時の流れに消えた夢

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時の流れに消えた夢

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横山佳奈(よこやま かな)と松尾仁(まつお じん)は、かつて学園中の視線を集める、誰もが羨む恋人同士だった。 太陽のように明るく、いつも...

Chương (1)

第1章

横山佳奈(よこやま かな)と松尾仁(まつお じん)は、かつて学園中の視線を集める、誰もが羨む恋人同士だった。 太陽のように明るく、いつも笑顔を絶やさない学園のアイドル。その佳奈は、裏社会に生きる名家の跡取りである仁が、誰にも触れさせず、大切に守り続けてきた存在だった。 佳奈のために、仁は危険な世界から身を引く決意をする。彼女を、もう暗い場所に縛りつけたくなかった。ただ、光の中で当たり前の幸せを手にしてほしかったのだ。 だが、ようやく未来が見えはじめたそのとき、佳奈は別れを告げた。 激しい雨の中、仁は三日三晩、地面に膝をついて思いを訴え続けた。やがて力尽きて倒れても、佳奈は一度も振り返らなかった。 それから三年後。再び仁の前に現れた佳奈は、かつてとは違っていた。今度は、愛される側ではなく、愛を乞う立場で。人前には出られない、名前のない関係でもいいと、自ら影に身を置き、彼のそばにいようとしたのだった。 第1話 横山佳奈(よこやま かな)と松尾仁(まつお じん)は、かつて学園中の視線を集める、誰もが羨む恋人同士だった。 太陽のように明るく、いつも笑顔を絶やさない学園のアイドル。その佳奈は、裏社会に生きる名家の跡取りである仁が、誰にも触れさせず、大切に守り続けてきた存在だった。 佳奈のために、仁は危険な世界から身を引く決意をする。彼女を、もう暗い場所に縛りつけたくなかった。ただ、光の中で当たり前の幸せを手にしてほしかったのだ。 だが、ようやく未来が見えはじめたそのとき、佳奈は別れを告げた。 激しい雨の中、仁は三日三晩、地面に膝をついて思いを訴え続けた。やがて力尽きて倒れても、佳奈は一度も振り返らなかった。 それから三年後。再び仁の前に現れた佳奈は、かつてとは違っていた。今度は、愛される側ではなく、愛を乞う立場で。人前には出られない、名前のない関係でもいいと、自ら影に身を置き、彼のそばにいようとしたのだった。 …… ある夜のこと。マンションの最上階には妖艶な雰囲気が漂っていた。 佳奈は目を覚ました。全身の骨が外れてしまうのではないかと思うほど、体が痛い。 だいぶ慣れたと思っていたのだが、やはり仁の人並外れた体力に付き合うのは容易じゃないようだ。 ベランダに立つ仁が、ゆっくりと煙の輪を吐き出している。その首筋に残るたくさんのキスマークに、佳奈は思わず見とれた。 でも、次の瞬間。仁の言葉が、雷のように彼女を打ちのめす。 「来週、婚約することになった」 仁の声はどこか気だるげだった。でも、その声は佳奈の骨の髄まで染み込んでくるように冷たく響いた。「若葉と」 佳奈の体が、かすかにこわばる。 岩崎若葉(いわさき わかば)とは、仁の幼馴染かつ、この街で一番大きな組の令嬢だった。 佳奈はなんとかいつもの妖艶な笑みを浮かべ、特になんでもないようなふりをして言う。「松尾社長、冗談でしょ?この前は、私が一番だって言ってくれたのに。婚約するぐらい、私とは遊び飽きちゃったの?」 仁は口の端をゆがめ、氷のような目つきで佳奈を見る。「家の暗証番号は変えたから、もうここへは来るなよ。 若葉は嫉妬深いんだ」 今度ばかりは冗談ではないと、佳奈にもわかった。 佳奈が唖然としているのに気づいた仁は、彼女の顎をぐいとつかむ。そして、突き刺すように冷たい声で言った。 「どうした?俺が他の女と結婚するのが、そんなにショックなのか? 『愛人でもいい』って、最初に言い寄ってきたのはお前の方だろ?」 彼はふっと鼻で笑いながら、指の腹で佳奈の唇をなぞる。「元カノと関係を持つのも、そのへんの女と関係を持つのも大して変わらないな。結局同じだ。しつこくて面倒くさい」 心臓がどきりと跳ねた。佳奈の胸に、なんとも言えない、酸っぱくて切ない気持ちがじわりと広がっていく。 しかし彼女は「別に」と、すぐに表情を消し、仁のネクタイに指をひっかけた。「けど、松尾社長なら、手切れ金くらいはくれるでしょ?だって……一緒にいる間、私、けっこうがんばったし」 そう言いながら笑う佳奈の目尻のほくろがしっとりと光り、なんともいえない色気を放つ。 仁は息をのみ、彼女の手首を骨が砕けてしまいそうなほどの力で強く掴んだ。 