つらい過去から目が覚めた

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つらい過去から目が覚めた

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遠距離婚を続けて七年、娘を亡くした後、向井清子(むかい きよこ)は再び妊娠した。 臨月を迎えた今、彼女は大きなお腹を抱えて京西市へ向か...

Chương (1)

第1章

遠距離婚を続けて七年、娘を亡くした後、向井清子(むかい きよこ)は再び妊娠した。 臨月を迎えた今、彼女は大きなお腹を抱えて京西市へ向かい、夫の陸奥陽太(むつ ようた)にサプライズをかけようとしていた。しかし、会社ビルの前で、陽太の妹で、陸奥家の養女の陸奥南(むつ みなみ)が、幼い女の子を抱きながら陽太に手を振っているのを目撃した。 「あなた!私たちはおうちで待ってるからね!」 その瞬間、清子はすべてを理解した──自分の娘は死んでなどいなかった。陽太が裏切ったのだ。彼が娘を奪い、南に育てさせていたのだ。 それだけではなかった……今お腹の中にいる双子の、男の子までも奪おうとしている。 真実を知った今、この男はもう要らない。 だが、我が子たちだけは――絶対に取り戻してみせる! 第1話 七年間の遠距離婚を続けていた向井清子(むかい きよこ)は、娘を亡くした後、重度のうつ病を患った。 九十九回目の自殺未遂で病院に運ばれた後、彼女は妊娠していることが判明した。 妊娠八ヶ月、清子は大きなお腹を抱え、長らく帰ってこない夫・陸奥陽太(むつ ようた)に会いに京西市へ向かった。 ところが会社ビルの前で、陽太の妹・陸奥家の養女の陸奥南(むつ みなみ)が可愛い女の子を抱きかかえ、陽太に手を振って別れを告げる光景を目にした。 「あなた!私たちはおうちで待ってるからね!」 清子の呼吸が止まり、全身が凍りついた。 南の腕の中の少女は、清子とそっくりな目元をしているのだ。 まさか……私の子供は死んでおらず、陽太がこっそり盗んで、南に育てさせていたってこと? そんなはず、あるわけがない。だって、陽太はあんなにも私を愛してくれていたのに…… 遠距離婚ではあったが、陽太の心は清子に一途だった。浮気の気配すらなく、毎晩のように電話をかけてきて、清子が眠りにつくまで優しい言葉を紡ぎ、時間ができるたびに清子のいる船橋市まで足を運んでくれた。 娘を失ってからの陽太は、見る影もないほどやつれてしまっていた。 信じられない……陽太が裏切って南と一緒になり、私の子どもを奪うなんて。 清子は駆け寄り、女の子の襟元を勢いよく引き裂いた。すると、うなじに真っ赤なあざが見えた。それは、早くに亡くなった娘とまったく同じ形のものだ。 「この子……私の子よ……私の子を返して!」 南は恐怖に顔を引きつらせ、子どもを奪い返した。 「何を言ってるの!この子は私と陽太の子よ!警備員、警備員!」 会社ビルから警備員たちが一斉に飛び出してきた。誰かが清子を蹴り飛ばし、彼女は地面に倒れ込んだ。次の瞬間、無数の拳と棒が彼女の体に降り注いだ。 「奥様とお嬢様に手を出すなんて!死にたいのか!」 清子は必死に腹をかばい、胸が裂けるような思いで叫ぶ。「私こそが陸奥陽太の妻よ!」 警備員の一人が鼻で笑う。「嘘つきめ!社長と社長夫人は結婚して五年、誰もが羨むほど仲睦まじい。京西市の人間なら誰でも知ってるさ!」 その言葉は鋭い刃のように清子の心臓を貫いた。血が滴るような痛み、息もできないほどの絶望。 そうか、娘の死の知らせが嘘だったのか。 そして、陽太との結婚もまた、嘘だったのだ。 胸の激痛が全身に広がり、下腹から溢れた鮮血が床を真っ赤に染めていく。 清子の意識が徐々に遠のいていく中、最後に視界にとらえたのは、狼狽した様子でこちらへ駆け寄ってくる陽太の姿だった…… 清子はすぐに病院へ運び込まれ、緊急出産となった。結果、男女の双子を無事出産した。 縫合処置が終わると、陽太は痛々しい清子を抱きしめた。 「清子……京西市に来るなら、一言くらい言ってくれてもよかったのに」 清子は彼の言葉を遮った。「南の娘……あの子は、私の子なの?」 陽太は一瞬黙り込み、「そうだ」と答えた。 かつて、南が陸奥家に引き取られた後、陽太に特別な想いを抱くようになったのだ。南を避けるために、陽太は船橋市へ逃れ、清子と出会った。 清子と陽太の結婚が迫る中、南は絶望のあまり酒に溺れる日々を送り、ある日暴漢に襲われた。その結果、不妊となった上に心身に異常をきたし、以後、体を丸めながら「妊娠したの、陽太の子を産むの」と繰り返すようになった。 