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移植されたバラ
結婚七年目、葛城真紀(かつらぎ まき)は二兆円もの莫大な遺産を相続することになった。 しかし、顧問弁護士との手続きの最中、彼女は衝撃的...
Chương (1)
第1章
結婚七年目、葛城真紀(かつらぎ まき)は二兆円もの莫大な遺産を相続することになった。
しかし、顧問弁護士との手続きの最中、彼女は衝撃的な事実を告げられる。婚姻届受理証明書は偽物だったのだ。
二兆円の遺産は、法的に独身である彼女一人が相続することになる。
調査を終えた弁護士は、ある名前を口にした。
「西園寺様が戸籍に入れているお相手は、早川恵美(はやかわ えみ)様です。葛城様は……現在、未婚でいらっしゃいます」
臨海市(りんかいし)の誰もが知っていることだが、真紀と西園寺蓮(さいおんじ れん)は親同士が決めた許嫁だった。
真紀は蓮にとって、目に入れても痛くない最愛の存在、掌中の珠だった。
結婚の際、蓮は真紀のために盛大な結婚式を挙げた。
彼は高らかに誓った。
「この俺、西園寺蓮は、生涯かけて真紀を愛し抜く!」と。
だが、彼と恵美が入籍したのは、その結婚式の翌日のことだった。
第1話
結婚七年目、葛城真紀(かつらぎ まき)は二兆円もの莫大な遺産を相続することになった。
しかし、顧問弁護士との手続きの最中、彼女は衝撃的な事実を告げられる。婚姻届受理証明書は偽物だったのだ。
二兆円の遺産は、法的に独身である彼女一人が相続することになる。
調査を終えた弁護士は、ある名前を口にした。
「西園寺様が戸籍に入れているお相手は、早川恵美(はやかわ えみ)様です。葛城様は……現在、未婚でいらっしゃいます」
臨海市の誰もが知っていることだが、真紀と西園寺蓮(さいおんじ れん)は親同士が決めた許嫁だった。
真紀は蓮にとって、目に入れても痛くない最愛の存在、掌中の珠だった。
結婚の際、蓮は真紀のために盛大な結婚式を挙げた。
彼は高らかに誓った。
「この俺、西園寺蓮は、生涯かけて真紀を愛し抜く!」と。
だが、彼と恵美が入籍したのは、その結婚式の翌日のことだった。
真紀は自嘲気味に笑った。事実を受け入れるのに長い時間を要したが、その時、彼女のスマホにラインのメッセージが届いた。
【真紀、君が一番欲しがっていたあの新作バッグ、俺が手に入れておいたよ。飛行機は着陸したけど、一度会社に顔を出してからすぐに帰る。愛してるよ】
今日は蓮が海外出張から帰国する日だった。実は、真紀はサプライズで彼を迎えに空港の外に来ていたのだ。
到着ゲートから出てきた二人の姿を見て、真紀は拳を握りしめた。
少し離れたところで、蓮はスマホをコートのポケットに突っ込むと、恵美のうなじに手を回し、二人は人目も憚らず陶酔したように口づけを交わした。
車内にいる真紀の頬を、涙が伝い落ちる。
蓮は自分に愛を囁きながら、別の女と平気でキスができる人間だったのだ。
遠くに見える蓮の姿を見つめながら、真紀は二人の過去を回想した。
二人は幼馴染だった。中学時代、真紀の両親が彼女を海外へ連れて行こうとした際、それを知った蓮は葛城家の門前で七日間も土下座し続けた。
最後には意識を失う寸前まで粘り、彼女の手を強く握りしめて言ったのだ。
「真紀、行かないでくれ。君は俺のものだ。俺から離れるなんて絶対に許さない」
その後の中学、高校時代、何年経っても蓮は変わらず、周囲の誰もが真紀は蓮の特別な存在だと認識していた。
大学受験の後、西園寺家は蓮を海外のトップ大学へ留学させようとしたが、彼は真紀と共に国内に残ることを選んだ。
「真紀がいる場所が、俺のいるべき場所だ。成人したらすぐに籍を入れよう」
確かに、彼らは二十二歳で結婚式を挙げた。
だが、あれほど自分を愛していたはずの蓮が、この結婚という舞台で、これほどまでに残酷な裏切りを仕組んでいたとは想像もしなかった。
入籍の手続きは「翌日、弁護士に行かせるから」と彼が言ったのだ。
「新婚初夜で疲れているだろうから」と、彼女を気遣うふりをして。
生まれた時から一緒だった。二十七年間、離れたことなどなかった。
互いに唯一無二の存在だと信じていたのに、結末は、蓮が自分を欺いて別の女を妻にしていたという事実だった。
彼は真紀のこれまでの人生のすべてを占めていた。だが今この瞬間、真紀は決意した。
身を切られるような痛みがあろうとも、これからの人生から西園寺蓮という存在を完全に排除すると。