「やっぱりお前はそういう女だったんだな。金のことしか考えてない」 そう言い捨てると、彼は汚いものでも払うように手を放した。「金庫の番号は3357だ。金を取ったら、10分以内にここから消えろ」 「ありがとう」 佳奈は言葉にならない切なさを飲み込み、足早に書斎へ向かった。 壁にはめ込まれた黒い金庫。これまで三度も試したが、暗証番号はわからなかった。 彼女は深く息を吸い込んで、教えられた番号を入力する。「カチャ」という音とともに扉が開き、中を覗くと、金庫の隅のあるものが目に入った。 佳奈は金庫の中の現金をかき集めるふりをしながら、さりげなくそれを手のひらに握り込む。 そして、佳奈は満足げに立ち上がり、現金でパンパンに膨れたバッグを軽く撫でる。 「もう済んだのか?」仁が佳奈を見ていた。「最初からこうなるって、わかってたみたいだな」 「だって、もらえるものはもらっておかないと、でしょ?」佳奈は宝石をちらつかせ、にっこり笑う。「松尾社長は気前がいいのね。どうもありがとう。また何かあったら、いつでも呼んでね!」 仁は目をすっと細め、唇を固く結んだ。「取るもん取ったんだったら、さっさと消えろ」 マンションを出て5分もしないうちに、佳奈のスマホが鳴った。彼女はすぐに電話に出る。 「報告します。目標の鍵を入手しました。任務完了です」 電話の向こうから、上司である三浦純一(みうら じゅんいち)の声が聞こえてくる。「よくやった、25364番。指示通り、ただちに撤退しろ!横山家はもう十分、警察のために動いてくれた。それに君も、お父さんの番号を継いだばかり。君の安全は絶対に確保するからな。それから……」 彼は少し間を空けてから、続けた。「本部からたった今連絡があったんだが、君のお兄さん……まだ生きている可能性があるそうだ」 佳奈の体がびくりと固まる。お兄ちゃんが、生きている? 彼女は目頭を熱くしたが、こみ上げる気持ちを必死に抑える。「三浦さん、1週間くれませんか?兄を助け出したら、すぐに撤退しますから」 第2話 「正気か?!」純一の声が低くなった。「松尾がどんな男か知っているだろ?それに、あいつの手がどれだけ血に染まっているのか、君だって知らないわけじゃない。もし正体がバレたら、生きては帰ってこれないぞ!」 佳奈は何も言わずに、手に入れたばかりの鍵を強く握りしめる。 純一の言葉に、彼女は心臓が凍る思いだった。「それに、情報屋からの連絡が途絶えたんだ。だから、君のお兄さんの最後の足取りも、まだはっきりしないまま……」 電話を切ると佳奈はスマホをしまう。指の関節が白くなるほど強くこぶしを握りしめた。 もう2年になるのに。 自分は警察の身分を隠し、自ら仁の愛人としてそばに潜り込んだ。それでも、まだ兄の行方は掴めていなかった。 それに、仁から情報を得るという線はもう絶たれてしまった。だから自分は、手がかりに近づくための新しいチャンスを探す必要があった。 佳奈はあるバーを訪れた。ここは仁の息がかかった場所なので、ひょっとしたら何か手がかりを見つけられるかもしれない。 「松尾さんの今度の婚約相手、幼馴染なうえに家業も同じような感じらしいよ。それに、みんなこのこと知ってる?昔、松尾さん、実はある女のために堅気になろうとしたらしいんだけど、何かごたごたあったみたいで、結局別れちゃったらしい……」 「本当だとしたら、その女何にもわかってないよね。松尾さんは愛妻家としてこんなにも有名なのに。松尾家に嫁がなかったなんて、なんてもったいないことを」 「ほんとそれ。それに、なんでも土砂降りの中、松尾さんは気絶するまで土下座して引き止めたのに、その女は一度も振り返らなかったらしいよ。最悪すぎだと思わない?」 佳奈のグラスを握る手にぐっと力が入る。 自分と仁の間には、両親の命という決して越えられない壁があるのだ。だから、二人が同じ道を歩くことは絶対にない。 ぐっと一気に酒を煽ると、焼けるような熱さが喉を締め付ける。 「お姉さん、一人?」 ぼうっとしていると、安っぽい香水の匂いがして、いつの間にか椅子の背もたれに手が置かれていた。 佳奈は少し頭がくらくらして、なんだか体に力が入らない。相手の手をどかそうとしても、腕が上がらなかった。 そして次の瞬間、顎に激しい痛みが走る。骨が砕けたのではないかと思うほどの強い力だった。 顎を掴まれたまま、無理やり顔を上げさせられた。するとそこには、氷のように冷たい黒い瞳があった。 仁だ。 シャツのボタンを胸元まで開けている彼は、少し酔っているようだ。彼が言葉を発する度にかなりきつい酒の匂いがする。 「佳奈!俺と別れた途端に次の男とは。そんな男に飢えてるのか?」 