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命を捧げ、失った愛を弔う
誕生日のあの日、私・白石美月(しらいし みづき)と義妹の白石美咲(しらいし みさき)は交通事故に遭った。 炎はすでに私の体に燃え移ってい...
Chương (1)
第1章
誕生日のあの日、私・白石美月(しらいし みづき)と義妹の白石美咲(しらいし みさき)は交通事故に遭った。
炎はすでに私の体に燃え移っていた。それなのに、婚約者の篠原蓮(しのはら れん)は助手席を指さし、こう言った。
「先に美咲を助けてくれ。あの子は心臓が弱いんだ」
目を覚ましたとき、私の顔は見る影もなく焼けただれ、余命は長くても一か月だと告げられた。
その後、篠原家と白石家の利益のために、家族は美咲を私の代わりに嫁がせることに決めた。
蓮は、包帯で覆われた私の顔を痛ましげに撫でながら、こう約束した。
「顔の傷が治ったら、篠原家の妻の座は必ず君に返す」
私は笑って頷いた。
それどころか、自分が持っていた株式も、不動産も、未公開の絵までも、結婚祝いとして美咲に譲り渡した。
美咲は私の作品を踏み台にして、世間の注目を一身に浴びる天才画家となった。
記者の取材を受けた母は、感極まって涙を流しながら言った。
「あの時、事故に遭ったのが美咲じゃなくて本当によかったわ。そうでなければ、うちは天才を一人失うところだったもの!」
蓮もまた、世間に向けて高らかに宣言した。「美咲こそが、篠原家の嫁になるのだ」と。
けれど、彼らは知らなかった。
本当の天才が、片隅から冷ややかに彼らを見つめていたことを。
そして、私が自ら差し出したすべてのものは――
最初から復讐のために用意した供物だったということを。
第1話
誕生日のあの日、私・白石美月(しらいし みづき)と義妹の白石美咲(しらいし みさき)は交通事故に遭った。
炎はすでに私の体に燃え移っていた。それなのに、婚約者の篠原蓮(しのはら れん)は助手席を指さし、こう言った。
「先に美咲を助けてくれ。あの子は心臓が弱いんだ」
目を覚ましたとき、私の顔は見る影もなく焼けただれた。
ベッドのそばには数人の医師が立っている。彼らは皆、沈痛な面持ちで私を見下ろしている。
「肺の損傷がひどすぎます。白石さん、残された時間は長くても一か月です」
私は身内の誰もいない病室を見回し、静かに尋ねる。
「家族は知っていますか?」
医師はしばらく沈黙した。
「ご家族は、もう一人の患者さんの病室にいらっしゃいます」
病室の中が静まり返った。
私は頷き、それ以上は何も聞かなかった。
しばらくしてから、ようやく口を開く。
「このことは、誰にも言わないでいただけますか」
医師が病室を出たあと、私は一か月後の葬儀サービスを予約した。
電話を切った直後、蓮が扉を開けて入ってくる。
「目が覚めたのか?体の具合はどうだ?」
私は小さくうなずく。
「美月、結婚式まであまり時間がない。
君も知っているだろう。篠原家はもうすぐ跡継ぎを選ぶ。跡継ぎになる条件は、既婚者であることなんだ。
でも、今の君の状態では……篠原家の嫁になるにはふさわしくない。両家の利益を考えて、僕たちは美咲を美月の代わりに篠原家へ嫁がせることにした」
「僕たちって?」
「うん。君のご両親も、お兄さんも認めてくれた」
私は顔を向ける。そこで初めて、家族が皆、扉のそばに立って中を覗いていることに気づいた。
私は視線を戻し、冷たく言った。
「でも、私がこうなったのは、あなたが……」
私が言い終える前に、蓮が私の手を強く握りしめる。
「美月、僕を責めないでくれ。美咲には心臓の持病があるんだ。前にジェットコースターに乗っただけで救急搬送されたのを覚えているだろう?まして今回は交通事故だったんだ……
あの子を助けていなかったら、間違いなく死んでいた。君は火傷を負ったけれど、それでも生き残ったじゃないか」
そう。私は生き残ったね。
だけど、残された時間は長くても一か月だった。
「わかった」
私は背を向けた。
「あなたたちの好きにして」
