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零れ落ちる花、春の終わりに
結婚して五年間、リオラ・アシュフォードはずっと、夫のアルバート・アシュフォードをただの通信兵だと信じていた。 彼が仕事で忙しいからと、...
Chương (1)
第1章
結婚して五年間、リオラ・アシュフォードはずっと、夫のアルバート・アシュフォードをただの通信兵だと信じていた。
彼が仕事で忙しいからと、家事のすべてを覚えた。
彼の給料が少ないからと、銅貨一枚すらも惜しんで使った。
しかし、難産で入院した彼女が病院で目にしたのは、亡き親友の未亡人であるフィオナ・ハートウィンに付き添う夫の姿だった。
そこで初めて、リオラは真実を知った。
アルバートは通信兵などではなく、帝国辺境の軍政を統括する、位高き総軍団長だったのだ!
彼は、総軍団長夫人としての待遇をすべて幼馴染のフィオナに与えるため、リオラに五年間も身分を偽り続けていた。
さらには、フィオナが子を失って悲しまぬよう、リオラの産んだ子を彼女に譲れとまで言い放った。
リオラの心は、完全に死んだ。
病院で体を休めた後、彼女は独り教皇庁の門を叩き、神官選抜試験を突破した。そして教皇庁が持つ、世俗を凌駕する特権を利用し、大司教へと婚姻関係の即刻解除を申し立てる。
嘘にまみれたこの結婚生活に、自らの手で終止符を打つのだ。
永遠に、アルバートの元から去るために。
第1話
我が子を奪われて以来、リオラ・アシュフォードは人が変わってしまった。
それが、平民街の住人たちの間ではもっぱらの噂だった。
一日目、彼女は自分のために卵を三つも使い、バターたっぷりのオムレツを作った。
以前のように、上等な小麦粉や卵をすべて夫のアルバート・アシュフォードのために取っておき、自分は硬い黒パンで我慢するようなことはしなかった。
二日目、彼女は大通りへ赴き、花柄の外套を新調した。
以前のように、擦り切れた服を何度も縫い直し、銅貨を貯めてはアルバートのために防寒用の膝当てを余分に作ってやるような真似はしなかった。
三日目、隣家の娘を連れ立って公立病院へ行き、銀貨二枚を払って自分の産後の肥立ちを良くする薬を処方してもらった。
だが、病院の待合室で突然、軍の副官に立ち塞がられた。
「奥様!アシュフォード総軍団長閣下が任務中に負傷されました。ずっとあなたのお名前を呼んでおられます!どうかお顔を見せてやってください!」
リオラは静かに彼を見つめた。その顔に、心配の色は微塵もなかった。
「彼が呼んでいるのは本当に『リオラ』?『フィオナ』の間違いではなくて?」
彼女は哀れむように微笑んだ。
「フィオナを探しに行きなさい。アシュフォード総軍団長閣下が会いたいのは彼女のはずよ。将校家族用の居住区の一番西の端、独立した屋敷だからすぐに見つかるわ」
言い終えると、隣家の娘の手を引いて立ち去ろうとした。
弱々しいが、落ち着き払った声が、背後から彼女を呼び止めた。
「リオラ」
副官は息を呑んだ。
「閣下、どうしてご自分で出てこられたのですか!」
アルバートは副官の制止など意に介さず、リオラの目の前まで歩み寄った。
血の気を失った顔に優しい笑みを無理やり浮かべ、リオラの頬に手を伸ばした。
「会いたかったのは君だよ、リオラ。怪我をしておきながら、妻ではなく別の女に会いに行く夫がどこにいる?そんなことを言うなんて、あの日、出産の時のことをまだ怒っているのかい」
リオラはその手を避け、静かに口を開いた。
「怒ってなどいないわ。
フィオナ・ハートウィンはあなたの親友の未亡人。総軍団長として彼女の世話をするのはあなたの責務よ。ましてや彼女は身重だったのだから。だからあなたの家族である私は、すべてを理解し受け入れるべきだわ。ええ、分かっている」
宙を掻いた己の手と、彼女の冷ややかな眼差しに、アルバートの胸に不安がよぎった。
かつてのリオラなら、彼の体の傷一つ一つに心を痛め、共に過ごす一分一秒を大切にしてくれたはずだ……
決して今のように、赤の他人のような冷たい態度をとるはずがない。
さらに何かを言いかけようとした時、リオラはすでに隣家の娘を連れ、真っ直ぐに病院を出て行こうとしていた。
すべてを目撃していた娘が、驚いたように声を潜めた。
「リオラさん、私の見間違いじゃないよね?アルバートさんは部隊の下級通信兵じゃなかったの?どうして総軍団長に?おめでとう、ようやく苦労が報われたね!」
リオラは胸の奥が締め付けられるような痛みを覚え、自嘲気味に唇を歪めた。
アルバートは下級通信兵などではない。
最初からずっと、帝国辺境の軍政を統括するアシュフォード総軍団長だったのだ。
半月前、リオラは突然破水して病院に運ばれたが、難産のため帝王切開の手術が必要になった。
所持金はわずか銀貨八枚。三十五枚もかかる手術費用など払えるはずがない。
絶望の淵に立たされていた彼女だったが、そこへ総軍団長の副官が現れ、強引に彼女を病室へと引き入れた。
「そこの御婦人、我が総軍団長閣下が、あなたの手術費用と、さらには産後の養生のための支度金として銀貨五十枚を出してもいいと仰せだ。ただし、一つ条件がある。あなたが産み落とすその子供を、フィオナ・ハートウィン夫人の養子として譲っていただきたい」
全身の血が瞬時に凍りついた。
目の前に現れたこのアシュフォード総軍団長こそ、下級通信兵であるはずの自分の夫ではないか!
