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手術をすっぽかすクズ夫。大富豪の娘は即離婚
夫の遠藤雅宏(えんどう まさひろ)が新しく雇った女性秘書である青木莉子(あおき りこ)は気が強く、夫がただ食卓で私に一品取り分けただけで...
Chương (1)
第1章
夫の遠藤雅宏(えんどう まさひろ)が新しく雇った女性秘書である青木莉子(あおき りこ)は気が強く、夫がただ食卓で私に一品取り分けただけで、家中の食器を全部叩き割った。
そして、雅宏の目の前から永遠に姿を消してやる、と自殺騒ぎまで起こした。
雅宏はその話を聞くや否や、慌てて、肺がんの手術を控えた私を置き去りにして、高速道路を飛ばし、まるで恋愛ドラマのような追走劇を繰り広げた。
午後3時、手術の時間になり、申し訳なさそうな雅宏から電話がかかってきた。
「社員の命を守るのは、社長としての責任なんだ。
莉子を無事に連れ戻したら、必ず病院に行ってお前の手術に付き添って、結婚式の埋め合わせで旅行に連れて行ってやるからさ」
しかし、私はもう雅宏を待つ気にはなれなかった。
「雅宏、離婚しよう」
第1話
夫の遠藤雅宏(えんどう まさひろ)が新しく雇った女性秘書である青木莉子(あおき りこ)は気が強く、夫がただ食卓で私に一品取り分けただけで、家中の食器を全部叩き割った。
そして、雅宏の目の前から永遠に姿を消してやる、と自殺騒ぎまで起こした。
雅宏はその話を聞くや否や、慌てて、肺がんの手術を控えた私を置き去りにして、高速道路を飛ばし、まるで恋愛ドラマのような追走劇を繰り広げた。
午後3時、手術の時間になり、申し訳なさそうな雅宏から電話がかかってきた。
「社員の命を守るのは、社長としての責任なんだ。
莉子を無事に連れ戻したら、必ず病院に行ってお前の手術に付き添って、結婚式の埋め合わせで旅行に連れて行ってやるからさ」
しかし、私はもう雅宏を待つ気にはなれなかった。
「雅宏、離婚しよう」
すると、電話の向こうから雅宏の不満げな声が返ってくる。
「莉子はお金持ちのお嬢様なんだ。俺があいつの機嫌を取っているのだって、会社のため、この家のため、そしてお前のためなんだから。
なのに、俺を理解してくれないどころか、そんなことを言い出すのか?
もう、いい。お前の手術なんかたいしたことないんだから、医者に時間を遅らせるように言え。莉子をなだめたらすぐに行くから。な?これでいいだろ?」
そう言い残すと、雅宏は苛立たしげに電話を切った。
私はもう一度かける気にもならず、ずっと連絡を絶っていた番号に電話をかける。
「お兄ちゃん、私の負け。雅宏と別れて、お兄ちゃんの言う通りにするよ」
兄の柴田拓海(しばた たくみ)が小さくため息をついた。
「あれほどあいつに固執していたお前が?本当にいいのか?」
他の患者は家族に囲まれているのに、私のそばには誰もいない。
私は自嘲に満ちた笑いを浮かべる。
「もう、あの人なんてどうでもいいの」
当時、両親は雅宏との交際を猛反対し、別の縁談を押し付けてきた。
しかし、私は雅宏を選び、良家の令嬢という肩書きも、両親との縁さえもすべて捨て、いわゆる「愛情」に賭けたのだった。
私が家を出る前日、拓海はこう言った。
「お前たちに未来はない。後悔した時はいつでも電話してこい」
何があっても助けてやると、そう約束してくれた。
でもそれは、雅宏を捨てることを意味していた。
私は負けを認めたくなかった。
二人の愛ならどんな壁も越えられると信じ込んでいた。
だから、この5年間どんなに苦しくても、実家に頼ることはしなかった。
莉子が現れるまでは……
最初、雅宏は彼女に特別な関心は持っていなかった。
だが莉子が実は金持ちの娘だと暴露し、新人だったのに大きな仕事を取ってきたことで事態は一変する。
雅宏は莉子に近づき、食事も買い物も、ゲームさえ彼女に付き添うようになった。
二人は四六時中一緒にいた。
同僚たちは、私たち夫婦のことは知らないため、雅宏と莉子のことを美男美女でお似合いのカップルだと持ち上げる。
そのことに腹を立てた私は、雅宏に詰め寄った。
だが彼はいつものように淡々と、会社のため、私のためだと言い、理想や大望を語るのだった。
だから、私はその嘘を信じ、納得するしかなかった。
しかしその後の半年間、莉子は一度も成果を出していない。
普通なら、その素性を疑って当然だろう。
だが雅宏は違った。
彼は莉子がいつか大きな仕事を取ってくると信じ、彼女を甘やかすどころか、私の仕事すら彼女に譲らせた。
莉子本人に至っては、何の罪悪感もなく、むしろかなり横柄な態度をとっていた。
「お父さんがチャンスをくれないのは、私を試してるからなの。
もし、お父さんが私の成長を見れば、億単位の契約だってすぐなんだから。その時少し成果を分けてあげれば、そっちも食うには困らないでしょ?