真紀は家には戻らず、弁護士のもとへ向かい、資産相続の手続きを行った。
葛城家の全資産は彼女の名義となり、そこには結婚前に蓮が彼女に譲渡した西園寺グループの株式も含まれていた。
弁護士が改めて確認する。
「葛城様、本当にお持ちの不動産をすべて売却されるのですか?」
「ええ。臨海市にある葛城家の資産は、不動産一つ残さず売り払って」
真紀は半日の間に数種類の契約書にサインし、資産の半分を売却した。
残りの半分にもすでに地方の買い手がついていた。資金さえ整えば、数日中に臨海市へ来て契約することになっている。
弁護士によれば、すべての資産処分には最大で七日かかるとのことだ。
西園寺蓮、あなたの裏切りも、あなたが私に与えた傷も、この七日間ですべて終わらせる。
第2話
三時間後、真紀は蓮との新居に戻った。
蓮はその冷ややかな瞳で真紀を見つめた。
「真紀、どこに行っていたんだ?電話も繋がらないし、二時間も待ったんだぞ。俺がどれだけ心配したと思ってるんだ」
真紀は改めて蓮の顔を見た。脳裏に焼き付いているのは、空港で彼の手が恵美を抱き寄せ、キスをしていた光景だ。
かつては彼とのキスが何よりも好きだった。だが今は、ただ吐き気がする。
真紀からの返答がないことに苛立ったのか、蓮は立ち上がり、彼女の方へ歩み寄ってきた。
「真紀、俺が一番嫌いなのは、君が黙ってどこかへ行くことだ。前回の『お仕置き』じゃ足りなかったみたいだな」
次の瞬間、蓮の大きな手が真紀の華奢な腰を強く掴んだ。
真紀の体は強張って動けず、長い睫毛が震えた。
以前なら、彼から漂うタバコの香りに安心感を覚え、愛おしく感じていた。だが今は、危険な匂いにしか感じられない。
蓮の独占欲と強引さを、彼女は誰よりも知っていた。
二十歳の頃、彼と喧嘩をして、友人と登山し逃げたことがあった。
蓮は狂ったように市内のヘリコプターを総動員し、彼女を見つけるためだけに全ての山を捜索した。
そして彼女を見つけるなり、マンションに監禁し、一ヶ月もの間、獣のように彼女を貪り続けたのだ。
泣いて懇願しても、彼は決して許してくれなかった。
二度と消えない、心配させないと、何度誓わせられたかわからない。
それ以来、真紀は蓮への恐怖心から、どんなに揉めても姿を消すような真似はしなくなった。
今、蓮の細長い指が彼女の顎を持ち上げた。
「真紀、何か言え。本当にお仕置きされたいのか?」
真紀の瞳に一瞬、動揺が走った。もし今、彼から完全に離れようとしている準備がばれば、彼は本当に発狂するかもしれない。
ばれるわけにはいかない。真紀は震える声で答えた。
「さっき……病院に行っていたの」
彼女は妊娠していた。二ヶ月だった。
病院という言葉を聞いた瞬間、蓮の瞳が暗く沈んだ。
彼は真紀の額にキスを落とし、低く抑えた声で言った。
「真紀、俺の子を産みたいと思ってくれているのは知ってる。でも、君の生殖能力はゼロだと診断されただろう。
もう何年も頑張った、それで十分だ。俺は君さえいればいい。人生に悔いはないから、もう病院には行くな。君が痛い思いをするのは見たくないんだ」
彼女は体外受精を二十回以上試みたが、一度も着床しなかった。数え切れないほどの排卵誘発剤を打ち、腕は腫れ上がったが、何の効果もなかったのだ。
その時、蓮のスマホが鳴った。
濃く整った眉をわずかに顰め、彼は真紀の髪を撫でた。
「もう子供のことで自分を苦しめるな。真紀こそは俺の宝物だ。一生子供がいなくても構わない……
急な用事で出かけなきゃいけないんだが、家でいい子にしてるんだぞ。どこにも行くなよ、勝手に動き回って俺を心配させるな。次やったら本当に怒るからな」
蓮は彼女の返事も待たずに、逃げるように去っていった。
真紀は苦笑した。外で待っている「誰か」がいるのだ。結局、彼は自分が家にいるかどうかを確認するためだけに戻ってきたのか。
三十分後、真紀の元に知らない番号から音声データが送られてきた。
「蓮、恵美さんは本当に妊娠しているのか?」
蓮の友人の声だ。
「ああ、三ヶ月だ。真紀は産めないが、一族には継承者が必要だ。祖父の圧力が強くてな」
「蓮、お前がどうしても真紀さんがいいって言うから、お祖父さんは真紀に避妊薬……
いや、不妊になる薬を盛ることを条件にしたんだろう?籍を入れることも許されなかった。
こんな状況で、今後どうするつもりだ?真紀さんを一番愛してるんじゃなかったのか?」
真紀の顔から血の気が引いた。
何?不妊になる薬?
蓮は不倫をするだけでなく、自分に薬を盛っていたの?