蓮はほっと息をつき、扉の外にいた私の家族たちに入るよう視線で促す。
母は得意げに父を見つめる。
「あなたは美月が絶対に承諾しないなんて言っていたけど、この子も変わったのね。前ほど意地を張らなくなったわ」
兄は笑いながら言った。
「心配するなよ。美咲は心が広いから、お前が蓮さんの愛人になったとしても気にしないさ」
「ふざけたことを言うな」
蓮が低い声で怒鳴った。
「美月の傷が治ったら、すべて元どおりになる」
耳元で騒がしい声が飛び交う中、私は疲れきった体を布団の中に沈めた。
余命一か月の人間にとって、ほとんどのものはもう重要ではなかった。
家族も、婚約者も。
美咲が欲しがるなら、私はすべて彼女に譲ってもかまわない。どうせ、私には持っていけないのだから。
私は自分のすべての財産を整理し、受贈者の欄に白石美咲の名前を書き入れた。そして、タイミングを見て彼女に渡すつもりだ。
しばらくして、私は退院した。退院の日、蓮が迎えに来てくれたが、助手席には美咲が座っている。
私はその場で、財産譲渡の書類を彼女に差し出した。
条項を確認した美咲は、目を見開いた。
「えっ!?1億円?お姉ちゃん、こんなお金どこから……それに……これを全部、私にくれるの?」
以前、絵を売ってひそかに稼いだ金だ。けれど、今の私にとっては、ただの紙切れでしかなかった。
私は説明せず、軽く笑った。
「あなたへの結婚祝いだと思って」
その言葉を聞いた瞬間、蓮はハンドルを握る手に力を込めた。
「それはただ……」
「うれしいわ。ありがとう、お姉ちゃん!」
美咲は書類を抱えたまま、道中ずっと嬉しそうにしている。一方で、蓮は最後まで一言も発しなかった。
車が止まってから、私はようやく、向かった先が家ではなくウェディングドレスショップだったことに気づいた。
今日は、二人がオーダーメイドのウェディングドレスを選ぶ日だ。
美咲が弾んだ声で言った。
「お姉ちゃん、安心して。すぐ終わるから」
「私のことは気にしないで。ゆっくり選んで」
そう言って、私は車椅子を進め、店の中へ入った。
蓮は眉をひそめ、複雑な眼差しで私を見つめている。
店に入ると、美咲がドレスを試着している隙に、彼はこらえきれないように口を開いた。
「美月、君がこんなことをするのは、僕への当てつけなのか?
何度も言っただろう。顔の傷が治ったら、君が元気になったら、篠原家の嫁の座はまた君のものだ。それなのに君は……」
「考えすぎよ」
私はすぐに彼の言葉を遮った。
「ただ、少し疲れただけ」
蓮がさらに何か言おうとした、そのときだった。美咲が彼に向かって不満をこぼした。
「蓮さん、こんなにたくさん着てみたのに、気に入るものが一つもないの」
それを聞いて、私は店長を手招きし、以前私がオーダーメイドしたウェディングドレスを持ってこさせる。
そのドレスを見た途端、美咲の目が輝く。
「これがいい」
「なら美咲にあげるわ」
私は低い声で言った。
蓮が眉をひそめる。
「だめだ。それは君が一か月かけてデザインしたものだろう」
そうだ。ビーズ一粒から、生地の端に至るまで、すべて私が自分で選んだものなの。けれど、私はもう二度と、そのドレスに袖を通すことはできない。
美咲もすぐに、いかにも申し訳なさそうな顔をしている。
「私はお姉ちゃんの代わりに嫁ぐだけなのに、お姉ちゃんが作ったウェディングドレスなんて着られないよ」
「今は、私より美咲のほうが似合うわ」
私は彼女の手をそっと握る。
「気に入るものに出会うのは簡単じゃない。大切にして」
そこまで言っても、美咲はなおも哀れっぽく言った。
「来週の金曜日に着たら、必ずクリーニングに出して、お姉ちゃんに返すね」
私はカレンダーに目をやる。
来週の金曜日。
ちょうど……私の命が尽きる日だわ。
なんという偶然だろう。
せめてその日まで持ちこたえて、すべてを見届けてから目を閉じられたら、それでいい。
私はもう、以前のように美咲の芝居を暴こうとはしなかった。どうせ彼らは信じない。むしろ、私を嫉妬深い嘘つきだと責めるだけだから。
