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あなたの冷たさに、愛は霞んで
新婚間もない頃、夫の賀川雅文(かがわ まさふみ)に緊急派遣の命令が下り、国境なき医師として戦地へ向かった。 結婚したばかりで離れて暮ら...
Chương (1)
第1章
新婚間もない頃、夫の賀川雅文(かがわ まさふみ)に緊急派遣の命令が下り、国境なき医師として戦地へ向かった。
結婚したばかりで離れて暮らすことに耐えられず、私は仕事を捨て、彼に付き添って戦地へ赴いた。
けれど半年が過ぎても、夫は私を戦闘が続く危険な駐在地に住まわせたまま。
私は何度も命を落としかけたというのに、彼の教え子である女子学生は、いつの間にか安全なエリアにある家族向け宿舎へ移されていた。
怒りで頭に血がのぼり、その場で帰国すると言い出した私を、雅文は慌てて抱きとめ、必死になだめた。
「彼女は俺の教え子なんだ。もし何かあれば、周囲から責められる。だから、まずは君に我慢してもらうしかなかった。家族用宿舎はいま増設中なんだ。来月には、君の入居資格を申請するから」
私は結局、彼の立場を思ってその言葉を受け入れ、戦地に残った。
だが、思いがけずウイルスに感染し、家族枠で優先接種を申請しようとしたとき、告げられたのは残酷な事実だった。
「システム上、賀川様のご家族として登録されているのは谷口静香(たにぐち しずか)様という方です。あなたは本当に、賀川様の奥様ですか?」
その瞬間、全身の血の気が引いた。
谷口静香――それは、雅文のあの教え子の名前だった。
すべてに絶望した私は、兄に電話をかけた。
「兄さん、迎えに来て。それから――離婚協議書も一通、持ってきて」
第1話
新婚間もない頃、夫の賀川雅文(かがわ まさふみ)に緊急派遣の命令が下り、国境なき医師として戦地へ向かった。
結婚したばかりで離れて暮らすことに耐えられず、私は仕事を捨て、彼に付き添って戦地へ赴いた。
けれど半年が過ぎても、夫は私を戦闘が続く危険な駐在地に住まわせたまま。
私は何度も命を落としかけたというのに、彼の教え子である女子学生は、いつの間にか安全なエリアにある家族向け宿舎へ移されていた。
怒りで頭に血がのぼり、その場で帰国すると言い出した私を、雅文は慌てて抱きとめ、必死になだめた。
「彼女は俺の教え子なんだ。もし何かあれば、周囲から責められる。だから、まずは君に我慢してもらうしかなかった。家族用宿舎はいま増設中なんだ。来月には、君の入居資格を申請するから」
私は結局、彼の立場を思ってその言葉を受け入れ、戦地に残った。
だが、思いがけずウイルスに感染し、家族枠で優先接種を申請しようとしたとき、告げられたのは残酷な事実だった。
「システム上、賀川様のご家族として登録されているのは谷口静香(たにぐち しずか)様という方です。あなたは本当に、賀川様の奥様ですか?」
その瞬間、全身の血の気が引いた。
谷口静香――それは、雅文のあの教え子の名前だった。
すべてに絶望した私は、兄に電話をかけた。
「兄さん、迎えに来て。それから――離婚協議書も一通、持ってきて」
「わかった。今すぐ航空券を手配する。遅くとも三日だ。俺が迎えに行くから待ってろ」
私は小さく返事をし、電話を切ると、ぼんやりした足取りで駐屯地へ戻っていった。そこへ、雅文が怒りに満ちた顔でやって来た。
「どうして持ち場を放り出して逃げたんだ。静香を一人で戦地に残して!彼女は危うく被弾するところだったんだ。今はカウンセリングを受けている。もし心に傷を残したら、ご両親にどう説明すればいい!」
頭ごなしに責め立てる声を聞きながら、私はにじむ視界の向こうで、風の吹き込むテントの天井を見つめていた。
風が漏れる穴は十か所以上。どれだけ継ぎを当てても、何の役にも立たなかった。
この二年間、私はずっとこんな環境で暮らしてきた。ぼろ布のようなテントを抱え、戦地で東へ西へと身を隠してきた。
