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団欒しても過去に戻れない
三井瑠火(みつい るか)は、自分を死ぬほど愛してくれた佐川幸祈(さがわ たつき)が、産後の静養中に浮気するなんて夢にも思わなかった。 子...
Chương (1)
第1章
三井瑠火(みつい るか)は、自分を死ぬほど愛してくれた佐川幸祈(さがわ たつき)が、産後の静養中に浮気するなんて夢にも思わなかった。
子どもが目を開けて彼女に向かって笑ったのを見つけたとき、瑠火は胸いっぱいの期待を抱き、子どもを抱えながら、この喜びを幸祈と分かち合おうと会いに行った。
しかし馴染みのVIPルームに着き、ドアノブに手をかけた瞬間、中から親密で艶めいた声が聞こえてきた。
「幸祈さん、気持ちいい?」
「お尻をもう少し上げて」
第1話
三井瑠火(みつい るか)は、自分を死ぬほど愛してくれた彼が、産後の静養中に浮気するなんて夢にも思わなかった。
子どもが目を開けて彼女に向かって笑ったのを見つけたとき、瑠火は胸いっぱいの期待を抱き、子どもを抱えながら、この喜びを佐川幸祈(さがわ たつき)と分かち合おうと会いに行った。
しかし馴染みのVIPルームに着き、ドアノブに手をかけた瞬間、中から親密で艶めいた声が聞こえてきた。
「幸祈さん、気持ちいい?」
「お尻をもう少し上げて」
この聞き慣れた声に瑠火はその場で固まり、ドアノブに置いた手が小さく震えた。
幸祈はどうしてこんなことができるの?
私はまだ産後間もないというのに!
「幸祈、この女、悪くないだろ?もっといい子も紹介できるよ。夜に段取りしてやるから!」
聞き覚えのある男の声がした。
瑠火は目を見開いた。それが幸祈の親友の声だとすぐわかったからだ。
まさか彼らがこんな派手な遊び方をしていたとは?
「今夜は瑠火の世話をしなきゃいけないから行かないよ」
「あーあ、瑠火さんは産後なんだし、もうたくさんの人を付けてあるんだろ?毎日付きっきりなんていらないって。たまにはリラックスしろよ。
言っとくけど、今夜は新しい子たちが来るんだ。誰にも触られてないぞ。
幸祈は前から瑠火さんを愛しすぎなんだよ。全然遊びに出てこないし。瑠火さんが出産しなかったら、いつ外に出てくることやら」
瑠火は涙を目にため、口を押さえながら震えている。
彼女が腕の中の子どもを見ると、パチパチと瞬きをしながらとてもお利口に彼女を見つめている。
その次の瞬間、幸祈の低くかすれた声が耳に届いた。
「瑠火が眠ったら出るよ。あとは瑠火を家に連れて帰ったら、俺を探すなよ。俺が彼女と一緒になるため、どれだけ大変だったか、お前も分かってるだろ。
この人生で、妻として認めるのは彼女だけだ」
「はいはい、もうお前には敵わないよ」
瑠火は呆然としたまま、子どもを抱いて部屋に戻った。そして、ベッドに座り込んで、頭の中が真っ白になった。
子どもの声で、ようやく彼女の意識は少しずつ戻ってきた。
そして次の瞬間、涙が堰を切ったように溢れ出した。
彼女と幸祈が一緒になるのは確かに容易ではなかった。
幸祈が告白してきたあの年、彼女と母はちょうどDV男の父から逃げ出したばかりだったが、暴力は終わらなかった。愚かな母も何度も父を信じてしまったのだ。
瑠火は幸祈が裕福で、周りに美しい女性が絶えないことを知っていた。
恋愛や結婚に怯えていた彼女は、彼の告白をきっぱりと断った。
しかし幸祈は諦めず、紳士的で決して迷惑をかけず、手助けも陰でそっと行うだけだった。
そんな日々が一年ほど続いた。
瑠火がそろそろ彼も諦めるだろうと思っていた頃、彼女の母が愚かにも住所を漏らし、酒に酔って狂った父が包丁を持って押しかけてきた。
