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モレッティの名は燃え落ちた
南イタリアにおいて、ロレンツォ・モレッティが私に狂うほど惚れていることは、誰もが知る事実だった。 それなのに彼は、ナポリでずっと若い愛...
Chương (1)
第1章
南イタリアにおいて、ロレンツォ・モレッティが私に狂うほど惚れていることは、誰もが知る事実だった。
それなのに彼は、ナポリでずっと若い愛人を囲っていた。
昔の私によく似た女。
そんな噂を、あとになって耳にした。
ロレンツォは周囲にこう話していたらしい。「あの子は、かつて一番愛した女を思い出させるだけだ」と。同時に、私の耳には絶対入れるなとも命じていた。
全部を知ったのは、妊娠が分かった日のことだった。
私は自分の口で伝えたくて、彼のオフィスへ向かった。けれどドアの前まで来た時、中から若い女の声が聞こえてきて、足が止まる。
「ロレンツォ……私を傍におくのは、あの人に似てるから?」
ドアは少しだけ開いていた。
隙間から見えたのは、昔の私によく似た若い女。彼女は彼のジャケットを羽織り、ロレンツォのグラスを手にしていた。
息の仕方すら分からなくなった。
その時、彼の声が聞こえる。
「お前をあいつと比べるな」
低く、迷いのない声だった。
「ソフィアには、決してお前の代わりはできない」
私は何も言わず、その場を離れた。
足音も立てずに。
その夜、私は母に電話をかけた。
「お母さん。もう決めたわ」
母はしばらく黙っていた。
私は静かに続ける。
「火事を起こしてほしいの。
誰も生き残れないような、大火事に」
そして、ゆっくり目を閉じた。
「全部終わる頃には、ソフィア・モレッティは、この世から消えたことになるの」
第1話
南イタリアにおいて、ロレンツォ・モレッティが私に狂うほど惚れていることは、誰もが知る事実だった。
それなのに彼は、ナポリでずっと若い愛人を囲っていた。
昔の私によく似た女。
そんな噂を、あとになって耳にした。
ロレンツォは周囲にこう話していたらしい。「あの子は、かつて一番愛した女を思い出させるだけだ」と。同時に、私の耳には絶対入れるなとも命じていた。
全部を知ったのは、妊娠が分かった日のことだった。
私は自分の口で伝えたくて、彼のオフィスへ向かった。けれどドアの前まで来た時、中から若い女の声が聞こえてきて、足が止まる。
「ロレンツォ……私を傍におくのは、あの人に似てるから?」
ドアは少しだけ開いていた。
隙間から見えたのは、昔の私によく似た若い女。彼女は彼のジャケットを羽織り、ロレンツォのグラスを手にしていた。
息の仕方すら分からなくなった。
その時、彼の声が聞こえる。
「お前をあいつと比べるな」
低く、迷いのない声だった。
「ソフィアには、決してお前の代わりはできない」
私は何も言わず、その場を離れた。
足音も立てずに。
その夜、私は母に電話をかけた。
「お母さん。もう決めたわ」
母はしばらく黙っていた。
私は静かに続ける。
「火事を起こしてほしいの。
誰も生き残れないような、大火事に」
そして、ゆっくり目を閉じた。
「全部終わる頃には、ソフィア・モレッティは、この世から消えたことになるの」
電話の向こうで、母は一瞬言葉を失った。けれど次に聞こえてきた声には、隠しきれない安堵が滲んでいた。
「ソフィア……やっと決めたのね」
ほっとしたように、母が小さく笑う。
「今夜のうちに、お父様に手続きを進めてもらうわ。十日もあれば終わるはず。連絡するまで待ってなさい」
通話を終えたあと、私は家へ戻った。
ヴィラに入ると、ロレンツォはすでにリビングで待っていた。
どこか落ち着かない顔をしている。こんな表情を見せるのは珍しかった。
「遅かったな」
視線だけをこちらに向けたまま、低く言う。
「どこ行ってた?」
私は手にしていた薬袋を軽く持ち上げた。
「ちょっと病院。胃の調子悪くて。検査して、薬もらってきただけ」
