さよなら、昨日の私たち

Đang tải thông tin quảng bá...

さよなら、昨日の私たち

GoodNovel Hoàn thành

海外で8年過ごした後、私は特別なオファーを受けて帰国した。ある研究会での発表を終えた後、まさか、そこで元カレの新井真司(あらい しんじ)...

Chương (1)

第1章

海外で8年過ごした後、私は特別なオファーを受けて帰国した。ある研究会での発表を終えた後、まさか、そこで元カレの新井真司(あらい しんじ)と再会した。 真司は、よりを戻したいと言って、私にプロポーズしてきた。 その場にいた研究所の元同僚たちは一斉に囃し立てて、私が感動しながらプロポーズを受けるのを期待していた。 なぜなら彼らは皆、私がかつて真司のためなら全てを投げ出せるほど、彼のことを愛していたのを知っているから。 でも、彼らは8年前、あの新製品の発表会で、真司が冷たい顔で私のプロポーズを断ったことを忘れてしまったみたい。あの時、真司は可愛がっていた後輩に賞をとらせるために、大勢の記者の前で、私がその後輩の研究成果を盗んだと濡れ衣を着せたんだ。 私は必死で潔白を主張したけど、真司が用意した完璧な偽りの証拠のせいで、どうにもならなかった。 真司は、その後輩がメディアを操作して、私をネット中で攻撃するのを黙って見ていた。 私が何年も頑張ってきた研究は、私の黒歴史になった。そして、長年育んできた恋は、笑いものになったんだ。 あの日から、私は海外へ逃げるようにして国を離れるしかなかった。 それなのに今、私の目の前で、真司は指輪を手に片膝をついている。爽やかな笑顔で、こう言ったんだ。「もう全部、過去のことだ。俺はもう怒ってないからさ。せっかくお前も戻ってきたんだし、結婚しよう」 でも真司は知らない。私がもう、結婚しているなんて。 第1話 海外で8年過ごした後、私は特別なオファーを受けて帰国した。ある研究会での発表を終えた後、まさか、そこで元カレの新井真司(あらい しんじ)と再会した。 真司は、よりを戻したいと言って、私にプロポーズしてきた。 その場にいた研究所の元同僚たちは一斉に囃し立てて、私が感動しながらプロポーズを受けるのを期待していた。 なぜなら彼らは皆、私がかつて真司のためなら全てを投げ出せるほど、彼のことを愛していたのを知っているから。 でも、彼らは8年前、あの新製品の発表会で、真司が冷たい顔で私のプロポーズを断ったことを忘れてしまったみたい。あの時、真司は可愛がっていた後輩に賞をとらせるために、大勢の記者の前で、私がその後輩の研究成果を盗んだと濡れ衣を着せたんだ。 私は必死で潔白を主張したけど、真司が用意した完璧な偽りの証拠のせいで、どうにもならなかった。 真司は、その後輩がメディアを操作して、私をネット中で攻撃するのを黙って見ていた。 私が何年も頑張ってきた研究は、私の黒歴史になった。そして、長年育んできた恋は、笑いものになったんだ。 あの日から、私は海外へ逃げるようにして国を離れるしかなかった。 それなのに今、私の目の前で、真司は指輪を手に片膝をついている。爽やかな笑顔で、こう言ったんだ。「もう全部、過去のことだ。俺はもう怒ってないからさ。せっかくお前も戻ってきたんだし、結婚しよう」 でも真司は知らない。私がもう、結婚しているなんて。 ---------- 「清水さん、そんなに意地を張らないで。新井さんは、清水さんが国内に戻ってきたって聞くやいなや、研究所の仕事も放り出して飛んできたのよ。彼の心にはまだ清水さんがいるのよ」 「清水さんがいなくなってからも、新井さんは清水さんの研究所に鍵をかけて、毎日欠かさず掃除して、誰も中に入れなかったのよ。新井さんはこんなに一途なんだから。それに、男性の方から復縁を切り出すなんて、ちゃんとその気持ちを受け止めてあげなきゃ」 …… 口々に真司との復縁を勧めながら、内心ではこの状況を面白がっている元同僚たち。私は彼らを一瞥し、目の前でよりを戻そうと言ってくる真司に視線を向けた。 なんだか不思議な気持ちになった。 彼らは、まるで示し合わせたかのように記憶喪失にでもなったのかしら。昔、真司が私にした仕打ちをすっかり忘れているようだった。でも、それ以上に不思議だったのは、8年も経ってから真司がプロポーズしに来たことだ。 私がいなくなった後、真司はすぐに後輩の谷口美咲(たにぐち みさき)と結婚するものだとばかり思っていた。 まさか、二人がまだ一緒になっていなかったなんて。 