愛は遅く、情は儚く

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愛は遅く、情は儚く

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結婚式当日、本来なら私たちのウェディングフォトが流れているはずのスクリーンに、突然、渡辺湊(わたなべ みなと)と彼の女友達である中村美...

Chương (1)

第1章

結婚式当日、本来なら私たちのウェディングフォトが流れているはずのスクリーンに、突然、渡辺湊(わたなべ みなと)と彼の女友達である中村美咲(なかむら みさき)のキス写真が映し出された。 美咲は列席者の席から立ち上がり、口元を押さえながら、無邪気で罪のない顔で笑った。 「みなさん、誤解しないでね。ただの悪ふざけだから。私と湊は小さいころから一緒に育ってきたの。私、いわば彼の第二の嫁みたいなものなの」 湊は笑いながら、小声で私に言った。 「こいつ、そういう性格なんだよ。思ったことをそのまま口にするだけだし、気にするな」 私は静かに彼を見つめた。 「私たちの結婚式で、あなたたちのキス写真を流して、自分はあなたの第二の嫁だなんて言う。それが悪ふざけだっていうの?」 湊は私を見て、苛立たしげに眉をひそめた。 「たかが何枚か写真を流しただけだろ?俺たち、五年も付き合ってきたんだぞ。こんな些細なことでそこまで執着して、いつまでも責め立てるつもりか?」 私は手を上げて、彼の言葉を遮った。 「そうよ、私は執着して、いつまでも責め立てるつもりよ……」 こんなふうに強い態度を取る私を見たことがなかったのか、彼は一瞬、呆けたように固まった。 私は振り返り、会場を埋めた列席者たちに向かって、はっきりと告げた。 「この結婚式は、ここで終わりです」 第1話 結婚式当日、本来なら私たちのウェディングフォトが流れているはずのスクリーンに、突然、渡辺湊(わたなべ みなと)と彼の女友達である中村美咲(なかむら みさき)のキス写真が映し出された。 美咲は列席者の席から立ち上がり、口元を押さえながら、無邪気で罪のない顔で笑った。 「みなさん、誤解しないでね。ただの悪ふざけだから。私と湊は小さいころから一緒に育ってきたの。私、いわば彼の第二の嫁みたいなものなの」 湊は笑いながら、小声で私に言った。 「こいつ、そういう性格なんだよ。思ったことをそのまま口にするだけだし、気にするな」 私は静かに彼を見つめた。 「私たちの結婚式で、あなたたちのキス写真を流して、自分はあなたの第二の嫁だなんて言う。それが悪ふざけだっていうの?」 湊は私を見て、苛立たしげに眉をひそめた。 「たかが何枚か写真を流しただけだろ?俺たち、五年も付き合ってきたんだぞ。こんな些細なことでそこまで執着して、いつまでも責め立てるつもりか?」 私は手を上げて、彼の言葉を遮った。 「そうよ、私は執着して、いつまでも責め立てるつもりよ……」 こんなふうに強い態度を取る私を見たことがなかったのか、彼は一瞬、呆けたように固まった。 私は振り返り、会場を埋めた列席者たちに向かって、はっきりと告げた。 「この結婚式は、ここで終わりです」 その言葉が落ちた瞬間、湊の顔色は見る間に沈んだ。 彼は私の手首をつかんだ。 「小林七海(こばやし ななみ)、いい加減にしろ」 声を低く押し殺していたが、その口調には抑えきれない怒りがにじんでいた。 「今日は何の日だと思ってるんだ。よりにもよって今、この場で駄々をこねるつもりか?」 私は彼と言い争おうとはせず、ただ力を込めて彼の指を一本ずつ外し、この吐き気のする結婚式会場から出ていこうとした。 けれど彼はまた手を伸ばし、今度は私の腕を乱暴につかんで、無理やり引き戻した。 「たかが何枚かの写真に、たった一言の冗談だぞ。そこまで大ごとにする必要があるのか?」 その声には、うんざりしたような響きが満ちていた。 「もう少し場をわきまえることはできないのか?