もうすぐ誰もが彼女の本当の姿を目の当たりにすることになる。
彼らは私という存在を、私が受けた苦しみを思い出すようになるだろう。そして夜が更け、あたりが静まり返るたびに、私にしてきたすべてを悔やむことになる。
けれどそのとき、私はもうこの世にいない。
これこそが、私の復讐だ。
第2話
家に戻ると、美咲はもう隠すつもりもないのか、あからさまに本性をむき出しにした。
彼女は私の部屋にずかずかと入り込んで、私の車椅子を蹴り倒す。
「あんた、また何か企んでるの?」
私は床に膝をついたまま、押し寄せる激痛に耐えながら、壁に手をついてどうにか体を起こした。
「今の私が、何をしたってもう無駄でしょ」
美咲は私の体を上から下まで値踏みするように眺め、冷たく鼻で笑いながら、一歩ずつ近づいてきた。
「じゃあ、ようやく負けを認める気になったってこと?」
私は苦く笑った。
「うん、私の負け。完全に負けたよ」
空気まで凍りついたような沈黙が落ちた。美咲は眉をひそめ、まるで初対面の人でも見るかのように私を見つめている。
「信じないわ」
彼女はそう言った。
「あんたの絵を全部私に渡すまではね」
子どもの頃から、美咲は私が絵で注目を集めるのが羨ましかったのか、いつも私の真似ばかりしていた。
けれど、彼女には才能がなかった。どれだけ真似をしても、表面をなぞることしかできなかった。それでも諦めきれなかった彼女は、とうとう私の絵を盗み、自分の名前で発表するようになった。
あまりにしつこく付きまとわれたせいで、私はもう何年も絵を描いていない。家族でさえ、一時は私が芸術を諦めたのだと思っていた。
「どうしたの?惜しくなった?やっぱりそうだと思っ……」
「いいよ、渡す」
美咲は信じられないという顔で私を見る。
けれど、絵が一枚、また一枚と本当に彼女の前に並べられていくと、ようやく信じたのか、顔を歪めるほど笑い出した。
彼女は私の髪を乱暴につかみ、言葉を一つ一つ噛みしめるように吐き捨てる。
「本当にバカね。絵まで失ったら、たとえ体が治ったとしても、もう終わりよ!
全部元どおりに戻すって?」
彼女は鼻で笑う。
「私がようやく手に入れた篠原家の嫁の座を、あんたなんかに簡単に譲るわけないでしょ?
安心して。結婚式の日、私はあんたの男と先に寝て、子どもまで産んであげる。あんたが二度と希望なんて持てないように、徹底的に叩き潰してあげるわ」
ちょうどそのとき、階下から母が夕食の時間だと私たちを呼んでいる。
美咲はさっと手を離すと、何事もなかったかのように、また穏やかな令嬢の顔に戻った。
食卓につくと、彼女はさっき私が渡した絵を一枚取り出す。両親は驚きのあまり、手にしていたナイフとフォークまで落としてしまった。
「美咲、いつの間にこんなにすごい腕を身につけたのよ!」
兄も興奮を隠せない様子だ。
「俺が保証する。この絵は絶対に高値で売れる」
その夜、兄はすぐにその絵をオークションサイトに出品した。すると間もなく、有名なコレクターに高額で買い取られた。
そして翌朝、美咲の名前はSNSやネットで大きく取り上げられるようになった。
彼らが浮かれて喜ぶ姿を見ても、私の心は少しも揺れなかった。
私の心臓は、あと数日で完全に止まってしまう。
そのとき、彼らの笑顔も一緒に消えるのだろうか……
この一件の反響は大きかった。その後の数日間、家の前には常に記者たちが押し寄せ、誰もが突然現れたこの「天才画家」に取材したがっている。
カメラの前で、母は嬉しさのあまり涙を流す。
「あの時、事故に遭ったのが美咲じゃなくて本当によかったわ。そうでなければ、うちは天才を一人失うところだったもの!」
母は大勢の前で、祖母が遺した大切なネックレスを美咲に贈った。そのネックレスは、祖母が私に遺してくれたものだった。
私の目がすっと翳った。そのとき、記者たちが絵の着想をどこから得たのかと尋ね始める。
美咲は少し考えてから、頬を赤らめながら言った。
「婚約者から着想を得ました」
記者たちはたちまち色めき立った。
「婚約者の方はどなたですか?その方も芸術関係のお仕事をされているのですか?」
