雪夜の別れ道

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雪夜の別れ道

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三浦海斗(みうら かいと)との結婚7周年の記念日。私は、冷めきった料理を前にして、一睡もできずに朝を迎えた。 次の日、仕事の付き合いのは...

Chương (1)

第1章

三浦海斗(みうら かいと)との結婚7周年の記念日。私は、冷めきった料理を前にして、一睡もできずに朝を迎えた。 次の日、仕事の付き合いのはずだった海斗が、昔から想いを寄せていた白石紬(しらいし つむぎ)と腕を組んで、ニュースの一面を飾っていた。 私はテーブルをひっくり返し、海斗の書斎をめちゃくちゃにした。そして、怒りで目を真っ赤にして、紬の歓迎パーティーをぶち壊した。 「戻ってきて。紬に会うのは許さない。 さもなければ、離婚よ」 でも、海斗は眉ひとつ動かさなかった。 紬が私におびえて、足をくじくまでは。 海斗は初めて心配そうな顔つきになり、私を怒鳴りつけた。 「いい加減にしろ!」 私はしばらく呆然としていたけど、最後には離婚協議書を海斗に叩きつけた。 「離婚しよう」 海斗はあっさりと書類にサインを済ませると、すぐに紬のそばにかがみこんで、彼女の足首をさすってあげた。 私が背を向けて去ると、周りは今回の私が本気なのかと噂していた。 海斗は、冷ややかに笑った。 「本当にいなくなればせいせいする。7年間も同じ手口ばかりで、そっちが飽きなくてもこっちはうんざりだ」 冷たい風が胸に吹き込むなか、私は航空券を強く握りしめた。 海斗の望み通り、今度こそ私は本当に彼を手放すことにした。 第1話 三浦海斗(みうら かいと)との結婚7周年の記念日。私はテーブルに並んだ冷たい料理を前に、一睡もできずに朝を迎えた。 次の日、仕事の付き合いのはずだった海斗が、昔から想いを寄せていた白石紬(しらいし つむぎ)と腕を組んで、ニュースの一面を飾っていた。 私はテーブルをひっくり返し、海斗の書斎をめちゃくちゃにした。そして、怒りで目を真っ赤にして、紬の歓迎パーティーをぶち壊した。 「戻ってきて。紬に会うのは許さない。 さもなければ、離婚よ」 でも、海斗は眉ひとつ動かさなかった。 紬が私におびえて、足をくじくまでは。 海斗は初めて心配そうな顔つきになり、私を怒鳴りつけた。 「いい加減にしろ!」 私はしばらく呆然としていたけど、最後には離婚協議書を海斗に叩きつけた。 「離婚しよう」 海斗はあっさりと書類にサインを済ませると、すぐに紬のそばにかがみこんで、彼女の足首をさすってあげた。 私が背を向けて去ると、周りは今回の私が本気なのかと噂していた。 海斗は冷ややかに笑った。 「本当にいなくなればせいせいする。7年間も同じ手口ばかりで、そっちが飽きなくてもこっちはうんざりだ」 冷たい風が胸に吹き込むなか、私は航空券を強く握りしめた。 海斗の望み通り、今度こそ私は本当に彼を手放すことにした。 「決心はついた?こっちにはいつ来るんだ」 「2時間後の飛行機に乗るわ」 電話の向こうが数秒ほど黙ってから、低い男性の声が聞こえた。 「わかった。時間になったら迎えに行く」 凍えるような風が吹き荒れる東都に、ようやく今年初めての雪が舞い始めた。 指先に舞い降りた雪を見て、ふと7年前、海斗と結婚すると決めたあの夜を思い出した。 私は子供のころから、自分が政略結婚のための駒にすぎないことを知っていた。 そんな逆境の中で生き抜こうと、21年間も抗ってきた。 でも結局、罠にはめられて薬を飲まされ、結婚相手の部屋に送り込まれてしまった。 服が乱れ絶望していた私を、悪魔の手から救ってくれたのは、酒瓶を片手にした海斗だった。 海斗は私を抱きかかえて、深夜の街へ連れ出してくれた。 