来ない人を、五年以上待ち続けた

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来ない人を、五年以上待ち続けた

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私、榊原詩織(さかきばら しおり)と彼氏の井上優斗(いのうえ ゆうと)がウェディングドレスの試着に行ったその日、彼の女性アシスタントの前...

Chương (1)

第1章

私、榊原詩織(さかきばら しおり)と彼氏の井上優斗(いのうえ ゆうと)がウェディングドレスの試着に行ったその日、彼の女性アシスタントの前田有希(まえだ ゆうき)が、私が三か月も待ち続けたオーダーメイドのウェディングドレスを壊した。 すると彼はそのアシスタントの前にすっと立ちはだかり、淡々とした口調で言った。 「このドレスはもともと細工が多くて重いんだ。有希が持ちきれなかったのも無理はない。そんなに責め立てるなよ」 私は信じられない思いで彼を見つめた。 「優斗、これは私が三年間も楽しみにしてきた結婚式なの!このドレスをどれだけ待ったと思ってるの!」 優斗の顔に、かすかな苛立ちが浮かんだ。 「また作り直せばいいだろ。これじゃなきゃ駄目ってわけでもないんだから。 新しいドレスが仕上がったら、盛大な結婚式を挙げるって約束する」 私は口を開いた。 けれど、声は何ひとつ出なかった。 ただ、感覚のないままこくりと頷いた。 ウェディングドレスは、べつにこの一着でなければならないわけじゃない。 同じように、新郎だって、優斗でなければならないわけじゃない。 第1話 私、榊原詩織(さかきばら しおり)と彼氏の井上優斗(いのうえ ゆうと)がウェディングドレスの試着に行ったその日、彼の女性アシスタントの前田有希(まえだ ゆうき)が、私が三か月も待ち続けたオーダーメイドのウェディングドレスを壊した。 すると彼はそのアシスタントの前にすっと立ちはだかり、淡々とした口調で言った。 「このドレスはもともと細工が多くて重いんだ。有希が持ちきれなかったのも無理はない。そんなに責め立てるなよ」 私は信じられない思いで彼を見つめた。 「優斗、これは私が三年間も楽しみにしてきた結婚式なの!このドレスをどれだけ待ったと思ってるの!」 優斗の顔に、かすかな苛立ちが浮かんだ。 「また作り直せばいいだろ。これじゃなきゃ駄目ってわけでもないんだから。 新しいドレスが仕上がったら、盛大な結婚式を挙げるって約束する」 私は口を開いた。 けれど、声は何ひとつ出なかった。 ただ、感覚のないままこくりと頷いた。 ウェディングドレスは、べつにこの一着でなければならないわけじゃない。 同じように、新郎だって、優斗でなければならないわけじゃない。 親友の加藤凛(かとう りん)は私が頷いたのを見ると、信じられないという目をした。 「詩織ちゃん、あの女の嘘にだまされないで!ほら、ここ、カッターで切った跡がこんなにはっきりしてる。どう見たってわざと――」 言い終える前に、店員が奥から出てきた。 凛は店員の手にあるブライズメイドドレスを見て、目を赤くした。 「ウェディングドレスがあんなことになってるのに、私、何をブライズメイドドレスなんて試着すればいいのよ……」 私はなだめるように彼女の肩を軽く叩いた。 「大丈夫、着てきて。結婚式に遅れは出ないから」 親友が離れると、そばにいた有希がすぐに言葉を継いだ。 「でも、ウェディングドレスをもう一着オーダーし直すとなると、少なくとも一か月はかかりますよね。たしか社長と奥さまの結婚式って、来週でしたよね? 全部、私のせいです。もっと気をつけていればよかったです……」 優斗はふっと笑って、淡々と言った。 「大したことじゃない。そんなに自分を責めるな」 大したことじゃない。 そんなに自分を責めるな。 私はその二つの言葉を心の中で噛みしめながら、顔を上げて優斗を見た。 彼は私から少し離れた場所に立っていた。その隣には有希がいた。 