それに、雅宏が頼むから付き合ってあげてるだけで、あんたなんて本当はいらないんだから」
成功している経営者たちが、タダで金をばらまくほど愚かなはずがない。
私はそんな甘い話が信じられなかった。
なのに雅宏は心酔し、私を威圧してまで仕事を譲らせようとした。
結局、予想通り莉子にはこなせず、その仕事は水の泡になった。
見込んでいた巨額契約もなく、会社は大きな損失を出した。
だが、ここまで追い詰められても、雅宏は反省もせず、ただ莉子のご機嫌取りを続けている。
第2話
そして今では、莉子のためなら手術を受ける私を放置するほどに。しかも、「お前のためだ」なんて偉そうに言うのだから。
だが、もう雅宏のそんな嘘は一切信じない。
私がそんなことを考えていると、看護師がやってきた。
「遠藤さん、ご家族はもういらっしゃってますか?そろそろ手術の時間ですよ」
「え、手術?里香(りか)、病気なのか?」
「肺癌なの。お兄ちゃん、サインのために来てくれないかな?」
「10分待ってろ。すぐ行く」
電話が切れた。
私は携帯を握りしめる。涙が次から次へと溢れてきた。
やっぱり家族こそが、本当の味方だったのだ。
それに引き換え、雅宏からは1通のメッセージすら送られてこなかった。
手術が終わった翌日になって、やっとひとつ300円もしない栄養剤が、一本だけ彼の秘書から届けられた。
それと同時に、言い訳のようなメッセージも送られてきた。【莉子の機嫌が悪いんだ。だから、一緒に1週間ほど旅行して気晴らしさせてくる。医者には手術を延期させろ。俺が帰ってから付き添うから】
莉子が機嫌を損ねると、雅宏はいつも数十万円を平気で渡す。
なのに私に届けられたのは、コンビニで買えるような安い栄養剤が一本だけ。
雅宏は気持ちが大事なんてよく言っているが、手術しなければならないほどの、私に対して栄養剤一本だけとは、気持ちすら感じられない。
昔はそんな彼のことを信じていたが、今は分かる。金を使う先こそが、愛情の向いている先だということが……
雅宏はただ、私を適当にあしらっているだけにすぎない。
私は呆れて首を振った。送金も受け取らず、はっきりと拒絶の返信をする。
【来なくて大丈夫だから】
手術なんてとっくに終わったというのに、今さら何しにくるのだ?
すると、雅宏から不機嫌そうなメッセージが返ってきた。
【ちゃんと理由も説明しただろ?なのに、まだそんな態度を取るのか?