「清子、俺を責めないでくれ……親が必死に迫ってきたんだ。俺にはどうしようもなくて、彼女と結婚して、俺たちの子を、彼女に預けるしかなかったんだ。 しかし、南はどうしても男の子が欲しいんだ。今ようやく、お前が男の子を生んでくれた。約束する、その子を彼女に渡したら、俺は彼女と離婚して、お前と娘を連れて船橋市に戻る」 清子の胸に、大きな穴が開いたようだった。冷たい風がそこから吹き込んでくる。 八年前、身一つで倒れていた陽太を家に連れ帰ったとき、彼は言った。「ありがとう、このご恩を忘れないよ」 七年前、涙をこらえて彼のプロポーズを受けたとき、彼は言った。「清子、一生お前を大事にする」 四年前、うつ病と診断され、何度も死を考えたとき、彼は言った。「お願いだ……お前がいないと生きていけない」 なのに、彼は何をした? 七年間も、偽りの結婚で私を騙し続けていたのだ。自分の手で私の娘を奪ったのだ!彼は知っていた。私が娘を失って、どれほど重い鬱病に苦しんできたかを……それなのに今度は、生まれたばかりの息子を南に渡そうというのか。 清子は陽太の手を激しく振り払った。「勝手に決めないで!今から、私の子は、もうあなたとは関係ない!」 陽太の瞳が冷たく沈んだ。 「清子、子どもを一人残してやっただろ。まだ何を騒いでるんだ?鬱なんて病気じゃないんだから、いい加減にしろ!」 彼は勢いよく立ち上がり、反論を許さぬ口調で言い放つ。 「南がお前に会ってから情緒が不安定なんだ。彼女を落ち着かせるために、お前のことは俺が雇ったベビーシッターだと説明した。だから子どもの面倒をちゃんと見ていてくれ。一か月後、俺がお前と娘を連れて船橋市へ戻る」 言い終えると、ドアが勢いよく閉められた。 清子はベッドに横たわり、その瞬間、心の中で決意を固めた。 この男とは、もう終わりだ。 けれど、自分の血を分けた子どもたちは、誰一人手放さない。 清子はゆっくりと涙を拭い、二本の電話をかけた。 第2話 最初の一本は警察への通報だ。 「子どもが盗まれました。親子鑑定をお願いします」 二本目は、母の親友・白野おばさんにかけた。 「白野おばさん、清子です。お願いがあります。 私の長女はまだ生きているんです。彼女を連れて船橋に帰りたい……お願いです、私たち母子4人に新しい身分を作ってもらえませんか?陽太には、絶対に二度と私たちを見つけさせないように……」 電話の向こうで、白野おばさんは少し沈黙した後、胸を痛めたような声で言う。 「清子、よく頑張ったね。この件は私に任せなさい。一か月以内に必ず整えるから。お母さんはいなくなってしまったけれど、つらいことがあったら何でも私に話して。私にとって、あなたはもうとっくに実の娘同然なんだから」 白野おばさんに礼を言ったあと、清子は喉を詰まらせながら電話を切った。胸の奥がじわじわと痛みで締めつけられる。 あの時、もし私がうつ病で、いつも眠り込むような状態じゃなかったら――母が心臓発作で倒れたあの瞬間、必死にもがいていた音を聞き逃すこともなかったのに。 部屋のドアを開けたとき、目に飛び込んできたのは、すでに冷たくなっていた母の亡骸だった。 今思えば、母の亡骸を抱きしめ、声を枯らして泣き崩れていたその時、陽太は南を抱きしめ、自分から奪った子どもと一緒に、一家団欒の幸せな時間を楽しんでいたのかもしれない。 娘も母も失い、七年に渡る苦しみも――すべては陽太の仕業だった。 胸の奥から沸き上がる自責と憎悪が、清子の内臓を焼き灼くように蔓延っていった。 その瞬間、バンッという音とともに病室のドアが蹴り開けられ、清子は現実に引き戻された。 陽太が勢いよく飛び込んできた。顔は怒りで暗く沈んで詰め寄る。「通報して親子鑑定を申請したのか?南が子どもを盗んだって言ったのか?」 清子は小さくうなずいた。「そうよ」 「正気か?南が精神的に不安定なのを知らないのか?なんであいつを刺激するようなことをするんだ!」 陽太のこめかみの血管が浮き上がり、手にしていた書類を彼女の目の前に叩きつけた。 「署名しろ。告訴を取り下げろ。南は俺の子の母親だ。これまで散々辛い思いをしてきた彼女から、二度と子供を奪うような真似は、もう絶対にさせない!」 清子は信じられない思いで陽太を見つめる。まるで別人のようだ。 あの子は間違いなく自分の血を分けた子なのに、母親の座を奪ったのは南の方。なのに――どうして、あの女を許すわけ? 清子はためらうことなく書類をびりびりに破り、陽太の顔に投げつけた。 「取り下げない。必ず我が子を取り戻してみせる!」 陽太は冷たく笑いながら言う。「清子、お前はまったく言うことを聞かないな。