私との休暇に、秘書を優先する夫なんか捨ててやる

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私との休暇に、秘書を優先する夫なんか捨ててやる

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大型連休、私は夫の谷口湊(たにぐち みなと)と旅行に行く予定だった。しかし、湊は今回も急に地方出張が入ったと言い、私との約束を直前にな...

Chương (1)

第1章

大型連休、私は夫の谷口湊(たにぐち みなと)と旅行に行く予定だった。しかし、湊は今回も急に地方出張が入ったと言い、私との約束を直前になって反故にした。だが、彼の秘書である原田睦月(はらだ むつき)のインスタには二人がビーチで寝そべる写真が上がっていたのだ。 【うちの社長、この前の連休は一緒にお月見をして、今回の連休は一緒に海に来てくれた。次の連休は、どこについて来てもらおうかな。みんな、映える場所教えて!ちなみにうちの社長、かっこよすぎ】 コメント欄もかなり盛り上がっていた。 私は画面を見つめ、冷静にこう書き込む。【役所がいいんじゃない?写真も撮れるし、入籍もできるから】 私がそんな投稿をすると、事情を知る同僚たちが、私が湊と大喧嘩するんじゃないかと勝手に心配して連絡してきた。 すると、私が連絡する前に、先に湊から電話がかかってきた。彼は呆れた声でこう言った。 「こんな些細なことで、いちいち騒ぎ立てやがって。一緒に日光浴くらい何なんだ?出張先で息抜きしちゃいけないのかよ? ただお前と旅行に行けなかっただけだろ?それなのに、大げさすぎ。今すぐさっきのコメントを消せ。睦月がみんなにどう思われるか…… そもそも、俺たちはもう入籍してるんだから、これから一緒に過ごせる休日なんて腐るほどある。次の休みは付き合ってやるからさ」 この言葉、今までにどれだけ聞いただろう。私は皮肉な笑みを浮かべた。 次なんてもうないのに。 連休が終われば、離婚届受理証明書が手元に届くのだから。 第1話 大型連休、私は夫の谷口湊(たにぐち みなと)と旅行に行く予定だった。しかし、湊は今回も急に地方出張が入ったと言い、私との約束を直前になって反故にした。だが、彼の秘書である原田睦月(はらだ むつき)のインスタには二人がビーチで寝そべる写真が上がっていたのだ。 【うちの社長、この前の連休は一緒にお月見をして、今回の連休は一緒に海に来てくれた。次の連休は、どこについて来てもらおうかな。みんな、映える場所教えて!ちなみにうちの社長、かっこよすぎ】 コメント欄もかなり盛り上がっていた。 私は画面を見つめ、冷静にこう書き込む。【役所がいいんじゃない?写真も撮れるし、入籍もできるから】 私がそんな投稿をすると、事情を知る同僚たちが、私が湊と大喧嘩するんじゃないかと勝手に心配して連絡してきた。 すると、私が連絡する前に、先に湊から電話がかかってきた。彼は呆れた声でこう言った。 「こんな些細なことで、いちいち騒ぎ立てやがって。一緒に日光浴くらい何なんだ?出張先で息抜きしちゃいけないのかよ? ただお前と旅行に行けなかっただけだろ?それなのに、大げさすぎ。今すぐさっきのコメントを消せ。睦月がみんなにどう思われるか…… そもそも、俺たちはもう入籍してるんだから、これから一緒に過ごせる休日なんて腐るほどある。次の休みは付き合ってやるからさ」 この言葉、今までにどれだけ聞いただろう。私は皮肉な笑みを浮かべた。 次なんてもうないのに。 連休が終われば、離婚届受理証明書が手元に届くのだから。 電話を切り、会社に戻ると、同僚たちは私が社長である湊からどんな罰を受けるのかをひそひそと予想し合っていた。 また、睦月のために飲み物を買いに行かされる? それとも半年分のボーナスが削られて、睦月の慰謝料にされるのか? 