まあ、もう私には関係のないことだ。この数年で新しい家庭を築いたことはもちろん、そうでなかったとしても、私は彼にすっかり失望してしまったから。 私は期待に満ちた真司の顔をちらりと見て、微笑んだ。「あなたがまだ私との結婚を考えてくれていたなんて光栄だわ。でも、結婚はだめよ。 もう何年も前のことだし、あなたのことなんて、すっかり忘れていたから」 私の言葉が終わると同時に、周りがざわついた。 真司は信じられないといった目で私を見つめ、しばらくして、震える唇で「そんなはずない」と呟いた。 周りの人たちも同じ反応で、ひそひそ話をした後、私がまだ意地を張っているだけだと勝手に決めつけたようだ。 そこへ、真司の後輩である美咲がやって来た。美咲は真司の背中をなだめるように優しく叩くと、私に向かって微笑みかけた。「優里(ゆり)さん、前のことで怒っているのは分かっている。でも、仕事は仕事、恋愛は恋愛だわ。ごっちゃにしちゃダメよ」 美咲の言葉に、私は思わず吹き出してしまいそうになった。 8年前、真司も全く同じことを言っていたからだ。 大学院を卒業したばかりの頃、私と真司は同じ研究開発会社に応募した。結果は、私がトップで合格し、真司はわずかの差で不合格だった。 すっかり落ち込んでしまった真司。その姿を見ているのが辛くて、私は会社にこう伝えた。「もし真司を採用しないなら、私も内定を辞退します」と。 会社側は私を手放したくなかったのだろう。それに、真司の成績も採用するには十分だったこともあり、最終的には特別措置として二人とも採用されることになった。 その後、真司は監査部に異動になった。研究所での規則違反などを監督する部署で、ある意味、私たちの上司のような立場だった。 最初、真司は喜んでいた。でもある日、真司は頬杖をついて、悩ましげにこう言った。「お前は俺の彼女だろ?もしお前がルールを破ったら、俺は見逃すべきか、それとも正直に記録すべきか? お前を見逃せば、職務怠慢になる。でも、正直に記録してお前が減給されたり、怒られたりするのを見るのも辛い。俺たちの関係に影響が出そうで、心配なんだ」 真司が真剣に悩んでいるのがおかしくて、私は笑ってしまった。真司を困らせるようなことはしないから大丈夫だと伝えたけど、それでも彼は不安そうだった。 そこで、私たちは約束を交わした。 仕事とプライベートはきっちり分ける。絶対に公私混同はしない、と。 最初は、二人ともその約束をきちんと守っていた。でもある日、ご飯を食べている時に、真司が美咲の履歴書を私に押し付けてきた。 真司はわざとらしく目をぱちぱちさせながら言った。「お前の部署、今年の採用枠がまだ一人空いてるんだろ?ちょうど、こっちに優秀な後輩がいるから推薦するよ。礼には及ばない。お前の悩みを軽くしてやっただけだからな」 普段は私の仕事になんて全く興味を示さない真司が、部署の欠員の話をするなんて。しかも、採用枠が一人空いていることまで知っている。 不審に思って美咲の成績を調べてみると、7科目中5科目が不合格という散々なものだった。 私はためらうことなく、その推薦を断った。 「仕事で冗談はやめて。この人の経歴じゃ、採用基準に全然達してないわ」 でも、真司は引き下がらなかった。「座学が苦手なだけで、頭は良いんだ。とにかく採用して、一度チャンスをあげてみてくれよ」 そんな無責任なことはできないと伝えると、真司は口を曲げて言った。 「でもこの人は、俺を何度も助けてくれたんだ。前にバスケで怪我した時もそうだ。お前はチケットが取れなくて来られなかったけど、この人が薬を買ってきて世話してくれた。俺の彼女として、感謝の気持ちはないのか?」 真司が不機嫌になっているのは分かっていた。でも、私は少し考えた後、はっきりと彼に言った。 「この人には、今度時間を作ってお礼に食事でもご馳走するわ。でも、仕事は別。会社の採用規定に合わない人を、コネで入社させるなんてことはできない。 それに、私たちは公私混同しないって約束したでしょ?」 真司はカッとなって、箸をテーブルに叩きつけ、勢いよく立ち上がった。「ルールなんて建前だろ。優里、お前はどうしてそんなに頭が固いんだ? それに、この人を一人雇ったくらいで会社が潰れるわけでもない。なんで一度チャンスをあげようと思わないんだ? 最後にもう一回だけ聞く。採用するのか、しないのか?」 真司の怒った顔を見ると、心臓がバクバクして、不安でたまらなくなった。 でも結局、私は、「採用は……できない」と答えた。 