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妊娠中の妻を見捨てた消防士、後悔の業火
火事が起きた時、消防士長の夫は隣の家に飛びこんで、彼の幼馴染を抱きかかえて出てきた。 その後、インタビューで記者が、なぜ妊娠中の妻を先...
Chương (1)
第1章
火事が起きた時、消防士長の夫は隣の家に飛びこんで、彼の幼馴染を抱きかかえて出てきた。
その後、インタビューで記者が、なぜ妊娠中の妻を先に助けなかったのかと夫に尋ねた。
夫はカメラに向かって、少しも悪びれずにこう言った。
「消防士長として、まず一般市民を助けなければなりません。
身内だからって、特別扱いはできません。公私混同は許されないのです」
その時、夫の幼馴染は彼の腕の中でか弱く震えながら、私に挑発するような視線を向けてきた。
足の間から流れる血を見つめ、私の心は冷えきってしまった。
「直樹、そんなに身内びいきを避けたいのなら、私たち、離婚しよう。
元妻になれば、私もただの一般市民。次はちゃんと、私を先に助けてね」
私は背を向けて救急車に乗り込んだ。今度こそ、もう我慢しない。
第1話
火事が起きた時、消防士長の夫は隣の家に飛びこんで、彼の幼馴染を抱きかかえて出てきた。
その後、インタビューで記者が、なぜ妊娠中の妻を先に助けなかったのかと夫に尋ねた。
夫はカメラに向かって、少しも悪びれずにこう言った。
「消防士長として、まず一般市民を助けなければなりません。
身内だからって、特別扱いはできません。公私混同は許されないのです」
その時、夫の幼馴染は彼の腕の中でか弱く震えながら、私に挑発するような視線を向けてきた。
足の間から流れる血を見つめ、私の心は冷えきってしまった。
「直樹、そんなに身内びいきを避けたいのなら、私たち、離婚しよう。
元妻になれば、私もただの一般市民。次はちゃんと、私を先に助けてね」
私は背を向けて救急車に乗り込んだ。今度こそ、もう我慢しない。
救急車のドアが閉まる瞬間、葛城直樹(かつらぎ なおき)がまだ彼の幼馴染である藤田由理恵(ふじた ゆりえ)をなだめていた。
由理恵は、ばっちりメイクの顔に涙を浮かべている。直樹の防火服の裾をぎゅっと掴んで、まるで怯えた子ウサギのようだ。
それにひきかえ、私は全身ずぶ濡れ。煙で喉は焼けつくように痛む。お腹の奥からは、ドリルで抉られるような激痛が突き上げてきた。
「患者さんはひどい出血です!急いで産婦人科に連絡して、受け入れ準備を!」
看護師の声が、頭の上で鋭く響いた。
なんとか目を開けると、つけられた酸素マスクが、私の息ですぐに白く曇った。
スマホに手を伸ばし、直樹に電話をかけようとした。
でも、持ち上げた腕は、すぐにだらりと垂れてしまった。
かけたって、何になるっていうんだろうか?
さっき、炎の中で、必死に彼の名前を叫んだのに。
「直樹、お腹が痛いの。お願い、赤ちゃんを助けて」って。
ドア一枚を隔てて、直樹の冷静な声がはっきりと聞こえた。
「由理恵は足をひねった。煙もすごいし、彼女は喘息持ちなんだ。先に外へ運ばないと。
莉緒(りお)、お前は俺の家族だろ。覚悟を決めろ。自分で濡れタオルを口にあてて、床を這って出てこい!」
這って出てこい、だって?
