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私のすべてを捧げた恋は、ゴミだった
売れない画家の彼氏・高橋大輝(たかはし だいき)を支えた7年間、カップラーメンばかりの毎日だった。その彼が、ついに個展を開くことになった...
Chương (1)
第1章
売れない画家の彼氏・高橋大輝(たかはし だいき)を支えた7年間、カップラーメンばかりの毎日だった。その彼が、ついに個展を開くことになった。
オープニングセレモニーで、スポットライトが会場のど真ん中にある作品を照らし出した。
それは、まるで生きているかのような女性を描いた油絵で、『白蓮の乙女』と名付けられていた。
しかし、絵に描かれていた女性は、私じゃなかった。
大輝は興奮した様子でマスコミに語った。「この女性こそが俺のミューズで、インスピレーションの唯一の源泉なんです!」
私が駆け寄って問い詰めると、大輝は迷惑そうに私を隅っこに引っ張っていった。
「君に何が分かる?アートには新鮮さが必要なんだ!君と一緒じゃ、生活感のある絵しか描けないだろ!
この絵一枚で6000万円の値がついたんだ。これで、もう貧乏暮らしから抜け出せる」
大輝は私を見て言った。「君には二つ道がある。芸術家のセレブな夫人になって、俺のミューズに目をつぶる。それか、あのボロアパートに帰って、カップラーメンをすする毎日に逆戻りするかだ」
7年も愛した男を見つめていると、心の底から怒りがこみ上げてきた。
「大輝、あなたの選択肢はどっちもゴミね。私は、ゴミ箱の中から自分の未来を拾う趣味はないの」
第1話
売れない画家の彼氏・高橋大輝(たかはし だいき)を支えた7年間、カップラーメンばかりの毎日だった。その彼が、ついに個展を開くことになった。
オープニングセレモニーが始まり、スポットライトが中央に飾られた一枚の絵を照らした。
それは、まるで生きているかのような女性を描いた油絵で、『白蓮の乙女』と名付けられていた。
しかし、絵に描かれていた女性は、私じゃなかった。
大輝は興奮した様子で、メディアに向かってこう紹介していた。「この女性こそが、俺のミューズ。俺のインスピレーションは、すべて彼女から生まれるんです!」
私が駆け寄って問いただすと、大輝はうんざりした顔で私を隅に追いやった。
「君に何が分かる?アートには新鮮さが必要なんだよ。君と一緒じゃ、生活感のある絵しか描けない!
この絵一枚だけで、6000万円の値がついたんだ。もう、貧乏な暮らしをしなくてもすむんだよ」
大輝は私を見ながら言った。「君には二つの選択肢がある。裕福な芸術家の夫人になって、俺のミューズに目をつぶるか。それとも、あのアパートに帰ってカップラーメンをすすり続けるかだ」
7年間、愛し続けた男の顔を見ていると、腹が煮えくり返るような怒りが湧いてきた。
「大輝。あなたの提案はどっちもゴミみたいね。悪いけど、私はゴミ箱の中から自分の未来を探すつもりはないわ。
大輝、7年だよ」
私の声は震えていて、まともに言葉にならなかった。
「7年間よ!あなたがスランプに陥った時、私がバイトを掛け持ちして一番高い画材を買ってあげたんじゃない!