私の言葉が終わるか終わらないかのうちに、真司はテーブルクロスを掴んで力いっぱい引っぱった。 スープや料理が飛び散り、お皿は床で粉々になった。 陶器の破片が頬をかすめて、生温かい血が流れるのを感じた。でも真司はそれを見てもいないふりで、私を睨みつけると、そのまま出て行ってしまった。 真司があんなに激しく怒ったのは、それが初めてだった。 あの日、どんなに怖い思いをしながら部屋を片付けたか、もう覚えていない。私が悪かったのかもしれない、謝ろうか、などと考えていると、真司は何事もなかったかのように鼻歌まじりで帰宅した。 私の顔を見るなり、真司は優しい声で説明し始めた。「ごめんな、優里。最近仕事のストレスがすごくて、つい感情的になっちゃった。怖かっただろ?」 真司が折れてくれたことで、張り詰めていた私の心もようやく落ち着いた。 あの日の私の言い方は、少しきつすぎたのかもしれないと、反省し始めた。 真司の部署では近々昇進のチャンスがある。彼だって上を目指したいだろうから、ストレスが溜まるのも仕方がない。 私がもっと理解してあげるべきだったんだ。 真司の仕事のストレスを発散させて、二人きりの時間も過ごせるように、私はわざわざ休日の旅行まで計画した。 これで一件落着で、真司も諦めてくれたと思っていたのに。まさかそのすぐ後に、美咲が私の部署に入って来るとは思ってもみなかった。 第2話 私は同僚に、美咲は誰の採用なのかと尋ねてみた。 すると同僚は不思議そうな顔で言った。「清水さんじゃないのか?この前、新井さんが、あなたの名義で人事部に直接履歴書を持ってきたよ。谷口さんはすごく優秀だから、絶対に採用すべきだって力説してたそうよ」 私はその場で固まってしまった。まさか真司がそんなことをするなんて、夢にも思わなかったから。 ただの友人のために、会社のルールを破ってまで、私の信用をダシにするなんて信じられない。 でも、今さら怒ったところで、もうどうしようもない。 入社の手続きはすでに完了し、美咲は無事に研究所の一員となった。 もう決まってしまったことだ。今ここで騒ぎを起こせば、私と真司の社内での立場が悪くなるだけだった。 その日、家に帰ってからも私は不機嫌なままで、口をきく気にもなれなかった。真司は私の様子に気づいて、静かに言った。 「美咲にとって、今回のチャンスはどうしても必要だったんだ」 私は眉をひそめて、「私と関係あるの?」と言い返そうとした。 しかし、真司は静かにため息をついた。 「美咲の家がすごく貧しいんだ。両親が何年も病気で寝たきりでね。奨学金でなんとか大学院に行ったんだよ。ずっとアルバイトでお金を稼いできたから、授業を休まなくちゃいけなくて、単位もいくつか落としたらしい」 真司は、病気で苦しむ美咲の母親の写真と、美咲が住んでいる古いアパートの写真を私に見せた。 私と真司も、家庭環境には恵まれていなかった。特に、真司の母親は長い間病気を患っていて、満足な治療も受けられずにいたから。 真司がこの会社に入って、給料が上がってから、ようやく母親の病状も少し良くなったんだ。 多分、そういうわけで真司は美咲に人一倍同情しているのだろう? 結局、私は情にほだされて、これ以上何も言わなかった。 こうして私は、真司の勝手な行動を許してしまった。そして、研究所に美咲がいるという事実も受け入れたのだ。 それから、美咲が私を見るときの目に、いつもどこかトゲがあるように感じていた。 真司は私の考えすぎだと言う。美咲はこれまでたくさん傷ついてきたから、警戒心が強いだけなんだと説明した。 私には理解できなかった。「傷つけられたから警戒心が強い」って、それって人を噛む野良猫や野良犬の言い訳じゃないの? 美咲は人間なのに。今の世の中で、猫や犬みたいに誰彼構わず警戒する必要なんてあるのだろうか? でも、その頃は研究所も忙しくて、真司といつまでも議論している気分じゃなかった。 私はしぶしぶ納得し、それからは毎日自分の時間を割いて、美咲の実験を手伝うようにした。 美咲が壁にぶつかった時は、一番効率の良い実験方法を教えた。何とかして美咲の成功率を上げ、無事に試用期間を終われるように手助けした。 美咲は一応、私の紹介という形で入社した。もしあまりに仕事ができないと、私の評判まで悪くなってしまうから。 美咲を手伝うのは、いわば自分のため。私はそう思っていた。 こちらが誠意を見せれば、たとえ美咲が感謝してくれなくても、せめて期待を裏切らないように頑張ってくれると思っていた。 