地雷原に迷い込み、何度命を落としかけたかわからない。悪夢にうなされる夜が続き、私もカウンセリングを申請したことがあった。
けれど雅文は、ただこう言っただけだった。
「戦地で爆撃に遭うなんて珍しくもない。大げさにするな。資源は本当に必要な人に回せ」
要するに、私には彼の気を引く資格すらなかったのだ。
「離れる前に、隊員全員が撤収できるよう確認したわ。他の隊員は誰も被弾なんてしていないのに、どうして谷口さんだけが怪我をしたの?」
私は皮肉っぽく唇を歪めて言った。本当は、ただ彼に気づかせたかっただけだった。
けれど彼は、いきなり机を叩き、激しく怒りをあらわにした。
「静香が嘘をついているとでも言いたいのか!第三隊の隊長として、お前はそんなふうに部下を疑うのか?静香が、お前はいつも私怨で自分を狙い撃ちにしてくると言っていたが、まさか本当にそうだったとはな。俺はまだ、お前はそんな人間じゃないと思ってかばっていたのに!」
彼の目には、隠しようのない嫌悪が浮かんでいた。
それはもう、夫が妻に向ける眼差しではなかった。むしろ、仇敵に向けるそれに近かった。
体調は急激に悪化し、胸の痛みも強まっていた。私はもう、彼と争う気力すらなかった。
「私が先に離れたのは、ウイルスに感染したからよ」
身体がぐらりと傾いて倒れそうになった瞬間、雅文の瞳がさっと縮み、咄嗟に私を抱きとめた。
「どうしてこんなことに!救護センターに、まだワクチンがあるはずだ。今すぐ連れて行く!」
私は目の奥が熱くなり、かすれた声で言った。
「もう、ワクチンはないの」
「今すぐ救援便を手配する。君を連れて帰国して治療を受けさせる。頼む、しっかりしてくれ。今すぐ一緒に帰ろう!」
いつもは冷静沈着な彼が、その時は私を抱く腕を震わせ、目いっぱいの焦りをにじませていた。その姿を見た瞬間、私は堪えていた涙を、とうとう止められなくなった。
結婚したばかりの頃、私は山間部へ派遣され、医療支援に当たっていた。治安の悪いところには、荒っぽい人間も多い。
独り身の中年男たちに何度もつきまとわれ、山間部にいるのが私一人だと知った彼らは――
私が夜遅く仕事を終えたところを狙い、連中は棒で私を殴って気絶させ、そのまま連れ去った。
第2話
あの連中は、誰が最初に手を出すかで揉めはじめ、言い争いになったせいで、結局すぐには手をつけられなかった。
手足を縛られた私は薄暗い倉庫に放り込まれ、丸五日も閉じ込められた。そこへ雅文がたった一人で村に乗り込み、行く手を阻む十数人を相手に殴り合いをした。
体中を血だらけにした彼は、泣きながら駆け寄ってきて、私を強く抱きしめた。
「……ごめん。遅くなった。帰ろう、一緒に……」
彼がICUへ運ばれていくのを見ながら、私は心の中で思った。
この人しかいない。この先どんなことがあっても、私はきっと、この人を見限れないと。
けれど今の私たちに、まだ帰る家なんてあるのだろうか。私は彼の胸を手で押し返し、苦く乾いた声で言った。
「どこが私の家なの?国内の家は、もう売ってしまったんでしょう?家族用宿舎だって、私に入る資格なんてあるの?」
雅文は両手に力を込めると、私の視線を避けるように顔をそむけた。
「言ったはずだ。家族用宿舎の件は、いずれ手配する。君が今いる場所だって、この二年、一度も事故なんてなかったじゃないか。それでもまだ不満なのか?どうして、あんな若い子とその枠を奪い合わなきゃならないんだ」
目の縁に涙が滲み、私はやっとのことで声を絞り出した。
「それでも、私がどうしても譲りたくないと言ったら?」
雅文は眉をひそめ、気遣うようだった表情から、わずかに温度が消えた。彼は私を木を積み上げて作った硬い寝台に横たえると、きつく口元を引き結んだ。
「ワクチンは俺が申請する。しばらくは外に出るな。頭を冷やせ」
気にかけているようでいて、私の問いには何一つ答えていなかった。立ち去っていくその背中を見つめながら、私は苦く笑った。