話すあいだ、彼の視線は終始有希に向けられていて、目元にはかすかな笑みさえ浮かんでいた。 そして、原形もわからないほど切り裂かれたあのウェディングドレスには、彼はこの店に入ってから一度も目を向けようとしなかった。 凛が試着を終えて出てきた。 私は目の前に立つ彼女を見て、今日初めての笑みを浮かべた。 「凛ちゃん、そのドレス、すごく似合ってる。 私の結婚式のときは、私が贈ったあのヘッドドレスを絶対に合わせてね」 凛はふんと鼻を鳴らし、ちらりと優斗と有希のほうを見やったが、何も言わなかった。 店員がまた何着か新しいウェディングドレスを持ってきて、試着を勧めた。優斗は近づいてきて、いつもの癖のように私のバッグを持とうとした。 私はその手を避け、バッグをそのまま床に置いた。 優斗は一瞬、面食らったように固まった。 私がカーテンを引いて間もなく、外から彼の声がした。 「正直、最初に選んでたあの一着は、君にはあまり似合ってなかった。 あれは体のラインの欠点が目立ってしまう。君にはマーメイドラインのほうが合ってる。 だから壊れたなら壊れたでいいだろ。大したことじゃない、そうだろ?」 私が答えないままでいると、優斗はカーテンをめくって中に入ってきた。 彼は私の背中のファスナーを上げながら、ひどくかすかなため息とともに言った。 「ただのドレス一着だ。 もっと大人になれよ。そんなに根に持つな」 もっと大人になれよ。 またその言葉だった。 有希が婚約パーティーの招待客リストを間違えて書いたときも。 婚約パーティーで酔いつぶれて、優斗にしがみついて離れなかったときも。 勝手に病院へ母の見舞いに行き、母のアレルギーの原因になるマンゴーを持っていったときも。 優斗はいつだってあの冷めた口調で、ひどくいい加減なその一言を口にした。 「有希はまだ新人なんだ。いろいろ不慣れなんだから、君はもっと大人になれよ」 私は抱きしめようとして近づいてくる優斗を押しのけ、そっと息を吐いた。 「出ていってくれる?」 優斗は黙って数秒、私を見つめた。 そして最後には頷き、後ろへ下がって出ていった。 「少し頭を冷やせ。 有希を送ってくるよ。このあたりは会社から遠いし、一人で帰るのは不便だろうから」 優斗が去ったあと、私は試着室のソファに崩れるように座り込んだ。ビスチェ部分の締めつけがきつくて、息がうまくできなかった。 そのとき、凛の声がした。 「優斗と、いったいどうなってるの?この結婚式、あなたたち、一年もかけて準備してきたんでしょ。 彼、いったい何を考えてるの?」 私は目を伏せ、身にまとった硬い生地を指先でなぞりながら、意識を一か月前の病院へと遡らせた。 あのとき、医者は母の危篤を告げた。母はベッドに横たわり、目には涙をいっぱいにためていた。 第2話 「詩織のことだけが、お母さんはどうしても気がかりなの。 お母さんがいなくなったあと、あなたが幸せになれないんじゃないかって……」 今にも倒れそうな私を、優斗が前に出て支えた。そして、母に向かって揺るぎない口調で言った。 「おばさん、誓います。これからは俺が、おばさんの代わりに詩織をちゃんと守っていきます」 彼はすぐに皆へ連絡を入れ、結婚式の準備を前倒しで進めるよう手配した。自ら付き添って進行を確認するために、しばらく休みまで取った。 あのとき優斗は私の頬をつまみ、目の奥いっぱいに頼もしさと優しさをたたえていた。 「おばさんが生きているうちに、君が結婚する姿をその目で見られて、結婚式にも出られたら、少しは安心できるはずだ。 おばさんに、君が幸せだってちゃんと見てもらう。詩織、約束する」 彼のキスがそっと私の唇の端に触れた。けれど記憶が遠のくにつれて、その感触は少しずつ冷たく、苦いものに変わっていった。 優斗が何を考えているのか、私にはわからなかった。 でも今は、理解しようとする余裕すらなかった。 店員とデザインの打ち合わせを済ませ、私と凛はタクシーで店をあとにした。 部屋の扉を開けて、真っ先に目に飛び込んできたのは、あの大きなウェディングフォトだった。 ウェディングフォトを撮った日も、有希が入社した初日だった。 