街を濡らす雨に、叶わぬ想いを葬って

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街を濡らす雨に、叶わぬ想いを葬って

GoodNovel Hoàn thành

私と川島幸治(かわしま こうじ)は幼なじみで、大人になると両家の間で婚約が決まった。 あの日から、私はずっと結婚の日を指折り数えて待っ...

Chương (1)

第1章

私と川島幸治(かわしま こうじ)は幼なじみで、大人になると両家の間で婚約が決まった。 あの日から、私はずっと結婚の日を指折り数えて待っていた。 けれど幸治は、それを不公平だと言った。 「他のやつらは一生のうちに何度も恋愛するのに、なんで俺だけ生まれてから死ぬまでお前一人じゃなきゃいけないんだ。 お前も何人かと付き合ってみろよ。損するな」 彼は言ったことを、本当にそのままやった。 婚約してから、たった一年の間に、幸治は七人も恋人を替えた。 相手が替わるたび、私は笑って平気だと言った。どうせ最後には、彼は私のもとに戻ってくるのだからと。 でも、八人目の恋人を川島家のパーティーに連れてきたとき、すべてが終わった。 その女は彼の腕にしがみつきながら、「幸くん」と甘えた声で呼んでいた。 私は箸を置き、両家の親族が見ている前で、婚約書をテーブルの真ん中へ押し出した。 「幸治、あなたの言うとおりね。一途でいるなんて、たしかに損だわ」 そのあと私は、大倉家の一人息子の手を取り、もう一度、彼の前に立った。 幸治はその場でグラスを叩きつけ、生まれて初めて目を赤くした。 「藤屋蛍(ふじや ほたる)、お前、どういうつもりだ?!」 私は笑って言った。 「私にも他の人と付き合ってって言ったんでしょう?試してみたわ。思ったより、ずっとしっくりきたの」 第1話 川島家のパーティーには、私はこれまで何度も来たことがあった。 でも今日が初めてだった。私はもう、「川島幸治(かわしま こうじ)の婚約者」という立場でこの門をくぐったわけじゃなかった。 「あれ、藤屋蛍(ふじや ほたる)?どうして……」 「あの人が手をつないでるの、誰?大倉家のあの人?」 「幸治さんのそばにいるのはまた誰だ?どういう状況だよ……」 幸治が立ち上がった。あまりに勢いがよく、椅子の脚が床を引っかいて耳障りな音を立てた。 彼の目は赤くなっていて、大倉司(おおくら つかさ)を指さした。 「てめえ、こいつが俺の婚約者だって分かってんのか?」 司は一度うつむいて私を見た。自分が口を出すべきかどうか、うかがうように。 私はほんのわずかに首を横に振った。 幸治の母は笑みを浮かべ、場を取りなすように言った。 「蛍ちゃん、きっと何か誤解があるのよ。幸治はまだ若くて遊びたい盛りなだけで、心の中ではちゃんとあなたのことを――」 私は幸治の母を見て、同じように笑った。 「おばさま、この一年、彼は好き勝手して、相手を七人も替えました。でも私は、一言も言わなかったんです。 今日は川島家のパーティーなのに、彼は八人目を連れてきました。ここで私がまだ黙っていたら、次は九人目のために席まで譲れってことですか?」 幸治の父の顔色はこわばり、幸治をきつくにらみつけた。 幸治が何か言おうとしたけれど、私は手を上げてそれを遮った。 「幸治、あなたの言うとおりね。一途でいるなんて、たしかに損だわ。だからこの婚約、こちらから破棄する」 私はその婚約書をテーブルの真ん中へ押し出し、振り返って父を見た。 父の顔からは怒りも喜びも読み取れなかった。私と三秒ほど視線を合わせ、それから立ち上がった。 「川島、子どもたちのことに、俺たち大人が口を挟むつもりはない。だがこの婚約は、蛍ちゃんが解消したいというなら、俺は賛成する」 幸治の父の顔はさらに沈み込み、幸治に向かって怒鳴った。 「お前は出ていけ!」 幸治は追い立てられるように書斎へ追いやられ、扉越しにも物を叩きつける音が聞こえてきた。 幸治の母は最後まで何も言わず、そのまま書斎へついて入っていった。 白川瑠衣(しらかわ るい)は一人その場に立ち尽くしていた。周囲から向けられる視線に居たたまれなくなったのか、うつむいたまま足早に大広間を出ていった。 