猛毒の愛、地獄へ堕ちた父子

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猛毒の愛、地獄へ堕ちた父子

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また冬がやってきた。夫の高橋朔陽(たかはし さくや)と息子の高橋晴也(たかはし せいや)は、毎年冬になると決まって私、長谷川瀬奈(はせが...

Chương (1)

第1章

また冬がやってきた。夫の高橋朔陽(たかはし さくや)と息子の高橋晴也(たかはし せいや)は、毎年冬になると決まって私、長谷川瀬奈(はせがわ せな)に対してアレルギーを起こす。全身にひどい湿疹が出るのだが、どうしてもアレルギー源が特定できない。 それを理由に、二人は私と距離を置き、別の家へと移り住んでいった。 私が転んで頭から血を流しても、二人が戻ってくることはなかった。それどころか、交通事故で入院した時でさえ、結局は私一人が孤独に耐え忍ぶだけだった。 私たちは、誰よりも遠い家族になり果てた。私が彼らを死に追いやるかもしれないからだ。 私は凍てつく冬の中、独り静かに待ちわびていた。暖かな春が、幸せな家族を返してくれることを。 だが、思いがけず二人の会話を耳にしてしまった。 「パパ、毎年冬しか千愛ママに会えないの?アレルギーの期間、もっと長くならないかな?」 千愛ママ?朔陽の幼馴染である伊藤千愛(いとう ちあ)のことか? 朔陽は晴也の髪をくしゃっと撫でた。 「抗アレルギー薬の飲み過ぎは良くないよ。千愛ママも心配するからね。時間がある時に、パパが連れてきてあげるから」 晴也は手を叩いて喜んだ。 「やったー!僕、冬のマンゴーキャンディーが一番好き。それを食べれば千愛ママに会えるもんね!」 マンゴー。それこそが、私が晴也を死の危険から守るため、あらゆる手段を尽くして遠ざけてきた致死性のアレルギー源だった。 寒風の中に立ち尽くし、私は無言で家へ戻った。 暖かな春が訪れた時、私はこれまでの献身をすべて捨て去った。 「好きなものを食べればいいわ。私が児童虐待をしていると思うなら警察に通報しなさい。あなたの親権はもういらないから」 第1話 また冬がやってきた。夫の高橋朔陽(たかはし さくや)と息子の高橋晴也(たかはし せいや)は、毎年冬になると決まって私、長谷川瀬奈(はせがわ せな)に対してアレルギーを起こす。全身にひどい湿疹が出るのだが、どうしてもアレルギー源が特定できない。 それを理由に、二人は私と距離を置き、別の家へと移り住んでいった。 私が転んで頭から血を流しても、二人が戻ってくることはなかった。それどころか、交通事故で入院した時でさえ、結局は私一人が孤独に耐え忍ぶだけだった。 私たちは、誰よりも遠い家族になり果てた。私が彼らを死に追いやるかもしれないからだ。 私は凍てつく冬の中、独り静かに待ちわびていた。暖かな春が、幸せな家族を返してくれることを。 だが、思いがけず二人の会話を耳にしてしまった。 「パパ、毎年冬しか千愛ママに会えないの?アレルギーの期間、もっと長くならないかな?」 千愛ママ?朔陽の幼馴染である伊藤千愛(いとう ちあ)のことか? 朔陽は晴也の髪をくしゃっと撫でた。 「抗アレルギー薬の飲み過ぎは良くないよ。千愛ママも心配するからね。時間がある時に、パパが連れてきてあげるから」 晴也は手を叩いて喜んだ。 「やったー!僕、冬のマンゴーキャンディーが一番好き。それを食べれば千愛ママに会えるもんね!」 マンゴー。それこそが、私が晴也を死の危険から守るため、あらゆる手段を尽くして遠ざけてきた致死性のアレルギー源だった。 