昔から身体は強いほうじゃない。今回の妊娠も楽ではなく、医者からは無理をしないよう何度も念を押されていた。
私の顔色を探るように見ていたロレンツォは、ようやく本当に聞きたかったことを口にする。
「今日、会社に来ただろ。
なのに、なんでそのまま帰った?」
誰かに見られていたんだ。
私が彼のオフィス前にいたことを。
ただ、ロレンツォはまだ私が「あの場面」を見たかどうかまでは分かっていない。
本当に、一瞬だった。
ビアンカは彼のすぐ隣に座っていて、ロレンツォのジャケットを肩に羽織りながら、彼のグラスに触れていた。
でも、私がもう一度目を向けた時には、彼女はすでに離れていた。
「近くまで行っただけよ」
私は何でもないように答える。
「話してる最中みたいだったし、邪魔しないで帰ったの」
その瞬間、彼の身体からわずかに力が抜けた。さっきまでずっと張り詰めていたのだろう。
胸の奥が、嫌なふうに軋んだ。
結婚して七年。
周囲から見れば、私たちは理想の夫婦だった。
長い時間を一緒に過ごして、それでも変わらず愛し合っている二人。そう思われていたし、私自身も疑ったことなんてなかった。
このまま一生、彼と生きていくんだと信じていた。
でもまさか、こんなにあっさり心が離れていくなんて。
「ただ報告を聞いてただけだ」
ロレンツォはすぐに言った。
「お前も知ってるだろ。あいつ、まだ若いし距離感がおかしいんだよ。少し近かっただけだ」
そう言いながら、自然に私の肩を抱き寄せる。
「ここ最近、ラヴェッロ行ってないな」
声色が少し柔らかくなった。
「明日なら時間取れる。海までドライブして、テラスで飯でも食おう。最初に会ったあのヴィラ、久しぶりに行かないか?」
その場所の話になると、彼はいつも少しだけ優しい顔をする。
私たちが出会ったのは、アマルフィ海岸の名家が開いたサマーパーティーだった。
あの夜、ロレンツォは人混みから私を連れ出して、月明かりのテラスでキスをした。
それ以来、お互いの目に映るのは互いの存在だけになった。
毎年、結婚記念日になると、私たちは必ずあの崖の上のヴィラへ戻った。
恋に落ちた場所へ帰れば、あの日の気持ちも変わらないままでいられる――本気でそう思っていた。
でも今年、記念日が近づいた時、ロレンツォは「忙しい」と言って来なかった。
今なら分かる。
きっと、ビアンカと過ごしていたんだ。
私は小さく息を吐いて、首を横に振った。
「今はやめとくわ。先生に、しばらく安静にしてろって言われてるから」
ロレンツォは「そっか」と頷き、私の髪を撫でようと手を伸ばしてきた。
私が傷つくのはもうどうでもよかった。でも、この子だけは守らなきゃいけない。
私は気づかれない程度にそっと身を引く。
彼の手が途中で止まった。
「ソフィア」
私の顔を覗き込みながら、ロレンツォが静かに言う。
「……なんか怒ってるのか?」
少し間を置いてから、探るように続けた。
「ビアンカが寄りすぎていたこと、まだ気にしてるのか?」
そして困ったように笑う。
「あの子はまだ子どもみたいな歳だぞ。そんな本気で張り合うことないだろ?」
胸がひどく痛んだ。
昔の私も、あのくらい若かった。
けれど顔を上げた時には、もう何も口に出さないようにしていた。
「別に気にしてないわ」
そう答えると、彼はようやく安心したように息を吐いた。
「ならよかった。
来週、クリスティーズのオークションがあるんだ。欲しいものあったら言えよ。買ってくる」
一時間くらい前、私はビアンカのSNSを見ていた。
【来週、初めてのクリスティーズ】
【彼が、「最後の一点はもうお前のものだ」って。】
そんなコメントと一緒に載っていたのは、二人で撮った写真だった。彼の左手にある結婚指輪だけが、妙に目についた。
私はロレンツォを見て、静かに言う。
「私はいいよ。別の人に買ってあげれば?」
彼の目がわずかに曇った。何か言いかけたその時、スマホが震えた。
ビアンカからだった。
送られてきたのは写真一枚。
クラブの上階にあるプライベートスイート。乱れた黒いシーツ。