でも、まさか美咲を助けることが、自分を地獄に突き落とす第一歩になるなんて、思いもしなかった。 美咲が入社して、私はすぐにおかしなことに気づいた。 私が徹夜で残業した翌朝、決まって美咲のデスクの上には、きれいに処理された実験データのレポートが置いてあるのだ。それは本来、美咲自身が仕上げるべきものだった。 前の日の夜、美咲が帰る時には、そんなものはなかったはずなのに。 しかも、美咲はそんなに朝早く出社するタイプじゃない。だから、彼女が朝に来てやったとも考えにくかった。 最初は、どこかの親切な同僚が手伝ってあげたのだろうと思っていた。 というのも、うちの研究所は昔から雰囲気が良くて、新人が困っていたらみんなで助ける文化があるからだ。 でも、それが何日も続くと、さすがに何かがおかしいと思い始めた。 美咲が誰かと特に親しくしている様子はない。それに、誰かに感謝している素振りも全く見せないのだ。 一体、誰が美咲を手伝っているんだろう? しかも、この謎の「助け」は、その後もずっと続いた。 うちの研究所は仲が良いけれど、基本はやり方を教え合って、お互いに成長していくスタイルだ。誰かの仕事を丸ごと引き受けてあげるような人はいない。 その疑問は、ある日の退勤後、思いがけない形で解けることになった。 その日、私は一度会社を出た後、忘れ物を取りに戻った。すると、真司が美咲のデスクに座り、手慣れた様子で機器を操作してデータを処理していたのだ。 そうだったのか。美咲の仕事を、真司が手伝っていたんだ。 真司が言っていた「残業」は、自分の部署の仕事じゃなかった。ここで、美咲をこっそり手伝うことだったのだ。 私はその場で、ぽかんとしてしまった。 真司は私を見ると一瞬驚いたが、すぐに落ち着きを取り戻して、こう説明した。 「美咲は、まだ仕事に慣れてないだろ。チームの足を引っ張るんじゃないかと思って心配で。それに、お前がコネで美咲を入れたなんて噂されたら嫌だから、こっそり手伝ってあげてたんだ。 お前の評判を守りたかっただけなんだ」 真司の言葉は、とても誠実に聞こえた。でも、私はその言葉を素直に信じることができなかった。 しかし、真司の手助けは、彼が言うような効果をもたらすことはなかった。 第3話 私が美咲を特別採用したことがどこからか漏れ、すぐに社内から不満の声が上がり始めた。 でも私は気にしていなかった。美咲が成果を出せば、噂なんて自然に消えるだろうと思っていたから。でもまさか、正社員になった途端、美咲がミスばかりを連発するなんて。試用期間中よりも、ひどくなっていた。 監督部署にいる真司は、美咲のミスを明らかに見ていたはずなのに、見て見ぬふりをしたんだ。しかも、美咲に満点の評価をつけた。 あまりにもあからさまなえこひいきに、私はもう我慢できず、真司と二人きりで話すことにした。 真司は報告書に目を落としたまま、気のない様子で言った。「美咲はまだ新人だろ?ミスをするのは当たり前じゃないか。新人に厳しく当たるのは、俺のやり方じゃないんだ」 私は納得できずに言い返した。「でも、私や他の同僚が新人の頃は、そんなに甘くなかったじゃない」 甘くないどころか、私に対してはむしろ厳しかったんだ。ルール違反とまではいかない、ほんの些細なミスでも、真司は容赦なく減点や罰金の対象にした。 後になって真司は、私にもっと成長してほしかったからだと説明してくれた。それに、他の同僚から特別扱いを疑われないための配慮でもあったらしい。 その時は不満だったけど、真司の立場も考えて、私も納得した。 でも、今はどうしても納得できない。 真司は少しイライラした様子で言った。「不公平だって言いたいんだろ?じゃあ、次からはお前にも甘くしてやればいいんだろ。俺は昇進したばかりで、引き継ぎで忙しいんだ。この後も報告書がいくつかある。悪いけど、そんな小さなことに時間を使ってる暇はないんだ、出て行って」 そう言うと、真司は立ち上がって私の背中を押し、半分冗談めかして部屋から追い出した。 私はモヤモヤした。真司がただ、後ろめたいだけだということを分かっていた。 社内で一番忙しいのがうちの研究開発部なのは誰もが知っていることだ。私が昇進して引き継ぎをしていた時だって、どんなに忙しくても、真司に頼まれた仕事は全部きちんとこなしてきた。 真司がいくら忙しいからって、私と話す時間すらないなんてことは、ありえないはず。 でも、固く閉ざされたドアを見つめて、私は引き返すしかなかったんだ。 戻る途中、だんだん何かがおかしいと感じ始めた。 