Đang tải thông tin quảng bá...
こぼれた想いは、もう戻らない
妊娠して六か月。 夫の篠原景一(しのわら かげひと)と大喧嘩して、勢いで家を追い出された。 財布は空っぽ。行く当てもない。 凍えそうで、...
Chương (1)
第1章
妊娠して六か月。
夫の篠原景一(しのわら かげひと)と大喧嘩して、勢いで家を追い出された。
財布は空っぽ。行く当てもない。
凍えそうで、駅前のコンビニへ身を滑り込ませた。
おでんの湯気をぼんやり見ていたら、店員さんがそっと近づいてきた。
「お客さま……うちに最後に一本だけ『記憶を消す水』が残ってるんですけど、いりますか?」
あっけにとられて、しばらく固まった。それから、力なく笑う。
「……お金、ないです」
店員さんはすぐ言った。
「お代はいりません。その代わり……ただお身体の何かと引き換えにしていただきます」
気づいたら、丸く張っているお腹をかばうように手を当てていた。
「……これでも、いいですか」
第1話
妊娠して六か月。
夫の篠原景一(しのわら かげひと)と大喧嘩して、勢いで家を追い出された。
財布は空っぽ。行く当てもない。
凍えそうで、駅前のコンビニへ身を滑り込ませた。
おでんの湯気をぼんやり見ていたら、店員さんがそっと近づいてきた。
「お客さま……うちに最後に一本だけ『記憶を消す水』が残ってるんですけど、いりますか?」
あっけにとられて、しばらく固まった。それから、力なく笑う。
「……お金、ないです」
店員さんはすぐ言った。
「お代はいりません。その代わり……ただお身体の何かと引き換えにしていただきます」
気づいたら、丸く張っているお腹をかばうように手を当てていた。
「……これでも、いいですか」
そう言いながら、コンビニのドアを押した瞬間、冷たい風が首元に入り込んだ。
二、三歩進んだところで、背中に怒鳴り声が刺さる。
「黒川澄子(くろかわ すみこ)!いい加減にしろ!」
振り返ると、景一がこちらに駆けてきた。
足元はスリッパのまま。靴も履かずに飛び出してきたらしい。
「大人が何やってんだよ。家出ごっこか?
妊娠六か月だぞ。こんな時間に外で何かあったらどうする!」
いつもの私なら言い返していた。
通りすがりの人が振り向くくらい、派手にやり合って。
でもその夜は、黙って聞いた。
もう口を動かすのもしんどかった。
散々怒鳴ったあと、こっちがあまりに静かなせいか、景一のほうが言葉を失ったみたいに息を吐く。
「……ったく」
腰に手が回って、ぐっと引き寄せられる。
「外は冷える。帰るぞ」
玄関を入った途端、暖かい空気が肌にまとわりついた。
景一はしゃがんで、私の足にスリッパを履かせてくれた。
「腹、減ってない?なんか作ろう」
「……いらない」
そう言うと、景一は眉間を寄せた。
「夕飯、ほとんど食ってないだろ。お前が平気でも、腹の子は違う」
返事を待たずにキッチンへ入っていった。
しばらくしてテーブルに置かれたのは、見た目だけはやたら豪華な海鮮うどん。
アワビ、ホタテ、エビなど具が山みたいに盛られて、湯気が上がっている。
景一は、いわゆる生まれながらの御曹司で、台所に立つなんて今まであまりなかった人だ。
それでも私が身ごもってからは、外のごはんを嫌がって、頑固に自分で三度の支度を抱え込む。
ただ、味付けがどうにも淡い。
塩気が足りず、素材の匂いがそのまま出る。
辛いものが好きなのに、その好みを彼にはなかなか伝わらない。
「……どう?おいしいか?」
向かいで、景一が私の顔色をうかがっている。
私は箸を取り、うどんを少し口に運んだ。
「……うん。おいしい……と思うよ」
一口で分かった。
魚介の下ごしらえが不十分で、生臭さが、薄いスープに残っている。胃がひゅっと縮む。
それでも顔には出さず、ゆっくり、ゆっくり飲み込んだ。
そのとき、景一のスマホが鋭く鳴った。
通話を切ると、上着とキーを掴んだ。
「急用だ。お前は家にいろ。もう出ないでくれ」
――パァン!
