零れ落ちるこの人生

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津田白弥(つだ しろや)が絵画大賞を掴んだとき、授賞式の生配信で司会者が聞いた。 「津田さん、この道のりで一番感謝したい人は誰ですか?...

Chương (1)

第1章

津田白弥(つだ しろや)が絵画大賞を掴んだとき、授賞式の生配信で司会者が聞いた。 「津田さん、この道のりで一番感謝したい人は誰ですか?」 白弥は迷わず私の名前を出した。昔、私に捨てられたからこそ今の自分がある、と。 そして、角膜を提供してくれた善意の人にも感謝を述べた。 司会者はわざと悪戯っぽく煽り、白弥に私へ電話して「受賞の喜びを分かち合いましょう」と仕向けた。 電話が繋がり、彼は冷たい声で言う。 「藤村舞雪(ふじむら まゆき)、俺はもう有名な画家で、資産も数十億円を超えてる。昔お前がこんなポテンシャルがある俺を捨てて、今になって後悔してるんじゃないのか?」 私は暗闇の中で手探りしながら丼を探し、麺のスープを一口すすってから真剣に答える。 「後悔してるよ。だからさ、今度二百万円くらいの海鮮フルコース奢ってくれる?」 「ピッ」という音とともに白弥は電話を切った。 通話終了の無機質な音を聞きながら、私は笑った。 しょっぱいスープを置き、私はケースから大切にしまってある角膜提供の契約書を取り出す。 彼は知らない。その角膜をあげたのは、私だということを。 第1話 津田白弥(つだ しろや)が絵画大賞を掴んだとき、授賞式の生配信で司会者が聞いた。 「津田さん、この道のりで一番感謝したい人は誰ですか?」 白弥は迷わず私の名前を出した。昔、私に捨てられたからこそ今の自分がある、と。 そして、角膜を提供してくれた善意の人にも感謝を述べた。 司会者はわざと悪戯っぽく煽り、白弥に私へ電話して「受賞の喜びを分かち合いましょう」と仕向けた。 電話が繋がり、彼は冷たい声で言う。 「藤村舞雪(ふじむら まゆき)、俺はもう有名な画家で、資産も数十億円を超えてる。昔お前がこんなポテンシャルがある俺を捨てて、今になって後悔してるんじゃないのか?」 私は暗闇の中で手探りしながら丼を探し、麺のスープを一口すすってから真剣に答える。 「後悔してるよ。だからさ、今度二百万円くらいの海鮮フルコース奢ってくれる?」 「ピッ」という音とともに白弥は電話を切った。 通話終了の無機質な音を聞きながら、私は笑った。 しょっぱいスープを置き、私はケースから大切にしまってある角膜提供の契約書を取り出す。 彼は知らない。その角膜をあげたのは、私だということを。 …… 電話が切れてから十分後、トタンの扉が「ドンドン」と叩かれる。 私は手探りで扉まで行き、大きな声で聞く。 「誰?」 外から青年の声が返る。 「代行サービスです。依頼であなたを『花かんざし』レストランまでお連れするようにって」 五年ぶりに耳にする「花かんざし」の名に、私は思わず呆然としている。 青年の急かす声に我に返り、私は慌ててポケットからサングラスを取り出してかける。 私が盲目だと気づいた青年は、特別にレストランの個室まで付き添ってくれた。 到着してすぐ、冷たく突き放すような声が響く。 「お前、なんで来た」 返事をする前に、遠くから明るい女の子の声が飛んでくる。 「あら、白弥、そんな言い方しなくてもいいじゃん。私が舞雪さんを招待したんだよ」 次の瞬間、布と肌が擦れる小さな音が響く。 私の頭の中には、無愛想な白弥の腕に絡みつきながら甘えて、可愛らしい少女の姿が浮かぶ。 胸がきゅっと痛んで、それでも心の奥で思う。きっと二人はお似合いなんだろう、と。 少女は甘えるように、けれどどこか哀れむ響きも混じって頼んでいる。 「だって白弥、配信で舞雪さんが海鮮フルコース食べたいって言ってたでしょ?ちょうど私たちも来る予定だったから、一緒にどうかなって思って」 彼の表情が見えない。 けれど彼の荒い呼吸で、不機嫌なのは伝わってくる。 それでも彼は冷えきった声で言う。 「梨々子が呼んだなら、入って座ればいい」 私を皮肉って追い返すのかと思ったのに、意外にも、そうはしなかった。 驚いたのは私だけではなく、中尾梨々子(なかお りりこ)も一瞬言葉を失った。 私は大きく息を吐き、軽口を叩く。 