君という名の星

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7周年の結婚記念日、あるニュースがツイッタのトレンドに上がった―― #本日正式発表!国内で新たに発見された惑星、「二宮美緒の星」と命名。 ...

Chương (1)

第1章

7周年の結婚記念日、あるニュースがツイッタのトレンドに上がった―― #本日正式発表!国内で新たに発見された惑星、「二宮美緒の星」と命名。 そのすぐ下で話題になっていた投稿の主は、夫の河野悠斗(こうの ゆうと)だった。 【君の名前を、あの星につけた。これで宇宙にいても、君はひとりじゃないよ】 夫の後輩の美緒が、その投稿にこんなコメントを寄せていた。【二人だけのロマンチックなことをみんなに教えてくれて、ありがとうございます!先輩、すごく嬉しいです!】 私はいつものように、必死で悠斗に電話をかけて問い詰めたり、説明を求めたりはしなかった。 彼と7年もこじらせてきて、もう本当に疲れてしまったから。 第1話 夫の河野悠斗(こうの ゆうと)が帰ってきたとき、私はベランダでタバコを吸っていた。 悠斗はタバコの匂いが嫌いで、嗅ぐとすぐに眉をひそめる。 だから彼と一緒になってからは無理に禁煙していた。一時期は禁断症状に苦しんだほどだ。 悠斗は私がタバコを吸っているのを見て、一瞬固まった。でも、とくに何も言わなかった。 彼は何気なく私にプレゼントの箱を渡すと、淡々と言った。 「7周年のプレゼントだよ。 ごめん。今夜は急に残業になっちゃって、連絡するの忘れてた」 「ううん、大丈夫だよ」 最後の一服を終えてから、私は箱を受け取って開けてみた。中には、星のネックレスが入っていた。 箱を閉じて、「すごく嬉しい。ありがとう」と伝えた。 悠斗は呆然としていた。何か言い訳したそうだったけど、言葉が出てこないみたいだった。 彼は驚いた顔で私を見ていた。いつものように、私がしつこく問い詰めてくるとでも思っていたんだろう。 私も、あのトレンドを見たら、きっとヒステリックになって悠斗を問い詰めて、大喧嘩の末、気まずく終わるんだろうと思っていた。 今日は私たちの結婚7周年の記念日。プロポーズしてくれた時のレストランを予約して、悠斗をサプライズで喜ばせるつもりだったのに。 わざわざ仕事を早く切り上げて、国立天文台の入り口で彼を待っていた。 でも、待っている間に、トレンドニュースを見てしまったんだ。 #本日正式発表!国内で新たに発見された惑星、識別番号960306を「二宮美緒(にのみや みお)の星」と命名。 #天文学者の河野悠斗氏、記念すべき初の惑星発見 そのすぐ下で話題になっていた投稿の主は、悠斗本人だった。 【君の名前を、あの星につけた。これで宇宙にいても、君はひとりじゃないよ】 添えられていたのは、レストランで美緒と顔を寄せ合っているツーショット写真。 美緒は、その惑星の命名証明書を手に持っていた。 コメント欄を開くと、一番「いいね」がついていたのは美緒のコメントだった。【二人だけのロマンチックなことをみんなに教えてくれて、ありがとうございます!先輩、すごく嬉しいです!】 私はスマホを助手席に放り投げ、予約していたレストランへと車を走らせた。 私はひとり、二人分のステーキを食べた。もうすぐ終わる私たちの7年間の結婚生活を弔うかのように。 もう一本タバコに火をつけようとしたとき、悠斗が私の手からライターをひったくった。 彼は少し眉をひそめて言った。「タバコ、やめたんじゃなかったのか?」 「急に吸いたくなっちゃって」私はタバコを箱に戻すと、部屋で休もうと立ち上がった。 すると悠斗が私の手首を掴み、複雑な表情で言った。「今日は、結婚記念日だろ」 私は戸惑う表情で、彼を見つめ返した。「それが、どうかした?」 