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あの日、死ねばよかったのに
九歳の時、私は結城柊也(ゆうき とうや)を庇って爆発の衝撃波を受け、それ以来、補聴器が手放せない体になった。 彼はひどく罪悪感を抱いた...
Chương (1)
第1章
九歳の時、私は結城柊也(ゆうき とうや)を庇って爆発の衝撃波を受け、それ以来、補聴器が手放せない体になった。
彼はひどく罪悪感を抱いた。
自ら私との婚約を申し出ると、目を赤くして誓った。
「夏帆、俺が一生お前の面倒を見る」
けれど、十八歳になったあの日。
学園のマドンナに課された「試練」とやらをクリアするため。
彼はクラスメイトたちの前で、私の補聴器を乱暴に引き抜くと、嫌悪を込めた声で言い放った。
「この手足まといさん。とっくにうんざりしてるんだよ、お前には」
「マジで九歳の時、お前が助からなければよかった。そのまま死んじまえばよかったんだ」
私は、耳が完治したことを示す診断書を握りしめたまま、何も言わなかった。
家に帰ると、私は黙って大学の志望校を変更し、両親を連れて彼の実家へ婚約破棄を申し出た。
柊也。
あなたと私、もう二度と会う必要はない。
第1話
九歳の時、私は結城柊也(ゆうき とうや)を庇って爆発の衝撃波を受け、それ以来、補聴器が手放せない体になった。
彼はひどく罪悪感を抱いた。
自ら私との婚約を申し出ると、目を赤くして誓った。
「夏帆、俺が一生お前の面倒を見る」
けれど、十八歳になったあの日。
学園一の美人に課された「試練」とやらをクリアするため、彼はクラスメイトたちの前で、私の補聴器を乱暴に引き抜くと、嫌悪を込めた声で言い放った。
「足手まといさん。とっくにうんざりしてるんだよ、お前には」
「マジで九歳の時、お前が助からなければよかった。そのまま死んじまえばよかったんだ」
私は、耳が完治したことを示す診断書を握りしめたまま、何も言わなかった。
家に帰ると、私は黙って大学の志望校を変更し、両親を連れて彼の実家へ婚約破棄を申し出た。
柊也。
あなたと私、もう二度と会う必要はない。
……
「篠原夏帆(しのはら かほ)、マジで九歳の時、お前が助からなければよかった。そのまま死んじまえばよかったんだ」
柊也がその言葉を口にした瞬間、個室内の空気が一気に沸騰した。
「ヤベェ、やっぱ柊也はすげえや!」
「今度、夏帆の耳が治ったらさ、本人の耳元で直接言ってやれよ。そしたらこいつ泣くかな?あのオドオドしたぶりっ子みてえな顔、マジでウケる」
「聞かれたって別にどうってことねえだろ。障害者なんか誰もいらねえし、柊也が慈悲で可愛がってやってるだけじゃん?」
私はその場で凍りついた。
バッグの中の完治診断書を固く握りしめ、どうすればいいか分からなかった。
大学受験が終わった後、両親は私を遠方の病院へ連れて行ってくれた。
そこで耳は完治し、もう補聴器は必要なくなったのだ。
今日は、私の誕生日パーティー。
今日こそ、柊也を驚かせようと思っていた。
耳が治ったこと、もう彼の手足まといじゃなくなることを伝えたかった。
それなのに。
心を込めて準備したサプライズは、私に血塗られた真実を突きつけた。
柊也の言葉は鋭い刃となって、私の心臓に突き刺さる。
胸が締め付けられ、呼吸すらままならない。
爪が手のひらに食い込み、じりじりと痛む。
私は唇をきつく噛みしめ、柊也を見上げた。
なぜ、と問いたかった。
だが彼は私に気づいていないようだった。
手の中の白い補聴器を弄びながら、ふざけたように、だるそうに笑う。
「まあ、その辺にしとけよ」
「なんだかんだ、夏帆は小さい頃の俺の命の恩人だ。そういう話は場所をわきまえろ。本人の前で言うなよ」
その場にいた全員が、すぐに彼の意図を察した。
「了解。俺たち、口は堅いって保証するぜ」
「ちぇっ。まあ、夏帆も柊也に拾われたんだ。一生耳が聞こえねえままでも、お釣りがくるだろ」
言葉が終わると、またドッと笑いが起こる。