「やめとくよ。家にまだ贅沢なごちそうが残ってるから」 白弥は鼻で笑い、冷笑を浮かべながら言う。 「へっ、やっぱりな。お前みたいな見栄っ張り女には、そういう下品なもんがお似合いだ」 先に茶化したのは私なのに、彼の皮肉を真正面から聞くと胸がどうしようもなく痛んだ。 それでも口に出す言葉は、決して弱音ではない。 「そうね。ここなんか、私にはふさわしくない」 その直後、「ギリギリ」という音が聞こえる。 白弥が怒りすぎて、拳を必死に握りしめるだろう。 梨々子は優しく彼をなだめる。 「舞雪さんが冗談言ってたよ。白弥、ムキにならないで。だって見てみなよ、あの格好。とてもお金持ちに見える? きっと前に付き合ってた成金に捨てられたんだよ。だから一緒に海外にも行けなかったんでしょ?」 私は苦く笑みを浮かべた。 あのとき白弥に角膜をあげた後、彼の心はずっと不安定で、私の行方を必死に探し回った。 でも、彼に真実を知られたらきっと「返す」って言い出す。 それくらい彼は私を愛していた。彼の命よりも強く私を愛していた。 だが、あのようにプライドが高く、才能に溢れた少年画家が輝きを失っていくのをただ見ているなんて、私は忍びなかった。 だから私は嘘をついた。 二千円払ってホームレスに「成金ごっこ」をしてもらい、わざと白弥の前で見せつけた。 「私、金持ちの男に拾われたの。海外に行って、もう二度と戻らない」と彼に言った。 第2話 やっぱり彼は本当に信じた。 憎しみが心を包み、目の回復も早かった。 本来は一ヶ月の入院で済むところを、彼のことで無理に半月に短縮されてしまった。 私も仕方なく早めに退院し、トタンの部屋に戻って冬の刺すような風に耐えた。 まだその頃の苦しさを思い返す間もないうちに、耳元に梨々子が白弥に甘える声が聞こえてくる。 「ああもう、私はどうでもいいの。とにかく舞雪さんと一緒に食べたいの!それに今回のタラ汁にはねぎ入れちゃダメだからね!」 彼は甘やかすように囁く。「うん、俺もねぎ入ったら美味しくないと思うよ」 白弥は「美味しくない」の音をやたらと伸ばした。 まるでわざと私に聞かせるように。 かつて花かんざしのタラ汁は、白弥と私が来るたびに必ず頼む定番だった。 私は中のねぎが大好きで、彼はいつも給仕に多めに入れるよう頼んだ。 「ねぎのないタラ汁なんて、魂がない」って、そうまで言ったのに。 それが今じゃ、梨々子のために「ねぎ入ったら美味しくない」って言えるんだ。 彼は本当に彼女を愛してしまったんだろうな。 私は無意識に立ち去ろうとしたが、慌てて振り向いたとたん柱にぶつかって転んだ。 地面に這いつくばって探しても壁際に手が届かなくて、立ち上がれなかった。 前方から風が早く迫ってきて、次の瞬間、梨々子の驚いた声が響く。 「何それ、舞雪さん!白弥の同情を買うために、わざと盲目のふりしてあの角膜の提供者をコスプレしてるんじゃないよね?」 私の前で何かが止まる。 冷たい声が頭上から降ってくる。 「まさかまだそんな腹黒いことしてるなんて。目的のために盲目のふりまでするとはな。でも警告しておく、あの角膜の提供者はとっくに死んだ。お前に少しの哀れみも抱かないからな!」 私は必死に這い上がれず、そのまま地面に座り込んだ。 そして顔を上げて、にやりと笑って言う。「津田さん、何を考えてるの?ただピアスが落ちちゃって、探すのが面倒で這いつくばってるだけよ」 そう言ってから、私はわざとぼそりと付け足す。 「そのピアスはルイ・ヴィトン製で、一個数百万円するのよ」 梨々子は驚きの声を上げる。 「数百万円のピアスなんて、五年前に出たあのシリーズしかないでしょ。じゃあ舞雪さん、もう五年前にそんな高いの買えるようになったのね、すごい! でも当時白弥の手術は数十万円だったのに、あなたはいつも出せないって言ってたよね……」 彼女の声はだんだん小さくなり、ほとんど聞こえなくなった。 たぶん白弥の顔色がどんどん暗くなって、梨々子がこれ以上言えなくなったのだろう。 その場の空気は一瞬で凍りついた。 白弥は鼻で笑い、続いて革靴が重くタイルを踏む音がした。 「入ろう。身も心も汚れた人間は、ここには関わらせたくない。食事の気分を壊されたくないからな」 梨々子は嬉しげに「やったー」と声を上げた。 女のヒールの足音と男の革靴の足音が混ざり合った。 