彼女の母も異変に気づき、父に彼女を放してくれと懇願した。
だが、父が言うことなど聞くはずもない。
返って暴力をエスカレートさせるだけだった。
瑠火は必死に冷静を装いながら警察を呼び、それが父を激怒させた。
その瞬間、幸祈が現れ、彼女を守るために父と取っ組み合いになり、刺されてしまった。
幸い、警察が間に合って、父を連行した。張り詰めていた瑠火はついに泣き出した。
幸祈は汚れていない方の手でそっと彼女の顔に触れ、微笑みながら慰めた。
「俺がお前を守れないと思ってるんだろ?ほら、ちゃんと守れたんだろ」
その時、彼女は血まみれの幸祈を抱きしめ、彼とだけこの人生を歩んでいきたいと心の中で思った。
だが現実は、そんな彼女を無情に裏切った。
瑠火は涙を拭い、腕の中で自分の指を楽しそうにいじっている娘を見つめた。
彼女は身をかがめて愛らしい娘の額にそっとキスを落とした。
「いい子ね、ママと一緒にここを出ましょう」
彼女はスマホを取り出し、ある番号を押した。
「大村(おおむら)さん、離婚協議書を作ってください」
そのあとすぐ、以前オファーをくれた海外企業にメールを返信した。
瑠火はかなり前から海外の大企業数社からオファーを受け取っていたが、幸祈が彼女に離れてほしくないと言うので残っていたのだ。
離婚手続きに一ヶ月かかることは分かっていた。彼女は航空券を予約し、その一ヶ月のあいだに必要なことをすべて片づけるつもりでいた。
あの日の幸祈がもう存在しないのなら、彼女ももう愛さない。
第2話
部屋のドアが開いた。
幸祈は、涙を浮かべながら娘をあやしている彼女を見ると、途端に緊張した。
「どうした?どこか具合悪い?すぐに医者を呼ぶよ」
「違うの、団子(だんこ)がこんなにお利口で可愛いから、嬉しくなっただけ」
瑠火は首を振り、彼の瞳に浮かぶ心配を見て胸が痛んだ。
どうして彼はこんなに演技が上手いんだろう?
ついさっき浮気していたくせに、どうしてこんなに自分を心配している顔ができるのだろう?
口では「愛してる。お前じゃなきゃダメだ。お前なしでは生きていけない」と言いながら、実際には他の女を抱いていた。
「どうして団子を抱いてきたの?ほら、俺に貸して。疲れるだろ」
幸祈は娘を受け取り、横であやし始めた。
瑠火がその手慣れた動きを見つめると、妊娠中に彼がわざわざ育児の勉強をしていたことを思い出した。
団子は彼の腕の中で笑い声を上げていた。そんな光景を彼女は何度も思い描いていた。
だが今目にしているのは、ただの皮肉だった。
「ほら、団子、すごく可愛く笑ってるぞ。きっと将来は明るい子になるなあ。
栄養食を用意させたよ。団子をベビールームに連れていくから、お前は先に食べて。団子が寝たら、また足をマッサージしてあげる」
彼は手慣れた様子でドアを開け、団子をベビールームに連れて行った。それは、夜に彼女の眠りを邪魔しないためだ。
栄養食はすぐに届けられた。
団子を寝かしつけたあと、幸祈は戻ってきた。
たとえ、世話係がたくさんいても、彼は常に自分でやろうとし、わからないことは学んでいた。
それは彼がかつて言っていたからだ。
「うちの瑠火は他人に触られるのが嫌いだろ。俺が覚えれば、辛い思いをさせずに済む」
栄養食を口にする瑠火を前に、彼はベッドの端に座り、慎重に彼女の脚を揉んだ。
「ここ数日、少しは楽になった?まだ痙攣したりする?本当に大変だよな」
「もう大丈夫」
瑠火はスープを飲んで首を振った。
食後、幸祈はボディクリームを塗ったりマッサージをしたりして、とにかく細やかに世話を続けた。
瑠火は思った。あの言葉は嘘だったのか?自分が聞き間違えたのか?
幸祈はこんなにも自分を愛してくれているのに、本当にそんなことをするだろうか?