二人は学生時代からの知り合いだったらしく、優斗が結婚すると聞くや大喜びで、ぜひ手伝いたいと言ってやって来た。 けれど写真を運んでいる最中に足をもつれさせ、危うくパネルを落として壊しかけた。 私は見ていて肝を冷やしたのに、優斗は何の反応も示さなかった。 ただ、有希のそばを通り過ぎるとき、ひと言だけ小さく尋ねた。 「足、ひねってないか?」 あの瞬間にはもう、私を結婚式まで踏ん張らせていたものは、きっとただ母を安心させたいという気持ちだけになっていたのかもしれない。 扉のほうで小さな電子音がした。指紋認証の解錠音だった。 背後から足音が近づいてきて、やがて私の隣で止まった。 優斗もそのウェディングフォトをしばらく見つめていたが、やがてふいに口を開いた。 「実を言うと、この写真にも粗はいろいろある。 でもあのときはおばさんの体調があまりよくなくて、急いで決めるしかなかったんだ」 私は何も答えず、静かにその先の言葉を待った。 ほどなくして、優斗の視線が私へ落ちた。 その口ぶりはどこまでも軽かった。 「有希の言うとおりだ。結婚式は、やっぱり遊びじゃない。 今日試したのも、見た感じどれも今ひとつだったし、やっぱり一着ちゃんとオーダーしよう。 ドレスが一か月後に仕上がったら、それから式の段取りを改めて詰めればいい」 一か月後では、母はもう間に合わない。 窓から吹き込んだ風のなか、私は自分でも驚くほど静かな声で言った。 「優斗、もう別れよう。 来週、私は結婚するから」 部屋の中に、短い静寂が落ちた。 優斗の顔つきがすっと険しくなる。 「詩織、ふざけるな。一週間じゃ無理がある。まだ片づいてないことが山ほどあるだろ」 「式場は押さえてあるし、進行の確認も済んでる」 私は彼に尋ねた。 「何が、まだ片づいてないの?」 優斗は眉をひそめた。適当にごまかすだけでは、もう私をどうにもできないと気づいたのだろう。 彼は開き直ったように言った。 「詩織、最近マリッジブルーがひどすぎるんじゃないか? そこまでひどいなら、こっちでカウンセラーを手配する。君は――」 「来週末、三月九日」 私は彼の言葉を遮った。 「結婚式は予定どおりやる」 私はスマホを取り出し、画面に表示した招待状のデザインを見せた。 その瞬間、優斗はいきなりスマホをひったくり、床へ叩きつけた。 「いい加減にしろ!詩織! この前、君が俺のプロポーズを受けたのは、お母さんのためなんだと思ってた。 でも今となっては、ただ焦って自分を嫁に行かせたいだけだったみたいだな!」 優斗は荒く息をつき、氷のような声で言い放った。 「言っとくがな、君はもう年なんだ。とにかく結婚したいんだろうが。 だからって、自分が結婚に飢えてるからって、その勢いで俺に無理やり結婚を迫るのは筋違いだ!」 優斗は乱暴に扉を開けて出ていった。けたたましい音に、部屋じゅうが震えた。 ちゃんと固定されていなかったガラス入りのウェディングフォトが壁から落ちた。 私の足元で、それは完全に砕け散った。 私はしゃがみ込み、優斗に叩き割られたスマホを拾い上げた。 すると一本のビデオ通話が入ってきた。蜘蛛の巣みたいに走ったひびを避けながら、私は通話ボタンを押した。 凛の声が聞こえてくる。 「もう聞いた。優斗、あなたが選んだウェディングドレスに不満で、作り直すとか言ってるんでしょ。これじゃ来週の結婚式なんて絶対無理じゃない。 でも安心して。おばさんにこの話を切り出しにくいなら、私が代わりに話してくるから」 第3話 そう言いながら、彼女は画面をとんとんと叩き、口角を上げるしぐさをしてみせた。 「もっと嬉しそうにしなよ。だって、これから一番好きな人のところに嫁ぐんだから。 親友として、あなたが幸せなら、私はもちろん全力で応援するよ!」 指先が、叩き割られたフォトフレームの破片で切れた。血が画面の上にじわりと広がっていく。 私はそれをゆっくり拭い、そっと口元を緩めた。 「お母さんには言わなくていいよ。結婚式は予定どおりやるから。 凛、私、自分でちゃんと幸せになる」 通話を切ると、一件のメッセージが届いた。 結婚式用に新郎の礼服を仕立てているブランドからだった。 