視線が交差する。アルバートは眉をひそめた。
「リオラ?なぜ君が?」
彼に焦る様子はなく、むしろ安堵の溜め息をついた。
「君だったなら、話は早い。すぐに手術を受けなさい!フィオナは俺の幼馴染で、彼女が身籠っていたのは親友であるバスティアン・ハートウィンの忘れ形見だ。彼女にとって唯一の希望なんだ!もし目を覚まして、産まれた子が死んでいたと知ったら、絶対に耐えられない」
リオラは耳を疑った。
「その女のために、下級通信兵だと身分を偽って五年も私を騙していたのね!彼女の子供が死んだからといって、私の子供を奪おうというの?あなた、それでも人間の血が流れているの!」
アルバートは露骨に苛立ちを見せた。
「騒ぐな!子供の一人くらいだろう!また作ればいい!そんなに心の狭いことを言うな。家族として、俺の立場を思いやるのが君の務めだ!」
リオラは手術台に押さえつけられた。
フィオナが突然目を覚まし、どうしても赤ちゃんに会いたいと言い張ったため、アルバートは麻酔が効き始めるのを待つことすら許さず、即座に彼女の腹を裂くよう医者に命じた!
激痛の中で意識を失い、目を覚ましたリオラが最初にしたことは、子供を取り返そうとすることだった。
だが、アルバートは彼女を病室に閉じ込めた。
一日目、彼が特権を振りかざしただけで、リオラの親友は帝国商会を解雇された。
二日目、彼が手を回し、リオラの年老いた父親は城門の帳簿係の職を奪われ、採石場の苦役へと追いやられた。
三日目、彼の一言で薬屋が封鎖され、持病を抱えるリオラの叔父は二度と薬を買えなくなった……
多くの親戚や友人が人づてに伝言を寄越し、どうか助けてくれとリオラに哀願した。
アルバートが病室に入ってきた。
「子供を取り返すなどという考えを捨てさえすれば、彼らを見逃してやろう」
リオラの心は、完全に死んだ。
なぜ長年騙していたのかとアルバートを問い詰めることも、償いを求めて泣き叫ぶこともしなかった。
病院で体を休めた後、教皇庁の支部へ逃げ込み、神官の選抜試験を突破した。そして教皇庁の世俗を凌駕する特権を利用し、大司教から「聖務就任の通達書」を授かった。
それは、神官選抜に合格したため即日をもって見習い神官に任ずるという通達であり、帝国と教皇庁が結んだ法典に基づき、神に一生を捧げる誓いを立てた瞬間から、これまでの世俗の契約や婚姻関係は即刻解除されるというものだった。
手続きが終われば、彼女は教皇庁の馬車に乗り、嘘にまみれたこの結婚生活に終止符を打つ。
永遠に、アルバートの元から去るのだ。
第2話
リオラが帰宅して間もなく、アルバートも戻ってきた。
彼は目玉が飛び出るほど高価な山羊の粉乳と希少な薬草を机に置き、さらに懐から銀貨三百枚が詰まった重い革袋を取り出して、リオラの手に握らせた。
リオラは静かに目を伏せた。
「これは何?罪滅ぼしのつもり?」
アルバートは少し沈黙し、答えた。
「ああ。子供のことは本当にすまなかった。身分を隠していたのは、フィオナが総軍団長夫人としての待遇を受けていると知ったら、君が不快に思うのではないかと恐れたからだ。だが、俺はどうしても彼女の面倒を見なければならなかった……
これからは給料をすべて君に渡す。君を誰よりも華やかな夫人にしてみせる!」
リオラは自嘲気味に口角を引き上げ、心の奥底に隙間風が吹き込むような寒々しさを覚えた。
どれほどの大金を積まれようと、完全に冷え切った心も、奪われた子も、二度と戻ってくることはない。
それに、結婚してからの五年間、欲しかったのはアルバートの地位でも金でもなかった。
五年前の猛吹雪の中、村の入り口で凍えて気を失っていたリオラに、アルバートが外套を羽織らせ、絶望の淵から背負って救い出してくれたことを今でも覚えている。その姿は、彼女の人生を照らす一筋の光のようだった。
雪害の救援活動が続いた一ヶ月間、彼女は毎日温かい白湯を運び、手編みのマフラーや手袋を届けた。
少女の恋心はひたすらに純粋で、ただ彼の姿を少しでも見られればそれで満足だった。
別れ際、年配の兵士が彼女の想いを見抜き、アルバートに嫁いで領都へ行く気はないかと冗談めかして尋ねてくる。
リオラは目を瞬かせた。
「お嫁に行きたいです!」
天幕の中がどっと沸いた。
アルバートも笑った。
「俺の名前も、役職も知らないのに。もし俺が一介の下級通信兵だったらどうする?」
リオラは顔を赤らめて俯いた。
「それでも、お嫁に行きたいです」
結婚して五年、ずっとアルバートをただの通信兵だと信じていた。
彼が仕事で忙しいからと、家事のすべてを覚えた。
彼の給料が少ないからと、銅貨一枚すらも惜しんで使った。
月の障りの時期になれば、彼は彼なりに不器用な手つきで湯たんぽを温め、差し出してくれたものだ。結婚記念日には家事で荒れた彼女の指先を案じて、上等な軟膏を贈ってくれた。非番の日になれば、彼女の代わりに重い水瓶を運んで井戸から水を汲み、家中のランプを点検しては新しい油を隅々まで注ぎ足してくれた……
愛さえあれば、必ず幸せな日々が訪れると、リオラは愚かにも信じ切っていた。
結局のところ、すべては彼女の一人よがりだった。アルバートの心には、最初から最後までフィオナただ一人しかいなかった。
以前自分に優しかったのは、フィオナに夫がいたからに過ぎない。
今やフィオナの夫が陣没し、彼はもう取り繕うことも、その必要すらも感じていないのだ。
リオラは何も答えず、その銀貨の袋を無造作に引き出しにしまい、静かに言った。
「もう休みましょう」
「リオラ!」
アルバートは苛立たしげに眉をひそめた。
夫人という身分も、金も、償いも、気遣いも……すべてを与えたというのに、なぜリオラはいつまでも機嫌を直そうとしないのだ!