どうして真司は、美咲にだけあんなに優しいんだろう? それに、さっきの返事は、明らかに後ろめたそうだった。 一体、何に後ろめたさを感じているの? この出来事は、心にしこりのように残った。 でも、それ以上考えるのはやめた。たぶん、考えたくなかったんだと思う。 さっき疑問が浮かんだ瞬間、ある疑念が胸に突き刺さり、私は動揺を隠せなかった。 確かに真司は負けず嫌いで、えこひいきだと言われるのを嫌う。それに、真面目すぎるところもある。 周りの目も気にせずに誰かを特別扱いするなんて、付き合い始めたばかりの熱烈だった頃の私に対してだけだった。 今、真司は美咲にも同じことをしている。それって、つまり真司は今…… 胸がざわついた。疑いはあるけど、証拠は何もない。 実験室のドアに手をかけた瞬間、中から話し声が聞こえてきた。「ねぇ、谷口さん。新井さんってどうしてあなたにあんなに優しいの?清水さんの彼氏なんでしょ?」 美咲がクスっと笑った。「あの女はたいしたことないじゃない?いつも偉そうにしてるけど、どこからその自信が湧いてくるのかしら。真司さんはとっくに彼女が嫌になって、別れたがってるのよ」 野次馬根性の同僚が面白がって聞いた。「どうして?清水さんって優秀だと思うけど。入社して一年も経ってないのに、もう二回も昇進してるし」 「コネがあるからに決まってるじゃない?彼女の先生と、うちの社長が友達なのよ。入社できたのも、全部その先生の推薦のおかげ」 美咲はだんだん興奮してきた。「それに、みんなは彼女を優秀だって言うけど、私は普通だと思う。入社前にたまたま一位で入ったからって、みんな勝手に良いイメージを持ってるだけじゃない。 プライベートじゃ性格も最悪だし。真司さんもとっくに愛想を尽かしてるのよ。いつも私にね……」 もうこれ以上は聞いていられなかった。私は実験室のドアを蹴り開けた。 中にいた人たちは、驚いて飛び上がった。 同僚たちは我先にとばかりにその場を離れた。美咲はまさか私が戻ってくるとは思わなかったのだろう、少し気まずそうにしていた。 私は美咲の前に立った。「続けて。どうして黙るの?」 私の顔を見ると、美咲は言い訳しても無駄だと悟ったらしい。彼女はフンと鼻を鳴らすと、得意げに言った。「どうして言えと言われて言わなきゃならないの?言わないわ。何よ、まさか私をクビにできるとでも?」 私は、ぎゅっと拳を握りしめた。 美咲はさらに得意げになって言った。「なによ、殴りたいの?どうぞ、ここを殴りなさいよ」 美咲は自分の顔を挑発的に指さし、楽しそうに言った。「でも、知らないかもしれないけど、私を殴ったら、あんたは真司さんと別れることになるかもね」 その軽やかな口ぶりに、私はカッとなって、思わず手を振り上げた。 でも、その手が振り下ろされる前に、後ろから厳しい声が飛んできた。「優里、何をしてるんだ?社内での暴力は禁止されてる。クビになりたいのか?」 第4話 さっきまで忙しいと言っていた真司が、いつの間にかドアの前に立っていた。そして、青ざめた顔で私を問い詰めてきたんだ。 私は藁にもすがる思いで、さっき美咲に言いがかりをつけられたことを真司に話した。 真司とはもう長年の付き合いだ。真司はたまにとんでもないことをするけど、私のことはずっと信頼してくれていた。銀行の暗証番号だって教えてくれるくらい。 真司は信じてくれると思った。でも、私の話を聞き終えるなり、真司は美咲の方を向いて尋ねた。「美咲、優里の言ったことは本当か?」 私に対するものとは全く違う、優しい口調だった。 美咲は慌てて首を横に振り、不満そうな声で言った。 「とんでもない。私が優里さんにそんなことするわけないじゃない?優里さんは真司さんの彼女だし、それに私の先輩でもあるんでしょ?私にそんな度胸ないわ」 美咲の話を聞き終わると、真司は、まだ何か言い訳でもあるのか、とでも言いたげな顔で、こちらをじろりと見てきた。 その瞬間、心の中で何かがガラガラと音を立てて崩れていくのを感じた。 このところずっと、真司は美咲のために、私たち二人の間のルールを破っていた。すごく腹は立ったが、真司はただ美咲に同情しているだけで、本当は私のことを愛していると信じていた。 真司があからさまに美咲をえこひいきした時、私の心は揺らいだ。でも、最終的には真司を信じることに決めたんだ。 けれど、今になってようやく気づいた。もしかしたら、真司の心には、もう私の居場所なんてなかったのかもしれない。 私はなんとか気持ちを落ち着けて、そばにいた同僚を指差した。