そして個室の扉が重く閉まる音がした。 私の世界は再び暗闇に沈んだ。 地面で何とか立ち上がろうと探したが、サングラスはもう見つからない。 あれは昔、白弥が最初にくれたプレゼントだった。 無くなってもいいのかもしれない。 古い物も、古い人も、過去に留めておくべきだから。 私は壁づたいにずるずると外へ向かって這い出す。 胸の中が押し潰されそうで、涙が止まらず溢れ出す。 手で涙を拭いながら、自分に言い聞かせる。 「大丈夫。 白弥は知らないだけ。彼の目の角膜が、私のものだってことを」 第3話 私は彼を責めない。 だって、白弥が私を庇うため事故で目を傷つけた時、私たちには本当にお金がなかったから。 私はほとんどの親戚や友人に借金を頼み込んだ。 千円、二千円、百円、二百円……少しずつかき集めた。 両親は「そんな小銭を借りて恥をかくな」と嫌がり、四万円を投げつけて「縁を切る」と言った。 なぜなら彼らには、西海市でマンションを買う予定の息子がいて、他人のためにお金を借りる私に回す余裕なんてなかったから。 私は両親からの「絶縁金」を受け取ったけど、白弥の百二十万円の手術費まではまだ数十万円も足りなかった。 どうにもならず、私は危うくネットの裏道に手を出そうとした時、白弥に気づかれて止められた。 彼はプライドを捨てて、とっくに離婚した両親に頭を下げた。 十年以上音信不通だったのに、久々の連絡が「金を貸してくれ」だったから、彼は断られるんじゃないかと震えていた。 でも結局、多少の嫌味と「借りだから返せ」という条件付きで、彼らは入院口座に金を振り込んでくれた。 あとは合う角膜を待つだけだった。 けれど西海市はあまりに大きくて、彼の前には何十人も待っていた。 順番が来る頃には、どんなに天才的な画家でも埋もれてしまうだろう。 私は食事を疎かにしていたせいで、胃癌を患ってしまった。 どうせ死ぬのは時間の問題なら、いっそ早めに角膜を彼に譲ろう。 せめて白弥にチャンスを掴ませて、夢を叶えてほしいと思った。 「ゴホッ、ゴホッ……」 手のひらに熱くて粘る感触がある。 自分の時間がもう長くないことを悟る。 帰り道で、杖も持たずに道路を手探りで渡ろうとする私を見て、ある善意の人が家まで送ってくれた。 …… 村で。 トタンで囲まれた狭い部屋が、私の家だ。 風が吹けば隙間風、雨が降れば雨漏り、雷が鳴れば落ちてくるんじゃないかと怯えるような家だ。 でもこの部屋は安い。一ヶ月の家賃はただ二万円だ。 私は盲目だから電気はいらない。生活用水は井戸で事足りる。 生き延びるだけの私には、この部屋はむしろ聖地だ。 一番大事なのは、川の向こうに、かつて白弥と「新居を買おう」って約束したマンションがあることだ。 私はもう見えないけど、同じ風を受けられるだけで満足だ。 海鮮フルコースは結局食べられず、代わりに代行サービスの料金を払うことになった。 まさか梨々子がそこまでケチだとは。使い走り代までも私が出すなんて。 五千円の大金が消えて、この月の家賃は払えなくなった。 仕方なく、友人に電話をかけた。 彼は高級なマッサージ店を経営していて、私は盲目になってからそこで生活費を稼いでいた。 ただ胃が痛む日が多くて、体調のいい時にだけ出勤し、数百円から数千円程度を稼いでなんとか暮らしている。 友人は車を手配し、さらにスタッフに私を洗髪や入浴に連れていかせてくれた。 新しい制服に着替えると、気持ちが晴れやかになって元気が出した。 でもサングラスを失った私は、同僚からマスクを借りるしかなかった。 まだきちんとつけ終わらないうちに、梨々子の驚きの声が響く。 「舞雪さん、どうしてマッサージ師の制服着てるの?」 彼女の声と同時に、ほのかな白檀の香りが伝わってくる。 それは白弥が好む香りだ。 彼も来ているの? 第4話 「全てが白弥のせいだよ。私、ちょっと『腰が痛い』って言っただけなのに、彼がこっそり手配して、今月の社内活動がここでのマッサージになったんだって」 そう言うと、梨々子は疑うように私に聞く。 「舞雪さん、あなたも体調悪くてマッサージ来たの?でもなんでマッサージ師の制服着てるの……」 私は服の裾を不自然に引っ張る。 「違うのよ、ここ海鮮が美味しいって聞いて、ちょっと味見に来ただけなの」 言い終えてすぐ、自分の出した言い訳に後悔した。なんて薄っぺらい言い訳だろう。 