九十九回の裏切りのその後

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九十九回の裏切りのその後

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私――日高瑠奈(ひだか るな)は、九十九回目の入籍直前になって、恋人の鳴海誠司(なるみ せいじ)にとうとう本音を突きつけられた。 「俺、...

Chương (1)

第1章

私――日高瑠奈(ひだか るな)は、九十九回目の入籍直前になって、恋人の鳴海誠司(なるみ せいじ)にとうとう本音を突きつけられた。 「俺、まだ若いしさ。もう少し遊びたいんだよ。 顔も地味だしさ、正直あんまり色気もないだろ。愛人ならともかく、妻にするにはちょっとな」 さすがに見ていられなくなった友人が、口を挟んだ。 「瑠奈はお前とここまで一緒にやってきただろ。一番大事な時期まで全部お前に捧げてきたんだぞ。瑠奈の母親も体が悪くて、ずっとお前たちの結婚を楽しみにしてたんだぞ。約束しただろ」 誠司は秘書の本間真琴(ほんま まこと)の腰を抱いたまま、うんざりした顔をした。 「同じ料理でも十年も食ってたら、そりゃ飽きるだろ。 別に俺は引き止めてないだろ。嫌なら金だけ持って出ていけばいいんだよ」 胸の奥が、すっと冷めた。 私は涙を拭き、中絶の予約を入れると、そのまま家の決めた縁談を受け入れた。 結婚指輪を選びに行った先で、誠司と鉢合わせした。 結婚なんてしない主義だと言っていたその男は、愛人の前に跪いてプロポーズしていた。 「真琴がさ、どうしても結婚指輪ほしいってうるさくてさ。 まあ、形だけだよ。気にすんなって。明日こそお前と入籍してやるよ。今度は本当だって」 その軽い口ぶりを聞きながら、私は婚約者にもらった大粒のピンクダイヤを掲げて、ふっと笑った。 「三日後に結婚します。ぜひその愛人と一緒に、私の結婚式を見届けに来てください」 第1話 夜が更け、空が白みはじめるころまで、私――日高瑠奈(ひだか るな)は区役所で十二時間も待ち続けていた。 けれど、彼氏の鳴海誠司(なるみ せいじ)はとうとう現れなかった。 理由も告げずに婚姻届を出しに来なかったのは、これで九十九回目になる。 私が結婚の話を持ち出すたび、彼はその場では了承する。 けれど日取りが決まると、決まって何かしら理由をつけて土壇場で逃げ出すのだ。 「で、今回はどんな急用だったの?」 電話をかけると、出たのは彼の秘書・本間真琴(ほんま まこと)だった。 「夜中じゅう付き合わされちゃってね。今、彼はシャワー浴びてるの」 真琴の声には、肌を重ねたあとのけだるい余韻が、隠そうともせず滲んでいた。 「排水口が詰まっちゃって、自分じゃどうにもできなくて。本当は業者呼ぼうと思ったんだけど、誠司さんが、一人暮らしの女の子の部屋に知らない人を入れるのは危ないって言ってくれて。 あの仕事ばっかりの人が、会議まで抜けてわざわざ来てくれたの。家のことまでいろいろやってくれるし、悪いなって思って……そのまま泊まってもらって、お礼は体で返しちゃった」 耳元で、さらさらと水の流れる音がした。 その向こうで誠司が「誰?」と尋ねる声がする。 真琴は答えない。 衣擦れの気配がして――たぶん、キスでもしているのだろう。 「またあの女よ。結婚しろって、ほんとしつこいの。 私、愛人なんて嫌だから。あの女と籍入れるつもりなら、私ほんとに出ていくからね。後で後悔しても知らないよ」 誠司は甘やかすように笑った。 「拗ねるなよ。婚約者を区役所に置いてまで、お前に会いに来てるんだぞ。それに今日は俺たちの記念日だろ。これで気持ちはわかるはずだ。 意地張るなって。