ベッド脇には女物のガーターが落ちていて、ナイトテーブルには彼のカフスとシグネットリング。
ロレンツォは一瞬画面を見ただけだった。
それでも、その喉仏が緊張で動くのを、私は見逃さなかった。
「ちょっと片づけないといけない仕事ができた」
平静を装った声でそう言う。
「数日は戻らない」
そして彼は、急ぐように部屋を出ていった。平気なふりをしていたけれど、隠しきれない高揚が背中に出ていた。
思い返せば、前にもこんなことは何度もあった。
仕事だと言って、慌てて出て行く夜。
増えていく出張。
長くなる不在。
全部、最初から繋がっていたのかもしれない。
第2話
その夜、母から短いメッセージが届いた。
【来週、迎えを出すわ。】
私はしばらく画面を見つめ、それから静かにスマホを伏せた。
その後の数日間、ビアンカはSNSを更新し続けた。
ロレンツォが戻ってきたのは、一週間後。
――私が痕跡を消すまで、残りあと三日。
私は当然、彼ならそのままオフィスへ向かうものだと思っていた。けれど彼は珍しく、先に家へ帰ってきた。
彼が戻る前日の夜、私はビアンカの最新のストーリーを見ていた。
白いスリップドレス姿の彼女が、高級ホテルのスイートに立っている。後ろのベッドは乱れたまま。テーブルには開けかけのシャンパン。
そこに添えられていた言葉はこうだった。
【彼氏が、今夜クリスティーズで指輪を買ってくれるんだって、そのままはめてくれたりして】
吐き気がした。
でも、一番目に刺さったのは部屋でも指輪でもない。
黒い髪に、白いドレス。
「昔の私」をなぞるような、ビアンカのその姿だった。
もちろん、私に見せるために載せたのだろう。
最初から、そのつもりで。
だから私は、コメントを一つだけ残した。
【ほんと、あの人の好みそのままね。】
一分もしないうちに、ストーリーは消えた。
ロレンツォが家に入ってきた時には、すでに機嫌が悪かった。
「ソフィア」
ネクタイを緩めながら、苛立った声で言う。
「この前のことなら、もう説明しただろ。ビアンカはまだ若いんだ。変に話を大きくする必要ないだろう」
私は一瞬だけ黙り、それですべて理解した。削除されたストーリーの件なのね。
案の定、私の顔を見た彼の表情がさらに険しくなる。
「守ってくれる人がいて幸せって書いただけだろ。それに対して、あんな返し方する必要あったのか?」
呆れたように息を吐き、彼は続けた。
「お前らしくなぞ、ソフィア。あんな小娘を相手に張り合って、自分を貶めるような真似はするな」
私は唇を軽く噛んだまま、何も言わなかった。
弁解する気にもなれない。ビアンカが都合よく話を変えたなら、それでいい。
あと三日。
三日だけ耐えればいい。
その頃には、この子と私は、もう彼の手の届かない場所にいるだろう。
私が昔みたいに言い返さなかったからか、ロレンツォの表情から少しだけ強気が消えた。
声も、今度は慎重なくらい柔らかくなる。
「……最近、変だぞ」
探るように私を見る。
「体調、そんなに悪いのか?」
彼は保温バッグをテーブルに置くと、中からスープを取り出して器によそった。
「屋敷のシェフに作らせた」私の前へ置きながら言う。「少し食べろ」
それから少し間を置き、低い声で付け加えた。
「そんな顔してるお前、見たくない」
私はスープを見つめるだけで、手を伸ばさなかった。
すると彼の苛立ちは、驚くほど早く戻ってきた。
「ソフィア、いい加減にしろ」
声が鋭くなる。
「俺が一体どこまでお前をなだめりゃ気が済むんだ?」
さらに冷えた声で続けた。
「ビアンカは亡くなった昔馴染みから頼まれてるんだ。ただ面倒を見ているだけだろ。これ以上、見苦しく話をこじらせるな」
面倒を見ているだけ。
随分、綺麗な言い方だと思った。
ロレンツォは昔から、私が多くを求めないことに甘えていた。
少し優しくすれば、少し気遣うふりをすれば。それで全部許されると、本気で思っている。
今だってそうだ。
先に家へ帰ってきて、食事も用意した。
彼の中では、それで十分「埋め合わせ」のつもりなのだ。