そういうことなら、俺も容赦しない」 そう言い残し、陽太は背を向けて出ていった。 しばらくして、彼が再び戻ってきた時、背後には二人の警察官がついており、そのまま清子の方へとまっすぐ歩み寄ってきた。 「向井さん、あなたが実子を不法に売買したとの証拠があります。任意で署まで同行していただけますか」 清子は一瞬固まり、すぐに状況を理解して、鋭い視線を陽太に向けた。 「あなた……の仕業なの?」 清子はふと、あの日を思い出した。初めて自殺を試みた時、陽太は震え上がり、顔面蒼白だった。 彼はベッドの脇に跪き、震える手で懸命に金を振り込みながら、泣き叫ぶようにして懇願した。 「清子、頼む、生きていてくれ…お前のいない世界なんて、想像もしたくない。 俺が何をしても、お前の痛みは取り戻せない。でも、この金でリハビリをして、ゆっくり体を治してくれ…何に使っても構わない!必ずまた子どもも授かれる……俺は、いつだってお前の味方だから!」 だが今、そう言ってくれた男の言動は鋭い刃となって彼女の心臓を貫き、奈落の底へと突き落とした。 清子の声は悲しみと絶望に満ちている。 「陽太、私の娘を奪ったのはあんたよ!あの金も、産後のリハビリと体を養うって、あんたが自分で送りつけてきたんでしょう!全部私のカードにそのまま入ってる。一円たりとも使ってないのに!」 陽太の声は氷のように冷たい。 「言い訳はいい。取引記録は警察に提出済みだ。子供を俺と南に売り渡したのは、お前自身の意思だろう。他に何かある?」 彼は背後のボディーガードに目で合図を送った。「警察の捜査に協力しろ」 ボディーガードはその言葉を聞くや否や、すぐに飛びかかった。 清子はヒステリックに暴れながら叫ぶ。「離して……陸奥陽太、この最低野郎!」 ボディーガードに引きずられ、陽太のそばを通り過ぎる瞬間、彼はそっと彼女の耳元に顔を寄せる。 「これが……南を傷つけた代償だ。 清子、おとなしくしていろ。俺はこれからも、お前をちゃんと愛してやるから」 第3話 清子は取り調べ室に拘束され、丸三日にも及ぶ尋問を受け続けていた。 鉄の椅子は骨の髄まで冷え切っており、冷気が内臓の奥深くにまで染み渡る。下半身の縫合された傷はまだ癒えず、微動だにすれば全身を震わせる鋭い痛みが走った。 極度の衰弱で顔を上げる気力すら失い、彼女は椅子にへばりつくようにして、警察官の質問に無感情に答え続けるしかなかった。 果てしない痛みと絶望の中で、彼女の意識は次第に霞んでいく。 最後の一瞬、かすかに警察官の叫びが耳に届いた。「早く救急車を呼べ!産婦の傷口が裂けて、大量に出血している!」 「この産婦と陸奥社長の間に一体どんな深い恨みがあるんだ?容疑はすでに晴れているのに、陸奥社長はあらゆるコネを使ってまで彼女を厳しく取り調べさせようとして……これじゃ、鉄の体でももたないぞ!」 身体が引き裂かれるような痛み――それでも心の痛みの百分の一にも及ばない。 そうか……これが、陽太の「愛」なのか。 再び目を開けたとき、清子はすでに病室のベッドに横たわっていた。 陽太は彼女の枕元に座り、目を真っ赤にしている。「清子……本当に心臓が止まるかと思った……全国で一番の医療チームを呼んで、一昼夜かけてやっとお前を救えたんだ! よかった、本当によかった……今回のことは俺が悪かった。しっかり体を休めて、もう二度と無理はしないでくれ……」 もし昔なら、清子はきっと胸がいっぱいになり、陽太が自分をどれほど愛しているのかと信じて疑わなかっただろう。 だが今、彼女の心に残っているのは、ただ冷たい虚しさだけだ。 彼女はそっと目を閉じた。「……確かに静養が必要ね。出て行って」 陽太がちょうどうなずいたその時、スマホが突然鳴り出した。 電話の向こうから、南のやわらかな声が聞こえてくる。「陽太、どこ行ってたの?息子もベビーシッターの子もずっと泣いてるの。一人のベビーシッターじゃ、とても手が回らないわ。あなたが雇ったもう一人のベビーシッター、早く来てもらえない?手伝ってほしいの」 陽太の表情が一瞬こわばり、すぐに彼女をなだめるように言った。「南、すぐに行かせるから」 電話を切ると、彼は清子の方を見る。 「子どもの世話なんて大したことじゃないだろ。もう少しだけ頑張ってくれ。あとでちゃんと埋め合わせをするから」 清子はかすかに笑う。 ――愛しているかどうかって、こんなにもはっきり分かるものなんだ。 生死の境をさまよって這い戻ってきても、南の甘えるような一言には、もはや敵うはずもなかった。 抵抗する力も、抗う意思も、彼女の中には何一つ残っていない。魂が抜けたように、彼女は病室を後にする。 陽太は清子を南の病室の前まで送り届けると、その足で会社へ向かった。