あなたが高熱で倒れた時も、私が病院まで背負っていって、3日間ろくに寝ないで看病した。
この7年間、私が食べたカップラーメンは、あなたが使ったキャンバスより多いのよ。
なのに今、私に消えろって言うわけ?」
大輝は高そうなスーツの襟元を整えながら、私に冷たい視線を向けた。
「奈津美(なつみ)、そんなに興奮するなよ。せっかくの化粧が台無しだ。
君の言うことはもっともだ。君には感謝してるよ。
だからこそ、こうして選択肢をあげているんだろう?」
例の陣内菖蒲(じんない あやめ)という女……絵の中の女神は、少し離れた場所で優雅にシャンパンを手にしていた。まるで、この場の主役みたいに、皆からの祝福を受けている。
時折、こちらに視線を向けては、勝ち誇ったような、そして憐れむような笑みを浮かべるのが見えた。
胸が締め付けられて、息ができなかった。
「選択って?あなたと他の女が仲睦まじくするのを、そばで見てろってこと?その女が体を売るような真似をして稼いだ金で、おとなしく飾りになってろって言うの?」
「奈津美、言葉遣いに気をつけろ」
大輝は眉をひそめ、いら立ちを隠そうともしない。
「売ったんじゃない、あれは芸術だ。菖蒲は芸術に身を捧げたんだ。彼女は純粋で、高尚なんだ」
大輝は少し間を置いて、声をいっそう低くした。
「あの絵の買い手は瑞徳グループの会長だ。会長は菖蒲をとても気に入っていてね。今後の提携も、菖蒲に表に立ってもらう必要がある。わかるだろ?」
「じゃあ、私は彼女の存在を我慢するどころか、感謝までしなきゃいけないってこと?」呆れて笑いが出た。
「そう解釈してくれていい」大輝はうなずいた。
「奈津美、俺たちが何年も苦労してきたのは、この日のためじゃないか?君は、昔は一番俺の活動を応援してくれてたはずだろ?」
「活動?」私は絵を、そして見知らぬあの女を指差した。「あなたの活動って、この7年間の私の努力を踏みつけて、他の女を持ち上げることだったわけ?」
パァン。
頬に走る鋭い痛みと乾いた音で、私の言葉は途切れた。
大輝ではなかった。
菖蒲だった。
いつのまにか近くに来ていた菖蒲は、何も知らなかったかのような、悲しげな表情を浮かべていた。
「藤堂(とうどう)さん。あなたと大輝が苦労されてきたのは知っています。でも、芸術を、そして大輝の夢を、そんな風に侮辱するのはやめてください」
菖蒲は目を潤ませ、か細くも周りにはっきりと聞こえる声で続けた。
「大輝は……ただ、芸術に夢中なだけなんです。彼の世界にはアートしか、ないんですから」
菖蒲は大輝の方を向き、絶妙なタイミングで涙をこぼした。
「大輝、ごめんなさい。あなたを困らせてしまったわ。もし……もし藤堂さんが私を受け入れられないなら、私は消えるわ。あなたの将来が一番大事だから」
周囲から、一斉にフラッシュがたかれた。
集まった人たちのひそひそ話が、針のように私の耳に突き刺さる。
「へぇ、本命の彼女なんだ。ずいぶん、みすぼらしい格好ね」
「女神みたいな陣内さんと比べると、さすがに釣り合わないわね」
「高橋さんも大変ね。一人は苦労を共にしてきた人で、もう一人は彼を成功に導いてくれる人。さあ、どうするのかしら」
大輝は乱暴な手つきで、私を自分の後ろへと引きずった。
そして、いたわるように菖蒲を抱きしめ、優しく声をかけている。
「泣かないで。君は何も悪くない。俺がちゃんと対処できなかっただけだ」
そして、大輝は私を振り返った。その視線は、氷のように冷え切っていた。
「奈津美、もう騒ぐのはやめろ。
今すぐ、謝れ」
第2話
「謝れって?
