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金色のひまわり
明け方の4時。雪かきをしていた私は、一台のフェラーリに数メートルもはね飛ばされた。 氷のようなアスファルトに叩きつけられ、全身が軋むよ...
Chương (1)
第1章
明け方の4時。雪かきをしていた私は、一台のフェラーリに数メートルもはね飛ばされた。
氷のようなアスファルトに叩きつけられ、全身が軋むような激痛が走る。それでも私は自分の体を確かめるより先に、衝撃で散らばってしまった換金用の空き缶を、這いつくばって拾い集めようともがいていた。
しかし、一足の高級な革靴が私の手を容赦なく踏みつけ、拾い上げたばかりのアルミ缶ごとぐしゃりと潰した。
男は見下したように、タバコの煙をふーっと吐き出した。煙のせいで、その表情はよく見えなかった。
「当たり屋か?俺が誰だか分かってんのか?この通りは、全部俺たち望月家の土地なんだよ」
男はフンと鼻で笑い、財布から出した札束を私の頭に叩きつけた。
地面に散らばったお札のせいで、泥だらけになった私の胸の名札が見えてしまった。
「河内凪(かわうち なぎ)……」
さっきまでの気だるげな声が嘘のように、男の声が鋭く上ずった。まるで幽霊でも見たかのような、到底信じられないという響きだった。
彼は勢いよくしゃがみ込むと、私の顔をじっと見つめた。
「お前は海外で玉の輿に乗ったって、聞いてたぞ?なんでこんな所でアルミ缶拾いしてんだよ?」
私はお金に触れなかった。男の顔も見なかった。
ただ黙って、かじかんだ手をそっと引っ込めた。
やがて男の視線は、めくれた私のズボンの裾へと移った。
2本の、錆びついた鉄の義足。街灯の下で冷たい光を放つそれが、彼の目に突き刺さった。
第1話
明け方の4時。雪かきをしていた私は、一台のフェラーリに数メートルもはね飛ばされた。
氷のようなアスファルトに叩きつけられ、全身が軋むような激痛が走る。それでも私は自分の体を確かめるより先に、衝撃で散らばってしまった換金用の空き缶を、這いつくばって拾い集めようともがいていた。
しかし、一足の高級な革靴が私の手を容赦なく踏みつけ、拾い上げたばかりのアルミ缶ごとぐしゃりと潰した。
男は見下したように、タバコの煙をふーっと吐き出した。煙のせいで、その表情はよく見えなかった。
「当たり屋か?俺が誰だか分かってんのか?この通りは、全部俺たち望月家の土地なんだよ」
男はフンと鼻で笑い、財布から出した札束を私の頭に叩きつけた。
地面に散らばったお札のせいで、泥だらけになった私の胸の名札が見えてしまった。
「河内凪(かわうち なぎ)……」
さっきまでの気だるげな声が嘘のように、男の声が鋭く上ずった。まるで幽霊でも見たかのような、到底信じられないという響きだった。
彼は勢いよくしゃがみ込むと、私の顔をじっと見つめた。
「お前は海外で玉の輿に乗ったって、聞いてたぞ?なんでこんな所でアルミ缶拾いしてんだよ?」
私はお金に触れなかった。男の顔も見なかった。
ただ黙って、かじかんだ手をそっと引っ込めた。
やがて男の視線は、めくれた私のズボンの裾へと移った。
2本の、錆びついた鉄の義足。街灯の下で冷たい光を放つそれが、彼の目に突き刺さった。
望月青斗(もちづき あおと)の視線は、めくれ上がった私のズボンの裾の下に釘付けになった。
そこには2本の粗末な鉄パイプがあった。溶接した部分はギザギザなままだ。
汚れた雪解け水が、そのパイプを伝って流れ落ちる。雪の上に、錆の匂いが混じった染みを作っていった。