寒風の中に立ち尽くし、私は無言で家へ戻った。 暖かな春が訪れた時、私はこれまでの献身をすべて捨て去った。 …… 「好きなものを食べればいいわ。私が児童虐待をしていると思うなら警察に通報しなさい。あなたの親権はもういらないから」 晴也は私のそんな態度に戸惑い、しばらくの間呆然として言葉を発さなかった。 ずいぶん経ってから、彼はやっとマンゴーキャンディーの包装を破った。 その目に浮かぶ期待の色が、私を深く刺し貫いた。 きっと、これを食べれば千愛の腕の中へ戻れるとでも思っているのだろう。 何度も言い聞かせ、名札にまで刻み込んだ注意事項は、すべて無駄だったのだ。 朔陽が慌てて駆け寄ってきて、晴也の手からキャンディーを乱暴に叩き落とした。 「瀬奈、今日はどうしたんだ?そんなにぼーっとして、晴也がマンゴーキャンディーを食べそうになったじゃないか。彼のアレルギーが酷くて、一歩間違えれば命に関わることくらい、君もよく分かっているはずだろう」 ああ、分かっている。痛いほど分かっている。 私はまるで道化師のように、マンゴーに関するあらゆるものを遠ざけてきた。 お菓子を買う時も、牛乳を買う時も、成分表を一文字一文字食い入るように確認し、万が一の見落としがないかと恐れていた。 晴也にも、何度も何度も言い聞かせた。 「誰からマンゴーをもらっても絶対に食べちゃダメよ、分かった?そうしないと病院でお尻に痛い注射をされちゃうからね」 さらに先生や晴也の同級生にも、うんざりされるほど繰り返してきた。 「晴也はマンゴーアレルギーなので、どうか気をつけてやってください」 私がマンゴーを強敵のように警戒していたというのに、そのマンゴーキャンディーは朔陽が与えたものであり、彼らが千愛に会うための通行証だったのだ。 私は冷めた声を絞り出した。 「どうして晴也がマンゴーキャンディーなんて持っていたの?それは、あなたに聞くべきことじゃないかしら」 朔陽の目に一瞬の動揺が走ったが、適当に誤魔化すと、そのまま晴也を連れてダイニングへ入っていった。 彼らはいつも通り、私がテーブルいっぱいにご馳走を作り、手作りのプレゼントを並べて待っていると思い込んでいる。 家族の再会を祝うために。 しかし今回は違う。食卓には何もなかった。 朔陽は眉をひそめた。 「瀬奈、今日は一体どうしたんだ」 彼は私の目元が赤くなっているのを見て、少し困ったように言った。 「まだ悲しんでいるのか?俺たちのアレルギーは、なんとか治す方法を見つけるから。アレルギーの出やすい冬のせいで、君が一番俺を必要としている時にそばにいられなくて本当にごめん」 爪が手のひらに深く食い込んだ。 彼はまだ覚えていたのだ。 私が妊娠していたあの頃、母が白血病に倒れた。朔陽は子供を優先すべきだと言い、私は母を救いたいと願った。 「私がドナーになるわ。誰が何と言おうと、これだけは絶対に譲れない」 私以上に過酷な選択を迫られた者はいない。私も子供を愛しているが、それ以上に私にとってはたった一人の母親だったのだ。 しかし、母はその知らせを悟ったかのように、体調が急激に悪化していった。 もはや、移植を受けられる状態ではなくなっていた。 母がまともに薬を飲んでいなかったと知ったのは、その時だった。彼女は自らの生きるチャンスを、新しい命――私のお腹の中にいた子へと譲った。 私は歯を食いしばって出産を乗り越えたが、結局、産後のホルモンバランスの乱れからうつ病を患ってしまった。 特に冬、独り取り残されると、周囲のすべてが私の絶望を煽るかのように騒ぎ出す。 どうしても喜ぶことができず、何度も死を考えた。けれど、そのたびに晴也の顔が浮かぶ。 