大輝、頭おかしいんじゃない?謝るべきなのは、そっちでしょ」
私は大輝を睨みつけた。頬の痛みなんて、胸の痛みに比べたらどうってことなかった。
「自分は悪くないって?」大輝は言葉を失った。そして、私がどれだけ話の通じない女か、そこにいる全員に聞かせるみたいに声を張り上げた。
「展示会に乗り込んできて大騒ぎして、みんなの前で俺のミューズを侮辱して、個展を台無しにしかけた。それでもまだ自分が悪くないって言うのか?」
菖蒲は大輝の腕の中でそっとすすり泣き、肩を震わせている。
「大輝、もういいの。藤堂さんを責めないであげて。彼女、もしかしたら、ただ現実を受け入れられないだけなのかも……だって、あなたたちは、長い間一緒にいたんだもの」
その言葉は、一見私をかばっているようだった。でも、その一語一語が大輝に思い知らせている。私がどれだけ面倒で、世間知らずで、足手まといな存在であるかを。
菖蒲に言わせれば、私はまるで、芸術家である大輝のキャリアの汚点みたいなものだ。
「黙れ!」私は菖蒲に向かって叫んだ。
大輝の顔から、完全に表情が消えた。
「奈津美、最後にもう一度言う。謝れ」
私は大輝を見た。彼の腕の中でか弱そうにしている女も見た。周りでおもしろそうにこっちを見ている人たちの視線も感じた。すると、喉の奥から鉄の味がせり上がってきた。
「わかった。謝るわ」
菖蒲は私を見上げた。その瞳の奥には、かすかな得意の色が浮かんでいる。
私は息を深く吸い込んで、菖蒲の前に歩み寄り、素早く手を振り上げた。
バチンッ。
その平手打ちは、さっき菖蒲が私にしたものより、ずっと鋭く、重い音がした。
展示ホール全体が、しんと静まり返った。
そこにいた誰もが、ぽかんとしていた。
菖蒲は頬を押さえ、呆然と私を見つめている。
最初に我に返ったのは、大輝だった。彼は私を突き飛ばした。私はよろめいて後ろの展示台にぶつかり、肘に激痛が走った。
「気でも狂ったのか!」大輝は目を真っ赤にして、怒鳴った。
「大輝、狂ってるのはあなたの方でしょ」
展示台を支えにして、なんとか立ち上がる。肘の痛みなんて、胸の痛みの百分の一にも満たなかった。
「さっき、私にどっちを選ぶのかって聞いたよね?今、選んであげる。
私が選ぶのは、自分の安アパートに帰って、カップラーメンを食べ続ける生活よ。
あなたの6000万円も、芸術家の夫人っていう立場も、欲しい人にあげればいい!」
そう言い捨てて、私は背を向けて歩き出した。
背後から大輝の怒声と菖蒲の泣き声、そして招待客たちの驚きの声が聞こえてきた。
きらびやかな展示ホールを出て、外の冷たい風に吹かれたとき、自分がとっくに涙でぐちゃぐちゃになっていることに気がついた。
7年という青春。7年という寄り添った時間。結局、すべてドブに捨てたようなものだった。
あてもなく街を歩いていると、スマホが鳴った。
大輝のマネージャーからだった。
「藤堂さん、一体何をしたいんですか?今日のあなたのせいで、高橋さんがどれだけ面倒なことになったか分かってますか!
あの絵の買い手は、その場で『考え直す』と言い出しました。あなたは高橋さんの収入源を断ち切っているんですよ!」
私は感情を失ったまま、黙って聞いていた。
「あなたと高橋さんの間に何があろうと知りません。今すぐ戻ってきて、すべてのメディアの前で陣内さんに謝罪してください。失った信頼を取り戻すんです。
さもなければ、どうなっても知りませんよ」
電話は一方的に切られた。
真っ暗になった画面に、自分の惨めな顔が映っていた。
どうなっても知らない、だって?
