あの日の鐘、いまは灰

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あの日の鐘、いまは灰

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結婚前夜、5年も付き合ってきた婚約者の榊原燃(さかきばら もゆる)が、2人でコツコツ貯めてきた結婚資金600万円を、同僚の女性に貢いで家を買...

Chương (1)

第1章

結婚前夜、5年も付き合ってきた婚約者の榊原燃(さかきばら もゆる)が、2人でコツコツ貯めてきた結婚資金600万円を、同僚の女性に貢いで家を買っていた。 いつも彼の車に下着を置き忘れるその女は、今や私たちの隣人に収まっていて、私が自分のお金で買った洗濯機を撫でながら笑ったんだ。 「このボロい家電、燃さんがくれるって」 燃の母親は私を「田舎者は格式がなってない」と罵り、それに対して、例の女性同僚はSNSに、彼に贈られたらしい新車を載せた。 【上司が『ストッキングのままじゃ足が凍えるから』って言ってくれて】 流産したその夜、燃は自殺しようとしたその女を抱きかかえ、血の気の引いた私に向かって怒鳴った。「もし彼女が死んだら、お前が責任取れんのかよ!」 私は微笑んだまま、大富豪の母からの電話に出た。「新郎は、変えてください」 すると、5人の義兄たちが即座に動いて、20人ものお見合い相手を送り込んできた。 「陸川家の御曹司ったら、10年前から君に片想いで、結納金にビル10棟分だってさ。常識外れだよ」 結婚式当日、燃はその女のために二十回目の婚約破棄をした。しかし彼はまだ知らない。私はもう別の誰かのために、花嫁のベールを被ることを。 第1話 私、鐘森真昼(かねもり まひる)、もうすぐ結婚するんだ。 でも、5年も付き合ってきた彼氏の榊原燃(さかきばら もゆる)は、そのことをまだ知らない。 だって彼、最近は毎晩のように女性の同僚・芳野芝子(よしの しげこ)を家まで送ってて、帰りはいつも遅いから。 その女はやたら忘れっぽくて、しょっちゅう彼の車に物を置き忘れる。 ピアスに、ニプレス、それに……過激な写真まで。 深夜0時、車にアレルギー薬を忘れたから届けてくれ、って連絡があれば、燃はズボンを整えるのもそこそこに、家を飛び出していくんだ。 その芝子のせいで、私たちの結婚式は十九回も延期になった。 それでも、5年の思いがあるから──私は彼に、最後のチャンスをあげようと決めた。 「送り迎えをやめるか、式をキャンセルするか、どっちかにして」 彼は一晩中黙り込んで、そのあとは本当にきちんと時間通り帰ってくるようになった。 私はやっとうまくいったと、そう思ってた。 式の一週間前、家のドアを開けると、リビングの半分が空っぽになっていた。 隣の部屋から芝子がひょっこり顔を出して、私の買ったばかりの洗濯機を撫でながら、にこやかに笑った。 「鐘森さん、お隣さんになりましたよ!燃さんがお金を貸してくれて、家を買っちゃったんだ。この古い家電も、とりあえず私が使っていいって言ってくれたんです」 震える手で銀行アプリを開く。私たちが5年もかけてコツコツ貯めた結婚資金の600万円が、1円残らず消えていた。 今度ばかりは、言い争う気力さえ湧いてこなかった。 そこに私の母・鐘森麻木(かねもり あさき)から電話がきた。 「真昼、式場、ローズガーデンに変えない?今のままじゃ、うちの娘がかわいそうすぎるわ」 私は空っぽのリビングを見渡して、静かに笑った。 「いいよ。ついでに……新郎も、変えちゃおうか」 どうせ母は再婚で名門財閥、西園寺家に嫁いで、5人の義理の兄たちはみんな私が実家に戻るのを心待ちにしてる。 西園寺家のお嬢様として、私と結婚したがってる男が、掃いて捨てるほどいるんだから。 芝子は「新郎を変える」と聞いた瞬間、目に興奮の色がよぎった。口ではもっともらしいことを言う。 「鐘森さん、そこまでしなくたっていいじゃない? 燃さんが毎日どれだけ疲れて働いてるか、知ってるの?