私が戻ってきたことに気づくと彼らは黙り込んだが、私を見る目は依然として好奇心に溢れていた。 しかし、そんなことにはもう慣れている。 どちらにせよ、湊と睦月と私の3人の間に複雑な関係があることを皆知っているのだから。 湊は私の夫だが、とにかく秘書の睦月ばかりを贔屓した。 睦月は湊のコネで入社してきて、さらには多くの権限を与えられていたが、いつも仕事で失敗ばかりしていた。 それなのに、湊は常に睦月を信じきって必死に支え続けた。それどころか、私が半年かけてやっと獲得したプロジェクトを、そのまま睦月に丸投げしたこともあり、1000万単位の利益が出るはずが、睦月のミスで利益はたったの数百万になってしまったのだった。 それでも湊は大げさに睦月を褒めちぎり、少しでも収益があったならいいことだ、睦月はこれからももっと成長すると言い切った。 一方で、私が契約書の字を少し打ち間違えると、特に影響もなかったのに、1年分のボーナスをすべて没収したのだ。 湊は私に厳しくするのは世間体を気にしてるからだと言ったが、その夜、インスタにアップされた睦月の写真には、本来なら私の手元に来るはずの賞与が写っていた。 私は憤慨しながら、湊へと詰め寄った。 しかし、彼は何が問題なのだと言わんばかりに、「睦月はまだ入社して半年なんだから、頑張ってる新入社員への励ましとして適度なボーナスを与えてやるべきだろ?それに、お前はもう何年もやってきてるんだから、これっぽっちの金でうだうだ言うなよ」と、答えた。 だから、私は冷静に反論した。「お金の問題じゃない」 口では分かったようなことを言っていた湊だったが、うっとうしそうに手を振って私を追い払う。「俺たちは夫婦だろ。会社の金は俺のもの、つまりはお前のものでもある。それに、お前は俺の妻なんだから、俺の仕事を支えるべきなんじゃないのか?」 私がそれでもまだ納得しない様子を見せていると、彼は歩み寄ってきて、今度旅行に連れていくから、と約束した。 しかし睦月が入社して以来、湊と何かを約束するたびに、睦月のせいでその予定を乱されるのだった。 映画を見に行く約束をすれば、湊はその夜に睦月と二人で残業をし、誕生日を祝ってくれるはずの日には、睦月が取引先でトラブルを起こし、その対応で湊は呼び出され…… 第2話 待ち合わせ場所で一人寂しく2時間待っていたって、結局湊からは「いけなくなった」という電話が来るだけだった。 だから最初は信じていなかった。 それでも休暇前に湊は荷造りをし、飛行機を予約し、旅行の計画まで組んでいた。 それなら、今回こそはと彼を信じることにした。 しかし、案の定また裏切られただけだった。 だが今回、怒りは湧かなかった。周囲の冷ややかな視線の中、私は人事部へと向かい、1ヶ月前から用意していた辞表を提出する。 人事担当は戸惑った様子で言った。「退職するんですか?」 私は静かに頷く。 「それなら、社長に一言報告しますね」 人事担当がメールを送ろうとしたので、私はそれを制した。「電話をかけて」 睦月といる時の湊は基本的にメールなど見ない。 だから私がメッセージを送っても、返信はいつも翌日になっていた。 もう待ちたくなかった。 人事担当は気が進まない様子だったが、私の立場もあり湊に電話を入れる。「社長、奥様が……」 まだ私の名前を言っただけなのに、湊の冷酷な声が人事担当の言葉を遮る。「あいつが何をしようと、会社の規定通りにやればいいだろ?俺に聞く必要なんかない。人事なら、会社の規定くらい把握してるよな?」 湊は例のコメントの件でまだ私に腹を立てているようだ。 人事担当は萎縮して黙り込む。 すると、湊がさらに付け加えた。「それと、緊急時以外はメールで連絡してこい。電話はしてくるな」 そう言って、湊は容赦なく電話を切った。 電話が切れる寸前、聞き慣れた睦月の声が聞こえていた。「湊さん、そんなに怒って。もしかして瑠衣(るい)さんからの電話?」 