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いい加減にして!後輩ばかりの夫に離婚を宣告
松浦悠斗(まつうら ゆうと)がまた後輩の藤井胡桃(ふじい くるみ)のことで、私に離婚を切り出してきた。 私は断らなかった。 彼は指輪を外...
Chương (1)
第1章
松浦悠斗(まつうら ゆうと)がまた後輩の藤井胡桃(ふじい くるみ)のことで、私に離婚を切り出してきた。
私は断らなかった。
彼は指輪を外そうとする手をぴくりと震わせ、鼻で笑うして言った。
「今度は何のつもりだ?
言っておくが、あの子を傷つけでもしたら、ただじゃおかないからな」
私は淡々と離婚協議書にサインをして、静かに告げた。
「安心して。あなたのことは、もうきっぱり諦めただけだから」
第1話
松浦悠斗(まつうら ゆうと)がまた後輩の藤井胡桃(ふじい くるみ)のことで、私に離婚を切り出してきた。
私は断らなかった。
彼は指輪を外そうとする手をぴくりと震わせ、鼻で笑うして言った。
「今度は何のつもりだ?
言っておくが、あの子を傷つけでもしたら、ただじゃおかないからな」
私は淡々と離婚協議書にサインをして、静かに告げた。
「安心して。あなたのことは、もうきっぱり諦めただけだから」
私がそう告げると、悠斗の顔に浮かんでいた嘲笑が、一瞬で固まった。
彼は、私がまた泣いたり騒いだりして引き止めるだろうと、身構えていたのだ。
もっと酷い言葉で言い返す準備までしていたのに。私の落ち着き払った態度は、まったくの予想外だったようだ。
悠斗は無意識に、外したばかりの結婚指輪を指で弄っていた。
そして、その指輪を強く握りしめた。
「諦めた、だと?」
彼は信じられないというように、嘲りを込めて鼻で笑った。
「若葉(わかば)、お前がそんなことを言うのは、これが初めてじゃないだろ。
今度はどんな手を使うつもりだ?駆け引きか?」
悠斗は私の目をじっと見つめ、嘘の欠片でも見つけようとしていた。
でも私は静かに顔を上げて彼を見つめ返しただけ。その瞳は、まるで赤の他人を見るかのように、何の感情も映していなかった。
私の無関心さが、悠斗から余裕を奪ったらしい。彼は今まで経験したことのない焦燥に苛まれているようだった
悠斗は私に詰め寄った。侮辱されたかのような怒りで、声が思わず大きくなる。
「言っておくが、二度と胡桃に手を出すな!
この前みたいに、またあの子に付きまとうつもりなら、容赦しないからな!」
「容赦しない?」
私はサインを済ませた離婚協議書を、悠斗の前にすっと押し出した。
「もうサインはしたわ」
私の声は相変わらず冷静で、何の感情もこもっていなかった。
「あなたの荷物は何も触ってないから。秘書にでも取りに来させて。
これから先、あなたも、あの女も、私には一切関係ない」
悠斗はその場で固まった。彼は私を見て、何か言おうと口を開いたけど、結局は虚勢を張った警告の言葉しか出てこなかった。
「今日の言葉、絶対に忘れるなよ!」
第2話
バタンと乱暴にドアが閉まる音が、がらんとしたリビングに響き渡る。その音に、胸が苦しくなった。
私は玄関の冷たい床の上に立ち尽くし、固く閉ざされたドアをじっと見つめていた。胸につかえていた息苦しさが少し和らいでから、やっと振り返ってソファに向かった。
テーブルに置いてあったスマホが震え、画面が明るくなった。
ポップアップで、ボイスメッセージの通知が表示される。
送信者は名前を登録していなかった。でも、そのアイコンには見覚えがあった。
指先を画面の上で一瞬ためらったけど、結局再生ボタンを押した。
スピーカーから流れる声は、静まり返ったリビングにやけにはっきりと響き渡った。