真紀の体を引き裂くような激痛が走った。結婚したあの夜の記憶が蘇る。
蓮は自分に薬を持ってきた。
「真紀、これは実家の長老が勧める妊娠しやすくなる薬だ。新婚の夜に飲めば一発で授かるらしい。苦くても泣くなよ」
あの時、自分は羞恥心と共に彼の腕の中にいて、蓮は一口ずつ丁寧に、最後の一滴まで飲ませてくれた。
最初から、彼は自分に子供を産ませる気なんてなかったのだ。
録音の続きから、蓮の声が聞こえる。
「当然、俺は真紀を愛している。でなければ、なぜ恵美を妊娠させたと思う?両家の因縁を捨ててまで真紀と一緒にいるためだ。
俺の両親が事故死したのは、真紀の両親のせいだ。この数年、必死にその事実を無視して、彼女を宝物のように甘やかしてきた。
子供と法的な婚姻関係以外、俺は彼女に全てを与えられる。西園寺グループさえもな」
「じゃあ、恵美さんはどうなんだ?本当にお祖父さんが用意したただの代理母扱いか?」
長い沈黙の後、蓮は言った。
「恵美は水のように淡白な性格だ。一緒にいると楽しくて、心が安らぐ。それは真紀には永遠に与えられないものだ」
「蓮、お前は『理想の白百合』と『情熱の赤い薔薇』、両方欲しいってわけか」
第3話
それ以上聞いていられず、真紀はスマホの画面を消した。涙が音もなく零れ落ちる。
自分は一度たりとも、蓮の心を安らげたことなどなかったのだ。
真紀は涙を拭い去った。
このメッセージが誰から送られてきたのかは分からない。
震える手で、自分の下腹部に触れる。
そう、彼の子供を産むわけにはいかない。自分には処理しなければならない「もう一人の子供」がいる。
真紀は電話をかけた。
「真紀ちゃん?」
「瀬名先輩、明日の朝、先輩の病院で手術の枠を空けられませんか?」
「どんな手術だ?外科部長に掛け合ってみるよ」
「中絶、です」
昨夜の深夜、蓮が出て行った後、彼からは一通のラインしか来なかった。
【真紀、今夜は帰れない。飲みすぎた。明日の朝、そのまま会社に行くから、夜には帰るよ】
会社に行くと言った蓮が、今日、真紀が中絶手術に来たその病院にいた。
産婦人科のフロアに、蓮が恵美の肩を抱いて現れたのだ。
検査待ちの人々で混雑する中、蓮は恵美を人混みから守るように隅へと誘導していた。
その強引で過保護な姿は、かつて彼が真紀を守っていた姿そのものだった。
恵美は蓮を見上げて微笑んだ。
「蓮さん、大丈夫ですよ。周りは妊婦さんばかりですし、そんなに緊張しないで」
蓮の低い声には、抑えきれない愛情が滲んでいた。
「私立病院に行けと言ったのに、君がどうしても公立がいいと言うからだ。ここには何のメリットもない」
恵美は少し目を伏せて言った。
「蓮さん、私はただのお手伝いさんの娘です。庶民ですから。真紀さんとは比べられません。公立なら費用も安いですし、蓮さんのお金を無駄に使いたくありません」
蓮の美しい横顔に、痛ましいほどの愛しさが浮かぶ。
「真紀は俺に一番高価で、唯一無二のものばかりねだる。彼女のバッグ一つで君の十年分の給料になる。真紀は君ほど分別がない」
そう言いながら、蓮は恵美を抱き寄せ、彼女の髪にキスをした。
トレンチコートを着て、帽子とマスクで顔を隠した真紀は、彼らに背を向けたまま体が凍りついたように動かなかった。
分別がない?なんて皮肉な言葉だろう。
蓮は結婚前夜、彼名義の西園寺グループの株式をすべて自分に譲渡した。
その時、彼はこう言ったのだ。
「真紀、俺は君に一番高いもの、最新のものしか買い与えない。俺のプリンセスは、手のひらに乗せて育てなきゃいけないんだ」
そして今、真紀の耳に蓮の言葉が突き刺さる。
「西園寺家の紫苑邸(しおんてい)は知っているだろう。この後はそこで静養して出産に備えよう。
海外のオークションで落札したグリーンダイヤモンド、指輪に加工させたよ。これが君への結婚指輪の代わりだ」
真紀の長い睫毛が震え、涙で視界が歪んだ。
グリーンダイヤモンド。
かつて、その伝説を蓮に教えたのは自分だった。
「緑のダイヤモンドは唯一無二の象徴なんだって」と、あの頃の自分は蓮にねだったものだ。
「じゃあ、今回私が真紀さんのために選んだバッグ、気に入ってもらえたでしょうか?」
「もちろん気に入ったはずだ。恵美が三時間もかけて選んでくれたんだから。苦労をかけたな」
恵美はお腹を撫でながら、申し訳なさそうに言った。
「蓮さん、真紀さんはこの子の養母になる方です。私、精一杯ご機嫌をとりますから、安心してください」
その言葉を聞いて、蓮はさらに胸を痛めたようだった。
「恵美、子供を真紀に渡すことを承諾してくれてありがとう。真紀の子とすることでしか、正々堂々と西園寺家の跡取りにはなれないんだ。俺のすべては、この子のものだ」
真紀はこの滑稽な会話を聞いて、乾いた笑いが込み上げた。
つまり、彼が恵美を妊娠させたのは、自分が子供を欲しがって気が狂いそうだったから?
そのために不倫をしたというの?
