Đang tải thông tin quảng bá...
歳月は易く過ぎ去り以後は会わず
「先生、私、決めました。黎明自由国の紅蓮ダンスカンパニーからのお誘いをお受けします」 電話の向こうで、恩師・水城晴(みずき はる)の声...
Chương (1)
第1章
「先生、私、決めました。黎明自由国の紅蓮ダンスカンパニーからのお誘いをお受けします」
電話の向こうで、恩師・水城晴(みずき はる)の声から、抑えきれない喜びが伝わってきた。
「ようやく決心がついたか。すぐに手配してやろう。俺の教え子なら、将来と男のどちらを選ぶべきかくらい、分かっていて当然だ。一週間だけ時間をやる。友人たちとしっかり別れを済ませておけ」
星野美玲(ほしの みれい)は小さく「はい」と答え、電話を切った。そして、二十年以上を過ごしてきた星野家と婚約者に、完全に別れを告げた。
第1話
「先生、決めました。紅蓮ダンスカンパニーからのお誘いを受けます」
電話口の向こうから、恩師・水城晴(みずき はる)の声が弾み、抑えきれない喜びが伝わってくる。
「ようやく決心がついたか。すぐに手配してやろう。俺の教え子なら、将来と男のどちらを選ぶべきかくらい、分かっていて当然だ。一週間だけ時間をやる。友人たちとしっかり別れを済ませておけ。
それから、両親によろしく伝えておけよ。俺は先に渡航の準備を進めておく」
星野美玲(ほしの みれい)は小さく返事をして電話を切った。無意識に手首の金の腕輪へと指が伸びる。
その黄金の輝きの下には、ムカデのように醜くうねる傷痕が隠されていた。
選んだのは美玲ではない。男も家族も、彼女を切り捨てる道を選んだのだ。
化粧室の外から、控えめなノックが響く。
「美玲、入っていい?」
言葉より早く、星野瑠花(ほしの るか)が扉を押し開けた。大きく潤んだ瞳は、誰を見ても怯えた小動物のような無垢を装う。
白い首筋に浮かぶいくつかの赤い痕がいやでも目を引いた。
美玲の視線に気づいた瑠花は恥じらうように襟をかき合わせ、甘ったるい声で言う。
「もう、隼翔のせいなのよ。どうしても私に絡んでくるんだから」
美玲は冷ややかな表情しか返さない。
瑠花の口にする隼翔は、かつて美玲の婚約者だった。
しかし今では瑠花の婚約者である。
美玲は忘れていない。瑠花が家に戻ってきたばかりの頃、花村隼翔(はなむら はやと)は美玲を屋上に呼び出し、満天の星空を指差して誓った。
「俺が欲しいのは美玲だけだ。誰が戻ってきても、愛しているのは永遠に美玲だけだ」
――その熱烈で堂々とした愛は、わずか一年と三ヶ月しか続かなかった。
別の夜、同じような星空の下で隼翔は服装の乱れた瑠花を抱きしめ、星野家の大広間で膝をついた。
そして懇願したのだ。「婚約者を美玲から瑠花に替えてほしい」と。
この無垢そうな顔の奥に、どれだけの汚れと打算が潜んでいるのだろう。
だが幸いなことに、美玲はまもなく去る。
彼女は先ほど晴に海外行きを承諾し、紅蓮ダンスカンパニーのダンス顧問の仕事を受けると答えたばかりだった。
最後の国内公演を別れの舞台とし、美玲は二度とこの甘美な愛に酔う二人を邪魔することはない。
「美玲、今回の主役、私に譲ってくれない?お願い」瑠花は美玲の手を取り、甘えるようにせがむ。
長年その手で、美玲のものを次々と奪ってきた。
美玲はうんざりし、強く手を振り払った。「出て行って!」
「美玲……」
瑠花はその勢いで床に倒れ込み、細い手で白い脛を押さえる。瞳には瞬く間に涙があふれ唇を噛んだ。
そこへ隼翔が扉を開けて飛び込んできた。二歩で駆け寄り、まるで宝物を抱くように瑠花を支える。
整った眉を寄せ、心配そうに怪我の有無を尋ねる。
瑠花は弱々しく首を振り、か細い声で答えた。「大丈夫。美玲はわざとじゃないの。私がうまく立てなかっただけ」
その声は嗚咽に震え、とても「大丈夫」には聞こえなかった。
美玲は眉をひそめる。彼女は瑠花を突き飛ばしてはいない。ただ手を振り払っただけだ。こんな稚拙な演技を誰が信じるというのか。
だが隼翔は信じた。
冷たい眼差しを美玲に向け、低い声で言う。「美玲……俺はお前を、星野家に甘やかされたわがままなお嬢様だと思っていた。だが、気性が荒くても少なくとも正々堂々としていると信じていたんだ」