その時、突然ドアが乱暴に叩かれ、副官の焦った声が響いた。
「閣下、ハートウィン夫人が、奥様が以前よく作られていたあの卵スープを飲みたいと仰っています」
リオラの胸が大きく跳ねた。
かつて、アルバートが軍団に戻る前には、いつも彼のために滋養のある甘い卵のスープを作り、持たせていた。
砂糖と蜂蜜は希少で、卵も高価だ。リオラは節約に節約を重ね、自分では一口たりとも口にできなかったというのに。
だが、宝物のように大切にしていたその真心を、夫がフィオナにあっさりと分け与えていたとは思いもしなかった。
アルバートは急かすように言った。
「リオラ、俺たちの話は後だ。早くスープを作ってやってくれ。
砂糖と卵はまた買ってきてやる。急いでくれよ、フィオナは産後で体が弱っているんだ。あまり待たせないでやってくれ」
リオラとフィオナが同じ日に出産したことを、彼は完全に忘れていた。
彼女の体もひどく弱っているというのに。
リオラは胸の奥から込み上げる痛みを無理やり押し殺し、背を向けて台所へ入った。
暖炉の火は一向におこらず、焦燥に駆られて部屋を行き来するアルバートの足音が、まるで死の宣告のように不気味に響き渡る。リオラはそれを遮るように、油を注ぎ足して無理やり火を点けようとした。
だが、マッチを擦って近づけた瞬間、鼓膜を劈くような轟音と共に、炎が一気に吹き上がった!
リオラは熱波に吹き飛ばされ、後頭部を激しく壁に打ち付けた!
炎が彼女を飲み込もうとしたその瞬間、一つの影が矢の如く飛び込んできて、彼女の前に立ちはだかった!
「リオラ!大丈夫か?しっかりしろ……!」
彼は目を真っ赤にして焦り、ほとんど怒鳴るように叫んだ。
自身の背中が焼け焦げ、ひどい火傷を負っていることすら、全く気付いていないのだ。
血が首筋を伝って止めどなく流れ落ちる。リオラは朦朧とする意識の中で彼を見つめたが、応える力はなく、目の前の世界は次第に暗闇へと沈んでいった……
第3話
激しく揺れる軍用馬車から降ろされ、リオラは病院の急患室へ運び込まれた。
医師は素早く担架を受け取ると、アルバートを火傷の処置へ連れて行こうとした。
アルバートは看護師を乱暴に押しのけ、我を忘れたように叫んだ。
「俺はどうでもいい、死にはしない!先に妻を救ってくれ!持病はない、一ヶ月前に出産したばかりだ、血液型はA型だ!」
しばらくして、リオラの傷を確認した医師が困り果てた顔で出てきた。
「閣下、奥様は出血がひどく、至急輸血が必要です。ですが当院の備蓄血は空で、在庫を取り寄せるには一週間かかります。奥様は絶対に持ちません!もし……特権を使えば、軍部の医療備蓄から緊急用の血液を回してもらうことができます。まだ間に合います」
しかし、アルバートは深く沈黙した。
リオラが最後の力を振り絞って薄目を開けると、声を潜めて話し合う副官の姿が目に映った。
「閣下、何を躊躇っておられるのですか?奥様の血を見てください、床に血溜まりができています!早く命令を下してください!」
アルバートは目を閉じ、掠れた重い声で言った。
「どうやって命令を下せと言うんだ?忘れたのか、以前リオラの子供をフィオナに渡した時、病院の者たちの口を封じるためにすでに軍団長の特権を使ったんだぞ?
帝国戸籍庁での軍属登録はまだ済んでいない。俺が間に入って握り潰さなければ、もし事実が露見したらどうする?そうなればフィオナは真実を知ることになる。母親である彼女が、二度も子供を失う痛みに耐えられるはずがないだろう?
そんな危険を冒させるわけにはいかない!俺にもそんな残酷なことはできない!」
その言葉は氷の刃のように、リオラの心臓を瞬時に貫いた。
アルバート、どうしてそんなに残酷になれるの……
妻の命が風前の灯火だというのに、彼が案じているのはフィオナが子供を失うかどうかだというの!
なら、自分はどうなるというの?
今回子供を奪われる以前に、すでに二度流産している。
体の冷えと栄養不良のせいで、妊娠が発覚してすぐに、子供は血の塊と化して流れ出てしまった……
アルバートが知れば軍務の妨げになると心配し、彼に告げることなく、一人で静かにすべての苦痛と悲しみを飲み込んできた。
そして今……自分自身もまた血の塊と化し、ここから立ち去る前に、命を落とすというのか?
一滴、また一滴と流れ出る血に体温を奪われながら、リオラは絶望の淵に沈みかけていた。
その時、フィオナが慌ただしく駆けつけ、躊躇うことなく袖をまくり上げた。
「私の血を使ってください!リオラさんとは血液型が同じなんです……!お願い、私が彼女を助けたいの!」
アルバートは眉をひそめ、慌てて彼女を引き離した。
「フィオナ、何をする気だ?