別れるって脅す以外に、あなたに何ができる? 家に帰ると息が詰まるから、車の中だけが落ち着くって、燃さん言ってたのよ」 部屋では、引っ越しを手伝う同僚たちが笑いながら乗っかってくる。 「さっすが芝子ちゃん、気が利くな。こういう子こそ良妻賢母だよね」 「芝子ちゃんがその座を奪えたら、俺たちみんなで盛大に祝わなきゃな!」 私は笑った。 彼女が「気が利く」のは、当然だ。 だって【mylove】って書かれた水着写真が、わざと燃の助手席にべったり挟まってたじゃないか。私に見せるために。 その写真を見た時、私は慌てて燃に電話をかけた。 ショックで泣き崩れる私をよそに、すべてを仕組んだ芝子は、すかさず燃のスマホをスピーカーモードにした。 会議室中に、私のヒステリックな声が響き渡った。 あの大事な会議は、私の電話で台無しになった。 燃の母親、榊原錠子(さかきばら さだこ)は、私がその息子の将来を台無しにすると罵った。 さらに、誰かがその件をネットに晒し、私は身元を特定され、ネット中から叩かれた。 上司も、私が情緒不安定でチームを率いるのは無理だと判断した。 感情を抑えられなくて、刃物で腕を切ったあの時も。 燃は「芝子はわざとじゃない」と彼女を信じ、私には「考えすぎだ」と言った。 燃はそのたびに芝子を大目に見た。けれど最後に傷つくのは、いつだって私だけだった。 だから今回は取り乱したりしない。ただ、冷静に言い放った。 「この家電、ぜんぶ私が自分のお金で買ったものよ。彼に、あなたへあげる権利はない。24時間以内に、そのお金を振り込んで。でなければ訴えるから」 芝子は平手打ちを食らったかのような顔で、みるみる真っ赤になった。 同僚たちもようやく玄関の私に気づいて、一瞬でシンと静まり返った。 私はドアを閉めて、母さんと義兄たちとのグループチャットの通話に出た。 母と兄たちの動きは、やっぱり早かった。 20人以上の縁談相手のプロフィールが、画面をあっという間に埋め尽くしていく。 5人の兄が、次々と競うように推薦してくる。 「こいつは酒もタバコもやらねえ、素行も申し分ない!」 「こっちは自力で起業した金持ちだ!ロマンチストで、この街のイケメンランキング六位だぞ!」 指が最後の一人で止まった。 「母さんはね、ずっとあの男はうちの真昼にはふさわしくないと思ってたの。本当に愛してるなら、結婚式を十九回も延期するわけないでしょ。 式は10日後に決めたから。人は、ゆっくり選びなさい」 愛しているかどうかなんて、他人から見れば、ちゃんとわかるんだ。 私だって、5年もの執着に閉じこもって自分を騙すのは、もうやめるべきだった。 「お母さんが好きに選んでくれていいよ。だってこの人たち、みんなすごく気に入っちゃったから」 第2話 スマホを閉じて、私は自分の荷物を片づけ始めた。 すると、燃がドアを押して入ってくる。手にはスーパーの袋を提げていた。 空っぽのリビングを見て、鍋も食器も調理道具も、生活に必要なものがごっそり消えていることに気づき、その場で固まった。 それから、後ろめたそうに私の手を掴もうとした。 「外に、食いに行こうか」 エアコンまで芝子に取り外されていて、部屋の空気はむっと蒸し暑くてたまらない。 私は思いきり彼の手を振り払うと、目の前がぐるりと回った。 「真昼!」 ひんやりしたタオルが額にのせられた。燃は手を動かしながらも、どこか不満げな口調だった。 「こんな高級マンションに住んでるから、芝子があんなボロい団地でどんなに怖がってるか、お前にわかんないんだよ。 彼女、卒業したばかりの頃の俺たちと同じなんだよ。助けて何が悪いんだよ。どうせ結婚すれば、家具なんて新しくするんだろ。600万の結婚資金もあるじゃねえか」 私は唇の端をひくつかせた。 ――まだ、とぼけてる。 私がずっと口をきかないのを見て、燃は面目を潰されたのか、ついに口走った。 「お前だって、前に安いアパートに住んでたとき、襲われかけただろ?なんで彼女のことがわかってやれねえんだ?」 頭の中で、何かが爆発した。 