騒ぎを聞きつけ、星野家の三人の兄たちが駆けつける。
彼らは瑠花を囲んで気遣い、その視線は美玲に責めと失望を投げかけた。
「瑠花はずっとお前の代わりに苦しんできたんだ。少しくらい譲ってやれないのか?今回はもう舞台に出るな、瑠花に任せろ」
長兄・星野瑛斗(ほしの えいと)は、いつも最後に決定を下す存在だ。
その一言で、美玲の心は完全に砕け散った。
これは美玲にとって最後の舞台だ。彼女はただ愛するダンスをきちんと終え、皆にしっかりと別れを告げたかった。
なにしろ海外に出れば、美玲は二度と戻らないのだから。
第2話
「お前の体にはまだ傷が残っている。今回くらいは譲ってもいいだろう。傷が癒えたら、いくらでも踊ればいい」次男・星野颯真(ほしの そうま)は眉間に皺を寄せて言った。
三男・星野直哉(ほしの なおや)は、いつものように強気な口調で言い放つ。「美玲、もし瑠花と張り合うつもりなら、もう二度と舞台には立たせないぞ」
胸が締めつけられるように苦しい。それでも美玲は必死に声を絞り出した。「長男様、この舞台は私にとって本当に大切なものなんです。だから、どうしても……」
「星野家の力は分かっているだろう。俺たちはお前の家族だ。俺たちが反対すれば、誰もお前を舞台に立たせはしない」
長男・瑛斗の冷ややかな言葉が重なり、美玲の声は遮られた。
美玲は苦笑する。――星野家が誇る強硬なやり方を、ついには自分に向けてきたのか。
「瑠花、行こう。お前、レゴが好きだったよな?直哉が組み立ててくれたぞ」
兄たちに囲まれて宥められるうちに、瑠花は涙をぬぐい、隼翔の胸に身を預けて微笑む。「うん、ありがとう、直哉兄さん」
「じゃあ、もう泣くのをやめよ」
四人の男はまるで星が月を取り巻くかのように瑠花を守り、その場を去っていった。
残された美玲は呆然と立ち尽くす。――この二十数年は、まるで儚い夢のようだった。
夢の中で、美玲もまた兄たちと隼翔から惜しみない愛情と庇護を受けていた。
当時、美玲は星野家ただ一人の小さな姫として、三人の兄と婚約者の隼翔がいつも彼女を中心に取り巻いていた。
毎朝の食卓には美玲の前に四人分の朝食が並び、四人の男は期待と焦り、入り混じった眼差しで彼女を見守った。困ったように溜息をつく美玲を見て、両親は微笑んでいた。
「星野家のお姫様には、これくらいの愛情を与えて当然だ」――みんながそう言った。
六歳の頃、美玲は舞台で踊るダンサーに心を奪われた。両親は苦労をさせたくないと反対したが、四人の兄は小遣いを切り詰めて学費を工面し、美玲の夢を支えた。
三男・直哉は学校で「一日限定の恋人」を引き受けるアルバイトまでして、ダンスの資金を稼いだ。
隼翔はクラスメイト全員を使い、美玲のために人生初の舞踏会を開いた。拍手してくれた子には宿題を写させてやる、そんな取引までして。
両親も花村家の両親も、その話を聞いて呆れながらも笑っていた。
やがて皆が成長すると、隼翔は酒に酔うたび美玲を抱きしめ、「美玲は隼翔だけを愛している、一生だ」と繰り返し言わせた。
美玲の心は本気で揺れた。――この世の政略婚の中で、自分はきっと誰よりも幸せなのだと。
瑠花が現れるまでは。
あの日、鑑定書を握りしめて星野家の門口に立っていた瑠花は痩せ細り、色あせた服をまとって小さく哀れな姿だった。
その瞬間、美玲の世界は音を立てて崩れ落ちた。
彼女は初めて知ったのだ――自分が星野家の実の娘ではないことを。
「何も変わらない。ただ妹が一人増えただけだ」みんなそう言った。
だが現実は違った。兄たちはもう美玲を宝物のようには扱わなくなった。瑠花が涙ながらに「私には今まで一度もなかった」と言えば――
冷静沈着な瑛斗は、瑠花のために最高級ホテルを貸し切った。
寡黙な颯真は、取り乱して右往左往した。
奔放な直哉は一晩かけてレゴを組み上げ、それを差し出した。
そして、かつて「美玲は隼翔だけのもの」と言わせるほど彼女に執着していた許嫁の隼翔さえも、瑠花を抱きしめ、星野家の客間で「婚約者の名を美玲から瑠花に変えてほしい」と懇願したのだった。