青斗の指先が、ぴくりと震えた。
彼は手を伸ばした。その指先は震えていて、その鉄のパイプに触れようとしたのだ。
「触らないで」
私はかすれた声で言った。体は、とっさに後ろへ引いていた。
動きが大きすぎて、バランスを崩してしまった。砕けた氷の上に背中を強く打ち付け、凄まじい冷気が背骨を伝って肺の奥深くまで入り込んでくる。
青斗の手は、宙で固まっていた。その瞳には、混乱と戸惑いが浮かんでいる。
私は彼を無視した。
手のひらで地面を支え、うつむいたまま、また雪と泥の中に散らばったお札を拾い始めた。
1枚、2枚、3枚……
全部拾い集めて、服で泥水を拭う。しわを伸ばし、丁寧に折りたたんだ。
プライドなんて、生きるためには何の役にも立たない。
このお金があれば、ボロ小屋で私の帰りを待つ工藤大輔(くどう だいすけ)に一番いい薬を買ってあげられる。
私はお金を服の一番深い内ポケットにしまった。それから、もう一度ほうきを握り、鉄の足を地面について立ち上がろうとした。
突然、誰かの手が私の服を強く掴んだ。ぐいっと引かれて、息が詰まる。
青斗が、私を地面から無理やり引きずり起こした。
激しい怒りに任せたその腕力は、恐ろしいほど強かった。
バランスを崩した鉄の足が、地面を擦って嫌な音を立てた。
「お前に聞いてるんだ!」
頭上から浴びせられたその怒声には、隠しきれない激しい動揺が滲んでいた。
「その足、どうしたんだよ?答えろ!」
青斗は両手で私の肩を掴み、無理やり自分の方を向かせた。
「あの外国人の夫の仕業か?あいつには暴力癖でもあるのか?お前をこんな目に遭わせたのか?」
青斗は昔のままだった。私のために、何もかもを投げ出そうとしてくれた、あの頃の少年のまま。
でも私の視線は、青斗を通り越して、後ろにあるフェラーリに注がれていた。
ボンネットには、まだ雪が積もっている。ヘッドライトが、目に痛いほど眩しかった。
記憶の中にも、こんな雪の日があった。
高校3年生の時、私は全国ジュニアダンスコンクールで金賞を受賞した。
青斗は街で一番高いレストランを貸し切ってくれた。眼下に広がる素敵な夜景を背に、彼は名門の子息や令嬢たちが見守る中、私の前に片膝をついたのだ。
「凪、俺と結婚してくれ。
ご両親も賛成してくれた。お前が大学を卒業したら、すぐに結婚しよう」
あの日も、大雪だった。帰り道で、私は足を捻挫してしまった。
あの雪の日、青斗は私を背負ったまま三区画先まで歩いてくれた。彼のカシミヤのコートが私をしっかりと包み込み、界隈で「至宝」と讃えられた私の足を、大切に守ってくれていた。
「凪、この足は、『白鳥の湖』を舞うための足だ。レッドカーペットを歩くためのものであって、ただ歩くためのもんじゃない」
昔の言葉が、今も耳に残っている。でも、今はひどく耳障りに聞こえた。
今の青斗は、一番ありえなくて、一番下劣な想像で、私の身に起きたことを決めつけようとしている。
私は手を上げた。力なく、肩を掴む青斗の手を振り払った。
第2話
喉の奥がカラカラに張り付いて、絞り出した声はひどく掠れていた。
「事故よ。
お金がなくて。
切ったの」
飾り気のない、短い言葉。それが、私のこの3年間をすべて物語っていた。
青斗の顔から、さっと血の気が引いた。
彼は一歩よろめき、ふらついて、危うく倒れそうになった。
「ありえない……」
青斗は何かを振り払うように、激しく頭を振った。
「お前のお父さんから聞いたんだ。とんでもない金持ちと結婚して、外国でお姫様みたいに暮らしてるって。それなのに、足の治療費がないなんて……どうして……」