私はもうすぐ産まれそうな妊婦なのに……
黒い煙が充満して、目の前は灰色と黒だけだった。
少しでも動こうとすると、足の間から生暖かいものがどっと流れ出るのを感じた。
結局、向かいの部屋の人が、鍵のかかったドアを斧で無理やりこじ開けてくれたのだ。
その人は煙の中に飛び込んできて、床に倒れていた私を、なんとか安全な廊下まで引きずり出してくれた。
私は冷たい床にぐったりと倒れ込み、視界がかすんでいた。
でも、そんな中でも、由理恵を宝物みたいに抱きかかえて階段を駆け下りてくる直樹の姿がはっきりと見えた。しかも彼は、集まってきた報道陣のカメラの前で、これ見よがしにヒーロー気取りだった。
「身内は特別扱いできません」
その軽い一言が、まるで釘のように私の心臓を貫いた。そして、私の最後の希望を粉々にしたのだ。
病院に着くと、私はすぐに救急処置室に運び込まれた。
無影灯がパッと明るくなった時、私はぼんやり考えていた。
もし赤ちゃんが助からなかったら、直樹は、ほんの少しでも後悔してくれるのかなって。
いいえ、あの人は後悔なんてしない。
直樹はきっとこう言うだろう。「これは大義のための尊い犠牲で、誇りに思うべきだ」って。
意識がもうろうとする中、医者の持つ器具がカチャリとぶつかる冷たい音がした。
「胎児の心音がない。
母体だけでも、絶対に助けるぞ」
涙がこめかみを伝って髪にしみこみ、ひんやりとした感覚だけが残った。
直樹、あなたの言う「特別扱いしない」っていうのは、自分の子どもの命を生け贄にすることだったんだね。
手術は三時間もかかった。
病室のベッドに戻された時、スマホには何十件もの通知がたまっていた。
全部、ニュースの速報だ。
【炎の中のヒーロー!消防士長、火災現場で妻より隣人を救う!偉大なる自己犠牲の精神!】
【これぞ鑑!消防士としてのお手本のような救助活動】
動画の中の直樹は、焼け跡の灰にまみれていた。その腕の中では、由理恵が彼の首にしっかりと抱きついていた。
コメント欄は、称賛の嵐だ。
【これぞ本物の男だ!公私をしっかり分けてる!】
【奥さんがかわいそうだと思うの、私だけ?】
でも、このコメントはすぐに非難のコメントで埋め尽くされた。
【奥さんは自分で救急車に乗れるくらいだから、大したことなかったんじゃない?】
【ほんとそれ。何を大げさに騒いでるんだか。隣の女性は喘息持ちだったんでしょ、命に関わるって、わからないわけ?】
私はスマホの画面を消した。点滴のチューブに、じわっと血が逆流しているのが見えた。
痛いかって?
心の痛みに比べたら、どうってことない。
その時、病室のドアが開いた。
直樹かと思った。
でも、入ってきたのは由理恵だ。
由理恵は綺麗な服に着替えて、手にはフルーツバスケットを提げていた。そのなまめかしい歩き方からは、足を痛めているようには少しも見えない。
「莉緒さん、大丈夫?」
由理恵はフルーツバスケットをサイドテーブルにドサッと置いた。もう、心配するふりをする気もないみたいだ。
「直樹はまだ消防支署で報告書を書いてるの。今回の救助が大成功だったから、表彰されるそうよ」
由理恵は私の耳元に顔を寄せると、悪魔みたいにささやいた。
「あんたの負けよ。
あんたのお腹にいた子は死んだけど、おかげで直樹は英雄になれたわね。
ほらね。彼の心の中では、やっぱり、この私っていう『一般市民』のほうが大事だったってわけ」
第2話
私は由理恵の得意げな顔を見て、思わず笑ってしまった。
笑うと、傷口がズキズキと痛んだ。
「由理恵、忘れた?ここには防犯カメラがあるのよ」
私は部屋の隅を指さした。
由理恵の顔がこわばったけど、すぐにいつもの猫をかぶった表情に戻った。
「莉緒さん、何を言ってるの?ただ心配で来ただけなのに」
「私が死んでるかどうか、心配してくれたってこと?」
私は手の甲の点滴針を引き抜いた。血がぷっくりにじんだけど、眉ひとつ動かさなかった。
「出て行け!」
由理恵は口を曲げて言った。「せっかく心配してあげたのに。これじゃあ直樹が莉緒さんを助けたくなくなるのも無理ないわ。いつも仏頂面で、本当に縁起が悪い」
由理恵が帰ろうと踵を返した時、ちょうどドアを開けて入ってきた直樹とぶつかった。
由理恵は、わざとらしくその場に倒れ込み、「きゃっ」と声をあげた。
「直樹……莉緒さんは機嫌が悪いのね。今押されたけど、私は大丈夫だから。莉緒さんを責めないで」
私服姿の直樹は、険しい顔で眉をひそめていた。
直樹は床に倒れている由理恵を一瞥し、それからベッドに座る顔面蒼白の私に目をやった。
でも、最初の言葉は私の体を気遣うものではなかった。
直樹は由理恵に駆け寄って助け起こすと、私を指さして怒鳴った。
「莉緒!いい加減にしろ!