美玲のすべては、こうして根こそぎ奪われた。
そして今、国内最後の別れの舞台さえも奪われようとしている。
美玲は苦笑しながら、手首の金の腕輪を指で回す。――気づくべきだったのだ。
三か月前、星野家が強盗に襲われたとき、兄たちが瑠花だけを救い自分を置き去りにしたあの瞬間に。
自分はもう隼翔を愛してはいけない。
星野家の兄たちに希望を託すべきでもない。
――もう、疲れ果てた。
希望は失われた。
一週間後、美玲という「部外者」は永遠に星野家を去る。彼らの仲睦まじい家族の絆をこれ以上邪魔することはない。
第3話
ドアを閉めた瞬間、美玲は世界から自分を切り離した。
楽屋に戻り荷物の整理を始める。
ダンスカンパニーに入って十年。取り出した品々が床一面を埋め尽くしていく。
美玲は、精巧な置物や今ではもう手に入らないぬいぐるみを呆然と見つめる。
子どもの頃から、彼女はふわふわしたぬいぐるみが大好きだった。新しいシリーズが発売されるたびに、兄たちや隼翔があの手この手で買ってきてくれたものだ。
そして頭を撫でながら決まってこう言った。「うちのお姫さま、美玲には全部そろえてあげないとね」
しかしその後、瑠花が現れると。
美玲の部屋に新しいものが増えることは二度となかった。
美玲自身も、まるで古びた物のひとつになってしまったかのように。
今、彼女は去ろうとしている。過去の品々を残しておく意味も、もう失われた。
美玲は回収業者に電話をかけ、すべて引き取ってもらうことに決めた。
回収車を待つ間、ダンスカンパニーの仕事の引き継ぎに向かう。団の幹部たちは誰ひとりとして送別の舞踏会の話題を口にしなかった。
美玲もまた、沈黙を選んだ。
ここでは星野家の力に逆らうことはできない。
そしてもう、彼らのために心を砕く気もなかった。自分の送別舞踏会など、星野家と瑠花への償いとして差し出せばいい。
ダンスカンパニーを出ると、隼翔の車が行く手をふさいでいた。
「美玲さん、隼翔さんがお待ちです。ハイアットホテルまでご同行を」
「行きません」美玲は踵を返す。
「美玲さん、俺たちを困らせないでください」
四人の護衛が退路を塞ぐ。
その顔は、皆見覚えのあるものだった。かつて隼翔が彼女を守るためにつけてくれた人間たち。なのに今は彼女を脅すために動かされている。
美玲はうつむき、広い車内に身を滑り込ませた。
「絶対に無理強いはしない」――隼翔のその言葉が、まだ耳に残っている。
だが彼女はもう隼翔の婚約者ではない。特別に庇われる資格もない。
――それでいい。こうして距離を置けば心も澄み渡る。
車は「ハイアットホテル」に停まった。
宴会場の入口には、祝賀の文字がいやに眩しく掲げられている。
【祝・お姫さま瑠花、主役の座を奪取】
会場の扉は開いており、四人の男が瑠花を囲んでいた。瑠花は、かつて美玲が立っていたその位置に立ち、甘やかに笑っている。
美玲は皮肉げに小さく笑った。「奪う」という字の選び方が、なんとも絶妙だった。
「お姉ちゃん!」
最初に気づいたのは瑠花だった。
彼女は室内から美玲へ駆け寄る。陽光の下で、揺れるポニーテールがきらめいた。
「私、来ないと思ってたの。全部お兄様たちと隼翔のせいよ。私、やめてって言ったのに……みんな私が傷つくのを心配して、どうしても祝賀会を開くって。美玲、責めるなら私を責めて」
瑠花は唇を尖らせ、怯えたように見上げる。
まるで美玲が彼女を苛めているかのように――美玲は何もしていないのに。
隼翔が室内から姿を現し、瑠花を腕の中に庇った。「瑠花は一度も宴会なんてしたことがない。これはただの口実だ。瑠花を責めるな」
四人の男たちの視線が、美玲を睨み据える。まるで敵を前にしたかのようだ。
瑠花は、本当に人の同情を引くのがうまい。
以前の美玲なら、きっと発狂していただろう。
自分の栄誉を奪われ、それを目の前で誇示されることに耐えられず。
三人の兄と隼翔の愛情が、別の人間へと移っていくことに耐えられず。
皆が口々に「何も変わることはない」と言ったのに。なぜ、全員が変わってしまったのだろう。
だが今の美玲は、ただ淡々と微笑むだけだった。「それなら――瑠花と隼翔、二人ともおめでとうございます」