母が命と引き換えに遺してくれたあの子がまだ幼いうちは、どうしても死にきれなかった。 二人を引き留めたい一心で、私は毎年、全身をビニールで覆い、防毒マスクまで被って生活した。まるで人間ではないような姿をしてまで尽くした。 それでも、彼らは私と同じ空気を吸うことすらできないかのように、相変わらず全身に湿疹を出した。どうしてもアレルギー源が見つからなかった。 朔陽は晴也を連れて慌ただしく家を出ていった。 「瀬奈、またアレルギーが出たんだ。とりあえず耐えてくれ。春になったら、必ず晴也を連れて帰ってくるから」 何が原因なのか分からず、私は何度も、何度もシャワーを浴びた。背中から血が滲むまで、肌を執拗にこすり続けた。 これは神様が私に与えた罰なのだ――そんな自虐的な思いに苛まれながら、浴槽の縁に縋りついて泣き、そのまま眠りについた。 あんなに苦しく、身も心もすり減らして耐え抜いた冬。 それがすべて、ただの茶番だったなんて。 第2話 私は朔陽の手を払い除け、独りで寝室へと戻った。 結局その夜、晴也は病院に運ばれた。自らの食い意地を抑えられず、マンゴーキャンディーを口にしたせいだった。 子供は隠し事ができない。病気で意識が朦朧とする中、彼はうわ言を繰り返していた。 「千愛ママがいい……お家には帰りたくないよぉ」 一言一言がナイフとなって私を切り裂く。医師から注意事項を聞き終えたばかりの私は、危うくその場に崩れ落ちそうになった。 私は書き留めたメモを朔陽に押し付け、溜息をついた。 「離婚しましょう。彼の望み通り、千愛を呼べばいいわ」 朔陽は鼻で笑った。 「子供の戯言だよ。君もそんなの真に受けるな」 彼は私の瞳を覗き込み、真実と嘘を織り交ぜたような口調で弁解を重ねる。 「千愛のことは君だってよく知っているだろう。俺たちが結婚してからは、彼女とは一切関わっていない。 前回、晴也を連れて彼女と少し一緒に過ごしたから、この子の頭の中で記憶が混ざってしまったんだろうな。久しぶりに会うと、どうしても新鮮味を感じてしまうものだから」 私が言い返す間もなく、千愛が血相を変えて駆け込んできた。彼女は真っ先に晴也の元へ飛び込む。 彼女は心底痛ましそうに晴也を抱きしめ、私を責め立てた。 「瀬奈さん、どうして晴也にマンゴーアレルギーなんて出させたの?この子はあんなに聞き分けがいいのに、なぜこんなに苦しませるのよ……つい二日前までは、私があんなにふっくらと元気に育てていたのに」 周囲の人々が次々と足を止め、ひそひそと囁き合う。 「やっぱり継母は実の親には敵わないわね、可哀想な子……だから安易に離婚なんてするもんじゃないのよ」 私の視線があまりに鋭かったことに気づいたのか、彼女は慌てて取り繕った。 「瀬奈さん、変な意味で言ったんじゃない、気を悪くしないで。ただ、晴也のことが心配で……どうしていつもこの子ばかり、こんなに辛い目に遭わなきゃいけないのかと思っただけ」 私は踵を返し、トイレへ向かった。冷たい水で顔を洗い、ようやく震える心を落ち着かせる。 晴也がこれほどの苦痛に耐えているのは、私から逃れ、千愛に会うためなのだ。 三歳の頃から、今日に至るまで、ずっと…… 病室に戻り、中に入ろうとした私の耳に、楽しげな笑い声が飛び込んできた。 「ねえパパ、僕、千愛ママともう数日一緒にいたいよ」 晴也は実に親しげにそう呼びかけ、千愛もまた期待に満ちた表情を浮かべている。 だが朔陽は考える間もなく拒絶した。 「ダメだ。こんな風に勝手に来られるのは困る。瀬奈に知られたらまずいと言っただろう」 千愛は下唇を噛み、甘えるようにすがりついた。 「今回だけ、お願い。瀬奈さんとは顔を合わせないようにするから。