「はいはい、そこまで。夏帆はか弱い女の子なんだから。私みたいに、みんなと一緒にはしゃげるタイプじゃないんだし、あんまりいじめちゃダメよ」
葉山葉月(はやまはづき)が笑いながら近づいてきて、芝居がかった様子で宣言した。
「柊也。私の試練、クリアってことで」
「これで柊也が夏帆のこと、好きじゃないって信じてあげる。だから、明日、デートしよ」
柊也は口角を上げ、その瞳は今にも蜜が溢れそうなほど優しくなる。彼はかすれた声で「ああ」と応えた。
私は呆然とそれを見つめ、頭の中が真っ白になった。
世界が止まったかのようだった。
皆の嘲笑う声、囃し立てる声が耳に飛び込んできて、やがて甲高い耳鳴りへと変わっていく。
「どうした、夏帆?」
呆けているうちに、柊也はいつの間にか私の補聴器を装着し終わっていた。
彼は口元に笑みを浮かべている。
「嬉しすぎて固まっちゃったか?」
本当なら、嬉しかったはずだ。
誕生日、好きな男の子から告白されて、友達の前で結ばれる。
まるでドラマのワンシーンだ。
けれど今、私は口を開こうとしても、喉が乾ききって声が出なかった。
他の面々が、我先にと口を開く。
「未来の奥さん、さっき柊也、補聴器外した時、めちゃくちゃ甘い愛の言葉ささやいてたんすよ。俺ら、鳥肌立っちゃいました」
「ちくしょう、俺にも幼馴染がいたらなあ」
「やるじゃん、あなた」
葉月が柊也の肩を抱き、その胸を笑顔で軽く叩く。
「何回善行を積んだら、こんな可愛いお姫様をゲットできたの?」
私は黙っていた。
個室にいる全員の顔を一人ずつ見回す。
彼らは皆、笑いながら祝福したり、親指を立てて褒めたり、果ては「結婚式が楽しみだ」などと言っている。
誰一人、綻びを見せない。
その表情は、不自然なほど自然だった。
第2話
ふと、今年の大小さまざまなパーティーで、似たような瞬間が何度もあったことを思い出す。
柊也が私の補聴器を外し、優しい目つきで何かを口にする。
彼が補聴器を戻した後、周りのみんなは決まってこう言った。彼は愛をささやいていた、私を絶対に裏切らないと誓っていた、と。
もし、私の耳が治っていなかったら。
あの甘い言葉の下に隠された、ガラスの破片のような、聞くに堪えない本心を、私は永遠に知ることはなかっただろう。
「あ」と、葉月が突然声を上げた。
彼女は柊也の肩に回していた手を放し、悪びれもなく私に謝る。
「ごめんね、夏帆。私たち、仲間内ではいつもこんな感じでふざけ合ってるの。ヤキモチ妬かないでよ」
柊也が「よせ、お前。いつも男みたいにはしゃぎ回って。どこに女らしさがあんだよ」と笑い飛ばす。
そう言うと、二人は周りに誰もいないかのように、追いかけっこをしたりしてふざけ始めた。
周りの誰もが、その光景に慣れっこになっている様子だ。
私はぐっと目を閉じ、踵を返そうとした。だが、目ざとく気づいた葉月に腕を掴まれて止められる。
彼女は非難するような目で私を見た。
「みんな、夏帆に義理立てして、誕生日会に来てあげてるんじゃない。それなのに急に帰るってどういうこと?」
柊也が「ほら」と私の頭を撫で、心底困ったというように宥めてくる。
「みんながくれた誕生日プレゼント、まだ開けてもいないだろ。お姫様みたいに拗ねるなよ」
私は眉をひそめ、無意識にその手を避けた。
柊也の表情が瞬時に暗く険しくなったのを無視して、私ははっきりと彼に告げる。
「私たち、別れましょう。もう二度と連絡しないで」
そして、振り返らずに個室を出た。
帰り道、スマホに次々とメッセージが届く。
柊也は全く理解していないようだった。
【お前、また何拗ねてんだ?みんながお前のためにわざわざ集まって、誕生日祝って、プレゼントまで用意してくれたのに、ドン引きする気か?】
【葉月はただ盛り上がってただけだ。あいつはサバサバしてて、お前ら女みたいにぶりっ子したりしねえから、つい肩を組んだだけだろ?すぐに謝ってたじゃねえか】
他の友人たちも、クラスのグループで私にメンションを飛ばしてくる。
【篠原、お前、ちょっとひどすぎないか?】
【いきなりキレて帰るとか、俺たちが何か悪いことしたかよ?】