あの日も、今日みたいに大雪が降っていた。 いつも強がっていた私は、海斗の腕の中ですっかり無防備になって、彼の横顔を見ながら涙を流した。 海斗は眉をひそめていて、その表情は雪のように冷たかった。 だけど、その時の私の頭の中には一つの想いしかなかった。 この人しかいない、って。 たとえ氷のかたまりでも、私が温めてみせる、と。 そうして7年間、努力してきた。 昔を思い返していると、スマホが激しく震えた。 どのアプリを開いても、トップニュースは海斗のことで持ちきりだった。 海斗はもう、7年前の何もない貧しい青年ではなかった。 今や、誰もが知る会社の社長なのだ。 同じ女性と立て続けにデートしているところを撮られ、ネット中の好奇心をかき立てていた。 ネットでは、写真の女性こそが、噂されていた海斗の隠された妻なのではないかと、憶測が飛び交っていた。 答えは分かりきっていた。海斗が誰かにあんなに優しく笑いかけるなんて、今まで見たことがなかったから。 そして紬が、海外で活躍する若手女性ピアニストだと特定されると、みんな二人の関係をますます確信した。 「お似合いのカップル」なんていう言葉を見て、私の心の中は、ばかばかしいっていう気持ちと、笑っちゃうくらいの虚しさでいっぱいだった。 7年前、私は夢だったジュエリーデザインの道を諦め、家の斉藤グループの脱税の証拠を集めた。 そうして斉藤家と、そして海斗を脅して、私と結婚させた。 斉藤家に対抗するために、私は自分の人脈と資産をすべて使って、海斗を成功へと押し上げた。 世間知らずの若者から、やがて新進気鋭の実業家となり、業界を支える大物になって、周りには人が群がるようになった。 ある時は、海斗のベッドに女性を送り込んでくるような大胆な相手さえいた。 私は激怒して、その相手との取引を打ち切った。 そして見せつけるように、海斗と私のウェディングフォトをネットで公開した。 でも海斗はものすごく反発して、徹夜で業者を使い、私たちの写真をすべてネットから消させた。 その結果、ネットには「極秘結婚しているが、奥さんを溺愛している」という噂だけが残った。 それが今では、すっかり他人のための花道になってしまった。 部下から、ニュースを消そうか、とメッセージが来た。 私は目を伏せて、指先の雪が解けて冷たい水滴になるのを見つめていた。 7年間、私は火に引き寄せられる蛾のようだった。 結局は、ただのひとりよがりだった。 もう、海斗を解放して、自分も楽になるべきだ。 第2話 私は【大丈夫】と返信して、スーツケースを引いて空港へ向かおうとした。 ドアを開けたとたん、またしてもけたたましく電話が鳴り響いた。 聞こえてきたのは、海斗の氷のように冷たい声だった。「遥(はるか)。あのニュース、君が流したのか?」 私は思わず眉をひそめた。「何のこと?」 海斗は怒りのあまり、かえって笑い出した。「まだしらを切るつもりか? 結婚して7年、なんで今夜に限って離婚の話をマスコミに流したんだ。おかげでネット中が紬を不倫相手だと思い込んでる!紬への嫌がらせか?それとも離婚したくないからって、こんな卑怯な真似を?」 結婚して7年。海斗が私を愛していないのはわかっていた。彼にあるのは、ただ責任感だけ。 それでも、海斗からひどい言葉を投げつけられたことは一度もなかった。 私がめちゃくちゃにわがままを言って、海斗の秘書を十数人も辞めさせたことがあったけど、あの時でさえ彼は眉ひとつ動かさなかった。 海斗はいつも物腰が柔らかくて、何があっても冷静だった。 まるで私が世界をひっくり返すようなことをしても、海斗の心は少しも揺れないみたいに。 でも、紬が帰ってきてからは違う。 私はようやく、分かった。 海斗が、感情の無い鉄の塊なんかじゃなかったってこと。 ただ、私のためには心を動かさなかった。それだけだったんだと。 「そんなくだらないことしないわ。