Đang tải thông tin quảng bá...
過ぎし日は空に帰す
事故の瞬間、如月蓮司(きさらぎ れんじ)は咄嗟に私・葉山雪乃(はやま ゆきの)を強く抱き寄せ、その身で庇った。 そのおかげで私はかすり傷...
Chương (1)
第1章
事故の瞬間、如月蓮司(きさらぎ れんじ)は咄嗟に私・葉山雪乃(はやま ゆきの)を強く抱き寄せ、その身で庇った。
そのおかげで私はかすり傷一つ負わなかったが、彼はICUへと運ばれた。五時間近くに及ぶ懸命な救命処置の末、ようやく一般病棟に移ることができた。
見舞いに訪れた友人たちは皆、羨望の眼差しで口々に感嘆した。
「さすが、『愛妻家』の代名詞と言われるだけあるわね。命を捨ててまで奥さんを守るなんて。雪乃、本当に愛されてるわね」
「どこにお参りすれば、こんなにイケメンでお金持ちで、しかも一途な旦那様を授かれるのかしら。教えてほしいくらいよ」
私は張り付いたような笑みを浮かべ、無言を貫いた。
なぜなら彼女たちは知らないからだ。彼女たちが崇めるこの「愛妻家」の蓮司には、とっくに外に新しい女がいるという事実を。
事故が起きる直前、彼は地下駐車場で、あの若く美しいインターンの女に絡みつき、何度も何度も情事を重ねていたのだ。
その瞳には、私にはもう長いこと向けられていない、強烈な快楽と悦びが宿っていた。
一方で私は、泣き喚くことも問い詰めることもせず、ただ静かに、ある「事故」を画策していた。
本来なら、私はこの事故で「死ぬ」はずだったのに……
第1話
事故の瞬間、如月蓮司(きさらぎ れんじ)は咄嗟に私・葉山雪乃(はやま ゆきの)を強く抱き寄せ、その身で庇った。
そのおかげで私はかすり傷一つ負わなかったが、彼はICUへと運ばれた。五時間近くに及ぶ懸命な救命処置の末、ようやく一般病棟に移ることができた。
見舞いに訪れた友人たちは皆、羨望の眼差しで口々に感嘆した。
「さすが、『愛妻家』の代名詞と言われるだけあるわね。命を捨ててまで奥さんを守るなんて。雪乃、本当に愛されてるわね」
「どこにお参りすれば、こんなにイケメンでお金持ちで、しかも一途な旦那様を授かれるのかしら。教えてほしいくらいよ」
私は張り付いたような笑みを浮かべ、無言を貫いた。
なぜなら彼女たちは知らないからだ。彼女たちが崇めるこの「愛妻家」の蓮司には、とっくに外に新しい女がいるという事実を。
事故が起きる直前、彼は地下駐車場で、あの若く美しいインターンの女に絡みつき、何度も何度も情事を重ねていたのだ。
その瞳には、私にはもう長いこと向けられていない、強烈な快楽と悦びが宿っていた。
一方で私は、泣き喚くことも問い詰めることもせず、ただ静かに、ある「事故」を画策していた。
本来なら、私はこの事故で「死ぬ」はずだったのに……
……
「雪乃!」
静まり返った病室に、突如として恐怖に満ちた低い叫び声が響いた。
私は慌ててスマホを置き、ソファから立ち上がった。ベッドに近づくやいなや、蓮司の腕の中に強引に引きずり込まれる。
彼の体は、小刻みに震え続けていた。
「どうしたの?……悪い夢でも見た?」
私は彼の背中を優しく撫でる。
腰に回された腕が、徐々に締め付けるように強くなる。
「雪乃、俺から離れないでくれ……」
私の手が、一瞬止まった。
「ここ数日、夢を見るんだ。君が血の海に倒れている夢ばかり……」
蓮司は顔を上げ、私を見た。その両目は真っ赤に充血していた。
「これからは、君を俺の視界から出さない。一秒たりとも」
私は彼の震える体を抱きしめ、必死になだめた。
「大丈夫よ。どこにも行かないわ」