突然、幸祈のスマホが震えた。瑠火はこっそり彼を見たが、彼はボディクリームを塗るのに集中していてスマホを気にしていない。
しかし震動は再び鳴り、何度も続いた。
幸祈は眉を軽く寄せた。
「こんな夜中に、誰だ?空気読めないな」
「見てみたら?急ぎかもしれないし」
瑠火は淡々と言った。
「誰の用事よりもお前が大事だ。気にしなくていい。ほら、横になって」
幸祈は彼女を抱き寄せ、いつものように寝かしつけようとした。
彼女が眠ったと確信したのか、彼はスマホを取り上げて部屋を出ようとした。
彼はボイスメッセージを見て、音量を最小に設定した。
「幸祈、最高の子を二人確保してある。めっちゃ従順。場所送るから、来ればいいだけ」
幸祈は短く「わかった」と返信し、瑠火を一度見ると、上着を持って部屋を出ていった。
静まり返った部屋で、瑠火は布団を握りしめ、少しずつ体を丸めた。
彼女は肩を震わせながら、唇を噛み締め、声を押し殺して必死に涙をこらえた。
一ヶ月後には、すべて終わる。
第3話
翌朝、瑠火は、外の騒がしい声に起こされた。
「つまりこんなに騒いでたのに、生まれたのは女の子だけ?」
幸祈の母である佐川裕子(さがわ ゆうこ)の声は刺々しく鋭かった。
「母さん、言い方に気をつけて。それは瑠火が十ヶ月お腹で育てて産んだ子だ。男の子でも女の子でも、俺たちの宝だよ」
「佐川家にはあなた一人しか跡継ぎがいないのよ。女の子産んでどうするの?あんな家柄の子、最初から気に入らなかったんだから!」
「いい加減にしてください!そんなに瑠火が嫌なら、俺たちは二度と佐川家には戻らないぞ!」
廊下は急に静かになった。
瑠火は天井をぼんやり見つめながら、感情が麻痺したように横たわっている。
この結婚は、佐川家にずっと反対されてきた。特に裕子は瑠火を激しく嫌っていた。
だから、団子が佐川家に行けばどう扱われるか、彼女には分かりきっている。
彼女自身は辛い思いに耐えられても、団子には絶対に同じ思いをさせられない。
一通り身支度を整えた後、彼女は団子を連れて家に戻ることを決めた。
ついでに幸祈が贈ってくれたアクセサリーも整理して売却するつもりだ。
彼女は愚かではない。
子どもを育てるには多額のお金が必要だ。どれだけ能力があっても、一人で育てるのは大変なのだ。
だからこそ、それらを全部お金に換える必要があった。
幸祈が会社に戻った隙に、瑠火はアクセサリーを友人に託して売ってもらった。何点かはその友人が気に入り、直接受け取りに来た。
ちょうどその時、幸祈が帰ってきた。
「瑠火、そのネックレス、すごく気に入ってたんじゃないか?」
「もう好きじゃなくなったの」
瑠火は淡々と答えた。
幸祈は気にした様子もなかった。
「好きじゃないなら新しいのを買おう。俺の瑠火は一番いいものだけ持ってればいいんだ」
「一番いいものって何?」
瑠火は突然たずねた。
「お前にあげるものは全部一番いいものだよ」
「じゃあ、もっといいものが出てきたら?」
「買うさ」
「つまり、もっといい人が現れたら、その時は替えてしまえばいいってこと?」
瑠火はくすりと笑い、まるで冗談のように、最も胸を痛めさせる事実を口にした。
幸祈の体がびくりと震え、彼女を抱く腕に力が入った。
「何言ってるんだよ。俺にはお前しかいない。お前が一番なんだ。瑠火がいないと駄目なんだ」
彼は哀れっぽい声で、周囲の目も気にせず、瑠火の肩に顔を埋めて悲しそうに言った。
「俺がどれだけお前を愛してるか知ってるだろ。お前がいなくなったら、生きてる意味なんてない。
瑠火、百回聞かれても答えは同じ。愛してる、お前なしじゃ生きられない」
瑠火は涙をこらえようと顔を上げた。こんな嘘がすらすら出てくるなんて、彼は天性の俳優なのかと疑うほどだった。
こんな甘い言葉を、彼は何人の女性にささやいたのだろう?
そう思った瞬間、瑠火の胸の奥が気持ち悪くなった。
「そうだわ、この書類にサインしてくれる?団子名義の不動産の件よ」
瑠火は弁護士に用意させた離婚協議書のサインのページだけを抜き取り、彼に渡した。
幸祈は彼女を信頼しているため、中身など見るはずもなく、すぐに署名した。
そのサインを見つめながら、瑠火は胸が痛むと同時に、どこかほっとした自分もいた。
「社長、頼まれていたものをお届けしました」
突然背後から声がした。黒いスーツにタイトスカートを合わせ、さらに黒いストッキングを履いた女性が近づいてきた。
「奥様、こんにちは」
その声を聞いた瞬間、瑠火は動きを止めた。昨日聞いた声とまったく同じだったからだ。
つまり、昨日の女は幸祈の秘書である唐沢鮎美(からざわ あゆみ)だった。
瑠火は鮎美と関わることは少なかったが、それでも彼女のことは信頼していた。
鮎美の家庭環境が良くなく、努力して今の立場についたと聞いていたからだ。
当初、瑠火は鮎美と二度接触したことがあった。一度目は給湯室で、鮎美が泣いていたとき、彼女は親切心でティッシュを差し出した。
鮎美もどうしようもなかったのか、瑠火に家の事情を打ち明けた。瑠火は鮎美にお金を振り込み、家の問題を片付けさせた。
鮎美は後日、お礼と返済の意思を伝えに来たが、瑠火は受け取らなかった。
誰にでも助けが必要な時がある。瑠火自身もかつてそう願っていたからだ。
だが現実はどうだったのか?