彼女は大股でその輪を抜け出した。
瑠花が囲まれる喜びを望むのなら、その席は譲ればいい。
これからの美玲と星野家の関係は――ただの債務者と債権者にすぎない。養育の恩を返し終えたら、互いに赤の他人となるだけだ。
第4話
美玲の突然の落ち着き様に、四人の男たちは戸惑った。
思わず名前を呼びかけようとしたが、いつの間にかその名が口にしづらくなっていることに気づく。
「隼翔、私たちも中へ入りましょう」
瑠花が腕に絡みつくと隼翔はようやく我に返った。
胸の奥に渦巻く言葉にならない感情を無理やり押し込み、顔を伏せて小さく答える。
「ああ」
その仕草はまるで恋人同士のように親密だった。
「隼翔! 美玲がまだここにいるのよ!」瑠花がわざと甘えた声を出す。
美玲はその意図を察したが、取り合う気はなかった。
宴の流れは始まる前からすべて彼女の予想の範囲内だった。
二十年以上、彼らはいつも美玲のために宴を開いてきたのだから。
そして今、三人の兄たちは約束通り、かつて美玲に与えたものを一つ残らず瑠花に与えようとしている。
「瑠花、これを見てみろ。俺からの贈り物だ」
颯真が箱を開けると、中には夢のように美しい水色の舞踏ドレスが収められていた。
宝石一つひとつが目も眩むほど高価で、まるで匠の手によって妖精の衣装ラックから盗み出されたかのような仕上がりだった。
美玲は見覚えのあるそのドレスを見つめ、無意識に爪を掌に食い込ませる。
それは二年前、美玲が金賞を受賞した時、二番目の兄・颯真が数か月を費やして仕立ててくれたものだった。
あの日の授賞式で、颯真は皆の前でこう言った。「このドレスを着られるのは、我が星野家のお姫さまだけだ」
その言葉は瞬く間に話題となり、ネットでも「シスコンの極み」と揶揄された。
今、瑠花がそのドレスを抱きしめて爪先立ちする姿を目にし、美玲は胸に手を当てた。
――離れれば、忘れれば、もう痛まないと思っていた。
だが胸に散りばめられた無数の痛みは、容赦なく彼女を苛む。
「美玲、隼翔が言ってたの。このドレスにはお揃いのネックレスがあるって。貸してくれる?
私、小さい頃に家を離れたけど、美玲みたいに最高の舞踏家になりたいの」
瑠花は小首をかしげ、悪戯っぽく手を差し伸べる。
その眼差しは暗に語っていた。――美玲は私の人生を奪った泥棒。
――金賞を取れたのは、星野家の後ろ盾のおかげ。
「瑠花に渡せ」
隼翔が強引に口を挟んだ。その冷たい眼差しには、強烈な威圧が宿っている。
またしても、その視線が美玲の心を鋭く突き刺す。
あのネックレスは隼翔が密かに美玲へ贈ったもの。彼自身が特注させ、二人の名を刻んだ特別な品だった。
美玲は一人ひとりを見やった。だが誰一人として、視線を返す者はいない。
「いいわ」
すでに去ると決めたのだ。ならば潔く終わらせたい。
そのネックレスも、いずれ返すつもりでいた。ただ機会がなかっただけ。
今、隼翔が求めるのならそれで構わない。
美玲はネックレスをテーブルの上に置いた。
本来の持ち主に戻すだけ。
もう執着はしない。
「体調が悪いので、先に失礼します」
美玲は立ち上がった。もともとこれは彼ら一家の祝宴。自分はただの脇役にすぎない。役目を終えたのなら、身を引くのが筋だ。
だが部屋を出る前に、三人の兄が彼女を取り囲んだ。
「美玲、どうした? また体調を崩したのか。子どもの頃から弱かったのに、大人になってもまだ自分の体を大事にしないなんて」
長兄・瑛斗は自然に手を伸ばし、美玲の額に触れる。幼い頃から、病気のたびにこうして確かめてくれたのだ。
「また病気になったのに我慢してたのか? 今すぐ病院に行くぞ」颯真は当然のように彼女の手首を掴んだ。
彼は美玲の体を案じ、わざわざ医学まで学んでいた。
隼翔さえも一歩前に出る。冷たい表情の奥に緊張がにじむ。「美玲、体を壊したからって俺の気を引こうなんて思うな。今すぐ病院へ行くんだ!」
彼らの心配げな様子を見て美玲は苦笑した。
――自分を捨てたのは彼ら。徹底的に傷つけたのも彼ら。
それなのに今さら心配するふりをするのね。
美玲は勢いよく腕を振り払った。
「いらない」と言いかけたその瞬間、瑠花が突然泣き出した。彼女は隼翔にしがみつく。
