霧のように消えた愛

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霧のように消えた愛

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私・温井祈香(ぬくい いのか)が妊娠中に転倒した。 しかしあの日、大学院で研究をしている夫・清川宏(きよかわ ひろし)は指導教官の発熱し...

Chương (1)

第1章

私・温井祈香(ぬくい いのか)が妊娠中に転倒したあの日、夫・清川宏(きよかわ ひろし)は指導教官の発熱した娘の世話に駆け回った。 流産を防ぐための医療処置にはリスクがあるから、家族のサインが必要だったが、電話に出た宏の口調は冷たかった。 「君は先生が気に食わないのを、僕はずっと知っているが、そんな言い訳で僕をそこに呼びかけるなんて、ふざけるな!」 私はすっぱり心が冷え切り、目頭から涙が落ちた。 「もう流産を防ぐことはありません。中絶手術をお願いします!」 子供と共になくなったのは、彼に対する私の満ち溢れる愛だ。 第1話 私・温井祈香(ぬくい いのか)が妊娠中に転倒したあの日、夫・清川宏(きよかわ ひろし)は指導教官の発熱した娘の世話に駆け回った。 流産を防ぐための医療処置にはリスクがあるから、家族のサインが必要だったが、電話に出た宏の口調は冷たかった。 「君は先生が気に食わないのを、僕はずっと知っているが、そんな言い訳で僕をそこに呼びかけるなんて、ふざけるな!」 私はすっぱり心が冷え切り、目頭から涙が落ちた。 「もう流産を防ぐことはありません。中絶手術をお願いします!」 子供と共になくなったのは、彼に対する私の満ち溢れる愛だ。 …… 私は体が弱くて、妊娠中絶の手術の後で大出血し、死線をさまよった。 三日間も入院していたのに、宏は電話を一通もかけてくれなかった。 まだ完全に回復していない体で家に帰ると、丁度出かけようとしている宏に会った。 彼は携帯を握りしめ、眉をひそめていた。 「どこに行ったの?電話に出なかったし」 私は電池の切れた携帯を見て、流産のことを彼に伝えるつもりはなかった。 「用事があった? 進藤先生の娘さんがここ数日入院して点滴をしていて、何も食べられていない。速く栄養食を作ってくれ、僕が後で届けるから」 「何よ?」 聞き間違いだと思ったが、宏はまた同じことを言った。 彼が心配しているのは、妊娠中の私が家にいないことではなく、慌てて私を探して他人のために料理を作らせることだった。 突然胸をつかれ、はっきりと痛みが走ったようだ。 目の前の痺れを切らしている男を見て、私は背を向けて台所に入った。 宏の指導教官の進藤瑞穂(しんどう みずほ)が未亡人になり、一人で娘の進藤奈々(しんどう なな)を育てて以来、宏の彼女への気遣いはいつの間にか普通の「先生と学生の関係」を超えていた。 彼自身が何事にも瑞穂を最優先にするだけでなく、私やお腹の中の子供も彼女ほど重要ではない。 悔しさを感じることなんて、もう何度もあったが、今回はじめて平気に受け入れた。 真夏日に、流産したばかりの私は台所で忙しく料理を作って、すぐに汗だくになった。 宏に弁当箱を渡し、疲れ切った声で言った。 「もうできた。ちょっと休ませて」 でも彼は突然私の手首を掴み、断れないような口調で言った。 「君も一緒に行くよ。進藤先生は僕の恩師だから、君が僕の妻として、今病気で入院している彼女の子供を、見舞いに行くのが当然だろう」 私の考えは、そもそも彼の念頭に置かないものだ。 助手席に座ると、そこにヘアピンが置いてあるのに気づいた。 宏は私に視線を向けてそれを見ると、さっと手に取ってポケットにしまい、慌てて説明した。 「これはたぶん、進藤先生と奈々ちゃんを病院に送った時に、先生が落としたんだろう。