かつて助けた相手が、自分の夫と関係を持っていたのだ。
第4話
「瑠火、お前が想像もできないものを用意したんだ!」
幸祈は瑠火の表情の変化に全く気づかず、鮎美が持ってきた箱を受け取って瑠火の前に置いた。
「これは世界に一本だけのアメジストのネックレス、真の愛っていうんだ。
俺のお前への愛と同じだよ」
ネックレスは独特の光を放ち、まるで主役がこれだと言わんばかりだ。
「そうなんですよ。このネックレスはとても高価です。社長、本当に心がこもってますね」
隣で鮎美が合わせるように言った。
幸祈はネックレスを取り上げ、丁寧に彼女の首にかけた。その姿に見惚れたように言った。
「瑠火、本当に綺麗だ。このネックレスはお前にしか似合わない」
瑠火はそのネックレスに触れた。冷たくて、何の感情もなかった。
そのとき、二階から娘の泣き声が聞こえ、皆がそちらを見た。
幸祈が二階へ行こうとした瞬間、瑠火は彼の手をつかんだ。
「団子はお腹すいたんだと思う。私が行くわ」
幸祈は彼女の額にキスを落とした。
「いつもありがとう。お疲れ様」
瑠火は二階へ行き、赤ん坊をあやした。
あやし終えて、瑠火が水を飲みに階下へ向かった時、階段の角から声が聞こえた。彼女はそっと近づいた。
一瞬のうちに、彼女は力が抜けたかのように壁にもたれ、目の前の光景を虚ろな表情で見つめた。
階段の角には、服をきちんと着たままの幸祈が、鮎美を抱きしめながら密着している。鮎美の黒ストッキングの足は宙で揺れ、胸元のボタンは幸祈の手で外された。
「幸祈さん、あとで奥様に聞かれたらどうしますか?」
「団子はそんなに早く寝ない」
「やっぱり私の身体のほうが好きなんでしょ?知ってますよ。奥様は乳臭い匂いがしますし、私のほうが体型もいいんでしょ?」
幸祈は必死に腰を動かしながら、その問いに答えようともしなかった。
「今日は中に出してもいいですよ」
「ふん、瑠火と一緒にするな。お前はただ、彼女より少し淫らなだけだ」
そんな卑猥で下品な言葉を、二人は何の遠慮もなく吐き続け、動きはどんどん激しくなっていった。
瑠火はそれを見ていられず、ゆっくりと顔を背け、その場から逃げるように団子の部屋へ戻った。
彼女は団子のベッドのそばに膝をつき、眠っている団子を見つめながら、崩れ落ちそうなほど泣いた。
瑠火は幸祈を諦める覚悟はできていたと思っていた。彼がどれだけ酷いことをしても、もう傷つかないと思っていた。
だが、実際に幸祈と鮎美が絡み合う姿を見た瞬間、心臓が止まりそうになった。
幸祈と鮎美は瑠火の家の中でそれをしている。
しかも、誰が通ってもおかしくない階段の角でやっている。彼らはそれほどまでに、もう抑えられないのか。
団子はまるで母の気持ちを感じ取ったかのように突然目を覚ますと、小さな手を空中で動かして、涙を拭ってあげようとしているようだ。
瑠火は泣きながら笑った。
「大丈夫よ。ママにはあなたがいる。もうすぐ一緒にここを離れるからね」
第5話
幸祈の出張は、瑠火にとってすべてを片付けるための完璧な猶予を与えてくれた。
彼女は屋根裏部屋に座り、目の前にはいくつもの大きな箱が並んでいる。
他のものを整理するのには数時間しかかからなかったが、この大きな箱たちに手をつけるまでには二日間も迷った。
これらはすべて、幸祈が彼女に贈った物だ。
大学時代から今まで、一度も途切れたことがなかった。
瑠火は手作りが好きで、幸祈はいつも隣で付き合い、二人で静かに一日中作業することもあった。幸祈は毎回、彼女に才能があると褒めてくれた。
「瑠火が作ったものは、全部額に入れて飾るよ」
それは当時、幸祈が口にした言葉で、瑠火は今でもはっきり覚えている。
実際に幸祈はそうしていた。ぬいぐるみや風鈴、手紙、二人で折った折り鶴や星飾りなどをまとめて額に入れ、大切に飾った。
もちろん高価な物もたくさんあったが、それらはすべて彼女が売ってしまった。
瑠火はそれらに囲まれて座り、涙がそのまま零れ落ちるのを止めなかった。
どうしてあの頃、一生愛すると言った幸祈が、突然変わってしまったのだろう?