悠斗はさらに眉間のしわを深くした。 「プレゼントがないのは別にいい。でも、記念日の夜なのに、本当にこんな早く寝るのか?」 そう言って彼は、私を抱きしめてキスしようと、顔を近づけてきた。 悠斗には、どこかクールなのに優しい、そんな不思議な魅力があった。 いつもなら、彼がこんなに積極的だったら、私はすぐにその優しさにメロメロになっていたはずだ。 でも今は、悠斗の体から、私のものではない香水の匂いばかりが気になった。 うん、ジャスミンの香水の匂いだ。 美緒がいつもつけてる香水。 第2話 私は一歩うしろに下がって、悠斗のキスをかわした。 「今日はお仕事おつかれさま。はやく休んでね」 悠斗の驚いた顔は気にせず、私はスマホを置いて洗面所へ向かった。 顔を洗いおわると、スマホに未読メッセージが一件きていた。 会社の共同経営者で、幼馴染の岡本蘭(おかもと らん)からだった。 【ほんとに悠斗さんを置いてF国へ行くって決めたの?もしまたすぐ帰ってくるようなら、絶対にお説教するからね】 【冗談じゃないよ!】 私は思わず口元をゆるめた。 【もしまた途中で帰ってきたら、これから一生、あなたの言う通りにするって誓うわ】 …… 3年前、会社で地方の事業開拓を担当する人が必要になった。 私は悠斗と相談して、その役目を引き受けることにした。 でも、私が出発してから3日目に、悠斗が胃の痛みで入院した。 私はその日の夜の飛行機で、急いで帰った。 それ以来、私はずっと本社勤務を続けていた。 悠斗とは5年付き合って、結婚して7年になる。 高校生のころから、彼がなにかに夢中になると寝食を忘れてしまう人だってことは、知っていた。 地方の支社へ行ったら、1年に数回しか会えなくなってしまう。 悠斗を一人で残していくのが、どうしても心配だった。 結婚してから、友達によく聞かれた。「どうしてあんな野心のない男の人と一緒になったの?」って。 悠斗は彼氏としてはいいけど、結婚には向かない人だって。 私は笑って、こう答えるの。 「だって彼は、心も体も、私を救ってくれた人だから」 親の事情で、私はうつ病を患っていた。 自暴自棄になり、海の底へ沈んでいこうとしたまさにその時、悠斗が飛びこんで私を救ってくれた。 その後も、どんな日も欠かさず、彼は何度も、私のカウンセリングに付き添ってくれた。 私の病状が落ち着いてから、悠斗に聞いたことがある。 「あの時、怖くなかったの?あなたもまだ、あんなに若かったのに」 彼はひらりと手を振って、あっけらかんと言った。「あんなにきれいに笑う人が、この世からいなくなってしまうのは、見てられなかっただけだよ。 それに、これから先、君と二人で、笑って世界を見て回りたい」 あの頃の悠斗は、まさか自分が、私のうつ病を再発させる原因になるなんて、夢にも思わなかっただろう。 人生は選択問題なんかじゃない。 そして私も、彼の決まった答えなんかじゃなかった。 蘭は、私と悠斗の始まりから今までをずっと見てくれていた。 彼女は私の言葉の端々から、悠斗との間に何かあったことを察したらしい。 【世界は広いの。美味しいものもいっぱいあるし、面白い人だっている。前に進む気持ちさえあれば、未来はきっと楽しいものになるよ】 【明日は7月1日。ここからが、新しい始まりだよ】 しばらくして、蘭からまたメッセージが来た。 【F国の会社、1週間後には稼働開始だよ。ねえ、男がいなくても、お金はいるでしょ!】 …… 翌朝、私は会社の月例会議に出るため、いつもより早く起きた。 すると珍しく、悠斗がキッチンに立って朝ごはんを作っていた。 私は一瞬、現実がわからなくなった。 彼が料理をするなんて、美緒のツイッタで初めて知ったのだ。 若い女の子は、自分の生活を記録するのが好きなものだ。 美緒は、悠斗が彼女のためにしてくれたことを、全部ツイッタに投稿していた。 