パーティーはあっけなくお開きになった。 私は司を門のところまで見送り、腕に回していた手を離した。 「今夜はありがとう、司くん」 彼は私を見下ろした。まなざしは穏やかで、余計なことは何も言わなかった。 「この芝居に付き合えるなんて、光栄だったよ」 そうして彼は車に乗り込み、夜の闇の中へ消えていった。 私は川島家の門の前に立ったまま、吹きつける風を受けた。少し肌寒かった。 さっきドレスについた赤ワインの染みは、もう乾いていて、くすんだ赤い跡だけが残っていた。 家に戻ると、私はそのままソファに身を投げ出し、目を閉じたまま長いこと横になっていた。 頭に浮かんでいたのは、十六歳のあの年、幸治が初めて私の手を握って、「蛍ちゃんは俺のものだ」と言った日のこと。 十八歳の年、両家が婚約を決めたとき、彼はみんなの前で「俺は一生こいつだけだ」と言った。 それなのに二十二歳になった今年、彼は八人目の彼女を連れて私の前に現れた。 「幸くん」と呼んでいた人は、もう私のものじゃない。 私は目を開け、スマホを取り出して、幸治とのトーク画面を開いた。 最後のメッセージは三日前に彼が送ってきたものだった。瑠衣とのツーショット写真。 【新しい彼女。可愛いだろ?】 私は返事をしなかった。 これからもしない。 私は彼のアイコンを開き、連絡先を削除した。 第2話 婚約を解消して一週間後、私は郊外の茶房へ商談に向かった。 ここは庭園風の造りで、門をくぐると小さな中庭があり、青石の敷かれた小道の両脇には竹が植えられていた。 中庭を抜けて奥へ進むと、そこで瑠衣の姿が目に入った。 彼女は廊下沿いのテーブルに腰かけ、目の前にはお茶と菓子が並べられ、何か楽しそうに話していた。 そして、彼女の向かいに座っていたのは幸治だった。 先に私に気づいたのは瑠衣だった。ぱっと目を輝かせたものの、すぐに表情を引っ込めて、何事もないように話を続けた。 店員が人数を尋ねに来たので、私は待ち合わせだと答え、隅の席へ案内された。 その席は幸治たちのテーブルからそう遠くなく、会話が聞こえてきた。 座ったばかりのとき、瑠衣の声が耳に入った。 「幸くん、あの日の藤屋さんの婚約解消の件、そのあとどうなったの?」 私は茶碗を持ち上げた手を、わずかに止めた。 幸治の声が聞こえてきた。 「どうもこうもないだろ。婚約を解消したのはあいつのほうだ。俺が頼み込むとでも?」 瑠衣は笑った。 「でも、あんなふうにみんなの前でされたら、面目が立たないでしょう?」 幸治もそれにつられるように鼻で笑った。 「あいつ、婚約解消で俺を脅せると思ってるのか?婚約は両家で決めたことだ。あいつ一人の一存で決まるもんじゃない」 私は茶碗を持ったまま、ゆっくりひと口飲んだ。今年の新茶だった。味は悪くない。 瑠衣がまた尋ねた。 「じゃあ、これからも藤屋さんに会うの?」 「会うって何のために?」幸治の口調は気のないものだった。 「今の俺にはお前がいる」 瑠衣の甘えた声が聞こえてきた。 「じゃあ、いつ私をお嫁さんにしてくれるの?」 向こうが二秒ほど静かになった。 それから、幸治の声が響いた。 「もうすぐだ。この時期を乗り切ったら、お前と結婚する」 私はそのひと口を飲み込み、さらに自分の茶碗に茶を注いだ。 茶は熱く、立ちのぼる湯気が顔に当たって、少し湿っぽく感じた。 瑠衣はまだ何か話していたけれど、もうほとんど耳に入らなかった。 頭の中では、あの一言だけが何度も繰り返されていた。――「この時期を乗り切ったら、お前と結婚する」 この時期を乗り切ったら。 私はふいに笑いたくなった。 私は彼が振り向いてくれるのを、一年も待ち続けた。 それなのに彼は、この時期を乗り切ったら、今度は別の女と結婚するという。 私はお茶を一気に飲み干し、店員を呼んで会計を済ませた。 立ち上がって店を出るとき、あのテーブルの横を通っても、私は足を止めなかった。顔には薄い笑みすら浮かんでいた。 瑠衣の表情がわずかに変わった。たぶん、私がこんなにも平然としていられるとは思っていなかったのだろう。 幸治は私が通り過ぎるのを見つめ、その視線は私が中庭の門を出るまでずっと追ってきた。 茶房を出て車に乗り込んでから、私はようやくハンドルを強く握りしめた。 