後で返す」 娘が病気なのに、瑞穂は子供を後の席に置き、助手席に座っていたことを、どう考えても不自然だ。 だが私はただ平静に頷き、喧嘩しようとしなかった。 宏の驚いた眼差しを見つめて、ゆっくりと口にした。 「早く病院に行こう。料理が冷めないように」 過去の私なら、きっと頭に血が上って彼と喧嘩し、納得がいくまでしつこく説明を求めていただろう。 でもそうすればするほど、瑞穂のほうは品があって礼儀正しく見えるだけで、逆に私は物分かりの悪い人に見えてしまう。 彼のせいで心に数え切れない傷を受けたが、それでも彼が全然哀れみをかけてくれなかった。 日が経つにつれ、二人の心は冷え切ってしまい、ますます遠ざかっていった。 こんな人のために自分の気力や時間をすり減らすなんて、本当に意味がないと、私はやっと分かった。 宏が病室に足を踏み込むと、奈々は走り寄って彼の胸に飛び込んできた。 「パパ、やっと帰ってきたね!」 その呼び声で、その場にいる人がみんな驚いた。 私は息を呑み、言葉に詰まっている宏に目を向けた。 彼は固まった表情で私と見つめ合ったが、奈々の言葉を訂正しそうもなかった。 第2話 私は声を立てずに笑った。窓の外の蝉の鳴き声がよく聞こえるほど、室内は静まり返った。 どうしてまだそんな男に期待をかけているのか。 私は深く息を吸い込んで、心の痛みを和らげようとした。 瑞穂が真っ先にうまく計らい、気まずい雰囲気を転換した。 彼女は奈々を軽くたたきながらも、責めない口調で話した。 「奈々、何度言ったでしょ?宏さんって呼ぶよ」 「嫌!宏さんが奈々のパパになってほしい!」 宏は目を伏せて彼女をあやし、目つきに溢れたのは私が一度も見たことない優しさ。 胸が裂けるように痛んで、息を吸い込むたびに喉の奥がいっそう苦しくなっていく。 彼の態度が分かっていたのに、やはり私は悲しくてならない。 彼は奈々をベッドに抱き上げ、弁当箱を開けてスープを渡した。 「奈々ちゃんがいい子だから、このスープを飲んでね。体が元気になれるよ」 宏と瑞穂は奈々の両側に立ち、まるで本当な家族のように見えた。 奈々は素直に一口飲んでから、突然茶碗を床に落とした。 「危ない!」 宏は素早くその親子を庇ったが、私の露わになっているふくらはぎは酷い火傷をし、赤くなってきた。 「辛いよ!」 奈々は泣き喚きながら、そのスープが辛いと叫び続けた。 瑞穂は奈々を抱き締め、涙に暮れて私を見つめた。 「祈香さん、私たちが気に入らないのは分かっていますが、こんな小さな子供にそんなひどい仕打ちをするわけにはいかないでしょう?」 宏もゆっくりと私の前に来て、目の中に怒りを宿している。 「スープに何を入れたんだ?」 私は、つれない目でそれぞれ私を責めている二人を見つめ、平然として言った。 「ただ普通なスープだけです。辛いものは何も入れていません。胡椒だけで味付けしましたよ」 「奈々はまだこんなに小さいのに、なぜ胡椒なんか入れたのか」 何を言っても無駄だと分かっていたが、期待をかけた。 火傷した脛が疼いてきた。私は目から零れそうな涙を抑えた。 これから、この男で泣いたり悲しんだりすることを絶対しない。 「こぼれたスープを早く片付けろ。後で家に帰って新しいのを作って持って来い」 私がその場から動こうとしないのを見て、彼は突然声を大きくした。 「祈香!ちゃんと聞いてるのか!」 そうして言い争っているそのとき、看護師がドアを開けて入ってきた。 「進藤奈々様のご家族はどなたですか」 「私です!」 宏と瑞穂が同時に前に出て、目には気掛かりが浮かんでいる。 「お子様はちょっとマイコプラズマ感染がありますから、熱が下がりましたが、あと数日間病院で点滴をしてください」 その二人は頷き、宏は進んで支払いの明細書を受け取った。 「先生、奈々ちゃんに付き添ってください。費用を心配することはありませんよ」 瑞穂は涙をぽろぽろ零し、感動が目に満ちた。 