あの夜の豪雨と絶望が、生々しく私を飲み込んでいく。 私の誕生日、燃が祝うためにナイトシネマを予約してくれた。それなのに、芝子の一本の電話で呼び出された。 雨の中を走って家に帰る途中、大きな手に首を掴まれて、路地裏に引きずり込まれた。 汚い手が私のスカートを引き裂き、酒臭い吐息が首筋にかかる。 爪が折れるほどもがいて、涙で顔を濡らしながら、どうにか逃げ切った。 なのに、ずぶ濡れのボロボロの姿で家のドアを開けたら、目に飛び込んできたのは、芝子が燃の白いシャツを着ている姿だった。 しおらしく彼に乳液を塗らせている。 燃は顔も上げずに言う。 「帰ったのか。芝子に温かいスープ、作ってやってくれ」 私はその場で凍りついた。 翌日には、私が深夜に男と遊んでいて襲われた、という噂が会社中に広まっていた。 卒業したばかりの私はまだ人目を気にしすぎて、その屈辱を、たった一人で三年間も飲み込み続けてきたんだ。 燃も明らかにその出来事を思い出したらしい。目に一瞬、罪悪感が走る。 なにか言いかけた口を、私の静かな声が遮った。 「榊原燃、別れましょう」 空気が、一瞬、止まった。 燃は信じられない、という目で私を見つめる。 彼の足元で、落ちた長ねぎが踏みつぶされ、二つに折れた。 「たかが、ボロ家電ごときで、別れるって言うのかよ」 昔の私だったら、今ごろ声を震わせて問い詰めていただろう。 あの家電は、私が半年分のボーナスを貯めて、口コミを読み漁って、やっと選んだものだって、あなたはちゃんと知ってるはずでしょ、と。 結婚のために買ったもので、古いものなんかじゃない、と。 支払いを済ませたらカードには百円しか残らなくて、昼食さえ食べられなかったんだ、と。 それに、この街の夏はこんなに暑いのに、エアコンなしでどうやって過ごせっていうの? でも今は、一言だって無駄にしたくなかった。 彼はじっと、熱で赤くなった私の顔を見つめる。 「熱中症で変なこと言ってるんだよ。ちょっと待って、地下室にまだ扇風機があったはずだから」 燃はすぐに、地下室から古びた扇風機を運んできた。 プラグを差し込むと、埃っぽい風が顔に当たる。 苛立っているところに、扇風機の羽根が突然外れて飛んで、私の腕を傷つけた。 血が噴き出したのを見て、燃は慌てふためき、急いで私を病院へ連れて行こうとする。 ところが、ドアを開けた途端、芝子がぐったりと地面に倒れていた。 燃は困惑した顔で言った。 「芝子、低血糖になったんだ……一緒に乗せて行くぞ」 病院に着くと、彼はためらうことなく芝子を抱え上げて走り去った。 「真昼、低血糖は死ぬこともあるんだ。自分で手当てに行けるよな?」 私は、芝子のあの見下すような笑みを、あえて指摘はしなかった。ただ、どうでもよさそうに頷いた。 でも意外に、燃が夜中に戻ってきた。 私は兄たちとのメッセージのやり取りに返信していた。 燃は、私のスマホの画面に映る結婚式場の写真をちらりと見て、低く笑う。 彼が近づいて何か話しかけようとしたけれど、私はスマホの画面を消して、黙って目を閉じた。 背中に、あの暗く濁った視線が、一晩中まとわりついていた。 翌朝、燃に起こされた時には、もう寝室は彼の同僚たちでぎっしり埋まっていた。 第3話 芝子がお粥の入った茶碗を手に、にこやかに一番前に立っていた。 燃は笑顔で私を助け起こす。 「みんな、お前が怪我したって聞いて、見舞いに来てくれたんだ」 芝子はわざとらしく、その茶碗を私の目の前に差し出した。 「鐘森さん、早く食べないと。私みたいに低血糖になっちゃうよ。 そうなったら、また燃さんが二人分の面倒を見なきゃいけなくなって大変じゃないか。倒れたらどうするの」 同僚の田上がにやにやしながら褒めた。「芝子ちゃんは、ほんといつも気が利くよなあ」 私は口を開かず、ただ芝子が手にした茶碗をぼんやりと見つめていた。 あれは、私が燃と付き合いたての頃に手作りしたものだ。私たちの名前のイニシャルまで彫ってある。 彼はかつて、この茶碗を両手で包み込み、笑いながら私に言った。 