマートフォンのカメラを起動し、そのすべてを記録する。 どよめきと共に、長身の辰樹がブーケを掴み取った。 仕立ての良いスーツを着て、ブーケを手に自分に向かって歩いてくる彼を見て、彼女は二人が結婚した日のことを思い出さずにはいられなかった。 それは、二人にとって数少ない美しい思い出の一つだった。 咲月が手を伸ばして受け取ろうとしたその瞬間、辰樹は向きを変え、ブーケを隣にいた日奈子に渡した。 痛みが咲月を激しく包み込み、ついに耐えきれずに倒れ込んだ。 意識が闇に沈む前、辰樹が自分に向かって駆け寄ってくるのを見た。 控室で目を覚ますと、辰樹が真剣な顔つきで立っている。 「一体どうしたんだ。顔色はどんどん悪くなるし、干物みたいに痩せやがって」 辰樹の心配する声を聞き、咲月は鼻の奥がツンとなり、すべてを打ち明けそうになった。 その時、日奈子が忍び笑いを漏らす。 「咲月さん、いくら名残惜しいからって、そんな手で離婚を遅らせるのはどうかと思うわ。今日は倒れる、次は死んだふりでもするつもり?」 辰樹の顔色が一変する。 「咲月、いい加減にしろ」 咲月の心は、まるで刃物でじわじわと削られるように痛み、打ち明けようとした気持ちは一瞬で消え去る。 体の不調を抑え、挑発的な笑みを浮かべる。 「あなたをからかうのは、初めてじゃないでしょう?そんなに怒ることないじゃない。 動画はまだ撮るの?言っておくけど、次はないわよ。これ以上ごねるなら、あの離婚届、破り捨てるから」 「お前は本当に性根が腐っているな!」 辰樹は力任せに咲月の腕を掴み、カメラに向かって激しい言葉を浴びせる。 「お前と一緒にいると、本当にろくなことがない。一体いつになったら、この最低なすべてが終わるんだ!」 咲月は彼の去っていく背中を見つめ、ふらつきながら、立っているのもやっとだった。 辰樹は何かを感じたかのように足を止めたが、日奈子に強く腕を引かれる。 「辰樹、ちょっと気分が悪いの。早く連れて帰ってくれない?」 辰樹は一瞬ためらったが、最終的に頷いた。 日奈子は振り返り、苦痛に満ちた表情の咲月を一瞥し、その目に悪意の色がよぎる。 第6話 咲月はしばらくして、ようやく少し体力が回復した。 地下駐車場に着くと、日奈子が待ち構えている。 「咲月、忠告しておくけど、これ以上辰樹に付きまとうなら、惨めな死に方をするわよ」 咲月は冷たく鼻で笑う。 「へえ?どんなふうに惨めなのかしら?」 今の自分より惨めなことなんて、あり得ない。 日奈子の顔が青ざめたり赤くなったりするのを、咲月は気にも留めず、まっすぐ車に乗り込み、アクセルを踏む。 車が動き出したその瞬間、人影が飛び出してくる。 幸い、咲月が急ブレーキを踏んだため、日奈子にぶつかることはなかった。 車を降りて問い詰めようとした時、日奈子は悲鳴を上げて地面に倒れ込む。 そして、見慣れた人影が駆け寄ってくる。 「日奈子、どうしたんだ!」 辰樹は日奈子を抱き上げ、その顔には、咲月が見たこともないほどの心配の色が浮かんでいる。 「辰樹、私、咲月さんに挨拶しただけなのに、どうして車で轢こうとするの?そんなに私が憎いの?」 咲月は疲れ果てていた。 「そんなこと……」 しかし、辰樹の真っ赤な両目には、殺意が満ちている。 反応する間もなく、一台の車が矢のように、彼女に向かって猛スピードで突っ込んでくる。 痛みが四肢に広がり、空中に投げ出された咲月は、運転席の辰樹を見て、一筋の涙を流した。 こうして死ぬのも、一つの解放なのかもしれない。 咲月が病院で目を覚ました時、悠乃が電話に向かって罵声を浴びせている。 「この人でなし!咲月さんは元々病気で先が長くないっていうのに、あんたが車で轢くなんて!咲月さんを殺さないと気が済まないのか!」 電話の向こうは一瞬戸惑い、そして軽蔑するような笑い声が聞こえる。 「そう言えと教えられたのか?『先が長くない』なんて嘘までつけるんだから、あいつにできないことは何もないだろうな。 あいつに伝えろ。たとえ本当に死んだとしても、俺は涙一滴流さないと」 電話はガチャリと切られ、悠乃は潤んだ目で再びかけ直したが、もう繋がることはない。 咲月は力なく、真っ白な顔で微笑む。 「もういいの。意味がないわ」 悠乃は泣き崩れる。 「どうしてですか!神様は、どうしてこんな仕打ちを……」 咲月は目尻の涙を拭う。 「もう、どうでもいいの」 一週間後、辰樹から一通のメッセージが届いた。 【この前の日奈子の怪我がただの打撲で済んでよかったな。もしそうでなければ、お前をただじゃおかなかった。