今回、莉子は彼女のお父さんに頼んで十億単位の大きな契約を取ってきてくれるかもしれないんだ。
いいな?この契約が決まれば、どこへでも連れて行ってやるから】
私が信じないと思ってか、証拠の契約書まで送りつけてきた。
見ると、その契約相手は私の実家のグループだった。
疑問に思っていると、隣から覗き込んできた拓海が急に気まずそうに言った。
「バレた?でも、別に無理やり助けるつもりじゃなかったんだぞ。
半年前、うちの運転手の青木がお前の生活が苦しそうだって言ってさ。だから、心配した父さんが、友人の会社を通じて依頼したんだ。
まあ、大した額じゃない。2000万円程度だが、小さい会社になら、少しは足しになるだろうと思って。
そうしたら少し前に、また青木からお前が遠藤のやつに馬鹿にされているって聞いたもんだから、父さんが直接会社名義で取引を持ちかけたんだ」
拓海はそう言いながら、契約責任者の名を見ると、突然不審そうに眉を寄せた。
「あれ?これ、お前のところにいく案件だよな?なんで責任者が、青木の娘さんになってるんだ?」
拓海の話を聞いて、ようやく全てが飲み込めた。
莉子が傲慢に振る舞えたはずだ。なぜなら、私のふりをして、偽りの地位を盾に人を騙していたのだから。
私は手短に現状を説明する。
拓海は怒りを露わにし、莉子たちに報復しようとした。
しかし、私は手で兄を制止した。
「迷惑はかけないから。取引を取り消してくれるだけで十分」
拓海が驚いて私を見る。
「里香、本当に遠藤を捨てるのか?後悔しない?」
私は深く頷いた。
雅宏が私を捨てたあの瞬間から、私の中にはもう彼は存在しない。
手術も大きなものではなかったため、回復は早かった。
退院してすぐに日常に戻る。
この期間、雅宏から私を気遣うような言葉は一言もなかった。
それどころか、莉子から頻繁に挑発の連絡が届いたのだった。
【旅行の数日間で、雅宏と千枚もツーショットを撮っちゃったよ。こんな経験ある?】
携帯に映る、仲睦まじい二人の写真。
鼻の奥がツンとなった。
確かにない。雅宏は大のカメラ嫌いで、結婚式の時ですらウェディングフォトを拒んだのだから。
写真を見終わらぬうちに、再び莉子からメッセージが送られてきた。
【私が原因で問題が起こったのに、雅宏は怒らせたお詫びに、1億4000万もするフェラーリをその場で買ってくれたの。
遠藤部長、自分の立場が分かってるなら、私に頭でも下げてみたら?気分が乗れば、雅宏に頼んでマシな車をあんたに買うように言ってあげるから】
私は何年も、電気自動車で通勤していた。
何度か雅宏に新車の購入を相談したが、いつも会社の資金繰りが厳しいことを理由に却下された。
それなのに今では、莉子には躊躇なく高級車を買い与える。
むしろ、車を買い換えるにしても、莉子の施しを受けなければならない状況だなんて。
第3話
私は苦笑いを浮かべる。
こんな日々をおくらざるを得なくなってしまったなんて、本当にやるせない。
私は携帯の電源を切り、莉子の挑発を無視することにした。
家に帰り、かつて私と雅宏で誓い合った思い出の品々を処分し始める。
ちょうど片付けに追われていると、雅宏から着信があった。
「莉子が急に出てきたから、業務にミスがあったらしい。フォローしておいてくれ」
昔なら会社のために怒りを堪えて引き受けていただろう。
しかし、今ははっきりと断る。
「無理」
私が拒否するとは思わなかったのか、雅宏の声が不機嫌になった。
「少しの手間だろ。なんでそんなこともできないんだよ?」
その直後、受話器越しに莉子の甲高い声が割り込んできた。
「遠藤部長って、この業界にこんなに長くいるのに、まだ分かっていないんだね。いくら能力があっても、血筋やコネには勝てないってこと。
雅宏、私がわざわざ父に頼んで十億単位の仕事を持ってきてあげたのに、受け取らないのは遠藤部長。私のせいじゃないよね?」
私は言葉を失った。
私が聞いているというのに、ここまで言うなんて。まさか莉子は私の正体を知らないのか?
私が考える隙もなく、雅宏が急いで莉子をなだめる。
「莉子、あいつは常識を知らないんだ。ここは俺の顔を立てて、怒らないでくれ、な?」
次の瞬間、雅宏の表情が厳しいものに一変した。
「すぐに行って処理しろ。莉子のサポートができるのは、光栄なことなんだから」
その時、家政婦が古い時計を持って私に尋ねてきた。
「奥様、これも捨ててしまわれますか?」
それは雅宏との初めてのデートで贈った思い出の時計だった。彼は昔、毎日欠かさず着けるほど大事にしていたものだが、今は隅に放り出されて埃を被り、すっかり汚れていた。もういらない。
私は頷き、電話口の雅宏に告げた。
「遠慮しておくよ。青木さんは雲の上の存在だから、私ごときが彼女のフォローなんて畏れ多いよ」
雅宏は家政婦の声が聞こえたのか、不快そうに言う。
「家にいるのか?