「若葉さん」
胡桃の声だ。スピーカー越しでも、隠しきれない喜びと得意げな響きが伝わってくる。
「悠斗さんは、今こっちに来てるんですよ。
なんだか機嫌が悪そうですけど、安心して、私がそばにいてあげますから」
メッセージの背景から、衣擦れの音と、くすぐられたみたいに彼女が小さく息をのむ音がかすかに聞こえた。
すぐに、二つ目のボイスメッセージがポップアップで表示された。
「若葉さん、やっとサインしてくれたんですね。私、本当に……嬉しいです。
もっと早くそうしてくれればよかったのに、わざわざ自分をみじめな立場にしなくてもよかったじゃないですか。
悠斗さんから聞きましたよ。若葉さん、あなたはここ数年、本当に手が付けられないくらいヒステリックでした。
まるで狂った女みたいで、もうとっくに愛想が尽きてたみたいです。
あぁ、でも、あんまり落ち込まないでくださいね。
男の人って、一度冷めたらもう戻らないものなんです。あなたが必死にしがみつく姿、本当にみっともなかったですよ。
悠斗さんが言ってました。あなたはいつも彼のことを分かった気になって、尽くしてやってるつもりでいるけどって……
本当は、あなたが与えてるものなんて、彼が求めてるものと全然違いますね。ただの自己満足だって言ってましたよ」
胡桃の声はひそやかになったが、言葉はさらに鋭く言い放った。
「あなたの顔を見るだけでイライラするし、声を聞くだけで頭が痛くなりますよ。
私のそばにいる時だけが、心からリラックスできて、必要とされてるって実感できるそうですよ。
若葉さん、もういい加減に目を覚ましてください。あなたは最初から、彼に愛されてなんかいなかったんです。
あなたは彼にとってただの責任で、切りたくても切れない厄介者でしかなかったんですよ!
あ、そう、さっきのあなたの態度、平気なフリして、ちょっとカッコつけてたみたいだって彼が言ってましたよ。
ははは、おもしろいですね。
まさか、そんな態度をとれば、悠斗さんがあなたを見直して、気持ちが戻ってくるなんて思ってませんよね?
夢を見るのも大概にしてください!
教えて差し上げますが、さっきベッドの中で、彼は私を抱きしめながら、やっと解放された、これからは私と堂々と一緒にいられると言っていましたよ。
それにね……」
胡桃はわざとらしく一度言葉を切り、くすくすと笑った。
「……あなたはマグロみたいで、全然面白みがなく、私とは大違いだって言ってましたよ」
ボイスメッセージはそこで途切れた。
でも、すぐに画面は次々と送られてくる写真で埋め尽くされた。
それは、悠斗が眠っている隙に、彼の頬にぴったりと寄り添って撮られた胡桃の自撮り写真。
二人が固く指を絡め合い、お揃いの指輪をはめているアップの写真。
我が家のキッチンで、胡桃が後ろから悠斗の腰に腕を回している写真。悠斗は少しだけ横を向いて、口元に笑みを浮かべていた。
最後の一枚は、薄暗い明かりの下で撮られた、乱れたベッドの写真。
胡桃は悠斗のシャツを羽織っていた。胸元は大きくはだけ、鎖骨の下には生々しい痕が残っている。
背景に写り込んでいるサイドテーブルには、私と悠斗の結婚写真が置いてあったが、写真立てはわざとらしく裏返しにされていた。
写真の連投が終わると、最後のボイスメッセージが届いた。
胡桃の声は、氷のように冷たかった。
「これらすべて、悠斗さんが私に与えてくれたものなんです。
これこそが、彼が本当に求めていた生活であり、愛なんだって言ってましたよ。
若葉さん、あなたの出番はもう終わりです。
これから、悠斗さんの家に住むのはこの私です。彼のシャツのアイロンがけも、私がします。そして彼の隣で眠るのも、もちろん私です。