しばらくして、彼はようやく腰の力を緩めた。自分の隣のスペースをポンポンと叩く。
私はその場から動かなかった。
「雪乃~」
彼は懇願するような瞳で私を見上げた。その口調には、珍しく甘えるような響きがあった。
「最近、どうしてそんなに俺に冷たいんだよ……
俺、何か悪いことしたか?言ってくれれば絶対直すからさ。な?」
彼は私の掌に頬を擦り付けた。その無防備で依存しきった姿は、少年時代の蓮司そのものだ。
私は、彼の高い鼻梁に残るかさぶたを見つめ、小さく溜息をついた。そして布団をめくり、彼の隣に横になった。
瞬間、彼は私を強く抱きすくめた。その瞳には、失った宝物を取り戻したような、満ち足りた色が浮かんでいる。
「雪乃」
「ん?」
「愛してる」
蓮司は睡魔と戦いながら、私が「私も愛してる」と返すのを待っていた。
けれど今回、彼はどれだけ待っても、意識が遠のくその瞬間まで待っても、返ってきたのはただ一言、「もう寝て」という言葉だけだった。
彼は無意識に腕の力を強め、ついに抗えない眠気に落ちていった。
隣で寝息が安定したのを確認し、私は目を開けて彼をそっと押し退けようとした。
だが、少し身じろぎしただけで、さらに強く抱きしめ返されてしまう。これ以上は身動きが取れない。私は諦めて、大人しく彼の腕の中に収まった。
ここ最近、まともに眠れていなかったせいもあるだろう。馴染みのある匂いに包まれ、私もすぐに眠気に襲われ、蓮司の懐で眠ってしまった。
けれど、私の眠りはいつだって浅い。
だから深夜、背後から微かな気配がした時、私はほぼ一瞬で目を覚ました。
「泣くなよ莉奈(りな)、俺は大丈夫だから」
洗面所の方から、蓮司の押し殺した声が聞こえてくる。
「見舞いなんて来なくていい。治ったらすぐそっちに行くから。
俺も会いたいよ……いい子だから、体大事にしろよ。退院したら、覚悟しとけよ?」
私は彼に背を向け、寝たふりを続けた。
目は瞬きもせず、窓から差し込む青白い月光を見つめ続ける。目が痛み、涙が滲んでくるまで。
……もう愛さないと決めたはずなのに。それでも、心は痛むものなのだ。
やがて、背後から戻ってきた彼に、再び優しく抱きすくめられた。
私は黙って目を閉じた。
一滴の涙が目尻から流れ落ち、枕に吸い込まれ、跡形もなく消えていった。
第2話
「雪乃、カツサンドが食べたい」
その言葉に、私は手にしたスープを置いた。
「じゃあ、下の売店で買ってくるわ」
蓮司は口角を上げ、甘えるような猫なで声を出した。
「学生時代によく通った、あの店のやつがいいな」
私は一瞬、動きを止めた。
あの店は城東にあり、ここから車で一時間はかかる。しかも人気店だから、行列に並ぶ時間も馬鹿にならない。
往復すれば、どうあがいても半日は潰れる。
単なる思いつきなのか、それとも私を遠ざけるための口実なのか……もう、深く考える気さえ起きない。
私は何も言わず頷き、立ち上がって病室を出た。
ほどなくして、白いミニスカートの女の子が、階段から慌ただしく病室へ駆け込んでいくのが見えた。
彼女は目を潤ませ、勢いよく蓮司の胸に飛び込んだ。傷口に触れたのだろう、蓮司が無意識に眉をひそめたが、彼は歯を食いしばって痛みに耐え、声を上げなかった。
「来るなって言ったのに」
彼は慣れた手つきで女の子の腰を抱き寄せ、愛おしそうにその頬をつねる。
「だって、会いたかったんだもん」
女の子は顔を上げ、彼を見つめて甘えた。
「チューして、ギュッてしてほしいの」
蓮司の唇の端が吊り上がり、からかうような響きを帯びる。
「キスとハグだけでいいのか?」
女の子は瞳を潤ませ、彼の胸にねっとりと体を押し付けながら嬌声を漏らした。
「……あなたも欲しい」