ドアが乱暴に閉まる音。
部屋の空気が一気に冷えた気がした。
私は箸を置き、半分以上残ったうどんを見つめた。
こらえていたものが、喉元まで一気にこみ上げた。
トイレに駆け込んで、吐いた。
落ち着いたあと、冷たい壁に背中をつけると、涙が勝手に出た。
こんな、味のしない生活。気持ち悪くなるだけの毎日。もう無理。
私はスマホを取り出し、迷わず注文した。
激辛の油そばと、旨辛手羽先を山盛り。辛さは一番上。
届いた料理を、私は夢中で食べた。
舌が痛いほど辛いのに、胸の奥がすっとほどける。
景一と暮らし始めてから、いちばんちゃんと美味しいと思えたごはんだった。
食べ終えると、広いベッドにひとり潜り込む。
その夜は、何も考えずに眠れた。
景一は帰ってこなかった。
メッセージも、一本もなかった。
翌朝、ようやく電話が来た。
声はいつも通り、命令みたいに硬い。
「書斎に大事な書類置いてきた。今すぐ持って来い。リゾートホテル美萩」
理由は聞かなかった。
書類を見つけて、タクシーで向かった。
でもホテルの入口で警備員に止められた。
「申し訳ありません。こちらは会員制でして、ご招待か確認が取れないとお通しできません」
そこで仕方なく景一に電話をかけたが、何度かけても繋がらない。
第2話
冷たい風の中でダウンコートを掻き合わせ、待つことほぼ一時間。
足先の感覚が薄れてきたころ、ようやく中から秘書の佐々木が走ってきた。
「奥さま!すみません、社長は今会議に入ってまして……!」
息を切らしながら頭を下げ、私を別棟のヴィラに案内した。
どうやらここ数日、ここを臨時オフィスにしているらしい。
景一は私を見るなり眉を寄せた。
「遅い。書類ひとつでどんだけかかってんだ?
その程度で、仕事したいとか言うなよ」
「……入口で止められて、電話も……」
言い切る前に、苛立った手振りで切られる。
「言い訳はいい。お前さ、そんな調子で外で働きたいとか、よく言えるよな?
書類ひとつ届けるのもできないで、他に何ができるんだよ」
胸がちくっとした。
仕事の話をすると、いつもこの空気になる。
「俺はな、女に外で稼がせる必要なんてない。家で大人しくしてろ。ゆっくりしていればいい」
私は息を飲み込んで、感情を抑えた。
「書類、もう持ってきたので。帰るね」
「待て」
ほんの少しだけ、声が落ちる。
「会議終わったら飯行く。中で待ってろ」
私が返事をする前に、景一は人に囲まれて会議室へ戻っていった。
佐々木に案内され、オフィスのドアを開ける。
一瞬、空気が変わった。
若くて綺麗な女の子がずらっと並んでいる。メイクも服も、隙がない。
景一が女性秘書を採る条件は、はっきり二つあった。
ひとつは、見た目がいいこと。
もうひとつは、二十五歳以下であること。
外では、彼女たちをまとめて「篠原の美女秘書軍団」なんて呼ぶ人もいる。
その中を、妊娠で身体が重くなった私が歩く。
視線がまとわりつくのが分かった。
気にしないふりでソファに座ると、ひそひそ声が耳に入る。
「……誰?」
短いスカートの見知らぬ子が、露骨に私を見て、佐々木に甘えた声で聞いた。
「佐々木さん、この人って……?」
「社長の奥さま」
その子の目が大きくなり、驚いて声のトーンが少し上がった。
「え、奥さま?芸能人?帽子とマスクって、徹底してるね」
「違う」
佐々木が淡く返すと、その子は口を尖らせた。
「へえ、一般人なのに隠すんだ……
見られたくない理由でもあるの?」
もう一人の子がそっと彼女の腕を引いたけど、彼女は気にしなかった。
もう一度、私を上から下まで見て、鼻で笑う。
「……体型もすごい。妊婦さんっていうか、なんか体がでかく見えるね……」
私は視線を落とした。
ダウンコートで隠しても、太っている身体は隠せない。
妊娠した後、体重が日ごとに増えていって、スタイルは完全に崩れた。
帽子とマスクだって、本当は好きでしてるわけじゃない。
景一が「危ないから」って言ったから、従ってるだけ。商売で多くの人に恨みを買ってきたから、私が狙われると大変なのだと。
佐々木が低い声で叱った。
「失礼だよ。社長は奥さまのこと、大事にしてる。敬意を払え」
その子は肩をすくめるだけだった。
私は静かに手招きした。
「ねえ、コーヒー持ってきて」
会議が終わったらしく、景一が戻ってきた。
そして、私の前のコーヒーを見た瞬間、顔が固まる。
「……誰が出した」
その子が勢いよく立ち上がった。
「社長。私です!」
「捨てろ」
その子は顔色を変えてカップを持ち、こぼしそうになりながら外へ出ていく。
景一の視線が私に刺さる。
「今、お前がコーヒー飲めると思ってんの?そんなこと、いちいち言わせるなよ!