叱責を受けた人事担当は気まずげな表情で私を見たが、特に何も言うことはなかった。 「電話の内容は聞こえましたよね?なので、辞表は一旦持ち帰ってください。今日のことはなかったことにしますし、外にも漏らしませんから」 明らかに人事は、私が本気で辞めるなどとは思っていないようだ。 いつものように湊への不満から、気を引こうとする強硬手段だとでも思っているのだろう。 まあ、それも無理はない。湊と結婚して8年、二人でこの会社を築き上げたのだから、誰も私が本当に去るなんて信じないはずだ。 しかし、私は首を振って、断固とした口調で答える。「規定通り進めて」 人事担当は当惑しながらもなおも食い下がったが、私の意志が固いとわかると、しぶしぶとハンコを押して引き継ぎ業務を進めた。 私が辞めるということは瞬く間に会社中に広まった。だが社員たちは、退職を理由に駆け引きを仕掛け、自爆したのだと私を笑った。 私は特に誤解を解くこともせず、私物をまとめると穏やかな気持ちでオフィスを後にする。 しかし会社の入り口に降りてきたところで、慌てた様子の人事担当がスマホを片手に追いかけてきた。 「待ってください。社長が、お話があるそうです」 周囲がざわつく。 誰かが笑いながら言った。「まじかよ。こんな、あざとい手が成功するなんてさ。社長って、こういうのに弱いんだね」 「結局、夫婦だもん。情ぐらいはあるってことでしょ?」 「……」 聞こえてくる声を無視して、私は電話を受け取る。 スピーカーから湊の声が、社員全員に届くほどのボリュームで響き、私が電話に出るなり、彼は私を責め立てた。「瑠衣、なんで電話に出ないんだよ?重要な案件に影響が出たら、責任取れるのか?」 第3話 「睦月のデスクに書類がある。至急クライアントに届けてくれ。向こうが急いでるらしいんだ」 周囲が水を打ったように静まり返り、やがてひそひそと笑い声が聞こえ始めた。 私はスマホを握りしめる。湊がもう私のことをどうとも想っていないことは分かっていたが、それでも胸が痛んだ。 少し前、睦月のために、湊はわざと彼女を私と同じ役職に昇進させた。表向きはお互い協力できるようにと言うが、実際は睦月の雑用まで全部私に押し付けることが目的だった。 私が会社を辞めるという情報は、もう湊の耳にも入っているはずなのに、彼はまだ私を睦月のパシリのように使う。 私は鼻で笑った。この理不尽な関係を維持するために、私は自分を犠牲にするつもりはない。「他人の仕事を、どうして私がやらなきゃいけないの?」 突然の問いかけに、湊は言葉を詰まらせた。 しかし、彼が反論してくる隙を与えず、私は畳み掛ける。「それに、私は忙しいの。自分のことは自分でやってくれる?」 そう言って私は電話を切り、スマホを人事担当に返した。 呆気に取られている社員の視線を背中に受けながら、私は毅然と会社を後にした。 会社を出て少し歩き、8年間通ったビルを最後に振り返る。 窓越しに見えたのは、私がプレゼントした胡蝶蘭の枯れ果てた姿と、隣で元気に伸びている睦月が贈った観葉植物の対比だった。 私は小さく笑うと、ある番号に発信した。 「前に誘っていただいたプロジェクトのことなのですが…… ぜひ、参加させてください」 …… 湊と私はお見合い結婚だった。互いに好印象で、会って2ヶ月後にはもう籍を入れていた。 結婚してすぐ、湊の起業プランを聞いたのだが、私はその可能性を信じ、もともと勤めていたかなり給料の良かった仕事をやめ、持っていた全財産と技術を捧げて湊の会社を支えたのだ。 少しでも彼を楽にしてあげたくて、自分の給料は最低限に抑えていた。会社が上場を控えるまで大きくなっても、給料はわずか2万円しか上げなかった。 他社からヘッドハンティングもあった。湊の会社の給料より5倍も良い条件だったけれど、全部断った。 会社を我が子のように思っていたからだけではない。