安心して、私があなたの代わりに、悠斗さんのことを『しっかり』お世話してあげますから。
あなたは、もう離婚協議書でも抱えて、一人で寂しくしてればいいんですよ。
さようなら、若葉さん」
再生が終わり、リビングは静まり返った。
私はソファに、背筋をぴんと伸ばして座っていた。
スマホの画面が暗くなり、そこに映ったのは、ぼんやりとした無表情の私の顔だった。
あの意地悪な言葉も、目に焼き付くような写真も、まるで潮の満ち引きのように、私の心を通り過ぎていくだけだった。心には何の跡も残らなかった。
そうか。心が完全に死ぬというのは、こういうことだったんだ。
もう痛みも、怒りも感じない。ただ、そこには果てしなく冷たい空っぽの空間が広がっているだけだった。
第3話
悠斗の浮気に初めて気づいたのは、ある夜のことだった。
私はドアを開けた。
悠斗はソファに横たわっていた。その足元には胡桃が座っていて、二人の距離はとても近かった。
胡桃はぶどうを一粒、悠斗の口元へ運んだ。彼は身をかがめてそれを食べた。
二人は私の目の前でいちゃついていた。
私が帰ってきたのに気づくと、二人は同時に私の方を見た。
悠斗のくつろいだ表情は一瞬で固まった。そして、驚きと不機嫌さが混じったような顔つきに変わった。
胡桃は顔を上げて私を見ていた。首筋には赤いキスマークがまだ残っている。
瞳の奥に、一瞬だけ挑発的な色が浮かんだ。それは、気のせいかと思うほど一瞬のことだった。
「若葉さん、帰ってたんですか?」
彼女のほうが先に口を開いた。その声は囁くように甘く、わざとらしく驚いたふりをしているようだった。
「私は、悠斗さんと映画を見てたんですよ。
この映画、前に彼が見たいって言ってたんです。でも、なかなか一緒に見る機会がなくて、それで今日ちょうど……」
「誰がそんなところに座っていいって言ったの?」
彼女が悠斗のすねに寄りかかっているところを睨みつけながら、私は胡桃の言葉を遮る。声は怒りでこわばっていた。
悠斗は眉間にしわを寄せ、体を起こした。彼の声はとげとげしかった。
「若葉、その態度はなんだ?胡桃は俺が招待したお客さんだぞ」
「お客さん?」
私は一歩前に出て、胡桃が着ている服を指さした。
「お客さんが私のネグリジェを着るわけ?お客さんが……」
その瞬間、言葉に詰まる。ぶどうを食べさせていた光景が、喉に刺さったトゲのように思い出された。
「あんなことするの?」
胡桃はゆっくりと立ち上がった。その顔には、自分は何も悪くない、という不満そうな表情が浮かんでいる。
「若葉さん、怒らないで……
服がうっかり濡れちゃったから、悠斗さんがこれを着てなって……
私たち、本当に何でもないんです。ただ映画を見て、おしゃべりしてただけです。
どうして……どうしてそんなふうに考えるんですか?」
そう言いながら、胡桃はみるみるうちに目の周りを赤くして、目に涙をためた。
「あなたの服を着るべきじゃなかったのは分かってます。今すぐ着替えてきますから……」
「その白々しい態度はやめて!」私は怒りにまかせて彼女の言葉を遮った。
「胡桃、あなたが何を考えてるか、分からないとでも思ってるの!
こんな夜中に、二人きりで、私の服を着て、ものを食べさせ合ったりして。これで何もないって言うつもり?
私をバカだと思ってるの?!」
「若葉!」
悠斗が勢いよく立ち上がり、数歩で私の目の前にやって来た。
その大きな体は威圧的で、顔には怒りと苛立ちがはっきりと浮かんでいた。
「いい加減にしろ!今のお前がどんな姿か分かってるのか?まるで市場の喧嘩屋だぞ。
胡桃は大学の後輩だ。俺たちの間には、やましいことなんて何もない!