私じゃない」 胸にぽっかりと大きな穴が開いて、そこから冷たい風が吹き込んでくるようだった。 海斗は、電波が悪いのか少し間を置いてから口を開いた。 「本当か?」 「あなたなら、調べればわかるでしょ」 受話器越しでも、トゲトゲしい空気が少し和らいだのがわかった。 でも海斗は、まだ怒りがおさまらない様子で言った。「もし君がやったとわかったら、ただじゃおかないからな」 私はもう何も答えなかった。ハイヤーの運転手が到着して、出発するかと聞いてきたので、うなずいた。 すると突然、海斗が聞いてきた。「こんな夜中に、どこへ行く気だ?」 言い訳を考えるより先に、電話の向こうが急に騒がしくなった。 誰かの焦った声がかすかに聞こえる。「大変です!白石さんがネットの書き込みにショックを受けて自殺を!」 次の瞬間、電話はぶつりと切れた。 冷たい風が吹き抜けて、心臓を大きな手でぎゅっとわしづかみにされたみたいだった。 しばらく、息ができなかった。 足元がふらついて、とっさにドアの枠に爪を立てて体を支える。 3年前、私はうっかり地下室に閉じ込められてしまったことがある。 スマホの電源が切れる直前、上の階にいた海斗に電話をかけると、彼は「すぐ行く」とだけ答えた。 でも、いくら待っても海斗は来なかった。結局、朝日が昇るまで、彼の姿を見ることはなかった。 私を見つけてくれたのは、家政婦だった。ネグリジェのまま、とっくに気を失っていた私を。 それから、私は閉所恐怖症になってしまった。 その頃、海斗は書斎で紬の絵を描くのに夢中だった。私のことを聞かれても、ただ「忘れてた」と答えるだけだったそうだ。 運転手にそっと声をかけられ、私は背筋を伸ばした。涙をぬぐい、コートで体をしっかり包んで車に乗り込んだ。 車に揺られながら、私は名残を惜しむように東都の雪景色を目に焼き付けた。 でもその時、甲高いブレーキ音が耳をつんざいた。 目の前に、黒いベントレーがまっすぐ突っ込んでくるのが見えた。 激しい痛みが走って、そこで意識は完全に途絶えた。 次に目を覚ました時、そこは病院だった。 病室の外から、海斗の秘書・藤田誠(ふじた まこと)の事務的な報告が聞こえてくる。 「社長。ご指示の通り、マスコミ向けの発表は済ませました。 これで世間では、社長と奥様の7年間の結婚が、実は望んだものではなかったと知れ渡ります。社長と白石さんこそが引き裂かれた恋人同士だった、と。世論は白石様に同情的な傾向です。まだ反対意見も一部確認されていますが、引き続き監視を継続いたします。 ですが……」 誠の声に、ためらいが混じりました。「そこまで手を打たれていたのに、どうして奥様の車を止めるような真似を?雪で道も悪く、大事故になりかねませんでした。かすり傷で済んだのが、不幸中の幸いです」 病室の向こうから、海斗のかすれた声が聞こえた。きっとタバコを吸った後なのでしょ。 第3話 「遥の性格はわかってる。このことを知ったら、きっと黙ってはいないだろう。 紬はもうショックを受けているんだ。これ以上、遥に何かを言わせるわけにはいかない」 ベッドサイドの医療機器が、ピッ、ピッ、と鳴っている。 私はぼんやり天井を眺めていた。涙がこめかみを伝って流れていく。 そうか、私の命は、紬の評判の前では、取るに足らないものなんだ。 部屋に入ってきた海斗は、私の姿を見て一瞬はっとしたようだった。 そして、私がさっきの話を聞いていたことに、すぐに気づいたみたい。 海斗はさっきの誠からの調査報告を思い出した。今回の騒動は、私とは無関係だったということを。 「I国へ行くのか?」 海斗はきゅっと口元を引き締めると、その温かい大きな手で、私の冷たい手の甲をそっと包んだ。 「それもいいかもしれないな。環境を変えて気分転換するのも。ただ、行くなら雪がやんでからにしろ。数日はここでゆっくり休め」海斗はそう言うと、埋め合わせのつもりなのか、私の手にカードを一枚握らせた。 