出産したばかりで、体もまだ完全に回復していないのに、血を分けるなどできるはずがない!」
フィオナは頑なに彼を押しのけ、揺るぎない眼差しで言った。
「アルバートさん、やらせて。リオラさんは私のためにスープを作ろうとしてこんなことになったのよ!彼女が危険な時に、私が力になるのは当然のことだわ!」
アルバートは途端に目を潤ませ、深く胸を打たれた。
彼が呆然としている間に、フィオナはリオラの担架と共に急患室へと入り、リオラに向けてかすかに微笑んだ。
「この数年間、アルバートさんが私にしてくれた恩は忘れていません。少しでもお返しさせてください」
管を伝って血液が少しずつリオラの体内へ流れ込んでいく。彼女は僅かながら活力が戻ってくるのを覚え、胸の内に感謝の念が湧き上がった。
騙していたのはアルバートであり、結局のところフィオナには関係のないことだ。
リオラは重い瞼を開け、フィオナに「ありがとう」と伝えようとした。
だが突然、彼女は抑えきれない悪寒に襲われた。
それと同時に、胸の上に石を置かれたように息苦しくなり、顔から血の気が失せ、呼吸すら困難になっていく。
看護師が慌てて輸血の管を引き抜き、悲鳴を上げた。
「あなた!血液型を偽ったの!?
先生!先生!患者の血が適合していません、激しい拒絶反応が出ています!至急処置を!」
看護師が人を呼びに飛び出していった直後、先程まで優しくお淑やかな顔をしていたフィオナが、突然邪悪な笑みを浮かべ、冷酷な声で囁いた。
「死・ん・で・し・ま・え!
あんたが死ねば、アルバートさんは永遠に私だけを愛してくれるわ!」
リオラは戦慄し、限界まで目を見開いた。
フィオナは……わざとやった!
だが言葉を発することはできず、全身が痙攣し、視界が真っ暗になり、完全に意識を失った。
第4話
どれほどの時間が過ぎたのか。リオラは激痛の中で目を覚ました。
「水……誰か……」
ありったけの力を振り絞っても、蚊の鳴くような掠れた声しか出なかった。
その時、ドアの外からフィオナのすすり泣く声が聞こえてきた。
「ごめんなさい……アルバートさん、全部私のせいよ……
自分の血液型を勘違いしていたせいで、リオラさんを死なせかけるところだったなんて……私を罰して!どんな罰でも受けるわ!」
ドアの隙間から、氷すら溶けそうなほど甘く優しいアルバートの顔が見えた。
彼はフィオナの頭をそっと撫で、リオラがこれまでに聞いたこともないような優しい声で言った。
「いいんだ、自分を責めないでくれ。リオラは死んだわけじゃないだろう?君も親切心からやったことだ、どうして罰するなんてできようか」
リオラの心臓がギリギリと締め付けられた。
やはり。
たとえ死にかけたとしても、アルバートは自分のためにフィオナを少しも傷つけようとはしないのだ。
何を思ったのか、アルバートはふと笑みをこぼした。
「罰するとしたら、種痘の処置に行かせる間、ずっとレオを抱かせることだな」
フィオナはくすくすと笑った。
「アルバートさんってば意地悪ね。レオがあなたに懐いてるのを知ってるくせに!あの子、今じゃずいぶん重くなってて、私じゃ抱き抱えていられないわ!」
言い終えると、フィオナはアルバートの腕にすがりつき、談笑しながら子供の種痘へと向かっていった。
リオラの体は震え、途方もない痛みの波が全身を覆い尽くし、彼女を飲み込んだ。
レオ。
それは彼女が名付けた赤ん坊の名前だった。
アルバートの胸に身を預けながら、名付けの提案をした日のことを覚えている。
「もし男の子なら、レオにしましょう。あなたみたいに、勇敢な子に育つように……どうかしら?」
アルバートは優しく微笑んで答えた。
「いいね。もし女の子なら、リリーにしよう。君のように、聡明で美しい子になるようにね」
だが今、彼女はただ見つめることしかできない。
フィオナが自分の夫にすがりつき、自分の子供を抱き、自分が名付けた名前を呼んでいるのを。
その一言一言が、千の刃で切り刻まれるよりも深くリオラの心を切り裂いた。
どれくらい一人で横たわっていたのか、微睡みに落ちかけていた時、突然病室のドアが開いた。
アルバートは一瞬呆然とし、すぐに歓喜の声を上げた。
「リオラ!やっと目を覚ましたんだな!」
彼はリオラを抱き起こし、壊れ物を扱うように水を飲ませ、額に手を当てて熱を測った。
フィオナも駆け込んできて、大げさに心配してみせた。
「リオラさん、具合はどうでしょうか?どこか苦しいところはありませんか?」
彼女は思いやりがあるふりをして身をかがめ、リオラの毛布を掛け直すふりをしながら耳元に顔を寄せ、低い声で脅した。
「もし私がわざと違う血を入れたことをアルバートさんに言ったら、どうなるか分かってるわよね!」
リオラは自嘲気味に笑った。
言ったところで、アルバートが信じるとでも思っているのだろうか。
自分の子供をフィオナに渡すような男だ。
フィオナのためなら何だってする。
身の程はわきまえている。わざわざ惨めな思いをするつもりはなかった。
「オギャア――」
病室の外から突然、けたたましい泣き声が響いた。
副官が小さな赤ん坊を抱えて慌てて飛び込んできて、困り果てた顔をした。
「閣下、奥様、ハートウィン夫人、お邪魔して申し訳ありません……レオが泣き止まなくて、私ではどうにもならなくて……」
リオラの胸が瞬時に締め付けられ、堰を切ったように涙が溢れ出した。
自分の子供だ……
フィオナは笑って赤ん坊を受け取り、胸に抱いてあやした。
子供が少し落ち着いたのを見計らい、突然リオラを見た。
「リオラさん、まだうちの子の顔を見ていらっしゃいませんでしたよね?……ああっ、ごめんなさい。同じ日に産まれたのに、あなたのお子さんは……ねえ、慰めになるか分からないけれど、一度抱いてみますか?」
リオラは無意識に頷きかけ、すぐに首を振った。
抱くわけにはいかなかった。
一度抱いてしまえば、一生離したくなくなり、子供を奪い返したくなってしまう……
だが分かっていた。アルバートは決して許さず、逆に自分の親族や友人すべてに危害を加えるだろう。
案の定、アルバートは不機嫌そうに眉をひそめた。
「何を馬鹿なことを言っているんだ?リオラはまだ怪我が治っていない、子供など抱けるはずがないだろう!」
フィオナは耳を貸さず、笑いながらリオラの腕の中に子供を押し込もうとした。
「平気よ。リオラさんに少しだけ抱かせてあげたいの……」
押し問答の最中、フィオナが突然手を放し、赤ん坊が床に転げ落ちて、痛ましい泣き声を上げた!