その怒鳴り声は、明け方の静かな通りに響き渡った。
近くで開店準備をしていた喫茶店の店主が顔を出し、朝の散歩中だった人も足を止めた。
高級車と、お金持ちの男と、障害のある女。
いかにも人の目を引く組み合わせだった。
人に見られたくなかった。
私はうつむいて少し腰をかがめると、いつもの癖で、頼むような声を出した。
「私は掃除をしないと。
ここが終わらないと、給料を引かれちゃう」
「給料を引かれるだと!?」
その言葉が、青斗の怒りに火をつけた。
彼の顔に浮かんだ驚きは、やがて怒りへと変わった。
「凪、お前が金に困ったことなんて一度でもあったか?たったそれっぽっちの金のために、プライドまで捨てるのか?」
青斗は私のほうきをひったくると、力任せに数メートル先へ放り投げた。
ほうきは、雪の上を転がっていった。
次の瞬間、青斗はもがく私を無視して、ひょいと横抱きにした。
彼がつけている高級なウッディー系の香水の匂いと、タバコの匂いが混じって、鼻をついた。
かつては大好きだったその香りが、今は吐き気を催すほど気持ち悪かった。
青斗は私をフェラーリの助手席に乱暴に押し込んだ。でも、私の頭がドアにぶつかりそうになった瞬間、さっと手でかばってくれた。
ドアがロックされ、車内は息苦しいほど暖房が効いていた。
体の冷たさと車内の熱気がぶつかり合い、足を切断した部分の神経がズキズキと痛み始めた。
背中の肌着は冷たい汗でぐっしょりと濡れ、額からも汗が滲み出た。
私はシートの上で体を丸め、自分を抱きしめて、なんとか痛みを和らげようとした。
青斗は私の顔色の悪さに気づいたのか、イライラした様子でネクタイを少し緩めた。
彼はスマホを取り出し、電話をかけてスピーカーにした。
「河内社長、青斗です」
怒りを抑えたような、低い声だった。
「凪が帰ってきてるんですけど、ご存じでしたか?」
電話の向こうで、数秒ほどの沈黙があった。
「青斗くんか。どうして急にあんな親不孝な娘のことを?凪は外国なんか行ってないよ。3年前、どこの馬の骨とも分からん男と駆け落ちしたんだ。そんなの、この界隈じゃみんな知ってることじゃないか?」
電話の向こうの父の河内聡(かわうち さとし)の声は、嫌悪感に満ちていた。
青斗はハンドルを握る指の関節が白くなるほど力を込めて言った。「凪、道路の掃除をしてましたよ」
電話の向こうは、またしばらく黙り込んだ。
数秒後、父の激しい怒鳴り声がスマホから響いた。
「なんだと!?あの恥知らずめ、一体どの面下げて戻ってきたんだ!?
青斗くん、あんなやつは放っておけ!3年前、せっかくのいい縁談を蹴って、貧乏な絵描きと逃げたんだ。おかげで河内家の顔に泥を塗られて!あんな親不孝者は、どこかで野垂れ死にでもすればいいんだ!」
青斗は、びくっと体を震わせ、複雑な表情で私を見た。
彼は電話を切り、車内は再び静まり返った。
青斗は私の方へ向き直ると鼻で笑い、刺すような視線を向けた。
「凪、これがお前のお姫様のような暮らしってわけか?」
私は青斗を見ようともせず、何も言い返さなかった。
横を向いて、窓の外を流れていく景色を眺めていた。朝の景色がぼやけた線になって、どこまでも続いている。
言い訳したって何になる?みんなにとっては、私はもう恥さらしの女でしかないんだから。
青斗は私が黙っているのを見て、罪悪感から何も言えないのだと思ったらしい。
彼は再びハンドルを強く握りしめ、アクセルを思い切り踏み込んだ。
エンジンが唸りを上げ、体がシートに強く押し付けられた。
「だんまりを決め込むってわけか?いいだろう、上等だ。