これ以上、何があるっていうの?もう、私には何もないのに。
私は、大輝と暮らしていたあの小さなアパートに戻った。かつては「家」と呼んでいた場所へ。
ドアを開けて、ぽかんとした。
部屋の中は、めちゃくちゃに荒らされていた。
私の安物の服や画材、本、すべてが床に投げ出され、まるでゴミの山だった。
そして大輝は、二人の作業員に指示を出し、私が描いたスケッチを一枚一枚、壁から引き剥がしては黒いゴミ袋に放り込んでいた。
あれは、私たちの7年間の生活の、ほんの些細な一瞬一瞬を記録したものだったのに。
大輝が初めて描いてくれた、まだ下手くそだった私の肖像画。
公園のベンチで、一つのパンを分け合って食べた時のこと。
大輝が徹夜で絵を描いているそばで、私が机に突っ伏して眠っている横顔。
「大輝、何してるの!」私は駆け寄って、ゴミ袋を奪い返そうとした。
大輝は、いとも簡単に私の手首を掴んだ。その目は氷のように冷たかった。
「ゴミの片付けだ。
こんなもの、今の俺にはふさわしくない」
大輝の背後では、菖蒲が腕を組み、ドアの枠に寄りかかっていた。まるで女王が自分の領地を見回っているかのような態度で。
菖蒲は軽く笑って口を開いた。「大輝の言う通りですよ。こういう生活感あふれるものは、彼のインスピレーションの邪魔になります。芸術家には、俗世離れした神聖な空気が必要なんです」
そう言いながら、菖蒲はわざと私に目をやった。その視線は、挑発に満ちていた。
「例えば、私みたいに」
第3話
大輝に手首を掴まれて、きしむように痛かった。
「大輝、放して!
これは私が描いたものよ、私のものなの!」
「君のものだと?」大輝は鼻で笑うと、私の手を振り払った。「君が住んでる場所も俺のものだ。ここにある何が君のものだっていうんだ?」
大輝は床に散らばった惨状を指さした。
「こんなガラクタ、とっくの昔に捨ててやりたかったんだ。
奈津美、君も、君の持ち物も、貧乏くさくて安っぽいんだよ。そんな君と芸術を語れると思うか?」
「貧乏?」私は大輝が着ているオーダーメイドのスーツと、腕にはめられた高級腕時計を見て、ばかばかしくなった。
「いったい誰が、私が食費を切り詰めて買ってやったシャツを着て、コンクールに行ったっていうの?
誰が、私が街中を探し回ってやっと見つけた安物のキャンバスを使って、出世作を描いたの?
大輝、忘れたの?あなたの成功は、私の貧しさとみじめな努力のうえに成り立っているのよ!」
「もういい!」大輝は痛いところを突かれて、逆上した。
「昔のことを言っても意味がない!もういい加減、これから先のことを考えろ!」
大輝はポケットからカードを取り出すと、私の足元に投げ捨てた。
「この中に200万円入っている。これを持って、さっさと俺の前から消えろ。
二度と俺にまとわりつくな」
200万円。
7年という歳月が、たったの200万円。
ずいぶん気前がいいことだ。
床に落ちたキャッシュカードと、大輝の冷酷な顔を交互に見て、私の心はズタズタに引き裂かれるようだった。
菖蒲が近づいてきて、カードを拾うと私の手に押しつけた。彼女の長くて鋭い爪が手の甲をひっかき、赤い筋を残す。
「藤堂さん、受け取ったらどうです?200万円あれば、当分カップラーメンには困らないでしょう」
菖蒲は私の耳元に顔を寄せた。
「知ってます?大輝が最初にプレゼントしてくれたのは、カルティエの『ミューズ』。3600万円もしたのですよ。
『君の首筋は世界一の絶景だから、安物で汚すわけにはいかない』って言ってくれました。
それにひきかえ、あなたは……」菖蒲は私を上から下まで見下して言った。「あなたには、こういうのがお似合いってことですよ」
私は菖蒲を突き飛ばすと、手の中のカードを大輝の顔に叩きつけた。
「あなたのお金なんて、一円だっていらない!
大輝、覚えてなさい。今日のこの仕打ち、いつか必ず後悔させてやるから!」
カードが頬に当たり、大輝の顔にみるみる赤い跡が浮かび上がった。
大輝の怒りは、完全に頂点に達した。
「後悔?俺が一番後悔しているのは、君と出会ったことだ!