声をかけてきた男が何か言おうと、口を開きかけたが、すぐに仁のそばにいたボディーガードによって蹴り倒された。 佳奈は痛みに眉をひそめる。しかし、その痛みのおかげか、お酒でぼんやりしていた意識がだいぶはっきりしてきた。 そして、なんとか仁の腕を振り払ったが、顎にはくっきりと赤い跡が残ってしまっていた。 「結構おせっかいなんだね」佳奈は口の端をゆがめる。「もう私たちは関係ないんだから、私が誰と一緒にいようと、あなたにとやかく言われる筋合いはないと思うんだけど」 「関係ない、だと?」仁は冷たく笑い、彼女に顔を近づけた。その声は、紙やすりのようにざらついている。「土下座までして、愛人にしてくれって頼んできたのはどこのどいつだったっけ?」 彼の言葉は、まるで平手でぶたれたかのような衝撃を佳奈に与えた。 顔からはサッと血の気が引き、佳奈は爪が食い込むほど手のひらを握りしめる。 そうだ、自分が頼んだのだ。 両親の死の真相と、兄の行方を探るために。自分はすべてのプライドを捨てて、仁にチャンスをくれと頼み込んだのだった。 仁がさらに言葉を続けようとしたとき、入り口のあたりが騒がしくなった。 「仁」 高慢で、有無を言わせないような女性の声が響いた。 周りで見ていた人たちも、自然と道を開ける。それは若葉だった。慣れた様子で仁の腕に絡みつき、視線を佳奈に向ける。 「こちらの方は?」 佳奈は顎をさすりながら、視線を下に向けコートの襟を直し、聞こえないふりをした。 「どうでもいい女だ」仁は佳奈を忌まわしげに一瞥すると、若葉の肩を優しく抱く。「若葉、どうしてこんな所に来たんだ?」 若葉は赤い唇の端を吊り上げ、佳奈を見下ろした。「婚約者の店なんだから、見に来るのは当然でしょ?自分の立場もわからないような女がうろついていないか確かめに、ね?横山さんもそう思うでしょ?」 佳奈はぐっと拳を握りしめ、必死で平静を装う。 「何を言っているのか、私には分からない」 若葉は、さらに笑みを深くした。「分からない?じゃあ、はっきりと言ってあげるわね。 仁から離れて。そして、あなたたちに関係があった事も、きれいさっぱり忘れてちょうだい!」 その瞬間、佳奈の顔から血の気が引いた。 仁は約束したはずだ。二人の関係は絶対に誰にも言わないと。 それなのに、なぜ……若葉が知っているのだ? 佳奈は刺されるような胸の痛みをこらえ、なんとか口元に笑みを作る。「岩崎さん、きっと何かの誤解だと思う。私たち、そんなことはまったく……」 しかしその言葉は、突然飛んできた平手打ちによって遮られた。顔を横にそむける佳奈の頬は、瞬く間に赤く腫れ上がる。 「誤解?」若葉からさっきまでのお淑やかだった態度が消えた。「これは、仁本人が教えてくれたことなんだけど」 佳奈は息をのんだ。胸の中から、心臓が砕け散る音が聞こえてきそうだった。 彼女は拳を固く握り、真っ赤になった目で仁を見つめる。 仁は視線をそらし、低い声で言った。「若葉は俺の婚約者だ。すべてを知る権利がある」 「横山さん、仁はこうも言ってたわ。あなたは、ただ少しだけ夜の相手が上手なだけで、他はそこら辺の女と変わらないってね」若葉は、なおも続ける。「機会があったら、ぜひそのテクニックを教えていただきたいわね」 彼女は妖艶に微笑んでいたが、その声には毒が含まれているようだった。 佳奈の胸に、ぽっかりと穴が空く。息をするたびに鈍い痛みが走り、痛くて言い返すこともできない。 「どうしたの?まさか、仁が本当にあなたのことを愛してくれるとでも思ったわけ?」若葉は腰をかがめ、佳奈の耳元で囁く。「自分の立場をわきまえてくれるかしら?ほんと、安っぽい女。 そういえば、ご両親を早くに亡くしたそうね。だからかしら?こんなにお行儀が悪くて、恥知らずなのは」 第3話 「だまれっ!」佳奈はかっとなり顔を上げ、若葉に殴りかかる。 しかし、仁が若葉を庇い、佳奈はボディーガードによって、床に押さえつけられた。 「離して!仁、あなたに人の心ってものはないの?」 仁は、いらだちを隠さずに眉をひそめた。「人の心だと?お前がそれを俺に聞くのか?」 「岩崎さんがさっきなんて言ったか、あなたは聞いてなかったの?」佳奈は涙をこらえきれず、追い詰められた獣のように呻く。「私は親がいないんじゃない!私の両親は……」 しかし、佳奈ははっとし言葉を飲み込んだ。 言うわけにはいかない。 もしここで正体がばれたら、今までの苦労が水の泡になってしまう。 「両親が何なんだって?言ってみろよ」 仁は佳奈の前に立ち、その鋭い目でじっと見つめる。「若葉は、ただ事実を言っただけだ」 その言葉は、まるでなまくらな刃物のように、彼女の最後の期待をゆっくりと切り裂いていった。 