力の限り体を引きずり、清子はもう一人のベビーシッターと共に、二人の赤ちゃんのオムツを替え、授乳をした。 腕の中で、柔らかい息子と娘が眠るのを瞬きもせず見つめ、清子の目に涙がにじみ、あふれ出した。 我が子よ、もう少しだけ待っててね。ママが必ず、あなたたちを連れてここを出るから…… ようやく二人を落ち着かせた時、清子の体力はすでに限界を迎えていた。 南は彼女を少しうんざりしたように一瞥きして言う。「もう帰っていいわ。数日間はゆっくり体を休めて、早めに娘さんを迎えなさい」 清子は名残惜しそうに二人の赤ちゃんを見つめ、それから静かに背を向けて病室を後にした。 ところが、彼女がまだ二歩も進まないうちに、背後の病室から突然、二人の赤ちゃんの甲高い泣き声が響いてきた。 清子の胸がきゅっと締めつけられる。折り返そうとしたその瞬間、南が勢いよくドアを開けて飛び出し、清子の頬を思いきり平手打ちした。 「この卑劣女め!よくも沸かしたてのお湯で息子のミルクを溶かしたなんて!前に私の娘を奪おうとして、今度は息子にまで危害を加えるつもり!?」 清子は息を呑む。 自分はぬるま湯でミルクを溶かした。温度も確かめたはず……どうしてこんなことに? 頬の焼けつくような痛みも構わず、南を押しのけて病室へと駆け込む。 二人の赤ちゃんは火傷で真っ赤に腫れ上がり、泣き叫んでいた。口の中は血まみれだ。すぐに手当てをしなければ、一生消えない痕が残る。 清子は足から力が抜け、その場に崩れ落ちると、金切り声を上げた。「先生!先生!」 医師はすぐに駆けつけ、清子の息子を治療室へと運び込んだ。 医師がさらに清子の娘を治療室へ運ぼうとしたその瞬間、南が突然ドアの前に立ちふさがった。 「待って!この病院は夫が出資しているの。息子を助けるのはいいけど、この加害者の娘を助けるなんて、絶対に許さないわ!」 第4話 その瞬間、陽太が息を切らして駆けつけてきた。 「南!どうした?一体、何があった!」 南は目に涙を浮かべ、唇を噛みしめながら、ゆっくりと彼を見上げる。 「このベビーシッターはあなたが雇ったんでしょうね?息子にミルクをあげるよう頼んだだけで、彼女はなんと沸かしたての湯でミルクを溶かし、息子を火傷させたの!それだけじゃなく、息子を傷つけるために自分の娘まで犠牲にしようとしたのよ! そんな卑劣なことをしておきながら、自分の娘をうちの病院で治療させようだなんて、どういうつもり?」 清子は必死に首を振った。 「陽太、違うの!私じゃない!」 「信じられないなら、もう一人のベビーシッターに聞いてください!」 「ちゃんとぬるま湯で作ったんです!子供たちに飲ませて、そのまま寝かしつけました。部屋を出たときは何もなかったのに、いつの間にこんなことに……私はそんなことをするわけがないです!」 彼女は泣きはらした娘を痛ましげに見つめ、胸が張り裂けそうになった。「どうして私があの子たちを傷つけるの?あなたもわかってるでしょう、この二人の子は……」 「もういい!」 清子が真実を口にしようとした瞬間、陽太が怒鳴り声で遮った。 彼は一切ためらわず、清子を叱りつけた。「もうでたらめを言うな!南に謝れ!」 清子は信じられないという顔で言う。「彼女に謝れって?陽太、まさかあなたまで、私が子どもを火傷させたと思ってるの?」 「じゃなきゃどうなんだ?」 陽太は無表情のまま言い放った。「俺が信じるのは妻だ。まさかお前みたいなベビーシッターを信じろって言うのか?早く謝れ。南の気が少しでも収まれば、お前の娘にもまだ助かる望みがあるかもしれない」 清子の頭は真っ白になり、自分の耳を疑った。 陽太は娘の実の父親なのに、その彼が……娘の命で彼女を脅迫だなんて。 懐かしい記憶が、鮮やかによみがえる。妊娠中、陽太がどれほどこの子を心から待ち望んでいたか。 遠く離れていても、毎晩のようにビデオ通話でお腹の子に語りかけ、父親になるための勉強に百冊以上の育児書を読みふけった。検診のたび、結果を何度も繰り返し確認し、少しの変化も見逃すまいと、神経を尖らせていた…… そして、無数の夜、彼は清子の耳元で、未来への希望をそっとささやき続けたのだ。 「清子、俺に子どもを授けてくれたこと、本当にありがとう。必ずや、この子を世界一幸せな宝にする。健やかで穏やかに、一生を送ってもらう」 それなのに今、何の証拠もない南の一言で、陽太は娘の命を盾に清子を追い詰めている。あの日の誓いなど、きれいさっぱり忘れ去ったかのようだ。 南は陽太の腕によりかかり、嘲笑うかのように清子を見下ろす。 「聞こえた?あんた、旦那が言ってるの、私に謝りなさいって! 