でも、今はまだ疑われるわけにはいかなかった。
あと数日で火事が起きる。
そして、ソフィア・モレッティは死ぬ。
だから私は視線を落とし、小さく言った。
「……熱いから。あとで飲む」
その途端、彼は安心したように笑った。
「そうこなくちゃな。
お前なら分かってくれると思ってたよ」
しばらくして、彼のスマホが鳴った。
誰からかなんて、聞くまでもない。
出かける前、ロレンツォは私の額に軽くキスを落とした。
それから思い出したように振り返る。
「今夜、クリスティーズのオークションなんだ。何か土産、買ってきてやるよ」
玄関のドアが閉まったあと、私は静かに笑った。
昔は、本当に愛されていたな。
そのことだけは、一度も疑ったことがない。
ただ彼は、私からその愛を奪い取ったことを認めないまま、別の誰かにそれを注いだだけなのだ。どんなに聞こえの良い言葉で取り繕おうと、裏切りが裏切りでなくなるわけではない。
それでも、一番痛かったのはそこじゃなかった。
ビアンカが特別なのは、「昔の私に似ているから」だと、彼が今でも本気で思っていること。
そしてそんな侮辱を、私が黙って受け入れると思われていることだった。
第3話
三日後。
七年間暮らしたヴィラの中で、私はついに、心のどこかが静かに死んでいくのを感じていた。
壁一面には、私たちの写真が飾られている。
全部私たちが愛し合った痕跡だった。
私はそれを一枚ずつ外し、全部の写真から自分だけを切り取った。
それから、自分の荷物をまとめる。
二人で使っていたものは、きっちり半分に分けて残した。
同時に、ビアンカとのメッセージやSNSのスクリーンショットも、指定した時間にロレンツォのメールへ送られるよう設定しておいた。
ひと息ついた頃、また通知が入る。
ビアンカだった。
送られてきたのは、クリスティーズの開始時間と場所。
その下に、一文だけ。
【来る勇気、ある?モレッティ夫人。
今夜ロレンツォがね、「最後の一点」を絶対に私のために落とすって。】
その夜、私は時間通りに会場へ向かった。
本当は行くつもりなんてなかった。
日付が変わる頃には、母の手配した「火事」が始まっている。
ほどなくして、ソフィア・モレッティは死ぬ。
だったら、若い愛人の挑発に付き合う意味なんてないはずだった。
でも、ビアンカが送ってきたカタログの中に、一つだけ気になるものがあった。
最後の目玉商品は、目が眩むほど高価なイエローダイヤのネックレス。
けれど私の目を引いたのは、もっと控えめなペンダントだった。
上品で静かなデザイン、母が好きそうだと思った。それを買いに行くだけ。
そう自分に言い聞かせた。
けれど本当は、まだ見たかったのだ。ロレンツォが、彼女のためにどこまで変わってしまったのかを。
たった七年で。
あれほど私を愛していた男が、別の女を愛するようになるなんて。
会場へ入る頃には、前方の席はほとんど埋まっていた。
私は最後列に座る。ペンダントだけ落として、すぐ帰るつもりだった。
ロレンツォとビアンカは中央付近に並んで座っていた。身体を寄せ合い、親密そうに話している。
時折、ビアンカが後ろを振り返っていた。
そして私を見つけた瞬間、口元がゆっくり歪む。
――勝った。
そう信じ切っている女の顔だった。
目玉商品は最後に回される。
私の狙っていたペンダントは予想通り早い段階で出品された。
まだ無名に近いデザイナーだったせいで競る人も少なく、私は相場よりかなり安く手に入れることができた。
そのまま立ち上がろうとした時。
「モレッティ夫人」
ビアンカの声が、会場の空気を切り裂くように澄み渡った。
何人もの視線がこちらへ向く。
ビアンカだった。
「もう帰るんですか?」
無邪気そうに笑いながら続ける。
「まだ小物しか出てませんよ?本番はこれからなのに」
わざとらしく間を置いて、さらに言った。
「特に今夜の最後の一点。見逃したらもったいないですよ?」
私は彼女を見て、少しだけ笑いそうになった。
若さって残酷だ。
傲慢でいられるし、自分が世界の中心だと疑わない。