蓮司の瞳が黒く沈む。彼は不意に彼女の顎を掴み、その唇を塞いだ。
静まり返ったVIP病室に、男女が唾液を交換し合う生々しい水音だけが響く。
蓮司の手がスカートの裾から内側へと這い上がり、女の子が堪えきれずに甘い声を漏らす。
このまま一線を越えそうになったその時、蓮司は理性を働かせ、彼女を軽く押し退けた。声は情欲で嗄れている。
「……もう帰る時間だ」
女の子は名残惜しそうに彼の腕から離れた。
「また明日、来てもいい?」
蓮司は彼女の頬にキスをし、優しく言い聞かせた。
「しばらくは来るな。君に毎日ここを通わせるのは、俺が辛い」
「退院したら、埋め合わせしに行くから……帰ったらもっと食えよ」
彼はベッドの背もたれにだらしなく寄りかかり、女の子の胸の膨らみを掌で包み込みながら、ふざけた口調で言った。
「痩せたな」
女の子は羞恥と怒りで彼に飛びかかり、噛みついた。蓮司は軽く舌打ちをし、甘やかすように言った。
「君は犬か?……どんだけ噛みつくのが好きなんだよ」
その聞き慣れた口調に、私の思考が停止する。
まったく同じ言葉を、彼に言われたことがあったからだ。
蓮司が高校三年生で、私が大学三年の時のことだ。
彼は海外留学の提案を蹴り、頑なに私と同じ市内の大学を受験すると言い張った。
その件で、彼の母親が私を訪ねてきた。
意外なことに、よくある手切れ金を渡されるような展開でも、嫌がらせを受けるわけでもなかった。
彼女は私の留学費用を全額支援すると申し出た上で、蓮司の勉強を見てやってくれたことに感謝までしてくれたのだ。
私は礼儀正しくその申し出を断った。僅かに残った自尊心を守るために。
だが、蓮司を説得して留学させることだけは承諾した。
蓮司は初めて私に対して激昂した。私の抵抗など意に介さず、暴力的で、それでいて不器用なキスを強引にしてきた。
彼を押しのけることもできず、私は息継ぎの隙を見て彼の唇に噛みついた。手加減ができず、彼の口角からは血が滲んだ。
けれど彼は怒るどころか、私の鼻先に額を押し当て、鼻を鳴らして笑ったのだ。
「君は犬か?……どんだけ噛みつくのが好きなんだよ」
記憶が鮮明に蘇った瞬間、握りしめた拳の甲に、涙がポタリと落ちた。
爪が食い込む鋭い痛みを感じながら、私は今すぐドアを蹴破って中へ入りたい衝動を必死に抑え込み、逃げるようにその場を離れた。
今の蓮司はもう、あの頃の少年ではないのだ。
私はカツサンドを買い、病院のロビーのベンチに座って時間を潰した。
あの甘ったるい後ろ姿が病院の出口へ消えていくのを見届けてから、冷めた弁当箱を提げ、病室へと戻った。
第3話
買ってきたカツサンドの箱を置いた途端、蓮司が背後から貼るように抱きついてきた。温かい唇が、私の耳の輪郭を軽くこする。
「雪乃、お疲れ様」
私は驚いて、強張った体で彼を押し退けた。
彼はきょとんとする。
「どうした?」
「……なんでもない」
私は予備のおしぼりを彼に手渡した。
「早く食べないと、パンが湿気っちゃうわよ」
蓮司は口角を上げ、笑った。
「雪乃がわざわざ遠くまで行って買ってきてくれたんだ。湿気てても全部食うよ」
彼はカツサンドを一口頬張る。私が味はどうだと聞くと、彼は頷き、私の顔を立てるように絶賛した。
「うん、やっぱこの味だよ。懐かしいな」
私はうつむき、心の中で冷笑した。
だってそれは、私が病院の下のコンビニで適当に買っただけのものなのだから。
以前の味なんて、するはずがないのに。
蓮司が退院する日、多くの友人や長年のビジネスパートナーが駆けつけた。白石莉奈(しらいし りな)もその中にいた。
だが、最初の一瞥を除いて、蓮司は終始彼女に視線を向けることはなかった。