この前、ピンクダイヤ欲しいって言ってただろ。あれ買ってやるよ。嫌な思いさせた分の埋め合わせだ」 血の気が、すっと引いていくのがわかった。 冷えた通りに立ち尽くしたまま、涙だけが静かに頬を伝っていく。 いつか、私だって誠司にとって特別な存在だった。 政略結婚を拒み、継承権まで手放し、家を追われた御曹司だった彼がゼロから這い上がったのは――ただ私に、きちんとした立場を与えるためだった。 人の心は変わる。 今の私たちは、たいていのものを手に入れた。 それでも、あの頃の気持ちだけは、もうどこにも残っていなかった。 「瑠奈、誠司ともう十年よ。本気で結婚するつもりがあるなら、とっくに話はまとまっててもおかしくないでしょう。どうして今までこんなふうに先延ばしにされてるの?」 姉の日高紗季(ひだか さき)はため息まじりに、そう言って私を諭した。 「お母さんの具合がよくないのはわかってるでしょう。せめてあなたがちゃんと落ち着くところまで見届けたいって思ってるのよ。でも、誠司がこんな調子だって知ったら、お母さんだって安心できないわ」 病室のベッドに横たわる母の姿が、ふいに頭に浮かんだ。 私は目を閉じる。 もう一度目を開けたときには、涙はきれいに引いていた。 ――結婚くらい、別に誠司じゃなくてもいい。 男なんて、ほかにもいくらでもいる。 彼じゃなくたって、きっともっといい人はいるはずだ。 第2話 深夜に家へ戻ると、誠司がいた。 出かける前と同じスーツ姿のまま、シャツにも乱れはない。浮気をしてきた気配なんてどこにも見えなかった。 首元には、朝、私が結んだままの淡いシルバーのネクタイ。――今日のために選んだ色だった。 「帰ったのか?」 彼は顔も上げないまま言った。 「会社でトラブルがあってな。電話もしたんだけど出なかったし。入籍はまた今度でいいだろ。次に時間が取れたときで」 たったそれだけで、何もなかったことにしようとする。 誠司が都合の悪いとき、いつもこうやってやり過ごすのだ。 「首にキスマーク、ついてるよ」 私は静かに言った。 「次に女のところ行くなら、ドライブレコーダーくらい切っておいて。 私、忙しいの。あなたたちのこと、わざわざ見せられる趣味はないから」 一瞬、空気が止まった気がした。 誠司はしばらく黙ったまま、私を見ていた。 けれど次の瞬間、ふっと気が抜けたように笑った。 「気づいてたのか?」 そこに後ろめたさは、まるで感じられなかった。 彼はポケットからブレスレットを取り出すと、当然のように私の手首に通そうとした。 「余計なこと考えさせたくなくてさ。帰る前に、ちゃんと整えてきたんだけど」 「やっぱ無駄だったな。女が賢すぎるのも考えものだ。金がかかる」 そのブレスレットは落ち着いた輝きのあるゴールドで、一目で質のいいものだとわかった。 けれど似たようなアクセサリーなら、私のドレッサーにはもういくつも並んでいる。 昔、誠司が何かやらかして私が口をきかなくなると、仲直りしたくて、眠る前の私の枕元に必ずブレスレットをひとつ置いていった。 あの頃はまだ余裕がなくて、買えるのは安いメッキや偽物ばかりだった。それでも私は宝物みたいに大事にしていた。 けれど余裕ができてからの誠司は、仕事のことばかりになって、私をなだめようとすることさえなくなった。 そんな彼が珍しく贈り物を寄こしたのは、真琴とのことを私に知られて、全部マスコミにばらすと私が騒いだときだけだった。 「おとなしくしてろ。来月には入籍する」 私の顔色を見て、誠司はいつもの調子で言った。 「お前と結婚するのは、ずっと俺の夢なんだ。それだけは変わらない。 会社がまだ落ち着いてなくてさ。ちゃんとした式も挙げられないままじゃ悪いと思って、ここまで延ばしてきただけだ」 その言葉が、妙に白々しく聞こえた。 