今日はこんなにたくさんの親戚や友人が来てるし、両家の親だっているんだぞ。結婚式でこんな騒ぎを起こして、周りに俺たちのことをどう思わせたいんだ?」 私は勢いよく振り向いて彼を見た。 「騒ぎだって?湊、目を見開いてよく見て。いったい誰が、私たちの結婚式で騒ぎを起こしてるの?」 大スクリーンには、目に刺さるようなキス写真がまだ消されないままだった。 写真の中で、彼と美咲は抱き合い、唇を重ね、隙のない親密さをさらしていた。 彼の視線がわずかに揺れ、口調も少しだけ和らいだが、それでも言うことは結局同じだった。 「あれは前に負けた罰ゲームだったんだ。みんな酔ってたし、何もなかった。七海、俺たち五年の付き合いだぞ。その程度の信頼すら、俺にくれないのか?」 彼は少しだけ頭を下げ、珍しくなだめるような態度を見せた。 「もうすぐ指輪の交換なんだ。何があっても、式が終わったらちゃんと時間をかけて説明するから、今はそれでいいだろ?」 私は眉をひそめて彼を見た。 「湊、五年よ。私がずっとあなたを信じてた。それに、あなたが一度でも本気で説明してくれたことなんてあった?」 二人きりで映画を見に行った。 深夜に電話をして、明け方まで話し込んだ。 美咲が病気になれば、彼は私を置いて彼女のもとへ駆けつけた。 二人の距離感は、とっくにただの友達の範囲を越えていた。 どれだけ私がそのことで彼とぶつかっても、彼はいつも適当にあしらって、「俺を信じろ」としか言わなかった。 なのに今日は、私たちの結婚式で、彼女はキス写真を衆目にさらした。それでもなお、彼は私に自分を信じろと言うのだ。 湊は私に問い詰められ、しばらく言葉を失った。 数秒の沈黙のあと、彼はまた、吐き気がするほど聞き飽きたあの理屈を持ち出した。 「七海、お前の家庭のことがあるから、安心できなくて、敏感で、疑い深くなるのは分かってる。責めるつもりもない。だけど、そのせいで俺たちがずっと楽しみにしてきた結婚式を台無しにはしてほしくないんだ」 五年。 まる五年。 私が美咲のことで腹を立てるたび、彼はいつも私の家庭のことを持ち出した。 家庭に恵まれずに育った私を気の毒がっているような顔をして、愛情に飢えているからだ、不安になりやすいからだ、疑い深くて、悪い方へ考えすぎるんだと、理解あるふうに言ってみせた。 だから私は、何度も夜の闇の中で、自分が本当に神経質すぎるのではないかと疑った。 けれど今になって分かった。 そうじゃなかったのだ。 第2話 結局のところ、湊は自分に都合のいい、何度でも使える言い訳をひとつ持っていただけだった。 あの吐き気がするような生い立ちが、まさかこの恋愛の中で、彼が好き勝手に振る舞うための免罪符になっていたなんて。 彼は心の底から、自分は条件に恵まれていて、そんな自分が私と結婚してやるのだから、それだけでも十分ありがたいことだと思っていたのだ。 今日になってようやくはっきり分かった。 こんな不釣り合いな関係は、最初からきっぱり終わらせるべきだったのだと。 私は深く息を吸い込み、喉の奥の詰まりを押し込めて、そっと頷いた。 「ええ、あなたの言う通りね」 自分でも驚くほど、声は静かだった。 「私みたいな家庭で、私みたいな生まれの人間は、あなたには到底ふさわしくないわ」 「だから、渡辺夫人の席は譲る」 「誰がふさわしいと思うなら、その人を座らせればいい」 その言葉を聞いた瞬間、湊の目にわずかな動揺がよぎった。 「七海、俺はそんな意味で言ったんじゃ……」 彼が言い終える前に、美咲が客席から立ち上がり、一歩ずつこちらへ歩いてきた。 今日の彼女は、白いベアトップのロングドレスをまとっていた。 裾はふんわりと広がり、メイクも隙なく整っていて、まるでもうひとりの花嫁のように見えた。 彼女は私たちの間で立ち止まり、わざとらしく驚いたような顔で口を開いた。 「七海さん、まさか本当にこんなことで怒ってるんじゃないよね?」 私は淡々と彼女を一瞥しただけで、何も答えなかった。 美咲は私が相手にしないのを見ると、すぐに呆れたように白けた顔で目をひとつ翻した。 