起業して一番辛かった頃、私は大きな病気をしてしまった。その時の湊は、入院費を工面するために必死に頭を下げて回り、医師にすら土下座して懇願してくれたのだった。 だから、「俺たちは夫婦で、運命共同体なんだ」という湊の言葉を信じて、疑いもしなかった。 しかし、睦月が現れてから、全てが壊れていった。 湊は社員の前で私に恥をかかせるようになったし、二人で食事に行っても、以前は一切そんなことはなかったのに、急に「割り勘」と言いだしたのだ。 最近、10年乗っていた車が故障した時、修理代が足りなかったので、私は二人の共有口座から2万円だけ借りた。 すると、それを知った湊はひどく怒り、嫌味を言うだけでなく、私の同意もなしに口座の暗証番号を変えてしまった。 「瑠衣、お前の金だって入ってるのは知ってるけど、俺たちはまだ生活を始めたばかりで、これから先のことだって考えないといけない。なのに、お前はずっとこうやって貯金に手をつけるつもりなのか? なんだか最近、お前は変わったな。俺は、もっと野心に溢れてキラキラしていた昔のお前が好きだったのに」 そうやって湊に振り回されてきたが、彼が睦月の誕生日に高級車を贈っていたことを知って心底呆れた。理由を聞いても「あれは功績に対する報酬だ」と、強引に突き通すのだった。 第4話 しかしこの数年、私が難易度の高い高額案件のために3日間徹夜して、会社に数億の利益をもたらしてきても、湊からの報酬は褒め言葉だけだった。 じゃあ、一体どんなことをすれば、1000万もする車を与えられるのだろう? 湊への愛想がとうとう尽きた。だから、きれいさっぱり別れるつもりで、今回の旅行で直接離婚を切り出し、8年間の結婚生活を完璧に終わらせるつもりだったのに。 結果は…… ここまで思い出し、私は自嘲気味に鼻で笑った。 入社を希望していることを伝えると、電話の相手は大喜びですぐに契約書を送ってくれた。今日中にでも現地へ飛び、明日から働いてほしいと言うのだ。 先方はとても熱心だった。「うちの社長が何度もあなたをヘッドハンティングした甲斐がありました!本当にうちに来てほしかったんです!」 感謝は伝えたが、入社は休暇が明けてからお願いすることにした。 私は旅行が好きで、特に山や川を眺めるのが好きだった。前は湊も喜んで一緒に来てくれていたのに、睦月が現れてからは、一緒にどこかへ行くこともなくなり、期待を裏切られ続けていた。 今回も湊は約束を破った。だが、私は自分との約束は破りたくない。 たとえ隣に湊がいなくても、この旅には行こうと決めた。 電話を切るとすぐに、睦月からメッセージが届いた。 【すみませんね、瑠衣さん。もうすぐ離婚するお二人の邪魔をしてはいけないのは分かってるんですけど、この旅行を提案したのは湊さんなので、断って彼を失望させたくなかったんです。 あ、それと、離婚届ってもう受理されたんですよね?受理証明書も、連休明けには届くんじゃないですか?それに、もうすぐ湊さんの誕生日です。 だから、その受理証明書をプレゼントにするなんてどうですか?湊さん、きっと喜ぶと思いますよ。だって彼は、瑠衣さんのことなんてこれっぽっちも愛してないんですから】 続いて送られてきた画像は、睦月が湊と砂浜で撮ったウエディングドレス姿のツーショットだった。 写真の中の湊は、睦月を高く抱え上げていて、その口元の笑みは背後で輝く太陽の光よりもずっと眩しい。 これは睦月の挑発と受け取っていいだろう。 睦月は私が離婚することを知っていた。正確に言えば、離婚届を湊に突きつけて署名させたのは、睦月本人だった。 あの時、睦月は私の机から、すでに私の欄が記入してあった離婚届を取り出し、不敵に笑いながらこう言った。 「本当に離婚するんですか?だったら、私が代わりに湊さんに渡してあげましょうか?だって、もし目の前で湊さんが署名したら、瑠衣さんが泣き出してしまうんじゃないかって心配なんですもん」 睦月の目的は、私を貶して怒らせることだった。 