「レオ!」
フィオナは泣き叫びながら子供を抱き上げ、振り返りざまにリオラの胸ぐらを掴み、力任せにベッドから引きずり下ろした。
「私に恨みがあるなら、この私にぶつければいいでしょう……!どうして、罪のない子供にまで手を出したの!」
第5話
床に崩れ落ちたリオラの開腹手術の傷口が瞬時に開き、血が流れ出した。
彼女は弾かれたように顔を上げた。
「違うわ!私は子供を傷つけようとなんてしていない、あなたが手を放したから……」
「いい加減にしろ!」
アルバートが怒号を上げ、その鋭い瞳には冷気が宿っていた。
「フィオナは子供の母親だぞ。誰よりも子供を愛しているんだ!君がやったのでなければ誰がやるというんだ!まさか君がここまで性根が腐っていて、子供にまで手を下すような女だったとはな!」
リオラは信じられない思いでアルバートを見つめた。
性根が腐っている?
誰よりもよく知っているはずだ。自分こそが子供の本当の母親だということを!たとえ死んでも、この子には指一本たりとも触れさせない!
リオラの心は張り裂けそうだった。
絶望に顔を蒼白にさせながら必死に弁解する。
「違う……本当に私じゃない……」
だがアルバートは彼女を愛してなどいない。信じるはずがなかった。
彼は険しい顔つきで、副官にフィオナを連れて子供を医者に診せるよう命じた。
振り返り、リオラを氷のように冷たい眼差しで見下ろして、地を這うような恐ろしい声で告げた。
「フィオナに子供を奪われ、逆恨みする気持ちは分からんでもない。俺が君に強いた犠牲には、相応の埋め合わせをするつもりだ……
だが、罪のないあの子に危害を加えるのだけは許されない。君はまだ、自分の置かれた立場というものをまるでわきまえていないようだな!」
アルバートはドアを乱暴に閉め、背を向けて立ち去った。
リオラの体から流れ出た血だまりを踏み越える時でさえ、一度も振り返ることはなかった。
リオラは再び手術室へ運ばれ、傷口を縫合された。
療養中の数日間、アルバートは二度と姿を見せず、リオラを世話する者は誰もいなかった。
食事を取りに行くのも、薬をもらいに行くのも、用を足しに這って行くのも、すべて一人でこなさなければならない……点滴の最中に気を失い、ふと目を覚ますと、自分の血が管を逆流してガラス瓶の半分まで真っ赤に染めていたことすらあった。それでも、看護師を呼んでくれる者はいなかった。
病院に放置されることこそがアルバートからの罰なのだと諦めかけていた時、隣家の娘が慌てふためいて病院に駆け込んできた。
「リオラさん!大変だよ!
ご両親がお見舞いに来たんだけど、トーマスさんが街角の諍いに巻き込まれて、軍関係者の女性に破廉恥な行為をしたってでっち上げられて!もう憲兵隊に連行されたわ……重い不敬罪で裁かれるって!」
リオラは頭が真っ白になり、全身の血が凍りつくような絶望に襲われた。
もしこの罪が確定すれば、父を待っているのは軽くて数年の投獄、重ければ十年以上の辺境での強制労働だ!
一生を実直に、善良に生きてきた父、トーマス・ブランシュが、もし本当に濡れ衣を着せられれば、人生は完全に終わってしまう……
家族全員が不名誉な烙印を押され、一生蔑まれて生きていくことになる!
リオラは力任せに腕の針を引き抜き、裸足のまま駆け出した。
入り口の石段には、マーサ・ブランシュがすっかりやつれ果てた姿でへたり込んで泣き崩れていた。
リオラは胸を締め付けられた。
「お母さん……」
母は慌てて立ち上がり、子供のようにオロオロとした。
「リオラ、一体どういうことなの?アルバートが人づてに、あなたが入院したから見舞いに行くようにって知らせてきたのよ。
それが……病院へ向かう道すがら、見知らぬ女が急にお父さんにぶつかってきて……勝手に転んだかと思ったら、いきなりお父さんに破廉恥な真似をされたって泣き叫んで!