私はそっと手を引き抜いた。「いらない。私の名義になっている株を、すべて現金化して」 海斗はそれで、私たちがもう離婚協議書にサインしていたことを思い出し、思わず顔をしかめた。 「本当に、考え直さないのか?」 今度は私のほうが、わけがわからず海斗を見つめた。 彼も私の視線にすぐ気づいたようだ。不機嫌そうに眉をひそめ、わけもなくいらだっているように見えた。 「あれはかなりの額になる。手続きを進めるのに、少し時間がかかるんだ。 心配するな。約束したことは守る。ごまかしたりしない」 少し間を置いてから、海斗は言い訳をするように口を開いた。 「なぜ君がそうも紬を目の敵にするのか、俺にはわからない。たしかに君と出会う前、紬を好きだった時期はあった。でも、それはもう過去のことだ。 君と結婚したんだ。外でいい加減なことをするはずがないだろう。君がわけもなくヤキモチを焼いても、俺は何も言わなかったはずだ。 紬は海外でのこの7年、決して順風満帆じゃなかったんだ。俺はただ、友達として彼女の力になってやりたいだけなんだ」 海斗は、その深い瞳で私の顔をじっと見つめた。私が気持ちが少しでも揺らぐのを期待しているみたいだった。 海斗は、私がただすねているだけだとずっと思っていた。だから、どんなにひどいケンカをしても、こうやって説明すれば、私の気がおさまると思ってたんだ。 でも彼はわかってない。どんな人だって、いつかは疲れてしまうってことを。 もう、うんざり。この7年間の冷たい態度にも、私だけが尽くしてきた関係にも。 海斗と一緒にいても、いつも話題を出すのは私から。腕を組むのだって、いつも私からだった。 夜の営みでさえ、いつも私からだった。 私は、真心も、持ってるものすべて、そしてこの身さえも、海斗に捧げてきた。 それなのに海斗は、いつも上から目線で、めんどくさそうに受け入れるか、冷たく断るか、それだけ。 以前は、海斗と一緒なら、こんな風に淡々と時が過ぎていくだけでもいいんだって、自分に言い聞かせていた。 海斗が私にあまり興味がないことにも耐えてきた。 元は画家だった海斗は、山や川、そして紬の絵を描いた。 道ばたの野良犬は描いても、私のことは描いてくれなかったことにも。 海斗にそばにいてほしい時に、いつも応えてもらえない孤独にも耐えてきた。 でも、紬が現れたことで、私のこれまでは、全部ただの馬鹿げた一人芝居だったんだって気づいた。 もう、我慢するのはやめる。 「いまさら色々言って、何になるの?もう離婚は決まったんだから、さっさと離婚協議書どおりに財産を分けて」 私は顔をそむけた。これ以上、無駄な話はしたくなかった。 海斗は怒って言った。 「遥!いい加減にしろ!俺が紬によくしてやってるのは、昔の君の過ちを埋め合わせるためでもあるんだ!」 私は、ぽかんとした。怒りも忘れてつぶやく。「私の、過ち?私が、何をしたっていうの?」 海斗はこぶしを握りしめ、歯をくいしばって何かを言いかけた。 でも、鳴り響いた着信音が、彼の言葉をさえぎった。 「海斗、どこにいるの……私、こわい……」 海斗の表情が、さっと変わった。「心配するな、すぐ行くから!」 言葉が終わると同時に、私に背中を向けて出て行ってしまった。 私は開け放たれた病室のドアをぼうぜんと見つめ、しばらくの間、何も言えずにいた。 第4話 夜になって、海斗から渡されたスマホにようやくメッセージがきた。 珍しくやさしい口ぶりで、どの言葉も私を気遣っているみたいだった。 でも、これが事実上の軟禁だってことは、私にはよくわかっていた。 自分のスマホは海斗に奪われて、外との連絡手段もない。私にできるのは待つことだけだった。 予定通りI国に着けなかったけど、「あの人」はどんな気持ちでいるんだろう。 また私に振り回されたって、そう思ってるかな? ふ、と笑みがこぼれた。いや、きっとそんなことはない。 だって海斗のせいで、私はネットでさんざん叩かれている。