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私たちのリセットタイマー
私と夫は、どっちも嘘つきだ。 彼は「初恋なんて忘れた」なんて言いながら、スマホの中はあの人の写真ばかり。 私は「絶対に離れない」って言...
Chương (1)
第1章
私と夫は、どっちも嘘つきだ。
彼は「初恋なんて忘れた」なんて言いながら、スマホの中はあの人の写真ばかり。
私は「絶対に離れない」って言いながら、彼のいない未来を用意してた。
一か月前、私は夫に離婚協議書へサインさせた。
今日は、そのカウントダウンの最終日。
カウントダウン、残り三時間。荷物は全部まとめ終わった。出国のチケットも、もう手元にある。
カウントダウン、残り二時間。二人で撮った写真は全部切り抜いて、アルバムには私だけ。
カウントダウン、残り一時間。彼に残す、最後の動画を撮った。
「亮。今日で、あなたを愛して十年。そして、あなたから離れる一日目」
第1話
私と夫は、どっちも嘘つきだ。
彼は「初恋なんて忘れた」なんて言いながら、スマホの中はあの人の写真ばかり。
私は「絶対に離れない」って言いながら、彼のいない未来を用意してた。
一か月前、私は夫に離婚協議書へサインさせた。
今日は、そのカウントダウンの最終日。
カウントダウン、残り三時間。荷物は全部まとめ終わった。出国のチケットも、もう手元にある。
カウントダウン、残り二時間。二人で撮った写真は全部切り抜いて、アルバムには私だけ。
カウントダウン、残り一時間。彼に残す、最後の動画を撮った。
「亮。今日で、あなたを愛して十年。そして、あなたから離れる一日目」
・・・・・・
約束の時間、神谷亮(かみや りょう)のオフィスへ「結婚式プランの契約書」を届けに行った。ドアの向こうでは、彼と友人が楽しそうにしゃべっている。
「亮、すみれがもうすぐ帰ってくるってのに、澪(みお)さんと結婚式をやり直すのか?」
亮は気のない「うん」とだけ返して、腕時計ばっかり気にしてる。「彼女、なんでまだ来ないんだ」
私には分かっていた。彼が時間を気にするのは、私を待ってるからじゃない。
篠宮すみれ(しのみや すみれ)を迎えに行く時間を気にしてるだけ。
今日は、彼の初恋、すみれが帰国する日。
すみれが婚約した年、彼は腹いせのように私と結婚した。
そして三日前、すみれは離婚した。
彼は泥酔して、目が覚めると「結婚式をやり直そう」って言ってきた。
すみれに見せつけたくて、呼び戻したかっただけ。
私たちの結婚なんて、二人の恋のゲームの駒にすぎない。
ドアを開けると、亮は不機嫌そうに手を差し出す。
「結婚式プランの契約書」
用意していた書類を渡す。
後ろから二枚目には、こっそり離婚協議書を挟んでおいた。
「追加の書類があるの。時間あるときに、ちゃんと読んで」
わざわざ今この時間に来たのは、彼に読む暇がないって知ってたから。
案の定。
亮は契約書を受け取ると、最後のページだけめくった。
「これから人を迎えに行く。こんなの読んでる暇ない」
その目に、一瞬だけ優しさが浮かぶ。
不機嫌は私に。
優しさは、すみれに。
慌ただしくサインを終えると、亮は背を向けて出ていった。
結婚して五年。彼に優しさがないわけじゃない。ただ、すごく少ないだけ。
私は愛で、彼の毎日に自分を染み込ませたかった。
でもニュースでの肩書は、いつも「未婚」のまま。
ワイドショーで流れるのは、彼とすみれのすれ違いの恋ばかり。
彼と隠れて入籍している私の名前なんて、どこにも出てこない。
だって、亮には初恋がいる。命がけで愛した女が。
すみれが離婚したその日、家で一度も笑ったことのない亮が、ベロベロになるまで酔っ払っていた。
なのに、不思議なくらいずっと、笑顔が顔いっぱいに広がっていた。
私を見ても、少しだけ笑ってくれた。
何年かけても手に入らなかった、あの笑顔。やっと私に向けてくれた。
夜遅くまで介抱してから、私はすみれの誕生日を入力して、彼のスマホのロックを外した。