美咲が一瞬ためらうと、父がマイクを奪うように受け取り、誇らしげに言った。
「篠原グループの後継者、篠原蓮です!」
このインタビューは大きな話題となり、「財閥の妻」、「天才画家」という肩書きは、瞬く間に世間の注目を集める。
そして蓮の父、篠原辰彦(しのはら たつひこ)まで自ら姿を現し、美咲を篠原家の嫁として公式的に認めた。
美咲の目標は、ついに達成した。
彼女は勝ち誇ったように私を見る。
「お姉ちゃん、やりすぎたんじゃない?これで本当に後戻りできなくなったね」
私はかすかに笑った。
「私は最初から後戻りするつもりなんてなかったけどね。本気で美咲の幸せを願ってる」
「あんた……!」
美咲は今にも私を叩こうと手を振り上げた。だがその瞬間、入口に蓮の姿が目に入る。
「蓮さん、どうして来たの?」
彼女は駆け寄って蓮の腕に絡みついたが、彼はそっと身をかわした。彼女の頭を軽く撫で、蓮は優しい声で言った。
「ちょっと席を外してくれ。お姉さんと少し話がしたい」
美咲は不満げに部屋を出ていったが、去り際にこっそり私をにらんだ。
私はそれに微笑みで返した。
「美月」
蓮は私の手を強く握る。
「誤解しないでくれ。君が思っているようなことじゃない。
本当は、ことが落ち着くまで黙っているつもりだった。でも父がそれを許さなかったんだ。美咲を表に立てれば、会社にとって大きな宣伝になるって……だから……」
「説明はいらない」
私は手を引き抜き、一歩後ろへ下がった。
「あの子があなたに嫁ぐのは事実だもの。あなたは悪いことなんてしてないよ。
それに、私だって気づいてたから」
「何に?」
彼は眉をひそめた。
「あなたの服にいつも残っていたジャスミンの香水の匂い。車の中に時々落ちていたリップ。それから、私に会うたび、無意識にあの子のほうを気にしていた視線……全部、気づいてたよ」
「もういい!」
蓮は少し顔を赤らめて怒った。私もそれ以上話を続ける気にはなれなかった。彼は険しい顔のまま立ち去り、私は表情ひとつ変えずに背を向けて、再び絵を描き始める。
美咲は絵で名が売れてから、三日に一枚は絵を仕上げろと私を脅すようになった。
描かなければ薬を取り上げ、一生治らない体にしてやると言うのだ。
けれど彼女は知らない。私には、そもそも薬なんて必要ないということを。
それでも私は受け入れた。
どうせ死ぬまでに描ける絵は、たった二枚だけだから。
でも、その二枚だけで彼女が一生名声を保てるはずもない。私が死んだあと、彼女がどんな目に遭うのか、今から楽しみだ。
ある日、兄はドアを開けた拍子に、絵を描いている私を目にした。
すると彼は鼻で笑って言った。
「かつては十年以上も絵を描いていたくせに、あっさり諦めたと思ったら、今さら美咲が絵で売れ始めたからって、また筆を取るの?笑わせないでくれ。
諦めたほうがいい。お前は一生かかっても、美咲には追いつけないだろ」
絵筆を握っていた私の手がぴたりと止まり、目の光が少しずつ失われていった。美咲が家に引き取られてきたばかりの頃のことを思い出す。あのとき兄は私の前に立ち、彼女にこう釘を刺した。
「もし俺の妹をいじめたら、すぐにでも施設へ送り返すからな」
けれど、彼女が成長するにつれて、すべては変わってしまった。
私は何をやっても彼女より優れていた。けれど、それも美咲が心臓の持病を抱えているという事実の前では、何の意味も持てなかった。
たとえ大会で最下位になっても、彼女は胸を押さえながら両親の前で涙をこぼし、大事な場面で発作が起きたせいで失敗したのだと訴えた。何度も倒れては、目を覚ましたあと、赤く腫れた目で皆を見つめながらこう言うのだ。
「お父さん、お母さん、お兄ちゃん、死にたくない。みんなと離れたくないよ」
家族はそのたびに胸を痛め、次第に私のことを顧みなくなり、すべては彼女を守ることへ向けるようになっていった。
美咲はその隙につけ込み、私に罪をなすりつけて、家族との距離を少しずつ広げていった。
兄が出ていったあと、私はアトリエの中で長いあいだ呆然と座り込んでいた。それから、ようやく電話をかける。
