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世界が巡っても、二度と逢わない
父が支援していた苦学生の津戸彰人(つど あきと)が薬を盛られた時、私・豊松純菜(とよまつ じゅんな)は自分の意思で彼に抱かれた。 ただ...
Chương (1)
第1章
父が支援していた苦学生の津戸彰人(つど あきと)が薬を盛られた時、私・豊松純菜(とよまつ じゅんな)は自分の意思で彼に抱かれた。
ただ、十年もの間、彼を愛し続けてきたから。自分を捧げることに、一片の迷いもなかった。
けれど、彼の幼馴染である栗下美々(くりした みみ)が私たちの愛し合う瞬間を目撃してしまい、動揺して外に飛び出した直後、車に跳ねられて命を落とした。
彰人は私を抱き寄せ、「お前のせいじゃない」と優しくささやき、プロポーズしてくれた。
その言葉を信じた父は、会社のすべてを彰人に譲り渡した。
しかし彼は結婚式の前日に、わざと仕組んだ交通事故で父を死に追いやった。
私が深い悲しみに沈んでいた時、彰人は私を山奥へ連れ出した。
そして、何度も何度も車で私の体をひき潰した。美々が死の間際に味わった苦痛を、私にも味わわせるためだけに。
「お前が薬なんて盛らなければ、俺がお前を抱くことなんてなかったんだ!美々があんなことになるはずもなかった!憎い……お前も、お前の父親も、全員死んでしまえ!」
耐え難い激痛の果てに、私は彰人が薬を盛られたあの日へと戻っていた。
第1話
父が支援していた苦学生の津戸彰人(つど あきと)が薬を盛られた時、私・豊松純菜(とよまつ じゅんな)は自分の意思で彼に抱かれた。
ただ、十年もの間、彼を愛し続けてきたから。自分を捧げることに、一片の迷いもなかった。
けれど、彼の幼馴染である栗下美々(くりした みみ)が私たちの愛し合う瞬間を目撃してしまい、動揺して外に飛び出した直後、車に跳ねられて命を落とした。
彰人は私を抱き寄せ、「お前のせいじゃない」と優しくささやき、プロポーズしてくれた。
その言葉を信じた父は、会社のすべてを彰人に譲り渡した。
しかし彼は結婚式の前日に、わざと仕組んだ交通事故で父を死に追いやった。
私が深い悲しみに沈んでいた時、彰人は私を山奥へ連れ出した。
そして、何度も何度も車で私の体をひき潰した。美々が死の間際に味わった苦痛を、私にも味わわせるためだけに。
「お前が薬なんて盛らなければ、俺がお前を抱くことなんてなかったんだ!美々があんなことになるはずもなかった!憎い……お前も、お前の父親も、全員死んでしまえ!」
耐え難い激痛の果てに、私は彰人が薬を盛られたあの日へと戻っていた。
……
彰人は苦しげにシャツの襟元をはだけさせ、鎖骨には細かな汗が滲んでいる。
彼はうわ言のように私の名前を呼びながら、どこか狂気じみた眼差しで私を射抜いている。
「……よくも、俺に薬なんて盛ったな」
彰人は低く唸るように声を絞り出した。
「出ていけ!」
私は一瞬足を止めたが、迷うことなく外へ歩き出した。
「……純菜、どこへ行くんだ?苦しいんだ……」
前世でもそうだった。
明らかに彼の方から私を押し倒したにもかかわらず、美々に不幸が訪れた途端、すべての責任を私に押し付けたのだ。
私はドアのそばに身を寄せ、中から漏れ聞こえる抑えた喘ぎ声を聞きながら、美々が現れるのを待った。
前世と同じように、美々はすぐにやって来た。
彼女は私の姿を見ると一瞬呆然としたが、すぐに警戒の色を浮かべた。
「何企んでるの?まさか、もう中に入ったんじゃないでしょうね?」
私は首を振った。
「彰人が中で待ってるわよ」
彼女は疑わしげに私をまじまじと見た。
「ドアの前に立ってるなんて、誰かに邪魔されたくないからでしょ?社内の誰もが、あなたが彰人にベタ惚れだってことくらい知ってるんだから。秘書を絶対に女にさせないようにしてたのも、あなたの差し金よね」
下心を言い当てられ、胸の奥がチクリと痛んだ。
そう、私は彰人が好きだった。誰もが知るほどに。父でさえ「あまりしつこくするな」と私を諭したくらいだ。
前世の私は、どうして彰人がその気持ちに気づいていないなんて思い込めたのだろう。私の尽くしを、彼は当然のように楽しんでいたというのに。
