Đang tải thông tin quảng bá...
母になる未来を奪った夫は他の女と後継を作った
盛沢市の社交界の奥様たちは、みんな西園寺凪(さいおんじ なぎ)の幸運を羨んでいた。 なぜなら、凪がただ宝石を「きれい」と一言言っただけ...
Chương (1)
第1章
盛沢市の社交界の奥様たちは、みんな西園寺凪(さいおんじ なぎ)の幸運を羨んでいた。
なぜなら、凪がただ宝石を「きれい」と一言言っただけで、西園寺秀智(さいおんじ ひでとも)はその宝飾店を丸ごと買い取ったし、凪が日光浴をしたいと言えば、翌日には島を買って彼女専用のリゾートに変えてしまうほどだから。
しかも、秀智は彼女一筋を貫き、結婚して7年、浮気は一切せず、メディアからも「盛沢市一の純愛男」と呼ばれるほどだった。
しかし、誰も知らない。凪がもう1か月も、独りでベッドに入り、枕を涙で濡らす日々を送っていたことを……
今日もまた、眠れぬ夜が明けた。
疲弊し切った様子で、目の前の食事を見つめる凪。
そんな凪を見かねた家政婦の田中和子(たなか かずこ)は、ホットミルクを凪に渡しながら言った。「あの女、昨日も旦那様に色仕掛けをしてましたよ?
たかが旦那様の子供を身籠っただけのくせに、そのことを理由にして1ヶ月も旦那様を独り占めするなんて!」
和子は憤りを露わにしながらも、凪を心配そうに見つめる。
「奥様。もし我慢できないようでしたら、人を使ってあの女に痛い目を見せることだってできるんですからね?」
凪は力なく微笑むと、静かに口を開いた。
「私は大丈夫だから。それより、こないだ手に入った最高級品のオーガニックサプリを彼女に届けてくれる?
『西園寺家のために、子供を産んでくれてありがとう』って」
第1話
盛沢市の社交界の奥様たちは、みんな西園寺凪(さいおんじ なぎ)の幸運を羨んでいた。
なぜなら、凪がただ宝石を「きれい」と一言言っただけで、西園寺秀智(さいおんじ ひでとも)はその宝飾店を丸ごと買い取ったし、凪が日光浴をしたいと言えば、翌日には島を買って彼女専用のリゾートに変えてしまうほどだから。
しかも、秀智は彼女一筋を貫き、結婚して7年、浮気は一切せず、メディアからも「盛沢市一の純愛男」と呼ばれるほどだった。
しかし、誰も知らない。凪がもう1か月も、独りでベッドに入り、枕を涙で濡らす日々を送っていたことを……
今日もまた、眠れぬ夜が明けた。
疲弊し切った様子で、目の前の食事を見つめる凪。
そんな凪を見かねた家政婦の田中和子(たなか かずこ)は、ホットミルクを凪に渡しながら言った。「あの女、昨日も旦那様に色仕掛けをしてましたよ?
たかが旦那様の子供を身籠っただけのくせに、そのことを理由にして1ヶ月も旦那様を独り占めするなんて!」
和子は憤りを露わにしながらも、凪を心配そうに見つめる。
「奥様。もし我慢できないようでしたら、人を使ってあの女に痛い目を見せることだってできるんですからね?」
凪は力なく微笑むと、静かに口を開いた。
「私は大丈夫だから。それより、こないだ手に入った最高級品のオーガニックサプリを彼女に届けてくれる?
『西園寺家のために、子供を産んでくれてありがとう』って」
その言葉に和子は動きを止め、驚きで目を見開く。
しかし、凪はそれ以上何も言わず、ただ遠くを見つめながら7年前のことを思い出していた。
西園寺家と二宮家は代々の宿敵であり、盛沢市の二大勢力だった。
しかし、次期当主同士だった凪と秀智は、いつしか互いに惹かれ合った。
だが、ひそかに育んでいた想いも結局は露見し、二人は家から厳しく叱責された。それどころか、別れなければ次期当主の座さえ与えられないという始末。
しかし燃え上がった愛は誰にも止められない。周囲がいくら阻もうとしても、二人の気持ちは、ますます燃え上がるばかりだった。
なす術がなくなった両家は、二人を引き離すため、それぞれの縁談相手を見つけてきて、結婚させようとした。
すると、二人は逃げることを決め、互いの結婚式の夜、駆け落ちした。
このことで街中が大騒ぎとなり、メディアも連日大きく報道する。
そして最後には、この不祥事を何とかしようとした両家が、やむを得ず二人の結婚を認めたのだった。
ここまでは美しい愛の逃避行。
しかし、凪だけが知っている。あの駆け落ちの晩、西園寺家が決めた秀智の結婚相手である横山美優(よこやま みゆ)も、共に連れていたことを……
秀智は凪に誤解されるのを恐れるかのように、優しく言った。
「凪、別に心配するようなことはない。でも、今回逃げられたのは美優の協力のおかげなんだ。
それに、こうなってしまったら美優だって家に戻りづらくなるだろ?だから、澄波ヶ丘の別荘を譲ってやってくれないか?それぐらいしてあげてもいいよな?
