愛は散りゆく花のごとく

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愛は散りゆく花のごとく

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結婚後、私――小西詩央里(こにし しおり)は夫の小西京志郎(こにし きょうしろう)と共に、絶海の孤島にある海上風力発電の建設拠点へと移り...

Chương (1)

第1章

結婚後、私――小西詩央里(こにし しおり)は夫の小西京志郎(こにし きょうしろう)と共に、絶海の孤島にある海上風力発電の建設拠点へと移り住んだ。 冬の嵐で補給船が途絶えて数週間。せめて髪を洗いたいと、わずかな生活用水の追加配給を申請した。 しかし、所長である彼に冷たく却下された。 「貴重な真水は設備の保守作業が最優先だ。お前も少しは環境に適応して我慢しろ」 だがその直後、実習生の荒木真未(あらき まなみ)が更新したSNSを目にしてしまう。 【ドラム缶風呂に入ってみたいって言ったら、小西所長が二つ返事でたっぷりの真水を割り当ててくれた上に、目隠しのテントまで張ってくれたの。幸せすぎる〜】 怒りに震え、京志郎を問い詰めた。 普段は冷徹な彼が、この時ばかりは珍しく声を和らげた。 「ここの環境は過酷だろ。万が一真未が耐えきれずに辞めたら、ただでさえ足りない人手がもっとキツくなる。 お前はシステム管理の中核メンバーだ。プロジェクトの特別報酬だってかなりの額になる。あいつはただの実習生なんだから、少しは大目に見てやってくれ」 湧き上がる悔しさを呑み込んだ。 そして、第一四半期のフェーズが完了した時のこと。 いつまで経っても口座に振り込みがないため、不審に思って本社へ連絡を入れた。 名前を告げると、電話の向こうの担当者から怪訝な声が返ってきた。 「実習生の小西さんに特別報酬なんて出るわけないでしょう?それに、システム部門の責任者は最初から荒木真未さんですよ」 送られてきた人員名簿にある、京志郎の直筆サインを見つめる。 その瞬間、すべてを悟った。 私は静かに荷物をまとめ、本土へ帰る乗船券を予約した。 最果ての離島に吹き荒れる海風は、ひどく冷たい。 もう二度と、ここには残らない。 第1話 結婚後、私――小西詩央里(こにし しおり)は夫の小西京志郎(こにし きょうしろう)と共に、絶海の孤島にある海上風力発電の建設拠点へと移り住んだ。 午前一時、宿舎の暖房が突然切れた。 寒さに身を縮ませながら、京志郎に電話をかける。 電話の向こうからは、絶え間ない欠伸まじりの声が聞こえてきた。 「変電所の話じゃ、配線がイカれて復旧作業中だってさ。直るのは明日の朝になるな。 寒いなら湯たんぽでも多めに用意しろよ。想定外のトラブルなんだ、俺に言われたってどうしようもないだろ」 こちらが口を開く間もなく、ツー、ツーという無機質な音だけが受話器から響いた。 寒気はますます鋭さを増し、骨の髄まで容赦なく刺してくる。 私は歯を食いしばり、布団をさらにきつく体に巻きつけた。 ピコン、と通知音が鳴り、スマホの画面が再び明るくなった。 横目で画面を見ると、荒木真未(あらき まなみ)がタイムラインに投稿したところだった。 写真の中の彼女は、半袖シャツ一枚という軽装で、アイスキャンディーをくわえていた。 「小西所長が発電機を届けてくれて助かったー!今夜は凍えちゃうところだった」 その写真を、ただじっと見つめ続けた。 怒りが湧くと思っていた。惨めさに泣きたくなると思っていた。 以前のように、胸が締め付けられるように痛むはずだと思っていた。 だが、何も感じなかった。 ただひたすらに疲れていた。 重くのしかかるまぶたを持ち上げる気力さえ湧かないほどに。 翌朝、目覚まし時計が鳴り響いた。 ベッドに力なく横たわったまま、どうしても起き上がることができない。 全身をロードローラーで轢かれたかのように重く、体の節々が軋んで痛んだ。 力を振り絞って医務室へ向かうと、体温を測った看護師の永田美紗子(ながた みさこ)は、その数値を見て思わず眉をひそめた。 