月明かりだけが、あの日の二人の愛を知っている

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月明かりだけが、あの日の二人の愛を知っている

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丸山孝之(まるやま たかゆき)の初恋の人、上野美月(うえの みつき)が離婚した。 離婚の裁判は、すべて孝之の手配によるものだ。 その後、...

Chương (1)

第1章

丸山孝之(まるやま たかゆき)の初恋の人、上野美月(うえの みつき)が離婚した。 離婚の裁判は、すべて孝之の手配によるものだ。 その後、孝之は美月を、私たちの新居に連れ込んだ。そして美月が猫アレルギーだという理由で、私の飼い猫を捨てさせた。 挙句の果てに、妊娠中の私を凍りつくような冷水プールに突き飛ばし、美月のネックレスを拾わせたのだ。 私が流産して入院している間に、孝之は美月の妊娠検査結果を持って、今年初めてのインスタを更新した。 【桜が咲いた。君が春を連れてきてくれた】 心身ともにボロボロだった私は、ただ静かにその投稿に「いいね」を押した。 孝之はそんな私を嫌悪感たっぷりに一瞥し、唇の端を歪めて卑劣な笑みを浮かべた。 「里香(りか)、君みたいな人間は、子供がいなくなっても当然だよ。 そんなに子供が好きなら、君も一緒にあの世へ行けばいいんだ」 だが孝之は知らない。私の命があとわずかだということを。 第1話 上野美月(うえの みつき)が新居に越してきたあの日、彼女の荷物はリビングを埋め尽くしていた。まるで主導権を握ったと誇示するかのように。 丸山孝之(まるやま たかゆき)は美月の腰を抱き寄せ、優しくカーディガンを肩にかけてあげていた。 「美月は退院したばかりで、体調がすぐれないんだ。それに、今は行くあてがない。俺たちが面倒を見るべきだ。 美月はこれまでずっと身寄りがなく、辛い思いをしてきたんだ」 あまりの馬鹿げた言い分に、頭が一気に冷めた。 「孝之、ここは私たちの新居だよ……」 「里香(りか)、いつからそんなに心が狭くなったんだ。美月は行くあてがなくて、しばらくの間ここに置いてほしいだけなんだぞ。 美月は離婚したばかりで、今は誰かが支えてやらなきゃいけないんだ」 孝之は美月の手を丁寧に握り、約束した。 「美月、安心してくれ。俺がいる限り、誰にも追い出させはしない」 孝之は美月の部屋を用意し、美月が私のドレスを破いたり、大切にしていた絵を傷つけるのを黙って見ていた。 美月は私が飼っている愛猫の福ちゃんが自分を引っ掻いたと言いがかりをつけ、あろうことか木に吊り下げる真似までした。 私が言い返すと、戻ってきた孝之から鋭いビンタを食らった。 その一撃はちょうど目尻の傷痕を直撃し、さらに傷跡を醜く浮き上がらせた。 この傷跡のことは、今でもはっきりと覚えている。3年前の事故で残ったものだ。 弁護士の孝之は揉め事も多く、四方に敵を作っては命を狙われていた。 ある時、私が彼の身代わりとなって刺され、眼の縁だけでなく右手首にも傷が残った。 あの時孝之は、震える手で私を抱きしめ、私以上に涙を流して泣いていた。 「里香、本当にすまない。俺のせいで君の将来まで奪ってしまった」と言った。 私を愛しているし、自分が傷つくべきだったとも言っていた。 孝之は私の過去の苦しみを抱きしめ、傷痕に何度もキスをしてくれた。 なのに今、その傷に平手打ちをしたのは孝之自身だ。 孝之は、自分の手が実際に私の顔を捉えたことに動揺したような表情を浮かべた。 彼が頬に触れようとすると、美月の一言で遮られた。 「孝之、ごめんなさい。全部私のせいね。 私が来なければ、あなたたちも揉めなかったのに。 私がそんなに嫌なら、ここから出ていくわ……」 孝之は拳を握り締め、浮かべていた焦りの色が消え去った。 彼は立ち上がり、美月を抱きしめて言った。 「美月、里香はそういう意味で言ったんじゃない。