凪、信じてほしい。美優のことはただの妹のような存在で、恋愛感情なんて全くないから」
凪は、秀智の後ろにいたか細い美優をちらりと見ただけで、その時は特に反対することもなかった。
しかし、結婚2年目。
凪はある傷害事件に巻き込まれた。その時、腹部を刺され、もう子供が産めない体になってしまったのだった。
その時は、人生の希望がすべて消えた。
敵対する家の娘を妻に迎えることを一度認めた西園寺家だって、跡継ぎを産めないとなると話は別だった。
凪が子供を産めない体になったと知るや否や、西園寺家の親戚たちが凪の元へ押しかけてきた。
「離婚か代理出産を選べ」と。
秀智と離婚するのは絶対に嫌だったので、凪は代理出産を泣く泣く受け入れた。
そうして、凪の代わりにと連れてこられたのが、美優だった。
美優は一人目に女の子を産んだが、西園寺家は不満をあらわにした。
「西園寺家には後継の男の子が必要だ」
秀智はリビングで一晩中タバコを吸い続け、朝になってようやく部屋に入ると、凪を抱きしめ、かすれた声で言った。
「凪。男の子が生まれたら、美優を海外に行かせて、二度と会わないようにするから」
二人目は待望どおりの男の子だったのだが、秀智は凪にこう呟く。
「早産で体が弱くて、大人になるまで生きられるかわからないって医者に言われたんだ……だから、もう一人男の子が生まれるまで待ってくれないか?それで絶対最後にするから」
その後ようやく3人目が産まれ、凪はようやく秀智と落ち着いて生活できると思った。
しかし先週、西園寺家の本家での食事会の帰り、秀智と彼の従弟が話していた会話を偶然耳にしてしまったのだった。
「秀智さん。二人目が早産なんて凪さんに嘘をついてまで男の子を増やそうとして、今3人目だろ?そんなんで、本当に美優を海外に追いやれるのかよ?
結婚の時、凪さんのためにあんな大騒ぎまで起こしたのに。なんで今になって凪さんを騙して、美優に3人も子供を産ませるんだよ?」
秀智は暗い瞳で一点を見つめ続け、長い沈黙の末ようやく答えた。
「あの時、俺と凪が駆け落ちしたことで、美優は家も居場所も失ってしまったんだ。それでもこの数年、美優は文句も言わずに3人もの子を産んでくれた。そんな奴を、海外に追いやれると思うか?」
「じゃあ、凪さんを子供が産めない体にするのは、心が痛まなかったのか?あの事件、秀智さんが仕込んだんだろ?」
その言葉を聞いた瞬間、凪の体は震え、立っていることさえおぼつかなくなった。
あの事件が秀智の仕組んだものだった?