たとえば、二人が残業している時には、悠斗が彼女のために料理を作ってあげた。 雨が降った日には、わざわざ職場まで車で送り迎えをした。 記念日や誕生日には、好みの素敵なプレゼントを贈ってあげた。 今回、話題になった件だってそうだ。きっかけは、美緒が、「星が欲しいですよ」と甘えてみせたこと。 それだけで、悠斗は気前よくプレゼントしてしまったのだ。 あの夜、私は自分を痛めつけるように美緒のツイッタを何度も見返した。二人の出会いから今までの物語を繰り返し読み、悠斗が彼女に向ける特別な扱いを、何度も何度も確認した。 第3話 「瑠衣(るい)、朝ごはんできたよ。君が好きなおにぎり、つくったから」 私が出てくると、悠斗は私の手を引いて、テーブルに座らせてくれた。 私はおにぎりを手に取り、一口食べて、すぐに置いた。 食べるのをやめた私を見て、悠斗は不思議そうな顔でこっちを見た。 私はおにぎりを見つめながら、静かに言った。 「おにぎりは、甘い味付けじゃないと、食べられないの」 甘いものは、ドーパミンの分泌を促すんだって、誰かが言ってた。 だから、私は甘いものに目がない。 悠斗は一瞬きょとんとして、すぐにあわてて言い出した。 「キッチンに目玉焼きもあるよ。今持ってくるね」 私は首を横に振って、静かに言った。「ううん、いいの。時間がないから」 昨日、美緒がツイッタに投稿してた。 【やった!先輩が明日、朝ごはんを持ってきてくれるって。目玉焼きとおにぎりがいいな】 家を出ようとしたら、悠斗が私の腕を掴んだ。彼は、険しい顔をしていた。 「怒ってるのか?昨日、一緒にいてあげられなかったから? 昨日は急な仕事が入ったんだ。もう謝っただろ。 研究も大詰めなんだ。責任者の俺が、プライベートを優先するわけにはいかない。 今までずっと、君は俺の仕事を応援してくれただろ?なのに、急にどうしたんだ?」 そうだ。私たちは、ずっとこうやって過ごしてきた。 悠斗を愛してるから、私はどこまでも我慢した。 彼が忙しくて私の誕生日や記念日を忘れても、何日も家に帰らなくても、文句ひとつ言わなかった。 今の仕事が悠斗の夢だって、わかってたから。 でも、ある日、一つの研究を終えた悠斗が、会社まで私を迎えに来てくれた。 そのとき、彼のスマホがひっきりなしに鳴っていた。 いつもは「返信は面倒」って言う悠斗が、楽しそうに笑いながら、顔も上げずに夢中で文字を打っていた。 その日、私は初めて彼の口から美緒の名前を聞いた。 「面倒くさくて、ちょっと抜けてる後輩」なんだって。 そして、私も初めて知ったんだ。 悠斗は別に、返信が嫌いなわけでも、面倒なわけでもなかったんだ。 彼が自分の時間を割いてまで連絡したい相手は、私じゃなかった。ただ、それだけのことだ。 私は、悠斗の手から自分の手を引き抜いた。 感情を殺して彼を見つめる。「今まで、もう疲れちゃった。 私たち、別れ……」 最後まで言い終わる前に、悠斗のスマホが鳴った。 着信音だった。 彼は画面も見ずに、電話に出た。 「もしもし!どうした?」 悠斗は気づいてないんだろう。電話に出た彼の表情が、ふっと優しくなったことに。 電話の向こうから、美緒の甘えたような声が聞こえてきた。 「先輩、お腹すいて倒れそうです! いつ帰ってくるんですか?私がお腹ぺこぺこになっちゃったら、先輩のせいですからね」 悠斗は、彼女を甘やかすように笑った。 「昨日、いっぱい食べたよね。もうお腹すいたのか? わかったよ。すぐ帰るよ」 私は、フンと冷たい笑みを浮かべた。 私の気でも察したのか、電話の向こうの美緒が言った。「先輩、今度、瑠衣さんも誘って一緒にご飯でも行きましょうか。 昨日はお二人の結婚記念日でしたのに、私が彼女の星を奪って、先輩に夜食まで付き合わせてしまって……だから瑠衣さんにはちゃんとお礼をさせてください!