約束の日まであと三日。残りの動画をさっさと撮り終えろ】 その時、咲月はすでに衰弱しきって力もなく、悠乃に文字を打ってもらうしかない。 「明日の午後三時、療養院で会いましょう」 辰樹が療養院の入口で車椅子に座る咲月を見た時、心に衝撃が走った。 彼女はさらに痩せ、青白く、まるでいつでも消えてしまいそうだ。 彼の心はきつく締め付けられる。 「咲月、ただの軽い事故でそんな様になるなんて、相変わらず役立たずだな」 咲月は気力を振り絞る。 「なら、あなたも車で轢かせてみたらどう?アクセルは、きっと最後まで踏み込んであげるわ」 辰樹は珍しく言い返さず、自ら車椅子を押して療養院の中に入る。 咲月の母親・高井夕子(たかい ゆうこ)は、父親が亡くなった後、病に倒れ、日に日に衰弱している。 母親に自分の病状を知られて、再びショックを受けさせないように、咲月は心を鬼にして母親を療養院に預け、自分の体調が良い時にだけ会いに行く。 「咲月、来たのね。あなた、どうしたの?何があったの?」 車椅子に座り、骨と皮だけになった娘を見て、夕子は胸を痛め、涙を流す。 咲月は急いで母親の手を握り、優しく慰める。 「お母さん、大丈夫よ。ちょっとした事故に遭っただけ。すぐに良くなるから」 咲月の痩せて青白い顔を見て、辰樹の心に罪悪感がこみ上げてくる。 「お母さん、せっかく集まったんだから、一緒に動画を撮りましょう」 「馬鹿な子ね。まるで、もう会えなくなるみたいじゃない」 夕子はカメラに向かって協力する。 咲月は俯き、涙を必死にこらえる。母親に少しでも異変を悟られてはならない。これが、母娘の最後の対面になるかもしれないから。 第7話 カメラの中で、夕子は辰樹の手を握りながら言い聞かせる。 「辰樹、うちの娘は少しわがままなところがあるけれど、あなたのことを心から愛しているのよ。どうか、大切にしてあげてね」 辰樹は咲月の腰を引き寄せ、誠実な口調で言う。 「お母さん、ご心配なく。必ず咲月を大切にします」 咲月の体が震えた。辰樹が芝居に付き合っているだけだと分かっていても、感情がこみ上げてくるのを抑えられない。 動画を撮り終えると、辰樹は母娘二人の時間を作るために席を外す。 母娘がゆっくり話す間もなく、病室に招かれざる客がやってくる。 日奈子は、毒々しい目つきで言う。 「あら、もう泣いてるの?数日後、あなたの娘が死んだら、あなたは泣き死にするんじゃないかしら?」 「黙りなさい!」 咲月は鋭く制した。 「おばさん、まだご存知ないでしょう?あなたの娘さん、癌なのよ。もう長くないわ。もうすぐ、ご自分でお子さんのお墓を建てることになるんですねぇ」 「何を言っているの……」 夕子は信じられないという顔で、咲月の手を強く握りしめ、震える声で尋ねる。 「咲月、この人が言っていることは、本当なの?」 「お母さん、冗談よ、信じないで。私は元気よ」 咲月は振り返り、日奈子を追い出そうとする。 しかし、相手の方が一枚上手で、素早く彼女のかつらをひったくった。 「おばさん、これで信じたでしょう?この髪は、化学療法で全部抜け落ちたのよ」 咲月は悲鳴を上げ、慌ててかつらを奪い返して被り直す。 「お母さん、信じないで。これは自分で剃ったの。かつらの方が髪型を変えやすくて便利だから……」 しかし、母親の呼吸は荒くなり、顔は青紫色に変わってしまう。 ベッドサイドの生命維持装置も、甲高い警告音を鳴らし始める。 大勢の医療スタッフが慌ただしく駆けつけ、救急処置を始める。 咲月は車椅子に座り込み、心臓がえぐられるように痛む。そして、日奈子に向けるその目は、殺意に満ちている。 日奈子は心の中で慌て、逃げ出そうとする。 咲月は足の怪我も構わず、車椅子から立ち上がり、日奈子を掴んで、その首を強く絞める。 「日奈子、殺してやる!」 日奈子は白目をむき、顔は紫色になり、もがく動きも次第に小さくなっている。 「咲月、何をしているんだ!」 辰樹が咲月を突き飛ばし、日奈子をしっかりと背後にかばう。 咲月の頭がベッドサイドの棚にぶつかり、鮮血が流れる。 「辰樹、私、ただおばさんのお見舞いに来ただけなのに、咲月さんがおばさんの死を私のせいにして怒るなんて思わなかった。もう少しで、彼女に殺されるところだったわ……」 日奈子は、さめざめと泣いている。 辰樹は心配そうな顔をしたが、咲月を見た途端、その表情は嫌悪に変わる。 彼は咲月の襟首を掴み、凶暴な口調で言う。 「咲月、死にたいのか?」 咲月の全身の血が凍りついたようだ。 