しかし、秀智の表情は冷たく、何の感情も感じられない。
「凪はもともと二宮家の長女で、今は西園寺家の女当主だ。子供がいなくたって最高の地位にいる。でも、美優はあんなにか弱いんだから、俺が守ってやらなきゃ生きていけない。
それに、美優は3人も俺の子供を産んでくれたのに、妻にしろだとか、彼女にしろだとか、そんなことも一切言ったことがないんだ」
秀智は鋭い目つきを従弟に向けると、冷たく言った。
「二度とこの話は口にするな」
凪は地面に崩れ落ち、そのまま動けなくなった。
もう子宮のない下腹部を押さえ、涙が枯れるまで泣き続けた。頬に吹きつける風は、刺すように冷たい。
子宮を失ってしまったあの事件も、今の境遇も、全ては自分が愛してやまない秀智が描いた芝居だったとは……
「奥様、お子様は早朝に保育器から出されたようで、あの女が届けに来ましたよ」
和子の声が、過去の世界に行っていた凪を現実に引き戻す。
凪は眉間を揉み、抑揚のない声で答えた。
「子供をあの女のところに送り返して」
和子は呆気に取られていたようだったが、ようやく意味が分かり行動に移ろうとしたところを、また凪に呼び止められる。
「それと、他の二人の子の荷物も片付けて、一緒に澄波ヶ丘に送って。あとは自分で育てるようにと伝えればいいから」
第2話
夜が訪れても、月見ヶ丘は依然として明かりに満ちていた。
夕飯のとき、秀智が完璧なスーツ姿でリビングへと入ってきた。
彼はジャケットを脱いで和子に手渡すと、凪の肩を背後から優しく抱きしめ、囁く。「なんで子供達を送り返したんだ?」
凪はその吐息に一度動きを止めたが、何事もなかったかのようにナイフとフォークを置いた。
「あの子たちは私の戸籍に入っているけど、私は本当の母親じゃないでしょ?だから、あの子たちから本当の母と会う権利を奪ってはいけないって思って」
秀智は目を伏せ、しばしの沈黙のあと、愛おしげに答えた。「凪がそう言うなら、無理に育てることはない」
その様子を見ていた和子は、喜びに顔をほころばせ、果物を切って持ってくる。
「旦那様、お帰りなさいませ。奥様はこのところ、ずっと旦那様のことを想っておいででしたよ」
秀智は凪を見つめ、罪悪感に満ちた目で言った。「ごめんな、凪。このところ立て込んでて。でも、今夜はずっとそばにいるからな」
しかし、そう言い終えるや否や、秀智の着信音が鳴り響く。
画面に光る「美優」の文字が目に入った凪は、すべてを悟った。
秀智は少し眉をひそめ、数秒ほどの迷いを見せたが、結局は電話に出た。
相手が何を言ったのかはわからないが、彼の表情が一転して険しくなる。「凪、会社で早急に対応しないといけないことができたから、戻らないといけなくなった。ごめん、今夜はもう帰ってこられない」
凪は頷き、自ら上着を秀智に手渡した。「仕事を優先して。気をつけてね」
上着を受け取る秀智の動きがふと止まった。凪を不思議そうに見つめる。
秀智はいつものように凪に引き留められるだろうと思っていたのだ。だから、何も言わずに自分を送り出す凪に、少し戸惑ったが、結局はただ凪を抱きしめ、そのままその場を離れることにした。
急ぎ足で去る秀智の背中を見つめながら、和子は怒りを隠せなかった。
「奥様、なぜ行かせてしまうんですか?さっきの電話も、間違いなくあの愛人からに決まっているのに!」
そんな憤りを露わにする和子とは対照的に、凪は驚くほど落ち着いていた。
なぜなら、真相を知ってからというもの、凪は秀智に対して何ひとつ期待していなかったから。
翌日、凪は気分転換にと、西園寺家のプライベート乗馬場へと足を運んだ。
偶然にもそこで、美優が西園寺朋花(さいおんじ ともか)と西園寺啓太(さいおんじ けいた)を馬に乗せようとしているところに出くわした。
凪ははっとし、手綱を軽く引いて3人のもとへ向かう。
「美優さん。こんな小さい子供を一人で馬に乗せるなんて……」
凪は馬を巧みに止めて降りると、3人の前へ歩み寄った。「スタッフはどうしたの?」
凪に見つめられた美優は目を泳がせながら言った。「凪さん……私たちは、別に乗るんじゃなくて、ただ試してみようかなって思っただけで……」