自分の罪を認めて、土下座して謝るなら、ついでにお医者さんにあんたの娘を助けてもらってもいいわよ……」 その言葉が終わるより早く、ドサッという音が響いた。 清子は南の足元に膝をついた。 彼女は感情の抜け落ちた声で謝罪し、罪を認めた。「申し訳ありません、陸奥さん……全部、私がやりました……坊っちゃんに火傷を負わせたのも、全部私です!どうか……お許しください……」 清子は、我が子の命を、精神を病んだ人物の危険にさらすわけにはいかない。 南の怒りを鎮められるのなら、尊厳も、体面も、正義も……そんなものはどうでもよい。 彼女はみじめに身をかがめ、負け犬のように卑屈に縮こまった。それから、土下座しては頭を床に擦り付け、自ら頬を打ち続ける。 どれほどの時間が過ぎたのか分からない。ようやく南が口を開いた。 「もういいわ。気が済んだ。あなたの娘を治療室へ抱えて行って」 清子は救われたように顔を上げると、病室へ駆け込み、娘を抱き上げた。 「大丈夫よ、怖くない……すぐに痛みは消えるからね……」 娘を治療室に預けたあと、清子はようやく深く息を吐いた。 長女と幼い息子――どうやら、もう一緒には連れて行けそうにない。 末女だけが、彼女に残された唯一の希望だ。 もう二度と、子どもと引き離される痛みには耐えられそうにない。そう思った瞬間、治療室の灯りが突然消えた。 清子は不思議そうに出てきた医者を見つめた。「どうしてこんなに早いんですか?娘は……」 医者は彼女の言葉を遮り、低く沈んだ声で切り出した。 「お力になれず、本当に申し訳ありません……お嬢様は、すでに息を引き取られました。どうか……ご覚悟を」 第5話 清子の顔色が一瞬で真っ白になり、体がふらついて後ろへ倒れかけた。だが、その身体はしっかりとした胸に受け止められた。 陽太の信じられないという声が彼女の耳元で響く。 「まさか……娘が死ぬなんてありえない!全力で治療しろ!どんな手段を使ってもいいから、どうか助けてくれ!二日前、神社で娘の無事を祈願したばかりなのに、死ぬはずがない!」 陽太は清子の手を握りしめ、涙声を震わせて叫んだ。 「清子、何か言ってくれ……頼む、俺を怖がらせないでくれ……」 慌てて駆けつけた南も、その知らせを聞いて思わず口を押さえた。 「うそ……どうしてこんなことに……」 廊下は混乱の渦に包まれているが、清子にはもう何も感じられない。 突然、押し寄せてくる悲しみに胸が締めつけられる。視界が一瞬で真っ暗に染まり、清子の意識は遠のいていった。 次に目を覚ましたときには、すでに三日が経っていた。 清子は昏睡からゆっくりと目を覚ますと、目の前に広がっているのは、陸奥家の豪華絢爛な豪邸の一室だ。 彼女が目を開けたのを見て、そばに付き添っていたメイドが小走りで部屋を飛び出し、嬉しそうに叫んだ。「若様!若奥様!向井さんが目を覚まされました!」 次の瞬間、陽太が駆け込んできて、目を真っ赤に染めた。 彼は嗚咽をこらえながら言う。「清子、ごめん……あのことは俺の誤解だった。これから……俺たちはまた子どもを授かるさ!もう調査がついたんだ。やっぱり、あのベビーシッターの不注意だったんだよ。勘違いでお湯の温度を間違えて、それでお前に責任を押し付けたから、あんな痛ましいことになってしまった……」 そう言いながら、彼は南を部屋の中へ引き入れた。「南、俺が言った通りにやってくれ」 南も目を赤くし、申し訳なさそうにうつむいた。 「ごめんなさい、向井さん……あなたの娘さんを傷つけるつもりなんてなかったの。ただ、自分の息子がかわいそうで、頭に血がのぼってしまって……」 そう言いながら、彼女はポケットから小切手とお守りを取り出し、清子に差し出した。 「あなたの娘さんの葬儀は、私と陽太がちゃんと手厚く執り行ったの。お詫びの気持ちとして、このお守りは、手作りしたの。このお金も、せめてもの気持ち。受け取ってください。受け取ってくれたら、この件はもう水に流しましょう」 陽太は頷く。 「南のことはお前も知ってるだろう。彼女、本当に後悔してるんだ。今回のことは、もともと不幸な偶然が重なっただけなんだ。だから……もう責めないでやってくれないか?」 清子はそれを受け取らなかった。 彼女は静かに二人を見つめた。胸の奥にあった温もりが、すっかり冷めていくのを感じた。 陽太は、少しばかりの金と「ごめん」の一言で自分の許しが得られると思っているのだろうか? まるで以前のように、何も知らなかったふりをして遠距離の夫婦を演じ、彼が二つの家庭を持っていることを黙って見逃せというの? ――残念ながら、それはもう無理だ。 遅れて届いた無実の証明も、どんな償いも……彼女の娘を取り戻すことはできない。 