「これからは一生、一緒に飯を食おうな」 初めてこの茶碗で手作りの麺を盛ってくれた日のこと。 不器用で卵を焦がしてしまったけれど、その味は五年間ずっと、心の中に残っていた。 しかしその後、彼の残業はどんどん増えていった。 この家で、食卓にぽつんと一人座っているのはいつも私だけになった。 今その茶碗は、芝子の家の台所に収まっている。 燃の「一生」は、たった五年だったのだと、そこで思い知った。 燃もその茶碗を見て、眉をひそめた。 「この茶碗まで持ってったのか」 芝子は笑った。少しも怯まなかった。燃がまた許すと、確信してるみたいに。 「いいじゃないか。どうせ鐘森さんは燃さんと結婚するんだから、この茶碗がなくても家族になるんだよ」 周りの視線が、たちまち変わった。 遠回しに、田舎者の私は心が狭いだの、もうすぐ結婚なのに茶碗ひとつで目くじら立てるだの、聞こえよがしに言っている。 でも私は、もう気にしない。ただ手を伸ばしてお粥の茶碗を押しのけた。「私、食べないから」 すると、芝子はまるで強い力で突き飛ばされたかのように倒れ、熱いお粥が派手に飛び散った。 五年間、壊れないと思っていた思い出の茶碗は、芝子の自作自演であっけなく砕けた。一度こぼれたものは、もう元には戻らない。 彼女の手の甲はたちまち真っ赤になり、目のふちまで赤く染まる。 みんながざわざわと彼女を取り囲んだ。 燃は痛ましげに彼女の手の甲をそっと持ち上げて、息を吹きかけた。 ふと芝子がしゃがみ込んだ。 顔はちょうど燃のズボンの股のあたり。慎重に、ズボンについたお粥の汚れを拭いている。 「このあと、大事な会議があるから、身だしなみをちゃんとしないと。チーム全体の評価に響くし……」 その言葉に、さっきまで微妙で気まずい空気を感じていた同僚たちは、次々にあの出来事を思い出したらしい。 ――私が泣きわめいたせいでチーム全体の年末ボーナスが台無しになった。 私を見る目が、ますます恨みがましくなっていく。 「燃さん、本当にもう一度考え直したほうがいいって。こんな女と結婚するとか……」 「芝子は手を火傷しても真っ先に燃さんのこと気にしてるのに、誰かさんはどこまでも自分勝手で、どうしてもみんなを不快にさせなきゃ気が済まないんだよ!」 燃の顔色さえ、いつの間にか険しくなっている。 彼が眉をひそめて口を開こうとした、その瞬間、私は冷たく遮った。 「私は榊原とは結婚しない。みんな出て行って。私に構わないで」 そのあまりの冷たさに、全員が呆気にとられた。 芝子は唇を震わせ、みるみる目を赤くする。 「燃さん……私、やっぱり会社、辞めたほうがいいよね?あなたの結婚式、台無しにしたくないから……」 燃は急に慌てて、芝子の手を離し、私の肩を掴んだ。 「真昼、俺と芝子はただの同僚だって言っただろう!どうしてずっと信じてくれないんだよ!」 同僚の鈴木が吐き捨てるように呟く。 「芝子ちゃんの若さと可愛さに勝てないから、嫉妬してるだけだろ!」 「そうだよ、芝子ちゃんは若くて有能で、自分の力で家も車も買ったんだぞ。辞められたらうちの会社の損失だ!」 なるほど、そうやって自分のキャラを作り上げてきたのか。 私は、堪えきれずに笑ってしまった。 「自分の力で家を買ったって?頭金、誰のお金を盗んだか、知らないの?私と榊原が一緒に貯めた600万だよ。 そのうちの私の300万は、今すぐ返して。でなければ訴えるから」 部屋は一瞬、死んだように静まり返った。 芝子はただ、燃の腕を揺すって助けを求めるだけだった。 ――あの女に返せる金なんて、あるわけがない。自分だってまだ400万円の借金を抱えているのだから! 第4話 「嘘だろ……」 そう言うと、私は迷わずスマホを取り出し、弁護士に連絡しようとした。 すると、さっきまで無反応だった燃が、途端に烈火のごとく怒り出し、いきなりスマホを奪い取って床に叩きつけた。 「何がお前の金だ。結婚するんだから、二人の金だろ!年末に俺が昇進したら、また稼いでやればいいだけの話だ!芝子に言いがかりをつけるな!」 私はクモの巣のようにひび割れた画面を見つめながら、声は変わらず落ち着いて、はっきりと言った。 