これはたしかに、彼がかつて愛してくれた証拠だ。
彼女は一通のラブレターを手に取る。上の文字は初々しく、なんとも可愛らしい。
二十歳そこそこの男は、恋人を喜ばせようと、そのラブレターを何度も丁寧に書き直していた。
瑠火は深呼吸すると、涙を拭き、最後にそれらをすべて箱の中へ入れた。
そして人に頼んで、その箱を裏庭の空き地へ運ばせた。
彼女は空の油缶を一つ持ってくると、「自分の青春」に火をつけ、それを中へ落とした。
瑠火は思った。自分が愛したのは二十歳の幸祈だ。あの頃の幸祈は純粋で眩しかった。
これらはその幸祈がくれたものだ。その幸祈がもういないのなら、物も残す必要はない。
突然帰ってきた幸祈は、大切な物を失ったように焦り、裏庭の瑠火を見つけた。
「瑠火、どうして俺があげた『真の愛』を売ったの?」
燃え盛る油缶を見て、彼はその場で固まった。
「何してるんだ?」
瑠火は少し驚いた。幸祈がこんなに早く気づくとは思わなかったが、彼女はまったく気まずさを感じていなかった。
「要らない物を燃やしてるだけ。ネックレスは、私がもう好きじゃないから」
幸祈の目が一瞬で赤くなり、駆け寄って彼女を抱きしめた。
「好きじゃないなら言ってよ。突然売られたら、もう俺をいらないのかと思うだろ」
瑠火は彼の体から、強い香水の匂いを嗅いだ。幸祈は香水を使わない。その香りが誰のものかは明らかだ。
彼女は吐き気がして、彼を突き放そうとした。
しかし動くより先に、幸祈はさらに強く抱きしめてきた。
「瑠火、もし俺が何か悪いことをしたなら言ってほしい。お願いだ。お前がいなくならなければ……
ネックレスが気に入らないなら買い替えればいい。物が嫌なら捨ててもいい。お前さえいなくならなければ……
俺も団子も、お前がいないとダメなんだ。お前が離れるのが怖いんだ……」
もしかすると、この件が本当に彼を怖がらせたのかもしれない。幸祈は彼女を抱きしめるとき、わずかに震えていた。
だが瑠火は、もうその言葉を信じなかった。
彼女の愚かな母も、彼女の父が変わると信じて、何度も彼女を連れてあの恐ろしい家に戻った。
結果どうなった?彼女の父は包丁を持ち、二人を殺そうとした。
どうして人は信頼を築こうとする一方で、それを壊し、さらにまた信じろと言うのだろう。
あまりにも皮肉だ。
瑠火は平静で淡々と、目の前の油缶の火が少しずつ消えていくのを見つめた。それはまるで、彼女の瞳の中の光がゆっくりと消えゆくかのようだ。
「どうしたの?どうしてそんなに怯えるの?私は、あの物が好きじゃないって言っただけよ。あなた……まるで、本当に何か後ろめたいことをしたみたいじゃない?」
幸祈ははっきりと体を震わせ、次の瞬間また強く抱きしめた。
「俺は絶対にお前を裏切るようなことはしない」
「もししたら?」
瑠火の目には嘲りの光がよぎった。
「そしたら、俺を罰すればいい。生まれ変わっても、お前に二度と会えない罰を……!」
瑠火は何も言わず、ただ静かに笑った。
もうすぐだ。
彼女はもうすぐ、娘を連れて消えるのだ。
第6話
瑠火の最近の異変に気づいたのか、幸祈はここ数日家に留まり、瑠火と団子のそばにいた。
まるで全身全霊で夫と父を演じているかのようだった。
「はい、赴任できます」
瑠火は自分の計画表を見ながら、海外の相手に返信した。
「私には新しい身分が必要です。月末の航空券ですから、できるだけ早くお願いします」
「何の航空券?」
突然ドアが開いた。幸祈が栄養スープを持って、ゆっくり歩み寄ってきた。
彼はカレンダーの二十九日に引かれた丸を見て、眉をわずかに寄せた。
「あの遠い親戚の従妹が留学に行くでしょう?今月末で、彼女のチケットを取ってあげたの」
瑠火は全くスキを見せずに話した。
それを聞くと、幸祈は安心し、そのまま彼女に栄養スープを食べさせた。
すぐに、彼のスマホが鳴った。
メッセージをちらっと読んだ幸祈は、数秒間立ち止まり、お碗を置いた。
「瑠火、ちょっとメッセージ読むね」
瑠火は静かに栄養スープを口に運び、幸祈の目に欲望が濃くなっていくのを見ている。
次の瞬間、二人の視線がぶつかると、幸祈の心臓が一拍遅れたように見えた。
「瑠火……」
「会社の用事?ここ数日行ってなかったでしょう。行ってきていいわよ」