真紀は一歩ずつ、手術室の方へと歩き出した。
患者衣に着替えている最中、スマホが鳴った。
蓮からの電話だった。
彼女は通話ボタンを押した。
「真紀、起きたか?まだ怒ってるのか?夫として九十九本のバラの花束を用意したよ。あとで別荘に届くはずだ。それから老舗の『あけぼの』の朝食もね、君の好物だろう。
どうしても子供が欲しいなら、養護施設を探させるよ。条件に合う赤ん坊がいれば養子にしよう。早ければ一年以内だ。君をママにしてあげるよ」
「いいわ。子供は、もういらない」
自分自身の子供がいらないのだ。しかし、彼と他の女が作った子供を育てる?絶対にお断りだ。
蓮の声がようやく明るくなった。
「真紀はいい子だ。君こそが俺の宝物だよ。結婚七周年の記念日は三日後だ。サプライズを用意してるからな」
真紀は電話を切った。
自分からも、蓮にサプライズがある。
真紀は冷たい手術台の上に横たわった。
第4話
真紀の先輩・瀬名泉(せな いずみ)が現れた。
「真紀ちゃん、今の体の状態だと、この子を堕ろせば、今後妊娠できる可能性は限りなく低くなる。もう一度考え直さないか?」
涙で視界が滲む中、真紀は答えた。
「先輩、もう決めたんです」
この子は、結婚七周年記念日に自分が蓮に贈る、最高のプレゼントだ。
彼がいらないと言った、彼が最初から存在を否定した命。
彼には渡さない。
冷たい器具が体内に侵入してくる。
腹部を掻き回されるような激痛。
それは、自分と蓮との唯一の繋がりを断ち切る痛みだった。
ただ、思いがけなかったのは、麻酔から覚めた後に届いた最初のメッセージが、知らない番号から送られてきたドレスショップの位置情報だったことだ。
真紀は痛む体を引きずり、タクシーでそのドレスショップへと向かった。
ちょうど蓮たちが到着したところだった。
蓮は恵美を抱き寄せ、どうしようもないといった様子で言った。
「恵美、君は俺の妻だ。公に結婚式は挙げられないが、せめて一度くらいウェディングドレスを着せてやりたい」
「蓮さん、ご迷惑じゃありませんか?またお金がかかってしまいます」
蓮は愛おしそうに恵美の鼻に触れた。
「馬鹿だな。公的な身分はあげられないが、幸せにはしてやれる」
車の中にいた真紀は、蓮が恵美に語る言葉を聞き、心臓が引き裂かれるような痛みを感じた。
妻?恵美が彼の妻?じゃあ、自分は何?
彼が恵美を幸せにするなら、自分の幸せはどうなるの?
蓮が恵美に向ける仕草は、かつて何千回と自分にしてくれたものと同じだった。
真紀はふと、子供を堕ろしたことを後悔していない自分に気づいた。
西園寺蓮に、父親になる資格はない!
真紀と蓮が結婚した時も、この店でドレスを選んだ。
思い出から戻る今。
数台の高級車が、真紀の乗る車の前後に止まった。
降りてきたのは、蓮と真紀の共通の友人たちだった。
外から話し声が聞こえてくる。
「蓮のやつ、恵美さんにサプライズだってよ。今夜ドレスショップで小さな結婚式を挙げるんだと」
「真紀さんにバレるの怖くないのか?」
「真紀さんは子供が産めないからな。蓮は彼女に婚姻届受理証明書が偽物だってことすら隠してるんだぞ」
「その話はやめろ。真紀さんは蓮にとって特別なんだ。これは妊婦の恵美をなだめるための芝居だよ。腹の中に『お世継ぎ』がいるんだから仕方ないだろ」
真紀は全身の血が逆流するのを感じた。
幼い頃から一緒に育った友人たち全員が、蓮の裏切りを知っていたのだ!
このドレスショップは、大学時代に真紀が暇つぶしに開業したものだった。店内のドレスはすべて彼女のデザインだが、店長以外、彼女がオーナーだとは誰も知らない。
全員が中に入った後、真紀は裏口から入店した。
彼女は三階の暗がりに立ち、白いタキシードを着た蓮と、純白のドレスに身を包んだ恵美を見下ろした。
そのドレスのデザインは、彼女と蓮が初めて喧嘩した時のことがインスピレーションだった。
蓮は、他の男が彼女に誕生日プレゼントを渡したことに嫉妬し、大学の教室で黒板に彼女を押し付け、激しくキスをした。
それが二人のファーストキスだった。あの夜、甘酸っぱいキスの余韻の中で、彼女はこの「初恋」という名のドレスをデザインしたのだ。
蓮と恵美はステージの上に立っていた。
ステージの下には、幼い頃から知っている友人たちが勢揃いしていた。
彼らは拍手し、歓声を上げ、蓮と恵美を祝福している。
「蓮、奥さん綺麗だぞ!」
「おめでとう!さあ、指輪の交換だ」
真紀は蓮が指輪を取り出すのを見た。
リングケースが開く。
高い場所にいる真紀からは、はっきりと見えた。
それは自分たちの結婚指輪と全く同じデザインのペアリングだった。
蓮の指輪は、変わらずあの男性用のデザイン。
そして恵美の指輪は、自分のものと瓜二つだった。
指輪まで三人でお揃いだなんて!
パチン、と音がして照明が切り替わった。
ステージの照明がすべて消えた。
唯一、真紀が立っている三階のバルコニーだけが、スポットライトで照らし出された。
第5話
真紀の姿を見た瞬間、蓮の瞳が充血し、表情が一変した。
彼は恵美を置き去りにし、三階にいる真紀の元へ全力で駆け出した。
誰もが、蓮が全身を震わせ、血の気を失った顔をしているのを目撃した。
彼は震える手で、心が死に絶えたような表情の真紀を抱きしめた。
「真紀!ち、違うんだ、これは広告撮影なんだ!誤解しないでくれ。知ってるだろう?