病院に連れて行ってやる。本当に障害があるのか、それとも芝居なのか、医者が見ればすぐに分かる。
お前が、本当にそんな体になったなんて信じられるか!」
私は、車の窓に映る自分の顔を見つめた。
目のくぼんだその顔には、かつての「バレエのプリンセス」の面影はもうなかった。
私の足が本当はどうなのか、青斗にとっては、ただの笑い話の結末を確かめるだけのことだ。
第3話
青斗は私を抱きかかえ、病院に駆け込んだ。
「先生!先生はどこですか!早くこいつの脚を診てください!」
青斗の怒鳴り声で、周りはしんと静まり返った。
そのただならぬ雰囲気に、当直の医師は気圧されたようだった。慌ててストレッチャーを押してこちらにやって来た。
「ここに寝かせてください!」
青斗は私をベッドに放り投げるように寝かせた。焦っているようだったけど、その動きには明らかな嫌悪感がにじんでいた。
「先生、こいつの脚をみてください。本当に切断されたのか、それともフリをしてるだけなのか、はっきりさせたいのです」
医師は眉をひそめ、ハサミをちらつかせながら、私の分厚くて汚れたズボンを見た。
「ズボンが汚れすぎていますね。切らないと処置できません」
青斗は泥だらけのズボンに目をやり、嫌悪感をあらわにして歯を食いしばった。
「やりましょう」
ハサミが分厚いズボンを切り開く、ジョキ、ジョキという無機質な音が診察室に響いた。
ズボンが切り開かれると、腐敗したひどい臭いがあたりに立ち込めた。
その瞬間、青斗の瞳がキュッと収縮するのが見えた。
2本の錆びた鉄パイプが、赤く腫れ上がって炎症を起こした肉に食い込んでいた。
義足との接合部分は、ずっとこすれていたせいで酷くただれていた。膿と血が混じりあった液体が、錆びた鉄にこびりついていた。
隣にいた若い看護師はたまらず、口元を押さえて顔をそむけ、吐き気をこらえていた。
医師は息を呑み、厳しい表情になると、すぐに手袋を二重にはめた。
「どうしてこんなになるまで放っておいたんですか?感染してからどれくらい経ってます?」
医師は責めるように言いながら、義足を固定するための粗末な革ベルトを外そうとした。
ベルトはとっくに腫れ上がった肉に食い込み、皮膚と一体化してしまっていた。
医師がベルトを少し動かすたびに、体を引き裂かれるような激痛が走った。
「うっ……」
血の味がするほど唇を強く噛みしめ、なんとか悲鳴を飲み込んだ。
「もう少しの辛抱ですよ。これを外して、傷口をきれいにしないといけませんから」
医師は大変な苦労の末に、ようやくその革ベルトをすべて断ち切った。
ガチャン、という音がした。
膿と血にまみれた鉄パイプがトレイに投げ込まれた瞬間、私の体は激しく痙攣した。
脚の切断面はぐちゃぐちゃで、折れた骨の先がのぞいていた。
そばに立っていた青斗は、みるみるうちに土気色になり、立ち尽くした。
それを一目見ただけで、彼の胃はひきつった。
青斗はさっと身を翻すと、壁際のゴミ箱に駆け寄り、腰をかがめてえずいた。
「おえっ……」
何も吐き出せず、こみ上げてくるのは胃液だけ。壁についた手は震えていて、青斗は二度と私の脚を見ようとはしなかった。
その時、きれいに化粧をした女の人が部屋に入ってきた。腕には百合の花束を抱えている。
彼女は河内莉奈(かわうち りな)。私の、腹違いの妹だった。
莉奈の足元には、オーダーメイドのトウシューズ。
それは3年前に、私が国際コンクールのために特別に作ってもらった、世界に1足しかないトウシューズだった。
莉奈はベッドの上の私を見ると、大げさに口元を覆って、甘ったるい声を上げた。
「お姉ちゃん?うそ、本当にお姉ちゃんなの?