宏は慰めるために彼女の肩を軽く叩いたが、私を見た瞬間、すぐに顔を曇らせた。 「祈香、進藤先生と奈々ちゃんに謝ったら、このことは水に流してやる」 彼の言葉は鋭い刃のように、私の心を刺し通した。 今、ふくらはぎの火傷の痛みが、心の苦しみに比べたら万分の一にもならない。 六年間も愛していたこの男を見ると、胸が張り裂けるほど痛かった。 私は蒼褪めた顔に、惨めな笑いを浮かべた。 「ええ、謝るよ!ごめんなさい……」 私は、目にいっぱい溜まった涙を零すのを抑えて留めた。 彼のような人間のために、泣く価値もなければ、傷つく価値もない。 宏は一瞬にして呆然とし、私を引き留めようとしたが、私はすっと彼を避けた。 「謝罪も済んだから、傷の処置に行くの」 私はふくらはぎに広がった赤く腫れた火傷を彼に見せると、病室を出ていった。 廊下の壁に寄りかかったら、病室から瑞穂の泣き声を耳にした。 第3話 「宏君、ごめんなさい。私はあなたたちの夫婦仲を悪くするつもりはなかったの…… 私と奈々のことはもう気にしないで。迷惑をかけて、すみませんね……」 話した後、宏は病室を出てきた。また説教されるのだろうかと、私は思った。 しかし、彼は後からそっと私を抱きしめ、掌で私のお腹を撫でた。 「祈香、もう少し度量が大きくなれるのか?進藤先生は本当に僕をたくさん助けてくれたんだ。それに今ご主人もなくなったし、一人で子供を育てるのは大変だよ。 今私たちにも自分の子供がいるから、これから三人で幸せな生活を送っていこう」 「私が妊娠してるのを、知ってるよね?」 私は嘲笑って、彼の腕から抜け出した。 「妊娠してるのが分かってるくせに、あなたは真夜中に私を起こして彼女たちの服を探させたとか、暑い日にスープを作らせたとか……でも、私があなたを必要としていた時に、あなたはいつもそばにいなかった。いつだって、あなたがそばにいるのはあの人たちのほうだった。 彼女よりも、私のほうが未亡人みたい!」 「それは――!」 宏が眉をひそめて言おうとしたところ、看護師が支払いを促しに入ってきた。 彼は怒りを抑えるために息を吐き、ポケットからカードを取り出した。 私は腹が立ち、さっと彼の袖を掴んだ。 「ふざけないで頂戴!あの二人のために、自分の子供を育てる資金まで使おうとするの?」 「君は、相変わらず自分勝手だね」 宏は失望した顔で私を見つめ、冷淡に言った。 「彼女はあなたの先生で、私のじゃない!博士課程の間、あなたには全く収入がないのを知っているでしょ?それに、この200万円の貯金半分は母がくれたお金なのよ!」 「人の命が何よりも大切だ。勘定ずくをするな!」 彼は苛立ったように私の手を振り払い、私はその場で倒れた。 下半身に痛みが走ってきた。けれど言葉をひとつ発することさえできなかった。意識を失ってしまう前に見えたのは、宏の去っていった後ろ姿だった。 彼は一度も振り返らなかった。 …… 目が覚めた時、もう真夜中になった。 病室は真っ暗で、そこに私一人だけいた。 考えるまでもなく、宏はきっとその二人のそばにいるに違いない。 点滴を交換しに来た看護師が、声をかけてくれた。 「温井さん、妊娠中絶の手術をしたばかりですから、また傷を受けたら、体が危険な状態になりがちですよ」 私はお礼を言いながら、冷たくなった涙を拭った。 知覚を失うほど胸が痛い。もう宏に何も期待をかけない。 昔の私は、いつも何かしら言い訳を探しては彼を許してきたが、今は平静に現実を受け入れることを選ぶ。 スマホを使い、瑞穂のSNSを覗いた。 【シングルマザーは本当に大変だね!でも幸い、もう一人じゃないわ】 写真の中で、宏は奈々を抱いていて、眼差しがとても優しい。 瑞穂は中でスマホで自撮りをし、上品に微笑んでいる。 本当に幸せな家族のように見えた。 心底から湧き上がる悲しみを、私は全力で抑えた。 アプリで確認すると、残高は100万円足りなかった。 