どう説明しても聞いてくれなくて。お父さんは長年の重労働で体がボロボロなのに、あんな恐ろしい牢に入れられて、生きて帰れるわけがないわ……さっきアルバートが来てね、助けを求めようとしたんだけど、あなたが来るまで何も話さないって聞かなくて。リオラ、またあの人と喧嘩でもしたの?」
リオラは息を呑んだ。
「アルバートが、お母さんたちを呼び出したの?」
その瞬間、足元から這い上がってくるような氷の悪寒が、彼女の全身を鋭く貫いた。
まさか……これもすべてアルバートの仕組んだことなのか!?
リオラはこれ以上怒りを抑えきれず、アルバートのいる休憩室へと怒鳴り込んだ。
「あなたの仕業なの?わざと人を雇って父を陥れたのね。フィオナが、私が子供を落としたと嘘をついたからって!?」
思いがけず、休憩室にはフィオナもいた。
彼女はリオラに向かって挑発的に笑いかけた。
「ええ、そうですわ。私がアルバートさんに『罰を与えてほしい』とお願いしたんですの……私の子供を傷つけたのですから、これくらい当然の報いでしょう?」
アルバートは暗い瞳で、淡々とこちらを一瞥した。
「フィオナへの嫉妬と憎悪をいつまでも認めようとしない。少し痛い目を見なければ、反省しないようだからな。
リオラ、忘れるなよ。軍属に対する凌辱行為は、軍の威信に対する重大な反逆と見なされて、絞首刑になることだってあり得るんだ」
第6話
すでに傷だらけだったリオラの心は、もはや痛みすら感じないほどに麻痺していた。
五年前、アルバートが彼女を連れて結婚の許しを請いに来た時、両親の前に跪いて誓った言葉を突然思い出した。
「お義父さん、お義母さん、どうか安心してください。今はまだ階級の低い一兵卒に過ぎませんが、命に代えてもリオラを守り抜きます。必ず軍で名を上げ、お義父さんたちにも、決して苦労などさせませんから!」
両親は貧しさを咎めることもなく、感動して喜んでいた。
父は家に大切に保管してあった上等な小麦粉を取り出し、母は夜なべして仕上げた手縫いの革靴を彼の手の中に押し付けた。
両親はアルバートに真心を尽くした。だがこの五年間、アルバートから恩返しなど一度もされたことはない。
それどころか今、父の命まで彼の人質にされ、屈服を迫られているのだ!
とっくに気づくべきだった。
フィオナを前にしては、自分が悪いのかどうか、いくら釈明しようが反論しようが、真実が何であろうと……アルバートにとっては全てどうでもいいことなのだ。
彼は愛する女のためなら、どんな非道なことでも平気でやる。
リオラはフィオナを真っ直ぐに見据え、深く頭を下げた。
「ごめんなさい。
あなたに嫉妬するべきじゃなかった。あなたの子供を傷つけるべきでもなかった。すべて私が悪かった。
お願い、父を釈放して。罪はすべて私が被るから」
フィオナは得意げに頷いた。
「物分かりがよろしいようで何よりですわ。ですが、口先だけの謝罪など、誰も信じませんよ」
彼女は一枚の紙を机に叩きつけ、意地悪く目を光らせた。
「血で謝罪文を書きなさい。二度と私の息子を傷つけないと誓っていただきますから」
アルバートの眉間が寄った。
前回の爆発事故で、リオラは大量に出血し、ひどい貧血状態にある。
血で書かせるのはやりすぎではないかと言いかけたが、リオラはすでに自分の指を噛み切り、血で一文字一文字、誓いの言葉を書き始めていた。
粗い紙が指の傷口を何度も擦り、リオラの白い指はあっという間に血まみれの無残な有様になった。
血がすぐに止まってしまい、リオラは二本目の指を噛み切った……
アルバートは目を細め、微かな憐れみを覚えた。
だがリオラは眉一つひそめない。
相変わらず物静かで優しげだったが、その瞳にはアルバートには理解できない決意のようなものが宿っているように見えた。
アルバートは言葉にできない違和感を覚えていた。リオラが……以前とはどこか違ってしまったような気がすると。
子供の件のせいか、それとも父親の一件で、自分がやりすぎたからだろうか?