写真アプリを開くと、容量はほぼすみれでいっぱいだった。
すみれだけ。私じゃない。
電子アルバムの表紙は、私と亮のウェディングフォト。
でも、そこにある私の顔は、すみれにすり替えられていた。
入籍のとき「結婚式はいらない」って言ってたくせに、「写真だけは絶対撮る」って譲らなかった理由が、やっとわかった。
――その瞬間、私は悟った。
五年の結婚生活は、ここで終わり。
残ったのは、私が決めた「離婚のカウントダウン」。
カウントダウン、残り一か月。
そして皮肉にも、亮が約束した「やり直しの結婚式」まで、あと一か月。
第2話
カウントダウン、残り二十日。
亮は前よりもずっと早く家を出て、遅く帰るようになった。
約束してくれたはずの結婚式なんて、最初からなかったみたいに消えてしまった。
たまに彼の友人のSNSを見かけると、写真の隅に、いつも女の人と一緒にいる亮の姿が写ってる。
その顔は、彼のスマホのアルバムで何度も見た人。
そんなある日、ビジネスパートナーの佐伯真由(さえき まゆ)が私を呼び止める。
「あとでデザイン案持ってきて。一緒にクライアントのところ行くよ、契約もあるし。
今回のクライアント、神谷社長の噂の相手なんだって」
私は黙ってうなずいた。なんだか頭がぼんやりする。
真由は私のビジネスパートナーだけど、亮のことは何も知らない。
もちろん、私と亮が隠れて結婚していることも。
クライアントの会社は、亮の会社のすぐ下のフロアにあった。
ここは、すみれが帰国して立ち上げたばかりの新しい会社。神谷グループが投資してできた。
最近はビジネスニュースでも、二人の過去の話題ばかりが取り上げられている。
社長室に入ると、やっぱりそこには亮がいた。
彼はきれいなパッケージの箱を持って、社長椅子に座っている女性に手渡している。
――篠宮すみれ。
亮は私を見た瞬間、動きが止まった。
その場にいた全員が、空気の変化に気づいたみたいだった。
すみれは私のほうを見て、どこか面白がるような目をした。
「こちらの方は?」
亮は黙り込んで、言葉を探している。
私は笑って、みんなに自己紹介した。
「朝比奈澪(あさひな みお)です。今回のプロジェクトのデザイナーです。神谷社長とは……」
亮と同時に口を開く。
「大学の同級生です」
自分でも気づかないうちに、デザイン案をぎゅっと握っていた。
指先は白くなり、紙にはしっかり跡が残っていた。
亮のために取り繕うのは初めてじゃないし、亮が私のことを隠したがるのも、これが初めてじゃない。
これが「隠し婚」っていうもの。
私は彼の妻だけど、その事実は隠されている。
きっと、この先も私たちに未来はない。
この日の商談は、うまくいかなかった。
亮はすぐに仕事をする時の顔になって、すみれの代理としてこちらに厳しい値下げを迫ってくる。
「あと一割、値段を下げてくれ」
彼は私たちの利益も、限界も、すべて見透かしたみたいに詰めてくる。
真由はしばらく黙ってから、悔しそうにうなずいた。
「さすが神谷社長、私たちのギリギリを完璧に見抜いてきますね」
亮はそのまま目を伏せて、私の方を見ようとしない。
まさに噂通りの冷酷なやり方。
ただ、その冷たさが、今は妻であるはずの私に向けられている。
すみれは一言も口を挟まず、どこか人ごとみたいに、静かに微笑んでいる。
その笑顔には、ほんの少しの挑発と、そして何よりも誇らしさが混じっている。
こんなに完璧に勝ってしまったのなら、誇らしくなるのも当然。
すみれがそっと手を伸ばして、テーブルの上の箱を開けようとした。
「みんなでケーキ食べましょう」
そう言った、その瞬間。
ずっと交渉では冷静だった亮が、突然慌てて箱を引き寄せる。
「すみれ、待って。ピーナッツアレルギーだろ。大丈夫か確認してみる」
目の前の光景が、私の心に鋭いトゲみたいに刺さる。
五年間、亮は私との結婚記念日を忘れ、私の誕生日も間違えた。
私が何度もお願いしたことだって、すぐに忘れてしまう。
でも、私のピーナッツアレルギーだけは、ちゃんと覚えていた。
私はずっと、どこかで思ってた。