勤務時間中に何をやっている?今すぐ会社に戻って莉子のフォローをしないと、欠勤扱いにして減給、停職処分にするぞ」
莉子を助けるため、雅宏は迷わず罰を与えることで私を脅した。
そうすれば私が折れるとでも思ったのだろう。
しかし私はそんなに甘くない。
私は肩をすくめて言った。
「好きにすれば」
その言葉が終わると同時に、電話の向こうが、丸々1分間も静まり返った。
互いに言葉を発さず、雅宏の激しく荒い息遣いだけが聞こえてくる。
やがて沈黙に耐えきれなくなったように、彼が恨みがましく溜息をついた。
「里香、一体何なんだ?こっちは出張で疲れてるんだから、少しは察してくれ!」
疲れてる?
のんきに旅行を楽しんでいるくせに?
「別に、私は至って普通だよ?まあ、確かに青木さんの言う通りかもね。会社に必要なのは有能な人じゃなくて、家柄のある人だって。じゃあ、私は退職届を出すから。会社のこれからの繁栄を祈っているね」
雅宏が再び深いため息を漏らす。
「まだそんなことを言うのか?嫉妬したってしょうがないだろ?
里香、お前と莉子は俺の両腕だ。莉子はコネを、お前は業務を担当すれば、ウィンウィンじゃないのか?
いいか?莉子に楯突くんじゃなくて、歩み寄れ」
雅宏はそう色々私に口うるさく言った後、「まあ、甘いものでも食べて機嫌を直せ」とコンビニの500円分のギフトカードをラインで送ってきた。
「この案件を進めるには部長のお前が必要なんだ。だから、今は頑張れ。契約がまとまったら、1ヶ月の休みをやるからさ、いいだろ?」
私は何も返事をしなかった。
すると、その向こうから、莉子が電話に割り込んできた。
「雅宏。あなたのために私、遠藤部長と仲良くしてもいいよ」
雅宏が満足そうに答える。
「いい家のお嬢様はやっぱり違うな。器が大きく寛大だ。里香、少しは見習……」
最後まで聞かず、私は通話を切った。
その後も幾度となく電話がかかってきたが、全部無視した。
メッセージにも目を通さない。
最後には、携帯をマナーモードに設定する。
家の荷物を片付け終えて、やっと携帯を手に取ると、画面には、不在着信と通知のマークが99件以上も並んでいた。
私は腹を立てている雅宏を宥めることもなく、会社の社員サイトにログインし、退職手続きを始める。
退職手続きは、サイト上で全て進んでいき、最終的な社長承認ももらうことができたため、退職があっさり確定した。
第4話
今回のことで、雅宏は完全に怒り狂っているのだろう。
それなのに余計な騒ぎを起こすこともなく、あっさりと私を解放してくれた。
私は首を横に振る。
その方が手間が省けて都合がいい。
退職の手続きを済ませたので、引き出しの中から離婚協議書を取り出した。
それは雅宏が旅行へ出かける数日前にサインしたものだ。
彼に差し出した時、中身すら見ずにサインしてくれた。
その時、私は思わず尋ねた。
「内容はちゃんと読んだ?よく確かめもせずサインしていいの?」
雅宏は、優しげに微笑んでこう言った。
「わざわざ読む必要なんてないよ。お前が俺を陥れるはずがないと信じてるから」
その熱を帯びた瞳と目が合い、鼓動が一瞬跳ねた。私はてっきり、雅宏の中にまだ私の居場所があるのだと勘違いするほどに。
口を開こうとしたその時、莉子が突然ドアを開けて雅宏を急かした。
「映画を見るって約束したのに、どうしてまだ仕事なんかしてるの?3つ数えるまでに出てこなかったら、今日はもう行かないから!」
雅宏は急かされるのが大嫌いで、以前は私に軽く尋ねられただけでもすぐに怒るような男だった。
ところが、莉子がこんなことを言っても腹を立てるどころか、楽しそうに小走りで駆け寄っていく。
「俺が悪かった。そんなに怒るなよ……」
雅宏は私を信じていたのではなくて、莉子との映画の約束があったから、慌ててサインしただけのことだったのか。
5年も妻として雅宏に連れ添ったのに、結局、莉子に勝てないらしい。
笑ってしまうくらい情けない話だ。
私は目線を落とす。
雅宏がもう私を愛していないのなら、彼を自由にしてあげるまでだ。
私は離婚届を手に、役所へ向かった。
