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雪が降りしきる中での別れ
この世界に迷い込み、石川慎吾(いしかわ しんご)を攻略して8年目。彼から離婚協議書を渡された。 そこには、自宅と財産のすべてを私に譲ると...
Chương (1)
第1章
この世界に迷い込み、石川慎吾(いしかわ しんご)を攻略して8年目。彼から離婚協議書を渡された。
そこには、自宅と財産のすべてを私に譲ると書かれていた。
唯一の条件は、離婚後に二度と慎吾に関わらないこと。全部、村上綾菜(むらかみ あやな)っていう女の子がいたから。
「綾菜は、お前とは違うんだ。嫉妬深くて、俺への独占欲も強いから。
お前のせいで綾菜を悲しませたくない」
私はそれを受け入れた。代わりに、色あせた紙切れを一枚取り出した。
「このリストのやり残したことを全部付き合ってくれたら、離婚協議書にサインするわ」
慎吾は知らない。かつて私が彼とずっと一緒にいたくて、任務を勝手に中断していたことを。
このリストさえ終えれば、私は元の世界に戻り、慎吾の前から跡形もなく消えることになる。
第1話
この世界に迷い込み、石川慎吾(いしかわ しんご)を攻略して8年目。彼から離婚協議書を渡された。
そこには、自宅と財産のすべてを私に譲ると書かれていた。
唯一の条件は、離婚後に二度と慎吾に関わらないこと。全部、村上綾菜(むらかみ あやな)っていう女の子がいたから。
「綾菜は、お前とは違うんだ。嫉妬深くて、俺への独占欲も強いから。
お前のせいで綾菜を悲しませたくない」
私はそれを受け入れた。代わりに、色あせた紙切れを一枚取り出した。
「このリストのやり残したことを全部付き合ってくれたら、離婚協議書にサインするわ」
慎吾は知らない。かつて私が彼とずっと一緒にいたくて、任務を勝手に中断していたことを。
このリストさえ終えれば、私は元の世界に戻り、慎吾の前から跡形もなく消えることになる。
慎吾は忘れていた。システムに課されたこの進行度ゲージ付きの任務リストが、かつて彼自身が書いたものだということを。
だから慎吾は眉をひそめ、ヒラヒラと落ちるその紙切れを払いのけた。
「美優(みゆ)、俺たちの結婚はもう終わりなんだ。
たとえ綾菜がいなくても、あと1ヶ月あったとしても、結果は何も変わらない」
慎吾は真っ直ぐな瞳で私を見つめる。
「分かるだろう?」
私に、納得しろと言うの?
結婚して6年。慎吾と一番愛し合っていた頃、私は交通事故に遭い、死の宣告が何度も下された。
慎吾は手術室の前で膝をつき、どうか命を助けてほしいと神に祈っていた。
それなのに、やがて二人の愛は、日々の暮らしの些細なことで磨り減り、喧嘩ばかりになった。慎吾は私に付き合ってテレビの前で10分過ごすくらいなら、庭で2時間タバコを吸う方を選んだ。
結局、一緒に過ごそうとすらしてくれなくなった。
今や慎吾は、言い争うことさえ時間の無駄だと思っているのだ。
私は視線を落とした。今の慎吾のような露骨な拒絶を見たら、まるで居場所を失ったような気がするから。
「慎吾、別に何かを変えるつもりはないわ。
ただ、あなたが村上さんのために条件を出すなら、私にだって条件はあっていいはずよ。
取引だと思ってちょうだい。終わったら、お互い貸し借りなしで、赤の他人になるわ」
あえて口にしなかったことが、あと一つある。
それが終われば私は元の世界に帰り、慎吾の前から完全に姿を消すということだ。
慎吾はきょとんとした顔で、離婚協議書を握りしめた。
私は薬指から結婚指輪を外し、昔慎吾がそうしてくれたように、丁寧に手のひらに載せた。
「もし断るなら、これにサインしないから」
慎吾の呼吸が少し荒くなる。その瞳には押し殺した怒りが宿っていた。
「俺を脅すのか?」
私は首を縦に、そして横に振った。「どう取られても構わないわ」