「リオラ……」
胸の内に微かな不安がよぎり、口を開きかけた時、フィオナに遮られた。
彼女はリオラの書き上げた謝罪文を受け取り、アルバートを見つめた。
「リオラさんも深く反省しているみたいだし、今回のことはもう水に流すわ。
それより、あなたの家、爆発で当分は住めないでしょう?しばらく私の家にいらして……もしよかったら、一緒にリオラさんのお部屋の片付けを手伝ってもらえないかしら?」
アルバートは目を伏せているリオラと、期待に満ちたフィオナを交互に見比べ、最終的に頷いた。
まあいい。
埋め合わせは後からでも遅くはない。
アルバートの命令により、トーマスはすぐに釈放された。
一晩にして白髪交じりになり、見る影もなくやつれ果ててしまった父の姿に、リオラは胸が張り裂けるほどの後悔と罪悪感に苛まれたが、今の彼女にはどうすることもできなかった。
アルバートから渡された銀貨で両親に服と滋養薬を買い、実家まで送り届けるしかなかった。
その後、アルバートの副官に連れられ、フィオナの家へと足を踏み入れた。
邸宅のエントランスから中を見渡すと、あたたかく家庭的な調度品で飾られたその光景は、まるで鋭い針のようにリオラの胸に深く突き刺さった。
家を彩るすべての布置が、かつてアルバートが彼女に約束し、決して果たされることのなかった言葉の残骸だった。
アルバートは言っていた。自分たちの館ができたら、彼女のためにひまわりを育てようと。
リオラが夢見ていたその花は今、フィオナのバルコニーで咲き誇っている。
アルバートは言っていた。一流の画家に二人の肖像画を描かせ、広間の一番目立つ場所に飾ろうと。
今、壁には何枚もの絵が飾られているが、それはすべて彼らが子供を抱き寄せる、まるで「三人家族」のような肖像だった。
アルバートの声には、微かに気まずさが混じっていた。
「俺たちが住むはずだったこの邸宅をフィオナに譲ったのは、彼女が夫を亡くして塞ぎ込んでいたからなんだ。気にしないでくれ、軍団には俺たちのために、もう一つ別の邸宅を割り当てるよう申請を出してあるから……」
リオラは静かに視線を戻し、彼の言葉を冷たく遮った。
「必要ないわ」
もうすぐ、ここを発つのだ。
彼が用意する邸宅になど、二度と足を踏み入れることはないのだから。
第7話
その後の日々、フィオナは産後の肥立ちが悪いことを口実に、リオラに食事を作らせた。
子供を連れて散歩に出る時には荷物を持たせ、貴婦人たちが密かに開く非合法の賭博サロンへ行く時には留守番と子守を押し付け、アルバートには絶対に秘密にするよう命じた。
リオラはこれ以上波風を立てたくなかったため、そのすべてに黙って従った。
ただ、フィオナと子供が愛情深く穏やかな時間を過ごしているのを見るたびに、どうしても目頭が熱くなるのを抑えきれなかった。
その夜のことだった。
フィオナは深夜になっても帰ってこなかった。
リオラは子供を寝かしつけ、自分も眠りに落ちていた。
まどろみの中、突然ドアが蹴り破られた。
アルバートが飛び込んできて、有無を言わさずリオラを外へ引きずり出そうとした。
「アルバート……離して!」
レオが驚いて火のついたように泣き出した。リオラは呆れ果てて言った。
「何をするの?子供が起きちゃったじゃない!」
アルバートの顔は雷雲のように険しくなり、瞳には怒りが煮えたぎっていた。
「よくもその汚い口で、子供のことが言えたものだな!
自分が子供を奪い返したい一心で、俺の敵対勢力と結託し……あろうことか、標的をフィオナにすり替えて攫わせたな!フィオナを消せば、すべてがお前の思い通りに転がるとでも思ったか?その浅ましい錯覚も大概にしろ」
アルバートは副官に子供を託すと、振り返り、リオラを軍用馬車へと引きずり込もうとした。
「お前が本当の妻だろうが。今すぐ俺と一緒に来て、フィオナと代われ!」
リオラは愕然とした。
攫わせた?敵と結託した?
一体、何の話をしているの……!
彼女は死に物狂いでドアの枠にすがりついた。
「アルバート、お願い、話を聞いて!フィオナが攫われたことなんて、私には全く身に覚えがないわ!
あなたを恨んでいるような恐ろしい連中なんて、一人だって知りもしない!フィオナを傷つけようと考えたことなんて、神に誓って一度もないのよ……」
アルバートの目には血走った筋が浮かび、真っ赤に染まっていた。
「言い逃れするな!俺が助けに行った時、フィオナが自分の口で言ったんだぞ。お前が深夜に外へ誘い出したとな!」
リオラは、フィオナが深夜に出かけたのはこっそり賭博サロンへ行ったからだと説明しようとした。
だが思い直した。説明して何になるというのか。
アルバートは決して信じない。
底知れぬ苦しみが押し寄せ、リオラは指の力を抜き、抵抗を諦めた。
「連れて行って。フィオナの身代わりになるわ」
アルバートは一瞬言葉に詰まった。今日のリオラは、どうしてこうも従順なのだ?
だがフィオナの安否に気を取られ、深く考える余裕はなかった。
リオラを馬車に乗せると、手綱を握り、犯人が立て籠もるという郊外の廃墟となった処刑場跡へと馬を飛ばした。
彼らが到着した時、野盗はフィオナを人質に取っていた。
フィオナは血まみれで、怯えきって声も出せない状態だった。
アルバートを見ると、野盗の男、「狂犬のダリル」は冷笑した。
「アシュフォードの旦那よぉ。昔、俺が部隊でちょっと喧嘩したってだけで、てめえは俺を見せしめに軍から追い出しやがった!そのショックで、俺のおふくろは寝込んで病死したんだよ!
今日、おふくろの立派な弔い金を出して、俺にきっちり落とし前をつけねえって言うなら……てめえの大事な『奥方様』の命はねえと思え!」
アルバートは緊張で声を震わせた。
「ダリル、落ち着け!人違いだ!
お前が捕まえているその女は無関係だ。俺の隣にいるのが本当の妻だ!妻を身代わりに差し出すから、その無関係の者を解放しろ。お前の要求は考えてやる!」
ダリルが動かないのを見て、アルバートは焦りながらリオラを連れて数歩前に出た。
「止まれ!」
ダリルが大声を上げた。
「近寄るんじゃねえ!てめえの女房って女をこっちへ寄こしな!妙な真似してみろ、こいつの喉笛を掻き切っちまうぞ!」
そう言うと、彼はフィオナの腕に刃を滑らせた!