「これからは、もう好きじゃないから。早く入ってあげて」
美々は明らかに私の言葉を信じていない。
けれど、部屋の中にいる彰人の姿が目に入ると、彼女の瞳に喜びの色が走った。
「そうだといいわね」
彼女は私を脅すように睨みつけると、すぐさま中へと駆け込んでいった。
二人のためにドアを閉める瞬間、彰人の低く満たされたような吐息が聞こえた。
嫌でも中の光景が頭をよぎる。
彰人は前世で私にしたように、彼女の全身に軽く口づけを落とし、「お前が俺の初めての女だ。一生大切にする」なんて言うのだろうか。
――いいえ、私に対してよりもずっと優しく、神を敬うように扱うはずだ。
そんなことを考えていると、指先が無意識にドアの枠を強く掻いている。木のささくれが爪の中に刺さったが、痛みすら感じなかった。
これで、ようやく二人は結ばれた。
――想い合う二人が添い遂げる。それでいい。
そうすれば、少なくとも父が私に巻き込まれて死ぬことはないのだから。
これ以上盗み聞きする気になれず、私は自分の部屋へ戻り、震える手で父に電話をかけた。
七時間の時差があるけれど、父は私の電話を一度も無視したことがなかった。
「もしもし、純菜か?」
父の声には、まだ眠気が混じっている。
その声を聞いた瞬間、私は思わず口を押さえ、涙が溢れ出した。
「パパ……会いたいよ……」
前世で父が亡くなった際、私の結婚式に出席できなかったことを最期まで悔やんでいたのではないだろうか。
私が、父を死なせてしまったのだ。
「バカ。彰人のそばにいたいって言って、国内に残ったのはお前だろう?今さらパパが恋しくなったのかい」
第2話
「でも、今はどうしてもパパのそばにいたいの」
父の声から、一気に眠気が消えた。
「わかった、わかったから。すぐに知り合いの行政書士に連絡して、ビザの手配をしてもらおう」
母は早くに亡くなり、父のそばには私しかいなかった。
それなのに、私はずっと彰人の後ろばかりを追いかけていたのだ。
隣の部屋から聞こえる物音は、朝から夕方まで絶え間なく続き、屋敷中に響き渡っている。
私はダイニングルームに座り、ロボットのように手を動かして食事を口に運んだ。
食べ終わる頃になって、ようやく二人が階下へ降りてきた。
美々は足元がおぼつかない様子だが、その表情は幸せそうな赤らみに包まれている。
私は箸を置き、その場を立ち去ろうとした。
「なんだ、後ろめたいことがあって逃げ出すつもりか?」
彰人が私の腕を掴んだ。
彼は、心の底から私が薬を盛ったと思い込んでいる。
彼の中では、私はそれほど悪い女なのだ。
私は精一杯、取り繕った微笑みを浮かべた。
「そんなことないわ。ただ、お腹がいっぱいになったから、二人の邪魔をしたくないだけよ」
すると、彰人の顔が険しく歪んだ。
「そうやって、思ってもいないことを口にする醜い姿に、自分で気づかないのか?」
隣では、美々も蔑むような視線をこちらに向けている。
私はテーブルクロスを強く握りしめた。彰人は他人の前で私を辱めることを、決してためらわない。
「鈴木、これから食事は一人分増やしてくれ。美々は今日からここに住む」
家政婦の鈴木優子(すずき ゆうこ)は困り果てた様子で私を見た。
ここは私の家であり、彰人がここに住めているのも私のおかげだ。
それなのに彼は、勝手に他人を住まわせようとしている。
「これからは美々の言いなりになれ。敬語を使ってな」
美々は得意げに顎を上げた。
喉の奥がつりそうになった。
「ここの家主は私よ。どうして彼女に住まわせなきゃいけないの?」
彰人の顔色がぱっと変わった。
以前の私は、彼と過ごす時間を増やすために、「ここは自分の家のように使っていいよ」と言ったからだ。
その時、スマホが鳴った。
画面を確認すると、知り合いの行政書士からだ。
私はスマホを手に、そのまま二階へと向かった。
「彰人、純菜ちゃんは私のことを見下してるのかしら……ごめんなさい、私のせいであなたまで彼女の顔色を伺うことになっちゃって」
「美々のせいじゃない。俺があいつを甘やかしすぎたせいだ」
部屋に入る直前、振り返ると彰人の重苦しい眼差しと目が合った。
……
「豊松様、書類の提出は完了しました。優先枠で申請しましたので、あと二日もあれば下りるでしょう」
「分かりました。ありがとうございます」