「美優」という私の名前など何の意味もない。しかし、この名前が離婚協議書に記されたことで、結果的に慎吾と綾菜の将来を後押しする形になった。
沈黙の後、慎吾は歯を食いしばり、「分かった」と言った。
慎吾は逃げるように慌ただしく2階へ上がり、荷物をまとめてきた。
スーツケースを引いて玄関を出る時、彼は立ち尽くす私を振り返った。
「美優、リストのことは全部付き合ってやる。
だが、俺がやり直そうと思っているなどと期待するなよ。
一生、そんな望みは持つな」
慎吾はそう吐き捨て、ドアを乱暴に閉めると、隙間風が入り込み、紙がパサパサと音を立てる。
私は深呼吸し、静かにリストを拾い上げた。
【手をつないで、海辺を散歩する。
流星群を一緒に見上げながら、二人が一生離れないようにと祈る。
お互いのために手料理を振る舞い、残さず食べる】
……
リストは94番目で止まっていた。【一緒に山頂で日の出を見る】
3年前、システムはこのリストを最終攻略ミッションに指定した。これら全てを成し遂げれば……
第2話
私はこの世界から、強制的に元の世界へ送り返されることになっていた。
慎吾のそばにいたくて、私はそのリストを中断させた。
正直、あの頃すでに二人の仲は冷めきっていた。
私がやめようがやめまいが、慎吾がもう一緒に最後まで付き合ってくれないことは分かっていた。
それでも、慎吾から離れるのが怖かった。
この中だるみみたいな時期を乗り越えれば、きっとまた元の愛情あふれる二人になれるはずだ。
慎吾はまだ、私を愛しているはずだ、と信じていたかった。
そんな時、綾菜が慎吾の前に現れた。
綾菜は熱烈で、どこか生き生きとしていた。止まっていた慎吾の心を、そっと揺らすように。
そしてとうとう慎吾は、綾菜のためにと私に離婚協議書を突きつけた。
リストの最後、101番目に書いてあった一文が目に留まった。それは書いたあとに、消されていた。
【髪が白くなるその日まで、ずっと一緒にいよう】
あの頃、慎吾は真剣な眼差しで、誓うように私に言った。
「二人で添い遂げるのは、紙に書くことじゃなくて、心の中に誓うことだ」
残念だけど今では、慎吾にも、そして私にも、そんな気持ちは欠片も残っていない。
慎吾に去る意思があり、私にも出て行く覚悟があった。
翌日の午前2時、裏山へ朝日を見るために、ホテルで待ち合わせをしていた。
そして30分後、慎吾は現れた。
その後ろから、綾菜を連れて。
私の薄手のウェアには目もくれないのに、慎吾はコートとマフラーに包まった綾菜の寒さをひどく気遣っていた。
「慎吾、もう風邪は治ってるし、そんなに心配しなくていいよ」
綾菜が口をとがらせて甘えると、慎吾は慣れた手つきでマスクをしてあげた。
「さっき、寒いだの起きたくないだの泣き言言ってたのは誰だよ?数日前までベッドでうなされてたのは誰だ?」
「もう慎吾ったら、そんなこと言わないで!人がいるんだから!」
綾菜は赤くなって慎吾を制し、彼の胸元に照れくさそうに縮こまった。
慎吾はそんな綾菜を愛おしそうに撫でた。しかし、私という「他人」に視線を向けた時、いつもの無表情に戻った。
「準備ができたなら、行こうか」
私は何も言わずに頷き、自分から進んで後部座席に座った。
今まで私の特等席だった助手席は、今はもう綾菜の好みのぬいぐるみで山積みになっていた。
助手席も、そして慎吾も、もう完全に綾菜のものだった。
車は順調に進み、山麓に到着したのはもう4時近くだった。
小さな山で、1時間もあれば登れる。
元は、山頂で日の出を見たいと言った私のわがままを叶えるために、慎吾が見つけてくれた場所だ。
ところが綾菜は、「疲れた」だの「足が痛い」だのと大騒ぎした。
慎吾は、久しく見たことのないほどの辛抱強さで、驚くほど優しく声をかけて、結局ずっと綾菜を背負って登り切った。
それでも、日の出には間に合わなかった。