爪が手のひらに食い込んで、痛かった。 私は取引先の担当マネージャーに連絡を入れ、商談場所を変更した。 三秒後、私はエンジンをかけ、その場を離れた。 茶房では、幸治が瑠衣の差し出した菓子を押し戻していた。 「行くぞ」 瑠衣はきょとんとした。 「どこへ?」 「家まで送る。俺はまだ用事がある」 瑠衣の顔色がわずかに変わったが、それ以上は何も言えなかった。 その夜、プロジェクトの発注元が決まった。川島グループだった。 翌日、私はさらに連絡を受けた。プロジェクトの窓口担当は瑠衣だという。 私はそのメッセージを、長いこと見つめていた。 幸治が彼女を川島グループに入れたのか。それとも、もともと彼女は川島グループの人間だったのか。 ――もう、どうでもよかった。 私はスマホを置き、また企画書の修正を続けた。 第3話 プロジェクトのキックオフ会議の日、私は初めて受注側の立場で幸治の向かいに座った。 幸治はきっちりとスーツを着こなし、いかにも公私をきっちり分けた仕事モードの顔をしていた。 瑠衣はオフィスカジュアル姿で、彼の隣に座っていた。 私はパソコンを開き、企画案の説明を始めた。 話し始めて五分ほどしたところで、瑠衣が手を上げて私を遮った。 「藤屋部長、このポジショニング、問題があるんじゃないですか?」 私は話を止め、彼女を見た。 「ポジショニングレポートは事前調査をもとに決めたものです。その時点で、そちらでもサインして確認済みでしたよね」 瑠衣はふっと笑った。 「それは前の話です。今はこのプロジェクト、私が担当ですから。私が不適切だと思うなら、修正してもらわないと」 幸治が隣でうなずいた。 「瑠衣の言うとおりだ。持ち帰って直してくれ」 私は一拍置いてから言った。 「分かりました」 そして、また説明を続けた。 さらに十分ほど経ったところで、瑠衣がまた口を挟んだ。 「この動線設計も駄目です。回りくどすぎます。企画を作るとき、ちゃんと現地を見に行ったんですか?」 私は答えた。 「現地には三回行っています。動線設計はそれを踏まえて――」 瑠衣が途中で遮った。 「その分析レポートは拝見しましたけど、データソース自体が全部おかしいです。作り直してください」 幸治はまたうなずいた。 「彼女の言うとおりに修正してくれ」 彼の視線が一瞬だけ私の顔に落ちた。けれどすぐに逸れ、そのままスマホに目を落とした。 私は深く息を吸った。 「分かりました」 その後も、瑠衣は五分おきに話を遮ってきた。指摘はどんどん理不尽になっていった。 会議室の中では、皆が顔を見合わせていたけれど、誰一人として口を開かなかった。 説明を終えると、私はパソコンを閉じた。 瑠衣は笑顔で言った。 「藤屋部長、お疲れさまでした。企画案は持ち帰ってしっかり修正してくださいね。また次回、お会いしましょう」 会議が終わったあと、廊下で彼女に呼び止められた。 その笑みはやわらかかった。 「藤屋部長、これからは私がこの案件の窓口ですから、たくさんやり取りしましょうね」 彼女は声を落とし、少しだけ身を寄せてきた。 「幸くんが言ってました。この案件がうまくいくかどうかで、今後藤屋家が川島とどれだけ付き合っていけるかが決まるって。安心してください。私、ちゃんと協力しますから」 私はその笑顔を見つめながら、ふと一つだけ聞きたくなった。 あなた、隣にいるその男が、この一年で七人も彼女を替えたって知ってるの? でも、私は聞かなかった。ただこう言っただけだった。 「なら、規定どおりに進めましょう」 彼女はさらに甘く笑った。 「もちろん、規定どおりにしますよ。ただ、藤屋部長が慣れていらっしゃるかどうか心配で」 彼女は背を向けて立ち去ろうとし、ふと思い出したように振り返って一言付け加えた。 「そうだ、藤屋部長。幸くんが言ってました。このプロジェクトが終わったら、私たちの結婚を正式に公表するって」 私はその場に立ったまま、彼女の背中が廊下の突き当たりに消えるのを見ていた。 それから一週間、私は毎日深夜まで残業した。 企画案は第八稿まで直したけれど、提出するたびに瑠衣に差し戻された。 同僚たちは陰で不満をこぼしていた。瑠衣はわざとやっているに決まっている、と。 