おいしいものごちそうします!」 その言葉を聞いて、悠斗の目に気まずそうな色が浮かんだ。 スマホを持ったまま、思わず数歩あとずさった。 私はフンと鼻で笑うと、何も言わずにヒールを鳴らして背を向けた。 でも悠斗は美緒との電話を適当に切り上げると、急いで私を追いかけてきて、会社まで送ると言った。 「あの星の研究には、美緒も関わってるんだ。俺一人じゃ決められないことだった」 第4話 「ちょうど彼女の誕生日でさ。星がほしいって言うから、プレゼントしたんだ。 夜食だってみんなで行ったんだよ。俺たち二人だけじゃなかった。だから、変なこと考えないで」 私は黙って悠斗を見つめた。 この惑星の研究は、彼が3年間も、ずっと続けてきたものだ。 美緒は、ここに来てまだ3ヶ月なのに。 こんな言い訳、自分でおかしいって思わないの? 悠斗は、たぶん自分で気づいてないんだろうけど、嘘をついたり緊張したりすると、いつも無意識に服のすそをいじる癖がある。 家の前まで送ってもらったけど、結局、悠斗は美緒に呼ばれて行ってしまった。 仕事が理由なのか、それとも他の何かか。 もうどうでもよくなってしまった。 だって、こんなことはもう数えきれないくらいあったから。 今年の夏は、変な天気が続いて雨ばかりだった。ある日の仕事帰り、雨に濡れてしまったせいか、夜になって急に高い熱が出た。 意識がもうろうとする中、悠斗に薬を取ってほしくて声をかけた。 しかし、彼がベッドから起き上がり、着替えている姿が見えた。 「美緒の家の水道の蛇口が壊れたんだって。自分じゃ直せないみたいだから、ちょっと見てくる」 私は、ただ呆然と悠斗を見ていた。 頭の中には、色々な疑問が浮かんできた。「彼女の家の水道が故障したからって、あなたが行く必要あるの?」 「あなたたち、そんなに仲がいいの?蛇口が壊れたくらいで、わざわざ見に行くなんて」 でも、悠斗は私が何かを言う隙もくれなかった。 彼はすぐに部屋を出て行ってしまった。 エアコンが18度に設定された部屋で、布団をかぶっても冷や汗が止まらない私のことなんて、まったく目に入っていないみたいだった。 大学の時、私が授業のあと、エアコンの効いた図書館に走って駆け込もうとすると、悠斗はいつも後ろから、むすっとした顔で私の腕を掴んだ。 そしてカバンからハンカチを取り出して汗を拭いてくれながら、こう叱ってくれた。 「自分は丈夫だとでも思ってるのか?外はこんなに暑いんだぞ。汗だくのままクーラーの効いた部屋に飛び込んだら、熱が出るに決まってるだろ。結局、看病するのは俺なんだからな!」 …… 会社に着くと、蘭が新しい取引先の資料を私のデスクに放り投げてきた。 「さっさと資料を頭に叩き込んで。もしこれから何かミスしたら、あなたなんかクビだからね」 まるで受験生みたいに、私は夜まで資料と格闘した。 会社を出る直前、メールを開くと、弁護士が作った離婚協議書が届いていた。 私はその離婚協議書を手に、土砂降りの雨の中、車を飛ばして悠斗のいる国立天文台へと向かった。 地下の駐車場に車を停めると、スマホにツイッタの通知が届いた。 それは美緒が投稿した動画だった。 動画には、悠斗と美緒が、最近あったアニメのイベントに行った様子が映っていた。 美緒がゲームに勝って、興奮したまま、人ごみの中で悠斗と抱き合ってキスをしていた。 添えられた文字にはこう書かれていた。【初めて会ったときから、たとえ許されない関係だとしても、あなたを私のものにしたかったのです。 その願いが、今やっと叶いました】 私はスマホの画面を消し、仰向けになり、自嘲気味に笑った。 悠斗と一緒に過ごした12年。お互いの青春のすべてを捧げ合ってきたはずなのに。 それなのに。動画に映る彼は、まるで別人のように見えた。 これまで一度も彼を知らなかったかのように…… そのとき、すぐ近くから、誰かのくぐもった叫び声が聞こえてきた。 