でも友人のマッサージ店は湯浴みも併設でビュッフェがあるから、この言い訳も完全的に外れるわけでもない。 「プッ」 梨々子が堪えきれずに吹き出した。 続いて何人かが「ハハハ」と笑い声を上げた。 どこからか女性の声が現れて、私を徹底的に嘲笑い始める。 「これが社長の元カノか。成金にしがみついたんじゃなかったの?ちぇ……」 「顔はまあまあだけど、残念ながら成金に振られたんだってさ!」 「振られて当然だよね。だって前に見る目がなくて社長を捨てたんだから」 数本の悪意に満ちる視線が、真っ直ぐ私を射抜いた。 私は慌てて数歩後退すると、足元がふらついて危うく転びそうになる。 「舞雪さん!」と梨々子が慌てて叫ぶ。 なんとか体勢を保つと、白弥は氷のような声で言う。「出ていけ!」 場内が凍りついた。 私は苦笑いで頷き、静かに「わかった」と返す。 振り向いて去ろうとするところで、梨々子が代わりに弁護してくれる。 「みんな、舞雪さんを責めないでよ。彼女は白弥を捨てて年寄りの成金にすがったのはきっと理由があるんだし、今振られたって可哀想じゃない?」 その言葉は同情を呼ぶどころか、白弥の周りの同僚の怒りに火を注いだ。 彼女たちは一斉に私に突進してきて、手にしていたタオルやナプキン、果物を次々と私に投げつけた。 投げつけてもまだ足りないかのように、何度か唾を吐きかけた。 私は頭を伏せて、何も言わなかった。 梨々子が慌てて駆け寄り、私を守ろうとする。 「やめてよ、舞雪さんはもう十分可哀想なのよ」 私は彼女の肩に手を置き、礼を言おうとした瞬間、彼女が「いやぁ」と声を上げた。 重い物が落ちる音がして、彼女は嗚咽混じりに泣き出す。 「舞雪さん、私どこが悪かったの?なんで押したの?」 私は一瞬戸惑う。 彼女の肩に手を置いただけで、それが「押した」にあたるのだろうか? 「なんてこと、私たちの前で人を押すなんて!」 「梨々子、大丈夫?私たちが支えるよ!」 「押したんなら謝れ!早く梨々子にごめんなさいって言え!」 混乱の足音の後、梨々子は周囲に助けられて私から離された。 すると無数の手が私を押し続けた。 私は反撃しながら必死で説明する。 「私、押してないよ」 「押してないって?梨々子が中傷するわけないでしょ?」 「そうよ、自分でやったくせに認めないなんて」 冷たい掌が腕を叩きつけ、私は痛みで「あっ」と声を上げた。 痛すぎた。 胸の中の悔しさが募り、私は白弥に助けを求めたくなる。 以前ならちょっとした擦り傷でも、彼は心配して手を取ってくれた。 「ふぅ……舞雪、泣かないで。後であの椅子取っちゃうから!」 だが今、私は大勢にいじめられているのに、彼は沈黙したままだ。 涙が瞳の端で揺れて、私は止まらずにすすり泣く。 やっと白弥が声を上げたが、その調子は嘲るようなものだ。 「謝らないの?じゃ、海鮮が好きなら罰としてビュッフェの海鮮を全部食べさせてやれ」 彼の一声で人々は素早く動き、様々な海鮮を運んできた。 熱いスープにスパイスや薬味が混ざったものを、躊躇なく私にぶっかけた。 私は泣きながら助けを求める。「本当に私が押したわけじゃない!お願い、やめて!」 それでも彼女たちは私が認めないと見て、私の顎をつかんで無理やり口を開けさせる。 辛い海鮮が喉に流れ込み、咳き込んで止まらない。 「ゴホ、ゴホ、ゴホ」 再び白弥の冷たい声が響く。 「海鮮を食べたくないなら、梨々子に一皿分の蟹の脚を剥いて詫びろ」 拒否できない命令口調で、私は涙ながらに頷くしかなかった。 「わかった」 数十匹の蟹、一枚の白い皿、そして小さな蟹ピーラーが、まとめて私の前に投げ出された。 もし目が見えていれば、これはさほど重い罰ではない。ただ時間がかかるだけだ。 だが今見えない。私は手探りでピーラーと蟹を掴む。 最初のピーラーを入れた瞬間、親指が切れて血が出た。 二回目で人差し指が血が出た。 三度目で掌が血が出た。 蟹の脚一本剥く間にも、私の両手は血にまみれていった。 喉に残る辛さが胃を刺激し、咳が止まらない。 頬が痒く感じ、呼吸するたびに周りの酸素が薄くなるように思える。 遠くで慌ただしい足音が近づいてくる。 友人の馴染みの声が聞こえる。「津田、狂ってんの?蟹でアレルギーがある盲目の人に剥かせるなんてどういうつもりだ!あなたに角膜を提供したのは舞雪だって知ってるか!」