このSリングは俺が君のためにデザインしたものだ。でも君はメディアに出るのを嫌がるから……
恵美の手が君に似ていたから代役に頼んだだけなんだ!映像ができたら、街中の広告をこれで埋め尽くして、君へのサプライズにするつもりだったんだ!」
蓮は震える手で、慌てて指輪を真紀の薬指にはめようとした。
だが、真紀は感じた。指輪が入らない。
これは自分のサイズではない。
階下では、恵美が蒼白な顔で、涙を浮かべながら真紀と蓮を見上げていた。
蓮の声が冷たく響く。
「早川さん!妻が怒っているぞ、説明しろ!でないと西園寺グループにはもう置いておけんぞ!」
恵美の声は卑屈に震えていた。
「葛城様、この結婚式はただの広告撮影です。企画者は私です。三日後の結婚記念日に、社長が全街頭ビジョンで放映するために準備していたもので……」
蓮は美しい顔に必死の笑みを浮かべ、真紀を抱きしめた。
「真紀、聞いたね?早川さんの説明通りだ。全部君のためなんだよ。俺がやることは全て君のためだ。
真紀、愛してる。永遠に変わらない。俺がこの世で愛しているのは葛城真紀だけだ」
蓮の口から出る愛の言葉を、真紀はこの二十七年間ずっと信じてきた。
だが、まさか裏切りの真っ最中に、これほど溺愛するような態度で、全世界に向けて愛を叫べるとは思わなかった。
恵美はその言葉に刺激されたようだった。
「蓮さん、真紀さん、永くお幸せに!元気な赤ちゃんが生まれますように!」
「赤ちゃん」という言葉を聞いた瞬間、真紀の心臓に鋭い痛みが走った。
恵美と目が合った。
恵美は泣きじゃくると、決別するように背を向け、振り返らずに走り去った。
蓮が大声で叫んだ。悲痛な叫びだった。
「恵美!」
そして彼は狂ったように階段を駆け下りていった。
真紀は、蓮が衆人環視の中で恵美を追いかけていくのを見下ろしていた。
恵美が外へ飛び出した、その直後だった。
大型トラックが、ドンッという鈍い音と共に恵美を跳ね飛ばした。
真紀が店の外へ出て、歩道に立った時、
蓮の苦痛に満ちた絶叫が聞こえた。
「恵美!ダメだ!」
蓮はほとんど飛びつくようにして、恵美を受け止めていた。
誰もが見ていた。最後の瞬間、恵美が蓮を守るように抱きかかえて反転し、彼女の小さな体が二度目の衝撃をもろに受けたのを。
ドサッ……
一面の鮮血。
恵美の口からは絶え間なく血が溢れ出し、下半身はすでに血の海となっていた。
蓮は地面に膝をつき、震える手で恵美を抱きしめていた。
目を真っ赤にして。
「恵美、大丈夫だ。す、すぐに病院へ連れて行くから」
恵美は血を吐きながらも、うわ言のように繰り返した。
「赤ちゃん……蓮さん、助けて……私たちの赤ちゃんを……」
真紀が見つめていると、蓮の苦痛と憎しみに満ちた赤い瞳が、彼女を射抜いた。
「真紀!俺と恵美は何でもないと言っただろう!ただの広告だと言ったのに、なぜ信じない!なぜ彼女と子供を殺すまでしないと気が済まないんだ!」
その瞬間、真紀は蓮の目に明確な恨みを見た。
周囲の友人たちも、次々と彼女を責め立て始めた。
東条湊(とうじょう みなと)が声を荒げる。
「真紀さん、蓮はお前を愛してるんだぞ。愛してるからこそ、お祖父さんの手前、恵美さんと形だけの籍を入れて、彼女を七年も海外へ追いやってたんだ!」
他の者たちも口々に言った。
「そうだよ、真紀さん。蓮は君を疲れさせたくないから、今日の撮影も恵美さんを代役にしただけだ」
「真紀さん、心が狭すぎるよ。恵美さんはただ蓮が好きだっただけだ。見返りなんて一度も求めたことはない。あんなに健気な子を、どうして少しも許してやれないんだ」
……
第6話
かつて真紀と蓮を「お似合いの二人」「運命の二人」ともてはやしていた友人たちは、今や道徳無欠な人のように振る舞いながら、一斉に真紀を非難していた。
蓮との関係に愛人を受け入れられない真紀は悪女だと。
七年間も蓮に騙されていたにもかかわらず、悪いのは真紀だと。
恵美は病院へ搬送された。
真紀も後を追って病院へ着いた。
蓮は擦り傷程度だったが、医師の診察を拒否し、恵美の手術が終わるのを頑として待ち続けていた。
恵美は大量出血を起こしており、胎児は助からなかった。さらに出血量があまりに多く、子宮を摘出せざるを得なかった。
蓮は苦悩に顔を歪めていた。
「恵美、すまない、すまない……俺のせいだ。君を七年も海外へ追いやるべきじゃなかった。冷遇するべきじゃなかった。
何より、君が俺のために陰でしてくれていたことを、全部真紀がやったことだと勘違いしていたなんて……俺は愛する人を間違えていた。ずっと彼女だと思い込んでいたんだ」
その言葉を聞いて、真紀は呆然とした。頭の中が真っ白になる。
恵美が蓮のためにしたことを、蓮はずっと自分がやったと思っていた?
真紀の潤んだ瞳に、哀しい笑みが浮かぶ。震える手で涙を拭った。
自分だって、幼い頃から彼のために多くのことをしてきた。
誰にも言わず、彼の「血液銀行」になっていたことだってある。
五歳の時、真紀は蓮が血小板減少症であることを知った。
彼は定期的な輸血が必要だった。
幼い彼女にとって、蓮が死ぬかもしれないという恐怖は何よりも耐え難いものだった。
両親は反対したが、彼女の頑固さには勝てなかった。
幼い頃から、彼女はずっと蓮に血を与え続けてきた。
だから彼女はいつも病弱で、逆に蓮はどんどん健康になっていったのだ。
彼女の体は弱りきり、すぐに風邪をひき、熱を出した。
中学時代、両親が強引に彼女を連れて行こうとしたのは、蓮のために彼女が命を落とすのを恐れたからだ。
蓮は、自分が七日間土下座したから真紀の両親が折れたと思っている。
だが事実は違う。真紀が「死んでやる」と両親を脅し、両親が断腸の思いで折れたのだ。
蓮が「愛する人を間違えた」と嘆き、恵美への冷遇を悔いているのを見て、真紀もまた思った。
自分も後悔している、と。
自分と蓮の愛が、こんな無惨な結末を迎えると知っていたなら、最初から、恋の芽生えさえ許さなかっただろう。
真紀はエレベーターへと歩き出した。
その背後で、蓮がどさりと床に倒れ込む音がした。
今回ばかりは、私は彼を助けない!