「先輩、お願い、私を捨てないでください。 先輩のことが好きなんて、それがいけないことなんですか?学生の時から、ずっと好きだったのに……」 声がした方を見ると、美緒が悠斗を車へと追い詰めて、目を真っ赤にしながら何かを訴えていた。 彼女は絶望したような顔をしながら、つま先立ちになって悠斗にキスをした。 悠斗の両手はだらりと下がっていた。でも、美緒がキスした瞬間、その手は彼女の体を強く抱きしめたのが見えた。 二人はそのまま、雨の夜に長い、長いキスを交わした。 第5話 カシャ―― 突然の稲光が、駐車場をぱっと照らした。 「誰だ!」 二人はやっと、少し離れて立っている私に気づいた。 彼らの荒い息づかいが、やけにはっきりと聞こえた。 悠斗は私を見ると、魂が抜けたように呆然としていた。 「瑠……瑠衣、なんでここにいるんだ!」 私は一歩ずつ、二人に向かって歩み寄った。 「瑠衣さん、違、違います!先輩には関係なく、私が勝手に好きで……きゃっ!」 美緒が言い終わる前に、私はありったけの力で彼女の頬をひっぱたいた。 そして結婚指輪を、悠斗に叩きつけた。 指輪を叩きつけられて、彼はようやく我に返り、美緒を突き放した。 思わず声を荒らげた。「瑠衣、話を聞いてくれ、君が思ってるようなことじゃ……」 私はその言葉をさえぎって、離婚協議書を突き出した。 「悠斗、私たち、もう終わりよ」 悠斗はなりふり構わず追いかけてきたけど、すぐに転んでしまった。 「瑠衣、説明させてくれ!美緒とは、君が見たような関係じゃないんだ! うわっ――」 彼の悲鳴に、思わず足が止まってしまった。 でも次の瞬間には、もっと足早に自分の車へと向かった。 私がドアを閉めるその寸前、悠斗が追いついてきた。 彼はボロボロの姿だった。 その瞳は、すがるように私を映していた。 「美緒のことはガキだって思ってるんだ。ただの、可愛いガキ。からかってるだけだよ……」 私は鼻で笑った。「彼女は、私たちと3歳しか違わないでしょ。 ガキだって?」 悠斗は涙を流しながら、まるで、見捨てられた子犬のような目で私を見つめていた。 「瑠衣、ひどいよ。俺たち、何年も一緒にいただろ。 もう12年だよ。俺からいなくならないでくれ。 君がいないと、俺は生きていけないんだ…… 美……美緒は、ただの遊びなんだ」 そう言いながらも、彼の声はどんどん小さくなっていった。 その時、背後から美緒のヒステリックな叫び声が聞こえた。 「先輩!私、あなたのこと10年も好きだったんですよ!ここで私を捨てるなら、もう死んでやります!」 見ると、美緒が割れたガラスの破片を首に突きつけていた。 「先輩、私を見て、ねえ、こっちを見なさい! もし振り向いてくれないなら、本当に切っちゃいますからね!」 悠斗は思わず私の腕を離し、振り返った。 私は冷たく笑うと、ためらわずにドアを閉めて車を出した。 バックミラーには、美緒を抱きしめる悠斗が映っている。 でもすぐに、彼は私が走り去る方へと顔を向けていた。 車の窓を開けて走っていると、顔がぐっしょりと濡れてしまった。 それが涙なのか雨なのか、もうわからなかった。 家に帰った私は、自分の荷物をまとめ始めた。 荷造りの途中で、共通の友達から電話がかかってきた。 本当に、悠斗って時間管理の達人なんだな、と皮肉に思った。 年下の浮気相手をなだめる一方で、友達に電話させて私を落ち着かせようとするなんて。 悠斗とは、もう12年も一緒にいた。 愛情そのものよりも、周りの人たちとの関係を断ち切る方がずっと難しかった。 結局、電話口の友達もため息をついてこう言った。 「瑠衣、私はただ、今の決断を後悔しないようにって、そう祈ってるだけだよ」 すべての荷物をまとめ終わり、ドアを開けた時、そこに、ずぶ濡れの悠斗が立っていた。