あと二日。あと二日で、私はここを去る。
部屋を見渡した。
彰人のそばにいたい一心で、私は十年もの間、自分をここに閉じ込めてきたのだ。
「純菜、俺は一生懸命頑張る。お父さんの期待を裏切らないように。いつか会社に入って、お前を守って、一生お姫様にしてあげるから」
大学生の頃の彰人は、安っぽい服ばかり着ていたが、その瞳に宿る輝きは、どんな絶景よりも私を惹きつけた。
突然、ドアが開いた。
彰人だ。
「勝手に入らないで」
「また何のへそ曲げだ?今日、俺と美々のことがあったからか?」
彼は気にせず部屋の中に足を踏み入れた。
「二人のことは私には関係ないわ」
私は彼に背を向けたまま、荷物をまとめ始めた。
「強がってるのは分かってる。さっきはあんな風に冷たいことばかり言って。
さっきの電話は誰からだった?」
私のことを嫌っているくせに、見張りだけはしたがる。
この数年間、彰人は私が他の男性と関わることを一切許さなかった。
「あなたには関係ない。私にだって人付き合いの自由はあるわ」
彰人は不機嫌そうに顔を歪めた。
「お前が俺にどんな下心を抱いてるか、知らないとでも思ってるのか?俺が好きなのは美々だ。お前がこの先十年、俺に縋り付いたところで、付き合うことなんて絶対にない。
今朝、お前が自分から出て行ってくれて助かった。そうでなきゃ、お前とやるところだった。想像するだけで反吐が出る。まったくたたないぞ」
第3話
服を畳んでいた手が凍りついた。
――どうして、これほどまでの言葉で私を傷つけようとするのか。
私が彰人を好きなことが、そんなに許されない罪だというのだろうか。
どうして、こんな屈辱に耐えなければならないのか。
「出て行って。今すぐ、私の部屋から出て行って!」
声が震えている。
彰人が立ち去ろうとしなかったので、私は力任せに彼を外へ押し出した。
ドアが閉まる間際、彼の鋭い視線が突き刺さった。
「純菜、これからは美々に優しくしろ。
家族だと思って接しろ。さもなければ、俺はお前を一生許さない」
……
大使館での面接は滞りなく終わり、すぐにビザが下りた。
「明日の朝一番の航空券を予約してもらえますか」
「豊松様、そんなに急がれるのですか?」
「早ければ早いほどいいんです」
帰宅してドアを開けようとしたが、鍵が変えられていた。
「無駄よ。鍵はもう全部取り替えたから」
部屋の中から美々が出てきた。
「誰の許可を得てそんなことをしてるの?」
ここは父が私のために買ってくれた家だ。彼女にそんな権利があるはずがない。
「もちろん、私の未来の旦那であり、この屋敷の家主の許可よ。この部屋だけじゃない、家も中のものも、すべて私のものになるんだから。
まさか、まだここが自分の家だなんて思ってないわよね?」
――彰人は、それほどまでに急いで私を追い出したいのか。
美々は背後からジュエリーボックスを取り出し、蓋を開けた。
「さすがはお嬢様のものね。どれも高そうだわ」
「……返して!」
「それはできないね。彰人が私にくれるって言ったんだもの」
「彰人にそんな資格はない!」
私は必死に彼女の手から奪い返そうとした。
「中のものは全部あげてもいい。でも、そのブレスレットだけはママの……返して!」
そのホタルガラスのブレスレットは、母が亡くなる直前の誕生日に贈ってくれた、私にとって何よりも大切な宝物だ。
「あら、なんだか壊れやすそうね」
美々は、わざとブレスレットを放り投げる仕草を見せた。
「やめて!」
脈が激しく打つほどの恐怖に襲われた。
揉み合ううちに、ブレスレットが階下へと落ちていった。
パリンと、ガラスが砕ける高く鋭い音が響いた。
私は転がるように階段を駆け下りた。
ホタルガラスは無残にも砕け散り、拾おうとする手は震えて止まらない。
ガラスの破片が指に食い込み、いくつもの細かい傷が刻まれた。
胸の奥が、指先と同じようにチクチクと激しく痛んだ。
「何があったんだ?」
彰人が帰ってきた。
「彰人、ママの形見のブレスレットが……壊れちゃったの」
私は床に膝をついたまま、涙で絨毯を濡らした。
母が病気で亡くなった年、その辛い時期を共に乗り越えてくれたのは彰人だった。
このブレスレットが私にとってどれほど大切か、彼も知っているはずなのに。
彰人は私のそばにしゃがみ込んだ。
「どうしてこんなことに?