「きっと私のせい……私が浮かれて、美玲の役を奪ったから病気になったんだわ。もう宴なんてしないで。私なんかふさわしくない。みんなで美玲を病院に連れて行こう」
第5話
四人の男たちは、一瞬にして美玲のそばから離れた。
隼翔の冷たい眼差しも瑠花に向けられると柔らかく、慈しみに満ちたものへと変わる。
「美玲、お前の容態は大したことはないだろう。宴が終わってから、みんなで一緒に行こう。時には楽しく過ごした方が、体にもいい」
颯真がそう言って結論を下した。
彼らは結局、瑠花と美玲の間で――瑠花を選んだのだ。
「要らない」
美玲は背を向けた。施しのような愛情など欲しくはなかった。
ホテルを出ると携帯が立て続けに鳴った。
三人の兄からは「病院に行け」という念押しの連絡、そして隼翔からは病院の予約票。
一文字ずつに込められた「心配」を目にして、美玲はただ笑いたくなった。
――いったい何の芝居をしているの?
この体がこうなったのは、まさに彼らのせいなのに。
三か月前、美玲と瑠花を襲ったのは星野家のライバルだった。
誰もが知っていた。奴らは死を覚悟しており、美玲と瑠花に良い結末などあるはずがないと。
犯人たちは二つの住所を残し、星野家が戦力を分散させるよう仕向けた。
だがそれは誤算だった。
全員が瑠花のもとへ向かい――美玲を助けに来る者はひとりもいなかった。
犯人たちは憤りのすべてを美玲にぶつけた。
彼女は冷たい床に引きずられ、刃物で少しずつ皮膚を切り裂かれた。
容赦のない拷問の果てに、彼女は流産を強いられた。
希望は恨みへと変わり、やがて希望すら消え失せるまで――美玲にとっては、半月という短い時間で十分だった。
だがその時間はまるで一生にも等しかった。
半月後、警察に救い出された。
その時には、すでに人の形をとどめないほど痛めつけられていた。
それでも美玲は星野家に戻った。
だがそこで彼女が見たのは、無傷でただ怯えただけの瑠花を取り囲む人々の姿。
誰一人として、美玲が半月も行方不明だったことに気づきもしなかった。
彼女が子を失ったことなど、なおさら。
頬にねっとりとした感触を覚え手で触れた瞬間、顔中が涙で濡れているのに気づいた。
――あの子に、申し訳ない。
数か月前の美玲は、まだ隼翔と星野家に希望を持っていた。
けれど瑠花の帰還によって、二人の間に溝が生まれた。
隼翔を狙う女は少なくなかった。だが以前は美玲が常に彼の傍にいたため、誰も行動には移せなかった。
あの日の舞踏会で、隼翔は朦朧とした意識の中美玲に電話をかけてきた。
駆けつけた時にはすでに彼は部屋で倒れて意識を失いかけていたのだ。
盛られたのは強烈な薬で、病院に運ぶ時間すらなかった。
隼翔は美玲の腕の中で、何度も何度も彼女の名を呼び、「愛している」と繰り返した。
美玲は結局、耐えきれなかった。彼の顔を両手で包み込み、生涯でただ一度だけ彼に強いて言わせた。
「隼翔は永遠に美玲を愛してるって、言って」隼翔は仰いだまま、うつろな目で答えた。「隼翔は美玲を愛してる。永遠に美玲だけを」
その夜、二人は狂ったように求め合った。
隼翔は力尽きるまで美玲を抱き続け、彼女はベッドから降りる時さえ震えを隠せなかった。
美玲は夢見た。隼翔がすべての重圧に抗い、自分に求婚してくれることを。
だが現実は――隼翔は瑠花を抱きしめ、星野家の前に跪き、彼女を妻にと望んだ。
それでも美玲の頭には、隼翔が「美玲を愛している」と繰り返した姿が焼き付いている。あの意識が朦朧とした中でさえ、嘘を言うはずがない。
きっと何か事情があるのだと信じていた。
その三か月後、美玲は自分の体に命が宿ったことを知る。
他の男と関わったことなどなく、時期もぴたりと合っていた。
――あの子は、隼翔の子だ。
喜び勇んで美玲は電話をかけた。この子がいれば、結婚への道も自然に開けるはず。
だが隼翔は電話に出なかった。
街頭に立ち尽くし、何度も何度も発信し続けた。
そして――犯人たちに連れ去られた時、地面に落ちた携帯の画面は、まだ発信中のままだった。
美玲は結局、隼翔に伝えられなかった。二人の間に子どもがいることを。