綺麗で、眩しくて、怖いものを知らない。
ロレンツォが惹かれるのも分かる気がした。
ロレンツォはビアンカのうなじに軽く触れ、小さく制した。
――黙れ。
そんな意味を込めるみたいに。
それから何気ないふうを装って後ろを振り返る。傍にいるビアンカが執着する相手を、一度見てみたくなったのだろう。
そして私を見た瞬間、彼の顔色が変わった。
罪悪感と苛立ちが、同時に浮かぶ。
あそこまで分かりやすい顔をする人間を、私は初めて見た。
会場には知った顔も多かった。
ロレンツォの交友関係の人間。長年、私たち夫婦を知っている人たち。
あんなふうにビアンカに呼び止められた以上、彼ももう「気づかなかったふり」はできない。
周囲の目の中、ロレンツォはスタッフへ合図し、私を前方の空席へ案内させた。
そしてビアンカへ視線を向ける。
――後ろへ行け。
そう命じるように。
ビアンカはすぐ立ち上がった。目がみるみる赤くなる。
「嫌……」
震える声で言う。
「今日は、私と――」
「後ろに座れ、ビアンカ」
ロレンツォの声は低く、冷たかった。
「二度言わせるな」
ビアンカは唇を噛み、泣きそうになるのを堪えている。
私はロレンツォの腕にそっと触れた。
「もういいわ」静かに言う。「私のせいで怒らないで。欲しいものはもう買えたし、帰るから」
するとロレンツォの表情が険しくなる。
「お前は俺の妻だ」
はっきりと言い切った。
「ここに座るべき人間がいるとすれば、それはお前だ。あいつが蔑ろにされたと感じる筋合いはない」
その言葉は、狙った通りビアンカを傷つけた。
残っていたプライドごと、踏み潰すみたいに。
彼女は顔を背け、そのまま後方の席へ座り込む。
ロレンツォは私の手を握り、そのまま離さなかった。
ここで帰れば余計に騒ぎになる。だから私は大人しく隣に座った。
振り返らなくても分かる。
ビアンカの視線が、ずっと背中に突き刺さっていた。
最後の出品が始まるまで、その視線は釘付けになっていた。
予想通り、ロレンツォはイエローダイヤのネックレスを落札した。
その瞬間、ビアンカの顔がぱっと明るくなる。
全部、自分の思い通りに戻ったとでも思ったのだろう。
オークションが終わると、彼女は期待を隠さずロレンツォを見た。
けれどロレンツォは、彼女を見ようともしなかった。
代わりに、私へ向き直る。
そしてそのネックレスを、私の首にかけた。
私は止めようとして手を上げようとした。
けれど彼は、その手首を軽く掴む。
「ソフィア」
静かな声だった。
「お前には、一番いいものが似合うよ」
ビアンカは全身を硬直させた。次の瞬間、彼女はきびすを返し、無言のまま荒々しく会場から飛び出していった。
ロレンツォの視線は、そんな彼女の背中を追っていた。
眉間の皺、噛み締めた顎、無意識に握られる手。
見なくても分かる。追いかけたいのだ。
私は小さく笑い、首元のネックレスを外して彼へ返した。
「こんな高価なもの、金庫に入れておくべきよ」
私は穏やかに言う。
「私が身につけるには重すぎるわ」
ロレンツォは少し驚いた顔をした。
けれど、そのおかげで表情の硬さが少し緩む。
彼が何か言う前に、私は先に口を開いた。
「でも、プレゼントはありがとう」
私は微笑む。
「私からも贈り物を置いてきたの。寝室の引き出し、見てみて」
ロレンツォは私を抱き寄せ、そのままキスをした。
「お前にはいつも驚かされるな」
低く笑う。
「早く見たくなった」
それでも彼の視線は何度も出口へ向いていた。ビアンカを追いかけたくて仕方ないのだ。
私は胸の奥で静かに笑う。
「気になるなら、行ってきたら?」
彼は身体を離して私を見ると、露骨なほど安堵した表情を浮かべた。
そして、ネックレスのケースを手にしたまま、急ぐように去っていく。
数分後。
私は母が用意した車へ乗り込み、そのまま夜の街へ走り出した。
窓の外に、黒いベントレーが横切っていくのが見える。
ロレンツォの車だった。
私はそれが見えなくなるまで、黙って見送った。
さようなら、ロレンツォ。
今度こそ、本当に終わりよ。