でも私は、ただ一言だけ言った。 「修正を続けて」 彼女がわざとやっていると分かっていたからこそ、何を言っても無駄だった。 夜の十一時、私は一人で会社に残って企画を修正していた。 ノックの音がした。 顔を上げると、ドアのところに警備員が立っていて、来客だと言った。 私は下へ降りると、ロビーに司が立っているのが見えた。手にはテイクアウト用の袋を提げていた。 第4話 司が歩み寄ってきて、袋を私に差し出した。 「近くを通ったついでに、何か食べるものでもと思って」 私は袋を開けた。中には湯気の立つうどんと、ミルクティーが入っていた。 私は顔を上げて彼を見た。 「司くん、もしかして私に監視カメラでも仕掛けてる?」 彼は真面目に少し考えてから言った。 「監視カメラを仕掛けるのは違法だ」 「じゃあ、どうして私がご飯を食べてないって分かったの?」 彼はふっと笑っただけで、答えなかった。 私はうつむいてうどんを食べた。熱いスープが胃に落ちていって、身体の芯から温まっていく気がした。 彼は隣に立ったまま、何も言わなかった。ただそのまま、静かに立っていた。 私はふいに吹き出した。 彼が私を見る。 「何がおかしい?」 私は言った。 「別に。ただ、こんなふうに笑ったの、なんだかすごく久しぶりな気がして」 彼は私の目を見つめた。その視線はとてもやわらかくて、まるで何かをそっと気遣っているかのようだった。 私はそれ以上、何も言わなかった。 その夜、私は家に戻って、企画案の九稿目を仕上げた。 深夜二時、提出した。 翌朝八時、返信が来た。 【承認します】 プロジェクトの中間報告を兼ねたレセプションは、市内中心部にある五つ星ホテルの宴会場で開かれた。 会場に入った途端、そばからひそひそ話が聞こえてきた。 「藤屋蛍って、前は川島家と婚約してたんじゃなかった?なのに今は、なんであんなに川島家から当たりが強いの?」 「婚約解消したらしいけど、詳しいことは分からないな」 「今、幸治さんの隣にいる白川瑠衣って、かなり気に入られてる感じだし、もうすぐ結婚発表なんじゃない?」 そんな言葉が一つずつ耳に流れ込んできても、私の顔には何の表情も浮かばなかった。 八時ちょうど、瑠衣が幸治の腕に手を回して入場してきた。 彼女は今日は真っ赤なドレスをまとっていて、肌の白さと美しさがいっそう際立ち、全身が晴れやかに輝いて見えた。 幸治は仕立てのいいスーツをきっちり着こなし、顔には非の打ちどころのない笑みを浮かべていた。 誰かが思い切って尋ねた。 「幸治さん、藤屋家との婚約は解消したって聞きましたが、本当ですか?」 その場にいた全員が幸治を見て、それから私を見た。 幸治が口を開こうとした、その前に、私はグラスを置いた。 「本当です。川島家と藤屋家の婚約は、すでに解消されています」 会場がどよめいた。 幸治の顔色が変わり、私をにらみつけた。 私はその視線をまっすぐ受け止めたまま、相変わらず何の表情も浮かべなかった。 すると彼は突然笑って、瑠衣の腰に手を回した。 そして皆の目の前で、そのまま身をかがめて口づけた。 瑠衣は最初こそ呆然としていたが、すぐに喜びに顔を輝かせ、彼の首に腕を回して応えた。 周囲から驚きの声とざわめきが上がった。 口づけが終わる。 幸治は顔を上げ、私を見て言った。 「藤屋さんの言うとおりだ。川島家と藤屋家の婚約は、もう解消されている。今、俺が結婚するのは――瑠衣だ」 会場は騒然となった。 瑠衣は感極まって目を潤ませ、彼の腕にしがみつきながら、そのまま身体を預けていた。 でも幸治は彼女を見ていなかった。ずっと私だけを見ていた。 私がどんな反応をするのか、待っていた。 私の顔に、ほんの少しでもひびが入るのを待っていた。 けれど私の顔には、最後まで何の表情も浮かばなかった。 何か言おうとした、そのときだった。背後から不意に声がした。 「奇遇だな」 私は振り返った。 司が人ごみの中から現れた。背筋の伸びたスーツ姿のまま、一歩ずつこちらへ歩いてくる。 彼の視線は誰をも素通りして、まっすぐ私の顔に落ちた。 そして私の目の前まで来ると、手を伸ばし、私の手を取った。 彼は顔を上げ、幸治を見た。そしてその場にいる全員を見渡した。 「俺は蛍と結婚する」