優斗と連絡がつかないので、新郎はいつ試着に来るのかと尋ねてきていた。 私はキーボードを叩き、返信した。 【彼にはもう連絡しなくて大丈夫です。あとで新しいサイズをお送りします】 それを済ませると、私は自分の荷物をまとめ始めた。 翌日、私はスーツケースを引いて部屋を出た。 車が病院に着くと、私は気持ちを整え、無理に笑みを作って病室の扉を開けた。 「お母さん」 母はベッドに横たわっていたが、ぱっと目を輝かせた。 「あら、詩織ちゃんが来たのね」 母は私の両手をぎゅっと握りしめ、にこにこと笑った。 「結婚式の日、体の具合が悪くて行けなかったらどうしようって思ってたの。 でもこの数日で、先生が少し良くなってきたって言ってくれてね。 詩織ちゃん、お母さん、あなたがお嫁に行く姿をこの目で見られそうよ」 最後のひと言はとても小さくて、まるで自分に言い聞かせる嬉しい知らせのようだった。 私は込み上げるものをこらえながら、母の布団を整えた。 けれど次の瞬間、病室のドアが乱暴に開け放たれた。 有希が入口に立ち、母を指さして言った。 「おばさん、あなたがそんなことを言うからなんですよ。あなた、自分の娘さんが社長に無理やり結婚を迫ったって知ってます?」 頭の中で、ぶん、と鈍い音が鳴った気がした。私は反射的に立ち上がり、母の前に立ちはだかった。 「何をでたらめ言ってるの!」 有希は腕を組み、見下すように私を見た。 「違いますか、榊原さん?社長の気持ちも考えずに、勝手に結婚式の段取りも日程も決めたんでしょう。そんなの、無理やり結婚を迫ったのと同じじゃないですか!本当にやり方が汚いですよね!」 有希は得意げで挑発的な顔をしていた。その隣に立つ優斗は、ひと言も口を挟まなかった。 まるで有希の言葉を全面的に認めているようだった。 背後から、母の震える声が聞こえた。 「無理やり結婚を?それ、どういうことなの?」 有希は口をへの字に曲げた。 「おばさん、私が思うに、体が悪いならこれ以上子どもに迷惑をかけないほうがいいんじゃないですか。 見てくださいよ。あなたのせいで、どれだけ話がめちゃくちゃになってるか。 私なんて昨日の夜、社長をなだめるのに一晩かかったんですよ」 母の顔から、さっと血の気が引いた。 有希の言葉に含まれた意味を、母ははっきり悟ったのだ。 有希は冷ややかに笑った。 「でもまあ、榊原さんがこんなふうに結婚を迫るようなことをするのも、結局は親が親だからこそ――」 パシッ! 私は叩かれて顔をそむけた有希を冷たく見据え、低い声で言った。 「出ていって」 優斗は勢いよく有希を背後にかばい、その目を冷えきらせた。 「詩織、頭おかしいのか! 有希の言ってることは間違ってないだろ。君の母親、今だってぴんぴんしてるじゃないか。 母親の病気をだしにして俺をだまして、少しずつ逃げ道をふさいで、結婚に持ち込もうとしたんだろ。詩織、君も大したもんだな!」 私は彼を見て、もう言い争う気力すら完全に失った。 スマホを取り出し、そのまま警備員を呼ぼうとしたそのとき、背後で鈍い音がした。 私ははっとして振り返った。母が床に倒れていた。 「お母さん!」 母は涙をこぼし、歯を食いしばって叫んだ。 「あなたたち、出ていって!うちの娘をいじめるんじゃない!」 私は慌てて駆け寄り、母を抱き起こした。その体は激しく震えていた。 母は悲鳴のような声で優斗を問いただした。 「優斗、この女は誰なの!これが、あのときあなたが私に約束したことなの?詩織を守るって、そう言ったじゃない! これが、あなたの立てた誓いなの!」 優斗は一瞬、言葉を失ったように固まった。 それから私を見つめ、長いこと黙り込んだ。 やがてためらいがちに口を開いた。 「詩織とは結婚するつもりだ。ただ、まだ今じゃない……」 その言葉を聞いた瞬間、私はかえって完全に冷静になった。 母のためにナースコールを押し、それからバッグの中から、もともと母に渡すつもりだった招待状を取り出した。 そして目の前のテーブルに置いた。 「必要ないわ、優斗。 私が結婚する相手は、あなたじゃない」