美優の言い訳を聞くのも億劫だったので、凪は責任者を呼び出す。
責任者が駆けつけてきたのを確認したので、凪は再び馬を走らせてその場を後にした。
ところが、わずか2周ほど走ったところで、遠くから子供の突き刺すような泣き声が聞こえてきた。
凪の胸に嫌な予感が走る。
凪が急いで声のする方まで行くと、まさに朋花が馬から投げ出される瞬間だった。
興奮した馬が朋花を踏みつけそうになった瞬間、凪は呼吸を止めて手綱を操り、助けようと身を乗り出した。
しかし、それを秀智の大きな手が先に遮り、瞬時に朋花を抱え上げたのだった。
すぐ馬に鎮静剤が打たれ、その場に静寂が戻る。
だが、秀智が怒りを露わにしたのは、ここからだった。朋花を医師に預けた秀智は、凪の方に視線を向け、怒鳴りつけた。
「どういうことだ!なんで5歳の子を一人で馬に乗せたんだ!」
責任者が震えながらも答えようとした時、美優がそれを遮り秀智へ縋り付く。
「秀智さん、ごめんなさい。子供たちが凪さんが乗っているのを見て自分たちも乗ってみたいって言い出して……
でも、凪さんはこの子達が馬に乗るのを許可してくれなかったから、スタッフも誰も手を貸してくれなかった。そうしたら、私が目を離した隙に、朋花が勝手に乗っちゃったの……全部、私の責任だから」
秀智の視線が凪へと向けられ、その瞳には失望と怒りが渦巻いていた。
「こんなに小さい子供が一人で乗るなんて、危険だとわかっているだろ?たとえお前が腹を痛めて産んだ子供じゃなくても、何年かはお前が世話をしたんだろうが!」
気を失っている朋花を見た後、秀智は再び凪に視線を投げたが、そこには温もりの欠片もなかった。
「厩舎すべての掃除を妻にやらせろ。終わるまで帰すなよ」
そう言い捨てると、秀智は朋花を抱えたまま振り返りもせずに立ち去っていった。
美優は涙を拭うフリをして、凪を鼻で笑った。「頑張ってね、凪さん」
唇の端を吊り上げ、美優は秀智の後を追った。
その様子を見ていた和子は、怒りで体を震わせながら言った。「奥様、どうして何も言わなかったんですか?あなたは明らかにスタッフを手配していたのに。しかも、あの女……旦那様の前であんなこと言うなんて!」
怒りに震える和子に対して、凪は彼らの背中を見送りながら、自嘲気味に口角を上げる。
今の秀智たちにとって、自分は部外者でしかないみたいね。
美優が少し言っただけで、秀智は全てを信じてしまうのだから、自分がもう何を言っても無駄になるだけ。
半月後には、秀智の祖父であり、西園寺家の前当主だった西園寺竜之介(さいおんじ りゅうのすけ)の誕生日会がある。
そこで、以前から自分をよく思ってなかった竜之介に、自分が秀智と離婚することを言い出せば、彼が喜ぶ誕生日プレゼントになるだろう。
凪は秀智との関係を終えることにした。
第3話
どれくらい時間が経ったのだろう。ふと顔を上げると、すっかり日は暮れていた。
疲れた体を引きずり、最後の厩舎へ入った時だった。突然、後頭部に激しい衝撃が走り、意識が闇に落ちていった。
その現場を偶然見かけた和子は叫び声を上げ、手に持っていた食事を地面に落としてしまう。
和子は急いで後を追ったが、ミニバンが走り去るのをただ見送ることしかできず、とにかく震える手で秀智へと連絡を入れた。
セントメアリー病院。
数時間の検査の結果、朋花の身体に異常はなく、気絶したのも、ショックからくるものだったらしい。
秀智は自分の懐で甘える朋花の鼻先を、愛おしそうに軽く突っついた。
その時、無機質な着信音が鳴り響く。
秀智が電話に出ると、受話器から和子の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。「旦那様!奥様が誰かにさらわれました!」
秀智の顔が一瞬にして強張る。「どういうことだ?」
事情を聞いた秀智は、すぐさま朋花を下ろし、病室から出ようとした。
「秀智さん、どうしたの?」と、美優が心配そうに秀智を引き留める。
「田中さんから、凪が何者かに連れ去られたって連絡が来たんだ」秀智は真剣な表情で答えた。
美優は瞳を陰らせ、唇を噛みしめながらつぶやいた。「秀智さん、それ、凪さんの何か悪い冗談か何かじゃないの?」