私が争いたかったのは、家族用宿舎の枠なんかじゃない。ただ、彼の心の中での自分の重みを確かめたかっただけ。
でも今となっては、もうそんなことに意味はなかった。
私は丸一日半、熱にうなされた。熱で意識が朦朧としていたのか、頭の中には何度も雅文の顔が浮かんでは消えた。
彼は私の額に冷却シートを貼り、やさしく水を飲ませてくれた。
「ただでさえ体が弱いのに、このところまた好き嫌いしてたんじゃないのか?君はほんと、俺の作るものしかまともに食べないんだから。帰ったら毎日料理を作ってやる。ちゃんと世話をして、元気にしてやるから」
その眼差しは、静香と出会う前と何も変わらないほど、やさしかった。
私は泣いた。たまらず彼にしがみつき、堰を切ったように涙をこぼした。
「私は谷口さんが嫌い。あの子をここから帰して。お願い……」
けれど彼は、また同じように黙って立ち上がり、そのまま出ていってしまった。目を覚ますと、テントの中には私一人しかいなかった。
やはりまた夢を見ていただけなのだと思った。雅文がここに来るはずがない。
今ごろきっと、静香のカウンセリングに付き添っているのだろう。
兄からメッセージが届いた。
【そっちへ向かう便は手配できた。ワクチンと離婚協議書は人に持たせてそっちへ向かわせた。俺の到着は一日遅れる】
【わかったわ】
返信を終えると、私は荷物をまとめ始めた。
私は雅文について戦地へ来た。ここを去るのも、残るのも、誰かに届け出る必要なんてない。
この二年間、逃げ回るように生きてきて、手元に残ったのは雅文から贈られた手作りの指輪だけだった。その指輪は、彼が大学時代に私のために作ってくれたもので、決して精巧なものではない。
材料費はたった六百円。それでも、二か月もかけて心を込めて作ってくれたものだった。
少し迷った末に、やはりこの指輪は雅文に返そうと思った。そのとき、テントの外から羨ましそうな声がいくつか聞こえてきた。
「静香、そのネックレスって賀川先生が五、六人も人をあたって、有名なデザイナーに頼んで作ってもらったやつでしょ?すっごく綺麗!」
「そのデザイナー、一回頼むだけでも数百万はするって聞いたよ。賀川先生、静香がうっかり地雷を踏みかけたせいで心に傷を負うんじゃないかって心配して、わざわざこれで慰めようとしたんだって!」
静香はくすくすと笑い、わざと私のテントの外で足を止めた。
「このネックレス、たしかに彼がわざわざ人に頼んで、私のためにデザインしてもらったものなの。彼は言ってたわ。私は、いちばんいいもの、いちばん高いものを身につけるのにふさわしいって」
第3話
「そういう安物が似合うのは、男にすがるような安っぽい女だけよ」
静香は顎を上げ、得意げに私を一瞥した。
「そうですよね、美波さん?」
箱を握る指先が白くなる。私はかすかに笑って言った。
「仮病ばかり使ってると、いつか本当にそうなるわよ」
そう言って私は、指輪の箱をゴミの山へ放り投げた。
翌日になると、救援隊のほうから、ワクチンが届いたと知らせが来た。
私はベッドから身を起こし、高熱を押して受け取りに向かった。だが、救援隊長は言いにくそうに口ごもった。
「最近はウイルスに感染する人が多くて……ワクチンはもう配り終えてしまったんです。あなたのお兄さまから頼まれていたので、本来なら一本はあなたのために残してあったんですが。さっき賀川先生が来て持って行かれました。谷口静香さんに使うと……」
全身の骨が侵されるように痛んだ。私は雅文を探しに行った。
「ワクチンは?返して」
雅文は視線をそらし、やわらかな口調で言った。
「静香が具合が悪いと言っていたんだ。高熱が下がらなくて、症状もウイルス感染にすごく似ていた。だから先に打った。次のワクチンはもうすぐ届く。それまで少しだけ耐えてくれ」
痛みで全身が震え、私は目を真っ赤にして叫んだ。
「もし本当に感染しているなら、救援隊でワクチンを受け取ればいいでしょう。可能性があるってだけで、人の分を奪っていいはずがない!