「詩央里さん、四十度も熱がありますよ。解熱剤だけじゃ体力が持たないから、特別支給の栄養剤も追加しておきましょうね」 保険適用外となるそれらの特別支給品を受け取るには、社員用の福利厚生ポイントを切る必要がある。 社員用決済IDの残り少ないポイント残高を見て、私は苦笑いを浮かべて首を振った。 離島の拠点では、本土から輸送される物資が慢性的に不足している。 そのため、基礎的な保障以外の限られた物資を公平に分配すべく、スタッフには皆、職級に応じた福利厚生ポイントが一律で付与されていた。 現場の技術者である私なら、本来毎月一万二千ポイントが付与されるはずだ。 半年前、真未が拠点にやってきた。実習生である彼女の付与額は三千ポイントしかなかった。 新人の面倒を見るという名目で、京志郎は私と彼女のポイント枠を入れ替えた。 「真未がこっちの生活に慣れるまでの数ヶ月だけだ。後でちゃんと元に戻すから、足りないなら俺のポイントを使えばいいだろ」 反対できるはずもなく、渋々承諾するほかなかった。 それでも、彼のポイントに手をつける気にはなれなかった。 拠点の生活は本土とは勝手が違う。船での物資輸送には莫大なコストがかかり、一度減ればすぐには補充がきかない。 現場所長という立場上、京志郎はあちこちに気を配らなければならない。 額面は多く見えても、実際には余裕などない。 少しでも節約しようと、どんなに苦しくても歯を食いしばって耐えてきた。 しかし今日ばかりは、熱で視界がぐらぐらと揺れていた。 散々迷った末、京志郎のID番号を告げた。 美紗子がうつむいて端末を操作した。 ふいに顔を上げ、深刻な表情でこちらを見つめる。 「強い成分の解熱剤は妊婦さんには使えないんですよ。別のお薬に変えますね」 思考が真っ白になった。 「……え、今なんて?」 私が言い終わるや否や、彼女はモニターをこちらに向け、社内システムの購買履歴を指差した。 「小西所長、今月は妊婦用のカルシウム剤やマタニティ用の葉酸サプリ、それから栄養剤もたくさん買ってますよ。 大人の男の人が飲むものじゃないし、詩央里さんのために用意してるに決まってますよ」 不意に悪寒が走った。 私自身は、妊娠など微塵もしていない。 ならば、京志郎は一体誰のためにこれを買ったのだろうか。 第2話 答えは考えるまでもなく明らかだった。 鋭い針が心の奥深くまで突き刺さったような痛みが走る。 宿舎に戻り、ドアを閉めた瞬間、私の身体は完全に限界を迎えた。 膝から崩れ落ちるようにベッドに倒れ込み、もはや指一本動かす気力もなかった。 どれくらい眠っていたのだろうか。 まどろみの中、微かに誰かの声が耳に届いた。 重い瞼を押し上げると、いつの間にか京志郎がベッドの傍らに腰を下ろしていた。 彼は心配そうな面持ちで私を覗き込んでいた。 「今日一日出勤してないって部署の奴から聞いたぞ。何かあったんじゃないかって、会議が終わってすぐ飛んできたんだ」 彼はそう言って、私の額に手を伸ばした。 「少しは良くなったか?どこか具合でも悪いのか?」 私は無意識に顔を背けた。 その拒絶のしぐさに、京志郎は微かに眉をひそめたが、声のトーンはかえって優しくなった。 「俺は真未の上司でもあるんだ。あいつを気にかけるのは当然のことだろ。 ここ最近、お前に窮屈な思いをさせてたのは悪かった。でも、俺にも埋め合わせのチャンスをくれないか? 欲しいものがあるなら何でも言ってくれ、できるだけのことはするから」 彼の瞳の奥に浮かぶ、ひどく見知らぬ優しさを見つめながら、私は呆然としていた。 やがて乾いた唇を開き、かすかな声で告げた。 「……じゃ、離婚して」 京志郎は一瞬虚を突かれたような顔をし、聞き間違いだとでも言うように笑った。 「熱で頭がおかしくなったのか?何を馬鹿なこと言ってるんだ」 私は首を横に振り、同じ言葉を繰り返す。 「言ったでしょ……離婚するって。 このお願いなら、聞いてくれる?」 言い終わるや否や、京志郎の顔から笑みが完全に消え失せた。 彼は勢いよく立ち上がり、声を荒げた。 