橙色の太陽がすでに雲の上へ昇り、山頂の寂れた景色を照らし出していた。
綾菜は突然、わんわんと泣き出した。
「美優さん、ごめんなさい、私のせいだわ。
私さえついてこないで、こんなに手間をかけさせなければ、美優さんは朝日が見られたのに」
車内から今まで、私が一言も発していないことは慎吾も分かっているはずなのに。
それでも慎吾は、私を睨みつけながら、綾菜を背中に隠すように守った。
「美優、お前が前もって計画を立てないからだろう。綾菜が悪いわけじゃない。
どうしても文句があるなら、次は二人だけで来てやる」
慎吾はそう軽く言う。あたかも私が欲しがっているのは、ただ彼と日の出を見るということだけのように。
昔はそうだった。それが、私たちの愛の証だったから。
でも今は違う。
システム通知でタスクの94番目が完了したことを知り、私は首を振って穏やかに「いいえ」と答えた。
慎吾は、気にも留めなかった。
彼は優しく綾菜の涙を拭き、笑わせようと、ずっと眠っていたバッグの中のカメラを引っ張り出し、彼女を撮り始めた。
第3話
「慎吾、カメラのメモリがいっぱいみたい」
綾菜が困ったような顔で言った。
慎吾は私を一瞥してからカメラを受け取り、操作した。
「昔の無駄な写真ばかりだ。消せばいい」
私と慎吾が付き合い始めてから結婚するまでの、長い数月をを記録した写真が、あっけなく初期化された。
二人を見ないようにして、私はフェンスに掴まり、遠くの太陽を眺めた。
リストの完了まで、あと6つ。
山を下りて、慎吾はまず綾菜を家まで送った。
車のドアにもたれかかって綾菜が建物に入るのを見送る。風がタバコの匂いを運んできて、私は慎吾に言った。
「やめたんじゃないの?」
慎吾は話しかけられたことに気づかなかったのか、数秒してから答えた。
「悩み事があるときだけだ。これで頭がすっきりする」
白くたなびく煙の中で、慎吾は私を振り返った。
「美優、俺にはまだ分からない。どうしてリストなんてこだわるんだ?俺たちにもう可能性はないだろう」
いつも慎吾がこういう話をするときは、やけに真剣になる。
かつて私と結婚の誓いを交わした時と同じような表情で。
そんな情熱的だった過去が、今では見る影もないほど哀れだ。
私は目の奥が熱くなるのを堪えながら、言い返すよりも早く、慎吾は言葉を重ねた。
「いいさ、深く考えないことにした。
残りの内容にはもう、綾菜は連れて行かない。だからお前も約束を守って、期日がきたらサインをしてくれ」
慎吾はタバコの火を踏み消し、運転席のドアを開けた。
「タクシーはすぐ拾えるだろう。一人で帰ってくれ。
俺たちが二人きりで乗ったら、綾菜が拗ねるから」
拗ねる……
慎吾が一番よく使うようになった言葉だ。
結婚して6年。最初の3年、私は慎吾に事細かな報告と、常に甘やかすことを求めていた。
慎吾は最初こそ喜んでいたが、次第にそれが重荷になったようだ。
「美優、いつまで疑ったりして……そんなに執着しないでくれ。疲れるんだ」
そう言われ、私は慎吾が望むような妻になった。
夜中に何時に帰ろうと問い詰めず、慎吾が誰を助手席に座らせようと気にしない。
慎吾のために腕を磨いた料理も、もう振る舞うことはなかった。
しかし、そうして突き放すと、今度は「もう愛がない」と言う。
そして、慎吾は綾菜が好きになった。
「綾菜は俺への独占欲が強いんだ。出先では細かく連絡をしないといけない。
綾菜は焼きもち焼きでさ。お前にあげた昔の物は、全部捨ててくれよ」
かつて慎吾が「重荷」と切り捨てた言葉が、今や彼自身の幸福の源となっている。
……
翌日からも、慎吾は真面目にリストの消化につき合ってくれた。
ずっと行っていなかった小さな定食屋へも行った。
慎吾がまだ売れない頃、ここの定食が何よりものご馳走だった。
店はまだあるけれど、店主が変わったからか、味も少し変わってしまった。