【マジで。こっちの親切心、踏みにじるのも大概にしろよ】
笑えてくる。
私は【ひどいのはどっちかしら?】とだけ冷ややかに返し、彼ら全員をブロックし、クラスのグループも退会した。
家に帰ってから、両親に事の経緯をかいつまんで話した。
唇をきつく結ぶ。
心配そうな顔で私を見つめる両親を前に、胸の奥から痛みが込み上げてきて、声が抑えきれずに震えた。
「私、もう彼のことが好きじゃない……」
「それに、彼と同じ天都の大学にも行きたくない。一緒にいたくないし、結婚もしたくない……」
母が「可哀想に」と、私の涙を優しく拭ってくれる。
「夏帆。そんなの大したことじゃないわ」
「明日、お父さんとお母さんが一緒に婚約破棄の話をしに行ってあげる。志望校も、夏帆が行きたいところならどこでも応援するから。お父さんとお母さんがついてるわ」
父は私の手を引いてリビングへ連れて行き、ケーキナイフを手に握らせた。
「ケーキ、会場に持っていく前に夏帆が帰ってきちゃったからな。ちょうどいい。家族三人で、ささやかにお祝いしよう」
「十八年前、夏帆が生まれた時、お父さんの顔はしわくちゃになるくらい笑ってたんだぞ。今日の主役が泣くな。さあ、ケーキを切って、お願い事をするんだ。な?」
私は泣き笑いを浮かべ、両親の祝福の中で願い事をし、ロウソクを吹き消した。
ケーキを切ろうとした、その時。
突然、玄関のチャイムが鳴った。
気持ちを切り替えてドアを開けると、そこには柊也が立っていた。
外はしとしとと雨が降っている。
時折、雷が轟き、白い稲妻が空を裂いていた。
柊也はずぶ濡れで、髪から水滴が滴り落ちている。だが、彼はそんなこと気にも留めない様子だった。
彼は、綺麗にラッピングされた小さなアクセサリーケースを笑顔で差し出してきた。
「ほら。お前のために、俺が心を込めて選んだ誕生日プレゼント」
「機嫌、直せよ。みんなまだ個室で夏帆のこと待ってるぞ。それに、もう簡単に別れるなんて言うなよ。な?」
ケースの中にあるダイヤモンドのブレスレットを見る。
ふと、既視感を覚えた。
今日、葉月が着けていたネックレス、あれも、確か同じブランドの製品だった気がする。
私は心を動かされず、それを受け取ろうとはしなかった。
第3話
柊也の腕は、行き場を失ったまま宙で固まっていた。
しばらくして、痺れてきた腕を下ろすと、彼は少し苛立ったように問い詰めてくる。
「お前、今日一体どうしちまったんだ?」
「さっき告白を受け入れた時は、目に涙まで浮かべてたくせに。なんで急に態度を変えるんだ?」
「夏帆。お前、自分が昔、どれだけ素直で聞き分けが良かったか、忘れたのか?」
胸が詰まる。
彼に何かを返す気にもなれなかった。
以前の私は甘い夢に浸っていた。
彼が想ってくれているのは私一人だけで、将来は一緒に天都の大学に進学し、一緒に暮らし、卒業したら順調に結婚して、子供を産んで……と。
今日、血塗られた真実が暴かれるまでは。
彼は私を愛してなどいない。
ようやく、その事実を理解した。
彼にとって私は、ただの「幼い頃に命を救ってやった手足まとい」でしかなく、その心に何の波風も立てない存在だったのだ。
私は深呼吸をして、落ち着いた声で繰り返した。
「拗ねてるんじゃない。本気で別れたいの。もう連絡してこないで」
その言葉に、柊也は突然キレた。
アクセサリーケースを地面に叩きつけ、その目には怒りが宿る。
「夏帆、お前、マジでいい加減にしろよ……」
その言葉は、途中で遮られた。
父が私を背中に庇うように前に立つ。その眉間には皺が寄っていた。
「柊也くん。言葉遣いには気をつけろ」
「雨に濡れているようだし、今日はもう帰って、熱いシャワーでも浴びて休みなさい。もう遅いから、食事に誘うわけにもいかないしな」
母が、笑顔でケーキの皿を差し出す。その笑みは、礼儀的なものだった。
「お願い事は、もう夏帆が済ませましたから。プレゼントも、もう必要ありません。このケーキ、よかったら持って帰って食べてちょうだい」
「早くお帰りなさい。男の子でも、夜道には気をつけないと」