静寂に包まれた夜。
真紀は一人、広い別荘にいたが、スマホの中のSNSは騒がしかった。
彼女と蓮の友人たちが、こぞってある動画を拡散していたのだ。
動画には、顔の見えない花嫁と、彼女に指輪をはめる新郎の姿が映っていた。
添えられたコメントはどれも同じだ。
【西園寺社長、奥様、結婚七周年おめでとうございます!】
真紀は嘲るように唇の端を吊り上げた。
結婚七周年。蓮と恵美にとっても七年目だ。
その人たちは一体誰を祝福しているのだろう。
蓮と恵美がステージに立っていたあの瞬間を、彼らはこぞってSNSに投稿していた。
その情報はネット中に拡散され、今や全ネットユーザーが彼女を祝福している。
【西園寺夫人は本当に幸せ者だ!】
【理想の夫婦、甘すぎる!】
【世紀の結婚式、再び!】
今頃、蓮は病院で倒れている。これらの報道に対処する余裕などないはずだ。
その時、彼女のスマホが鳴った。
通話ボタンを押す。
「葛城、蓮が緊急輸血を必要としている!すぐに病院に来て血を提供しろ!」
西園寺剛造(さいおんじ ごうぞう)、蓮の祖父の声だ。
真紀の涙ぐんだ瞳に、冷酷な光が宿る。
「お断りします。私は西園寺蓮の妻でもなければ恋人でもありません。赤の他人です。彼を助ける義務も責任もありません」
「お前……知っていたのか!」
真紀は冷笑した。
「七年前、私を傷つけてくださって感謝します!おかげで七年後の今、蓮と離婚協議をする手間が省けました!
彼が今夜死んだとしても、妻でも恋人でもない私は、葬儀にも出席しませんので」
「葛城!お前の祖父そっくりだ!どこまでも、このわし、西園寺剛造のんやつだ!」
剛造は電話を一方的に切った。
その夜、真紀は一睡もしなかった。
彼女は一人で、自分と蓮に関するすべての物を整理し始めた。
第7話
ウェディングフォトに、真紀はハンマーを振り下ろし、一枚一枚粉々に叩き割った。
床一面にガラスの破片が散乱する。
蓮が買い与えた服、バッグ、宝飾品。すべて段ボールに詰め込んだ。
深夜のうちに中古買取業者を呼び、すべて運び出させた。
そして、幼い頃から互いに贈り合ったプレゼントたち。
真紀はウサギのぬいぐるみをじっと見つめた。幼い頃、泣いている彼女をなだめるために蓮が買ってくれたものだ。
山積みの受験参考書。蓮が家庭教師をして、泣きながら無理やり解かされたものだ。
真紀はそれらをすべて庭に運び出し、一つ一つ火にくべて燃やした。
スマホが再び鳴った。
知らない番号からのメッセージだ。
【彼がこんなに私を愛してくれていたなんて知らなかった!命がけで愛してくれるなんて】
真紀は一言だけ返信した。
【早川、おめでとう。私の『中古品』を回収してくれてありがとう!】
三時間後。
真紀の元に、蓮が意識を取り戻したという知らせが入った。
西園寺家の病院には、真紀の血液がまだ五単位保管されているはずだ。万が一の時のために備蓄していたものだ。
この数年、彼は健康で怪我もなかったため、真紀は半年に一度採血してはストックを更新していた。蓮に何かあった時、すぐに使えるように。
昨夜の彼の怪我の具合からすれば、その五単位の血液は一滴残らず使い切っただろう。
二十七年間の彼への想いは、たった五時間できれいに清算できた。
真紀は蓮のボディガードたちによって強引に病院へ連行された。
病室のドアを開ける。
そこには、恵美を抱きしめる蓮の姿があった。
蓮の瞳には激しい怒りが燃えていた。
「真紀!よくも医師を買収して、恵美から子供を奪ったうえに、子宮まで摘出させたな!」
真紀は耳を疑った。恵美の子宮摘出を自分のせいにしている?
