去る前に愛を言わないで

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去る前に愛を言わないで

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私は白川清花(しらかわ さやか)。白川知樹(しらかわ ともき)の妻だ。 結婚して三年目、知樹は若い愛人を囲うことに夢中になった。 相手は...

Chương (1)

第1章

私は白川清花(しらかわ さやか)。白川知樹(しらかわ ともき)の妻だ。 結婚して三年目、知樹は若い愛人を囲うことに夢中になった。 相手は、須藤優奈(すどう ゆうな)という女だった。 優奈を喜ばせるためなら、知樹はどれほど理不尽な要求でも私に呑ませた。そして私が一つ頷くたび、彼は小切手を一枚よこした。 だから私も、彼にもらった金で、外に大学生の男の子を囲った。 結婚記念日の夜、知樹はベッドの上で私の腰を抱き寄せた。 「今度、優奈の現場でヌードシーンの代役が必要なんだ。 現場には人が大勢いる。あの子は若いし、そういうのを気にするだろ。それに俺も、あの子の肌を他人に見せたくない。 お前ならちょうどいい。そんな体、誰も欲しがらないだろ」 私は枕の下から離婚届を取り出した。 「ちょうどよかった。私のほうも最近うるさくて。離婚しましょう。私も、もうこんな生活を続ける気はないの」 第1話 私は白川清花(しらかわ さやか)。白川知樹(しらかわ ともき)の妻だ。 結婚して三年目、知樹は若い愛人を囲うことに夢中になった。 相手は、須藤優奈(すどう ゆうな)という女だった。 優奈を喜ばせるためなら、知樹はどれほど理不尽な要求でも私に呑ませた。そして私が一つ頷くたび、彼は小切手を一枚よこした。 だから私も、彼にもらった金で、外に大学生の男の子を囲った。 結婚記念日の夜、知樹はベッドの上で私の腰を抱き寄せた。 「今度、優奈の現場でヌードシーンの代役が必要なんだ。 現場には人が大勢いる。あの子は若いし、そういうのを気にするだろ。それに俺も、あの子の肌を他人に見せたくない。 お前ならちょうどいい。そんな体、誰も欲しがらないだろ」 私は枕の下から離婚届を取り出した。 「ちょうどよかった。私のほうも最近うるさくて。離婚しましょう。私も、もうこんな生活を続ける気はないの」 知樹は目を細め、しばらく私を見つめた。やがて、何かを察したように笑う。 「金が足りないのか? もう一桁増やせば満足か?」 彼は長い腕で私の腰を抱え込むと、片手で私の手から離婚届を取り上げ、そのままゴミ箱へ放り込んだ。 「ずいぶん偉くなったな。離婚届なんか出して、俺を脅すつもりか」 知樹は昔からそういう男だった。 私が何を望んでいるのかも、どれだけ我慢してきたのかも、彼には見えていない。 結婚した日、彼は私に言った。 「金以外、俺はお前に何もやれない」 その言葉どおり、この五年、知樹はいつだって金で私を黙らせてきた。 私は腰から下へ滑り込もうとする彼の手を払いのけ、まっすぐに見返した。 「知樹、私は本気よ。 あなたの愛人も好き勝手しているし、私のほうも似たようなものよ。別れたほうが、お互い楽でしょう」 知樹の顔から、すっと笑みが消えた。 それでも、口調にはまだ薄い嘲りが残っていた。 「前にも言っただろ。白川夫人として置いてやるのは、お前だけだ。 優奈は少し甘えているだけだ。お前に直接迷惑をかけたわけでもないのに、何をそんなに目くじら立ててる。 いい年して、若い女に張り合うなよ」 結婚する前から、知樹の口からは何度も似たような言葉を聞かされてきた。 