由理恵は怖い思いをしたばかりなのに、わざわざお前の見舞いに来てくれたんだ。それなのに、その態度はなんだ?」
私は枕にもたれかかり、五年も愛したこの男を見つめた。
急に、彼がまるで別人のように思えた。
「直樹、私がなぜ入院しているか知ってるの?」
直樹は苛立たしげに由理恵を椅子に座らせた。
「少し煙を吸っただけじゃないか?医者も容体は安定してるって言ってたぞ。そんなにカリカリするなよ。
俺は消防士だ。人命救助が最優先なんだ。あの時は由理恵のほうが危険だった。家族なんだから、少しは俺のことも理解してくれ」
理解、ね。
仕事が忙しい直樹を理解して、妊婦健診はいつも一人で行った。
直樹の給料が十分じゃないのも理解して、私も働いて家計を支えてきた。
直樹のプライドを傷つけないように、外で愚痴ひとつこぼしたことはなかった。
それなのに、その結果が?
「直樹、お腹の子、もういないの」
私は淡々と、事実を告げた。
由理恵にお湯を注いでいた直樹の手が震え、熱湯が彼女の手の甲にかかった。
「熱っ!」由理恵が悲鳴をあげた。
直樹は反射的に由理恵の手に息を吹きかけたが、その目はうろたえて私に向けられていた。
「今、なんて言ったんだ?」
「あなたは家族を特別扱いしないから、あなた自身の子供を殺すことになったのよ」
私は布団をめくって、病衣のズボンについた血の染みを指さした。
「あなたが由理恵を抱きしめてインタビューに答え、『家族も覚悟を持つべきだ』なんて言っていた時にね。
私たちの赤ちゃん、死んじゃったのよ」
男の子で、もうちゃんと形ができていた。
医者に「最後に会いますか」って聞かれたけど、怖くてできなかった。
だって、もし顔を見たら、直樹のことを刺し殺してしまいそうだから。
直樹の顔から、さっと血の気が引いた。
由理恵の手を放し、直樹はこわばった足取りでベッドに近寄ってきた。
「莉緒……嘘だろ?煙を吸っただけで、死産なんて、するはずが……」
「だって、お隣さんに引きずり出されたんだよ」
私は直樹の目をまっすぐ見て、一言ずつ区切って言った。
「床を這って逃げようとした時、ドア枠にお腹を強くぶつけたから。
私の『立派な』夫が、幼馴染を助けるのに夢中で、妻の私を煙の中に置き去りにしたからよ」
罪悪感に満ちた顔で、直樹が私に手を伸ばそうとした。
「触らないで!」
私は、かすれた声で叫んだ。
「あなたのせいで、私たちの子は死んだんだよ。
直樹。離婚しよう。
書類は弁護士から送らせるわ。だから今すぐ、あなたの言う『一般市民』さんと一緒に、この病室から出ていって」
さすがの由理恵も声を失い、椅子の上で身を縮こませて目を泳がせている。
直樹が何か言おうとした時、看護師が駆け込んできた。
「騒がないでください!患者さんは死産を経験したばかりで、大出血してショック状態寸前だったんですよ。死なせる気ですか?」
気の強い看護師は、問答無用で直樹を病室から押し出した。
「奥さんが大変な時に、見舞いどころか愛人を連れてきて見せつけるなんて!信じられません!」
押し出された直樹はよろめき、ドアの前で立ち尽くした。目は真っ赤に充血していた。
「莉緒、俺は……本当に、何も知らなかったんだ……」
ドアがバタン、と閉められた。
私は目を閉じると、こらえていた涙がとうとう溢れ出した。
直樹、あなたは知らなかったんじゃない。
ただ、無関心だっただけよ。
第3話
退院の日、迎えに来てくれる人は誰もいなかった。
直樹からメッセージがきた。【こっちで表彰式があって、抜けられない】
表彰式?
自分の子どもの命と引き換えの勲章なんて。それを胸につけて、心が痛まないわけ?