亡き幼い娘に代わって、清子が許すことなど、できようはずがない。 清子は深く息を吸い込んだ。「結構よ。ただ一つ、娘の眠る場所を教えて。別れを告げたいの」 陽太の表情がこわばり、眉間に深い悲しみの色が浮かんだ。「行かないでくれ。あの場所は……お前には耐えられないかもしれない」 南は彼の手をそっと叩き、なだめるように微笑んだ。「大丈夫よ、あなた。私が彼女に話すから」 そう言うと、南は清子のベッドのそばに腰を下ろし、彼女の耳元に顔を寄せる。 清子がわずかな慰めを期待したその瞬間、南の声が毒蛇のように冷たく、耳元に響き渡った。 「あの小娘の遺骨はゴミ袋に入れて、南の山の方に捨ててきたわ! 向井清子、私はやっと陽太を手に入れたのよ。まさか、本気で思ってた?あなたと陽太の子供を連れて船橋市に逃げて、その子で私と陽太の仲を裂こうだなんて、そんな虫のいい話があると思う?」 第6話 一瞬、清子の全身の血が凍りつく思いだ。 彼女は信じられないというように目を見開き、怒りと衝撃で歯がガチガタと震える。 「な……なにを……言ったの……?」 南が、娘の遺骨を山に捨てたって!? そんな言葉、どうしてこの精神を病んだ女の口から出てくるの? 子どもの真実を、いったい誰が彼女に教えたの? それとも……この数年、彼女は最初から狂ったふりをしていただけなの!? 清子は勢いよく彼女の手首をつかんだ。「陸奥南、あんた気が狂ってなんかないでしょ?私の娘の遺灰をどこに捨てたのよ?言いなさいよ!」 さっきまで悪意に満ちた表情を浮かべていた南が、たちまち無力で哀れな姿へと変わり果てた。 清子の手を振りほどき、泣き叫びながら陽太の胸に飛び込んだ。「陽太!」 南の手にあったお守りは、いつの間にか破かれていた。 彼女は頬を涙にぬらし、花が散るように泣きじゃくった。 「向井さんが許してくれなくたって、仕方ない……でも、どうして私の真心をここまで踏みにじるんだ?このお守り、一針一針、魂を込めて縫い上げたのに!それなのに、私があの子の遺灰を捨てたなんて……そんな酷いことまで……私、いったい何が悪いっていうの?」 陽太は視線を落とし、引き裂かれたお守りと、涙に霞む南の顔を見つめる。その瞳の奥が、一瞬で氷のように冷たくなる。 「清子、子どもの死はただの事故だ。死んだ者は戻らない。なのに、どうして南にあたるんだ!」 清子の声が一気に張り上がった。 「あの女、最初から狂ってなんかいなかった!この耳でしっかり聞いたんだ、私の娘の遺灰を山に捨てたって!あの遺灰を探しに行く……ちゃんと娘を弔ってやらなきゃ!」 清子は言葉にならない声を漏らしながら、娘の遺灰を探しに行こうとベッドから降りかけた。 陽太は彼女の手首を掴み、深く息を吸って、怒りを必死に抑え込む。 メイドに南を部屋の外へ連れ出すよう指示すると、その目には抑えきれない怒気が宿っている。 「清子、まだ気が済まないのか?うつ病だからって、何をしても許されると思うな!南は心が壊れかけていて、もうこれ以上の衝撃には耐えられないんだ! なのにお前は、俺が子どもを南に託したことをいつまでも責め立てて……南の謝罪を受け入れず、彼女の思いを踏みにじり、挙げ句の果てに濡れ衣まで着せて、娘の遺灰を捨てたなんて馬鹿げたことまで言うのか! 本気で頭がおかしくなったんじゃないのか!南はあんなに優しくて思いやりのある人間だ、そんなことをするはずがない!ましてや、今の彼女は精神を病んでいて、俺たちの関係すら覚えていないんだ。そんなことをするはずがないだろう?」 清子の頬を涙が一筋伝った。その表情には、深い絶望が刻まれていた。 「陽太、私は狂ってなんかいないわ!あなたを騙す理由なんてどこにもない!ただ、ただ娘をきちんと弔ってやりたいだけなのよ! ……私の二人の子どもを南に渡した。せめて末の娘だけでも、きちんとあの世へ送らせて……それすらも、いけないの?」 どんなに清子が訴えても、陽太の心はもう動かない。 彼は清子を乱暴にベッドへ押し倒し、すぐに身を翻して部屋を出て鍵をかけた。 「体が回復したらすぐに船橋市へ送り返す。この間は部屋から出るな。もう二度と南の前に現れて刺激するんじゃない!」 清子の瞳孔が一瞬で縮み、勢いよく飛びかかってドアを叩いた。 「いやっ!陽太、私を出して!」 母親である彼女が、自分の娘が死んだあとも安らかに眠れず、遺灰を山に放置されるなんて、どうして許せるだろう。 けれど清子がどれほど泣き叫び、懇願しても、誰からも返事はなかった。 清子は絶望のままドアにもたれかかり、外から聞こえる食器の触れ合う音に耳をすませた。陽太が南に「辛いものは控えなよ」と優しく声をかける。