その言葉を聞いた瞬間、幸祈の目が輝いた。
「瑠火は本当に気が利くね。夜は残業になるかもだから、待たなくていいよ」
「わかった」
瑠火は自分の感情を言葉にできず、どこか麻痺しているように感じた。
幸祈は着替えて出かけていった。
瑠火はただ静かに彼の後ろをついて行った。そして、彼が待ちきれない様子で鍵を取り出し、車を出すのを見つめている。
彼を尾行するのが瑠火の目的ではなかった。
おそらく、心の奥に残る最後の執着が、彼女に確かめさせたかったのだろう。この嘘ばかりつく男が、一度でも約束を守るだろうか。
車は郊外の別荘へ入っていった。中は明々と灯りがついている。
瑠火の目の前で、幸祈は小柄な女を抱き上げ、家の中へ入っていった。
もしかすると、しばらくそういうことから遠ざかっていたせいで、二人は歩きながら絡み合っていた。
その女を瑠火は知らない。知りたいとも思わない。
彼女は自嘲気味に笑い、自分が滑稽に思えてきた。
その瞬間、スマホが二度震えた。見知らぬ番号から動画が届いた。
続いて一つのメッセージだ。
【自分が唯一だなんて思わないで。彼はベッドにいる女だけを愛するのよ。私とあなたの違いは、私には他の女と彼が絡むのを我慢できる強さがあるってこと】
瑠火は震える指で動画を開いた。
動画の中では、幸祈と鮎美が絡み合い、離れがたく抱き合っている。
瑠火は自分を傷つけるように、最後まで動画を見た。
「私、妊娠したの。男の子よ。幸祈さん、あなたが他の女といてもいい。ずっと影の存在でも構わないわ。ただ離れないで」
「言うことを聞けばいい。まずは子を産め」
「幸祈さん、大好き」
動画が終わった。瑠火の心は何度も切り裂かれるように痛んだ。
彼女は胸を押さえ、椅子にもたれて声もなく泣いた。
「俺も団子も、お前がいないとダメなんだ」という幸祈の言葉がまるで映画のワンシーンのように彼女の脳裏に浮かんだ。
「幸祈。いったいどれだけ嘘をついたの?何回私を騙したの?」
彼女はかすれた声で言い、絶望のまま車窓にもたれた。そして、ずっと灯りが消えないあの家を見つめて、歪んだ笑みを浮かべた。
幸祈、負けたのは私だった。
第7話
その日以来、瑠火はひどい病に倒れた。
幸祈はあちこち走り回り、数日で見る影もなく痩せてしまった。知らない人が見れば、病人は彼だと思うほどだった。
「瑠火、早く元気になってくれ」
幸祈は瑠火のそばに伏せてそっと囁いた。疲れ切っていたのか、しばらくすると、そのまま目を閉じた。
瑠火は無表情で目を開けた。目の奥に走る痛みのせいで、しばらく身を休めざるを得なかった。
彼女は首を横に向けて幸祈を一瞥すると、あの日の光景が脳裏に浮かんだ。
また泣きそうになるのを恐れて、彼女は視線をそらしてから、そっと布団をめくってベッドを降りた。
庭では、瑠火はブランコに座り、その漆黒の瞳はまるで静まり返った水面のように冷静だ。
突然スマホが鳴り、彼女はその音に嫌悪を覚えた。知らない番号からの着信がしつこく続き、拳を握りしめて出た。
「あのメッセージ、読んだでしょ」
鮎美の色っぽい声がゆっくりと聞こえてきた。
初対面の鮎美は、もっと謙虚で控えめな人だった。瑠火はそう思った。
「きっと疑問よね。どうして私が、こんな大胆にあなたへ直接電話なんてできるのって。あなたも女で、母親でしょ。お腹の子は父親が必要なのよ。
それに、私が妊娠してるのは男の子」
庭の花は鮮やかに咲き誇り、一つひとつが目を楽しませてくれた。
瑠火はブランコを揺らし、庭の花々を静かに眺めた。
「鮎美、私に感謝すると言っていたわね」
電話の向こうで鮎美が一瞬黙り込んだ。
瑠火は彼女が何を考えているか知りたいとも思わず、淡々と過去を語った。
「初めてあなたを見た時、給湯室で泣いていたわ。あなたに昔の私を重ねたから、助けたの」
「もういい!たかが百万円よ。返せばいいんでしょ!」
鮎美は歯ぎしりしながら怒鳴った。
「あなたの家庭は私よりずっと複雑。お父さんはギャンブルに酒、暴力まで。毎日払う借金、バイトだけで稼げるとは思えないわ」
鮎美は何かを突かれたように声を荒げ始めた。
「清純ぶらないで!私は幸祈さんだけと寝たわ!あなたなんて大学の頃バーでバイトして、何人と寝たのかしら!