その時、傍らにいた医師が告げ口をした。
「西園寺様、葛城様です。『もし早川の子宮を摘出しなければ、あなたの家族全員、臨海市で生きていけなくしてやる』と脅されたのです」
蓮は恵美を離し、真紀に向かって歩み寄ってきた。
そして初めて、蓮は真紀の首を直接手で締め上げた。
「真紀、いつからそんな人間になった?金と権力で人を脅し、恵美を傷つけるなんて。お前はどこまで落ちぶれたんだ」
真紀は涙の滲む目で蓮を見つめた。その悲痛で怒りに満ちた蓮は、もう自分のためのものではないのだ。
首を絞められる痛みは現実だった。蓮は恵美のために、自分を傷つけている。
真紀は唇の端を吊り上げて笑った。
「蓮、たかが子宮一つじゃない?私が欲しいなら、金で早川の命ごと買ってあげるわよ」
瞬間、蓮は激昂し、真紀の頬を力任せに平手打ちした。
真紀の華奢な体が床に崩れ落ちる。
蓮は冷酷な声で命じた。
「誰か、こいつを手術室へ運べ。子宮を摘出しろ」
二人の医師が彼女の体を押さえつけた。
真紀は呆然とした。
「蓮、何言ってるの?私に何をするつもり?」
蓮は氷のような瞳で真紀を見下ろした。
「真紀、人は借りを作ったままじゃいけない。お前もだ。恵美から奪ったものは償え。清算さえすれば、俺は以前と同じようにお前を可愛がってやる」
蓮が目配せすると、医師たちは即座に真紀を引きずっていった。
抵抗しようとしたが、医師の一人が麻酔針を彼女の体に突き刺した。
瞬く間に真紀の視界が霞み始めた。
薄れゆく意識の中で、蓮が再び恵美を抱きしめるのが見えた。
「恵美、泣くな。君が泣くと、俺の心が張り裂けそうだ」
真紀は意識を失った。脳裏には、かつての少年時代の映像が浮かんでいた。
二十歳の自分が蓮の腕の中で泣きじゃくっている時、蓮は耳元で悪戯っぽく笑い、セクシーな声で甘やかしてくれた。
「真紀、俺は君の泣き顔が一番好きだ。君が泣くと、たまらなく興奮する」
そうか。本当に心から愛している女が泣くと、心臓が張り裂けそうになるんだね。
下腹部に再び激痛が走る。
医師と蓮の会話が、朦朧とする意識の中に聞こえてきた。
「西園寺様、葛城様は以前、子宮内掻爬手術を受けておられますが、それでも摘出しますか?」
第8話
「掻爬手術?」
蓮の低い声に疑問の色が混じる。
医師が説明する。
「掻爬手術は、子宮筋腫などがある場合に行われることもありますが……」
蓮の声は冷え冷えとしていた。
「真紀の子宮を摘出して、恵美に見せてやれ。恵美は目を腫らすほど泣いているんだ。これ以上泣かせるわけにはいかない。手術を急げ」
「麻酔を打った後、一時間は待たなければなりませんが」
蓮は時間がかかりすぎると不機嫌さを露わにした。
「真紀はもう気絶してるだろう。そのまま腹を開いて子宮を取り出せ!」
真紀の目尻から一筋の涙が流れ落ちた。
自分の子宮を取るのは、ただ早川を泣き止ませるため……
子宮摘出による大量出血。真紀が目を覚ましたのは、二日後のことだった。
蓮の冷ややかな瞳が彼女を見下ろしていた。
「目が覚めたか」
真紀は喉がカラカラで、言葉を発することもできない。
蓮は冷たく言い放った。
「お前は大量出血したんだ。恵美が輸血して助けてあげたんだぞ。真紀、恩に報いるんだな」
隣でミカンを剥いていた恵美が、恥ずかしそうに言った。
「蓮さん、私、お礼なんていりません。蓮さんが真紀さんを大切に思っているのは知っていますから。
私の血をあげたくらい、どうってことありません。真紀さんを助けるためなら、全身の血を抜かれて死んだって構わないんです」
なんて殊勝な言葉だろう。
だが、蓮の次の言葉は残酷だった。
「真紀、恵美への借りは、身分で返してもらう」
真紀は蓮を見た。彼女の瞳から、彼への光は完全に消え失せていた。
痛みをこらえ、ベッドから起き上がる。
その様子を見て、蓮はすぐに近寄り、彼女の手を強く掴んだ。
怒鳴りつける。
「何をしてる!俺が死にかけても無視し、恵美が死にかけても無視したくせに。真紀、お前は俺たちに借りがあるんだ!」
真紀の顔は蒼白だったが、その瞳には冷徹な光が宿っていた。
彼女は嘲るように笑った。
「西園寺、本当に私があなたたちに借りがあるのかしら?」
その時、恵美が泣き出した。
「蓮さん、私何もいりません。蓮さんと真紀さんが仲良くしてくださればそれでいいんです。私、もう二度と蓮さんの前に現れませんから……」
言い終わると同時に、恵美は気を失った。
蓮はすぐに真紀の手を振りほどき、恵美を抱き上げた。
彼は怒りに満ちた目で言った。
「真紀、誰もがお前を甘やかすと思ったら大間違いだ。恵美はお前に輸血した後も、ずっと付きっ切りで看病してくれたんだぞ。
お前が目覚めないのを心配して、一歩もこの病室から離れなかった。俺も彼女も、お前に対して恥じることは何一つない。
いい加減にしろ。お前の祖父ももう死んだんだ、今の臨海市にお前の味方なんて誰もいないんだぞ」
真紀は突然悟った。あの日、両親と共に海外へ行かなかったことが、どれほどの過ちだったかを。
蓮は恵美を抱きかかえ、足早に病室を出て行った。
真紀は痛みに耐えながら、病院を抜け出した。
スマホを開くと、弁護士から大量のメッセージが届いていた。
【葛城様、残りの資産の買い手がすでに臨海市に到着し、契約をお待ちです】
真紀は再び法律事務所へ向かった。
葛城家の残りの資産をすべて処分し終えた。
そして、蓮から譲渡された株式については、彼女自身が買い手を見つけていた。
その相手こそ、蓮の宿敵、神宮寺司(じんぐうじ つかさ)だ。
彼女は司にメッセージを送った。
【六千億円用意して。私の手持ちの西園寺グループ株、全部あなたに売るわ】
司からの返信は一言だけだった。
【承知】
当初、真紀は株式を蓮に返すつもりだった。不倫されたとしても、互いの体面を保って別れたかったからだ。だが、この一連の出来事を経て、そんな考えは捨てた。
西園寺グループを破滅させ、西園寺蓮を破滅させる。
彼が自分を壊したように、徹底的に!