「七海さんって、ずいぶん心が狭いんだね。たかが数枚の写真でしょ?私たち、普段からこういう冗談ばっかりなのに。そんなふうに細かいことを気にしてたら、湊たちの仲間内じゃ好かれないよ」 そこでいったん言葉を切り、わざと少し声を張った。 「それに、私と湊は小さいころからずっと一緒だったし、子どものころは裸のまま一緒に寝たことだってあるんだよ?まさか子どものころのことにまでヤキモチするつもり?」 その言葉が落ちると同時に、会場の下からざわめきが広がった。 湊の顔色も、すっと冷えた。 私はただただ気分が悪くなり、彼女を避けてその場を離れようとした。 けれど美咲はすぐに一歩前へ出て、強引な態度で私の前に立ちはだかった。 「行かせないよ。湊のいちばんの親友として、そんなふうに帰らせるわけにはいかない。今日ここで帰ったら、湊の面目はどうなるの?」 私は彼女を見つめ、思わず冷たく笑った。 「私たちの結婚式で、あなたと彼のキス写真を人前で流して、自分は彼の第二の嫁だなんて笑って言ってたときには、湊の面目がどうなるかなんて考えもしなかったのに?」 美咲は言葉に詰まり、顔をさっと青くした。 一瞬、何も言えなくなったあと、開き直ったようにさらに横柄な態度で私の前に立ちふさがった。 「知らない!とにかく今日は最後まで結婚式をやってもらうから!でなきゃ、この会場から一歩だって出さない!」 抑え込んでいた怒りがついに限界を超え、私は鋭く言い放った。 「どいて!」 彼女は私に怒鳴られて、一瞬ぽかんとした。 次の瞬間、湊が前に出て美咲をしっかりとかばうように背後へ隠し、私を見る目には責める色が満ちていた。 「七海、怒りたいなら俺にぶつけろ。美咲を困らせるな!」 私はゆっくりと目を上げ、彼の顔を見た。 「美咲を困らせる?湊、よく目を開いて見て。最初から最後まで、いったい誰が誰を追い詰めてるの?」 そう言い終えると、私は指輪交換のために用意されていたダイヤの指輪を、二人の足元へ思いきり叩きつけた。 ダイヤが床に当たり、甲高く耳障りな音を立てる。 私は二人を見つめたまま、静かな声で言った。 「そんなにお似合いで、そんなに深い仲なんだったら、この結婚、あなたたちでやればいいわ」 湊はきつく眉を寄せた。 「七海、いい加減にしろ!」 美咲は見下すように鼻で笑った。 「七海さん、そんなに私の存在が気に入らないなら、これから先、私が湊と縁を切ればいいんでしょ。 だからちゃんと結婚式を最後までやってよ。そうしたら、これからはもう二度とあなたたちの前に現れないって約束する。これで安心できるでしょ?」 第3話 彼女はそう言い終えると、そのまま立ち去るふりをした。まるでこの世の理不尽を一身に背負わされたような顔をしていた。 湊はとっさに彼女の手首をつかんだ。 「美咲、俺たち二十年以上の付き合いだぞ。そんな簡単に縁を切れるわけないだろ」 美咲は勢いよく振り返り、私を指さしながら、恨みがましさをにじませた声で言った。 「じゃあどうしろっていうの?奥さん、私のことを、あわよくばその座を奪おうとしてる女みたいに見てるんだよ。だったら、私がいなくなるしかないじゃない。これでようやく、安心して結婚できるんじゃないの?」 その一言一言が、まるで私のほうが大げさに騒ぎ立てていると言わんばかりだった。 その口ぶりでは、私が理不尽に彼女を追い出そうとしている悪者にされていた。 私はもう彼らに付き合う気力もなく、あの白々しい芝居をこれ以上見ていたくもなくて、振り返りもせずに式場の外へ向かって歩き出した。 湊は追いかけてきた。 ホテルの外で、彼は私の前に立ちはだかり、その顔にはすでに苛立ちが浮かんでいた。 「七海、まだ気が済まないっていうなら、結婚式はひとまず中止でもいい。お前の気持ちが落ち着いたら、そのとき改めてやり直せばいいだろ」 私はとんでもない冗談でも聞かされたような気分になり、皮肉を込めて言い返した。 「やり直す?次の結婚式では、スクリーンにあなたたちのベッド写真でも映すつもり?」 