奈津美、おとなしく受け取ればいいものを!」
大輝はスマホを取り出し、どこかへ電話をかけた。
「もしもし、警備員か?俺のアトリエに頭のおかしい女が侵入した。すぐに来て、そいつを追い出してくれ!」
すぐに、大柄な警備員が二人駆け上がってきて、私の両腕を左右からがっちりと掴んだ。
「放して!ここは私の家よ!」私は必死でもがいた。
「君の家?」大輝は私の前に立つと、あざけるように私を見下ろした。
「言い忘れたが、この部屋は昨日俺が買い取った。
今やここは俺の私有財産だ。気に食わないやつは誰だろうと追い出す権利がある。君もだ」
頭の中が真っ白になった。
7年間も一緒に暮らした場所。ここが、二人で頑張るためのスタート地点で、私たちの家だと思っていたのに。
それが今じゃ、私は不法侵入した頭のおかしい女になった。
警備員に引きずられていく私の靴が、床に長い跡をつけた。
私は大輝の冷たい顔と、その隣で可憐に微笑む菖蒲を見た。
彼らはまるで、精巧に作られた二体の彫刻のようだった。遥か高みから、地に落ちた私を見下ろしている。
下の階まで引きずられた時、上の階から菖蒲の甘い笑い声が聞こえた。
「大輝、やっと静かになったわね。さあ、私の絵に集中してくれる?」
雨は、いつの間にか降り出していた。
雨粒が顔に当たり、涙と混じり合った。
私は恋人も、家も、7年という時間も、すべて失った。
そして、プライドさえも。
まるで幽霊のように、私は雨の中を当てもなく歩き続けた。
胃にキリキリとした痛みが走り、そこで初めて、今日一日何も食べていなかったことを思い出した。
コンビニに入って、一番安いパンを買った。
コンビニの窓際の席に座り、滲んで見える外のネオンを眺めながら、機械的にパンを口に詰め込んだ。
スマホが震え、ニュースの通知が表示された。
【新進気鋭の画家・高橋大輝さんの個展で騒動。元恋人が乱入、精神錯乱か】
リンクを開くと、そこには個展で大輝と菖蒲に詰め寄る私の写真があった。
写真の中の私は、鬼のような形相でヒステリックに叫んでいた。
一方、菖蒲は涙を浮かべ、いかにもか弱く見えた。
大輝は、心を痛めているような、どうしようもないといった顔つきだ。
その下のコメント欄は、私を罵倒する言葉で埋め尽くされていた。
【この女、頭おかしいんじゃないの?せっかく高橋さんが成功したってときに、邪魔しに来るなんて】
【金目当てなのが見え見え。こういう寄生する女って一番タチが悪いよね】
【陣内様が可哀想だ。いきなり地雷女に噛みつかれるなんてな】
【高橋さん、早く警察に通報を!こんなやつ、精神病院にぶち込んじまえ!】
精神病院……
私の手は、意思とは無関係に震え始め、持っていたパンが床に落ちた。
胃の痛みはますます激しくなり、目の前が何度も暗転した。
私は、本当に、おかしくなってしまいそうだった。
第4話
地下室の湿気は、まるで無数の冷たい蛇のようだ。足首から骨の隙間まで、じわじわと這い上がってくる。
私はカビ臭い布団に縮こまっていた。この狭い空間で唯一の熱源は、スマホの画面から漏れるかすかな光だけ。
ネット上のコメントが、お祭り騒ぎの波みたいに押し寄せてきて、私を完全に飲み込んでしまった。
みんな私を「地雷女」だの、「金の亡者」って呼んだ。誰かが今の住所を特定してネットに晒し、「芸術を邪魔する罪人」を懲らしめに来ると息巻いてる。
震える手で、大輝と昔一緒に撮った写真を見返した。でも、彼のSNSアカウントからは、私に関する投稿がすべて消されていた。
代わりにあったのは、大輝が菖蒲のために描いた『白蓮の乙女』の絵だった。添えられていた言葉は、【ついに運命の人に出会えた】というもの。
なるほどね。7年間大輝と一緒にカップラーメンをすすった私は、彼の運命の人じゃなかったんだ。ただ、急いで消し去りたい汚点だったんだ。
突然、胃がキリキリと痛み出した。酸っぱい胃液を吐き出すと、喉が焼けるように痛かった。
鏡に映った自分の顔は、目の周りがくぼんで、顔色も悪かった。まるで、知らない人みたいだった。
でも、悔しい。このまま終わらせるなんて、絶対に嫌だ。
私はスマホを取り出して、ある番号を探して電話をかけた。
「もしもし、栗原さん?藤堂です。
大輝を訴えたいんです」
「訴えるって?藤堂さん、ちょっと落ち着いてください」
電話の向こうの弁護士の栗原光希(くりはら みつき)は、大学の先輩だ。そして、私が頼れる唯一の人だった。
「何で訴えますか?男女のもつれなんて、法律は介入してくれないんですよ」
「男女のもつれじゃありません。
この7年間、大輝のために尽くしてきたこと、全部記録があります。私の給料の振込記録、彼のために画材を買ったレシート、私が代わりに払ったクレジットカードの請求書まで……これって、共有財産にはならないんですか?