真紀はふと近くの商業ビルの大型スクリーンを見上げた。そこには蓮が恵美との結婚を公表し、愛を告白する映像が流れていた。
【世間では私と葛城真紀が夫婦だという噂がありましたが、それは誤解です。七年前、私が妻として迎えたのは早川恵美です。
妻を守りたかったため、当時妹のような存在だった真紀に協力を頼み、カモフラージュしてもらっていました。
誤解を解き、訂正させていただきます。私、西園寺蓮の妻は、最初から最後まで早川恵美ただ一人です】
第9話
真紀の澄んだ瞳には、何の波風も立たなかった。
今日は真紀と蓮の結婚記念日の翌日であり、蓮と恵美の本当の七周年記念日だった。
スマホが鳴る。蓮からだ。
真紀は電話に出た。
受話器の向こうから蓮の怒鳴り声が響く。
「真紀、今すぐ病院に戻って来い!恵美の容態が急変した。お前が責任を持って看病しろ」
真紀はスマホの画面を見つめたまま、淡々と言った。
「私の子宮は、償いとして早川にあげたんじゃなかった?まだ私が世話をする必要があるの?」
「真紀、いいかげんにしろ。恵美の体はボロボロだ。お前のせいで妊娠三ヶ月の子供まで失ったんだぞ。母親が我が子を失う悲しみが、お前に分かるか?」
真紀の胸が鋭く痛んだ。脳裏には、流産した双子の姿がよぎる。
退院後、彼女は双子を冷凍ケースに入れ、蓮と六年連続で結婚記念日を祝ったレストランへ送ったのだ。
「七年目、そして最後となる結婚記念日のプレゼント」として、蓮が来店した際に渡してもらうように手配してある。
「ええ、西園寺。分かってるわ」
蓮は命令口調で言った。
「分かっているなら、恵美の世話をしに来い。そうすれば許してやる。今まで通り俺のそばに置いてやる。お前と恵美、分け隔てなく扱ってやる」
「両方手に入れたい」という蓮の虫のいい言葉を聞きながら、真紀の脳裏には結婚式の誓いの言葉が響いていた。
「真紀、愛してる。生まれ変わっても、君一人だけを愛し続ける」
友人たちが冷やかしていた。
「蓮、もし真紀さんを裏切ったらどうする?」
「その時は、西園寺本社の屋上から飛び降りてやるよ」
あの時の笑い声が、今も鮮明に耳に残っている。
彼女は最後の力を振り絞り、静かに告げた。
「西園寺、私たち、別れましょう」
法的な婚姻関係など最初からなかった。七年間にわたる偽りの結婚生活は、「別れましょう」というたった一言で終わらせるしかなかった。
電話を切り、真紀はカフェに入った。
やるべきことを淡々と処理していく。弁護士に電話をかけた。
「はい、葛城様。どのようなご用件でしょうか?」
「第一に、東条湊の社長就任の件、私の持ち株はすべて彼の実兄を支持するわ。
第二に、左京グループの財務不正の証拠をリークして。左京透(さきょう とおる)を提訴して一千億円返済させること。
第三に、西園寺剛造がかつて息子夫婦を殺害した件、祖父の遺産の中に証拠があるはずだから、警察に提出して」
かつて東条家でお家騒動があった際、蓮は剛造に止められて介入できなかった。蓮は親友を助けられないことに苛立っていた。
そんな彼を見て、真紀は実家の祖父に頼み込み、裏から湊を支援させたのだ。そのおかげで今の湊がいる。
そして、剛造が自分の息子夫婦を間接的に死に追いやった事実を、真紀の祖父はずっと知っていた。
剛造が直々に土下座して頼み込んだからこそ、祖父は沈黙を守ったのだ。だが、あの老害はあろうことか、その恩を仇で返し、葛城家に罪をなすりつけようとした。
左京家もそうだ。蓮の親友である左京透。左京家内部は腐敗しきっており、一千億円もの使途不明金があった。
半年前、透は真紀に泣きつき、「蓮には言わないでくれ」と金を借りていった。そして真紀は貸した。
だが返ってきたのは、彼らが全員で結託し、自分を騙し、嘲笑っていたという事実だった。
恩に報いてほしいとは言わない。
だが、裏で自分を嘲笑い、馬鹿にするなんて許さない。
自分が助けた人間たちが、敵となって私を傷つけるなら、その施しをすべて回収するだけだ。
最後に会ったのは司だった。
「真紀さん、急な話だから、一時間では半分の資金しか用意できない。残りの半分は一週間以内に必ず口座に振り込む」
真紀の瞳は静まり返っていた。
司は低い声で尋ねた。
「真紀さん、本当にいいのか?株を俺に売れば、俺は西園寺グループを買収し、西園寺蓮を再起不能にするぞ」
真紀はペンを取り、迷うことなく譲渡契約書にサインした。
契約を終え、司は自ら彼女を空港まで送った。
「真紀さん……残ることはできないのか?」
真紀は振り返り、司を見た。
その問いには答えず、こう言った。
「神宮寺社長、おめでとう。今日から臨海市のトップ五の財閥は、神宮寺家だけが残るわ」
彼ら全員、自分のしたことの報いを受けることになる。
真紀は背を向け、搭乗ゲートへと歩き出した。一度も振り返ることなく。
西園寺蓮、これでもう永遠にさようなら。二度と会うことはないでしょう。