私は返信しないで、一人でタクシーを拾って家に帰った。
玄関のドアを開けると、そこにはピンクのハイヒールが置いてあった。
リビングに入ると、由理恵が私のシルクのパジャマを着て、ソファにあぐらをかきながらお菓子を食べていた。
それは母が私の安産を願いつつ、わざわざ田舎から送ってくれたお菓子だった。
すると直樹がエプロン姿で、フルーツの盛り合わせを手にキッチンから出てきた。
私の姿を見て、二人は一瞬きょとんとしていた。
「莉緒、なんで一人で帰ってきたんだ?俺が迎えに行くって言っただろ?」
直樹はフルーツをテーブルに置いて、少し責めるような口調で言った。
「メッセージしたのに返事もないからさ。もう何日か病院にいるのかと思ってたよ」
私は、由理恵の着ているパジャマを見つめた。
あれは結婚記念日に買った、とっておきのパジャマ。もったいなくて一度も着ていなかったのに。
それが今、この女に着られているなんて、皮肉な運命としか言いようがない。
「どうしてこの人がここにいるの?」私は由理恵を指さして聞いた。
由理恵はお菓子を置くと、びくっと肩をすくめて、直樹の後ろに隠れた。
「莉緒さん、誤解しないで。私、あの日のショックで一人でいるのが怖くて……そうしたら直樹が、家に空き部屋があるからって、何日か泊めてくれることになったの……」
「泊めてる?」
私は冷たく笑って由理恵に近づき、そのパジャマの襟をぐいっと掴んだ。
「うちが保護施設かなにかだとでも?それとも、このまま主寝室に住み着いて、私の代わりになるつもり?」
「莉緒!なにするんだ!」
直樹が駆け寄ってきて、私を突き飛ばした。
まだ本調子じゃない私の体は、ふらついて数歩後ずさりした。そして、テーブルの角に腰をぶつけ、激しい痛みが走った。
直樹は由理恵をかばいながら、心底がっかりしたという顔で私を見た。
「なんでそんなに訳の分からないことを言うんだ?由理恵はお客さんだぞ。それに喘息持ちなんだ。もし一人でいる時に発作が出たらどうするんだよ?
いざという時、俺がそばにいればすぐ対応できるだろ!
だいたい、俺たちの間には何もない。そんな汚い考え方やめろよ」
何もない?
男と女が二人きり。私の留守中に上がり込んで、私のパジャマを着てるくせに。
これで何もないって言えるわけ?
「直樹、忘れたの?私だって、死産したばっかりなのよ。看病が必要なのは私の方じゃないの?」
私はテーブルに手をついて、なんとか体を起こした。
「私の母さんが送ってくれたお菓子を彼女に食わせ、私のパジャマを着させて……私が子どもを亡くしたばかりのに、私たちの家で、よくもイチャイチャできるわね?」
直樹の顔に、気まずそうな表情が浮かんだ。
「お菓子は……お前が家にいないから、腐っちゃうかなと思って……」
「お母さんが送ってくれたお菓子、まだ全部開けてないんだから。あと一ヶ月くらい全然平気!」
私はテーブルの上のフルーツの皿をひっつかみ、力いっぱい床に叩きつけた。
皿が割れる音に、由理恵は甲高い悲鳴をあげ、直樹の腰にぎゅっと抱きついた。
「直樹、こわい……莉緒さん、どうかしてるんじゃない?」
直樹は由理恵の背中をさすりながら、怒りに満ちた目で私を睨みつけた。
「莉緒、少しは落ち着け!そんなに騒いでどうするんだ?」
「騒いで悪かったわね!」
私は寝室へ向かい、スーツケースを引っ張り出した。
「この家はくれてやるわ。お似合いの二人、せいぜい仲良くやってなさい」
服には目もくれず、必要な書類とパソコン、そして、まだ飾れずにいたお腹の子のエコー写真だけをカバンに詰めた。
直樹がドアの前に立ちはだかった。
「どこへ行く気だ?もう夜だぞ」
「実家に帰る。ホテルに泊まる。どこへ行ったって、あなたたちと顔を合わせるよりはマシだわ」
直樹は眉をひそめた。「いい加減にしろ。離婚なんて、あの時かっとなって言っただけだろ。俺は同意しない。子どもを失ったのは俺だって悲しい。でも、俺たちはまだ若いんだ。これからまた……」
「『これから』なんてないわ」
私は直樹を突き放した。
「直樹、あなたが身内びいきを避けたいって、私を見捨てたあの時から。
私たちに『これから』はなくなったの」
私はスーツケースを引いて、ドアに向かった。
背後で、由理恵が泣きそうな声で言った。「莉緒さん、私のせいなら、私が出ていくよ……」
「もうお芝居はいいわ」
私は振り返らなかった。
「そんな男、もういらない。あなたにくれてやるわ」
第4話
私はSNSの運営をしている。
ここ数年は妊活のために仕事量を減らしてはいたけど、使えるツールやアカウントはまだ手元にある。