アルバートは居ても立ってもいられず、リオラを前に突き飛ばした。
「早く行け!」
第8話
あまりに凶悪な野盗を前に、リオラは恐怖と絶望で振り返った。
だがアルバートは彼女の涙など見てはいなかった。
彼は焦燥に駆られていた。
「ぐずぐずするな、早く行け!フィオナが怪我をしているのが見えないのか!」
彼は声を潜めた。
「リオラ、君は総軍団長である俺の妻だ。民間人を守るのも、君の義務のはずだ!すでに救出の手筈は整えてある。安心しろ、絶対に傷つけさせはしない!信じろ、俺は軍団のトップだ。全員の命を守ってみせる!」
そうね。
愛していなくとも、まさか……命まで奪おうとはしないはず。
もう後には引けない。
リオラは歯を食いしばり、目を閉じ、ダリルに向かって真っ直ぐに歩き出した。
ところが、ダリルがリオラを捕らえフィオナを放した瞬間、アルバートは突然態度を翻した。
「ダリル、言っておくが、お前の理不尽な要求を呑むつもりはない!今すぐ投降すれば、まだ助かる道はあるぞ!」
見えない鈍器で頭を力任せに殴りつけられたような衝撃に、リオラはその場に立ち尽くした。
アルバートは……また騙したの?
ダリルの顔色が瞬時に変わった。
「クソがッ!てめえら、よくも俺をコケにしやがったな!さっき必死こいて逃がしたあの女が本物だったってわけか!」
彼はナイフを高く振り上げ、リオラの心臓めがけて突き立てようとした。
「関係ねえ女を殺すのを恨むんじゃねえぞ!こいつには、あの世へ向かうおふくろの道連れになってもらうからなァ!」
ナイフがリオラの心臓を貫こうとしたその瞬間、「パン」という銃声と共に、アルバートが拳銃を抜いて撃ち、銃弾はダリルの刃を持つ手首を正確に撃ち抜いた!
「ぎゃあっ――」
ダリルは悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。
軍団の親衛隊が一斉に取り押さえ、彼を連行した。
アルバートはそこでようやくフィオナをきつく抱きしめた。
「フィオナ、すまない、遅くなった……流れ弾に当たる危険があるから、君にそんな危険を冒させるわけにはいかなかったんだ。全部俺が悪い……」
最初から最後まで、リオラを一瞥だにしなかった。
リオラは震えながら地面に倒れ込んでいた。銃弾がかすった頬の傷から血が滲み出ている。
涙はとうに枯れ果て、一言も言葉が出なかった。
彼女は悟った。
アルバートはダリルを撃って制圧することができたのに、人質を交換する必要など最初からなかったのに……それでもあえてそうしたのは、弾が外れるのを恐れ、フィオナに万が一の危険も負わせたくなかったからなのだ!
なら、自分は?
アルバートの心の中で、自分は一体何なの?
フィオナは涙で顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくった。
「アルバートさん……体が痛いよ。あなたが来る前に、痺れを切らしたあの男が私を何箇所も切りつけたの……」
アルバートは彼女の体の数カ所の刃物傷を見て、瞬時に顔色を凍らせた。
「誰か来い!」
彼は怒りに目を血走らせた。
「フィオナが受けた傷の十倍の数を、この女に刻み込め!こいつが野盗と結託して身分を偽り、フィオナを拉致させた上、身代わりになるのを渋ったせいでフィオナは怪我をしたんだ!」
絶望が完全にリオラを飲み込んだ。
フィオナが四カ所切りつけられていたため、彼女はあの処刑場跡で四十カ所もの私刑を受けたのだ。
刃が突き立てられるごとに彼女の心は抉られ、魂まで千々に切り刻まれるような苦痛が走った。
拘束を解かれた時、リオラはすでに血まみれで、息も絶え絶えだった。
アルバートはフィオナを馬車に乗せると、地獄の底から響くような冷酷な声で言った。
「今夜はここで一人で反省しろ。明日の朝迎えに来る!二度とフィオナや子供に危害を加えようなどと考えるな!」
そばにいた副官が引き攣った顔をした。
「閣下、それはまずいのでは?ここは死骸だらけで、狼の群れがよく餌を漁りに来ます。もし万が一……」
アルバートは扉を強く閉めた。
「自業自得だ!」
数台の軍用馬車が土煙を上げて走り去り、すべての音と光を奪っていった。
遠くで、狼の群れが吠える声が響いた。
あの獣たちは……彼女の血の匂いを嗅ぎつけた!
リオラは全身を震わせ、ガタガタと震えながら這い上がり、ありったけの力を振り絞って足を引きずりながら処刑場跡から逃げ出した。
今日が教皇庁へ向かい、神職に就く日であることを忘れていなかった。
幸いなことに、通達書と紹介状は上着の内ポケットに入っていた。
彼女は痛む体を引きずり、神職者の証である、教皇庁の聖印が刻まれた銀時計を受け取ると、荷物一つ持たず、二度と振り返ることなく教皇庁の支部へと歩き出した。
五年の結婚生活、三度の流産、そして、あらゆる裏切りと痛み……
ようやく、これで終わりだ。
翌日の早朝。
一雨降った後の空気は冷やりとしていた。
アルバートが起きると、けたたましくドアが叩かれた。
「ちっ」と舌打ちをしてドアを開け、子供を起こすなと副官を叱りつけようとしたが、慌てふためいた副官の声に遮られた。
「大変です、閣下……」
アルバートは眉をひそめた。
「慌てるな。落ち着いて話せ!」
「お、奥様が見当たりません……」
あの恐ろしい光景を思い出し、副官は泣き声混じりにしどろもどろになった。
「処刑場跡に奥様の姿はなくて……あたり一面の血だまりと、食い散らかされた骨が転がっているだけでした!奥様は、狼の群れに食い殺されてしまったんです!」