その子は――失われたのだ。
第6話
美玲は神や仏を信じる人間ではなかった。けれど耳にしたことがある――生まれてこられなかった子は、あの世でいじめられるのだと。
彼女は指先を針で突き、血をにじませながら、一針一針縫って小さなお守りを作る。
あと三日で美玲はここを去る。去る前にこのお守りを寺へ納め、あの子のために祈ってやりたいのだ。
その日、彼女は一日中部屋にこもっていた。星野家の誰とも顔を合わせたくなかったし、外に出る時間もない。そして深夜になってようやくお守りが出来上がった。
翌朝、美玲は早くに目を覚ました。
星野家の誰にも気づかれぬよう、別荘地から歩いて地下鉄駅へ向かい、そこから業務窓口のあるビルへ。ちょうど職員が出勤してくるところだった。
パスポートを受け取り、立ち去ろうとした時肩をぽんと叩かれる。
「美玲! あなたも来てたのね!」振り返ると、中村千代(なかむら ちよ)がにっこりと笑っていた。笑うと頬に小さなえくぼができる。
千代は美玲の一番の親友で、星野家の向かいに住んでいる。
「なんで送別舞踏会を中止したの?私、チケット買って応援するつもりだったのに!」千代は気さくに美玲の肩を抱き寄せる。
二人は普段から何でも言い合える仲だ。
だがこの時ばかりは、美玲はどう説明すればいいか分からなかった。
星野家には育ててもらった恩がある。三人の兄を矢面に立たせるようなことは、口にできない。
美玲の沈黙に、千代の笑顔が消える。
「もしかして、あの女のせい?」
美玲は薄く笑ったが、答えはしなかった。
千代はすぐに察し、正義感に駆られて憤る。
「最初から怪しいと思ってた!貧しい家の出だって言いながら、どうやって星野家のDNAを手に入れたの?星野家って――」
「もういいの」美玲は千代の手を握った。
「星野家がどう選ぶかは、星野家の問題。私には、私の選ぶ道がある」
星野家のことにはもう関わりたくなかった。
それは彼らの問題であり、美玲とは無関係なのだ。
千代も口をつぐむ。大きな家の事情に、彼女たちが口を挟む余地はない。
「美玲、この間ずっと姿を見せなかったから、みんながあなたを心配してたのよ。私たち仲間の令嬢たちは、みんなあなたの味方だから。必要なときは、遠慮なく言って」
千代は両手を広げた。
美玲はその抱擁を受け入れ、互いに背中を軽く叩き合う。目の縁が熱くなる。
「泣かないで。いつだって私は、あなたの味方だから」
千代は美玲の頬をつねた。
二人は目を合わせ、思わず笑い合う。
昔から千代はよくこうして美玲をからかった。そのたびに隼翔は不機嫌になり、顔を曇らせていた。そのせいで、何年経っても隼翔の千代への態度は冷ややかだ。
けれど今はすべてが変わってしまった。
千代と別れたあと、美玲は一人で街を歩く。
隼翔の車が静かにその後ろをつけていた。
寂しげな背中を見ているうちに、隼翔はふと錯覚を覚える。――美玲は変わった。変わってしまって、自分には馴染まないほどに。
何度も迷った末に、隼翔は美玲の番号を押す。
「乗れ」
画面に表示された発信者の名を見て、美玲は少し驚いた。隼翔の方から電話をかけてきたのは、一体どれほど久しぶりだろう。
電話の向こうの声を聞き振り返ると、車窓の中で隼翔が携帯を掲げてみせていた。
午前八時の大通りは人であふれている。美玲はネットに晒されるのを避けたかった。
車に近づき後部座席のドアに手をかけると、隼翔が助手席のドアを押し開けた。
かつてそこは、美玲だけの定位置だった。だが今も彼女がそこに座る資格があるのだろうか。
「瑠花に誤解させないで」
美玲は助手席のドアを閉め、後部座席に腰を下ろした。
空いたままの助手席を見つめ、隼翔はしばし言葉を失う。
「どこへ行く?」
「静水寺」
第7話
道中、隼翔と美玲は一言も交わさなかった。まるで、すでに赤の他人になってしまったかのように。
赤信号で止まり、再び走り出したとき隼翔が口を開いた。「寺へ行って、何をするつもりだ?」
「祈願よ」美玲は淡々と答える。
隼翔はさらに問いかけた。「誰のために祈るんだ?」
美玲は顔を上げ、バックミラー越しに隼翔の横顔を見つめた。
――あの夜のことを、本当に覚えていないの?