腕の良い職人を知ってる。そこへ持って行って、直してもらおう。な?」
「……本当に?本当に直るの?」
私は縋るような思いで彼を見上げた。
母の形見が元通りになるのなら、他には何もいらない。
「ああ、直るさ。だから泣くな、顔が台無しだぞ」
その時、階段を駆け下りる足音が聞こえた。
「彰人……純菜ちゃんが私に、彰人にふさわしくないから出ていけって。自分が手に入らないものなら、いっそ壊してやるって言って、自分でブレスレットを投げ捨てたのよ!」
「……違う、私はそんなことしてない!」
私は必死に否定した。
しかし、彰人は私のそばからゆっくりと立ち上がり、その疑いの眼差しが私を深く突き刺した。
美々は袖をまくり上げた。
「彼女、さっき私を叩いたの」
彼女の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
そこには、私のオーダーメイド指輪の跡が、確かに彼女の腕に残っている。
先ほどブレスレットを奪い合っていた時についたものだ。
第4話
「それは、彼女が先に……」
「嘘をつき、暴力を振るい、そして芝居。純菜、お前はいつからこんな風に成り下がったんだ?」
彰人は心の底からがっかりしたような表情で私を見た。
「純菜、お前は本当にひどい女だな。そんな手を使って同情を引き、美々に濡れ衣を着せて追い出そうとするなんて」
「違うの、本当に違うの!」
彼は私の手から、砕けたブレスレットを無理やり奪い取った。
「お母さんの形見まで使って哀れみを乞うとは、まじで最低な女だ」
彰人は破片を握りしめたまま、庭へと向かった。
彼の足は速く、私は追いつくのがやっとだ。
花壇の縁につまずいて転がり、地面に這いつくばりながら彼の後を追いかけた。
「何をするつもり?返して!ママのものよ!」
私は彼の腕に縋りつき、狂ったようにブレスレットを取り上げようとした。
その拍子に、彼の腕を爪で引っ掻き、一筋の血が滲んだ。
彰人は思わず私の頬を張り飛ばした。
「正気か?純菜、お前は一体どこまでふざけるつもりだ!」
――彼が……私を、叩いた?
生まれ変わってからというもの、私はただ彼らから離れたいだけだ。
愛なんていらない。家だって譲っても構わない。
それなのに、どうしてこれ以上私をいじめるのか。
「美々が私のものを奪おうとしたの。彼女がママのブレスレットを壊したのよ!なのに、どうして私を叩くの?どうして事情も聞かずに私を責めるの?」
「まだそんな見え透いた嘘を……昔はこんなに演技が上手いとは思わなかったぞ。
お前にはまじでがっかりだ」
彰人はブレスレットを高く掲げた。
そして、あろうことか、それを庭の噴水の中に投げ捨てたのだ。
「やめて!」
私は迷わず噴水へと飛び込んだ。冬の冷たい水が、一瞬で全身の体温を奪い去っていく。
けれど、噴水の水は流れている。
ブレスレットの破片は瞬く間に流され、どこにあるのかさえ分からなくなってしまった。
「どうして、こんなひどいことをするの?」
私は水の中で膝をつき、唇を震わせた。
「お父さんが不在の間、お前を厳しくしつける必要があるんだ。
美々への償いとして、新しいジュエリーを20個買い揃えてこい。さもなければ、二度と俺の前に顔を出すな」
去っていく彼の背中を見上げた。
頬を伝う雫が、噴水の水なのか涙なのか、もはや判別がつかない。
……
「お嬢様、早く上がってください!風邪を引いてしまいます!」
家政婦の優子がタオルを抱え、必死に声をかけてくる。
私はずぶ濡れのまま噴水の中に座り込み、リビングで美々をなだめる彰人の姿を眺めている。
彼は、優しく美々の涙を拭ってやっている。
初めて彰人のことをキモいと感じた。
そして、こんな男を十年もの間愛し続けてきた自分を激しく呪った。
優子にされるがまま、体を拭かれ、温かい布団に押し込まれた。
熱があるのか、頭がひどく朦朧としている。
――パパに会いたい。
あと一晩、あと一晩耐えれば、私はここを離れられる。そうすれば、二度と彼らに会わずに済むのだ。
夜、ゲストルームで横になっていると、またしても彰人が断りもなく入ってきた。
彼は冷ややかな顔で、会社の経理部から受け取った支払明細書を手にしている。
「ビザの申請料金を支払ったのはどういうことだ?どこへ行くつもりだ?」
「あなたには関係ないわ」