その言葉に秀智は足を止め、美優を振り返る。
美優はもっともらしく、続けた。
「だって、あの乗馬場の警備は最高水準のものを取り入れてるでしょ?それに、万が一本当に連れ去られたんだとしても、スタッフがあれだけ大勢いるんだから、彼らから連絡が来るはず。なのに、なんでわざわざ、田中さんから連絡が入ったの?」
秀智は眉をひそめ、考え込んだ。
確かに西園寺家のプライベート乗馬場は最高水準のセキュリティで守られており、凪が連れ去られるなど、どう考えてもあり得ないことだった。
そう思い至り、秀智の険しい表情が少し和らぐ。
そして、不機嫌そうに病室のベッドへ戻ると、電話口の和子に向かって冷たく言った。「田中さん。こんな悪ふざけはやめろと、妻に言ってくれ」
その頃、郊外にある建設途中のビルにて目を覚ました凪は、嗅いだことのある腐敗臭に、一瞬にして以前のあの事件を思い出していた。
腹部に突然、冷たい感覚が走る。まるであの冷たい刃が再び子宮に突き刺さったかのようだった。
体の震えが止まらない。
すると間もなくして、足音が近づいてきた。「奥さん、久しぶりだな」
顔を覆っていた黒い布が、乱暴にはぎ取られる。
相手の姿を見て、凪の瞳孔が見開かれた。
目の前にいたのは、3か月前に経営破綻し、失踪したはずの斎藤不動産の斎藤大輔(さいとう だいすけ)だった。まさか、彼がこんな所に隠れていたとは。
大輔の会社が秀智に潰されたことを思い出し、凪は絶望感で心が折れそうになった。
凪は何とか冷静さを保ち、「落ち着いてください。解放してくれるなら、何でも条件は呑みますから」と、震える声で持ちかける。
しかし、大輔はそんな凪をちらりとも見ず、どこかへ電話をかけた。
「西園寺。お前の女は俺が預かった。返してほしければ20億払え」
凪の心にわずかな光が差し込んだ。
目的が金ならば、まだ取引の余地はある。
だが、安心したのもつかの間、大輔が突如として叫び始めた。「おい!お前の女がここにいるって言ってるだろ!」
大輔はそう叫んだ瞬間、携帯を地面に叩きつけた。
「西園寺の野郎、俺が嘘をついているとぬかしやがった!」
逆上した大輔は、凪の髪を掴み、何度も壁へ叩きつける。
凪は激痛で息ができなくなり、意識も朦朧としてきた。
「まあいい。西園寺が死ぬほど大切にしてるお前を、少し味見するとするか」
凪が大輔の言葉の意味を理解した瞬間、大輔は彼女に馬乗りになった。
凪はなりふり構わず必死に抵抗し、大輔の耳に噛み付く。
痛みで激昂した大輔は、凪の腹部を複数回殴った。
喉元までせり上がる鉄の味と共に、凪は口から鮮血を吐き出した。
その血を浴びた大輔は、片手で耳を押さえながら、もう片方の手で顔を拭う。
「このクソ女が!」
そう言うや否や、大輔はさらに凪の腹部を執拗に踏みつけた。
痛みで意識が朦朧としていたが、凪は渾身の力を振り絞り、大輔の足にしがみつくと、そのまま思い切り歯を立てた。
痛みと怒りで完全に理性を失った大輔は、感情のまま凪を遠くへ蹴り飛ばす。
ドンッ!
凪が地面に叩きつけられるのと同時に、ボロボロの扉が力強く蹴り開けられた。
地面に這いつくばったまま、凪は重たい首を上げる。
すると、逆光の中に秀智の姿が見え、共に来ていた武装した特殊部隊もすぐさま大輔を取り押さえた。
極度の緊張から解放された凪は、そのまま意識を失ったのだった。
第4話
救急処置室のランプが消え、医師が厳しい表情で出てきた。
「西園寺さん、奥様はかなりの重体です。内臓の損傷が激しく、早急な手術が必要なのですが、この手術を行える山本医師が、あいにく出張中でして……」
秀智は眉をひそめ、低い声で言った。「山本先生はどこにいるんですか?すぐにヘリを飛ばして迎えに行きますから!」
2時間後、ヘリが間もなく病院に到着しようとしていた。
その時、秀智の携帯に電話が入る。
それは1時間前、美優が大きな交通事故に遭い、緊急搬送されたという知らせだった。
秀智は救急処置室を一瞥すると、迷うことなく美優の病室へと向かった。
診断の結果、美優も内臓に大きなダメージを負っており、山本勇太(やまもと ゆうた)による執刀が不可欠だった。
秀智の手がぎゅっと固く握りしめられ、口元も一直線に引き結ばれる。