晴也の体が無事だと確認できたらすぐ帰るわ。私、年に三ヶ月しかこの子に会えないのに。たった数日増えるだけじゃない」 朔陽は彼女の瞳を見つめ……ついに折れた。 「今回だけだからな」 私は自嘲気味に笑った。これではまるで、私が彼ら三人の睦まじい家庭を壊す泥棒猫になった気分だ。 そこへ医師が入り、朔陽に向き直る。だが朔陽は何を聞かれてもしどろもどろで、何一つ答えられない。医師は隠そうともせず苛立ちを露わにした。 「お子さんの既往歴はどうなっているんです?以前服用していた薬の種類は?最も重篤だった時の症状は……?親なのに、そんなことも把握していないのか」 千愛はもじもじと指を絡ませ、朔陽は気まずそうに私へメッセージを送ってきた。 その時、私はドアを押し開けて中へ入った。 「私に説明してください。私はこの子の……」 ……いや、もうどうでもいい。 私は医師に晴也のこれまでの状況を事細かに伝えた。自分のお腹を痛めて産んだ子だ。病に苦しむ姿を、やはり見過ごすことはできなかった。 説明を終えて病室に戻ると、千愛はわざとらしく帰る素振りを見せた。 晴也は私を見るなり、わあわあと泣き叫んだ。 「嫌だ、嫌だ!千愛ママがいい!」 耳を劈くような泣き声が病室に響き渡る。分かっている、彼らは一芝居打っているのだ。 私を追い出し、彼らに場所を譲らせるための。 溢れそうになる涙を必死にこらえ、私は晴也を見つめた。 「……分かったわ。もう二度と、来ないから」 第3話 その日の夜、頭が割れるように痛んだ。意識が混濁する中、私は誤って朔陽に電話をかけてしまった。 彼はすぐに戻ってきて、白湯を注ぎ、私に薬を飲ませてくれた。 「晴也を責めないでやってくれ。単なる目新しさに惹かれているだけだ。数日もすれば、また君のことをママって呼んで泣きついてくるさ。ちょうどいい、君もゆっくり休め。この数日でずいぶん痩せたじゃないか」 私の容態が落ち着いたのを見届けると、彼は再び病院へと戻っていった。 しかしその後の数日間、私は異常なほどの眠気に襲われるようになった。目が覚めても口の中がひどく苦く、腹部には差し込むような痛みが断続的に走る。 私は一人で病院に足を運んだ。 医師は私の顔色を見るなり、怪訝そうな表情を浮かべた。 「薬を変えましたか?以前の処方はあなたに合っていましたから、勝手に変えないでください」 私は首を振った。薬は常に持ち歩いているし、パッケージも以前のままだ。 だが、医師がそれを手に取り簡単な成分検査をすると、すぐさま異常が発覚した。 「これは睡眠導入剤に近い成分です。あなたは以前から、この手の薬には耐性がないはずですよ。以前、不眠でお辛い時に処方した際も、全く同じ副作用が出ましたよね。今は睡眠に問題がないはずなのに、一体誰がこんなものを飲ませたんですか」 全身の血の気が引き、指先から凍りついていくような感覚に陥った。 脳裏に、朔陽が薬をごそごそといじっていたあの夜の光景がよぎる……信じられなかった。 朔陽は私の夜中の電話を煩わしく思い、二度と邪魔されないようにと、私に睡眠薬を飲ませたのだ。 ついこの間、朔陽が私にこう忠告してきたばかりではないか。 「薬には必ず副作用があるんだ。飲む薬を絶対に間違えちゃダメだぞ」 今となっては、私に邪魔をさせないための最善策が「私を深く眠らせておくこと」だったというわけだ。 私は自嘲気味に笑った。 鋭利な刃物で、心臓を何度も、何度もえぐり取られるような痛みが走る。 家に戻り、自分の荷物を整理し始めた。離婚のことは、もう一刻たりとも先延ばしにするつもりはなかった。 引き出しを探っていると、ふと一枚の国語のテスト用紙が舞い落ちた。 