「いい加減にしろ!いい大人が若い娘に嫉妬して、こんな些細なことで離婚騒ぎを起こすのか? いつからそんな聞き分けのない女になったんだ!」 私が言葉を継ぐよりも早く、彼は怒りに任せてドアを乱暴に閉め、立ち去っていった。 私はベッドのヘッドボードに寄りかかり、思わずため息をこぼした。 京志郎は全く理解していないようだ。 先ほどの言葉は、決して彼の同意を求めるものではないということを。 離婚は、お願いではない。 最後通牒なのだ。 外の気配が完全に消えたのを確かめ、スマホを手に取る。 画面には1件のメッセージが表示されていた。 それは本土へ向かうフェリーの乗船券の予約完了通知だった。 時間は明日の午後。 まだ十時間以上の余裕があるとはいえ、この未開発エリアから港のフェリー乗り場までは、車で少なくとも二時間はかかる。 私は疲れ切った体を押して、急いでスーツケースを引きずって部屋を出た。 何しろ、この建設拠点から港町へ出るための唯一の交通手段は、社内用の連絡バスしかないのだから。 バス停に着くと、運良く本日の最終便に間に合った。 車に乗り込み、社員証を取り出してカードリーダーにかざした。 ピッ―― 次の瞬間、機械から無機質なエラー音が鳴り響く。 【無効なカードです。再度タッチしてください】 心臓が跳ね上がり、慌ててもう一回かざし直したが、結果は同じだった。 運転手がちらりとこちらを一瞥し、淡々と業務的な声で告げた。 「お客様、カードがエラーになっております。まもなく発車時刻となりますので、別のカードをお持ちでなければ、恐れ入りますが一度お降りいただけますでしょうか」 すでに他の乗客からも不満の声が漏れ始めている。 私は仕方なく、スーツケースを引いてバスを降りた。 スマホを取り出し、社内システムにログインする。 そこでようやく、三十分前に自分の社員証のアカウントが凍結されていたことに気がついた。 考えるまでもない、京志郎の仕業だ。 現場所長である彼以外に、こんな権限を発動できる人間などいるはずがない。 ここから立ち去るためには、彼に凍結を解除させるしか道はない。 京志郎のオフィスの前にたどり着くと、ドアは少しだけ隙間が開いていた。 「京志郎さん、今身体がデリケートなんだからぁ。お医者さんにも、安定期に入るまでは無理しちゃダメって言われてるし……」 「分かってるさ。ただ抱きしめるだけだ、何もしないよ」 やがて、再び真未の甘ったるい声が漏れてきた。 「今日詩央里さんすごく怒ってたけど……もし、本当に離婚するってなったらどうするの?」 「安心しろ。あいつの社員証の権限は凍結してやったから、どこへも行けやしないさ」 京志郎は鼻で笑うように吐き捨てた。 「数日したら機嫌を取ってやるよ。適当に甘い言葉でも囁いておけばいいんだ。いつもそうやって収まってるだろ?」 真未が声を潜める。 それでも諦めきれないように、なおも食い下がった。 「それでも……どうしてもここを出ていくって聞かなかったら?」 その言葉に、京志郎はまるで世界一の冗談でも聞いたかのように笑い飛ばした。 「出ていくったって、あいつに帰る場所なんてあるのか? あいつの両親、一昨年に交通事故で死んでるんだぜ。実家に帰るなんて……ここ以外に、あいつの帰る家なんてどこにもないんだよ」 頭の中で激しい耳鳴りがした。 心臓が胸を突き破って破裂しそうだった。 第3話 この凄惨な事実から立ち直る猶予すら与えられないまま、室内から真未の呟くような問いかけが漏れ聞こえてきた。 「詩央里さんが悲しむと思って、ずっと隠してあげてたの?」 京志郎は一瞬、間を置いた。 「まさか。ちょうど洋上風力発電のフェーズ移行で忙しい時期と重なっただけだよ。 詩央里はシステム管理の中核だからな。葬儀のために本土へ帰らせたら、往復で少なく見積もっても半月は穴が空く。 工期が遅れるのはもちろん、戻ってきてから慰めるのも面倒極まりないだろ」 その瞬間、私の心は完全に崩れ去った。 両親が亡くなったことを私に黙ったまま、最後に顔を合わせる機会すら、この男は残酷に奪い去った。 