病室で苦しむ美優と、意識を失ったままの凪の真っ白な顔が交互に頭をよぎった。
すると、美優が秀智の袖を弱々しく引っ張り、消え入りそうな声で微笑んだ。
「秀智さん……先に凪さんを救ってあげて。私は大丈夫だから……」
言い終わると同時に、美優は瞳を閉じ、意識を失った。
そばにいた朋花が、悲痛な叫びを上げて泣きじゃくる。
「ママ!起きて!パパ、早くママを助けて!」
その瞬間、秀智の迷いは消え失せ、勇太に言った。「先に、美優の手術をしてください……」
どれくらいの時間が経っただろうか。
凪は激しい痛みと共に、意識を取り戻した。
呼吸をするたびに、腹部に焼けるような激痛が走る。
「奥様、やっと目が覚めたんですね!もう2日間も眠っていらっしゃったんですよ……」
凪が目を開けたことに気づいた和子が、目を潤ませながら駆け寄ってきた。
「申し訳ありません……奥様が連れ去られるところを目撃していたのに、追いつけなくて。だから、旦那様にお電話したのですが、あの女の嘘を信じきっていたのか、私の話を全く聞いてくださらなかったんです。
あろうことか、あの女も同じタイミングで交通事故に遭って、その手術に山本先生を向かわせるなんて……」
凪はただ黙って聞き続けた。意識を失う直前、秀智を見た時に感じたわずかばかりの感動も、今は静寂に戻っていくようだ。
廊下から足音が聞こえたと思ったら、すぐに秀智が病室へ飛び込んできた。
彼は和子を一瞥すると、一気にベッドサイドへ駆け寄り、凪の手を握りしめて焦燥の表情を見せる。
「凪、ようやく目を覚ましたんだな。どうだ?痛いところはあるか?
安心しろ、犯人は既に捕らえたから……絶対に痛い目を見せてやる」
それでも、表情一つ変えない凪を前に、秀智は言葉を詰まらせ、視線を泳がせた。
「山本先生の件だけど……あの時、美優も事故に遭って、一刻を争う状況だったんだ」
凪は瞳を閉じると、秀智に握られていた手を静かに引き抜く。
手から消えていく温もりに秀智は眉をひそめたが、先ほどまでの必死さはもう薄れていた。
「凪、つらい思いをさせたことはわかっている。でも、今はもう何ともないようで良かったよ」
何ともない?
凪は静かに瞼を開いた。
暴行を受けた時の絶望を思い出すと、今目の前のこの男に対して、言葉を返す気力さえ湧かなかった。
「パパ!ママが起きたよ!」
病室のドアが開き、興奮気味の朋花が秀智の手を引っ張りながら外へ連れ出そうとする。
秀智も朋花の言葉に表情を和らげ、そのまま立ち上がった。
去り際、彼は凪の方を振り返った。「今回のことは、俺のせいでこんな目に遭った。だから、何でもお前の欲しいものをあげるよ。
今はしっかり休んでて。俺は美優の様子を見てくるから」
そう告げると、秀智は朋花を抱き上げ、急ぎ足の様子で病室を出て行った。
立ち去る彼の背中を見つめ、凪は二人で困難を乗り越え、やっと親族に祝福されたあの日を思い出した。
当時の秀智は、世界で一番大切な宝物でも抱くかのように、自分を強く抱きしめてくれていたのに。
「凪、ようやく誰にも邪魔されず一緒にいられる。俺はこの先もずっと、お前だけを愛して、守り抜くよ」
思い出は鮮明だが、今の二人の距離は、もはや戻ることのないほど遠く離れていた。
第5話
和子は凪を外へ散歩に連れていってあげようと考えていた。
しかし、玄関を出るやいなや、二人の警察官に呼び止められ、鋭い眼差しが和子に向けられる。
「田中さんですね?殺人教唆の容疑で逮捕状が出ていますので、ご同行願えますか?」
凪は眉をひそめ、無言で和子を背後に庇った。
「あの、何かの間違いではありませんか?」
「証拠は揃っています」二人は迷うことなく凪を押し退け、和子を取り押さえた。
警察官に手首を掴まれて、やっと状況を悟った和子が叫ぶ。「私は殺人の依頼なんてしていません!」
それでも反応がない警察官を見て、和子は縋るように凪を見た。「奥様!私は本当にやっていません。信じてください!」
異様なほど威圧的な警察官たちの様子を見て、凪は直感した。
深呼吸し、凪は和子の手を握る。「大丈夫、すぐに解決する。濡れ衣なんか絶対に着せないから」
和子が連行されるのを見送り、凪は足早に美優の病室へ向かった。