お前がひねくれてるからって、みんなも同じように汚い人間だと思わないでくれ」
「私がひねくれてるだって?」
私は顔を上げて彼を睨みつけ、涙をこらえた。
「悠斗、自分の胸に手を当てて考えてみて!
さっきのあなたたちの様子を、やましいことはないって言えるの?
自分の妻の服を着せて、寄り添って、この女にあーんまでしてもらって。それがあなたの言う『やましいことはない』なの?
ずいぶん都合のいい『やましいことはない』なのね!」
「若葉さん、本当に誤解です……」
胡桃が泣きそうな声で割って入った。
「私と悠斗さんは、本当にただの先輩と後輩なんです。
彼は、私が最近落ち込んでるのを見かねて、気晴らしにおしゃべりしに来させてくれました。
もし私たちに本当に何かあったら、今頃、悠斗さんと結婚してるのはあなたじゃなかったはずです」
そう言うと、彼女の目からは涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。そして泣き濡れた顔で悠斗を見つめた。
「悠斗さん、ごめんなさい。全部私が悪いです。私は来るべきではありません。
私のせいで、若葉さんと喧嘩させちゃって……
私、もう帰ります。これからは……
これからはもう、なるべくお邪魔しないようにしますから……」
「帰る必要はない!」
悠斗は帰ろうとする胡桃をぐっと引き止め、自分の後ろにかばった。私に向けられた彼の目は、骨身に凍みるほど冷たかった。
「帰るべきなのは君じゃない。
若葉、お前は平和な毎日に飽きて、ありもしないことを疑ってかかってるんだ。わざわざ問題を起こしたいだけだろう!
胡桃は純粋なんだ。俺を兄のように、信頼できる友達のように思って、ここに息抜きに来て、話をする。それがなんだって言うんだ?
ひねくれてるのはお前だけだ!今すぐ、胡桃に謝れ!」
私に謝れって?
悠斗にかばわれながら私を挑発してくる胡桃を見ていると、足元から頭のてっぺんまで冷たいものが駆け上るのを感じた。
怒りと、悔しさと、あまりの馬鹿馬鹿しさに、底なしの悲しみ。全部が混ざり合って胸に詰まって、息が苦しかった。
「謝る?」
自分の声が震えているのが分かった。それはひどく甲高い声だった。
「悠斗、謝るべきなのはどっち?あなたよ!あなたたち二人よ!
私の家で、私の服を着て、あんな思わせぶりなことしておいて。
それを見つかったら、私がヒステリーを起こしてるみたいに言うわけ?私がひねくれてるだって?ずうずうしいにもほどがあるわ!」
「お前――」
悠斗は怒りで顔を青くして、手を振り上げた。何かをしようとしたみたいだった。
でも結局、強く振り上げた手は、空中で固まった。
そして、重々しく下ろされた。
彼は私を見つめていた。その目に浮かぶ嫌悪と失望が、まるで切れ味の悪いナイフのように、とっくにずたずたになった私の心をゆっくりと切り刻んでいった。
「話にならない!若葉、お前はどうかしてる!もうお前とは話したくない!」
第4話
あの日の夜、悠斗が荒々しくドアを閉めて胡桃を送っていってから、もう帰ってくることはなかった。
私は一人、リビングで足が痺れるまで立ち尽くし、やっとのことで寝室に戻った。
シーツには、まだ胡桃の甘ったるい香水の匂いが残っていた。
しかし、私は窓も開けず、シーツも替えず、そのままベッドに横になった。そして、暗闇の中でただ天井を見つめていた。
時折、外を走る車のライトが差し込み、一瞬だけ天井に光の斑点を映し出した。そして、また静寂が訪れた。
それから何日も、家の中は墓場のように静まり返っていた。
悠斗の歯ブラシも、タオルも、髭剃りも、すべて元の場所に置かれたままだった。まるで見えない埃をかぶっているみたいに。