「交通事故の調査結果は出ましたか?」
相手は一瞬沈黙し、重い口調で答えた。
「白石さん、あの事故は偶然ではありません。調査の結果、後部座席のドアには細工がされており、完全に開かない状態になっていました。
さらに防犯カメラの映像を確認したところ、衝突してきた車は意図的に角度を調整し、衝撃がちょうどあなたの座っていた後部座席側のドアに集中するよう仕向けていました。
車が横転した場合、運転席からは比較的容易に脱出できます。助手席は車体に押しつぶされる形にはなりますが、後部座席ほど圧迫されることはなく、救助もしやすい位置でした。
これはあらかじめ仕組まれた殺人です。何かお心当たりはございますか?」
私は指先に力を込めすぎて、関節が白くなるのを感じた。そして誕生日パーティーが終わったあと、美咲が車酔いすると言って助手席に座りたがったことを思い出した。
そういうことだったのか。
私は探偵の問いには答えず、資料を整理してメールで送るよう、それだけを告げた。
第3話
その後、家の中はにわかに慌ただしくなった。
一方では結婚式の準備が進み、もう一方では美咲の授賞式の準備が進んでいる。
家族の顔に日に日に笑みが増えていく。けれど、それとは反対に、私の身体は少しずつ衰えている。
結婚式の前夜には、とうとう食事も喉を通らなくなった。
その夜、母は何でもないことのように言った。
「美月、美咲の披露宴には出なくていいんじゃない?あなたは身体が不自由なんだし、当日はばたばたするから、私たちもあなたの面倒までは見ていられないわ」
父もすぐに同調した。
「ちょうど海外から名医を紹介してもらった。明日、その先生に会いに行きな」
私が口を開こうとした瞬間、美咲がテーブルを叩く。
「お父さん、お母さん、変なこと言わないで!美月は私のお姉ちゃんなんだよ。私の結婚式に来ないなんて、そんなのおかしいでしょ……」
「もちろん行くわ」
私は彼女に向かって笑った。
「妹の結婚式だもの。姉が行かないなんて、そんなわけにはいかないでしょう」
母は不満げに私を見る。けれど私は気にせず、言葉を続ける。
「安心して。私は隅にいるだけで、どこにも行かないから。あなたたちに迷惑はかけないわ」
兄が冷たく鼻で笑った。
「お願いだから、おとなしくしてろ。また変なことを企んだら、ただじゃおかないから」
翌日、私は朝早くから一階で待っている。美咲は私を見るなり、皮肉っぽく笑った。
「知らない人が見たら、あんたが結婚するのかと思うでしょうね。ずいぶん張り切ってるじゃない」
私は微笑んだ。
「包帯を何重にも巻かなきゃいけないからね。早めに準備しておかないと間に合わないの」
それを聞いた彼女の目に、さらに得意げな色が浮かんだ。それから彼女は階段を下りてくると、私の胸元に名札を留めた。そこには、私が何者なのかはっきりと書かれている。
お手伝いさんが私の車椅子を押して披露宴会場に入ると、その場にいた全員の視線が一斉に私へ向けられる。
「白石さんにお姉さんがいたなんて。どうして今まで一度も話さなかったのかしら?」
「見ればわかるでしょう。あまりにも差がありすぎるもの」
私と蓮の関係を知っている招待客たちは、何度もため息をつきながら、ひどく気の毒そうな目で私を見ている。
私はそんな視線から目をそらし、約束どおり会場の隅でおとなしくしている。
すると突然、蓮がグラスを揺らしながら、こちらへ歩いてくる。
「自分から来るって言い張ったくせに、今さら人の噂話がつらいのか?」
私は腹立たしさのあまり、思わず笑ってしまった。けれど、もう言い返す気にもなれず、シャンパンを持ち上げて彼のグラスに軽く合わせる。
「新婚おめでとう、蓮」
すると蓮は怒りをあらわにし、私のグラスを乱暴に払いのけた。
「いつまでそんな嫌味ったらしい言い方を続けるつもりだ!?何度も、君と結婚するって言ってきただろう。どうして僕の言うこと信じてくれないんだ!」
彼は胸を激しく上下させながら、まるで傷ついたのは自分のほうだと言わんばかりに話を続ける。
「これ以上騒ぐなら、本当にこの結婚を本物にするぞ!」