母は重い病気で、もう長くはない。 それなのに彼は、まだ私が待つと思っているのだろうか。 私はブレスレットをつかむと、そのまま床に叩きつけた。 「別れよう、誠司。 もう待てないし、これ以上待ちたくもない」 ブレスレットは床に叩きつけられて鈍い音を立て、そのまま砕け散った。 飛び散った破片が手の甲をかすめ、皮膚が裂けて血がにじんだ。 「俺を脅してるのか?」 誠司の顔から笑みが消えた。 彼は私の血のにじむ手をつかんだまま、声だけを冷たくした。 「十年も一緒にいて、入籍してないってだけで別れるなんて言い出すのか? たかが入籍だろ。それで何が変わる?形だけの夫婦なんて、いくらでもいるだろ」 その言葉を聞いた瞬間、何かがすっと冷めていくのがわかった。 怒りをあらわにした誠司を見つめたまま、私は問い返した。 「そんなに入籍がどうでもいいなら、どうしてしないの? したくないの?それとも――できないの?」 彼はその言葉の意味をすぐに悟った。 とたんに言葉を失い、顔を赤くした。 「それ、真琴は関係あるのか? あいつとはただの遊びだ。それ以上でもなんでもない。気に入らないなら、明日にでも会社から外す。 結婚の話はここまでだ。今のままで十分だろ」 言葉がすぐには出てこなかった。 手足の感覚が遠のいていくようで、胸の奥が静かに冷えていく。 「誠司、まだわからないの? 私はもう三十なの。恋だけで生きていける年じゃない。私に必要なのは結婚と家庭よ。あなた、今まで私に何をしてくれた?」 その言葉を聞いた途端、誠司の息が荒くなる。 表情がみるみる険しくなった。 「俺が与えるのはいい。でも、お前から求めるな」 第3話 「前にも言っただろ。今は入籍するような時期じゃないんだよ。何度も結婚の話をされても、かえって話がこじれるだけだ。 彼は私の目尻の涙を指で拭いながら、さっきより少しだけ声を落とした。 「瑠奈、もう少し落ち着いて考えられないのか? 会社のことで手いっぱいなんだ。余計なことで振り回されたくない。それってそんなにおかしいか?」 空気がぴんと張り詰めた。 胸の奥が、すっと冷えていくのが分かった。 どうして誠司が、こんなふうに私を責められるのか分からなかった。 全部失ったのは私のほうなのに。 気がつけば彼は、自分のほうが迷惑をかけられているみたいな顔をして、もっともらしいことを並べて私を責めている。 「結婚したくないなら――もういい」 立っているのもやっとだった。 誠司がほっとしたような顔をするのを見て、その瞬間、胸の奥がすっと冷えたて。 「外でどれだけ女を作ろうと、もう好きにすればいい。その代わり、これから先、私が誰と結婚しようと、あなたが口を出す資格はないから」 誠司は、とんでもない冗談でも聞いたみたいに笑った。 唇の端をつり上げ、見下すように言う。 「できるもんなら探してみろよ。別に止めない。 本当に結婚するっていうなら、そのときはちゃんと式にも出てやるよ。祝儀だって包んでやる。 俺と別れて、お前を本気で相手にする男がいるのか――見ものだな」 彼はドアを乱暴に閉めて出ていった。 車のエンジン音が遠ざかっていく振動で、テーブル脇のツーショット写真が倒れ、床に落ちた。 広い家の中は、耳鳴りがするほど静まり返っていた。 私はその場に立ち尽くしたまま、見慣れているはずの部屋をぼんやり見渡した。 泣きたいのに、涙はもう出てこなかった。 この家は、私と誠司が二人で設計したものだった。 どこを見ても居心地がよくて、細かなところにまで、あの頃の思い出が残っている。 あの頃の誠司は、あまり外に出たがらなかった。 少しでも時間ができると、彼は家で私と一緒に過ごしてくれた。アイロンビーズを並べたり、花を育てたり。