「お相手の方は同席されていないようですが、ご夫婦の合意のもとで離婚届を提出する、という理解でよろしいでしょうか?」
私は頷いて、雅宏のサインが入った離婚協議書を職員に見せる。莉子と映画に行くために慌てて署名した雅宏は知らないが、その協議書には、「妻が一人で離婚届を提出しても離婚を認める」「離婚届の夫欄は代筆でも有効とする」という内容が明記されていた。
離婚協議書まで見せられた職員は納得したのだろう。
職員は私から離婚届を受け取った。
記入漏れが無いか確認し、正式に受理のハンコを押した。
ようやく、無事に離婚が受理された。
私は離婚届が受理されたことを、拓海にメッセージで知らせた。
すると大喜びの拓海から電話がかかってきて、仕事を放り出してでも、実家に連れて帰るからと言われた。
遠慮しようかと思ったが、拓海の嬉しそうな声を聞き、私はあえて断らず、車を飛ばして家路を急いだ。
玄関に着いた途端、中から楽しそうな話し声と笑い声が聞こえてきた。
私はそっと、ドアを押し開ける。
そこには、旅行中のはずの雅宏と莉子の姿があった。
室内には色とりどりの風船が浮かび、テーブルの上には10段ものバースデーケーキが置かれている。
莉子はパーティーハットを被り、こう笑った。
「雅宏、奥さんの誕生日さえ、祝ったことないって言っていたのに、まさか私の誕生日は祝ってくれるなんて!本当に嬉しい」
雅宏は手を振り、何気ない様子で答える。
「あいつは田舎育ちだから、祝うだけの金がもったいないからさ。
けど、君は違う。君は大切な家族と誕生日を過ごすよりも俺を選んでくれたんだ。そんな君こそ、大切にしなくちゃな」
ドアを押す手が固まる。
とうに心は冷め切っていたと思っていたが、今この瞬間、胸が深く抉られるような痛みに襲われた。
5年の結婚生活の中で、私の誕生日になると雅宏は必ず仕事だと言って出張へ行ってしまった。
そうすると、彼は自分の記憶力が悪いからと自分を責め、いつか埋め合わせをすると謝ってきたっけ。
私は、雅宏のその言葉を信じ切っていたのに。
それが、まさか私を祝う価値などないと考え、わざと蔑ろにしていただけだったなんて。
私は家の中に入らなかった。
二人も、ドアの外にいる私に気づいていない。
そして、共に莉子の誕生日を祝っていた、雅宏の友人たちもご機嫌にプレゼントを渡し、陰口を叩きはじめる。
「てか、お前の奥さんって、本当に使えねえな。お前に食わしてもらっているっていうのに、あんな小さいミスすらフォローできないで、お前を呼び戻すなんてさ。とっとと離婚しちまえばいいのに」
「家柄にしても能力にしても、莉子さんの足元にも及ばない」
「雅宏、莉子さんだってお前のこと好きみたいだし、もうさっさと離婚したら?」
雅宏は曖昧に笑う。
「まあ、そんなこと言うなって!ここまで来るのも、二人で色々苦労してきたからさ。それに、今さら捨てたら世間体もあるだろ?」
一見、私を庇ってくれているようにも見える。
しかし、この会社の契約の9割以上を、私が取ってきたことには一切触れない。
食べさせてやっているのは一体、どっちだ?
私が一人で雅宏と会社全体を支えてきたというのに。
第5話
もし私がいなければ、雅宏はずっと前に工場で働くような生活まで落ちぶれ、終わりの見えないようなつらい生活を送っていたはずだ。
それからも雅宏は無言を貫く。
それがかえって、仲間を増長させた。
「雅宏、お前はもう長年奥さんを養って、いいもの食わせて豪邸にも住まわせてやった。いい加減、もういいんじゃねえか?」
「そうだぞ。いつまでもあの冴えない女を養って、人生を終える気か?」
「こんなことになるって分かっていたら、何回か飯を食った時に、一緒になっちまえって言わなかったのにさ」
「本当だぜ。昔あんな金払いが良かったから、いいところのお嬢様かと思いきや、ただの見栄っ張りだったとはな」
「結局、俺たちのせいでお前がこんなことになってしまったかもしれないけど、今からでも軌道修正を手伝ってやるから」
この会話を聞いて、私はふっと笑った。
類は友を呼ぶとは、まさしくこのことだ。
「ただの飯の縁」だと?