「これは言いがかりじゃない。窃盗よ」 「私みたいな女がこの街でたった一人で頑張ってるのに……そんな汚名、着せられるなんてひどい!」 彼女は指を震わせながら私を指さし、まるで大きな屈辱を受けたかのように声を張り上げた。 「この前だって、燃さんの車にあったコンドーム、鐘森さんは私が使ったんだって言い張って…… でも、私は今でも……燃さんのために、誰にも体を許していないのに!そんなことをしたら、死んだほうがマシよ!」 言い終わるや、彼女は胸が張り裂けそうなほど泣き叫び、窓から飛び降りようと身を翻した。 同僚たちは悲鳴を上げて止めに入り、燃は飛びついて彼女の腰を必死に抱きしめた。 そして、勢いよく突き飛ばされた私に怒鳴り散らした。 「これで満足か!?彼女を死なせなきゃ、俺と結婚しねえのかよ!」 腹部に、刺し込むような激しい痛みが走り、冷や汗が一気に噴き出した。私は一言も発せなかった。 でも、誰も私を気にかけない。 燃は芝子をしっかりと抱きかかえ、振り返りもせず外へ飛び出していった。 ドアで鈴木に腕を掴まれた。「燃さん、鐘森さんが……」 燃は乱暴に手を振り払った。 「鐘森真昼、よく反省しろ!これ以上わがままを続けるなら、結婚式は永遠に延期だ!その時、苦しむのはお前だけじゃない。腹の子まで巻き添えになるんだぞ!」 ドン、という衝撃とともに、全身を貫かれたような衝撃が走った。 意識を失う直前、先月、彼がこっそりコンドームに穴を開けていたことを、ふと思い出した…… 私は病院で、丸三日間、横たわっていた。 義兄たちは次々と私のために動こうとしてくれた。 「真昼ちゃん、この会社は俺の名義なんだぞ!」 「俺の弁護士を使え!一度も負けたことがない!」 「ちっ、この動画、本当に胸糞悪いな。僕の編集チームは準備万端だ!」 私は頷いて、静かに応えた。「結婚式の後にしよう。彼に式を邪魔されたくないから」 燃が意地になって冷戦を続けたその二日の間に。 四番目の義兄の西園寺英四(さいおんじ えいし)は人をやって、古い家の荷物を全部まとめて焼き払ってしまい、縁起でもないと吐き捨てた。 退去手続きも、てきぱきと済ませた。 退院の日、五人の兄が別荘の玄関に整列していた。 大切な妹を守る狼の群れみたいに笑っていた。 「真昼ちゃん、結婚式は全部準備できてる。どれもお前の大好きなテイストだ」 二番目の義兄の西園寺真二(さいおんじ しんじ)が私の髪をくしゃくしゃと揉みながら笑った。 「光雄のやつ、父さんが麻木おばさんに求婚していた頃から、真昼ちゃんに片想いしていたんだよ。今回真昼ちゃんが光雄を選んだから、あいつ、俺にビル十棟分の賭けを気持ちよく払うってさ」 私は唇を結んで、吹き出した。 親友のカナちゃんは、怒り顔でスマホを睨んでいる。 芝子のSNSに、真新しいピンクの小型車が投稿されていた。 こう自慢している。 【上司が『ストッキングのままじゃ足が凍えるから』って贈ってくれたの。本当に優しすぎて泣ける!一生彼のためにご奉仕します!】 コメント欄の同僚たちは、みなその「ご奉仕」の意味に気づかないふりで、やんやの褒めそやしだ。 親友はすかさず、私のウエディングドレス試着写真を投稿してくれた。 身長190センチの兄5人が、色とりどりの高級車に乗り、私のピンクの高級スポーツセダンを真ん中に置き、まるで姫を守るように囲んでいた。 一分後、燃から電話が爆発的にかかってきた。 「鐘森真昼!もうすぐ結婚式だってのに、男のモデルをレンタル?高級車まで!?お前はもうすぐ母親になる身で、評判も気にしねえのかよ!」 私は冷笑した。 彼は芝子に車を買い、家を与え、貯金を空っぽにし、距離感だって完全に一線を越えていた。 それでいて、私に向けられた兄たちの普通の家族愛に、文句をつけるのか。 私が黙っているのを見て、彼の声は突然やわらかくなった。 「芝子は借用書を書いた。毎月6万円ずつ返すから、あの600万は定期預金に入れたと思えばいい。車はお前のために買ったんだ。もう家に戻ってこないか?」 