ウイルスが長く体内に留まれば、神経系に異常が出るのよ。下手をしたら私は麻痺するかもしれない――あなたなら、それくらいわかっているでしょう!」
雅文は唇を二度ほど動かし、何か言おうとした。その時、静香が突然現れ、へりくだるように私へ哀願した。
「美波さん、賀川先生にワクチンを私に回してほしいって頼んだのは、私なんです!美波さん、この前ウイルスに感染した時も乗り切れたじゃないですか。
だから今回も大丈夫だと思って、深く考えなかったんです。責めるなら私を責めてください!全部、私が悪いんです!」
そう言い終えるや否や、彼女は泣きじゃくりながら何度も私に頭を下げた。雅文は慌てて彼女を引き寄せ、私に警告するような目を向けた。
「もうやめろ!ワクチンを受け取れなかったのはお前だけじゃない!それに、お前だって今はこうして無事じゃないか。静香が必要としていると知っていて、わざと彼女に突っかかってるようにしか見えない!」
悔しさに涙が止まらなかった。
前にウイルスに感染したのは、ちょうど半年前。あの時はワクチンも届いていて、全員にきちんと行き渡るはずだった。
けれど静香は、自分の分をうっかり落として駄目にし、私の分を奪っていった。その時も、彼女は今日と同じだった。
泣きながら私に謝り、雅文はすぐさま私が大げさに騒いでいると決めつけた。
「静香だって、わざとワクチンを駄目にしたわけじゃない。症状なんて風邪みたいなものだ。少し我慢すればやり過ごせる。そんなに大騒ぎするな」
私は資源を無駄にしたくなくて、二か月間も薬を飲みながら、どうにか持ちこたえた。けれどその代償に、体の臓器にはもう後遺症が残っていた。
そして今回もまた、彼は迷いなく静香の側に立った。
「彼女が私のワクチンを奪ったせいで病状が悪化したのに、それでも私が彼女を目の敵にしているとでもいうの?」
私が問い返すと、雅文は唇を引き結んだまま何も言わなかった。すると静香は怯えたように後ずさりしながら、慌てて言い募った。
「今はちょうど戦況がきつくて、前線では医師がいちばん必要なんです。美波さん、もし病状が悪化して、ほかの先生たちにうつしたらどうするんですか?賀川先生!私は、美波さんを隔離室に入れるべきだと思います!」
隔離室――そこは重症患者を収容する場所だった。
治療の手立てがなく、死を待つしかない不治の病の感染者たちが集められている場所。雅文は、血の気を失った私の顔を見つめ、眉をひそめて迷いを見せた。
「隔離室の患者には、まともな治療も行われていない。彼女の病状は、まだそこまでじゃ――」
静香はしゃくり上げ、さらに泣きわめいた。
「でも私はもともと体が弱いんです。それに美波さんは、いつも賀川先生にまとわりついてくるじゃないですか。
もしそのウイルスが先生にうつって、それがまた私に感染したらどうするんですか?先生、うちの両親に、ちゃんと私の面倒を見るって約束したでしょう!」
第4話
雅文が反対するのを恐れたのか、静香はわざと声を張り上げ、外に向かって叫んだ。
「皆さん、今回チーム内で広がっているウイルスに最初に感染したのは高橋美波先生です。もしかしたら、彼女こそが感染源かもしれません!