しかし、秀智と美優は、凪が現れたのを見ても少しも驚かなかったどころか、むしろ来ることを予測していたかのようだった。
「なんでこんな真似を?美優さんの事故と、田中さんは関係ないでしょ?」
秀智は凪の前に分厚い書類を投げ捨て、怒鳴り声を上げる。
「送金履歴が残っているんだ。古い番号や別口座を使えば誤魔化せるとでも思ったのか?」
凪は一瞬言葉を失い、書類に目を走らせた。読むほどに眉間の皺が深くなっていく。
「そんなはずはない。
私は田中さんに育てられた。彼女がそんな人じゃないことは、私が一番よく知っているから」
凪の言葉が終わるや否や、美優が泣き出しそうな顔で訴えた。
「凪さん、田中さんを身内だからって庇わないで。あの人が私のことがずっと目障りだったってこと、知ってるんだから」
凪は弁解しようとしたが、秀智が冷たく遮る。
「証拠は揃っているんだ。自分がしたことの責任は取ってもらうからな」
秀智はあくまでも美優の肩を持つようだ。
それからの数日、凪は何度も法律事務所に連絡を続けたが、誰もその件を引き受けてくれなかった。
探偵も雇ったが、例の交通事故の運転手はその事故で即死し、関係者も行方不明。監視カメラの映像も一夜にして削除されていた。
警察署に面会へ行っても、上層部の圧力なのか、取り次いでもらえない。
すべては秀智がやったことだと、凪はわかっていた。
人気のない街角で、鼻の奥がツンと熱くなる。
秀智と結婚する前、凪は両親と関係が悪くなったのだが、そんな凪に最後まで味方として付いてきてくれたのが和子だった。
自分にとって和子は、母親も同然の存在なのだ。
秀智も、結婚当初は二人の関係を尊重し、和子を大切にしてくれていた。
それなのに今、彼は出所不明の書類一枚で自分の大切な恩人を刑務所へ送ろうとしている。
凪は込み上げる涙をぐっとこらえた。
携帯を手に取り、画面上である連絡先に指を止める。
凪が家を捨てて嫁いだことに父親の二宮正弘(にのみや まさひろ)はずっと怒っていたが、母親の二宮霞(にのみや かすみ)を通じて間接的には連絡を取り合っていた。
躊躇ったが勇気を振り絞り、凪は電話をかける。
通話が繋がると、お互い無言になった。
凪が先に話を切り出す。「お父さん……秀智が、田中さんが美優さんの事故を裏で指示したって言って、警察に連れて行かせたの。それに、調べようとしても邪魔されて……」
正弘には怒鳴られると思っていた。しかし、受話器越しに聞こえてきた声は震えていたのだ。
「凪、こんなときに頼ってもらえて、お父さんは嬉しい。
事情は分かった。二宮家を敵に回すなんて、あの小僧ただでは済まさないからな。明日中には、必ず田中さんを釈放させてみせるよ」
通話終了とともに、凪の目からは涙が溢れ出し、嗚咽が漏れた。
いつまでも自分を守り抜いてくれるのは、親だけだったみたいだ。
それからまもなくして、警察署から翌日には釈放手続きができるとの連絡が入った。
その晩は、ここ数日で一番安心して眠ることができた。
しかし翌朝、警察署へ迎えに行くと、再び追い返されてしまったのだった。
「釈放?そんな許可は出ていません」
嫌な予感が凪を襲う。
携帯を取り出そうとした瞬間、霞から着信があった。
泣きじゃくる霞の声が聞こえる。「凪……大変なの。会社に家宅捜索が入って、お父さんが捕まっちゃった。本人からは隠すようにって言われたけど、もう私……どうしていいか」
正弘が手がけていた大型案件で、突如密輸や国家機密漏洩の疑いが浮上し、強制捜査が始まったらしい。
電話を切ると、凪はその場にへたり込んだ。
誰がやったかなんて、そんなのは決まっている。
凪は指先が白くなるほど強く携帯を握りしめた。
まさか秀智が、自分の父まで追い詰めるとは思ってもみなかった。
第6話
盛沢市のメディアは情報に敏感で、翌日には二宮グループが密輸で国家機密を漏洩した件が、一気に各大手ニュースのトップを飾った。
さらには、誹謗中傷が殺到し、二宮グループの株価は暴落した。
関係が良好だった取引先も、次々と取引の打ち切りを表明する。
凪は7年ぶりにグループへ戻り、まずは不安がる株主や社員を落ち着かせた。