柊也はしばらく呆然としていた。
その理由は私にもおおよそ察しがついた。
これまで彼が家に来た時、両親はいつも熱烈に歓迎していた。
門前払いなど、一度もされたことがなかったのだ。
彼は、今日の両親の態度の急変が全く理解できないという顔で、何か言おうと口を開きかけた。
だが、その言葉が発せられる前に。
「バタン」という音と共に、玄関のドアが彼の目の前で無情にも閉められた。
彼は、見事に門前払いを食らったのだった。
私にはとても食欲などなかった。
ケーキを少し無理やり口に押し込むと、寝室に戻って休むことにした。
母が心配そうに、ベッドの端に腰掛けて尋ねてくる。
「夏帆。本当に、もう決めたの?」
父と娘では、少し踏み込みにくい話もある。
だが母は、この世界で誰よりも私を理解し、心配してくれている人だ。
そして、私がどれほど柊也を想っていたかも知っている。
母は私がどれだけ彼を好きだったか、痛いほどわかっているのだ。
私は手の中にある白い補聴器を見つめた。
突然、何を言えばいいのか分からなくなった。
ただ、人はどうしてこうも変わってしまうのだろうと、そんな感慨だけが胸に渦巻いていた。
幼い頃、この高級住宅街に引っ越してきた時から、私は柊也のあとを「お兄ちゃん」と呼んでついて回っていた。
両家の仲は良く、仕事上の付き合いもあった。
あの日、両家は一緒に郊外の工場を訪れた。そこで、まさか爆発事故が起こるなんて、誰も想像していなかった。
私は両親から教わっていた避難の知識を必死に思い出して、外に脱出した。
だが、柊也が火の中に閉じ込められてしまった。
目の前で勢いを増す炎と、その場で動けなくなり、炎に飲み込まれそうになっている彼の姿が見えた。
その瞬間、どこからそんな力が出たのか。
誰も反応できない一瞬の隙に、私は炎の中に飛び込み、柊也の手を引いて外へと走った。
あと一歩で、外に出られる。
その時だった。
工場が再び爆発を起こし、私はその衝撃をまともに受けて、意識を失った。
次に目覚めた時、私の耳はもう、何も聞こえなくなっていた。
両親は重苦しい空気をまとい、柊也の両親は何か言いたげに口ごもっていた。
私はといえば、ただベッドの上で虚ろに横たわり、誰とも話したくない、関わりたくないと、心を閉ざしていた。
柊也はきっぱりと学校を休んだ。
彼は、次から次へと美味しそうなお菓子を持ってきたが、私の心は動かなかった。
彼は病院の空気が息苦しいからだと思ったらしい。
ある日、私をこっそり病院から連れ出すと、店に連れて行き、この白い補聴器をあつらえてくれた。
この稲と小魚の模様も、彼が自ら描いてくれたものだ。
自分だってまだ子供のくせに、彼はぎこちない手つきで私に補聴器を着けると、真剣な顔で約束してくれた。
「夏帆。これからは、俺がお前を守る」
「先生が言ってたんだ。稲っていうのは、すごく強くて、踏まれてもまっすぐ育つんだって。夏帆も、きっとこの稲みたいに元気になる」
第4話
「魚の記憶は七秒しかないって言うけど、俺は違う。俺が、夏帆っていうお姫様を、永遠に守ってやる」
幼い頃の誓いを、覚えていたのは私だけだった。
もし九歳の私が、十八歳の柊也が放った「お前が助からなければよかった。そのまま死んじまえばよかったんだ」という言葉を聞いたら、きっとショックで泣き崩れていただろう。
だが、この数年間、耳が不自由なせいで陰口を叩かれた経験は一度や二度だけではない。
私は柊也の態度の変化を、あっさりと受け入れた。
人は、いつか大人になる。
あの日、私が彼の命を救ったことで、結城家は負い目を感じていた。
この数年、取引で五割近い利益をうちの会社に譲ってくれている。
それだけでも、十分すぎる誠意だ。
結局のところ、私たちはお互い、貸し借りのない関係になったのだ。
そして私は、自分自身が「誰かの付属品」ではなく、他人に依存せずとも生きていける、一人の人間であると固く信じている。
だから、私は母の顔を見上げ、きっぱりと言った。
「もう、決めたから」