「七海!」 彼は低く怒鳴り、顔を真っ青にした。 「七海、お前が今日ここから一歩でも出るなら、その責任は自分で取れよ」 私は足を止め、意味が分からず彼を見た。 私が反応したのを見て、彼は急に少し強気になった。 「さっき、お前の父親が俺に金を貸してほしいって言ってきた。それに、お前の弟の仕事ももう手を回してある。このまま出ていくなら、その金はもう出さない。仕事の話も今すぐ取り消す」 私はその場で凍りついた。 家の人たちがいつ彼にそんな話を持ちかけたのか、私はまったく知らなかった。 ましてや、彼が陰でそんなことをしていたなんて、想像もしていなかった。 「……え?」 湊は、私の反応を見ても、しらばっくれているだけだとでも思ったのだろう。 「とぼけるな」 彼は一歩詰め寄った。 「今日、おとなしく俺と一緒に戻れば、この件はこれで終わりにしてやる。だけど、それでも出ていくつもりなら、お前の家族がどうなるか、自分でよく考えろ」 私は目の前のその男を、呆然と見つめた。 見慣れているはずなのに、ひどく知らない人のように思えた。 しばらくして、私はふいに笑った。 笑ったはずなのに、目の奥が熱く痛んだ。 「本当に気持ち悪い男だね」 そう言い捨てると、私はもう彼を見ようともせずに車を発進させ、この屈辱に満ちた場所から迷いなく走り去った。 信号待ちのあいだに、スマホが二度震えた。 一通は、湊からのメッセージだった。 【七海、こんなに長い間、俺が愛してきたのはお前だけだ。渡辺夫人の座も、お前以外のものになることはない】 胸の奥が、鈍く痛んだ。 息が詰まるほどに。 湊はたしかに私を愛していた。 けれど同時に、自分こそが私にとって一生でいちばん条件のいい相手だと、本気で思っていたのだ。 だからこそ、あれほど平然としていられた。 だからこそ、女友達とあそこまで距離感なく親しくしていても、何ひとつ悪いと思わなかった。 私が何度不満をぶつけても、見て見ぬふりができた。 私が傷ついて苦しんでいても、聞き分けがないと責めることができた。 そして結婚式当日ですら、美咲が人前で私を侮辱するのを平然と許していた。 彼は、自分には力があって、家のことでも私を助けてやれるのだから、私は感謝して、彼のどんな過ちも黙って受け入れるべきだと思っていたのだ。 もしこの結婚を本当に続けていたら、その先がどうなるかなんて、考えなくても分かった。 終わりのない譲歩。 終わりのない我慢。 終わりのないえこひいき。 そして最後には、見るも無惨に壊れた結末だけが残る。 もう一通は、先生から届いたメールだった。 もう一度、海外留学への挑戦を勧めてくれていた。 私にはファッションに対する鋭い感性があるのだから、自分の可能性を軽々しく閉ざしてはいけない、と。 そのメールは今、受信箱の中で静かに光っていた。 まるで、一面が瓦礫になった私の人生に差し込んだ、かすかな光のように。 …… 私は車を走らせ、結婚前に借りていた小さなアパートへ戻った。 広くはないけれど、清潔で、静かで、何よりも完全に私だけの場所だった。 私はスマホの電源を切り、重たいウェディングドレスを脱ぎ捨て、顔に施された華やかなメイクを洗い落とした。 第4話 そのあと、私はそのままベッドに倒れ込み、深い眠りに落ちた。 どれほど眠っていたのか分からない。 乱暴で激しいドアを叩く音に、私は眠りの底から無理やり引きずり起こされた。 「七海!開けろ!早く開けろ!」 ずきずきと重い額を押さえながら起き上がり、私はドアを開けた。 外に立っていたのは、博打に溺れた父と、向上心のかけらもない弟の小林彰人(こばやし あきと)だった。 父は部屋に入るなり、慣れた手つきで煙草を取り出して火をつけ、煙を吐き出した。 狭いリビングは、たちまち煙草の臭いで満たされた。 彰人はというと、勝手に私のソファに寝そべり、だらしない格好でふんぞり返っていた。 父は煙をひと口吸うと、真っ先に口を開いた。その声には非難がたっぷりとにじんでいた。 「お前、今日は一体どういうつもりだったんだ?