昔の私は、そのたびに取り乱して言い争い、泣きながら縋った。けれど今は、もう何も感じない。 女遊びの激しい男が、いつか家庭に戻ってくるはずだなんて、最初から夢物語でしかなかったのだ。 私は知樹を見つめた。自分でも驚くほど、声は落ち着いていた。 「白川夫人でいれば、世間からは華やかに見えるんでしょうね。でも、もう飽きたの」 外にいるあの子は、まだ二十歳を少し過ぎたばかりだった。体力もあるし、私を退屈させない術も知っている。 その点でいえば、知樹とは比べるまでもなかった。 知樹の顔が、みるみる険しくなった。彼は私の手首を、痛いほど強く掴む。 「もう一度言ってみろ。 言ったはずだ。外の女とは、ただ遊んでいるだけだ。 そのうち遊び飽きれば、ちゃんと家に戻る。清花、いい加減、子どもみたいなことを言うな」 知樹は強引に覆いかぶさってきた。逃げ場を塞ぐように、首筋や肩へ次々と唇を落としてくる。 その体から、嗅ぎ覚えのある、鼻につくシトラス系の香りがした。 優奈がいつもつけている香水だった。 私は嫌悪を隠さず、彼の唇を避けた。 「自分がどれだけ気持ち悪いことをしているか、分からないの? 迷惑をかけていない?私に全部押しつけておいて、よくそんなことが言えるわね」 二年前から、優奈は気に入らないことがあるたび、私に当たるようになった。 優奈が池にピアスを落としたとき、知樹は私を水の中へ入らせ、一晩中探させた。 海外で優奈と知樹の関係が撮られたときは、その火消しのために、母が昔ホステスをしていたという噂が、すぐにSNSで広められた。 華やかなはずの白川夫人は、いつの間にか社交界でいちばんの笑いものになっていた。 かつての私も、知樹がいつか私のために家庭へ戻ってくれるのだと信じていた。そのためなら、意地もプライドも捨てて、優奈の言いなりになった。 けれど今の私には、知樹に期待する気持ちなんて一欠片も残っていない。 知樹はしばらく言葉を失い、私をじっと見据えた。やがて興が削がれたのか、乱れたシャツのボタンを留め直し、嘲るように笑った。 「金を受け取るときは黙って受け取っていたくせに、今さら傷ついた妻みたいな顔をするな。しらける。 俺に食わせてもらってる身で、対等に話せると思ってるのか。 離婚届を出せば俺が折れるとでも思ったか。勘違いするな。お前に離婚を決める権利なんかない」 バン、と乱暴にドアが閉まった。 知樹はそのまま出ていった。 広くて冷えきったこの家には、また私一人だけが残された。 第2話 翌朝早く、相羽翔也(あいば しょうや)から電話がかかってきた。 「荷物はまとまった?迎えに行こうか」 ちょうど荷造りを終えた私は、離婚届をテーブルの上に置いたところだった。 「うん。午後には出られると思う」 「じゃあ、そのとき連絡して」 電話を切った直後、今度は知樹から着信が入った。 「十分以内に優奈のマンションへ来い。 来なければ、お前の父親の会社への出資は明日で打ち切る」 拒む余地も与えず、それだけ言って電話は切れた。 父の会社には、知樹の出資がどうしても必要だった。結局、私は折れるしかなく、優奈のマンションへ向かった。 優奈のマンションには何度も来ている。暗証番号まで知っていた。 玄関を開けると、知樹はベランダのそばで優奈を抱き寄せ、荒々しく唇を重ねていた。 優奈は頬を赤く染め、甘えるように知樹の胸を軽く叩いた。 「もう、こんなときに彼女を呼んでどうするの。 せっかく午前中は、もっと楽しいことができると思ったのに」 そう言いながら、優奈は勝ち誇ったように私を見た。 知樹は笑って優奈から体を離し、もう一度、軽く唇を重ねた。 「昨夜、ベッドで下敷きにしたせいで汚れたんだ。 