そこには、教師からの満点の評価とコメントが赤字で書き込まれていた。 【ママへの純粋な愛、素晴らしい!】 一瞬、意識が遠のいた。かつて晴也が幼稚園に通い始め、最初に覚えてきた歌は「おかあさん」だった。 小さな手を引いて帰る夕暮れの道、晴也は舌足らずな声で、楽しそうに口ずさんでいた。 「ママ、僕、大きくなったら大きなおうちを買ってあげるね。僕のママが世界で一番だよ」 私は震える手でそのテスト用紙を拾い上げ、目を落とした。 【僕とママは、まるで冬の霜のようです。冬の間しか一緒にいられなくて、暖かくなると消えてしまいます。ですから僕は、早く冬が来ればいいのにと、ずっと願っているのです】 行間から溢れ出す純粋な愛。だが、それは私へ向けられたものではない。凄まじい絶望と挫折感が全身を襲った。 呆然とどれほどの時間座り込んでいただろうか。私はゆっくりと立ち上がると、母の写真を丁寧に拭き清め、その胸に抱き寄せた。 お母さん……あなたが残してくれた贈り物は、ちっとも良いものじゃなかったよ。一緒に、ここから出ようね。 私はもう誰もいらない。 ガチャリと玄関の鍵が開く音が響き、朔陽が退院したばかりの晴也を連れて帰ってきた。 晴也はまだ幼く、隠し事などできない。帰り道で話していたであろう話題を、無邪気にそのまま続けていた。 「ねえパパ、また九ヶ月も耐えなきゃいけないの?背筋をピンと伸ばして座らなきゃいけないし、あれも食べちゃダメ、これもダメ……本当につらいよ」 朔陽は苦笑しながら、晴也の頭を軽く小突いた。 「バカなこと言うな。ママはお前のためを思ってやってくれてるんだぞ」 晴也は不満げに唇を尖らせた。 「だって僕、ちっとも楽しくないもん!千愛ママなら絶対にこんなことしないよ!」 ……ああ、そういうことだったのか。 再びそんな言葉を耳にしても、今の私は驚くほど冷静だった。 彼にとって「耐え難い苦痛」だったあの九ヶ月間は、私が心血を注ぎ、何よりも大切に慈しんできた歳月だった。 あのアレルギー期間が少しでも延びてしまわないかと、私は日々戦々恐々として過ごしていたというのに。 彼らにとって、私と過ごす時間はただの「厄災」でしかなかった。 寝室にいる私の姿に気づいた朔陽は、会話を聞かれていないと高を括り、晴也を軽くたしなめてからこちらへ連れてきた。 「瀬奈、晴也は本当にやんちゃで困るよ。君は病院に来なくて正解だった。じゃないと、晴也に振り回されて君の体が持たなかっただろうからな」 第4話 私は力なく、「……ええ」とだけ応じた。 その手で、母の写真をそっとバッグの中にしまった。 用事があると嘘をつき、婚姻届受理証明書を手に弁護士のもとを訪ねたが、相手はそれを見た瞬間にすべてを悟ったようだった。 若い弁護士は、同情を隠しきれない様子で私を慰めた。 「……これは偽物ですね。残念ながら、最近同じような相談が何件か受理されています。そもそも婚姻自体が成立していないので、離婚の手続きも不要です。それよりも、有印私文書偽造で相手を訴えることができますよ」 私は立っていられないほどの疲労感に襲われ、その背中は自分でも分かるほど惨めで、落胆しきっていた。 この数年間…… 自分がひどく滑稽な道化師に思えた。私には、彼を責め立てる資格すら最初からなかったのだ。 命懸けで大切にしてきた家族は、私の家族ではなかった。 頭がおかしくなりそうだった。九死に一生の思いで産み落としたはずの晴也さえ、私の子ではないというのか。ただ顔立ちが少し似ているだけの、赤の他人だったのだろうか。 彼らは、どうして私にこんなむごい仕打ちができるのか。 母が息を引き取る前、私は母が何よりも憎んでいた泥棒猫に成り下がり、最も忌み嫌う私生児を産み落としたことになってしまった。 