大輝は今や売れっ子になって、絵が一枚すごい高値で売れるんです。財産分与を求めるのって、そんなに無茶な話じゃないですよね?」
光希は、少し黙り込んだ。
「藤堂さん、それは難しいです。あなたたちは結婚してないから、法律上はただの同棲関係なんです。あなたのこれまでの援助は、相手への一方的なプレゼントだって判断されやすいです。
それに、彼には今お金があります。トップクラスの弁護士だって雇えます。あなたに勝ち目なんて、万に一つもないのですよ」
「私……」
私は言葉を失った。
そうだ、私に何ができるって言うの?
弁護士を雇うお金だって、ないのに。
「藤堂さん、私の言うことを聞いてください。あんなクズ男は忘れて、自分の人生をちゃんと生きてください」
光希は、ため息をついた。
「お金、少し送ってあげますから。まずは落ち着ける場所を探してください」
「いえ、結構です」
私は電話を切った。
やっぱり、あきらめきれなかった。
どうして大輝は、私を踏み台にして成功できるの?それなのに、私は暗い場所で一人、傷をなめてるしかないなんて。
よくない考えが、頭の中でどんどん膨らんでいった。
私は、かつて自分の家だったあの場所の前に戻った。
中には入れないから、通りの向かいにある隅っこに隠れた。
まるで、日の光を避けるドブネズミみたいに。
大輝と菖蒲が、仲良さそうに出入りするのを、私はただ見ていた。
大輝は菖蒲に高価なプレゼントを買い、高級レストランに連れて行っていた。
大輝は菖蒲のために、街で一番大きな広告塔を借り切った。そこには、まるでカリスマ的存在な菖蒲の顔が映し出されていた。
一方の私は、寒い風の中で冷たいパンをかじりながら、ポケットのわずかなお金で後何日もつかを数えるだけだった。
私の体は、どんどん悪くなっていった。
眠れない夜が続き、悪夢にうなされ、動悸がした。
あの日、私は見てしまった。大輝が真新しいポルシェを運転して、菖蒲を乗せて家の下に止まるところを。
菖蒲は車を降りたとき、つわりで吐き気を催していた。
大輝は慌てて菖蒲を支え、背中をさすったり水を渡したりしていた。
そうか、大輝は子供が欲しくなかったわけじゃないんだ。
ただ、私の子供が欲しくなかっただけなんだ。
どうやってあの窓もない地下室の仮住まいに戻ったのか、自分でも分からなかった。
私は自分のお腹を撫でた。平らなこのお腹にも、かつては小さな命が宿っていた。
私が気づかないうちに静かにやって来て、そして、静かにいなくなってしまった。
あの時、大輝は言った。「いなくなって、ちょうどよかったじゃないか」って。
昔、絵を描く時に使っていたカッターナイフを取り出した。
鋭い刃を、手首の皮膚に当てた。
ほんの少し力を入れるだけで、すべての苦しみから解放されるんだ。
私が目を閉じて、思い切り手首を切ろうとした、その時だった。スマホが鳴った。知らない番号からだった。