私は皮肉な笑みで唇を歪めた。 第5話 そうか。この二日間、一度も家に帰っていなかったのだ。 私がもう退去したことさえ、知らなかった。 電話の向こうから、突然燃の母親、錠子の罵声が飛び込んでくる。 「どこの嫁入り前の女が、そんなに騒ぎ立てるんだい!?燃が同僚を家まで送って、何が悪いんだい?昇進には、人間関係が大事なんでしょう! あんたのせいでこいつは二日も煙草と酒に溺れて、体も壊しちまった。孫ができなくなったら、産後の面倒なんか絶対に見ないからね!」 「母さん!」 燃が悔しそうに遮った。 「来週には結婚式なんだから、少し黙っててくれよ!」 錠子は、ずっと私が田舎出身だから軽蔑していた。 燃に金持ちの娘と結婚させたいという願望が叶わなかった後、芝子が同僚のあいだで誰とでも愛想よくやってると聞くや、すぐにでも芝子に乗り換えさせたくて、公然と「お義母さん」と呼ばせたりしていた。 私が正月にあげたお年玉で、芝子に金のネックレスを買ったりもしていたのだ。 泣き出した私に、「だから言ったでしょ。田舎者は心が狭くて、人前に出せたものじゃない」と、したり顔で言っていた。 でも昔の燃は、ただ事なかれ主義でお茶を濁すだけだった。 もうこんな女と言い争う気にもなれず、私はそのまま電話を切った。 すぐに燃から、長い謝罪のメッセージが届く。 【母は年で、言い方がきついんだ。安心しろ、孫ができたら、きっとお前にも優しくなるから】 私は彼の番号をそのままブロックした。 鏡に映る、自分の口元が上がっているのが見える。 ――母の言う通りだった。幸せを持って生まれた娘が、不幸しかない家の門をくぐる必要はない。 結婚式当日の早朝、メイクさんが最後の仕上げをしていると。 突然、外から騒ぎが聞こえてきた。 燃が悔しそうな顔で飛び込んできたかと思うと、私のウェディングドレス姿を見るなり、狂喜へと変わった。 「芝子を別の部署に異動させた。もう二度と、お前に嫌な思いはさせない」 彼はぎゅっと私を抱きしめ、落ち着かない指で私のドレスをなぞる。 「このドレス、ウエスト、きつすぎないか?子どもが……」 ブライズメイドたちが、変な目で彼を見た。 でも燃は気づかず、声はますます感激に震えている。 「真昼のご両親は本当に寛大だな。迎えの車をやったら、もうとっくに出発されてたんだ! 真昼、今度こそ絶対に式を延期したりしない。みんなをがっかりさせたりしない」 言い終わらないうちに、スマホの着信音がけたたましく鳴り響いた。 燃の顔色が何度も変わったけれど、結局、歯を食いしばって出なかった。 私が口を開きかけた瞬間、今度は田上から着信が入る。 「燃さん、早く来てください!芝子ちゃんが自殺した!」 燃の顔から、一瞬で血の気が引いた。彼は身を翻して飛び出そうとする。 「待って──」 彼が振り返り、その目は焦りと懇願でいっぱいだった。 「真昼、先に会場で待っててくれ!彼女を見殺しにはできない!約束する、式には必ず行くから!」 でも私は、ただ彼との古い婚約指輪を外して、彼の手のひらに置いた。 「持って行って」 燃は呆然とした。 次の瞬間、彼の目に、深い感動と罪悪感が浮かぶ。 「この指輪で、とりあえず彼女をなだめてくる!誓いの時までに、必ずこの手で、お前に着けてやるから!」 彼はあまりにも慌てて立ち去ったから、見極められなかったのだ。 私の目にあったのは、待つことではなく――別れだった。 燃が大通りに出るとすぐ、見渡す限りのマイバッハの結婚式車列に塞がれた。 思わず尋ねた。「今日、他にも誰か結婚するんですか?すごい規模だ」 運転手はありえないといった顔で言った。 「陸川家の御曹司ですよ。五年越しに追いかけて、よりによって流産したばかりの田舎娘を娶るんですからね!」 そのとき、燃の胸が、ざわりと嫌な感じで締め付けられた。もっと詳しく聞こうとしたその瞬間、スマホが死神のごとくけたたましく鳴り響いた。 鈴木の声が裏返って甲高くなっている。 「も、燃さん!グループチャットを見た?あの動画、もうとんでもなく拡散されてるぞ!」