若葉は満足そうに口の端を上げると、仁の腕にからみつく。「仁。この女、さっき私を殴ろうとしたのよ。私の代わりに仕返しして?」 仁は一瞬黙ったが、ボディーガードに淡々と告げる。 「思い知らせてやれ」 そう言うと、仁は若葉の腰を抱いて少し離れたボックス席に座り、佳奈が二人のボディーガードに羽交い締めにされるのを冷ややかに見ているのだった。 バチンッ―― 最初の一発は、ものすごい力だった。佳奈はよろめき、後ろにあったテーブルの角に体をぶつけた。 頬がじりじりと熱く痛み、口の端からは血が滲む。 しかし、すぐさま反対の頬にも二発目が飛んできた。耳の奥でキーンと鋭い音が鳴り響く。 三発、四発……ボディーガードが冷たい声で回数を数えている。その力は少しもゆるまない。 何か言おうと口を開いても、鉄の味がする血がこみ上げてくるだけだった。 視界がだんだんとかすんでいく。頭の中で考えているのは、ただひとつのことだけ。佳奈、耐えるんだ。任務が成功する、その瞬間まで…… それから、どれくらいの時間がたっただろうか。意識が霧のように薄れていく最後の瞬間に、仁がボディーガードに尋ねる声が聞こえた。「何発だ?」 「社長、99発です。まだ続けますか?」 ようやく佳奈に目を向けた仁は、ほんのわずかに眉をひそめた。 しかし、すぐに顔をそむけると、冷たい声で言った。「もう一発だ。きりのいい数で終われ」 バチンッ――無慈悲な音が、ホールに響きわたる。 ボディーガードの手が離れると、佳奈は最後の力を振り絞ってその場になんとか立ち留まる。口からは血がぽたぽたと滴り落ちていた。 若葉のあざけるような笑みを最後にちらりと見て、佳奈はついに耐えきれず、完全に意識を失ってしまった。 目が覚めると、そこは病院のベッドの上だった。 鼻をつく消毒液のにおいがする。佳奈が頬にそっと触れると、そこから耐えがたい痛みが走った。 突然、スマホが鳴った。上司の純一からの着信だった。 「25364番、新しい情報だ」電話の向こうの声はなんだか切羽詰まっている。「君のお兄さんは生きている!松尾家の郊外にある射撃場に捕らわれていることは分かったんだが、まだ場所の詳細は特定できていない」 佳奈はがばっと体を起こした。そのせいで傷が痛み、思わず「うっ」と呻き声を漏らす。 「25364番、どうした?行けるか?」 「はい、問題ありません。すぐに向かいます!」 第4話 佳奈は点滴の針を引き抜き、上着を掴むと部屋を飛び出した。 車を飛ばす彼女の焦りは次第に強くなっていく。 兄は自分に残されたたった一人の家族。助け出したら、もうこんな世界からは永遠におさらばだ。 30分後。郊外の射撃場には、銃声が絶え間なく鳴り響いていた。 佳奈は物陰に隠れて、射撃場の中の様子を伺う。 射撃場では、仁が若葉の後ろから彼女の身体を支えている。二人は楽しそうに笑い合っていて、すごく幸せそうだった。 仁の手は若葉の手に重ねられ、銀色の拳銃を握っている。 「的の真ん中を狙って、指でそっと引き金を引くんだ」仁の声は優しかった。「緊張しなくていい。俺がいるから」 パンッ―― 放たれた弾は、的のど真ん中。 若葉は振り向き、色っぽく笑って彼の顎にキスをした。「あなたの教え方が上手だから、うまくいったわ!」 あまりにもまぶしい光景に、佳奈はそっと目を伏せる。 しかし、佳奈はすぐに気持ちを切り替え、忍び込めそうな隙間を探そうと辺りを見回す。 その時、若葉の不満そうな声が聞こえてきた。「なんだかつまんない。動かない的なんて退屈なだけよ」 若葉はきょろきょろと辺りを見回し、ふと佳奈が隠れている方向に視線を止める。 「いいこと思いついた」若葉が目を輝かせた。「ねぇ仁、今度は生きた的にしてみない?!」 佳奈の心臓がどきりと跳ねる。逃げようとしたけれど、突然現れたボディーガードに道をふさがれてしまった。 「横山さん、行かないで。​一緒に遊びましょうよ」 すぐに二人のボディーガードが佳奈近づき、彼女の両腕を後ろ手にひねり上げた。 「離して!」佳奈はもがきながら、慌てて口をひらく。「私は松尾社長に用があって来たんだから、あなたたちには関係ないでしょ!」 若葉は歩み寄ってくると、にやにやしながら佳奈を見た。「仁に何の用?」 佳奈は頭を必死に回転させて言い訳を探す。しかし、仁と目が合った瞬間、何も言えなくなってしまった。 「仁、彼女を吊るして的にしようよ」若葉は仁の腕に甘えたように絡みつく。「一回だけ。まさか彼女の命が惜しいなんて思わないわよね?」 仁は地面に押さえつけられた佳奈を見ると、気にも留めない様子で笑い、若葉の腰を抱いた。 「惜しいわけないだろ。やりたいならやればいいさ。