そのとき、美咲が前に出てきて、彼の腕にぴたりとしがみつく。
「あなた、もうすぐ式が始まるわ」
その呼び方を聞いても、私の心は不思議なくらい何ひとつ揺れなかった。
かつて数えきれないほどの誓いをくれた男が、今では私のすべてを奪った女に永遠を誓っている姿を、披露宴会場の隅に座る私は、じっと見つめている。
「美咲、僕は永遠に君を愛する」
美咲は蓮に口づけを返しながら、こう言った。
「私も」
母は客席で涙を流しながら言った。
「美咲が私の実の娘だったらよかったのに」
兄は母の涙を拭い、自分も目を赤くしながら口を開く。
「何言ってるんだよ、母さん。美咲は母さんの娘で、俺の妹だ。俺たちみんなの誇りじゃないか」
誇り、ねえ。
私は小さく笑い、そのまま黙って背を向ける。
するとそのとき、美咲が大勢の前で私の名前を呼んできた。
「お姉ちゃん、お祝いの言葉とか言ってくれないの?」
私は車椅子のブレーキに手をかけ、ゆっくりと振り返った。そして、目の前のあまりにも完璧な新郎新婦を見つめながら、一語一語区切るように言った。
「お二人が、これからも、ずっと、幸せでいられますようにね」
会場には、奇妙な沈黙が落ちた。私の祝福があまりにもよそよそしかったからか、それとも私の格好があまりにも異様だったからかもしれない。
いずれにせよ、両親はひどく不機嫌だ。人がはけたあと、二人は振り向きざまに私を叱りつけた。
「お祝いの言葉ひとつまともに言えないの?恥をさらすこと以外に、あなたに何ができるっていうの?」
兄も鼻で笑いながら、私を乱暴に押した。
「美咲は本当に優しすぎるよ。お前みたいな場をしらけさせる奴を、よく結婚式に出席させたもんだ」
私はよろめき、そのまま床に倒れ込んだ。
兄は一瞬固まった。反射的に手を伸ばしかけたものの、今さら私を助け起こす気にはなれなかったのだろう。ただ倒れた車椅子だけを起こした。
私は残った力を振り絞り、少しずつ床を這って、どうにか車椅子に戻った。
私に何が言えるというのだろう。彼らの目には、私は何ひとつ美咲に及ばない存在だ。
祝福の言葉でさえ、間違いになってしまうのだ。
私は黙ったままその場を離れ、蹴られて壊れた車椅子を、最後の力で漕いで進める。
顔を上げた瞬間、少し離れた場所に蓮の姿が見えた。一秒ほど視線が合ったあと、彼はワイングラスを手にしたまま背を向け、何事も見なかったかのように去っていった。
その瞬間、私の中にかろうじて残っていた気力まで消えてしまった。
……
幽霊のように、ゆっくりと街をさまよう。ふと顔を上げると、無数のドローンが夜空に美咲の名前を描き出している。
皮肉なものだ。あれは、もともと私が考えた演出だ。まさか最後に、それが彼女のために使われることになるなんて。
家に帰ると、電話の着信音が鳴る。耳元には、美咲の嘲るような声が響く。
「もう耐えられなくなって逃げ出したの?本番はまだこれからなのに。
でも焦らなくていいわ。結婚式のあとには授賞式もあるもの。そこでもうひとつ、面白いものを見せてあげるね。
美月、あんたはもう一生、蓮さんと同じ場所に立つことなんてできないよ」
電話が、がちゃんと音を立てて床に落ちた。
それでも私は、拾い上げる力さえ残っていない。
電話の向こうの声は、だんだん苛立ちをにじませた口調で言った。
「もしもし?どうして何も言わないの?ねえ、返事しなさいよ。返事しないなら、これから医者なんて呼んでやらないから。今の家は、私の言うことがすべてなんだから!」
しばらく沈黙が続いたあと、彼女は腹立たしげに電話を切った。
そのとき、部屋の扉が静かに開く。黒いスーツを着た男が入ってきて、私の身体を支えて起こした。
「白石様、葬儀サービスのご予約でお間違いないでしょうか」
私は小さくうなずき、力の入らない指で、少し離れた場所にある紙箱を示す。
「私が死んだら、お葬式で……この中にあるものを、全部流してください」
その直後、私の手は力なく垂れ落ちた。
耳元で、男のため息が聞こえる。
「白石様、本当に……つらい人生でしたね。この先のことは、私にお任せください」