「信じられないなら、みんなに聞いてみればいいわ。さっき、みんな見てたから」 同僚たちが口を開く前に、真司は鼻で笑った。「彼らに聞いたって意味ないだろ。お前は彼らの上司なんだから、お前に不利なことなんて言うわけがない」 私は心底、がっかりした。 ここ最近、同僚たちが私の噂話をしていた。「権力を振りかざしてえこひいきしてる」って。その陰口は、私の耳にも届いていた。 でも、真司はそれを聞いていなかったんでしょうか。それとも、気にしていなかったんでしょうか。 もしかして、美咲をかばうために、わざとそんな言い訳を? もう、どうでもいい。 美咲を気遣う真司を見て、私はあざ笑うように言った。「そんなに信じられないんだったら、もう別れよう」 周囲の反応を待たずに、そう言い放つと、私は踵を返した。 真司はすぐに追いかけてきて、私の手を掴んだ。彼は目を赤くしていて、別れ話がよっぽど辛かったみたい。「優里、俺がちょっと言ったくらいで、別れるなんて言い出すのか?なんでそんなひどいこと言うんだよ?」 私はまだ頭に血がのぼっていたので、真司の手を振り払った。「あなたはもう私のことを愛してない。別れる以外に何ができるの?」 真司は眉をひそめた。「何度も説明しただろ。俺はただ、美咲が可哀想で助けてあげたいだけなんだ。なんでそんな、変に勘ぐるんだよ? 優里、お前は俺がお前を信じてないって言うけど、じゃあお前は俺を信じてるのか?今だって俺を疑ってるじゃないか? まさか、8年も付き合ってきたのに、こんなにもろい関係だったなんて思わなかった」 真司は声を詰まらせながら、目に涙をためてそう言った。 別れ話は、衝動的に口走ってしまったことだった。 そんな真司の姿を見て、心はすぐに揺らいでしまった。 それに、真司の言うことにも一理あるような気がして、本当に私が考えすぎていただけなのかもしれない、とまで思ってしまったんだ。 怒りはすっかり消え去り、私は小声で真司に謝った。 私が折れたのを見て、真司はわざとスマホを取り出した。そして結婚式場の予約画面を私に見せながら、かすれた声で言った。「三ヶ月前のプロジェクトが賞を取ったんだって?もうすぐ発表会があるんだろ。 お前が一番輝いているその瞬間にプロポーズして、結婚式を挙げるつもりだったんだ。最近、美咲とよく話していたのも、お前にどんなプレゼントを贈ればいいか相談に乗ってもらってたからだよ。 でも、お前が別れたいって言うなら、この予約もキャンセルするよ」 そう言うと、真司は「キャンセル」ボタンを押すふりをした。その瞬間、私は罪悪感でいっぱいになった。もう何も考えられず、慌てて真司の手を掴んで画面を戻し、何度も謝った。 真司はやっと笑ってくれた。「キャンセルしないなら、一つ約束してくれ、優里。二度と俺に別れ話はしないって」 私はうなずいた。「うん、約束する」 真司は嬉しそうに私のおでこにキスをした。「じゃあ、お前に選んだプレゼント、見せてあげるよ」 そう言うと、真司はカバンから綺麗な箱を取り出した。開けてみると、中には財布が入っていた。 「お前のために特別に用意したプレゼントだ。気に入ったか?」真司は満面の笑みを浮かべていた。 財布を受け取ってよく見てみると、内側に「M.T.」という小さなイニシャルが刻まれていた。 どきりとしたけれど、私は表情には出さずに尋ねた。「このイニシャル、どういう意味?」 「M.T.」って、美咲・谷口の頭文字じゃないの? 真司は一瞬うろたえたが、すぐに笑って言った。「『MyTreasure』、俺の宝物っていう意味だよ。わざわざ入れてもらったんだ。気に入ったか?」 その説明は少し無理があるように感じた。温まりかけていた私の心は、再び霧に包まれてしまった。 でも、あの日以来、真司は本当に美咲と少し距離を置くようになった。 真司の変化を見て、これで彼とはうまくいく、と心から思った。 結婚の話が進めば、真司も美咲から離れていってくれるだろうと思ったんだ。 私たちの生活は、きっと元に戻る、と。 第5話 私は、周りからの奇妙な視線も気にしなかった。社内で広まっていく「新井さんと谷口さんが親密だ」っていう噂も、全部無視した。 でもある日、美咲がインスタに真司と二人でハートを作っている写真を投稿しているのを見つけた。コメント欄は祝福の言葉で溢れていて、美咲もそれを否定していなかった。 少し腹が立って文句を言いに行こうとしたら、美咲は自らその投稿を削除した。 真司を問い詰めると、彼は笑いながらこう言った。「そんなこと気にするなよ。