しかし、私はそれに対し、ただ頷いて「お願いね」と言っただけ。 常日頃から、湊は私を信用しておらず、私の提出した書類は虫眼鏡を当ててアラ探しをするほど細かく確認するのに対し、睦月がいくつか離婚届に似たような書類に混ぜて、離婚届を湊に渡すと、彼は特に気づくこともなくサインしたのだった。 こうして私たちの離婚は、結婚の時よりもずっと簡単に済んだ。 湊が私を愛していたかどうかなんて知らない。ただ、睦月が私に対して自分が本命であるような態度をとり続けていたことを、湊が知らないはずはないのだ。 それなら、この結婚にこれ以上の価値なんて残っていない。 私は瑠衣からのメッセージに返事はせず、離婚届受理証明書がいつ届くか確認すると、1週間後には送られてくることが分かった。 ちょうど連休明けだ。 私は家に帰ると、壁に飾られた私たちの写真をはがし、私のものを全てゴミ袋へ詰めて捨てた。そして、飛行機のチケットを手配すると、一人の旅を始めた。 休暇の1日目、私は雲嶺市へ行った。 雲嶺市へくることは、湊と二人で3年前に計画していた旅行だった。当時、睦月がまだ入社したばかりで、会社も忙しい時期だった。だから、今ここで気を緩めるわけにはいかないと湊が言い、旅行の話は保留にされたまま、二度と実現することはなかった。 第5話 連休の2日目、私は翠嶺市にいた。 湊は高山病を極端に恐れ、なかなかこの場所に来ようとはしなかった。だから、私は1年間身を粉にして20件のプロジェクトを成功させ、そのご褒美として一緒に翠嶺市へ行こうと、ようやく彼を納得させた。 だが、出発直前になって睦月が体調を崩し、湊が「睦月はこっちに見知った友人がいないから、社長として面倒を見る義務があるんだ」と言い、旅行は取りやめになった。 …… それから私はひたすら北上し、連休の最終日に旅の最後の目的地である鏡湖へと到着した。 その時初めて気がついた。3年間、あれほど行きたくて仕方がなかった場所も、わずか7日でその全容を全て見ることができたのだ、と。 最後に、私は明後日帰るはずだった飛行機のチケットをキャンセルし、市役所に電話をかけて、離婚届受理証明書を今宿泊している宿に送ってもらうように手配をした。 休暇が終わったら、新しい生活へと足を踏み出そう。もう二度と、振り返りはしない。 それに、湊とも、もう会うことはないだろう。 しかし、運命というものは皮肉なもので、夕暮れ時、現地で行われていた篝火を見学していると、そこで湊と睦月の姿を見つけた。 二人は楽しげに篝火を囲み、食べ物を分け合っていた。 湊は睦月を愛おしそうに見つめ、焼きたての肉を睦月に食べさせた。さらには、普段あれほど潔癖な彼が、平気な顔で睦月の使ったグラスを受け取り、中の酒を飲み干した。 私たちだって新婚時代はあった。それでも湊は食事の時には必ず取り箸を使い、同じグラスを使うことも決してなかった。「衛生的にどうかと思うし、直箸だと食欲が失せる」と言って。 しかし今の湊は、睦月が使ったグラスを嬉しそうに口にしている。 本来ならここで姿を消すべきだとは分かっていた。けれど、この規模の篝火イベントは月に一度しか開催されないため、二人のせいで自分の旅の計画を台無しにはしたくなかった。 私は少し離れた場所へ移動しようとした。 すると湊に見つかり、彼は立ち上がると、いらいらした様子で歩み寄ってきた。「なんでここに来てるんだよ?また今度連れて行ってやるって言っただろ?」 しかし、私は何も答えず、二人の腕にはめられているこの地域にしかないブレスレットに視線を落とす。 ずっと昔、「もしここに来ることがあれば、お揃いで名前入りのブレスレットを作りたい」と話していたことを思い出した。 湊の手首にあるブレスレットには、「睦月」の文字。 私が気づいたことを察したのか、隣にいた睦月はわざと手首を回し、「湊」の字が彫られた珠を私に見せつけてきた。 