莉奈は部屋の隅で、落ち込んだ様子を見せている。
ところが、ある取引先の社長が蓮司に祝杯を勧めようとした瞬間、彼女は突如として立ち上がり、蓮司の手からグラスを奪い取った。
「田中社長、如月社長は退院したばかりですので、この一杯は私が代わりにいただきます!」
言い終わるや否や、彼女は独断で酒を飲み干してしまった。
その場にいた全員が沈黙し、複雑な表情で、蓮司の隣に座る私を見た。
「彼女は?」
蓮司は表情一つ変えず、笑顔で答えた。
「うちに入ったばかりのインターンです。新人なもので、至らない点がありまして……田中社長、どうかご容赦ください」
ここにいるのは海千山千の古狸ばかりだ。彼の言葉の端々に滲む「庇護」のニュアンスを聞き逃すはずがない。
田中社長は顔を立ててグラスを空け、酒席の空気は再び温まった。
蓮司はテーブルの下で、無意識を装って私の手を握り、軽く指を絡めてきた。
「まったく、誰が採用したんだか。あんな空気の読めない新人がいると困るな。あんなに前のめりで」
私は笑うともなく言った。
「へえ……なら、クビにすれば?」
私を握る彼の手が、微かに止まった。
私は表情を変えず、そっと手を引き抜いて笑った。
「冗談よ。新人なんだから、成長する時間を与えてあげなきゃね」
彼は私をじっと見つめ、何かを探るような顔をした。彼が口を開きかけた時、私は席を立った。
「少し疲れたわ。先に帰る」
彼の返事を待たずに、私は笑顔で周囲に挨拶をし、個室を後にした。
一階まで降りてスマホがないことに気づき、鞄を個室に忘れたのを思い出して引き返した。
階段の踊り場を通りかかった時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。私は思わず足を止めた。
「雪乃の前に現れるなと言っただろう。どうしてそう言うことを聞かないんだ」
「だって、私もお迎えしたかったもん」
莉奈は蓮司の胸に顔を埋め、華奢な体を震わせて泣きじゃくっている。
「蓮司……会いたかったわ。
なのに、どうして今日はそんなに冷たいんの?私、苦しい……」
それを見た蓮司の表情が緩んだ。
「泣くなよ」
彼は莉奈の涙を指で拭う。その声には、隠しきれない優しさが滲んでいた。
「言っただろう。雪乃の目の前で騒ぎさえ起こさなければ、君の望みは何でも叶えてやるって」
「じゃあ、私いい子にするわ。だから今日、私と一緒にいてくれる?」
彼女は蓮司の手を取り、自分の胸に当てた。
「今夜はご主人様のために、とびきりの『ご褒美』を用意したの……試してみたくない?」
蓮司の瞳の色が濃くなる。彼は不意に彼女の首筋を掴み、その唇にキスを落とした。
「キレイに洗って待ってろ」
莉奈は両腕を彼の首に回し、ねっとりとキスを返した。
そして、その潤んだ瞳で、勝ち誇ったように、挑発的に……真っ直ぐ私の方を見ていた。
第4話
私は彼女と数秒間、静かに視線を交わした後、踵を返して階段を降りた。鞄さえ個室に置いたままで。
歩いて家に向かう途中、アフロディーテ広場で、男の子がバラの花束を抱えて女の子に告白している場面に出くわした。
かつての、青臭くも誠実だったあの少年と同じ姿だ。
「年齢も距離も関係ない。君がその気なら、俺は一生君だと決めている。何があっても、俺たちを引き離すことはできない」
……一生というのはあまりに長く、人の心はあまりに移ろいやすいものだ。
翌日、目を覚ますと、蓮司がベッドの脇に立っていた。
彼は沈んだ瞳で私を見下ろし、手には私のスマホと鞄を持っていた。
「雪乃。スマホに『同意書への署名完了』って通知が来てるけど、何の同意書だ?