プロポーズの日になれば、みんな黙るって」 私は納得できなかった。「どういうこと?プロポーズはプロポーズでしょ。でも、谷口さんとの写真は何なの?」 私がしつこく聞くと、真司は渋々説明を始めた。 「あれは美咲が、実家から結婚しろってうるさく言われるのをかわすための口実なんだ。だから写真は親にだけ見せるって約束してた。インスタに載せるとしても、ちゃんと公開範囲を限定するはずだったんだ。 それなのに美咲がうっかりしててさ。公開範囲の設定もまともにできず、会社の同僚にまで見られるように投稿しちゃったんだ。 まあ、とにかく全部誤解だよ。俺たちもう8年も一緒にいるんだぞ?何を心配する必要があるんだ?」 半信半疑だったが、それ以上は聞かなかった。 真司は私の袖をつかむと、甘えるように軽く揺らした。「わかった、わかった。やきもち焼いたんだろ?これからは気をつけるからさ。 プロポーズが終わったら、すぐに入籍しよう。俺たちの長い恋愛も、ついにゴールだ。嬉しいだろ?」 嬉しそうな真司の顔を見て、私は不満と疑いを胸の奥に押し込めるしかなかった。 本当に真司の言う通り、結婚したら何もかも上手くいくといいなと願っていた。 だから気にしないようにして、仕事の合間に発表会のスピーチ原稿や、プロポーズの計画に集中することにした。毎日、目が回るほど忙しかった。 私たちの関係は、以前の穏やかなものに戻った。 真司は本当に美咲を特別扱いしなくなった。それに、疑われるような行動も取らなくなった。 まるで、すべてが元通りになったかのようだった。 プロポーズの当日、真司の様子がどこかおかしかった。 その日は朝起きた時から、ひどく落ち着かない様子だった。 家を出る直前になっても、真司はうわの空だった。 玄関では、まるで外に出たくないみたいにためらっていた。 でも、その時の私はただ緊張しているだけだと思っていた。 「緊張しないで。私たちもう8年も一緒なのよ。何をそんなに不安になることがあるの」なんて、真司をなだめたりもした。 真司は無理やり笑顔を作った。 マンションの部屋を出た時、真司が突然私の手を掴んだ。 不思議に思って真司の方を向くと、「どうしたの?」と尋ねた。 真司は私を見つめ、唐突にこう言った。「優里、もし俺がお前を怒らせるようなことをしたら、俺のそばからいなくなってしまうかな?」 突然のことで、私はわけが分からなくなった。 「どんなことか教えてくれないと答えられないでしょ? どうしたの?何かあったの?」 エレベーターが一階に到着した。 真司はエレベーターのドアを一瞥すると、首を横に振った。「ううん、何でもない。ただ急に聞きたくなっただけ」 私は思わず笑ってしまった。「この数日、一体何を思い悩んでるのよ?」 私はその時、真司が結婚を目前にして緊張しているだけだと思っていた。 実は、私もすごく緊張していた。 緊張のあまり、これがプロジェクトの成果を発表する会見だということさえ忘れそうになっていたくらい。 それに、その日はやけにメディアやカメラマンが多いことにも、気づかなかった。 私はステージの上で必死に落ち着きを保ちながらプロジェクトの説明を終えた。そして、いよいよプロポーズの時間になった。 隣にいた友人が指輪のケースを握りしめているのが見えた。私も喉がカラカラになりながら、真司が指輪を捧げ、感動と緊張に満ちた声でプロポーズの言葉を口にするのを待っていた。 けれど、何も起こらなかった。 時間だけが刻々と過ぎていった。ついにしびれを切らした親友が、戸惑う人々の視線の中を、最前列に座る真司へと大股で歩み寄った。 親友は声を潜め、真司に囁いた。「どうしたのよ、早くセリフを言って!」 事情を知っているもう一人の同僚も、たまらずに口を挟んだ。「このおめでたい場で、さらにおめでたい発表をいたしましょう!新井さん、清水さんと結婚してくれますか?」 周りからやいのやいのと囃し立てる声が上がった。私が真司を見ると、彼はいつになく落ち着き払った表情をしていた。数秒ためらった後、真司の声がはっきりと響き渡った。「お断りします!」 第6話 私の頭は真っ白になって、一瞬、聞き間違えたのかと思った。 真司は、私が反応する暇もなく立ち上がった。近くにいた美咲を連れて壇上に上がると、こう言ったんだ。「告発します!優里のこの成果は、美咲から盗んだものです。 美咲こそが、この成果を本当になし遂げた人なんです。だから、賞金の1千万円も美咲が受け取るべきなんです」 カメラのレンズが、一斉に私たち三人に向けられた。 