幸祈さんがなんて言ってたと思う?あなた、全然締まりがなくて、他の男とやりすぎなんじゃないかって。私のほうがずっといいって!」
瑠火の麻痺していた心が、何度も刃物で突き刺されたように痛んだ。
ブランコを握る指が真っ白になるほど強く握った。彼女は、幸祈がこんな言葉を口にするとは夢にも思わず、耳を塞ぎたくなるほどの衝撃を受けた。
しかし、心の痛みを感じた後で、彼女はそれが普通のことだと思った。浮気をする男は、結局みんなそういうものだ。
「それで?」
瑠火は無理やり冷静を装った。
「思ったより冷静なのね。私はあなたと争うつもりはないの。幸祈さんを数日だけ貸してほしいの。ただそれだけ」
鮎美の声には哀願の色があり、追い詰められているようだった。
「彼、あなたを看病するために私を無視してるの。私、本当に彼がいないとダメなの。お願い。私、一生愛人でいいから、あなた達に迷惑かけないから。
あなたが私を嫌うのはいい。でもお腹の子まで憎まないで。この子には父親が必要なの」
瑠火はついに耐えきれず、胸を押さえてむせ返るように吐き気をもよおした。
気持ち悪い。あまりにも、気持ち悪すぎた。
「浮気しておいて貞節を語る男と、愛人なのに許しを求める女。お似合いね、クズ男とゲス女」
そう言って、瑠火は電話を切った。
彼女はブランコに寄りかかり、顔色は真っ青だ。
ここ数日、胸の痛みと麻痺に、瑠火はもう涙は出ないだろうし、傷つくこともないと思っていた。
しかし、可愛い団子のことを思うと、瑠火はどうしようもなく絶望し、涙がこぼれそうになった。
団子はまだ小さいのに、なぜ生まれた瞬間からこんなひどい目に遭わなければならないのだろう。
「瑠火!なんで外に出てるんだ。まだ治ってないのに、また冷えたらどうするんだ!」
幸祈は慌てた表情で瑠火の前に駆け寄り、彼女をじっと見つめた。
涙で真っ赤になった彼女の瞳を見ると、彼は思わずしゃがみ込み、抱きしめた。
「医者が言ってた。最近情緒が不安定なのは、産後の影響かもしれないって。何か辛いことがあるなら、必ず俺に言って」
「もし私が、あなたに死んでほしいって言ったら?」
第8話
瑠火の声は冷たく、その瞳にはいっさい感情がなかった。
「瑠火が望むことなら何でもする。死ねと言われても」
幸祈は彼女を抱きしめ、本気で病状を心配しているように、彼女の額の熱まで確かめた。
瑠火は彼の裸足を見下ろし、わずかにまぶたを震わせた。
きっと、あまりに焦って彼女を探したせいで、彼が靴を履くことすら忘れたのだろう。
心が動いたわけではない。ただ、瑠火はもう疲れ切っていた。
愛に見えるそれらの気遣いは、実際には彼女を締め付ける鎖でしかなく、息ができなくなるほど重かった。
「冗談よ。戻りましょう」
幸祈は立ち上がるときもふらついていたが、それでも本能的に瑠火を見てしまう。
理由が分からないが、彼は怖かったのだ。
今の瑠火の落ち着きは、彼をまったく安心させなかった。
ここ数日、彼女はまるで何事もなかったかのように振る舞っている。
浅草(あさくさ)医師は、産後うつの可能性があるから外出させたほうがいいと言った。
幸祈も瑠火を連れ出したかったが、彼女は体調を崩してしまった。
「瑠火、今度団子を連れて大学に行こう。久しぶりに」
瑠火は顔を上げて彼を見つめ、ただ淡々と小さくうなずいた。
それでいい。故地へ戻るのは、別れの前に自分が贈れる最後の思い出になるだろう。
夜、瑠火が団子を寝かしつけて階下に降りると、外から車の音がした。
彼女が近づくと、幸祈の声が聞こえた。
「母さん、なんで来たんだ?俺は言ったよね。母さんが瑠火を受け入れるまで、家には戻らないって」
「瑠火の話じゃないわよ。鮎美の妊娠、なんで言わないの?病院で確認したら男の子だって」
裕子はどうやら鮎美に非常に満足しているようだ。
元々瑠火を嫌っていた彼女は、鮎美が男の子を妊娠したと知り、さらに瑠火への憎しみを深めていた。
「鮎美は分別のある子よ。瑠火の座を奪う気はないって言ってた。でも、あの子を粗末にしたらダメでしょ?