お父さんから電話があって、お姉ちゃんが帰ってきたって聞いたけど、信じられなかった!この3年間、何の連絡もなかったから。てっきり、どこの馬の骨とも知らない男と、どこかで楽しくやってるんだと思ってたわ!」
その言葉は、私のただれた傷口に、まるで塩を塗り込むようだった。
私は、莉奈の足元にあるトウシューズを食い入るように見つめた。
3年前の私は、このトウシューズを何よりも大切にしていた。
その時、莉奈が部屋のドアを開けて入ってきた。「お姉ちゃん、そのトウシューズ、すっごくきれい!今夜のパーティーに持っていきたいから、貸してくれない?」
「だめよ。国際コンクールで使う大切なものだし、サイズも合わないわ」私は初めて莉奈の頼みを断った。
その後、私は父に書斎へ呼び出され、冷たい顔で叱りつけられた。「靴1足じゃないか。莉奈が欲しがっているならくれてやれ!姉のお前がどうしてそんなに物分りが悪いんだ?莉奈は昔から体が弱いんだから、譲ってやりなさい!」
小さい頃からずっとそうだ。莉奈が欲しがるものは、なんでも私が譲らなければならなかった。
留学の枠も、婚約者も、そして今ではこの脚さえも。すべてが、莉奈がのし上がるための踏み台にされてしまった。
莉奈はベッドのそばまで来ると、ぐちゃぐちゃになった私の脚を蔑むように一瞥した。その目には、隠しきれないほどの優越感が浮かんでいた。
莉奈は、むせ返るほど香りの強い百合の花束を、ベッドサイドのテーブルにドサッと置いた。
「お姉ちゃん、どうしてそんな無様な姿になっちゃったの?」
第4話
「あの時、素直に世界大会の推薦枠を私に譲って青斗さんと結婚してれば、こんなことにならなかったでしょ?
全部、自業自得よ」
ようやく我に返った青斗は、ゆっくりと体を起こした。でも、莉奈の言葉に、思わず眉をひそめた。
何かに気づいたような、でも、よけいに混乱したような顔だった。
「莉奈、凪は外国に嫁いだんじゃなかったのか?電話でお前のお父さんも、駆け落ちしたって……」
莉奈の顔が一瞬こわばったけど、すぐに不憫そうな表情をつくった。
彼女は青斗のそばに駆け寄ると、彼の腕に自分の腕を絡め、肩に頭を乗せて、甘えるような声でささやいた。
「青斗さん、お姉ちゃんの言うこと信じちゃだめよ。あれは、お父さんが河内家の体面を守るために考えた嘘なんだから。
本当はね……お姉ちゃん、あの頃青斗さんのことが嫌で、貧乏な絵描きと駆け落ちしたのよ。
そしたらどうなったと思う?その男に有り金全部だまし取られて、お荷物になったお姉ちゃんは、足を使えなくされて捨てられたの。それで、行くところがなくなって、青斗さんにたかりに戻ってきたってわけ」
また、同じ手口だ。
3年前もそうだった。莉奈は、私が知らない男と写っている、捏造したいかがわしい写真を何枚も持って、泣きながら青斗のところへ行ったのだ。
あの時、青斗は莉奈を信じ込み、私の家に乗り込んできて、ドアを叩きつけるように閉めて出て行った。「凪、お前を好きになるなんて、俺はどうかしてたよ」と言い残して。
青斗の目に浮かんでいた戸惑いは、たちまち嫌悪と軽蔑の色に変わった。
そういうことか。
ろくでもない男のために、自分から落ちぶれて、あんな体になるなんて。
こんな女に、同情の価値もない。
私は何も言い返さなかった。
偏見を持った相手に何を言っても無駄だ。本当のことだって、嘘にしか聞こえない。
私はありったけの力を振り絞って、ベッドサイドにあった、鼻につく百合を床に叩きつけた。
ガシャーン。
花瓶が割れ、水が飛び散った。
「きゃっ!」と莉奈が悲鳴をあげ、青斗の胸に飛び込んで、か弱く震えてみせた。
その様子を見て、青斗は怒りを爆発させた。
彼は私の顔を指さし、こめかみに青筋を浮かべて怒鳴った。
「凪!気でも狂ったのか!自分で落ちぶれたくせに、まだ反省もできないのか!