こいつに洗わせる」 彼は横目で私を見た。私の顔に、少しでも動揺が浮かぶのを待っているようだった。 けれど、こんな場面はこの二年で何度も見てきた。今さら動揺することもなかった。 「つまり、私を呼びつけて、彼女の服を洗わせる気?」 知樹は顎を少し上げた。 「ああ。そこに並んでいるヒールも、あとで優奈が履く。きれいに磨いておけ」 優奈は知樹の腕に寄り添い、甘ったるい声で笑った。 「このドレス、知樹さんが私のために特別に作らせてくれたの。何千万円もするんだから、ちゃんと手で丁寧に洗ってね」 そのドレスは、結婚一周年のとき、知樹が私のためにデザイナーへ依頼して作らせたものだった。 完成まで、まるまる二か月かかった。 「これは白川夫人だけに贈る、世界で一着だけのドレスだ」 あのとき、知樹は確かにそう言った。 けれど今となっては、その言葉すら私だけのものではなかったらしい。 私はハサミを手に取り、裾から胸元まで一気に切り上げた。高価なドレスは、あっという間にただの布切れになった。 優奈が悲鳴を上げる。 「何してるの!このドレスがいくらするか分かってるの?知樹さんが私のために作らせてくれた、世界に一着しかないドレスなのよ!」 やはり知樹は、彼女にも同じことを言っていたのだ。 私はそのまま並べられたヒールの前に立ち、順に踏みつけていった。高価なヒールにはたちまち醜い皺が入り、もう履ける状態ではなくなった。 優奈は泣きながらこちらへ駆け寄ってきた。 「ひどい……!知樹さんが私のために選んでくれたものなのに!」 知樹はソファに腰を下ろしたまま、火のついた煙草を指に挟んでいた。煙に遮られて、その表情はよく見えない。 私は彼の前まで歩いていった。 「ドレスなら、言われたとおりにしておいたわ。もう帰ってもいいかしら」 優奈は泣きじゃくりながら、知樹の胸に縋りついた。 「知樹さん、見たでしょう?清花さん、ひどすぎる…… 私、何もしてないのに。どうしてこんなことされなきゃいけないの?」 知樹の視線は、ずっと私に向けられていた。その目の奥は暗く、感情が読み取れない。 「騒ぐな。いくら欲しいんだ。あとで振り込ませる」 初めて知樹は、私にしてきたのと同じように、優奈を金で黙らせようとした。 それきり知樹が何も言わないので、私は静かに口を開いた。 「ほかに用がないなら、帰るわ」 知樹はゆっくりと煙草を灰皿に押しつけ、冷えた目で私を見上げた。 「待て。誰が帰っていいと言った? 昨日、優奈のヌードシーンの代役をしろと言ったはずだ。もう忘れたのか」 私は彼を見返した。 「嫌だと言ったら?」 知樹は鼻で笑った。 「嫌でもやるんだ。離婚したいならな」 突然、部屋に数人のボディガードが踏み込んできた。彼らは私の両腕を掴み、強引に外へ引きずり出す。 知樹は優奈の肩を抱き寄せたまま、少しも声を荒らげずに言った。 「現場へ連れていけ」 撮影現場はひどく混み合っていた。狭い部屋の中はスタッフで埋まり、息苦しいほどだった。 そして、その人だかりの向こうで、優奈だけが楽しそうに私を見ていた。 その目元には、隠しようのない挑発が浮かんでいた。 第3話 「この作品、少しきわどいシーンがあるの。本当は受けるつもりなんてなかったんだけど。 でも知樹さんが、私が嫌なら清花さんにやらせればいいって」 知樹は軽蔑するように私を一瞥した。 「少し肌を晒すだけだろ。お前が嫌がるほどのことか。 それに、その体を見たがるやつなんていない。優奈を人前に晒すくらいなら、お前がやれ」 あまりの身勝手さに、怒る気さえ失せた。 監督が苛立ったように急かすと、優奈はそばにいたスタッフへ目配せした。