私は残った全額を自分の口座に振り込み、会社の高橋部長に電話をかけた。 「部長、先週会議でおっしゃった海外赴任の件、ご申請の受付は定員に達しましたでしょうか?」 先週、部長は私に海外勤務とか考えているかと聞いた。現地は生活水準も高いし、給料も少なくないし、二年間働いて帰国したらきっと昇進できると話した。 その時私は妊娠していたため、断固として断った。 「空きはまだあるが、温井さんは妊娠中じゃないか?今後もチャンスはたくさんあるから、今回は無理しないでね」 部長の優しい声を聞いて、私は泣き出しそうに、声が潤んできた。 第4話 「実は子供はなくなりました。できれば早く海外に行きたいです」 部長が少し黙っていて、それに優しい声で口にした。 「わかった。じゃ、温井さんを海外赴任のリストに追加する。航空券も予約してあげるよ。出発までまだ一週間もあるから、その前ゆっくり休みなさいね」 「部長、どうもありがとうございます」 答えを聞いた瞬間、私はほっと胸を撫で下ろした。 入院してからその一週間、宏が一度も電話をかけてくれなかった。 彼は私の怪我の程度がひどいかどうかを全然心配しなかった上に、私が彼の子供を妊娠していたことさえ、全く気にしなかった。 過去の私なら、泣き叫びながら彼と喧嘩したかもしれない。 でも、今私はもうどうでもいいと思うから、その無意味なことで争いたくない。 その間、看護師たちの会話を耳にした。 「19番の病室に住んでいるお子様、本当に幸せね。名前は奈々でしょ?ご両親がずっとそばに付き添っていたね。特にお父さんが栄養剤やおもちゃをたくさん持ってきて、先日は奥さんにネックレスを買ってあげたんだよ」 瑞穂のSNSを見たら、彼女の首にかかっているのは、私が宏に買ってほしいそのネックレスだった。 だが今は、そのようなことを目にしても、もう全然気にしなくなった。 退院すると、私はすぐにタクシーで家に帰り、荷造りを始めた。 家にあるものは前に比べると全く変化しなかったから、宏がきっと一度も帰っていなかったし、私の入院も知らないようだった。 自分の100万円を取り戻すために、私はネットで彼の書斎に大切に置いた限定版の切手と記念バッジを売った。 それに私は私達の写真を捨て、彼が結婚式に手書きで書いてくれた婚約書を燃やし、結婚指輪もテーブルの上に置いた。 私のその家にいた痕跡を、すべてすっかり消した。 がらんとした家を見て、私は離婚協議書にサインした。 …… 宏が電話に出なかったので、私は病院に行った。 彼の駆け回る姿をガラス越しに見ると、ちょっと胸が詰まるように感じた。 宏が家にいたら何もしなかった。私が病気の時も全然世話をせず、お茶をくれることさえもうんざりした。 しかし、今彼は他人のために駆け回って、顔に疲れが少しも見えない。 ドアを叩くと、宏は私に気づいた。 彼はちょっと怒るように見えて、眉をひそめて不機嫌そうに言った。 「最近どこに行ったんだ? 夏が暑いから、奈々ちゃんの服を替えなきゃ。子供の服を何枚か買ってこい」 私の汗だくな様子を見たかもしれないから、宏は病室からリンゴを取ってきて、私の手に押し付けた。 私は目を伏せ、悲しみを隠した。 結婚してから三年間を過ぎ、彼は私がリンゴを食べると全身に発疹することさえ覚えていなかった。 離婚協議書を取り出して広げた。 「離婚しよう!」 宏はまるで冗談を聞いたかのように、嘲笑って煩わしそうに手を振った。 「ふざけるな!こっちは今忙しいんだ」 「冗談なんて言っていないよ」 私は笑って、ペンを彼に渡した。 「本当に離婚するよ!」 「はいはいはい」 彼が私の話を本気にしないことがわかっていた。彼は渋々サインすると、さっきのことを繰り返し言った。 「病院の向かいの子供の服屋で服を何枚か買ってきてくれ。早く!」 私は家に帰って荷物を取り、流産の診断書と離婚協議書をテーブルの上に置いた。 宏、私たちはおしまいだ。