何でもない毎日なのに、好きな人がそばにいるだけで、不思議なくらい満たされていた。 けれど、真琴が現れてからというもの、誠司は変わってしまった。 若くて、きれいで、わがままで――人を惹きつけて離さない熱を持った女だった。長いこと冷めきっていた誠司の気持ちを、あっという間に揺り動かした。 【雨の日って道も危ないし、上司がわざわざ傘を届けに来てくれたうえに、助手席まで独占。そのままおうちでディナーまで】 スマホの画面には、真琴がさっき投稿したばかりのSNSが表示されていた。 彼女は誠司の腕にしがみつくように寄り添い、その胸にもたれかかっている。唇には、彼のネクタイに触れたときについたような濃い赤が残っていた。 彼女が甘えるたびに、誠司は笑っていた。 そのうえ、笑いながら彼女の長い髪をくしゃっと撫でていた。 前の私なら、こんなものを見た瞬間に取り乱していたはずだ。誠司を問い詰めて、もう二度と真琴に会わないと約束させようとしていたに違いない。 でも今の私は、黙って荷物をまとめるだけだった。 ついでみたいに「いいね」を押して、コメントまで残す。 【末永くお幸せに】 家を出る直前、白川雅也(しらかわ まさや)から結婚式の招待状が届いた。 【式は三日後に決まった。会場も押さえてある。近いうちに入籍できそうか?】 それとは別に、彼からメッセージが届いていた。 彼は家同士が決めた私の結婚相手で、幼なじみでもある。誠司が現れなければ、本来は私が結婚するはずだった人だ。 【少し急いでいる。おば様の容体が思ったよりよくないんだ。 先のことはどうなるかわからないから。それに――君に後悔してほしくない】 私は思わず息をのみ、頬が少し熱くなった。 そして翌朝、私は彼と一緒に入籍した。 …… 「真琴の投稿に『いいね』したの、どういうつもりだ?」 誠司は電話をかけてくるなり、いきなりそう責め立ててきた。 「昨日あいつ、ずっと泣いてたんだぞ。お前が何かするんじゃないかって怯えて、また調子まで崩してる。 今までのお前の嫌がらせは黙って見過ごしてきた。でも今回は話が違う。真琴が俺と距離を置くって言い出してるんだ。お前が謝るまで、家にも来るなって言われてるんだ」 私は呆れて、思わず笑ってしまった。 手元の招待状の金の箔押しを指先でなぞりながら、皮肉っぽく言い返す。 「やましいことがあるなら、怯えるのも当然じゃない?」 第4話 「若いのに愛人なんてやって、その子へのプレゼント代には私が稼いだお金だって入ってるのよ。返せなんて言わないだけありがたいと思えば?いいねを一つ押したくらいで、何が問題だっていうの?」 「話をすり替えるな」 言い返された誠司は顔を真っ赤にして声を荒らげた。 「瑠奈、本気で俺に逆らうつもりか? そこまで言うなら、もう会社にも来なくていい。家に戻って専業主婦でもやっていればいい」 真琴は私の顔を見ると怯える――それを理由に。 彼は私の副社長としての役職を外し、私のオフィスを真琴の休憩室に変え、三か月追い続けてきた大型案件までそのまま彼女に引き継がせた。 誠司のおかげで、私はすっかり社内の笑いものになった。 どこへ行っても、陰で笑われた。 「聞いた?瑠奈って、身の程もわきまえず玉の輿を狙ったくせに、結局結婚まで持ち込めずに捨てられたんだって」 「前から気に入らなかったのよね。あの程度で社長を狙うなんて図々しい。よく今までそのままでいられたよね」 「優しくてお金もあって年上だし、それに真琴さんは明るくて感じもいいし。やっぱりあの二人のほうがお似合いじゃない?」 心はもう、とっくに擦り切れていた。 それでも誠司が私を取締役会から外すまでは、彼に対して、まだほんのわずかな期待だけは残っていた。 