慎吾は少しも気にせず、道中の景色をスマホで綾菜に報告し続けた。
卒業した大学のキャンパスにも立ち寄った。
図書館で20歳の慎吾が私に手紙を渡したあの場所。
【連絡先を交換してくれませんか?】
今の28歳の慎吾は本棚に隠れて、綾菜の機嫌をとるのに必死だった。
……
システムから「完了」の通知が立て続けに届いた。
これほどの速さで終わるということは、慎吾は私というしがらみを一日でも早く清算して離れたいのだ。
リストの100番目が完了した日。それはありふれた、平凡な一日だった。
第4話
慎吾と映画館から出てくると、彼は映画の台詞をぼやき始めた。
「あの時、目の前に誠実な愛があったのに、それを大切にしなかった。
失って初めて後悔した。生きていて、これ以上の苦しみはないだろう」
慎吾は苦笑した。例のリストを作ったあの日も、二人で同じ映画を見ていたからだ。
あの頃の慎吾は私を抱きしめて、「俺たちがすれ違うなんてことは絶対にない」と言った。
でも、今私を見つめる慎吾は「あの時の俺たちは、随分と幼かったな」と笑う。
「そういえば後輩が俺のラインを聞いてきたとき、お前が俺の腕にすがりついて……
『すみません。この人、私の彼氏なので』って」
「すみません、この人、私の夫なので」
過去の思い出と現実の声が、頭の中で重なった。
あの頃と同じように、連絡先を渡そうと寄ってきた二人の女性。私は慎吾に代わって、その誘いを断った。
二人が慌てて「すみません」と謝り、足早に遠ざかっていく。
慎吾は、ただじっと私を見つめたまま、言葉を発さなかった。
リストの100項目を全て終えたのに、システムからのクリア通知は一向に届かない。
私は呆然としている慎吾に、「どうしたの」と尋ねた。
長い沈黙の後、慎吾はどこか懐かしむように、そして惜しむように笑った。
「なんでもない」
私はそれ以上聞くのをやめて、お互いに一言も交わさないまま歩き続けた。
慎吾から離婚協議書の話も出ず、私も切り出さなかった。
3月末、空が急に曇り始め、すぐに小さな雪が舞ってきた。
慎吾は私をバス停まで見送った。
見上げると、ほんの少しの時間の間に、お互いの頭が雪で真っ白になっていた。
「二人で降る雪が、今の私たちを包み込んでいるね」なんて言葉がふとよぎった。
かつては大切に胸に留めておくべきことだったのに、二人がもう離れようとしている今になって、こんな形で滑稽に果たされるなんて。
バスが止まって、私は堪えきれずに涙を流して笑った。
こんなにも別れ際なのに、私はまだ慎吾を愛していることに気づいたからだ。
慎吾は今までと違って、背を向けて去ろうとはしなかった。
雪の中、慎吾は私の名前を呼んだ。でも車の音に遮られ、なんて言ったのか聞き取れない。
私がバスには乗らず立ち尽くしていると、慎吾は綾菜からの電話に出た。
「慎吾、いい報告があるの。あなた父親になるのよ!」
すぐに2台目のバスが来て、私はそれに乗り込んだ。
頭の上に積もった雪は、暖かい車内の空気に触れた瞬間に溶けて消えてしまった。
追いかけてくる慎吾の姿が、なぜか滑稽で間抜けに見えた。
「攻略任務101項目完了。3秒後、死亡処理を実行し、本世界から離脱します。
3」
バッグの中に隠しておいた離婚協議書を取り出し、丁寧に、一画一画、名前を書き記す。
「2」
さっき、バス停で慎吾が何と言ったのか、ようやく思い出した。
「美優、今のその焼きもちを焼く顔、俺たちがまだ愛し合っていた頃にそっくりだよ」
「1」
凄まじい衝撃音と共に、視界が真っ赤な血の色に染まっていく。
パニックに陥った群衆の悲鳴、呼びかける声、泣き叫ぶ声が混ざり合う。
慎吾が乗っている黒い車のドアが激しく突き飛ばされ、彼は車から転がり出た。
顔面蒼白で何かを叫びながら、よろめきつつもこちらへ駆けてくる。
意識が遠のく中、私は穏やかに微笑んだ。
「慎吾、今度こそ、本当にお別れね」