会社を支えながら、正弘の潔白を証明するための証拠を集めるため、凪は秒刻みの毎日を送った。
渡された調査報告書の内容に、凪は息を呑む。
やはり父は身代わりで、実際に機密を漏らしたのは秀智が秘密裏に国外へ逃がした者だった。
証拠を手に警察や裁判所へ駆け込んだが、全て徒労に終わり、凪は資料を握りしめ、足元から崩れ落ちるような絶望を覚えた。
秀智は既に、彼女のあらゆる逃げ道をふさいでいたのだ。
凪が秀智の社長室を訪ねると、彼は美優に資料の見方を教えているところだった。
凪は初めてプライドを捨てて頭を下げた。「秀智、お父さんと田中さんを解放してくれるなら、なんでもする」
ついに屈した凪の姿に、秀智は目を細める。
「最初からそうしていればよかったんだ」
秀智は凪に頭を上げさせた。「凪、別にお前を追い詰めたいわけじゃない。ただ、美優がかなりの怪我を負ってしまっただろ?だから、責任を取ってほしいだけなんだよ」
ドアがノックされ、秀智の秘書が部屋に入ってくる。「社長、契約書をご用意しました」
秀智はそれを凪に差し出した。「この契約に同意するなら、二人を助けてやってもいい。
まあ、この契約は美優への償いってところだ」
内容を見た凪は言葉を詰まらせる。「美優さんの専門は芸術関係じゃないの?ドローン技術の知識も管理の経験もないはず……」
しかし、凪の言葉をさえぎるように、秀智は静かに言った。
「知らないなら学べばいい。美優だって最近興味を持っているらしいから、練習台にちょうどいいだろ?」
凪は契約書を握りしめた。
二宮グループの資金繰りが悪化する中、何とか手元に残せた貴重な3社なのに……
それを今、美優の「練習台」にちょうどいいと?
拒否権など、自分には最初からなかったらしい。
ペンを持つ手は、まるで鉛のように重かった。
凪がサインを終えると、秀智は満足げに笑みを浮かべる。
顔色の悪い凪を見て、彼はようやく優しく言った。
「あの件はすぐ解決してやる。凪、これからはおとなしく『西園寺夫人』として生活すればいいんだ。西園寺家のことには口出しするなよ」
西園寺夫人?
凪ははっとした。いつから自分は個人としての名前を失い、「西園寺夫人」としか呼ばれなくなったのだろう。
自分はかつて、秀智と肩を並べるほどの二宮家の後継者だったのに!
西園寺家に嫁ぎ、世間体や周囲からの圧力で仕事さえ制限される日々を送ってきた7年間のツケだろう。
自分は後悔している。
約束通り、正弘と和子は数日後に釈放された。
しかし、二宮グループはもうかつての輝きを失っていた。
秀智が美優を連れて視察をしている隙に、凪は西園寺家の本家へと向かった。
普段は目も合わせてくれない竜之介に対し、凪は切り出す。
「秀智とは離婚しようと思っています。その際には何もいりません。身一つで出て行きますので。
それに、二宮家が所有する西区の土地を、お望み通りお譲りします。その代わりに私と秀智を無事に離婚させ、二宮家の人間をこの街から無事に出して欲しいんです」
竜之介は鋭い眼光で探るように言った。「本気か?離婚など、秀智が納得するか?」
だが、凪の決意は揺るがない。
「この街を離れることは、もう二宮家の中では決定事項ですから、あの土地はもう必要ありません。離婚のことについては、まだ秀智に言わないでください」
凪の言葉が嘘ではないと判断したのか、竜之介はすぐに弁護士を呼んで書類を作成させる。
契約を終えると、凪はその場を後にしようとした。
すると、竜之介がため息混じりにつぶやく。「二人が駆け落ちまでして一緒になった当初は、誰もがこんな結末になるとは思わなかっただろうな」
凪の足は少し固まったが、振り返ることはなく、そのまま出ていった。
竜之介の誕生日パーティーの日、華やかな会場には招待された財界人が溢れていた。
しかしその時、凪は家族と共に、空港に向かう車の中にいた。
車窓から遠ざかる街並みを見ていると、かつての記憶の破片が脳裏から静かに消えていくような気がする。
凪は秀智とのあらゆる連絡手段を削除した。
これから、自分は誰かの妻ではなく、ただの「二宮凪」になる。
すべての愛と憎しみを過去へ置き去りにし、一機の飛行機で雲の中へと消えていくのだった。