たかが男一人のためにそんな無様な姿になって、今、莉奈が心配して見舞いに来てくれたっていうのに、なんて態度だ!?」
怒りでゆがむ青斗の顔を見ていると、胸が張り裂けそうだった。
私は腕を上げ、病室のドアを指さした。そして、かすれきった声で、一言だけ叫んだ。
「出てけ」
青斗は、怒りのあまり、逆に笑いだした。
彼は財布からカードを抜き取ると、膿と血で汚れた私のガーゼの上に投げつけた。
「ああ、そうかよ。ずいぶん意地っ張りなんだな。
昔のよしみがないなんて言われるのはごめんだ。このカードには2000万入ってる。治療費の足しにしろ。
治ったらとっとと消えろ。二度と俺と莉奈の前に現れるな。汚らわしい!」
そう言い捨てると、青斗はまだ泣きじゃくっている莉奈を抱きよせ、振り返りもせずに大股で去っていった。
莉奈は、部屋を出る瞬間、ちらりと私を振り返った。
その目は、挑発するような色をたたえていた。
薬を替えに来た若い看護師が、血のついたカードを見つけた。彼女は眉をひそめながらピンセットでそれを摘まみ上げると、ちらりとも見ずに、医療廃棄物用のゴミ箱に捨てた。
「患所に私物を置かないでくださいね。不潔ですから」
看護師は生理食塩水を取りに、外へ向かった。
私はそのゴミ箱を、食い入るように見つめた。
あの中に、2000万円がある。
私の足と、血と、命を削って手に入れた金だ
私は必死でベッドから起き上がった。手の甲に刺さっていた点滴の針を力まかせに引き抜くと、血の玉が浮かんだけど、拭う余裕もなかった。
ゴミ箱の中からカードを探し出し、手のひらに強く握りしめた。
どんなに青斗に侮辱されても、これはお金だ。
このお金があれば、大輔が無理な仕事をして、私の薬代を稼がなくてもよくなる。
私はデスクの上の医療用テープで、歯を食いしばりながら、きれいにした2本の鉄パイプを、もう一度足にくくりつけた。
テープを一周巻くたびに、肉がもう一度引き裂かれるような痛みが走る。
冷や汗で、病院着がぐっしょりと濡れた。
私は声を殺して痛みに耐えた。そして壁をつたい、足を引きずりながら、病院の裏口から抜け出した。
明け方の風は、凍えるように冷たかった。
タクシーなんて、もったいなくて乗れない。ここから私たちが暮らす場所までは5キロもあるけど、乗ればかなりの額になる。
そのお金があれば、二人で1週間は食べていける。
私は鉄の足をひきずって、一歩、また一歩と、前に進んだ。
第5話
鉄パイプが傷口に擦れて、一歩歩くたびに激痛が走る。
廃家電やスクラップが所狭しと積み上げられたあの廃品置き場に戻ると、もう日は高く昇っていた。
背の高い男の人が、薄汚れたセーター一枚で、冷たい風に吹かれながら段ボールを片付けていた。
大輔だった。
よろよろと歩く私に気づくと、大輔は作業の手を止め、駆け寄ってきて、ぐいっと私の体を支えてくれた。
ズボンの裾から滲む血の跡に視線を落とした瞬間、大輔の目は不安でいっぱいになり、みるみるうちに赤く染まっていった。
口を大きく開け、喉の奥から「あ、あ」とかすれた声を出そうとする。でも、言葉にはならなかった。
代わりに、慌てたように手話で伝えてきた。
[痛むのか?また血が?誰かにやられたのか?]