せっかくの結婚式を、自分からやめるなんて言い出して、本当にぶち壊す気か。このままじゃ、俺は怒りでどうにかなっちまうぞ」 「まったく、これだから母親が早くいなくなった娘はだめなんだ。小さいころから、家じゃ父親に従え、嫁いだら夫に尽くせってことを、誰にも教わらずに育ったんだな」 「渡辺家みたいないい家が、うちみたいな家柄でも受け入れてくれただけありがたいってのに、それをお前は、大勢の前であっちの顔に泥を塗りやがって」 彰人も横から、だらけた口調で調子を合わせた。 「姉ちゃん、俺は小林家でたった一人の跡取りなんだぞ。小林家の血をつないで、家を盛り立てていくのは全部この俺にかかってるんだ」 「湊さんは、姉ちゃんが嫁に来たら俺のことちゃんと面倒見るって言ってたんだぞ。仕事だって世話してやるし、これから先の道も作ってやるって。なのに姉ちゃんが結婚式をぶち壊したせいで、俺これからどうしたらいいんだよ?」 二人の口から次々とこぼれる、腐りきった時代遅れの言い草を聞いているだけで、私はどっと疲れた。 「面倒見る?」 私は鼻で笑った。 「あなたが商売で何百万も損を出した穴も、父さんの博打でできた借金も、これまで少しずつ埋めてきたのは誰だと思ってるの? これ以上、どうしろっていうの?どうにもならない人間だって分かってるのに、無理やりどうにかしてやれって?」 二人は私に言い返されて言葉を失い、顔を見合わせた。 けれどすぐに態度を変え、今度は情に訴える芝居を始めた。 父は煙草をもみ消し、ため息をついて、いかにも哀れっぽい声を作った。 「七ちゃん、父さんはもう年なんだ。体だって悪い。借金取りは毎日のように家の前に来る。このまま返せなきゃ、きっと殴り殺される。父さんが外で死んでも、お前は平気だっていうのか?」 彰人も体を起こし、焦ったような顔をした。 「姉ちゃん、俺の借金がこれ以上返せなかったら、信用情報に傷がつくんだぞ。そうなったら、俺の人生は終わりだ。小林家だって本当に終わる!」 「それは全部、自業自得でしょ」 私は冷たく言った。 「前から何度も言ってたはずよ。賭け事はやめろ、むやみに投資するなって。あなたたち、一度でも聞いた?」 父は太ももをばんと叩き、開き直ったように言った。 「そんなこと知るか!お前は小林家の娘なんだ。だったら俺たちの面倒を見るのは当然だろう!今すぐ湊に電話して謝れ。仲直りしろ。お前たちが仲直りしない限り、あいつは俺たちの借金を肩代わりしてくれないんだ!」 彰人も便乗して騒ぎ立てた。 「そうだよ、早く電話しろよ。女が一人でそんな大金稼げるわけないだろ。湊さんに助けてもらわなきゃ、俺たちもう生きていけないんだよ!」 それでも私が黙ったままでいると、父はまたひとつため息をついた。 「じゃあこうしよう。お前から電話して、湊に迎えに来てもらえ。向こうから迎えに来るって形なら、お前の面目も立つだろ」 彰人もすぐに続けた。 「そうそう、湊さんに迎えに来てもらえばいいじゃん。そうすれば姉ちゃんの体面も保てるだろ」 湊が私に与えた傷も、彼らにとってはその程度のことだった。 そんなふうに、あっさり流してしまえる程度のものだった。 その瞬間、私の中に残っていた最後の情も、きれいに擦り切れて消えた。 私はゆっくりと頷いた。 「いいわ。電話する」 次の瞬間、私はスマホを取り出し、この五年間、一度もかけたことのなかった番号を押した。 コール音が数回鳴り、相手が出た。 私は深く息を吸い込んだ。 声は驚くほど穏やかで、何の波も立っていなかった。 「明日、あなたと帰るわ」 電話を切る。 父と彰人はたちまち大きく安堵の息を吐き、顔にはほっとした笑みが浮かんだ。 そしてそのあとも、二人はまたくどくどと私に説教し始めた。 第5話 「これからは、もうこんなふうに癇癪を起こすんじゃないよ。渡辺家みたいな家なら、狙ってる女なんていくらでもいるんだからな」 「湊の気が長いから、お前みたいなのでも受け止めてくれるんだ。ほかの男だったら、とっくに見限られてるぞ」 「俺たちはみんな、お前のためを思って言ってるんだ。