――二人の間にできた子どものことを、本当に気にしていないの?
「数か月前、ホテル・ルミナスでのこと、覚えてる?」
隼翔の眉間に皺が寄る。彼は覚えていた。
あのとき招待してきたのは小さな取引先で、先代の紹介状がなければ隼翔はそもそもその宴に出席しなかった。
そして案の定、宴席で薬を盛られた。
その夜、隼翔は瑠花と関係を持ってしまった。その借りを返すために、婚約者を入れ替える話を持ち出したのだった。
――だが、今さらなぜそのことを?
「婚約を解いたのは俺自身の問題だ。お前とは関係ない。だから気にする必要は――」
言いかけたところで、隼翔の携帯が鳴った。
それは瑠花が特別に設定した着信音だった。
一度鳴っただけで、隼翔は即座に出た。
「隼翔、今忙しい?来てくれる?私、チワワに引っかかれちゃって……ごめんなさい、いつも迷惑ばかりかけて」
甘えて哀れを誘うような声が、電話の向こうから響く。
隼翔は思わず美玲の方を見やった。
「隼翔、私もどうしても伝えたいことがあるの。聞いてくれる?」美玲はお守りを握る手に力を込めた。
隼翔は眉をひそめる。「後にしてくれ。瑠花が怪我をしてる」
「……分かった」
その瞬間、美玲の心は完全に崩れ落ちた。
彼女はすぐさまドアを開け、振り返ることもなく車を降りた。
あまりにあっさりとした様子に、隼翔の方が戸惑った。
――今回は、これまでと違う。
美玲は本当に、自分の世界から消えてしまうのかもしれない。
説明のつかない焦燥が胸を締めつける。
問いかけたい言葉は喉まで出かかった。だが結局、口から出たのは「すまない」の一言だけだった。
黒い車は砂煙を巻き上げながら走り去った。
やがて砂が収まったときには、美玲の姿はもうそこになかった。
静水寺は街外れにある。隼翔が美玲を降ろした場所からでは車も拾えない。
美玲は歩いて寺まで辿り着いた。
香を供え、手を伸ばしてお守りを取り出そうとした瞬間、全身が凍りついた。
――お守りが、ない。
美玲は確信していた。道中、一度も取り出してはいない。
ならば、隼翔の車の中に落としたのだ。
あれは、生まれることのなかった我が子にしてやれる唯一のことだった。
美玲は何度も電話をかけた。
だが、あの日――誘拐されたあの日と同じように、どれほど鳴らしても繋がらなかった。
そのとき、電話越しに聞こえた瑠花の声が頭をよぎった。――「私、星野家で怪我をしたの」
美玲はすぐにタクシーを拾い、運転手にチップを重ねて渡した。一刻も早く、星野家へ着けるように。
「隼翔、車の鍵を貸して、私の……」
美玲は庭の門を押し開けた。瑠花はしゃがみ込み、小犬をあやしていた。
その手に持っていたのは、美玲が子どものために作ったお守りだった。犬のおもちゃにされていたのだ。
「美玲、帰ってきたのね」
顔を上げた瑠花の口元に、一瞬、挑発するような笑みが浮かんだ。――それが何のためのものか、知らないはずがない。
「返して」
美玲は震える声で手を差し出した。
「ただのお守りじゃない。そんなに必死になる意味あるの?」
「まさかそのお守り、どこかの隠し子のために作ったんじゃないの?だって美玲は誘拐犯に半月も弄ばれたんでしょう?もう汚れてるんじゃないの?」
最後の言葉は、声をひそめて吐き捨てるように言った。
美玲が駆け寄ると、瑠花はわざと手を滑らせた。小犬がすかさずお守りをくわえ、激しく振り回す。
第8話
美玲の胸は張り裂けそうなほど緊張していた。
何も顧みず、小犬に飛びかかりお守りを取り戻そうとする。
だが、その足を瑠花が伸ばして引っかけた。
「きゃっ!」
背後で悪びれる様子もなく足を出した瑠花は転び、美玲も石に手を打ちつけ、鋭い痛みに思わず声を漏らした。
それでも――美玲はお守りを取り戻した。