私は母に付き添ってもらい、志望校を変更した。
天都から、K市へ。
その夜は眠れないかと思ったが、意外にもぐっすりと眠れた、昼過ぎまで。
私は眠い目をこすり、無意識にスマホを手に取った。
すると、ラインからボイスメッセージが三件届いていた。
柊也の裏アカウントからだった。
スピーカーから流れてきた彼の声は、どこか冷たさを帯びていた。
「夏帆、ふざけるのはもう十分だろ。いい加減ブロックを解除しろ。何歳だと思ってんだ、そんなガキみたいな真似して」
「昨日、お前が急に帰ったせいで、葉月がどれだけ自分を責めたか知ってるか。どう償えばいいか分からないって、屋上から飛び降りようとしたんだぞ。俺が必死で止めたからよかったものの」
「夏休みはまだ時間がある。あいつや他の連中と、白嶺市(はくれいし)にでもスキー旅行に行って、気分転換させてやるつもりだ。お前、ヤキモチ妬くなよ。あいつが自殺騒ぎを起こしたのには、お前のせいでもあるんだからな」
あまりの厚顔無恥な物言いに、笑えてくる。
葉山葉月が、本気で死ぬ覚悟なんてあるはずがない。
学生時代、彼女はいつも「私は女の中の女」で「男勝りの姐御」だと自称していた。
ぶりっ子したり、すっぴん風メイクをしたり、高嶺の花を気取ったりする女とは違うのだと。
だが、その実、彼女ほど手管を弄する女を私は見たことがない。
例えば四ヶ月前、親友の林田詩織(はやしだしおり)の誕生日パーティーの時のこと。
詩織はこの日のために、ドレスを選び、メイクもばっちり決めて、いい写真を撮ろうと意気込んでいた。
だた一人、葉月を除いては。
彼女は個室に入るなり、大声で詩織をからかい始めた。
「詩織ってスタイル良いよね。もしかして、もう男と寝た?」
「恥ずかしがんなって。みんな仲間だろ?言えないことなんてねーじゃん」
詩織が悔しさで泣き出すと、彼女はすぐに降参のポーズを取ってみせた。
だが、その次には逆ギレだ。
「は?なに?女ってそんな簡単に泣くわけ?冗談も通じないの?」
「はいはい、私が悪うございました。だから女とつるむの嫌なんだよ。いちいち面倒くさい」
またある時は、皆が大学受験の追い込みで死にそうな顔をしていた時。
彼女はニヤニヤしながら皆の疲れきった顔を無断で撮影し、スタンプ代わりに加工して、学校の裏サイトに一斉にばら撒いた。
ご丁寧に【三年二組のクラスのアイドルたち。早い者勝ちだよ】というコメントまで添えて。
この一件は、クラス全員で担任に抗議し、ようやく彼女も大人しくなった。
それに、私は二年も前から知っていた。
彼女が「サークルマネージャー」の名目でバスケ部に入ったのが、柊也に近づくためだったことを。
ただ、当時は彼女を全く相手にしていなかった。
あの頃は自信過剰で、私に属するものが、そう易々と他人に奪われるはずがないと思い込んでいた。
今、こうして本当に奪われたとしても、もういい。
人を見る目がなかった、幼い頃に恩知らずを助けてしまった。それだけのことだ。
「夏帆、お前に少しでも良心があるなら、こっちに来て皆に謝れ。特に葉月に……」
柊也からのメッセージが、立て続けに飛び込んでくる。
私はそのボイスメッセージを最後まで聞くこともなく、彼の裏アカウントもブロックして削除した。
ドアの外から、母が私を呼ぶ声がする。
冬服を買いに行くという。
「K市の冬は冷えるらしいから。お母さんが、厚手の服を何枚か見立ててあげるわ」
私は「うん」と頷いた。
だが、ショッピングモールの二階で服を買い終え、帰ろうとした、その時。
私たちは、偶然にも柊也たち一行と鉢合わせてしまった。
七、八人の男たちに囲まれ、黒いミニスカートを履いた葉月の姿は、ひときわ目を引いた。
彼女は目ざとく私を見つけると、ゆっくりと歩み寄り、馴れ馴れしく私の腕を組んだ。
「夏帆、奇遇だね」
第5話
「昨日は本当にごめんなさい……まさか夏帆がそんなに本気で怒るなんて思わなくて。私はただ、柊也とは弟みたいに仲良くしてただけで……」
葉月は、そこにない涙を拭う仕草をする。