ありがたみも分からないなんてことはないだろうな」 私はもうこれ以上、二人の戯れ言を聞く気にもなれず、立ち上がった。 「疲れたから、休む」 そう言ったのに、二人には帰る気配がまるでなかった。 父は困ったような顔をした。 「今うちの前には借金取りがうろついてるんだ。帰ったら殴られる。だから今夜はここでひと晩しのぐしかない」 彰人はさらに当然とでも言いたげにソファへ寝転がった。 「どうせ明日になれば湊さんが姉ちゃんを迎えに来るんだろ。借金さえ返せば俺たちも家に戻れるし、今日は仕方なくここで泊まるよ」 私はもう反論しなかった。 どうせ、私がここで過ごすのも今夜が最後だったから。 私はそのまま寝室へ入り、ドアを閉めた。 しばらくして、スマホが一度震えた。 見慣れない番号から届いたメッセージだった。 【航空券の情報はあなたのスマホに送っておいた。空港で待ってる。そこで合流する】 私は指先をわずかに動かし、ひとことだけ返した。 【分かった】 深夜。 私は小さなスーツケースに必要最低限のものだけを詰めた。 持っていくのはパスポートとキャッシュカード、それに着替えを数枚だけ。 金庫の中には、湊が最初に大きなお金を稼いだとき、私に買ってくれたブルーダイヤがまだ入っていた。 暖色の灯りの下で、それは眩しいほどに輝いていた。 あのとき彼は、一生分のダイヤを贈ると言っていた。 私は嬉しくて、長いことその言葉を信じていた。 けれど今はもう、見た目ばかりで中身のないものなんて、置いていけばいいとしか思えなかった。 寝室の外では、父と彰人が大きないびきをかいて眠っていた。 私はそっとドアを開け、そしてまた音を立てないように閉めた。 まるで全身を縛っていた鎖から、ようやく抜け出したような気分だった。 飛行機は離陸し、空高く舞い上がり、雲を突き抜けていった。 足元の街はどんどん小さくなり、やがてぼやけた輪郭だけになった。 私は目を閉じ、そしてもう一度開いた。 そのときには、胸の中に残っていたのは静けさと解放感だけだった。 十時間あまりの飛行を経て、飛行機は無事にフランスのパリへ到着した。 私はスマホを開き、自宅に設置していた監視カメラの映像を映した。 画面の中の光景は、はっきりと見えた。 湊が仕立てのいいスーツ姿で、無表情のまま私のアパートのリビングに立っていた。 その隣には美咲もいた。 モニター越しに、父と弟が湊にへこへこと頭を下げ、茶を出し、水を注ぎ、媚びへつらうように世話を焼いているのが見えた。 湊は珍しく、父に対して多少ましな顔を見せていた。 差し出されたコップを受け取ると、軽く頷いて礼を言った。 「ありがとう、お義父さん」 その「お義父さん」のひと言で、父は顔中にしわを寄せて笑った。 湊はすぐ本題に入った。 「昨日の件は、俺と美咲にも非があった。今日は彼女も連れてきた。七海にきちんと謝って、連れ戻したいと思っている」 父は何度も頷きながら、いいことだと繰り返した。 「そうそう、若い夫婦なんて、夜にどれだけ派手にぶつかっても、朝になればケロッと仲直りするもんなんだよ。夫婦喧嘩なんて、一晩寝りゃ終わりだ。 安心しろって。あの子のことは父親の俺がきっちり叱っといたから、もう二度とあんな馬鹿な真似はしないはずだ……」 父は両手をこすり合わせながら、媚びるような声を出した。 「湊くん、この前頼んでた金のことなんだけど……あれ、いつごろ何とかなりそうなんだ?いやいや、催促してるわけじゃないんだぞ。たださ……俺も彰人も、そろそろ家に戻らなきゃならないし」 湊はうんざりしたように、彼の言葉を遮った。 「まずは七海を連れ帰らせてくれ」 父は気まずそうに笑い、それから弟に向かって言った。 「何をしてる、早くお姉ちゃんを起こしてこい!」 彰人は何度も頷き、慌てて私の寝室のドアを押し開けた。 数秒後、彼は真っ青な顔で飛び出してきた。 声は恐怖で裏返っていた。 「父さん、大変だ!姉ちゃんが……姉ちゃん、部屋にいない!いなくなってる!」