真司と美咲が片側に、そして私は、彼らと対峙するように反対側に立っていた。 プロポーズのためにわざわざ用意された花束が、まだそばに置いてあった。でも、その時の私は、まるでピエロのようだった。 美咲が不満そうに私を見た。「優里さん、本当は言いたくなかったのです。でも、プロジェクトの成果は私たちにとって子供みたいなものですから。自分の子供が他人に盗まれるのを、黙って見てなんていられません」 カメラには映らない角度で、美咲の目に一瞬、勝ち誇ったような光が宿った。 美咲の隣で怒りを露わにしている真司を見て、私は彼が騙されているんだと思った。腹が立って仕方がなかったけど、すぐに気持ちを切り替えて、みんなに向かって言ったんだ。「私は盗んでなんかいません。潔白を証明できます」 私は下書きのデータを日時と一緒に保存する癖があった。だから、発表された時間より前にデータを作っていたことを証明すれば、誤解は解けるはずだ。 私は記録されている作成日時を見せるために、みんなの前でスマホを開いた。 でも美咲は、私がそうすることを分かっていたみたいだった。彼女はすぐにスマホのアイデアメモを開いて言ったんだ。「でも、私のアイデアメモの方が、優里さんの下書きより日付が早いですよ」 会場は騒然となった。 美咲のメモを見て、目の前が真っ暗になった。私は真司に視線を向けた。 あのアイデアは、真司にしか話したことがなかったのに。 真司は、ばつが悪そうに顔をそむけた。 真司のその態度で、私の推測は確信に変わった。プロポーズは嘘だったんだ。真司は美咲に騙されたんじゃなくて、わざと彼女に協力して私のアイデアを盗み、もっと前の日付のアイデアメモを捏造したんだ。 この茶番は、すべて美咲を助けるためだったんだ。 真司は美咲が私のアイデアを盗むのを手伝っただけじゃない。私の癖を利用して、私が他人の成果を盗んだという罪をでっち上げる計画まで立てていたんだ。 やっぱり、私のことを一番よく知っている人だからこそ、私をどん底に突き落とす方法も分かっていたんだ。 目の前にいる真司が、まるで知らない人のように見えた。 続けて、真司がゆっくりと口を開いた。「証明できます。この間、優里は上司として、ずっと美咲に圧力をかけていました」 あの日、どうやってみんなの白い目の中から会場を出たのか、覚えていない。この件はすぐに社内調査にかけられることになった。 調査が始まってすぐ、この件はなぜかネットで急に話題になって、トレンド入りしたんだ。 真司が監督部署の人で、しかも私の恋人だったことがネットで晒されて、彼の証言に信憑性が出てきてしまった。さらに、私が美咲につけた人事評価はいつも最低ランクだったのに、真司の評価はほとんど最高ランクだったことも暴露された。 美咲の友人を名乗る人たちが、次々にネットで彼女を擁護し始めた。美咲が学校で品行方正、成績優秀だったと書き立てて、私が美咲を不当に扱っていたという話を既成事実化していったんだ。 美咲の件で元々私に不満を持っていた同僚もいた。多く同僚たちがサブ垢を使って、私の不公平さを非難したり、会社の制度にまで疑問を呈したりした…… すべて美咲と真司の仕業だろうとは思ったけど、私にはどうすることもできなかった。 結局、調査結果が出る前に、世論に押される形で社長に呼ばれた。表向きは「少し休め」と言われたけど、事実上の停職処分だってことは分かっていた。 私は絶望で心が空っぽになり、退職届を出すと、海外へ逃げて8年が経った。 …… 「まあまあ優里さん、そんなに怒らないで。真司さんに非があったのは確かだけど、何も言わずにいなくなったあなたも悪かったんじゃない?それに、今回は真司さんもすごく誠意を見せてくれてるし」 美咲の言葉で、私は現実に引き戻された。 私は無意識に持っていた鞄に触れた。この中には小さなUSBメモリが入っている。これがあれば、あの頃の出来事の真相をはっきりさせることができるんだ。 私の名誉と苦しみを踏み台にしておきながら、よくも平気な顔で猫をかぶっていられるもんだ。 私がようやく手に入れたこの証拠が表に出た時、美咲はまだそんな風に笑っていられるかしら。 はっと我に返ると、いつも傲慢な真司が片膝をついて、笑顔で指輪を私の前に差し出しているのが見えた。 「優里、もう昔のことは水に流そう。やり直して、結婚してくれ……」 「ママ、なんだかすごく賑やかだね!」 真司が言い終わる前に、幼い声が響いた。 男の子と女の子の双子が手を繋いで、ぴょんぴょん跳ねながら私のほうへ駆け寄ってきた。