そればかりか、私が悲しむことを案じたわけではない。 ただ私が離れることで、プロジェクトの進捗に支障が出ることを嫌っただけだった。 あの年、私は高額な年俸のオファーを蹴ってまで、家族の猛反対を押し切り、彼と共にこの離島へ来ることを選んだ。 そのせいで両親とは大喧嘩になり、絶縁状態にまで陥ってしまったというのに。 家を出て一年目、母からは何度もメッセージが届いていた。 【詩央里、そっちは寒くない?最近冷え込んできたから、暖かくしてね】 【詩央里、今年のお正月は帰ってこられそう?大好物を作って待ってるから。お父さんとお母さんのこと、もう許してね】 【お父さんは口に出さないけど、本当はすごく会いたがってるよ】 1件、また1件と。 すべてに目を通していたのに、返信しなかった。 あの時はただ意地を張っていただけだった。 返事なんてしなくていいと思い込んでいた。 どうせ京志郎のいる場所が、私の家なのだからと。 その後、メッセージは次第に途絶えた。 いざ両親と連絡を取ろうと自ら電話をかけた時には、すでに使われていない番号となっていた。 長い間連絡を絶っていたせいで、両親が本気で怒り、私を娘として認めるのをやめたのだと思っていた。 それからの長い間、私は落ち込み、誰もいない場所で隠れて涙を流す日々が続いた。 それを見つけた京志郎は私を抱き寄せ、優しい声で慰めてくれた。 「詩央里、ほら、泣かないで。プロジェクトも軌道に乗ってきたし、仕事が落ち着いたら一緒に帰って、ご両親にちゃんと謝ろう。 親子の縁は切れないって言うだろ。何だかんだ言っても実の娘なんだから、きっと分かってくれるよ」 彼の肩に寄りかかりながら、私は心強さと同時に深い罪悪感を抱いていた。 今の仕事が落ち着いたら本土へ帰省して、絶対に親孝行をしようと心に誓っていた。 まさか、両親がすでにこの世を去っていたなどと…… あんなにも愛した男が、人の心すら持たない化け物だっただなんて、思いもしなかった。 私は震える手を伸ばし、ドアノブに手をかけた。 だが、最後の瞬間に力が抜けた。 すべてを悟った今となっては、これ以上何を問い詰める必要があるだろうか。 ましてやドアの向こうにいるのは、この先一生、二度と顔も見たくない人間たちだ。 結局、私はドアノブから手を離した。 スーツケースを引いて、そのままオフィス棟を後にする。 建物の外に出る。 最終バスを逃し途方に暮れていると、背後から不意に名前を呼ばれた。 振り返ると、医務室の看護師、美紗子が立っていた。 私がスーツケースを持っているのを見て、彼女は目を丸くした。 「詩央里さん、どこか行くんですか?」 ひどく掠れた声が口を突いて出る。 「ええ、しばらく休むことにしたの。フェリーも取れたし、少し気晴らししてくるわ」 それを聞いた美紗子は、少し離れたバス停に目をやり、口元をへの字に曲げた。 「今日の最終バスはもう出ちゃいましたよ。フェリーの出航時間、間に合いますか?」 私は諦めの溜息を漏らした。 「そうね、たぶん無理かも。チケットを変更するしかないわ」 そう言うと、美紗子は歩み寄り、私の肩をポンポンと叩いた。 「港町に住んでる私の彼氏が、ちょうど生鮮食品の配達を終えて帰るところなんですよ。今ならまだ駐車場にいるはずだから、ついでに送ってもらいましょうか?」 願ってもないこの幸運を、無下に断るはずがなかった。 十分後。 軽トラックが一台、目の前に停まった。 美紗子の恋人が窓から顔を覗かせる。 「小西主任、早く乗ってください。今から出れば、フェリーの出港に間に合いますよ」 まもなく、便乗させてもらった車は建設拠点のゲートを通り抜けた。 五年間も過ごしたこの場所を静かに見つめる。 去り際だというのに、心にはもう一欠片の未練も残っていなかった。 車窓の外では相変わらず海風が吹き荒れている。 だが頬を撫でる風は、不思議とそれほど冷たくは感じられなかった。 シートに深く背を預け、窓越しに遠ざかっていく拠点の灯りの群れを見つめる。 思わず口角が上がった。 京志郎。 私たちはもう二度と、顔を合わせることはない。