誰にも君を追い出させはしないから安心しろ」 先ほどの罪悪感は、跡形もなく消えていた。 …… 再び家に戻ってきた孝之はひどく冷たく、背後から抱きしめられるとタバコの臭いが漂った。 「里香、最近は忙しくておろそかにしていたな。わかってくれるだろう。 明日は健診だろ。付き添ってやるよ」 孝之が私に口づけをしようと顔を近づけ、腹部をさする手には隠しきれない欲望が滲んでいた。 私はキスをかわし、別の話題を切り出した。 「孝之、まだお腹に赤ちゃんがいるのよ」 孝之は拒絶されるとは思っていなかったのか、一瞬呆然としていた。 そのあと眉間にシワを寄せ、露骨に苛立ちを見せた。 「里香、また何か疑ってるのか。 美月はただの仕事の依頼人だ。彼女との間にはやましいことなど何もない……」 第2話 必死に言い訳をする孝之を見て、胸が締め付けられた。 「孝之、私の方こそ美月のことなんて一度も言っていないわ」 孝之の表情が硬直し、沈黙したのち、逆ギレし始めた。 「里香、二度と俺に戻ってきてくれなんて言うなよ」 それから数日、孝之は帰宅しなかった。 彼は美月の離婚裁判を引き受け、彼女のために奔走していたのだ。 美月が情緒不安定になれば、夜通し車を飛ばして他県に住む美月の友人を連れてくる始末だ。 さらに、美月を喜ばせようと赤信号を無視してまで、大好物の菓子を買いに走る。 あれはあくまで美月への借りを返すためと言い訳しているが、彼女が戻ってきた日の晩、酒に酔って一晩中美月の名前を呼び続けていたのは誰だろうか。 男というものは、こうも素直になれないのか。 美月が離婚した日、孝之は朝まで飲んでいた。 私が家に帰ると、孝之はソファで酔い潰れ、ボロボロになった人形を抱えて呆れたような顔で笑っていた。 あの人形なら見覚えがある。美月が孝之に贈ったものだ。 とっくに捨てたと思っていたのに、実は大事にしまっていたなんて。 孝之は静かに人形を見つめ、何度も美月の名前を呼ぶ。 必死に彼を支え起こすと、逆に抱きしめられてしまった。 「美月、戻ってきたんだね。 俺を見捨てるわけないって分かってたよ」 私を美月だと勘違いし、孝之は一向に離そうとしない。 私はじっと孝之を見つめ、あの日カラオケの個室で彼が同じ様子だったことを思い出した。 ベロベロに酔って、友達にすべてを打ち明けていたのだ。 「亮太(りょうた)、俺は一番好きな女とは結婚できなかった。里香は美月に似てるけど、所詮は美月じゃない。今は里香が妊娠して、父親になるっていうのに、少しも嬉しくないなんてな……」 あの時、どんな思いで店を後にしたか分からない。 足が重く、涙で視界が歪んだことしか記憶にない。 その日、私は交通事故に遭った。駆けつけた時、孝之はまだ電話中だった。 受話器の向こうからは美月の声、そして何かが割れる音と悲鳴が聞こえてきた。 「里香、バカなのか?こんな広い道路で車とぶつかるなんて。 俺は弁護士だぞ、医者じゃない。君の面倒くさい事態にかかわる暇はない」 孝之は冷酷に立ち去ったのに、通話に戻るとまた優しく穏やかな彼に戻っていた。 昔は、私にもそんな親しい口調で話してくれたことがあったのに。 私に会うために、大雨の中をマンションの下まで駆けつけてくれたこともあった。 私はみなしごで、拾われて育った。 孝之は祖母に、私を一生大切にすると誓ってくれた。 それなのに、約束を破ったようだ。 酔った孝之は、いつもの冷徹さではなく、不覚にもあの素直な少年を思い出させる。 絶望の中にいた私の人生に、光となって現れたあの少年だ。 愛していると、家族になろうと言ったあの少年。 結局、それは私が美月に似ていただけだったのか。 孝之は私越しに美月を見て、結婚を決めたのもそう。 一番好きな人ではない以上、相手は誰でもよかったのだ。 鼻がツンとして、涙が止まらなくなった。しかし、私は決めた。 いいよ。孝之、もう許してあげる。 …… 弁護士に離婚協議書を準備させたが、孝之とは1週間以上も顔を合わせていない。 孝之は美月とばかりいて、まるで誰もが羨むカップルのようだった。 