それに、どうして俺の指紋認証を削除したんだ?」
その言葉に、私は胸の奥が冷えるのを感じ、寝ぼけた頭が一気に覚醒した。
何の同意書か……
もちろん、私の「遺体引き取り」に関する同意書だ。
私は黙って彼の手からスマホを受け取り、慌てることなく淡々と答えた。
「旅行ツアーに申し込んだのよ。近いうちに少し出かけようと思って。
指紋とパスコードは、たぶんシステムアップデートのせいね」
それを聞いて、蓮司は安堵の息を漏らした。彼はベッドの端に腰掛け、屈み込んで私にキスをしようとした。
甘ったるい香水の匂いが、鼻を突く。
私は無意識に顔を背け、キスは頬に落ちた。
「君、ずっと瑠璃島に行きたいって言ってただろ?今度の出張が終わったら、連れて行ってやるよ。一週間くらいなら休み取れるから。俺が帰ってきたら行こうな」
私は何も答えなかった。彼自身、このセリフを何度口にしたか忘れているのだろう。そのたびに、様々な理由をつけて約束を破ってきたことを。
それに今後、私にはもう必要のないことだ。
私が黙っていると、彼が何か言いかけた。その時、彼のスマホが鳴り響いた。
彼は私の額に軽くキスをした。
「待っててくれ」
そう言い残し、電話に出ながら部屋を出て行った。
ドアが閉まった瞬間、私のスマホに知らない番号からショートメッセージが届いた。
開いてみると、文字はなく、あるSNSアカウントのスクリーンショットが一枚だけ添付されていた。
私はアプリを開き、そこに記されたID――莉奈のアカウントを検索した。
プロフィール欄には、『蓮ちゃんとのラブラブ日記』と書かれている。
タイムラインを遡ると、一番古い投稿は一年前。フォロワー数は数万人にも上っていた。
この不倫関係を、彼女は隠そうともしていなかったのだ。
数百件に及ぶ投稿が、彼女と蓮司の愛の軌跡を記録していた。
【蓮ちゃんが直々に採用してくれたおかげで入社できた!これからは顔を上げれば旦那様がいる生活】
【就活フェア、人が多すぎてヤバかった。汗だくで人混みに揉まれてる同級生を見て、ハイスぺ彼氏がいる幸せを実感。私は何もしなくていいんだもん】
さらにスクロールしていくと、彼が彼女を海へ連れて行き、オーロラを見に行き、『恋人としたい100のこと』を次々と叶えている様子が投稿されていた。
高所恐怖症のはずの彼が、彼女のためにペアバンジーまで飛んでいる……
つまり、時間がなかったわけじゃない。
ただその時間と労力を、すべて別の人に注いでいただけなのだ。
私はもう見ていられなくなり、彼女のプロフィール画面から戻ろうとした。
その瞬間、画面が自動更新され、新しい投稿がトップに表示された。
投稿時間は、三十分前。
メイン画像は、黒いレースのキャミソールを着た彼女の自撮りだ。その腰には、血管の浮き出た、男の逞しい手が回されている。
【25歳を過ぎた男は下り坂だなんて、誰が言ったの?今朝起きたら腰が抜けそうだった。彼はケロッとしてるのに】
コメント欄には、最も「いいね」を集めている固定返信があった。
蓮司:【今度また「おじさん」って呼んでみろ。タダじゃおかないぞ】
本人の登場に、コメント欄のフォロワーたちは狂喜乱舞していた。
第5話
莉奈は当てこすりたっぷりに、そのコメントに返信した。
【男は死ぬまで少年だけど、女は三十路手前でもう枯れ草でしょ?私はまだ若くてよかった。青春と愛する人がいて、思いっきり弾けられるもん】
ファンがその意味深な言葉に反応する。