それを見れば、わかってくれるはず。 待つ時間は、ひどく苦しいものだった。 とくに3年前から閉所恐怖症を患っていて、ひとりきりになるのがすごく怖かった。 海斗はうしろめたい気持ちがあるみたいだった。そんなそぶりは見せないけど、私が彼の目の前からいなくなると、いつも黙って私のことを探してくれた。 まるで群れのボスみたいに、私の無事を確かめないと気がすまないみたいだった。 海斗が出張で家を空けるとき、ビデオ通話をかけても嫌な顔をしなくなった。 私がお風呂に入っている間も、寝室から離れずに、とりとめのない話に付き合ってくれた。 そんな小さな出来事を、海斗が私を大事にしてる証拠だって信じこんで、ひとりで舞い上がってた。 でも、紬の帰国が、そんな甘い幻想を全部こわしてしまった。 自分がみじめでたまらなかった。 ここに閉じこめられて、意識のある時間はほとんど不安と恐怖でいっぱいだった。 それでも私は、意地を張っていた。 海斗が、どこまで冷たい人間になれるのか、見てみたかった。 私の病気のことを思い出して、昔みたいに、気まずそうに様子を見に来てくれるんじゃないか? せめて、電話の一本くらいかけてくれるんじゃないかって。 でも、来る日も来る日も、やってくるのは食事を運ぶ家政婦と、薬を交換する看護師だけ。 そして、その人たちの口から聞かされるのは、海斗と紬のラブラブな話ばっかりだった。 紬が手首を少し切ったら、海斗は皮膚科のすごい医師を呼んで、薬を処方させたらしい。 紬が食欲ないって言ったら、海斗がキッチンにこもりきりになって、料理を数十品も作って好きなものを選ばせた、とか。 紬が今度はどうした、とか…… 看護師は、海斗からあんなに大切にされるなんて、紬は幸せ者ねぇってうっとりしてた。 そして、こっちをバカにしたみたいに一瞥すると、フン、と鼻で笑った。 どうやら紬のイメージアップのために、海斗は私の悪評をずいぶんばらまいたみたいだ。 そしてもちろん、この数日間、海斗は私のことなんて思い出しもしなかったんだ。 胸の痛みはじわじわと麻痺していって、とうとう何も感じなくなった。 スマホを返してもらうと、私はためらわずに、チケットを買って出ていこうとした。 でもそのとき、見知らぬメールがぽんっと画面に出てきて、私は何かに引かれるようにそれをタップした。 「遥に少しも気持ちがないなんて、信じないわ!」ノイズ混じりの録音。海斗の声は、何かを必死に証明しようとしていた。 「どうしたら信じてくれるんだ?あいつが俺を追いかけ回してた頃、俺がうんざりしてたのは周りもみんな知ってるだろ。結婚だって、ただのビジネス。政略結婚みたいなもんだよ」 「でも、7年も一緒に暮らしたんでしょ?情くらい湧くんじゃない?どうやって証明するのよ?」 海斗はしばらく黙り込んで、やっと口を開いた。「愛してない女との間に、子供なんて作るわけないだろ。 遥は前にも、子供で俺をつなぎとめようとした。でも……俺には無理だったから、医者に適当な理由を作らせて、処置してもらったんだ。遥、すごく悲しんでたけど。 その後も諦めが悪いみたいだったけど、俺は放っておいた。俺がもう子供を作れない身体になったことは、遥に教えてないけどな」 頭の中が、キーンと鳴った。 目の前の世界が、ぐにゃりとゆがんで見えた。 激しい耳鳴りがして、額から冷たい汗が噴き出した。 まるで一瞬で、去年のあの日に引き戻されたみたいだった。天国から地獄へ突き落とされた。 妊娠がわかった、その次の日のことだった。医者から、お腹の子に異常があるから手術が必要だと言われたんだ。 私はもう、めちゃくちゃだった。自分を責めた。仕事の付き合いにかまけていたせいで、お腹の子を死なせてしまったんだって。 なのに、今になってこんなことを聞かされるなんて。 第5話 海斗がいらないって言った。海斗が、私の元気な赤ちゃんを、殺したんだ。 