ホテルで過ごすようになって三日目。直樹を表彰する動画は、まだ再生回数を伸ばしていた。
中には「分別がある」妻である私に、取材を申し込んでくるマスコミまでいた。
直樹からメッセージが届いた。
【テレビ局がお前の取材をしたいそうだ。家族の陰ながらの支えについて話してほしいってさ。俺の昇進に大事なことなんだから、身なりを整えて、余計なことは言うなよ】
【あの日のことは、お前が自分から頼んだことにしろ。世間から変な噂を立てられないようにな】
そのメッセージを読んで、私は怒りで逆に笑いがこみ上げてきた。
この男は、私の子どもの亡骸を踏み台に出世するだけじゃなく、私まで利用するつもりなんだ。
私は一言だけ返信した。【わかった】
そっちが有名になりたいなら、私が炎上させてあげる。
インタビューは、消防支署の会議室で行われた。
直樹はパリっとした制服を着て、胸には勲章を飾り、正義感あふれる顔つきをしていた。
由理恵は客席に座って、まるでヒーローを崇めるような目つきで直樹を見つめていた。
記者の人が、私にマイクを差し出した。
「奥さん、あの危険な状況で、ご主人が他の方を助けに行くのを見て、どう思われましたか?ご主人のこと、誇りに思いましたか?」
カメラが私の顔を捉える。
隣にいる直樹が、少しだけこちらを向いて、目で「協力しろ」と警告してきた。
私はカメラに向かって、痛ましい笑みを浮かべた。
「誇り?もちろん、誇りに思ってますよ。
その誇りのために、私は妊娠七ヶ月の子どもを失いましたから」
会場は、水を打ったように静まり返った。
記者の人は呆然として、マイクを落としそうになっていた。
「え……なんですって?」
私はカバンから血のついたエコー写真と、病院の死産証書を取り出して、カメラの前に突きつけた。
「皆さん、はっきり見えますか?
これが、この人の言う『身内に特別扱いをしない』ための結果です。
周りからえこひいきだと思われないように、彼は妊娠中の妻を火事の現場に置き去りにしたんです。そして、足を捻挫しただけで自分で階段を降りられる幼馴染を、抱きかかえて助けに行きました。
救急車の中でも、彼は『びっくりした』だけの幼馴染をなぐさめていました。その時、彼の妻はすぐ隣で大量に出血していたというのに」
直樹が勢いよく立ち上がって、私のマイクを奪おうと手を伸ばした。
「莉緒!何を言ってるんだ!放送を止めろ!早く止めろ!」
私は予測していたので、さっと身をかわし、生放送中のカメラに向かって叫んだ。
「直樹、あなたは身内に特別扱いしない、公共のリソースを私物化しないと言ったわよね。
だったら、藤田さんが命の危険もないのに、消防士長に人間担架をさせていたのはどうなの?それは公共のリソースの私物化じゃないの?
重傷の妊婦を放っておいて、軽傷の人を助けに行った。これが博愛精神だって言うの?それとも、ただの職権濫用じゃない?」
会場は騒然となった。
配信のコメント欄は、一瞬で炎上した。
【まじかよ?妊娠七ヶ月の妻をほっといたって?】
【身内びいきを避けるとかいうレベルじゃねえ。これ、殺人未遂だろ!】
【あの幼馴染、覚えてる。さっきカメラの外で化粧直ししてたぞ。全然ぴんぴんしてるじゃん】
直樹は真っ青な顔で、部下の隊員たちに私を引っ張り出すよう指示した。
「ご家族の方が情緒不安定なため、本日のインタビューはこれで終了します!」
私は無理やり引きずられていきながら、由理恵を睨みつけた。
「藤田さん、喘息が治るの、ずいぶん早かったのね。シャンパンでも飲めるくらいだものね」
由理恵は真っ白な顔で、人混みの後ろに隠れた。
直樹が私の手首を掴んできた。骨が砕けてしまいそうなほどの力だった。
「莉緒、俺の人生をめちゃくちゃにしやがって!今回の昇進がどれだけ大事かわかってんのか!」
私は楽屋で、その手を振り払った。
「自分で自分の人生をめちゃくちゃにしたんでしょ。
直樹、あなたが人命救助より、世間へのアピールを選んだ時から、こうなることはわかってたはずよ」
その夜、世論は一気にひっくり返った。
【#消防士長、身内びいきを避けた結果、妻が死産】というハッシュタグが、トレンド一位になった。
【#藤田由理恵・喘息】も、徹底的に叩かれた。
あるネットユーザーが由理恵のSNSアカウントを突き止め、火事当日の午後に、彼女がジムでランニングする投稿をしていたことを見つけ出した。
喘息だの、足を捻挫しただの、全部うそだったんだ。
直樹の「ヒーロー」というイメージは、一夜にして崩れ去った。