【えー、どんなふうに弾けるの?詳しく!】
莉奈は恥ずかしがるスタンプを返した。
【ある人を喜ばせたら、瑠璃島へのハネムーンに連れて行ってくれることになったの。みんな、現地で会おうね〜】
その投稿には、個人情報を隠した二枚の航空券の写真が添えられていた。横には、男性の手がちらりと写り込んでいる。
その男性の薬指には、シンプルなデザインの指輪がはめられており、そこには【Y & N】という文字が刻まれていた。
……それは、私の名前のイニシャルだ。
それから数日間、朝晩の挨拶を除いて、蓮司からメッセージが来ることはなかった。
私もあえて干渉しなかった。
彼はどうやら、新しい愛人との甘い時間に溺れすぎて、私が返信しているかどうかなど気にも留めていないようだ。毎日、判で押したような「おはよう」「おやすみ」が届くだけだ。
そして彼が帰国する予定の当日の未明。
罪悪感がぶり返したのか、蓮司から突然、私たちの過去を振り返る長文のポエムのようなメッセージが送られてきた。
読む気も起きず、画面を消して寝ようとした時、再び通知がポップアップした。
【雪乃、会いたい】
【今、君には届かないかもしれないけど……愛してるよ】
【おやすみ、いい夢を】
私は思わず鼻で笑ってしまった。
別の女のベッドにいながら「愛してる」だなんて。蓮司、自分自身に吐き気を感じたりしないの?
その深情けごっこ、これからは一人で勝手にやっていればいいわ。
翌朝。
私は用意しておいたバースデーケーキを丁寧に並べ、その横のダイニングテーブルの一番目立つ場所に、プレゼントの箱を置いた。
この家を見るのも、これが最後だ。
未練など微塵もない。私はドアを開け、外へと踏み出した。
空港へ向かうタクシーの中で、突然蓮司から電話がかかってきた。
「雪乃、今日が何の日か忘れてないか?」
「忘れてないわ」
私は車窓を猛スピードで流れ去る景色を眺めながら、静かに告げた。
「誕生日おめでとう、蓮司」
彼はいきなり機嫌を良くしたようだ。声が弾んでいる。
「やっぱりな。君が忘れるはずないと思ってたよ。でも、いつもなら日付が変わった瞬間にメッセージくれるのに、今年は静かだから……
まさか、こっそりサプライズでも用意してくれてる?」
私は口元を緩めた。
「ええ。一生忘れられないような、とびっきりのサプライズを用意したわ」
それを聞いた蓮司は、口角を上げた。
彼は空港の電光掲示板を見上げた。彼が乗る東都行きの便は、もうすぐ離陸する。
……
雪乃は、自分が予定より一日早く帰国するとは想像もしていないだろう。
そう思うと、蓮司の笑みはさらに深くなった。
自分の誕生日は、やはり妻と一緒に過ごさなければならない。
誕生日を祝った後は、妻を連れてあちこち旅行へ行こう。そういえば、ずいぶん長いこと妻を旅行に連れて行っていなかった。
最初の目的地は、妻がずっと行きたがっていた瑠璃島にしよう……
「雪乃、俺が戻ったら……」
ドォォォォン!!
彼が言い終わらないうちに、受話器の向こうから凄まじい轟音が響き渡った。
続いて、スマホが地面に叩きつけられる音がする。
「雪乃?……雪乃!?どうした!?
雪乃!!返事をしてくれ!!!」
蓮司は何度も雪乃の名前を叫んだが、応答はない。聞こえてくるのは、不穏な雑音だけだ。
やがて、救急車のサイレンが近づいてくる。
「もしもし?こちらの方のご家族ですか?奥様が交通事故に遭われまして……」