もう大人だろ?あっちが分かってなくても、お前まで一緒に軽く考えるなよ」
第3話
秘書課は、水を打ったみたいに静まり返っていた。誰も顔を上げない。怒らせたら終わりそうな空気。
彼の言葉に、胸をぐっとえぐられた。
喉の奥がつんと痛んで、唾を飲み込むのもつらい。
このままじゃ、息が詰まる。
私はそっと、彼のスーツの裾をつまんだ。沈黙を壊すために、自分から言った。
「……お腹、すいた」
思ったより小さい声だった。
景一は何も言わずにスマホを取り出した。ホテルに栄養食を、部屋へと短く指示を出した。
料理はすぐに運ばれてきた。
盛り付けは美しく、食材も高級で、味付けはあっさりヘルシー。
彼の要望をすべて満たしている。
けれど、彼は席につかない。
「ゆっくり食べろ。俺はこのあと、チームと食事だ。下の庭で」
彼が去った後、私はバルコニーへ出た。
眼下に広がっていたのは、彼の言う「チームの食事」。
長いビュッフェ台。
その周りを、華やかなワンピースを着ている秘書たちが取り囲んでいる。
笑顔を貼りつけて、距離が近い。
景一は中央で、グラスを片手に余裕の笑みを浮かべる。
もう片方の手は、隣の秘書の椅子の背もたれに自然に置かれている。
女たちの中心に君臨するその姿は、まるで王様みたい。
胸の奥が、ひくっと縮む。
結婚したばかりの頃を思い出した。
あの「美女秘書軍団」が嫌で、何度も彼と言い争った。距離が近すぎる、替えてほしいって言っていた。
そのたび、彼は笑って話をはぐらかした。
「会社の顔だぞ。そんなことで騒がないで」
そう言って、私の頬を両手で優しく包み込み、この先の生涯、身も心も私一人だけだと誓ってくれた。
確かに、この何年も彼には大きなスキャンダルはなかった。
でも今、下の庭で。
短いスカートの秘書が、葡萄を一粒つまみ、彼の唇の前に差し出す。
景一は迷わず口を開けた。
私の喉の奥が、まるであの葡萄でふさがれたみたいに詰まる。
息が、できない。
続けて、その秘書が立ち上がり、ブランコのほうへ向かう途中で――
「きゃっ」
足がふらついたみたいに声を上げて、そのまま、景一の膝の上に落ちた。
景一の手が、流れで彼女の腰を支えた。
笑いながら、景一がからかうように言う。
「だからさ。普段からダイエットしすぎるなといっただろう?歩くのもふらふらになったんだよ?」
軽い冗談。
そう言いながら、彼はそのまま秘書を横抱きにして、ブランコまで運び、丁寧に、そっと座らせた。
今の光景を見て、目が焼けるみたいに痛かった。
庭でうるさく笑っている人たちに、私は手の中のスマホをぎゅっと握りしめ、全身の力を込めて勢いよく投げつけた。
スマホは中庭の温水プールの真ん中に重たく落ち、大きな水しぶきを上げた。
下の騒ぎが、ぴたりと止まる。
みんな驚いた顔で上を見上げた。
景一も顔を上げた。
その視線は迷いなく、バルコニーの私を捉えた。
遠いのに、目だけが合う。
私は手すりを掴んだまま、掠れた声で叫んだ。
「篠原景一!上がってきて!今すぐ!」
景一はすぐに来た。
ドアを開けて入ってきた彼の顔は、怒りで真っ青。
私は手元の枕を掴み、思い切り投げた。
彼は避けず、枕が力なく胸に当たった。
「……また何なんだよ。何を騒いでる」
私はテーブルの「健康食」を指さした。
「どうして、あんたたちはバーべーキューを楽しんで酒まで飲んでるのに……私だけこれなの」
景一は冷たく言う。
「少しは考えろ。妊娠してるだろ。医者も薄味のものを食べるべきだと言っているぞ。
お前のためだ。子どもが生まれたら、食べたいものは何でもいい。好きにしろ。それでいいだろ」
また、子どもを理由にする。
子どものために、私はあとどれだけ我慢しなきゃいけないんだろう。
そもそも私は、子どもが好きじゃない。
それなのに妊娠したのは、景一が勝手に避妊薬をすり替えたからだ。
景一は近づき、箸で茹でた野菜をつまんで私の口元へ運ぶ。