何もかもが愛されていない証拠でも、たった一つでも私を気にかけてくれるなら、それでよかったのに。
でも……
そのたった一つの優しさすら、全部嘘だったんだ。
プロジェクトはどんどん進んでいく。
でも、亮はそれでも遅いと言って、何度も真由を急かしている。
第3話
「これはすみれが帰国してから初めてのプロジェクトなんだ。失敗はさせたくない」
私はどこか冷めた目で、そのやりとりを見ていた。
その日の商談が終わって家に帰ると、亮はリビングのソファで、ずっと迷っている様子だった。
結局、彼は私に説明してきた。
「俺たちの結婚、まだみんなには秘密にしてる。ちゃんと話せる機会を探してるだけなんだ。
いつかは、ちゃんと公表するつもりだよ。
今は、とにかくこのプロジェクトを無事に終わらせるのが先だと思う」
私はただうなずいた。それだけ。
私は小さくうなずいて、それ以上は何も言わなかった。
わざわざ彼に「本当に大事なのは、もうすぐやってくる私たちの結婚式じゃないの?」なんて伝える気にもなれなかった。
そもそも、その結婚式だって、彼は口では約束したけど、実際は何も動き出さなかった。
それに、その日が来たら、離婚関連の手続きも終わる。そんなこと、もう彼に言う気も起きなかった。
亮の目には、最後まですみれのことしか映っていない。
プロジェクト中、亮が私とすみれが顔を合わせないように気をつかっていることも、ビジネスパートナーの真由にはバレバレだった。
ある日、真由がニヤニヤしながら私に言った。
「ねえ、もしかして澪って昔、神谷社長と何かあった?」
私は苦笑いして首を振る。
「そんなわけないでしょ」
真由はちょっと口をとがらせて言う。
「でもさ、神谷社長、なんか澪を見るとき、妙に罪悪感に満ちた目してるよね。
完全にまだクズになりきれてない男が元カノ見る時の目だもん」
私は思わず固まった。そう言われて初めて、今までのことをじっくり思い返してみる。
確かに、そんな目を向けられたこともあった気がする。でも、これまでの全部を思い返しても、結局、彼がどんな気持ちで私を見ていたのか、私には分からなかった。
カウントダウン、残り十日。
その日はプロジェクトの定例ミーティングの日だった。
すみれは、わざとらしくもさりげなく、私にたくさん話しかけてくる。きっと私と亮の関係にうすうす気づいているんだろう。
私はいつも通りに丁寧に返しただけだった。
会議が終わったあと、亮が自分から「家まで送るよ」と言い出した。
こんなの、初めて。
「お前の仕事ぶり、正直、想像してた以上だったよ」
結婚して五年、亮が私を褒めたのは初めてだ。
ファイルを片付ける手を止めて、少しだけ彼の顔を見つめた。
亮はためらってから、ゆっくりと口を開く。
「結婚式、今からでも間に合う?」
私は目を伏せる。
きっと彼は、結婚式をやめたいんだろうなって思った。
その理由も、きっとすみれ。
「じゃあ、やめようか。もう時間もないし」
彼を見上げる。もう責める気も、悲しむ気も起きなかった。
亮は一瞬、驚いたみたいに固まった。
信じられないって顔をしている。
「本当に、それでいいのか?」
そうだよね。前の私だったら、きっとその場で感情を爆発させて、答えを求めてしまってた。
結婚してから、私が取り乱した場面は何度もあった。
でも、あんなふうに崩れたのは、いつだって彼が原因だった。
私は首を振る。
「気にしてないよ。ただの儀式だし」
長い沈黙のあと、亮は自ら口を開いた。
「じゃあ、今度の休みに隣の町に行こうか。少しリフレッシュしよう」
私はスマホのカウントダウンを見下ろす。離婚関連の手続きが終わるまで、あと十日しか残っていない。
「いいよ。気分じゃないから」
亮のハンドルを握る手がぎこちなくなり、危うく赤信号の交差点を突っ切りそうになった。
「じゃあ、海でも行く?前から行きたがってたレストランは?」
彼はいくつも提案を出すけれど、私は全部やんわり断った。
家に着く頃には、亮の顔は気まずさと、罪悪感と、どうしていいか分からない戸惑いで曇っていた。
そんな彼を見て、先に話を切り出した。