でも、面倒はごめんだから急所は外せよ」 そう言うと、そばにいた手下に目配せをする。 手下はすぐに鉄の鎖を持ってきて、佳奈の手首を縛り、宙吊りにした。 傷口が引っ張られ激しく痛み、彼女は思わずうめき声を漏らす。 「離して!仁、人間を的にするなんて……いつからこんな鬼畜な真似ができるようになったの?!」 この言葉を聞いた瞬間、ずっと佳奈を冷たく見ていた仁の無表情な顔にわずかな亀裂が走る。 仁は拳銃を手に取り、その銃口を彼女の額に押し当てた。「3年前からだ」 パンッ―― 銃弾が佳奈の髪の生え際をかすめた。記憶が嵐のように蘇る。 3年前から自分はもう計画を立てていた。仁が裏社会から足を洗ったら、彼を家族に紹介するつもりだった。 しかし、その直前にまさかあんなことになるなんて。潜入捜査をしていた父が任務に失敗し、拷問の末に殺された。母も敵によって殺害され、同じく警察官だった兄も行方不明になり、広い家には、自分一人だけが残されたのだった。 そして、その全てに松尾家が裏で手を引いていた密輸事件と深く関わっていた。 警察は自分を守るために、別の街での生活を用意してくれた。 街を去る前、正体を隠すために、自分は仁にこう言い残していたのだ。「あなたが松尾家を出たら、何が残るの?それで、どうやって私を養うっていうの?何もない男と一緒になんてなれないから。私たち、別れよう」 それだけ言うと、彼の引き留める声を聞くこともなく、警察が手配した車に乗り込み、この街を去った。 そして1年前。自分は正式に警察官になった。父の遺志を継ぎ、その使命を果たすため、再び仁のそばへと戻ってきたのだった。 しかし、二度目の銃声によって、佳奈は苦しい記憶から再び現実へと引き戻された。 若葉が拳銃を手に取り、くるりと回している。 弾は佳奈の腕をかすめ、後ろの壁に当たっていた。 じわりと生温かい血が滲みだし、腕を伝って流れていく。 佳奈は痛みで全身を震わせ、心は恐怖で埋め尽くされた。 両親が敵に狙撃された、あの時のことを思い出す。 冷たい銃口、飛び散る血しぶき。それは何度も悪夢に見た、決して忘れることのできない光景だった。 もし自分がここで死んだら、兄はどんな酷い目に遭わされてしまうのだろうか。 佳奈は堪えきれずに、嗚咽を漏らす。 「仁、見て。彼女の反応、面白いわ」 興奮した若葉は子供のようにはしゃぎ、無慈悲にも再び引き金を引いた。 血は止まることなくぽたぽたと流れ落ち、佳奈の服を赤く染めていく。 仁はその場に立ったまま、ポケットの中の手を無意識に強く握りしめていた。 彼は咳払いをする。「若葉、もうそのくらいにしておけ。面倒なことにな……」 パンッ―― 仁が言葉を言い終える前に、また銃声が響いた。銃弾は、佳奈の脇腹のすぐそばをかすめ後ろの茂みへと飛んでいった。 仁の心臓がどきりと跳ねる。すぐ佳奈に視線をやると、彼女はがくりと頭を垂らし、完全に意識を失っていた。 「あーあ、気絶しちゃったわ」若葉は唇をとがらせて拳銃を放り投げる。「しらけるわね」 仁は足早に佳奈へと駆け寄り、崩れ落ちる彼女の体を受け止めた。 彼女はとても軽く、全身血まみれで、顔は紙のように真っ白だった。 手のひらに佳奈の血がべったりとついた。その熱い温度が、仁の胸をわけもなく締め付ける。 「病院へ運べ!」そう命じる彼の声は低かったが、その声には動揺が混じっていた。 若葉が眉をひそめる。「仁、どうして彼女にそこまでしてあげるの?可哀想になった?」 仁は答えず、佳奈を抱きかかえたまま、大股で外へと歩き出す。 第5話 佳奈が目を覚ますと、ツンッとする消毒液の匂いが鼻をついた。 「お目覚めになりましたか?」看護師がトレイを持って入ってきた。その口調はどこか呆れている。「あなたの彼氏さん、どうなってるんですか?診断書を取りに来てって3回も呼び出したのに、全然来てくれないんですよ」 佳奈は言葉を発そうとしたが、喉がひどく渇いて痛み、声を出せなかった。 看護師は体温計を彼女の脇に挟みながら、ため息をつく。「それで何してるのかなって思ったら、結局はお隣の病室でかいがいしくお世話してたんですよ。 指をちょっと擦りむいただけの女の人のために、あなたを放ったらかしにするなんて。本当にひどい話ですよ」 「あの人は彼氏じゃありません」 佳奈は、かすれた喉でなんとか声を絞り出した。 看護師はきょとんとしていたが、それ以上は何も言わずに薬を置くと、部屋を出て行った。 病室が再び静かになると、隣の声がやけにはっきりと聞こえてくる。 若葉が甘ったるい声で甘えているようだ。「ねえ、仁。苺が食べたいな。苺のへた、取ってくれる?」 「ああ、しょうがないな」仁の優しい声が聞こえる。