私は心の中で笑った。 別に、何も意外ではない。 私の視線を感じ取った湊は、反射的にブレスレットを背後に隠しながら、私から目線をそらした。「出張の帰りで、たまたま近かったから。それに、お前もずっとここに来たいって言ってたろ?だから、下見でもしておこうかと思ってさ。 まぁいい、せっかく来たんだし、何か一緒に食べよう」 そう言うと、湊は睦月に声をかける。「明日の飛行機を2日分後ろにずらして」 私を見る睦月の目に、一瞬不満が浮かんだが、睦月は笑みを浮かべて言った。「瑠衣さんもまたいいタイミングね。連休最終日に来るなんて。 でも湊さん。私は早く仕事に戻らないといけないから、私のは変更しなくていいから。あなたのチケットだけ、変更しておくから、瑠衣さんとここでゆっくりして」 睦月がスマホを取り出す。 すると湊は眉を寄せ、睦月の思惑通りに口を開いた。「やっぱり、変更はしなくていい。仕事の方が先決だから」 第6話 「瑠衣、お前もだ。来る時期が少し悪かった。次の休みを待っててくれ。会社がもうすぐ上場するから、今は気が抜けないんだ」 そう言うと、睦月は勝ち誇ったような目で私をちらりと見た。 私がまた嫉妬して騒ぎ立てるとでも思ったのか、湊は続けて睦月に言った。「瑠衣の帰りのチケットも一緒に取ってやっておいてくれ。俺の隣の席でな」 睦月が答える隙を与えず、私はすかさず口を開いた。「大丈夫。私……」 しかしその瞬間、遠くから轟音とともに大きな炎が立ち上がり、私の言葉はかき消された。 湊が眉をひそめる。「なんだ?」 睦月の茶色の瞳が妖しく光った。「イベントが始まったみたい。湊さん、早く見に行こうよ。瑠衣さんのことは私がやっておくから」 湊は明らかに私のことなどどうでもいいらしく、頷いて適当に二言三言睦月に伝えると、人の波に乗って歩き去った。 彼がいなくなると、睦月が本性を露わにする。腕を組んで私を見下ろしてきた。「瑠衣さん、離婚することにしたんですよね?それなのに人事に探りを入れて、わざわざ私たちを追いかけてくるなんて、何がしたいんですか?」 どうやら睦月は勘違いしているらしい。 だが、もうすぐ離婚するし、睦月に説明するつもりもなかった。 執拗に絡んでくる睦月は、目にどす黒い光を宿す。「どうしても邪魔したいっていうなら、湊さんがどちらを選ぶか見てみます?」 その瞬間、睦月は私の隙を突き、私を力一杯に突き飛ばした。 バランスを崩した私は、勢いよく燃え盛る火の上へと倒れ込んでしまった。 焼けるような熱さと痛みに、思わず叫び声が漏れる。 その声で、周囲の人たちが振り返った。 騒ぎを聞きつけた湊も駆け寄ってきた。私が炎の中に倒れているのに気づき、表情を一瞬凍らせ、助けようと向かってくる。 しかしすぐ横に、手を庇いながら顔をしかめている睦月の姿もあった。 「手、どうしたんだ?」 湊はすぐさま行き先を変え、睦月のそばに駆け寄り、心配そうに彼女の手を取った。 すると、睦月が泣きそうな顔で言った。「さっき……どうしてか分からないんだけど、瑠衣さんが自分から火の中に倒れ込んで。その火の粉がこっちまで飛んできて、手を火傷しちゃったの」 湊は痛々しい表情で、ただ赤くなっただけの睦月の手の甲にふうふうと息をかける。 それから、さっきの優しさが完全に消え去った冷たい目で私を振り返り、吐き捨てた。「瑠衣、嫉妬するのもいい加減にしてくれ。大人しくなったのかと思えば、こんなやり方で睦月を陥れるなんて。 今すぐ睦月に謝れ。じゃなければ、今すぐ帰れ。いいな?」 私は火傷で水ぶくれができた足を庇いながら、痛みで言葉も出せなかった。 すると、湊は私がわざと自分に逆らっていると決めつけた。「悲劇のヒロインのふりをしても無駄だ。今回はどう考えてもお前が悪い」 彼がまだ何か言おうとしたとき、民宿の受け付けから青年が歩いて出てきた。 「お客様、離婚届受理証明書が届いておりますよ」