「結局、私のせいで……私がもっとちゃんとしてれば、夏帆は……おばさま、私が屋上から飛び降りようとしちゃったのは、本当に罪悪感で……だから、どうか夏帆を責めないでください」
「もう、お芝居は終わりました?」
母が葉月の言葉を遮る。
その口元には、あからさまな皮肉が浮かんでいた。
「最近の若い子って、本当にろくなことを覚えないんですね。いつもいつも『私、男友達しかいないから』だの、そういうわざとらしい演技ばっかり」
「うちの夏帆があなたに何も言わないのは、あの子が私たちにちゃんと『分をわきまえる』ように育てられましたからよ。みっともなく人を罵ったりしないだけです。でも、本当にあなたの両親に会いたいですね。どういう教育をしたら、そうやって平気で男の子の集団に混ざり込めるのかしら?」
「『男女の別』って言葉、知らないんですか?親が教えないなら、私が教えてあげますよ」
「あなたみたいな子のこと、ネットで何て言うか知っています?ああ、そうそう。『自称サバサバ女』ってやつですよ」
思わず吹き出してしまった。
私もすぐに彼女を突き放す。
「あなた、汗臭いわ。馴れ馴れしく触らないでくれる?」
葉月が全身を硬直させた。
母の言葉の意味を理解したのか、彼女の目はみるみるうちに赤くなり、どうしていいか分からないといった様子で立ち尽くす。
大村(おおむら)という男子が、すぐに彼女を庇って声を荒げた。
「おばさん、いくらなんでも失礼じゃないすか!葉月は、あんたの娘のせいで飛び降りそうになったんすよ!」
私は彼を一瞥した。
昨日、あのセリフを吐いたのはこいつだ。
「障害者なんか誰もいらねえし、柊也が慈悲で可愛がってやってるだけじゃん?」
強烈な吐き気が込み上げてくる。
「夏帆、俺……」
柊也が、いつものように私の手を掴もうと、無意識に一歩近づいた。
「柊也……」
葉月のか細い声が響く。
その声と、真っ赤に腫れた目元に気づき、柊也の足は止まった。
彼は私に近づくのをやめ、葉月にティッシュを差し出して涙を拭いてやる。
「おばさん、さすがに言い過ぎですよ」
その声には、我慢できないといった響きがあった。
「葉月はわざとやったわけじゃなくて、これは、夏帆が勝手に拗ねたのが原因で、そのせいで葉月は自殺未遂までしたんですよ」
「葉月はまだ十九で、高校を卒業したばかりの……」
「十九歳?」
母は眉をひそめたが、すぐにふっと笑った。
「あの子が十九で『まだ若い』ですって?でも、うちの夏帆はまだ十八なんですよ」
「二人とも、人生で一番輝いている時期です。それなのに、うちの娘は何もしていないのに、どうしてあなたたちの口にかかると『人を殺しかけた極悪人』みたいに言われなきゃならないのですか?」
「柊也くん。おばさん、あなたが昔、夏帆と楽しそうに遊んでいた姿をまだ覚えています。この子を一生守るって、誓ってくれた姿もね。あなたは変わりすぎました。おばさん、あなたには本当にがっかりしてしまいます」
柊也は、ぐっと言葉に詰まった。
葉月の涙を拭う手も、どこか上の空だ。
後ろにいた仲間たちも、反論の言葉が見つからないのか、誰も口を開かなかった。
馬鹿馬しくなって、母の手を引いてその場を去ろうとした。
だが、不意に柊也に手首を掴まれた。
彼は、私たちが持っていたショッピングバッグの中身……冬物の服に目を落とす。
「天都で、そんな分厚い服は……」
言いかけて、何かに思い至ったようだ。
彼の目がぱっと輝き、私の手首を掴む力も、少し強くなった。
「なんだ。お前、俺をブロックしたり、拗ねたりしてたの、全部わざとだったのか」
「この服……俺たちと白嶺市にスキーに行くためだろ?」
彼は勝手にそう結論付け、抑えきれないといった様子で口角を上げる。
「もう、拗ねんなよ。後でチケット予約しとく。明日の朝十時の便だ。一緒に行くぞ」
「勘違いしないで!」
私は彼の手を振りほどき、その馬鹿げた幻想を無慈悲に断ち切った。
「あなたたちと白嶺市なんかに行かない。私が行くのは、K市よ。それと……」
「私の耳は、とっくに治ってるの」
柊也の顔から、得意げな笑みが消え失せた。