「大人しく寝てまっとけよ」 その溺愛ぶりは、かつて自分に向けられていたものと全く同じだった。 若葉が媚びるように笑って言う。「ふふ、やっぱり仁は私に優しいのね。ちゃんと私のこと、想ってくれてるんだもの」 仁の軽い笑い声も聞こえた。 そのかすかな声が、針のように佳奈の耳に突き刺ささる。 彼女はぎゅっと目を閉じた。涙がこめかみを伝って枕に染み込んでゆく。 脇腹の傷からはまだ血が滲み、少し動くだけで引き裂かれそうな痛みが走るし、心は氷水に浸されたみたいに、どんどん冷たく、硬くなって沈んでいった。 佳奈は枕の下に隠したスマホを取り出し、秘密の連絡アプリを開く。 純一からのメッセージが表示された。【作戦が漏れていたようだ。君のお兄さんは敵に場所を変えられてしまった。現在、追跡不能。発見は絶望的】 佳奈は手の震えが止まらず、スマホを落としそうになってしまった。 発見は絶望的。 その言葉が、彼女を支えていた最後の何かを完全に奪い去っていく。 兄は、自分にとってたった一人の家族だったのに。 射撃場で若葉に邪魔されなければ……もし仁が彼女の味方をしなければ、自分は約束の場所に行けた。そうしたら、兄が連れ去られることもなかったのに! 佳奈は布団をはねのけ、傷の激痛もかまわず、裸足で部屋を飛び出した。 隣のわずかに開いていた病室のドアを、佳奈は思い切り蹴り開ける。 「あら!」若葉は驚いたようだったが、すぐに口の端を吊り上げた。「どうしたの?うらやましくて邪魔したくなっちゃったのかしら?」 しかし、佳奈は特に相手にすることもなく、足早にベッドに駆け寄る。 仁が反応するよりも早く、彼女は若葉の腕を掴み、ベッドから引きずり下ろした。 「きゃあ!」若葉は悲鳴を上げた。床に激しく押さえつけられ、腕を背中にねじ上げられた若葉は、痛みで涙を浮かべている。 「仁、助けて!」彼女は泣き叫ぶ。 仁が助けようとしたその瞬間、佳奈が鋭く叫んだ。「来ないで!邪魔するなら……この女がどうなっても、知らないから!」 そして氷のように冷え切った視線で、若葉を睨みつける。「岩崎。私たち、何の因縁もなかったはずでしょ。それなのに、どうしてそこまで私に執着するの?」一拍置いて、低く言い放つ。「覚悟しておいて。必ず代償は払わせるから」 若葉の腕がみるみる腫れ上がったと思った次の瞬間、部屋にゴキッと鈍い音が響いた。 「あああああ――」 悲鳴とともに、彼女の両腕はありえない角度に折れ曲がり、ぐったりと床に垂れる。 そして、佳奈はポケットから小さなUSBメモリを取り出し、若葉の目の前に突きつけた。「これは、あなたが銃を違法に使った証拠。すぐに警察が来るから、覚悟しなさい!」 若葉は一瞬きょとんとしたが、すぐに顔を歪めて笑い出した。 「警察?あなた頭でも打ったの? この街の警察に、私をどうこうできる人なんていないわよ? 人を的にして遊んだからって、何だって言うの?殺人を犯したって、どうもならないのに。あなたたちなんて私のおもちゃでしかないのよ?ねえ、私を殺すなら今しかないわよ。もし、今日ここで私を殺さなかったら、次はあなたが死ぬ番になるわ!」 その狂ったような姿を目の当たりにして、佳奈は拳を、固く、固く握りしめた。今すぐにでも、この女の顔に叩きつけてやりたい…… 必死に理性を保っていた佳奈だったが、若葉の止まらない挑発に、ついに限界を迎える。振り抜かれた拳が風を切り、若葉の顔に叩き込まれようとしたその瞬間、温かい手のひらが、佳奈の拳をがっしりと受け止めた。 仁だった。 「邪魔しないで!」佳奈は目を血走らせながらも、一言一句はっきりと言う。 仁は眉をひそめると、佳奈を強く抱きしめた。 「ここで暴れるな!」 しかし、佳奈には彼の言葉が全く届かない。ただ、その腕から逃れようともがくだけ。 「若葉に手を出すべきじゃなかった」仁は少し間を置いてから、部下に指示を出す。 「おい!こいつを地下の部屋に閉じ込めておけ」その声からは、一切感情が感じられない。 「誰も近づけるなよ!」 松尾家の地下室。極悪非道の悪人を閉じ込めるには、これ以上ないほどお似合いの場所だった。 その場にいたボディーガードたちは、背筋が凍るのを感じた。 「仁!」佳奈は信じられないという顔で仁を見つめる。「放して!あいつを殺してやる!」 しかし、仁に迷いはなかった。彼女の体をそばにいたボディーガードに突き飛ばす。「連れて行け!」 第6話 冷たい鉄の錠が下され、佳奈は外の世界から切り離された。 閉じ込められた部屋に窓はなく、天井の真ん中にある裸電球が唯一の明かりだった。 仁の命令により、電球は24時間つけっぱなし。決して消すな、と言われていた。 眠気に襲われるたびに、頭上のまぶしい光で意識が朦朧とする。 