ある集まりで、美月が私を呼び止めた。人目がないのを確認すると、ネックレスをプールに放り投げ、悪趣味に笑う。 「ねえ、孝之はどっちを信じると思う?」 そして孝之が来る直前、わざと転んでか弱いふりをした。 「孝之、里香を怒らないで。きっと不注意でプールに落としちゃっただけよ」 第3話 「里香はわざと押したわけじゃないわ」 美月の演技はお粗末なものだったが、孝之はそれでもその言葉を信じ切っていた。 あるいは……孝之は最初から、私なんて一度も信じていなかったのかもしれない。 孝之は美月を抱きしめ、私を見るその瞳には怒りの色が混じっていた。 「里香、どうして美月にそんなに冷たいんだ?美月がうつ病を患っていることくらい知ってるだろ。 どうしてわざわざ、そんなことで美月を追い詰めるんだ」 美月をなだめるため、孝之は私に彼女のネックレスを探してこいと命令した。妊娠中であることなどお構いなしに、大勢の面前で私をプールへ突き落としたのだ。 プールサイドにいた連中が勝手なことを言っているのが、耳元で反響した。 「やっぱり、丸山さんは今でも上野さんが好きなんだよ。今の奥さんが付きまとわなかったら、結婚なんてするわけなかったもんな」 「裏話を聞いたぜ。丸山さんは奥さんのことを単なる替え玉にすぎないと思ってたらしい。正真正銘の相手が戻ってきた今、代わりなんて誰も構うはずないよな」 「丸山さん、上野さん以外と結婚しないって誓ってたし」 プールに沈むたび、凍えるような冷たさが体中の感覚を奪っていった。 ふと、孝之から告白されたあの日を思い出した。 私のために、孝之が一生懸命にお守りを手に入れてきてくれたあの日。 孝之がマラソン大会に出場して、勝った時のメダルを私にくれたこと。 一生大切にする、死ぬまで守ると言ってくれた、あの一言。 私は孝之の心の中での優先順位さえ塗り替えれば、いつか美月を超えられると信じて、ひたむきに彼を愛し続けた。 でも結局、何もしなくても勝てる人間がいるというだけの話だった。 今思えば、本当に惨めだ。 引き上げられた時、冷え切った私に誰かがコートを羽織らせてくれた。 「冷えるだろう。気をつけな」 薄暗い光の中だったけれど、すぐに分かった。 安西宏介(あんざい こうすけ)だった。 私たちは幼い頃から一緒に育った幼馴染だった。将来は同じ江原大学に行き、立派な医者になろうと約束していた仲だ。 いつからか連絡が途絶えていた。宏介が医者として大成したと聞く一方で、私は3年前の事故で、手術台に立つ資格さえ永遠に失ってしまっていた。 孝之の姿はなく、私は久々に、何とも言えない恥ずかしさを感じていた。 夢を捨て、逃げるように消えてしまった私を宏介に咎められるのが怖かった。 そして、消えた理由を答えることも。 しかし、宏介は病院に連れて行くと、じっと私を見つめたままで何も言わなかった。 「里香……」 「たかがネックレスを探すくらいで風邪引くなんて、情けないやつだな」 宏介の言葉を孝之が遮り、宏介の手から薬を取り上げてポケットにねじ込んだ。 孝之の目には、猛烈な怒りが宿っていた。 「妻の面倒は、他人の安西さんがしゃしゃり出る幕じゃない」 帰りの車の中、孝之はイライラしているようだった。 助手席で美月が眠っていて、孝之は私が愛用していたブランケットを丁寧にかけてやった。 私たちは何も話さなかった。というより、とっくに話すことなんて残されていなかったのかもしっれない。 家に帰って、初めて現実を知ることになる。 孝之が、美月のために私の福ちゃんを、誰かにあげてしまっていたことを。 どこを探してもいない福ちゃん。そしてゴミ箱の中には、昨夜テーブルの上に置いていた離婚協議書が引き裂かれて捨ててあった。 それは、昨日のうちに準備していたものだ。 孝之の方が先に、私の、いや私たちの猫のことを口にした。 まるで大したことじゃない、といった口調で。 「美月が猫アレルギーでね。もう誰かにもらってもらったから。 安心しろ。君よりもずっとちゃんとした飼い主だ」 私は呆然と立ち尽くし、心底ぞっとした。 