相手はすぐに私へ近づき、乱暴にシャツを引き剥がした。 優奈は得意げに笑った。 「清花さん、これは今さっき追加されたシーンなの。襲われる役だから、あまり動かないでね。うまく撮れなかったら、また撮り直しになっちゃうから」 次の瞬間、体格のいい男たちが私にのしかかってきた。無遠慮な手が、乱れた服の隙間から入り込もうとする。 「離して!」 必死に押し返しても、男たちはますます調子に乗った。 「今さら何を恥ずかしがってんだよ。白川社長にもろくに相手にされてないって聞いたぜ」 「優奈さんが相当怒っててさ。わざわざ白川社長に頼んで、この場面を足してもらったんだよ。こっちもちゃんとやらないとな」 怒りで頭が真っ白になった。 どこにそんな力が残っていたのか、自分でも分からない。私は男を突き飛ばし、近くにあったペットボトルを掴むと、優奈の頭から一気に水を浴びせた。 「人を辱めるのがそんなに好きなら、あなたも少しは味わえばいい」 冷たい水が優奈の髪を伝って流れ落ち、白いワンピースは一瞬で肌に張りついた。胸元が透け、現場にいた人間の視線が一斉に集まる。 知樹の目がすっと細められた。 次の瞬間、知樹はスーツの上着を脱ぎ、優奈の肩にかけていた。 パシン、と乾いた音が響いた。 迷いのない平手打ちが、私の頬に飛んできた。 「誰であろうと、こっちを見たやつは明日からこの街にいられないと思え。 優奈の写真が一枚でも流れたら、撮ったやつも流したやつも、全員ただじゃおかない」 知樹が私を見る目には、少しの温度もなかった。 「優奈は芸能人だ。こんな姿を撮られて、変な写真でも出回ったら、どれだけ取り返しがつかないか分かっているのか。 今すぐ優奈に謝れ。お前のせいで優奈が怖がって仕事に支障でも出たら、ただじゃ済まさない」 優奈は知樹の腕の中に身を寄せ、勝ち誇ったようにこちらを見ていた。 襟元が少し濡れただけで、知樹はあれほど必死になる。なのに私は、ヌードシーンの代役として大勢の前に立たされ、体に触れられても、彼は冷ややかに見ているだけだった。 私はまっすぐ知樹を見た。自分でも不思議なほど、気持ちは冷めきっていた。 「先にあんなふうに仕掛けてきたのは、そっちでしょう」 「謝れと言っている」 「絶対に謝らない」 知樹の目が冷たく細められた。 「そうか。なら、その格好でいろ。誰もこいつに何も貸すな」 その一言で、周りにいた人間は誰一人として動かなくなった。 嘲るような視線だけが、遠巻きに私へ向けられる。 私は部屋の隅にしゃがみ込み、破れたシャツを胸元にきつく抱えたまま、震える手でスマホを取り出した。 電話をかけてから、そう待たずに済んだ。 ほどなくして、撮影現場の外にロールス・ロイスが停まった。 花束を抱えて現れた翔也は、私の姿を見るなり息を呑んだ。手の中の花束が、床に落ちる。 「何があった?」 私は震えたまま、翔也の胸元へ逃げ込んだ。 「助けて。離婚したいの」 …… その夜、優奈に付き添ってパーティーに出ていた知樹は、帰り際に父から電話を受けた。 「白見原の相羽家?あそこの跡取りが、どうしてうちに話を持ってくるんだ」 そばで聞いていた優奈の目が、ぱっと輝く。 「仕事の話なんじゃない? すごいじゃない。相羽家に目をかけられたら、白川家だって一気に格が上がるわ」 その言葉に、知樹の表情も少し緩んだ。 「明日、手土産を用意して相羽家へ行く」 翌朝早く、知樹は白川家の面々とともに相羽家を訪れた。 手土産を置き、翔也に挨拶をしようとしたそのとき、知樹の目に、彼の隣に座る女の姿が映った。 私は離婚届をテーブルの上に放った。 「これでようやく、離婚の話をする時間ができたかしら?」