愛情はとうに消えていたけれど、それでも簡単に割り切れるほど冷たくもなれなかった。 ここまで決定的に関係が壊れることはないと、どこかで思っていたのだ。 今思えば、甘かったのは私のほうだった。 誠司のような利己的な男が、情けをかけてくれるはずもない。徹底的に追い詰められなかっただけでも、まだましだったのだ。 こんな屈辱を、黙って飲み込めるものか。 私はそのまま退職届を提出した。 会社のビルを出ると、雅也の秘書が外で私を待っていた。 「瑠奈様、ご用意していたダイヤのリングが仕上がりました。サイズに問題がないか、雅也様からもぜひご本人でご試着いただきたいと伺っております」 私は小さくうなずいた。 店員に案内され、五カラットのピンクダイヤのリングを指にはめる。 ずしりとした重みがあり、目を奪われるほど華やかだった。 その瞬間、数年前の記憶がどうしてもよみがえってくる。 誠司はよく私を連れてドレスを選びに行き、指輪を見て回りながら言っていた。 「瑠奈、お前にはずいぶん苦労をかけたな。 会社がもっと軌道に乗ったら、盛大な式を挙げよう。みんなに祝福されながら、お前を迎える」 私はそれを疑いもせず信じていた。 報われないまま、それでも何年も待ち続けた。 けれど最後に残ったのは結婚式ではなく、愛していた人の心変わりだった。 「鳴海社長、奥様、いらっしゃいませ」 鏡の中に、見慣れた二人の姿が映った。 すぐに、真琴のわざとらしく甘い声が耳に飛び込んできた。 「あのピンクダイヤは?早く持ってきて! 誠司さんが言ってたの。今日は私にプロポーズしてくれるって。いちばん高いダイヤじゃなきゃ、私には似合わないもの」 私は振り返り、誠司がその場で片膝をつくのを見た。 少し困ったように笑いながら、それでも甘やかすような声で言う。 「真琴。俺と結婚してくれるか。これから先もずっと、俺のそばにいてほしい」 手から滑り落ちたスマホが、乾いた音を立てて床に落ちた。 血の気が引き、全身が小刻みに震えた。 「誠司……あなた、結婚はしたくないって言ってたじゃない。 私が何度頼んでも、結婚を迫るなって突き放したくせに……彼女に一言甘えられただけで、その気になるの?」 誠司は目を見開いた。 まさか私がここにいるとは思っていなかったのだろう。 「お前……指輪を買いに来たのか?」 真っ赤になった私の目元に気づいた途端、誠司の態度がふっとやわらいだ。 彼はブラックカードを取り出し、そのままカウンターの上に置く。 「俺のカードで払えばいい。欲しいものがあるなら、好きに選べ。 このところ俺も少しは反省してる。あんな言い争いをする必要はなかった。これまでのこともあるし……結婚のことさえ言い出さなければ、ほかは全部目をつぶる」 あまりにも滑稽で、思わず笑いそうになった。 誠司はどうやら、私が結婚にこだわりすぎて一人で指輪を買いに来たのだと、本気で思っているらしい。 だからこんなことを言い出したのだろう。 「誠司さん、この人に構う必要ある?」 第5話 私が口を開くより先に、真琴があからさまに顔をしかめた。 「ねえ、自分がいくつだか分かってるの?もう三十も見えてるくせに、まだそんな派手な格好してピンクダイヤまで買うなんて。そんなのつけて歩いてたら、笑われるだけじゃない?」 真琴は私の指先をじっと見つめたまま、悔しさを隠そうともしない。 「誠司さん、私にピンクダイヤ買ってくれるって約束したよね? 式の日取りも決まってるし、明日には入籍するのに、なんでまだ元カノにプレゼントなんてしてるの?」 誠司は見るからに動揺していた。 真琴をきつく睨みつけると、慌てたように言う。 「瑠奈、違うんだ。 指輪は真琴への埋め合わせってだけで、結婚のつもりなんてない。お前が嫌なら渡さない」 私は口元にかすかな皮肉の笑みを浮かべた。 