――ごめんなさい、私の子。
私が守り切れなかった……
美玲はお守りをぎゅっと握りしめ、胸に押し当てる。
掌の傷から血が滲み、布を真っ赤に染めていることにも気づかずに。
「瑠花!」
その光景を見て、隼翔は手にしていた電話を放り出し、駆け寄って瑠花を抱き起こした。
電話はスピーカーモードのままで、助手の賢吾の声が漏れ聞こえる。「花村社長、ホテル・ルミナスの件、整理した資料をメールでお送りしました」
だが三人の耳には、もう届かなかった。
隼翔は切迫した顔で瑠花の怪我を確かめる。
瑠花はか弱く隼翔の腕に身を預け、すすり泣いた。
「隼翔、どうして美玲はこんなに私を嫌うの?私が美玲の居場所を奪ったから?でも、そんなつもりじゃなかったのに……」
「違う」
隼翔は痛ましげに、青くなった瑠花の脚を撫でる。その瞳に宿る憐れみが、美玲に向いた瞬間、冷え冷えとした陰りへと変わった。
「謝れ」
――笑わせる。
奪ったのは瑠花の方。
転ばせたのも瑠花。
それが見えないの?隼翔には。
美玲は苦笑を浮かべ、隼翔をじっと見据えた。
その壊れかけのような表情に、なぜか隼翔の胸は締めつけられるように痛み、息が詰まるほどだった。
だが美玲は何も言わず、踵を返す。
「隼翔……」
声をかけようとした隼翔の背後から、瑠花の弱々しい泣き声が響いた。
「美玲、謝れ!」
「そのまま行くなら――もう二度と会わない!」
美玲の足が一瞬止まった。
――なら、それでいい。
再び歩き出す足取りは先ほどよりも強く、確かなものだった。
小さくなっていく美玲の背中を見つめるうち、隼翔は不意に胸騒ぎを覚える。
大切なものが、自分の手から永遠に離れていく――そんな予感がした。
星野家を出てから、美玲はようやく掌の激しい痛みに気づいた。
お守りは血で真っ赤に染まり、傷口に貼りついている。
剥がそうとすると、肉ごと裂け、血が溢れ出した。
――瑠花の脚の痣など、比べものにならない。
けれど「愛されている子」だけが、泣く資格を持つのだ。
美玲は奥歯を噛みしめ、簡単に傷の手当てを済ませた。
そして再び寺に戻り、香を焚いて祈る。
どうか――生まれて来られなかったあの子が、安らかに眠れますように。
出発前の最後の日。美玲は荷物をすべてまとめ、星野家に返すべき物も整理した。
皮肉なことに――幼い頃から星野家の兄たちや隼翔から贈られた品々は、倉庫ひとつを埋め尽くすほどある。
でも自分の本当の持ち物は、小さなスーツケースひとつに収まってしまう。
倉庫の鍵と銀行のカードを引き出しに置いた。
カードには美玲が踊って稼いだ金が入っている。正確な額は分からないが、数億円は下らないはずだ。
――これで、星野家への「恩」は返せるはず。
美玲は広々とした豪華な寝室を見渡した。
ここは星野家の主寝室を除けば最も良い部屋。本来なら瑛斗が使うはずだった。けれど三人の兄は美玲を甘やかし、密かにこの部屋を彼女のために整えたのだ。
瑠花が来てからは、何度もこの部屋を欲しがった。
それでも唯一、奪われずに守った場所。――そのせいで美玲は「心の狭い女」と陰口を叩かれた。
そして今――すべてが終わった。
まさしく、彼らの思いどおりに。
夜明け。
階下は賑やかだった。今日は瑠花が初めて舞台の主役を務める日。
三人の兄と隼翔は皆その周りに集まっていた。
やがて下の喧噪が収まり、静けさが戻る。
美玲はスーツケースを引き、寝室の鍵を執事に手渡した。
必要なことだけを伝えた。あとは三人の兄が戻ってから処理してもらえばいい。
これからもこの家は――星野家の三人の兄と、一人のお姫さまの家。
一人も欠けず、一人も余らない。
美玲という「余計な存在」が、もう二度と無遠慮に踏み込むことはない。
ドアを閉めた。
美玲は振り返らなかった。