「今なんて言ったの?」 福ちゃんは、3年前の大雨の中で凍えそうになっていた野良猫だった。 私が江原市中のペット病院を駆け回り、今夜がヤマだと言われても諦めきれなかった子だ。 葬儀の手配さえ考えていた福ちゃんが奇跡的に助かり、今はこんなに立派で可愛い猫になったというのに。 孝之はタバコをふかして、無表情のままこの話題を終わらせた。 第4話 孝之はゴミ箱に入っている離婚協議書を指差し、鼻で笑った。 「離婚したいって? 里香、何をおかしくなってるんだ。美月とのことは何度も説明しただろう……」 間が悪いことに着信音が鳴り響き、孝之は眉をひそめて、落ち着かない様子で視線を泳がせた。 「福ちゃんがいなくなったんだ」 その知らせを聞いて、私は街中を走り回り、福ちゃんが行きそうな場所をすべて探した。そして、ようやく裏路地の隅で、息も絶え絶えになっている福ちゃんを見つけた。 そこは、私たちが出会った場所でもあり、別れの場所にもなった。 ただ呆然と福ちゃんを抱きかかえる。出会った時よりもさらに小さく感じた。 体は痩せ細り、眠っているだけのように、ふわりと軽かった。 私が新しく付け替えたばかりの首輪が残っていた。今は血に染まり、文字なんて読み取れない。 目元が熱くなり、堪えきれなくなった涙がこぼれ落ちる。長い間抱え込んできた感情が、そこで堰を切った。 孝之はぎこちない表情をして、隠しきれない後ろめたさを漂わせていた。 無意識に私の手を掴もうとしたが、それを振り払った。 「孝之、これがあなたの言う『ちゃんとした飼い主』のやったことなの? どうして勝手に誰かにあげるなんてしたの?気に入らないなら、私が連れて家を出たのに。 孝之、なぜ私を解放してくれないの? 私をバカにして楽しい?それとも、それがあなたの下劣な悪趣味?」 涙で濡れた私の目を見て、孝之は初めて言葉を詰まらせた。 冷たくなった福ちゃんを抱きしめ、私は心底疲れ果ててしまったと感じる。 涙をすすり、孝之に背を向けて言った。 「離婚の話はもう結論が出たわ。早急にサインして」 そう言って力尽き、意識が遠のいた。 次に目を覚ますと、病室のベッドの上にいた。 孝之はおらず、看護師が一人、側で看病してくれていた。 私が目覚めたことに気づいた看護師が、憐れむような目をしてカルテを手渡してきた。 「ご家族の方、こんな状態でよく放置できますね……」 後半の言葉は聞き取れなかった。ただ、カルテに書かれた一行が視界に突き刺さった。 呼吸が苦しくなり、そこから逃げ出そうと起き上がったが、足元が綿の上にいるようにふらつき、あわや転びそうになった。 思考まで一緒にあてどなく彷徨っていた。 産婦人科の廊下には、美月を大事そうに抱き寄せ、嬉しそうな笑顔を見せる孝之がいた。 私はいてもたってもいられず孝之に電話をかける。着信に気づいた彼が隅へ移動し、電話に出た。 「孝之、今どこ?」 「今日は事務所で忙しいんだ。目が覚めたなら食事をとってくれ、看護師の手配はしておいたから」次の瞬間、孝之がちらりと美月の方を見て、覚悟を決めたように優しく囁いた。 「やっぱり、病室で待っていろ。すぐに会いに行く」 短く返事をし、手元のカルテを繰り返し見つめた。 そこにはこう書かれていた。【癌末期、中絶手術を推奨し、治療を開始するべきである】 その言葉一つひとつが、胸を抉る。 私はぼんやりと廊下を彷徨い歩いていると、がっしりとした胸にぶつかった。 地面に落ちたカルテを、宏介が拾い上げた。 彼が口ごもり、何度も口を開いては閉じ、ようやく声を絞り出した。 「このこと、旦那さんには伝えないつもりか?」 私は宏介を見つめ、深呼吸をした。 伝えなかったわけではない。ただ孝之にとっては、とっくにどうでもいいことなのだと分かっていた。 「いいえ、今はもう、ただ孝之から離れたいだけ。最期の時間は私らしく生きたいの。 宏介、このことは内密にして」 言葉が終わると同時に、孝之の不審そうな声が背後から聞こえた。 「何を内密にするって?」