私は彼に背を向けた。
「今日、俺が美々を庇ったから拗ねてるのか?」
彼は私のベッドの脇に腰を下ろした。
「美々は俺と同じように苦労して育ったんだ。お前はもっと彼女を思いやるべきだ。
それに、これはお前のためを思って言ってるんだ。俺のことが好きだからといって、お前が悪い人間に変わっていい理由にはならない。二度と今日のような真似はするな。ヤキモチにも限度があるだろう」
頭がふらつき、もう弁解する気力も残っていない。
「考えすぎよ。あなたと美々が結ばれるのを、心から祝ってるわ。これから先、私とあなたたちの人生が交わることは二度とないから」
第5話
彰人が私の手首を強く掴み、無理やり自分の方へ向かせた。
「純菜、いつからそんなに平気で嘘をつくようになったんだ?お前がどれほど俺を愛してるか知ってる。他の女が近づくことさえ許さなかったお前が、俺たちを祝うなんてあり得ないだろう」
私は目を赤く腫らしながら、彼の手を力任せに振り払った。
「昔はただ若かっただけ。でも、これからはもう違う。美々だろうと他の誰だろうと、もう気にしないわ」
「そんな強がりを言って。本当に出て行くつもりじゃないかと少し心配したが、確信したぞ。ただ拗ねてるだけなんだな。
お前のような箱入りのお嬢様に、俺に付きまとう以外に何ができる?牙を剥いて周りの人間を追い散らしてきたお前の姿には慣れてるんだ。今さら物分かりのいい振りをしなくていい。
いい子にしてろ。一生、何不自由ない暮らしをさせてやるから。自分にふさわしくないものまで欲しがるのは、もうやめるんだ」
彼は優しく布団をかけ直してくれた。
その動きを見て、私は手足が氷のように冷たくなり、こみ上げる吐き気を感じた。
彰人は不意に、机の上にあった真珠の髪留めを手に取った。
「これでも俺を好きじゃないなんて言うのか。八年前に俺が贈った安物を、まだ持ってるくせに」
なぜその髪留めがここにあるのか、私には分からない。
「きっと美々が、値打ちのない偽物だと思って、私の荷物と一緒に放り出したんでしょうね」
「値打ちのない偽物だ」という言葉で、美々と彰人の両方をなじった。
彼の顔色は瞬時に険しくなった。
「美々はそんなに欲深い女じゃない。お前が気にしてるだけだろう。
四年前、お前はこの髪留めのために、泥棒に刺されそうになっても決して手を離さなかったじゃないか」
当時の恐怖は、今でも思い出すことができる。
けれど、これが彰人からもらった唯一の贈り物だと思えば、命さえ惜しくないほどの勇気が湧いてきた。
かつての私は、彼からもらったものなら、たとえ100円の価値しかなくても宝物のように大切にしていた。
けれど今、彼が美々を連れて高級ブランドショップで湯水のように金を使う姿を見て、ようやく悟った。本当に愛している相手には、世界のすべてを捧げたいと思うものなのだと。
私は髪留めを奪い取ると、迷うことなく窓の外へ投げ捨てた。
彰人は思わず手を伸ばしたが、間に合わなかった。
髪留めはぽちゃんと音を立てて、噴水の中に消えた。
「正気か?」
彰人は怒りに任せて怒鳴り声を上げた。
「俺が贈ったものを、どうして捨てられるんだ!」
「好きじゃなくなったし、もう要らないから、捨てるのは当たり前でしょう」
私は静かに彼を見つめた。
その顔は怒りで青ざめていく。
彼は部屋にある私のスーツケースを一瞥すると、突然背を向けて出て行った。
そして、部屋のドアを外からガチャンとロックした。
「どこへも行かせない。ここで頭を冷やして反省しろ」
私は必死にドアを引いたが、びくともしない。
ドア越しに彼の声が聞こえてきた。
「お前は俺の大切な人だ。俺のそばには、いつまでもお前の居場所があるんだ」
――けれど、彼のそばなんて、私はもうこれっぽっちも居たくない。
夜が明けた。
彰人が市内の人気ウェディングドレスショップをすべて呼び寄せ、美々のためにウェディングドレスを選ばせている気配がした。
私はスペアキーを見つけてこっそりドアを開け、スーツケースを引きながら裏庭から抜け出した。
車に乗り込む前に振り返ると、優子が庭で涙を拭いながら手を振ってくれている。
――ここは私の家だ。彰人に縛り付けられる筋合いなんてない。
タクシーで空港へ直行した。十年もの間、私を閉じ込めていた籠に、最後の別れを告げた。