声を柔らかくして、言い聞かせるみたいに。
「ほら。口、開けて」
私は勢いよく顔を背けた。
涙が勝手に溢れてくる。
「子ども、子どもって……!妊娠したら、食べる自由もないの?」
第4話
「私は生きてる人間なの。子どもを産む機械じゃない!」
景一の顔が、完全に沈んだ。箸を強く置いた。
「もうすぐ母親になるんだぞ。いつまでもそんなふうに、わがまま言って騒ぐなよ」
景一は隣に座り、私の肩を掴んで無理やりそちらへ向けた。
「いいから、もうやめろ。あと四か月だけ我慢しろ。生まれたら済むのだ。この子を産んだら、もう作らない」
景一はもう一度茶碗を持ち、ご飯をひとさじすくって私の唇の前へ。
彼の目が頑固で、じっと私を見つめている。
私は逆らえず、口を開けた。味のしない料理を、機械みたいに飲み込む。
景一は一口ずつ、ほとんど押しつけるように最後まで食べさせた。
「……よし。えらい」
彼は満足したように頭を撫でようとして、私は反射で避けた。
景一の手が一瞬止まり、目がさらに暗くなる。
ドアの外から、遠慮がちなノック。
さっきの若い秘書が入ってきて、一皿の柿を差し出した。
「奥さま、空輸で届いたばかりの柿です。甘くて食欲が出ますよ。よかったらどうぞ?」
景一は立ち上がって皿を受け取る。
「ごくろうさま」
それから秘書を見て言った。
「このあと取材がある。お前は残って、澄子の面倒を見てろ」
秘書の笑顔が一瞬固まったが、逆らえず、口を尖らせて、しぶしぶ頷いた。
「……はい、社長」
景一は大股で部屋を出ていった。
秘書は明らかに不機嫌で、部屋の中をうろうろする。
時々ドアのほうを見て、心はすでにここにあらずという顔をしている。
私は胸がむかむかした。
この息の詰まる部屋で、二人きりなんて無理だ。
「ここにいなくていいよ。仕事に戻ってください」
私が言うと、秘書はすぐ首を振った。
「だめです。社長に言われてますから。奥さまのそばを離れるなって。社長の言うとおりにしないと」
胸の奥がむっと重くて、息が詰まりそうだった。
二人きりで、この息苦しい部屋に閉じ込められてるくらいなら、外に出たほうがましだと思う。
「じゃあ行く。取材、見に行こう」
私が立つと、秘書の目がぱっと明るくなり、慌てて後ろについた。
取材はホテルで一番大きい宴会場で行われていた。
着いたとき、すでに記者がぎっしりで、カメラもマイクも壇上の景一に向いている。
景一は落ち着いた顔で座り、質問に答えていた。
余裕があって、話し方も上手い。会場から笑いが起きる。
そして、女性記者の一人が立ち上がった。
「篠原社長、今年も『最も人気のある経営者』に選ばれたこと、おめでとうございます。ファンに若い女性が多いことでも有名ですし、皆さんは篠原社長の恋愛事情を気になっているようです……ご結婚はされていますか?」
私は無意識に手を握りしめた。
壇上の景一は、カメラに向かってはっきり言った。
「してません」
隣の秘書が、かすかに鼻で笑う。
「……ふん、結婚してないんだ。じゃあ、『奥さま』ぶって何なの」
そうだ。
私は奥さまなんかじゃない。
籍も入れていない。式も挙げていない。
景一は以前、上場企業の社長は結婚の有無を公表しなきゃいけないから、私の「安全」のため、競合に狙われないように、今は結婚できないと言った。
私は信じた。
記者が畳みかける。
「では社長、現在は独身ということですか?」
壇上の景一は笑みを崩さないまま、マイクに向かってはっきり言う。
「はい」
頭の中で、ぶわっと音がした。
視界が一瞬白くなり、ぐらりと揺れる。
隣の秘書は、喜びと嘲りを隠しきれない顔をしている。
私の顔から血の気が、すっと引いていく。
目の前が暗くなり、景色がぼやけて、ぐるぐる回る。
周囲から悲鳴が上がった。
「人が倒れた!」
「血が……すごい!」
意識が沈む直前、遠くで景一の叫びが裂けるように聞こえた。
「澄子――!」