長女の弾けるような笑い声、幼い息子のクーイング…… それらは、船橋市で七年間一人耐えながら、彼女が夢にさえ見た、家族の温もりだった。 かつて幾度となく、清子は去ろうとする陽太を抱きしめ、涙ながらに「もう一晩だけ一緒にいて」と願ったのだ。 陽太はいつも彼女の指をそっとほどき、涙を拭ってくれた。「清子、仕事が立て込んでるんだ……次に帰ってきたときは、時間をたっぷりとって一緒に過ごそう、いいね?」 今となっては分かる。あれが仕事のはずがない。 彼はただ、本妻と暮らし、私から奪い取った子どもとの時間を優先していた。それこそが、彼の「忙しさ」の正体だった。 清子の心はもう、痛みすら感じないほどに麻痺している。 彼女は涙をぬぐい、ゆっくりと立ち上がって窓辺へ歩み寄り、下を見下ろした。 ここは、陽太の豪邸の四階。 飛び降りれば、軽くても足を挫き、骨折は免れまい。運が悪ければ、頭から落ちれば即死だろう…… 清子はかすかに笑った。 今の彼女には、もう失うものなど何もない。 娘をきちんと葬ってやる――その決意を、もはや誰にも邪魔はさせない。 彼女はドレッサーの椅子を掴むと、ためらうことなく窓ガラスに振り下ろした。 ガシャーン!砕け散るガラスの音。次の瞬間、清子は目を閉じ、窓枠から虚空へ身を投げ出した。 第7話 清子が地面に倒れ込んだ瞬間、足首に鋭い痛みが走った。 痛みに堪えきれず、涙が一気に溢れ、全身が震える。 それでも彼女は歯を食いしばり、痛みをこらえて、裸足のまま足を引きずりながら豪邸を出て、タクシーを止めて南の野山へ向かった。 遺灰がどこに捨てられたのか分からず、清子は一寸ずつ地面を掘り返していった。 十本の指は血にまみれ、足の裏には血の水ぶくれができても――彼女は止まらなかった。 どれほど探したのか分からない。ようやく清子は娘の遺灰を見つけた。 ゴミと混じったその灰を両手で抱きかかえ、彼女は胸が裂けるほど泣き崩れた。 ごめんね、我が娘…… すべては、私の目も心も曇っていて、陽太の嘘に七年も騙され続けたせいなんだ。 母を巻き込み、この世に生まれたばかりの娘まで死なせてしまったのだ。娘の遺灰を抱えて火葬場へ向かう途中、陽太から何度も電話がかかってきた。 彼女はそのすべてを切った。 スタッフに娘の遺灰をきちんと骨壺に納めてもらって、ようやく清子はほっと息をついた。 だが、火葬場の預り所に骨壺を一時預け、踵を返して立ち去ろうとしたその瞬間、二人のボディーガードが彼女の前に立ちはだかった。「向井さん、陸奥社長がお話があるそうです」 清子は拒もうと口を開いたが、ボディーガードたちはまるで聞く耳を持たず、彼女の口を塞ぎ、腰を抱えて、無理やり車に押し込んだ。 「んっ……離して!離してよ!」 清子は必死にもがいたが、結局また陸奥家へと連れ戻されてしまった。 彼女の姿を見るなり、南はさっと立ち上がり、涙に潤んだ目で指をさした。 「向井さん、あなた一体、私にどんな深い恨みがあるっていうの?何度も私を狙ってきたくせに、今度は復讐のために、私の母の遺品まで壊したっていうの!?」 清子は思わず息をのんだ。「遺品……?」 「そうよ!」 南は震える手でテーブルの上のジュエリーボックスを掴み上げた。中には銀のネックレスが、いくつもの断片になって横たわっている。 「このネックレスはずっとドレッサーの引き出しに入れてあったの。私と陽太以外、あの部屋にいたのはあなただけ!これでもあなたじゃないって言えるの? 子どもを失ったあなたを気の毒に思って、少しでも償おうと思ってたのに……どうしてこんなひどいことができるの!これはね、母が私に残してくれた、たった一つの形見なのよ!」 南は悲しみに打ちひしがれ、泣き崩れて今にも気を失いそうだ。 陽太はその姿に胸が締めつけられるような思いで、涙ぐみながら南をぎゅっと抱き寄せ、ささやくように言う。「泣かないで……南」 彼は顔を上げ、清子を見据える。声は氷のように冷たい。 「言い訳は、まだあるのか?」 清子の瞳には、もう何も感じない冷たさだけが残っていた。 彼女の心は、もはや完全に燃え尽きてしまった。 かすかに笑みを浮かべて言う。 「このネックレス、見たことがないって言ったら……陽太、あなたは信じてくれるの? 私が沸かしたてのお湯でミルクを溶かしてないって言っても信じなかった。南が病気なんかじゃないって言っても、やっぱり信じなかった。どうせ何を言っても信じないなら、説明したって意味ないでしょ?」 陽太の目が暗く沈む。 七年一緒にいて、彼はこんな絶望の色をした清子の目を見たことがなかった。 まさか……彼女の言葉、全部本当なのか? だがその瞬間、南が突然頭を抱え、悲鳴を上げた。