あの頃は、私のほうからプロポーズした。 二人のイニシャルを刻んだダイヤの指輪を差し出したとき――誠司はどうした? 人前であからさまに顔を曇らせ、私が時間をかけて選んだその指輪をゴミ箱に放り込んだ。 感情で縛るなとか、望んでもいないことを押しつけるなとか、好き勝手なことばかり言って私を責めた。 それが今では、真琴に少し甘えられただけで、あんなに譲らなかったはずのことまで簡単に変えてしまう。 「そうですよね、瑠奈さん。誠司さんの心の中には瑠奈さんしかいませんもの。結婚するのも瑠奈さんだけで、ほかの女なんてただの気晴らしですよね?」 真琴の嫌味など聞き流し、私はそのまま背を向けて歩き出した。 すると真琴が行く手を遮ろうとしてきたので、私はわざと大きく身を引いた。 まだ指先ひとつ触れていないのに、真琴は突然悲鳴を上げ、そのまま階段を踏み外して転げ落ちた。 「誠司さん……痛い……!」 床にうずくまって泣きじゃくる真琴の白いワンピースが、みるみるうちに血に染まっていく。 「どうして……私の子にこんなことするのよ……!」 私はその場で立ち尽くしたが、誠司はそこでようやく我に返ったようだった。 誠司は怒りに顔を歪めながらこちらへ歩み寄ってきて―― 次の瞬間、ためらいもなく私の頬を打った。 「瑠奈、お前はどこまで性根が腐ってるんだ。真琴が身重だって分かってて突き飛ばすなんて! もし子どもに何かあったら、ただじゃ済まさないからな!」 右の頬が焼けるように痛んだ。 誠司が真琴を抱き上げ、そのまま病院へ駆けていくのを見ながら、私はただ可笑しくて仕方がなかった。 店内には防犯カメラもあるのに、誠司は私の言い分を聞こうともせず、真相を確かめようともしなかった。 ただ真琴の言葉だけを信じて、私を彼女を傷つけた加害者だと決めつけた。 涙をぬぐい、私は家に戻って花嫁になる支度を始めた。 もう、あんな人のことで心をすり減らしたくなかった。 それなのに、誠司からのメッセージは立て続けに届いた。 【真琴は危うく流産しかけたんだぞ。それでも謝る気はないのか? お前が折れないなら、この結婚はなかったことにする。お前のような女を妻にする気はない。 お前の母親の病気だって、本当は嘘なんじゃないのか?そんな都合よく重なるわけがないだろ。俺に取り入るためなら、本当に何でもやるんだな】 怒りを通り越して、思わず笑いがこみ上げた。 私は会社の持ち株をすべて売り払い、中絶手術の予約を入れた。 ついでに、誠司の家へ結婚式の招待状も送っておいた。 招待状を送り終えたその瞬間、胸の中がすっと軽くなった。 長いあいだ胸の奥に澱のように溜まっていたものが、ようやく消えていく気がした。 …… 病院では、誠司はあれほど突き放すようなことを言ったばかりだった。 けれど内心では、すでにわずかな後悔が芽生え始めていた。 瑠奈は気が強くて頑固だ。無理に頭を下げさせようとすれば、本気で怒らせてしまうかもしれない。 「このままで終わらせちゃだめだよ」 真琴はさりげなく言った。 「瑠奈さんの気の強さ、折りたいって思ってたんでしょ?だったら今しかないよ。 結婚のこと出せば、お母さんの病気もあるし、きっと向こうから謝ってくるって」 誠司は、たしかにそうかもしれないと思った。 だが翌日、人事部には退職届が届いていた。 誠司は激怒し、すぐにでも理由を問いただそうとした。 家に戻ってみると、そこにあったはずの瑠奈の荷物はきれいに片づけられていた。 その代わり、テーブルの上には結婚式の招待状が一枚だけ置かれていた。 誠司はそれを開き、次の瞬間、信じられないものを見るように目を見開いた。 【新婦 日高瑠奈】 【新郎 白川雅也】 【ご列席いただけますよう、心よりご案内申し上げます】