時々、ドアの外から見張り番がドアを蹴る。「起きろ!社長の命令だ!寝るな!」 無理やり目を開けて、目の前で揺れる真っ白な光を見つめていると、幻覚さえ見えてきそうだった。 部屋にはカビ臭い匂いも充満している。食べ物も水もなく、おまけに72時間も眠らせてもっていない。そんな佳奈は、骨と皮ばかりに痩せ細っていた。 意識が遠のきかけたその時、見慣れた人影が佳奈に話しかける。 「佳奈、俺は今までお前を甘やかしすぎてたようだ。どうだ?少しは反省したか?」 逆光の中に立つ仁の、非の打ち所のないスーツ姿。それに引き換え、地面に転がる自分は、まるで泥の塊のようだ。 佳奈は必死に首を横に振る。声がひどく掠れ上手く言葉にならない。「私は間違ってなんか……ない……」 仁の目が険しくなる。骨が砕けるのではないかというほどの力で、佳奈の顎を掴んだ。「まだ言い返すか?」 佳奈は顔を上げたかった。でも、頭が鉛のように重くて、どうしても持ち上げることができない。 佳奈が唇の端をゆがめると、そこから血がじわりとにじみ出る。 自分は間違ったことなんか一度もしていない。 それに、あの女を庇っているんだから、今更自分にこんなことを聞いて何になるというのだ。 「私が犯した間違いは、たったひとつだけ…… それは、岩崎をもっと早くに殺さなかったこと!」 佳奈はか細い息で、そう唇を震わせる。 しかし、この一言でその場の空気が凍りついた。 仁は眉をひそめ、目の奥の影を一層深くさせる。 「反省のかけらもないみたいだな」彼はそう吐き捨てて背を向けた。「このまま閉じ込めておけ!」 鉄の扉が閉ざされ、部屋は再び地獄となった。 佳奈は糸が切れたように床に倒れ込む。汗と血で体がべとべとになり、不快だった。 まぶたが勝手に下りてくる。このまま、永遠に眠ってしまいたい…… しかし、すぐに隣の部屋から聞こえてきた女の甘い声で、彼女は目を覚ます。 「んっ――」 若葉が甘えた声で笑っている。「仁、隣に聞こえちゃう……」 「好きに聞かせておけ」 かすれてた仁のその声は、欲情を隠そうともしていなかった。 女の甘い声一つ一つが佳奈の耳に突き刺さる。 彼女は強く拳を握りしめた。手のひらに爪を食い込ませ、痛みでなんとか意識を保とうとする。 カチャリ―― その時、ドアの鍵がかすかに音を立てた。 誰かが静かに入ってきて、さっと佳奈の後ろに姿を隠した。 「誰?!」佳奈は警戒しながらあたりを見回す。 「しーっ、佳奈さん。俺だよ!」 その聞き覚えのある声に、佳奈ははっとした―― かつての相棒、中村正人(なかむら まさと)だった。 虫の息の佳奈を見て、正人は思わず目頭を熱くさせた。 「佳奈さん、組織はあなたからの緊急信号を受けてから、すぐに救出作戦を立ててくれたんだけど……一歩遅かったみたいだね……」 そう言いながら、彼はまるで壊れやすい蝶に触れるかのように、慎重にロープをほどいていく。 懐かしい顔に、佳奈も興奮を隠しきれない。「あなたなの?本当によかった。それと、兄の情報は何かあった?」 正人はうなずき、真剣な表情で言った。「ああ、見つかった。今、組織が救出の準備を進めているところだよ」 佳奈の目がぱっと輝く。「本当に?」 「間違いない」そう言いながら、正人は懐から一枚の写真を取り出した。「松尾グループが密輸品用に使っている港に移されるのを、情報屋が見たそうだ」 彼は立ち上がろうとする佳奈を支え、なだめるように続ける。「お兄さんの救出は俺がやるから、手に入れた鍵を俺にくれないか?あなたは先に逃げて!」 佳奈は首を横に振り、きっぱりと言い切る。「嫌、私も一緒に行く!」 「あなたは……」 彼女の決意が固いのを見て、正人はため息をつく。「わかった。じゃあ、まずはここから撤退だ!」 部屋の外では、数人のボディーガードが気を失って倒れていた。 正人は佳奈の手を引き、地下室の裏口から素早く外へ出た。 外には黒いSUVが一台停まっており、すでにエンジンがかかっている。 「乗れ!」 次の瞬間、SUVは矢のように飛び出し、砂埃を巻き上げながら走り去っていった。 第7話 30分後、一台のSUVが港に到着した。 錆びついた倉庫のドアを開けると、中からむっとするような濃い血の匂いが漂ってきた。 倉庫の隅で、佳奈の兄・横山大輔(よこやま だいすけ)は鉄骨に鎖で繋がれていた。着ていた警察の制服はぼろぼろになり、乾いた血がこびりついている。 佳奈は心臓を握りつぶされたような衝撃を受けた。涙で一瞬にして視界が滲む。 「佳奈さん、急げ!時間がない!」正人はドアの外を警戒しながら叫んだ。 佳奈は涙をぬぐうと、手早く鎖を叩き壊し、大輔の腕を肩に担いだ。 その瞬間、大輔が痛みでうめき声を漏らす。 