下腹部に、えぐられるような激痛が走った。 私はその場に崩れ落ちて、声を殺して泣いた。 看護師の心配そうな声に混じって、低い声が聞こえた。 「遥、どうしたんだ?」 海斗が心配そうな顔で、医者を呼んで、と叫んでる。 いつもなら一番うれしいはずの優しい言葉が、今は毒みたいに私を苦しめる。 体がこわばって震える。海斗は、お腹の子を失ったときと同じように、私の背中をさすっていた。 吐き気がして、私は海斗を突き放した。そして、なんとか立ち上がった。 海斗はとっさに眉をひそめたけど、私の真っ青な顔を見ると、すぐに表情を和らげた。その目には、少しだけ申し訳なさそうな色が浮かんでいた。 「遥、この数日、俺は……」 海斗は、私が泣いてわめいて、彼を責めるのを覚悟していたみたい。 でも私は息を整えると、彼をあざけるように一瞥して、黙って立ち去った。 海斗は、私の後ろ姿を呆然と見つめていた。その手は、固く握りしめられていた。 どうしてか、わけもなくイライラしてきた。 そばにいた紬は、顔を真っ青にして私を睨みつけていた。歯を食いしばるような嫉妬の目で。 私は急いで「あの人」にメッセージを送って、一番早い便の飛行機のチケットをとった。 タクシーを拾って空港へ向かおうとした、その時。突然、後ろから誰かに口と鼻をふさがれた。 抵抗する間もなく、ツンと鼻をつく匂いがして。 そのまま、ぷっつりと意識が途切れた。 次に目を覚ますと、目の前には果てしない海が広がっていた。 それから、鬼のような形相の紬がいた。 「遥、ほんとバカな女!」 体に巻かれていた縄は、もう地面に落ちていた。私は痛む手首をさすった。 私はためらわずに、近づいてきた紬の顔を思いっきりひっぱたいた。 この7年間、海斗のために、ずいぶんとおとなしくしてきたけど。 「命知らず」って言われてた昔の私を、みんな忘れちゃったみたいね。 紬は信じられないって顔でほっぺたを押さえている。私を殺したいって目つきで。 でも、すぐにふてぶてしく笑い出した。「いい気でいられるのも今のうちよ」 すぐに、海斗が私たちの居場所を突き止めて、無線で話しかけてきた。 でも海斗は、私たちが二人そろって誰かに拉致されたと思っているみたい。 また飛行機に乗り遅れた。イライラがつのる。 「ほんと、バカね」 私は紬に吐き捨てた。「海斗はもうくれてやるって言ってるのに、わざわざ厄介事を起こすなんて」 紬は、カンカンに怒って私をにらみつけた。「それだけじゃ足りない!あんたが死ななきゃ、海斗は完全に私のものにならないの!」 わけがわからなくて、私は思わず鼻で笑ってしまった。「海斗の目の前で私を殺してみせたら、彼があなたを好きになってくれるとでも?」 ところが、紬は小賢しい笑みを浮かべた。 「遥、勘違いしてるみたいね。私を拉致して殺そうとしてるのは……あんたのほうじゃない?」 私は、はっと目を見開いた。 紬は、いきなり私を甲板のへりまで引きずっていった。「今日、見せてあげるわ。海斗が助けるのは、10年間ずっと彼に愛されているこっち?それとも、トラブルメーカーで性悪な、肩書きだけの妻でしかないそっち?」 数百メートル先に、ボートが現れた。甲板に立つ黒い人影も、かすかに見え始めていた。 私は必死に振りほどこうとしても、紬が全体重をかけて私に抱きついてくる。 ボートが近づいてくると、紬は大声で泣き叫び始めた。「ああっ!遥、ごめんなさい!なんでも言うことを聞くから、やめて――海斗、助けて!」 骨まで凍えそうな冷たい海に落ちたとき、海斗の真っ黒な瞳が見えた気がした。 でも、彼は私をちらっと見ただけで、すぐに反対方向へ泳いでいってしまった。 その背中がどんどん遠ざかっていくのを、私はただ見ていることしかできなかった。 周りの光も、どんどん消えていく。 ゆっくりと目を閉じて、運命を受け入れようとした、その時。 突然。 すっと伸びた力強い腕が、私を引き寄せた。