「ああっ!陽太!頭が……痛い……!」 それは南の発作の前兆だ。 陽太の胸が一瞬で締めつけられ、慌ててかかりつけ医を呼びつける。「早く!妻を治療してくれ!」 同時に、胸の中に渦巻いていた疑念がすべて霧のように消えていった。 南の病気は、自分が付き添って病院で検査を受けたものだ。間違ったはずがない。 これはきっと……清子が、子どもを南に渡したことへの報復だ。 床に苦しみに身をよじる南の姿を見た瞬間、陽太の心にこれまで感じたことのない怒りが燃え上がった。 彼はボディーガードに命じてビデオ通話を繋がせると、容赦なく言い放った。 「俺と南への復讐のために、南の母親の遺品を壊したんだな。なら、お前にも失う痛みってやつを味わわせてやる!」 第8話 映像の中では、数人の男たちが部屋の中でガソリンを撒いている。 背景をはっきりと見た瞬間、清子の瞳孔が一気に縮み、心臓が止まりそうになる。 そこは、彼女と母親が船橋市で暮らしていた家だ! あの家には、母親とのすべての思い出があり、母がこの世に残したすべての遺品があるのだ! 清子は取り乱し、震える声で叫んだ。「陽太、あんた……何をするつもりなの…… 私、本当に南の母親の遺品には触っていない!私たちはこんなに長い間一緒にいたのよ、私のことを分かってるでしょう?私が嘘をつくわけない! 南よ……彼女があんたを騙してるんだ!」 清子は必死に訴え、止めようと駆け出した。 だが結局、その努力はすべて無駄に終わった。陽太の一言で、映像の向こうの男たちがライターを床に投げ捨てた。 ドンッ!という爆音とともに、炎が一気に広がる。 船橋市の空が真っ赤に染まり、清子と母のすべての思い出を飲み込んでいった。 「いや……いやぁっ!」 清子の足から力が抜け、崩れ落ちる。 燃え広がる炎を見つめながら、彼女は陽太のズボンの裾を掴み、必死に懇願する。 「お願い、火を消して……お願い陽太……あの家にはお母さんの全ての遺品があるの。お願い、思い出だけでも残して……」 陽太は一瞥すらくれず、彼女を通り過ぎて南のいる部屋へ入り、彼女を宥めに行った。 その物音を聞いた「南の長女」・陸奥佳代(むつ かよ)が慌てて階下から駆け上がり、嫌悪に満ちた顔で清子の指を踏みつけた。 「全部あんたのせいよ!ママをこんな目に遭わせたのはあんたのせいなの!ボディーガードのおじさん、早くこの人を家から追い出してよ!」 清子の、傷だらけでとっくに死んでいるはずの心が、再び無情に踏みにじられた。 それは血のつながった、彼女の実の娘なのに―― 今では南に育てられ、こんなにもわがままで傲慢な子になってしまい、清子とはまるで赤の他人のようになっている…… 「私の子ども……」 清子は声を詰まらせ、泣きながら思わず手を伸ばし、娘の頬に触れようとした。「どうしてママのこと、わからなくなっちゃったの……」 その言葉を言い終える前に、数人のボディーガードに襟首をつかまれ、家の外へと放り出された。 先頭に立つ男が、見下ろすように彼女を見て言う。 「社長からお伝えすることがあります。あなたの体調はだいぶ回復されたとのこと。明日、船橋市へお戻りいただくチケットも手配しております。 社長は、船橋市でゆっくり反省されることを望んでおられます。次にお目にかかるときには、昔のようにおとなしくしていていただきたい、とのお言葉です」 昔のように? 清子は思わず笑い出しそうになった。 母の遺品はすべて焼かれ、娘を死なせ、二人の子どもも失った……そんな彼らが、どうして昔に戻れるというのだろう。 そのとき、白野おばさんから突然電話がかかってきた。 通話をつなぐと、白野おばさんの切迫した声が飛び込んできた。 「清子さん、ご実家が火事になったって知ってる?すぐに消防に通報したから大丈夫よ。火が消えたら、私が必ずお母さんの遺品をちゃんと整理しておくからね! それとね、あなたと三人の子どもの新しい戸籍ももう手配できたの。いつ戻るつもり?」 清子は声を落ち着かせ、静かに答える。 「今夜です……私ひとりで」 白野おばさんは一瞬言葉を失ったが、すぐに力強く言う。 「わかったわ。今すぐチケットを手配する。それに……もし将来、子どもを取り戻したいと思ったら、どんな手を使ってでも力になるからね」 電話を切ると、清子はタクシーを拾った。 彼女はまず火葬場へ行き、娘の骨壺を取り出した。そして一度も振り返ることなく、空港へと向かった。 さようなら、陸奥陽太。 かつてあなたを心から愛していた清子は、永遠に京西市に置き去りにした。 これからの彼女は、二人の子どもを取り戻すためだけに生きる母親でしかない。 それこそが――本当の彼女なのだ。