すると突然、外から甲高いタイヤの音が聞こえた。次の瞬間には、無数の強い光が倉庫の中に向けられ、目を開けていられないほど眩しくなる。 数十人の黒服が二人を取り囲み、彼らに向けて一斉に銃口を突きつけていた。 正人は二人を引っ張って物陰に隠れ、険しい顔でつぶやく。「まずい、囲まれた」 リーダーらしき男が空に向かって発砲した。「武器を捨てて投降しろ!さもなければこの引き金を引くぞ!」 正人はすぐさま腰の銃に手をかけたが、その手は佳奈に止められた。 「待って、冷静に」彼女は状況を確認すると、落ち着いて言った。「相手の数が多すぎる。撃ち合ってもこっちが不利。まずは私が出て様子を見るから」 正人はうなずくしかなかった。「わかった。援護する」 倉庫から出ると、潮の香りが混じった海風が顔に吹き付ける。 佳奈が周囲を見渡すと、ボディーガードたちがすっと道を開けた。その奥から仁と若葉が現れる。 「横山、また会ったわね」先に口を開いたのは若葉だった。そして、彼女は楽しむような口ぶりで続ける。「それとも、こう呼ぶべきかしら―― 横山刑事、ってね?」 強い風が仁の服の裾を巻き上げた。恐ろしいほどにこわばった顔がのぞく。 彼は顔を上げ、佳奈の後ろで支えられている大輔に目をやった。そして、視線を佳奈に戻す。その声には、かすかなにだが信じられないという響きが感じられた。 「若葉が言ったことは本当なのか?お前は潜入捜査官なのか?!」 若葉はふっと笑い、一歩前に出る。そして手下に目配せすると、彼らはすぐに背後から正人と大輔に襲いかかり、それぞれを取り押さえた。 若葉は大輔のこめかみに銃口を突きつける。「仁。これでわかったでしょ?」 よく似た顔立ちの兄と妹を見て、仁はすべてを察した。 それでも、信じたくなかった。佳奈が否定してくれさえすれば、若葉の話なんて全部嘘だと思えるのに。佳奈が自分に近づいたのは任務のためなんかではなくて、きっと何か特別な事情があったんだと信じたかった。 だが次の瞬間、佳奈の冷たい声が、仁を氷の底へと突き落とす。 「その通り。私は潜入捜査官。 仁、お願い……兄を放すように言って。もう、私たちを自由にしてよ。もし今日、私たちがここで死んだら、松尾家に未来はないから」 銃を握る佳奈の手は汗ばんでいたが、それでも、彼女は必死に冷静さを保とうとした。 佳奈の言葉の一つ一つが、まるでナイフのように仁の心を深く突き刺す。 彼はよろめきながら一歩後ずさった。その顔はもう血の気が感じられないほど、白くなっていた。 「横山刑事、あなたって本当に甘いわね」若葉は残酷に笑う。「何度も私たちのビジネスの邪魔をしてくれたわね。今日ここで、まとめて始末してあげる!」 そういうや否や、若葉は大輔に向かって引き金を引いた。 「お兄ちゃん!」佳奈は叫び、すぐに駆け寄ろうとしたが、若葉が立て続けにもう一度引き金を引いた。再び銃声が港全体に鳴り響く。 大輔の体ががくりと揺れ、鮮血が一気に噴き出した。 「お兄ちゃん――」 佳奈は悲痛な叫びを上げながら、兄の体に駆け寄って抱きしめた。しかし、自分は間に合わなかったようだ。 大輔の体温が急速に失われていく。胸の傷からはまだ血が流れ続けていて、彼女の視界を赤く染めていった。 「怖い?苦しい? これでわかったかしら?私の物に手出しするなんて許されないの。 それに、あなたたちは何度も私の邪魔をしてくれたわ。しかも、仁にいつまでも纏わりついて……だから、もう死ぬ覚悟はできてるわよね?」 若葉は再び銃を構え、佳奈に狙いを定める。 パンッ―― 彼女は佳奈の心臓を狙って引き金を引いた。 佳奈はとっさに身をかわしたので、弾丸はわずかに逸れ、彼女の腕をかすめただけだった。 「岩崎、死んで償いなさい!」 佳奈は再び顔を上げ、血走った目できっと若葉を睨みつける。しかし、若葉は躊躇うことなく、再び引き金を引いた。 銃弾が発射された瞬間、仁が若葉の前に立ちはだかった。弾丸が、彼の肩を撃ち抜く。 仁は低くうめいた。何かを言おうとしているが、言葉は発せられず、ただ口からは血が流れるだけだった。 若葉は唇を震わせながら、充血した目で叫ぶ。「横山、死ね!」 彼女は手下に、毒蛇のように這う導火線に火をつけさせると、仁を連れて車で走り去っていった。 正人はなんとか体を起こし、佳奈の腕を必死に掴む。「爆弾だ!早く逃げろ、時間がない!」 しかし、佳奈はもう限界だった。涙が止まらない。「離して!兄を置いてはいけない!たった一人の家族なの。兄がいなくなったら……」 ドォォン―― その瞬間、巨大な爆発音が地面を揺らし、熱い爆風がその場にいた全員を吹き飛ばした。 倉庫は跡形もなく吹き飛び、すべてが粉々になっていた。