心臓が粉々に砕かれるような感覚に襲われる。 血の混じった口を開き、絶望的な目で言う。 「できるものなら、今すぐ私を殺してみなさい」 辰樹は一瞬、言葉を失う。 「高井夕子さん、もう生命の兆候はありません。お悔やみ申し上げます」 医師の言葉に、その場にいた全員が凍りついた。 辰樹は咲月の手を放し、複雑な表情を浮かべる。 「咲月、気を落とすな……」 「出ていって!みんな、出ていって!」 咲月は、檻に閉じ込められた獣のように咆哮する。 悲しみに沈む咲月を見て、辰樹の胸が痛んでいる。 何かをしようとしたが、日奈子が有無を言わさず彼を引っ張っている。 咲月は母親の体に覆いかぶさり、崩れるように泣き叫ぶ。 「お母さん、ごめんなさい。私のせいで、死なせてしまった…… 辰樹を忘れられなかった私が馬鹿だった。この動画を撮りに行くべきじゃなかった…… お母さん、すぐに私もそっちへ行って、直接謝るから。待っててね」 咲月の慟哭が背後で響き、辰樹の足は鉛のように重くなる。 全身が砕け散るように痛む彼女は、口と鼻から血を流し、白いシーツを赤く染めている。 そして、目の前が真っ暗になり、意識を失う。 第8話 それからの数日間、辰樹はショックを受けた日奈子に付き添っている。 夕子の埋葬の知らせを聞き、墓地へ駆けつけた時には、すでに式は終わっていた。 彼の心に、少し寂しさがこみ上げる。 約束の日が翌日で終わることを日奈子に指摘され、辰樹はようやくためらいがちに咲月にメッセージを送った。 【咲月、お母さんのことは残念だったな。だが、言っておかなければならない。明日が俺たちの離婚届を出す日だ。残りの動画を撮る時間は、今日一日しか残されていない】 一方、病床の咲月は、やつれ果て、憔悴しきっている。 ゆっくりとキーボードで一行の文字を打ち込む。心には何の波も立っていない。 【残りの動画はもう撮らなくていいわ。明日、約束通り役所に行くから】 咲月の心はすでに死んでおり、ただ目の前のすべてを終わらせ、死ぬ前に自由で清らかな人生を取り戻したい。 彼女は顔を上げ、悠乃に微笑みかける。 「悠乃、よかった。もうすぐ解放されるわ」 しかし、悠乃は涙を流した。 三十日間は、彼らの離婚へのカウントダウンであると同時に、咲月の死へのカウントダウンでもある。 ただ、咲月に駆け寄り、強く抱きしめることしかできない。 「あの女が、また俺をからかってるんじゃないのか、誰がわかるものか……」 辰樹は口の端を歪める。 しかしその夜、なかなか寝付けない。 翌日、辰樹は遠くから、役所のロビーで待っている咲月の姿を見つける。 咲月が彼より先に来ているのは、これが初めて。 辰樹の心に、複雑な感情が湧き上がる。 離婚届をその手に取るまで、辰樹は咲月が今回本当に嘘をついていないことに気づいていた。 「辰樹、これで、あなたも私も自由よ」 もう何の未練もなく、この世界から清らかに消えていく。 辰樹は、透き通るほど青白い咲月を見て、なぜか心に不安がよぎる。 何かを言おうとしたが、咲月は彼に手を振る。 「さようなら、辰樹」 辰樹の心は震え、思わず後を追いかけそうになる。 その次の瞬間、スマートフォンが鳴った。 「辰樹さん、離婚成立おめでとう!これでやっと自由の身だね!日奈子さんもずっと待ってるよ。いつプロポーズするつもり?」 辰樹はしばらく考え込む。 「一週間後、天陽ホテルでプロポーズする」 一方、街角の向こう側で、咲月の疲れ果てた体は、枯葉のように舞い落ちる。 七日後、天陽ホテルの内は、華やかな灯りに照らされ、多くの名士が集まっている。 「日奈子、俺と結婚してくれる?」 辰樹はダイヤモンドの指輪を手にしていたが、その表情にはどこか不自然さが漂っている。 心待ちにしていたはずの場面なのに、今の彼はどこか上の空。 精巧な顔立ちの日奈子を通して、なぜか咲月のことを思い出している。 辰樹は心の中で驚き、何かが芽生え始めているのを感じる。 「はい、喜んで!」 隣にいた日奈子は、すぐさま彼の手を強く握り、指輪をはめようとする。 しかし、二人のツーショット写真を映していたはずの電子スクリーンが、突然消えた。 再び点灯した時、ツーショット写真は咲月の青白く痩せた顔に変わっていた。 「辰樹、この動画を見ている頃、私はもう死んでいるわ。 私たちが一緒に撮った、あの五本の動画を覚えているかしら?あれは、あなたへの新しい結婚祝いよ。気に入ってくれると嬉しいわ」 辰樹はその場で凍りつき、手から指輪が落ちる。頭が、まるで爆発しそうだ。