家に戻ると、また千愛が来ていた。彼女は私を見るなり慌てて立ち上がる。 「瀬奈さん、お帰りなさい。私ももう帰るところだったの。通りがかりに、晴也の具合をちょっと見に来ただけで……」 私は彼女の行く手を遮った。 「帰らなくていい。はっきりさせておきたいことがあるの」 バッグから偽造された証明書を取り出し、酷く冷たい声で絞り出した。 「……説明してちょうだい」 私はまるで自傷行為にふける狂人だった。今さら、誤解の余地などどこにもない。すべては明白だった。ただ六年間、徹底的に騙され続けてきた、それだけのこと。 それでも、嘘でもいいから聞きたかった。もう一度だけ嘘を重ねて、弁護士の言葉が間違いで、私が彼の妻なのだと言ってほしかった。 恩愛に満ちたこの数年間は本物で、あのアレルギーはただの呪いのようなもので、私が祈り続けてきたからもうすぐ解けるのだと――そう信じさせてほしかった。 朔陽は私の射抜くような視線に耐えきれず、観念したように口を開いた。 「瀬奈、あの時、千愛がちょっとしたトラブルに巻き込まれてね。頻繁に治療が必要だったんだが、保証人のサインがないと何かと面倒だったんだ。だから、仕方なく……変に勘ぐらないでくれ」 その瞬間、耳鳴りがキーンと響き、周囲の音が遠のいていく。 もういい、何も聞きたくない…… 私には妻としての立場もない。声を荒らげて罵るための底力さえ、最初から持ち合わせていなかった。 朔陽が私の肩に手を置いた。 「瀬奈、少し落ち着いてくれ」 だが、私はこれ以上ないほど冷静だった。彼の言う「落ち着く」が何を指しているのか分からない。私は彼を打つために手を振り上げることも、「出て行け」と喚き散らすこともできない。私こそが、他人の家庭を壊した泥棒猫なのだから。 ふっと、乾いた笑いが漏れた。この家で本当に余分な存在だったのは、私だった。 結婚して間もなく、彼が頻繁に出張を繰り返していた理由がようやく分かった。 私が子供を産んだおかげで、彼らは「アレルギー」という最高の隠れ蓑を手に入れたのだ。毎年三ヶ月もの間、堂々と逢瀬を重ねるための、完璧な口実を。 さぞかし、ご苦労なことだったわね。 朔陽は呆然と私を見つめた。 「瀬奈、そんな顔をするな。千愛との結婚はただの手続き上のものだ。すぐに解消するつもりだったんだよ。ただ、彼女の体調がずっと優れなくて、今まで機会がなかっただけで……数日中には、絶対に取り消してくるから」 千愛もまた、謝罪の言葉を口にしながらすり寄ってきたが、その拍子に飾り棚をなぎ倒した。 棚がぐらりと倒れ込んできた瞬間、朔陽は真っ先に私の腕を掴んだが、次の瞬間にはその手をパッと離し、千愛を庇うように抱きしめた。 私は棚の下敷きになり、床に叩きつけられた。鋭い角が腕の肉をざっくりと引き裂き、傷口から鮮血がどくどくと溢れ出す。 しかし朔陽と晴也は、我先にと千愛の周りに群がった。 「どこか怪我はないか?痛くないか?君はただでさえ体が弱いんだ、早く手当てを!」 彼らの献身的なやり取りを遠いBGMのように聞きながら、私は独り、静かに身を起こした。血に染まった腕を抱え、振り返ることもなく、出口へと真っ直ぐ歩き出す。 口ずさんだのは、私たちが結婚した時に流れていたラブソング。 あの頃の私たちの瞳には、情愛に満ちた互いの姿しか映っていなかった。 ――さようなら。もう二度と、会うことはない。 千愛の手当てを終え、朔陽がハッと振り返った時、そこに瀬奈の姿はもうなかった。床には、ただ一筋の血痕が点々と外へと続いているだけだった。彼は血相を変えて立ち上がり、外へと駆け出した。 だがそこには、静まり返った廊下が横たわっているだけだった。