「……それなら、久しぶりに前の家、見に行こうか」
前の家は、私と亮が結婚したばかりの頃、ふたりで暮らしていた家。
ほんの少し、懐かしくなった。
亮は黙って私を見つめていた。
私が車を降りても、彼はしばらくそのまま、動けずにいた。
第4話
離婚関連の手続きが終わるまで、残り一日。
もうお互いに空気を読むようになったのか、私と亮が同じプロジェクト会議に顔をそろえることは、ほとんどなくなった。
たまにすみれが不在のときだけ、亮が突然フロアに降りてきて、会議でもほとんど発言しないまま、私のことをちらりと見ることがある。
この男が最近何を考えているのか、もう分からないし、分かろうとも思わない。
私はこっそり、少しずつ荷物をまとめて運び出し始めた。できれば彼に気付かれずに済ませたかった。
でも、やっぱり彼は気づいた。
その日の会議の後。亮が珍しく私を自分のオフィスに呼んだ。
席についた途端、彼が聞いてきた。
「最近、いろいろ荷物を運び出してるよな?全然家にも帰ってきてないし」
私はうなずいて、前から考えてあった理由を口にした。
「うん、ちょっと前の家に、しばらく住もうと思って」
亮の表情がほんの少し曇る。
「結婚式のこと、ずっと考えてるんだけど、もう一度ちゃんとやり直しても……」
私はその言葉を途中でさえぎる。
「もう、そんな時間ないから。大丈夫」
亮は驚いたような顔をした。
「そんな時間ないって、どういう意味?」
私は少し迷った。すでにサイン済みの離婚協議書を、今ここで見せてしまおうかと考えた。
でも、ちょうどいいタイミングで、すみれから電話がかかってきた。
私はその着信を見て、少し笑った。
「出ていいよ。私たちのことは、別に急がなくていいから」
亮はドアノブに手をかけて、ふと振り返った。
「明日、絶対に前の家に会いに行くから」
でも、翌日になっても、彼はやっぱり約束を守らなかった。
私は前の家のソファで、スマホを見つめていた。
カウントダウン、残り十二時間。
ふとスマホのニュースアプリが、突然ローカルニュースを知らせてきた。
新しいプロジェクトで記者会見に出るすみれ。その後ろに立つ亮。
昨日、彼がくれた約束の言葉を思い出して、自分で苦笑いするしかなかった。
もしこれが、本当に私との最後の十二時間だって知っていたら、彼は約束を守っただろうか。
守ったかもしれないし、やっぱり守らなかったかもしれない。
でも、もうその答えはどうでもよかった。
私は何時間かけて、部屋の中をもう一度片付けた。
すっかり空っぽになったこの家には、私の物なんてもうほとんど残ってない。
それでも、ここは結婚生活を始めた家だから、名残惜しい気持ちもあった。
真由に電話をかけて、事前に伝えていたけど、あらためてお別れを伝える。
それから、弁護士にも電話をした。
「離婚協議書、ひと月前に公証してあります。他に何か手続きは必要ありませんよね?」
弁護士はあっさりと答える。
「もう何もいりません」
少しだけ間があって、先方からぽつりと「おめでとうございます、朝比奈さん」
私は軽く笑って、電話を切った。
そのまま、静かな部屋で夜までじっとしていた。
カウントダウン、残り三時間。全部の荷物をまとめて、明日のフライトも手配した。
カウントダウン、残り二時間。二人で写っている写真は全部切り抜き、アルバムには私だけが残った。
カウントダウン、残り一時間。離婚協議書を丁寧にテーブルに置いた。
何かひと言残そうか迷ったけど、やめておくことにした。
スーツケースを引いて、カウントダウンがゼロになるその瞬間、玄関のドアノブに手をかける。
これで終わり。
私たちの結婚。
でも、そのとき――
外からドアが開いて、亮が飛び込んできた。
汗をかいていて、どう見ても走ってきたみたい。
息を切らしながら、それでもどこか申し訳なさそうに笑っている。
「ごめん、澪。さっき人を送ってたら、車が途中で止まっちゃって……急いできたんだけど……」
彼の声が途中で止まる。
視線の先には、私の荷物と手に持っているチケット。
「どこか行くの?」