大輔の目を見つめていると、悔しさがこみ上げてきた。でも、ぐっとこらえた。
私は首を横に振った。そしてポケットから、まだ温かい現金とカードを取り出し、大輔の手のひらに押し付けた。
「拾ったの。それから……示談金よ」
大輔はお金を見ようとしなかった。
彼は無造作にそれをポケットに突っこむと、腰をかがめた。そして、壊れ物を扱うようにそっと私を横抱きにして、錆びついた貨物コンテナを、無理やり住居に仕立てただけの場所へと入っていく。
部屋はとても狭くて、ベッドと小さなストーブが一つあるだけ。でも、隅々まできれいに片付いていた。
大輔は洗面器にお湯を汲んでくると、私の前に片膝をついた。
とても大事にしている救急箱を開けて、綿棒に消毒液を染み込ませる。そして、私の足についた泥と血を、少しずつ拭ってくれた。
その手つきは、痛がらせないように、とても優しかった。
真剣な大輔の横顔を見つめる。すっと通った鼻筋、固く結ばれた唇。そのすべてが、私のことを心配してくれているのが伝わってきた。
ふと、3年前の雨の夜を思い出していた。
あの頃、父は莉奈を国際コンクールで優勝させるため、審判に渡す賄賂を会社の金から横領した。そして、そのせいで私の留学費用は打ち切られた。
私は学費を稼ぐために、レストランでアルバイトをするしかなかった。
でもある日、バイトの帰り道で二人の男に車へと引きずりこまれた。
犯人から要求された金額は、1000万円だった。
スピーカーから漏れる父の声は、氷のように冷たかった。「俺に長女などいない。好きにすればいい。どうせそいつは言うことも聞かないし、生きていても邪魔なだけだ」
その瞬間、私は絶望で、心が空っぽになった。
犯人たちは腹いせに、車のタイヤで私の両脚を何度も、何度も轢いた。
骨が砕ける音は、今でも悪夢となって私を苛む。
そして、私は人気のない場所に置き去りにされ、死を待つだけだった。
そんな私を見つけてくれたのが、大輔だった。
土砂降りの雨の中、口のきけない大輔は、たった一枚のレインコートを脱いで私に被せてくれた。そして、血まみれでぐちゃぐちゃになった私を背負い、ぬかるんだ山道を何キロも歩いてくれたんだ。
医者には、あと10分遅かったら死んでいた、と言われた。
命を助けるためには、両脚を切断するしかなかった。
大輔はなけなしの貯金をすべてはたき、田舎の土地まで売って、ようやく手術代を工面してくれた。
高価な義足を買うお金はない。だから大輔は、使えそうな鉄パイプを探し出した。
そして、空き地に作業場を作ると、昼も夜も鉄を叩き、溶接し、磨き続けた。
飛び散る火花で大輔の手は水ぶくれだらけになった。でも、彼は文句一つ言わなかった。
2週間後、大輔は不格好だけど頑丈な鉄の足を、私の前にそっと差し出した。そして、ひざまずいて手話でこう伝えてくれたんだ。[これで立てる。俺が杖になる]と。
傷口のズキッとした痛みで、私は現実に引き戻された。
大輔はもう手当てを終えて、新しい綺麗なガーゼを巻き直してくれていた。
彼は顔を上げた。その目はまだ赤く、心配そうに手話で尋ねてきた。
[あいつらに見つかったのか?引っ越そうか?]
大輔が、また私が傷つけられることを心配しているのは、よく分かった。
私は手を伸ばすと、大輔のゴツゴツした大きな手を取り、自分の頬にそっと押し当てた。
「引っ越さないわ」
私は大輔の目を見つめ、一語一句、はっきりと告げた。
「ここは私たちの家よ。もう、怖くないから」
その時、ポケットのスマホが突然震えた。
知らない番号からのメッセージ。送り主は、青斗だった。
【今夜8時、河内グループの創立30周年記念パーティーがある】
【凪、俺に説明する義務がある。そして莉奈に謝罪しろ】
【全員の前で、あの時の真相をはっきりさせるんだ】
【もし来なければ、お前の住むところを更地にしてやる。それから、あの口のきけない男をこの街から追い出してやるからな】