雅宏を振り向かせるために、大学4年間、私は彼らの食費を全額支払っていた。
それに、雅宏と旅行へ行く際も、毎回彼ら全員を一緒に連れていった。
雅宏へのプレゼントを買う時でさえ、全員に同じものを贈る気遣いをしていたのに。
そうして散々美味い汁だけ吸っておきながら、今は雅宏との離婚を勧めているのだと?
だが、彼らがこんなことを言うのは雅宏のためではない。
莉子の方が金を持っていて、自分たちに有利になると踏んでいるからだった。
「雅宏、世間体が気になるなら、証拠をでっち上げて奥さんに非があることにすればいいんだ、そうすれば……」
バタン!
もう続きを聞く必要などない。私は勢いよくドアを蹴り開けた。
部屋にいた男たちが、一瞬で黙り込んだ。
雅宏も動揺を見せ、慌てて弁解を口にしようとする。
しかし、まだ自分たちが喧嘩中だと思い出したのか、ふっと顔を背け、時計に目を向けた。
「まだ6時にもなっていないぞ。また早退か?反省というものを知らないみたいだな。ならば……」
私は呆れたような目で見つめた。
雅宏は、私が退職したことすら知らないらしい。
莉子の誕生日会の準備で頭がいっぱいになり、誰の退職願かも確認せずに承認したのだろう。
莉子のことになると、本当に心を込めてできるみたいだ。
私は皮肉な笑みを浮かべ、言葉を遮る。
「その必要はないから。私、もう退職したの」
「退職?一体いつの話だ?」
雅宏は一瞬驚いたようだったが、何かを思い出したのか、眉間を揉みながら言った。
「まぁいい、プロジェクトはすでに軌道に乗ったし、お前の出る幕もないから、好きにしろ。
お前の名前も加えて、配当くらいは分けてやるつもりだったが、お前がその気ならもういい」
私は眉を上げた。
プロジェクトが中止になったことも、雅宏はまだ知らないようだ。
私が言い返そうとした時、窓の下から轟音が響く。
下の階には、値段が数億円もする、金持ちでもなかなか手に入らないという限定モデルの高級車が停まっていた。
雅宏の仲間たちはこれみよがしに、私に言った。
「里香さんは知らないと思うけど。莉子さんはお母さんの旧姓を使ってるから、苗字は青木だけど、お父さんの苗字は柴田。つまり、柴田グループのお嬢様なんだぞ?」
「下の車は莉子さんのお兄さんのものだから、誕生日のプレゼントを届けに来たに決まってる」
「里香さん、莉子さんを怒らせて……もう終わりだな」
「君と莉子さんじゃ差がありすぎる。家柄ばかりは、努力じゃどうにもならないからね」
彼らは興奮気味に莉子の兄だと思っている人物を迎えにいったが、誰も莉子の青ざめた顔には気づいていない。
雅宏もまた得意げに胸を張る。
「長年の情もある。もし、お前が手元のプロジェクトの権利を莉子に譲るなら、専業主婦にしてやってもいい。断るなら……」
分かっている。雅宏は離婚で脅し、私から最後の利益を搾り取ろうとしているのだ。
しかし、私はあえて反応しなかった。
ちょうどその時、ドアが開いた。
スーツを着こなした兄の拓海が、連中を無視して歩み寄り、私の肩を優しく叩く。
「里香、準備はできたか?父さんたちが家で待ってるぞ」
雅宏は唖然とし、私を見つめた。
私は気にせず、雅宏に離婚届受理証明書を渡す。
「一つ言い忘れた。その十億単位のプロジェクトだっけ?あれ、もう親にお願いして全部白紙にしてもらったの。
それに、やり直すチャンスもいらないよ。だって、私たち既に離婚してるから」