電話一本、メッセージ一通すらなかった。
悠斗という存在は、この家から完全に消えてしまったみたいだった。もう使われることのない物たちだけが、かつて彼がここにいたことを示していた。
一方、胡桃はずいぶん楽しそうに過ごしているらしい。
彼女のインスタが、頻繁に更新されるようになったのだ。
最初は、それとなく匂わせるような投稿だった。
夜景の写真には、【誰かに大切にされるって、安心する】という一文が添えられていた。
写真の隅には、ハンドルを握る男の人の手が少しだけ写っていた。そのカフスボタンも、腕時計も、私には見覚えのあるものだった。
次の投稿は、白いテーブルクロスの上で固く組まれた、二人の手だった。
胡桃の小さな手と、骨ばった男の人の手。親指の付け根にある小さなホクロの位置は、目を閉じてもはっきりと思い浮かべることができた。
そして、ついにあからさまなツーショット写真が上がった。
あれは美術館で撮られた写真。胡桃は、隣にいる男の人の肩にこてんと頭を預けて、目がなくなるくらいに笑っていた。
男の人は横顔が少し写っているだけだった。でも、それが悠斗だということは、すぐに分かった。
彼が着ているグレーのカシミアセーターは、結婚三年目の記念日に二人で選んだものだ。
投稿文にはこう書かれていた。【愛してくれる人と、好きな美術展へ】
その投稿に、誰かがコメントしていた。
【彼氏さん?】
胡桃は、口を覆って笑う絵文字で返していた。
彼女は新しいアカウントまで開設していた。名前は「胡桃の日常」、プロフィールには「彼との甘い日々を記録中」とある。
投稿は悠斗で埋め尽くされていた。いや、正確には「彼ら二人」の日常で。
黒焦げの目玉焼きとトーストの写真には、【だれかさんが初めて作ってくれた朝ごはん。見た目はアレだけど、愛情はたっぷり】という投稿文がついている。
流行りの恋愛映画のチケットの半券もあった。
車の中で撮ったらしい、手ブレのひどい短い動画。
動画の中からは、「こら、危ないだろ」と呆れながらも楽しそうな男の低い声と、甘えるような胡桃の笑い声が聞こえてきた。
悠斗の寝顔を撮った写真まであった。
彼はまつ毛が長い。眠っているときは眉間の力が抜けて、ひどく無防備な顔になる。
かなりの至近距離から撮ったのだろう、顔の産毛まで見える。背景には、乱れた枕とダークグレーのシーツが写り込んでいた。
投稿文はこうだ。【私の愛しい人、寝顔も素敵。私の世界は、あなたで満たされている。おやすみ】
私はそれらを、ブロックもせずに一つ残らず全部見た。
最初のうちは、投稿を見るたびに心臓が鷲掴みにされるような痛みが走った。
でもそのうち、感覚が麻痺して鈍い痛みに変わった。鋭くはないけれど、胸の奥でずっと響いているような、空っぽの痛みだ。
写真の中で、悠斗は私が買ってあげた服を着て、プレゼントした時計をはめて、リラックスした顔をしている。
久しぶりに見るその甘やかすような表情に、なんだかすべてが馬鹿らしく思えてきた。
おかしくて笑いたくなるのに、口の端を引きつらせても、声にはならなかった。
悠斗からの連絡は、相変わらず一切なかった。
かつて、「私たちの家」だったこの場所も、彼にとっては、もう何の未練もなく捨てられるものになったのだろう。
そして、「胡桃の日常」は毎日更新され続けていく。
まるで細い針が、ゆっくりと、でも確実に、私の心臓に突き刺さってくるみたいだった。
第5話
夜が明けるとすぐに、私は不動産屋に連絡した。
運よく、その日の午後に会社の近くのマンションをいくつか内見できた。
最終的に、こぢんまりとした綺麗な部屋に決めて、すぐに手付金を払った。
それから私は、あの「家」に一度だけ戻った。
いや、今はもうただの悠斗の家だ。