毎晩毎晩瑠火の看病して……妊娠中の鮎美にどれだけ男手が必要か忘れたの?」
警めるような裕子の言葉に、普段は冷静な幸祈が、なぜか黙り込んだ。
「幸祈さん、奥様の邪魔はしたくないです。でも赤ちゃんもお父さんに会いたがっています。ただ、一目でいいです」
鮎美は涙に濡れた声で訴えた。
階段の影から瑠火はそっと顔を出し、その光景を眺めた。なぜか笑いが込み上げてくる。
佐川家は全員知っていて、騙されていたのは彼女だけだ。
彼女は唇を引き上げ、皮肉な笑みを浮かべた。
「瑠火は最近病気なんだ。帰って。後で俺が行く」
幸祈は鮎美を抱き寄せ、彼女の腹にそっと手を添えた。
「あの女がそんなに大事?何日も看病して!鮎美こそ私が認めた嫁よ。まず鮎美を大切にしなさい!」
「母さん、言っただろ。この一生、瑠火だけが俺の妻だ」
幸祈は真剣な声で答えた。まるで浮気したのが別人のようだ。
鮎美は涙をぬぐい、弱々しくつぶやいた。
「そんなつもりじゃないです。ただ少しでいいから、一緒にいてほしいだけです……数時間でもいいですから」
「泣くな、体に障る」
幸祈は優しく彼女の涙を拭った。
裕子は満足そうにその様子を見守る。
その光景を見ると、瑠火は非常に滑稽だと思った。知らない人が見たら、まるで彼らこそ本当の家族だと思ってしまうだろう。
幸祈は鮎美を抱えたままソファへ向かっていたが、途中で階段に瑠火の姿を見つけると、慌てて手を離し、急いで瑠火のもとに近づいた。
「瑠火、どうして降りてきたの?」
彼は恐怖に近い動揺をしていた。瑠火に何かを見られたか、聞かれたかと怯えていた。
だが瑠火はただ淡々と答えた。
「ちぇっ、私が来ても挨拶ひとつないなんて。ほんと無礼な子」
裕子が嫌味たっぷりに言った。
瑠火はそんな気持ちの悪い人たちの口元を見ても、どうしても口を開けなかった。代わりに、幸祈が先に口を開いた。
「もういいだろ、母さん。瑠火はまだ病み上がりなんだ。用がないなら帰って」
「あんたが甘やかすから調子に乗るのよ!」
裕子は怒りで我を忘れていた。
「ある人、何の取り柄もないじゃない。鮎美のほうがよっぽど優秀よ」
瑠火はその言葉の意図を理解し、視線を鮎美に向けた。鮎美の目には勝ち誇った色が浮かんでいた。
「そうなの?じゃあ、彼女をお嫁さんにすればいい」
「瑠火、何を言ってるんだ!俺は一生お前だけを妻にする。誰も代わりにはならない!」
幸祈は必死だった。
瑠火は、鮎美の顔が一瞬で少し青ざめたのをはっきりと見た。瑠火はただ、この茶番劇がとてもつまらないと思った。
そのため、彼女は静かにコップを持って階段を上がった。
「ほらね!目上への尊敬もない、礼儀も知らない。幸祈、こんな女、さっさと離婚しなさい!」
裕子の怒声が背中に飛んできた。
瑠火は階段を一段一段踏みしめながら、心の中で答えた。
その通り、離婚する。やっと、願いが叶う。