しかも今回はまだワクチンも打っておらず、症状も悪化しています。皆さんの安全のためにも、彼女を隔離室に送るべきではありませんか!」
「高橋先生、みんなの安全のためですし、しばらく隔離室に入っていてはどうですか?」
「そうですよ。谷口先生だって、みんなのことを思って言ってるんです。ワクチンが届いたら戻ってくればいいじゃないですか」
隔離室に送られたら、たとえその後ワクチンが届いたとしても、その前に別のウイルスに感染してしまうかもしれない。そんな状態で、戻って来られるはずがない。
静香の目には、隠しきれない得意げな色が浮かんでいた。私は全身の力を振り絞り、手を振り上げて、彼女の頬を思いきり打った。
「今日あなたたちが打ったワクチンは、私が兄に頼んで運ばせたものよ。私がいなければ、みんな今ごろウイルスに苦しめられていたはずでしょう!谷口さん!それなのに、よくも私を隔離室に送れなんて言えたものね!」
さっきまで静香の肩を持っていた医師たちも、さすがに後ろめたくなったのか、気まずそうにその場を離れていった。
雅文は、赤く腫れた静香の頬を見て顔色を変え、思わず手を振り上げた。
「お前、気でも狂ったのか!静香の言い方は少しきつかったかもしれない。だが、どこか間違ったことを言っていたか?お前のように伝染病にかかっている人間は、隔離室に送られるべきじゃないのか。それともこのまま残って、ほかの人間まで巻き込むつもりか?」
私は落ち着いた目で彼を見つめ、身を引こうともしなかった。振り下ろされかけた手が風を切ったものの、結局そのまま空中で止まった。
青白い私の顔を見て、彼は最後には手を下ろした。
静香の目に一瞬、憎しみの色がよぎった。
だが次の瞬間には涙をにじませ、雅文を突き飛ばした。
「全部、私が余計なことを言ったせいです!美波さんのお兄さんが送ってくれたワクチンがなければ、私だって助からなかったかもしれない!隔離室に入るべきなのは私です。私、今すぐ行きます!」
そう言って涙を振りまきながら走り去り、雅文も止めることができなかった。雅文はこめかみを押さえ、疲れ切った目で私を見た。
「これで満足か?静香をあそこまで追いつめて。明日、俺から申請して、お前を隔離室に入れる。形だけでいいから、少し入ってくれ」
胃がかき回されるように痛み、私は壁にもたれなければ立っていられなかった。それでも声だけは意地のように強く保った。
「どうして?あなたが谷口さんをひいきしているから、私を機嫌取りの道具にするっていうの?」
その瞬間、雅文の額に青筋が浮かび、激しく扉を殴りつけた。
「お前はいつまでそんなふうに言いがかりをつけるつもりだ!俺はただ、静香の指導者として少し面倒を見ていただけだ。それなのにお前は何度も、何の根拠もなく俺と静香の関係を疑ってきた!どうせお前は、俺の口から静香を愛していると言わせたいだけなんだろう?いいよ、望みどおり言ってやる!」
怒りに顔を歪めたまま、彼は一歩ずつ私を追い詰めてきた。吐き出される言葉の一つひとつが、容赦なく胸に突き刺さる。
「そうだ、俺は静香を愛している!あの子はお前みたいに感情的じゃない。穏やかで、思いやりがあって、いつだって俺のことを第一に考えてくれる。俺を不機嫌にさせまいと、いつも気を遣ってくれる!
それに比べてお前はどうだ!まるで嫉妬に狂った女みたいに静香に食ってかかって、何度もあの子を追い詰め、命まで危うくさせた!俺はもう、お前にうんざりしてる!美波、お前は今の自分がどれだけ醜くて、見苦しいかわからないのか?」
手首を強く掴まれ、骨が軋むほど痛かった。それでも私は、笑った。
鞄の中から離婚協議書を取り出し、彼に差し出す。胸の中は、不思議なくらい静かだった。
「ようやく認めたのね。雅文――私たち、離婚しましょう」