私の荷物はもともと少なかった。この数年、私自身のものと呼べるような大きなものは、何も買っていなかった。
大きなスーツケース二つと、いくつかの収納ケースに、7年間の痕跡がほとんど収まってしまった。
クローゼットから私の服がなくなると、半分だけがらんどうになって、まるでぽっかりと開いた傷口のようだった。
最後に、家の鍵と、私がサインした離婚協議書の控えを、玄関の棚の上に置いた。
私は最後に部屋を見渡す。かつて私のすべての情熱と期待を注いだこの空間は、今ではただひんやりとして、見知らぬ場所のように感じられた。
私はスーツケースを引いて、振り返らずにその家を出た。
新しく借りたマンションは狭いけど、午後になると陽の光が部屋の半分以上を照らしてくれた。
荷物を簡単に片付けただけで、疲れ果ててくたくたになった。何もない床に座り込み、窓の外の夕日をぼんやりと眺めていた。
スマホは静かなままで、悠斗からの連絡は一件もなかった。
それでいい。離婚するんだから、本来こうあるべきだ。
でも、その状態は次の日の午後までしか続かなかった。
私が床にしゃがんで簡単な本棚を組み立てていると、手が埃だらけになった。その時、そばに置いていたスマホが震えだした。
表示されたのは市内の固定電話で、見覚えのある番号だった。
私は手を拭いて、電話に出た。
「若葉」
電話の向こうから、悠斗の声が聞こえてきた。いつもより低く、少し掠れている。
「どこにいるんだ?」
私は一瞬固まった。まさか彼から、しかも固定電話でかかってくるなんて思ってもみなかったから。
「何か用?」と私は尋ねた。
「どこにいるのかって聞いてるんだ!」
悠斗の声は大きくなり、苛立ちが混じっていた。
「家に帰ったら、お前がいない。荷物も……本当に出て行ったのか?」
「協議書にサインしたんだから、私が出ていくのは当たり前でしょ」
私は壁に手をついて立ち上がった。足が少し痺れている。
「あなたの荷物には触ってないわ。鍵と協議書の控えは、玄関の棚の上に置いてきたから」
電話の向こうで、数秒の沈黙があった。
それから悠斗は、信じられないという気持ちと、自分が侮辱されたかのような怒りが入り混じった声で、鼻で笑った。
「若葉、たいしたもんだな。ずいぶん手際がいいじゃないか。
なんだ?そうやって、自分が未練のない女に見えるとでも思ったか?誰への当てつけだ?」
私は目を閉じ、深く息を吸い、そしてゆっくりと吐き出した。
心が微かにずきりと痛んだけど、すぐにそれ以上の深い疲れに覆われた。
「誰への当てつけないし、誰かに見せようとも思ってないわ。
悠斗、私たちは離婚するの。私が出ていくのは、当然の手順よ。
これからはお互い自分の人生を歩んで、干渉しない。それが一番でしょ」
「自分の人生?干渉しないだと?」
悠斗の声は、嘲るようだった。
「若葉、ふざけたこと言うな!
そんな風に急に姿を消せば、俺が焦って探し回るとでも思ったのか?
お前に申し訳ないと思うとでも?言っとくが、甘ったれるな!
お前のその程度の考えなんて、お見通しなんだよ!駆け引きするにも、ほどがあるだろうが!」
彼はますます声を荒げた。
「警告しておく。いい加減にしろ!
今すぐ、どこにいるか言え!さもないと……」
「さもないと、どうするの?」
私は悠斗の言葉を遮った。
「悠斗、離婚を切り出したのはあなた。サインしたのは私。
これでもう、貸し借りなしでしょ。
私がどこで何をしていても、もうあなたには関係ない。
同じように、あなたが胡桃とどうなろうと、私には関係ないわ。
近いうちに離婚届を出す日取りを決めましょう。それ以外では、もう私に電話しないで」
そう言って、私は彼が怒鳴り散らす隙も与えず、一方的に電話を切った。