彼が私のビザ申請書類を抜き取った夜、私は別れる決意をした

Đang tải thông tin quảng bá...

彼が私のビザ申請書類を抜き取った夜、私は別れる決意をした

GoodNovel Hoàn thành

実家が没落して奥山家に居候するようになってから、奥山蒼真(おくやま そうま)は一度も私・栗原凪(くりはら なぎ)をまともに見ようとはしな...

Chương (1)

第1章

実家が没落して奥山家に居候するようになってから、奥山蒼真(おくやま そうま)は一度も私・栗原凪(くりはら なぎ)をまともに見ようとはしなかった。 だが、留学申請の前日、蒼真は珍しく私の代わりに必要な書類をまとめてくれた。 別れを惜しんで目を赤くした私は、準備を終えると、お礼を言おうと蒼真の書斎のドアを開けた。 すると、中にいた蒼真は足を組みながら、電話の向こう側の相手に笑いかけていた。 「安心しろ。あいつの大事な書類を2つ、わざと入れなかったから。 確実に落ちるはず。そうすれば、お前の枠が空くからな」 入り口で立ち尽くす私と蒼真の視線が合う。 蒼真は面倒くさそうに電話を切った。 「盗み聞きか? お前の英語じゃ、行っても恥をかくだけだろ? だから、梨花(りか)に枠を譲れ。あいつが行った方がいいんだから」 大雨の中で私の手を取って「怖がらなくていい。俺が一生養ってやるから」とまで、言ってくれた人なのに、今では私の未来の邪魔をしてくる。 その日、私は涙を拭った。 徹夜で足りない書類を補い、夜が明けると、始発の電車で大使館へ向かった。 第1話 実家が没落して奥山家に居候するようになってから、奥山蒼真(おくやま そうま)は一度も私・栗原凪(くりはら なぎ)をまともに見ようとはしなかった。 だが、留学申請の前日、蒼真は珍しく私の代わりに必要な書類をまとめてくれた。 別れを惜しんで目を赤くした私は、準備を終えると、お礼を言おうと蒼真の書斎のドアを開けた。 すると、中にいた蒼真は足を組みながら、電話の向こう側の相手に笑いかけていた。 「安心しろ。あいつの大事な書類を2つ、わざと入れなかったから。 確実に落ちるはず。そうすれば、お前の枠が空くからな」 入り口で立ち尽くす私と蒼真の視線が合う。 蒼真は面倒くさそうに電話を切った。 「盗み聞きか? お前の英語じゃ、行っても恥をかくだけだろ? だから、梨花に枠を譲れ。あいつが行った方がいいんだから」 大雨の中で私の手を取って「怖がらなくていい。俺が一生養ってやるから」とまで、言ってくれた人なのに、今では私の未来の邪魔をしてくる。 その日、私は涙を拭った。 徹夜で足りない書類を補い、夜が明けると、始発の電車で大使館へ向かった。 …… 「朝早くからどこへ行ってたの?」 帰ってきてドアを開けると、井上梨花(いのうえ りか)が私のベッドの上で胡坐をかき、私のアルバムをめくっていた。 シルクのパジャマを着て、髪を下ろした姿は、まるでここが自分の家だと言わんばかりだ。 視線を梨花の左手首に落とした瞬間、私は体が凍りついた。 上質なヒスイのブレスレットが、部屋の電気に照らされ、透き通るような緑色の光を放っている。 それは母のものだった。 「ねえ、手首にしてるそれ、どこから持ってきたの?」 「蒼真くんがくれたの」梨花が手首を見つめて、無邪気に笑う。「あなたが全然使ってないからって。引き出しに入れたままじゃ輝きも鈍るし、ヒスイは身に着けてこそのものだって、知らないの?」 「それ、母の形見なんだけど」 「知ってるよ?」梨花は灯りの下で腕を動かし、まるで口紅の色でも品定めするように言った。「でも、アクセサリーっていうのは、似合う人がつけた方がいいでしょ?」 こめかみが激しく脈打つ。 私は梨花に駆け寄り、彼女の手首を強く掴んだ。「返して」 「何するのよ!痛いっ――」 梨花が悲鳴を上げて、後ずさった。 すると、廊下の奥から足音が近づいてくる。 部屋の前に現れた蒼真は、室内を見回し、私が掴んでいる梨花の手首に視線を止めた。 「手を離せ」 その言葉に「誰」という主語は無かったが、それが誰への命令かは明確だ。 「梨花が私の母のブレスレットを持ってたから」 「俺がやったんだ」 蒼真は歩み寄ってくると、私の指を一本ずつ強引に剥がしていく。まるで、価値のない何かを取り外すように。 そして梨花の手首を握り、確認し始めた。 「痛むか?」 すると、梨花は首を横に振り、目を潤ませる。「私が悪いの……凪がそんなに大切にしてるなんて、知らなかったから」 「お前は悪くない」蒼真は梨花から手を放し、私を冷ややかに見据えた。「何をそんなに騒ぐことがある?ブレスレット一つで大げさな奴だな」 「母が残してくれた唯一の形見なの!」 「お前の母親はもう死んだんだ」 その一言を言った蒼真は、とても冷静だった。 「お前が持っていても無駄になるだけなんだ。欲しがってる梨花にやって何が悪い?」 梨花はここぞとばかりに鼻をすすり、か細い声を出す。「やっぱり……凪に返すよ。本当に――」 「返す必要はない」蒼真は梨花の肩を抱き寄せ、彼女の言葉を遮った。「梨花、お前は先に部屋へ戻って休んでろ」 梨花が私の横を通り過ぎる際、私にだけ聞こえる声で呟いた。 「母親の形見すら守れないのね」 ドアが閉まった。 蒼真は机に寄りかかると、スマホの画面を私へ向ける。 それは玄関の防犯カメラの静止画だった。 時間は6時7分。 「大使館に行ってたんだな」 「うん」 「梨花に譲れと言ったはずだよな?俺の話の意味が分からなかったのか?」 「あなたが言ったからって、その枠が誰かのものになるなんてことはないの。大使館だって、ちゃんと書類を審査するんだから」 「梨花のよりお前の資料の方がよくできているとでも?」蒼真が鼻で笑う。「梨花の経歴も推薦状も、どれもお前が敵うものか?だから、お前がその枠を取ることは、梨花の邪魔をしているのと同じなんだよ」 第2話 「自分で稼いだお金で申請してるから」 「自分で稼いだって?」蒼真は冗談でも聞いたかのように笑った。「お前の父親の会社が倒産する前、自分がどんなだったか忘れたのか?うちが拾ってやらなきゃ、大学にだって通えてなかったはずだよな?」 「だから、私の許可もなしに書類を2通も抜いたの?」 蒼真の表情が一瞬凍りついた。 しかし、それは後ろめたさからきたものではなく、驚きのようだった。私が気づくとは、いや……気づいたとしても対応するとは、思ってもいなかったのだろう。 「どれくらい聞いた?」 「全部」 部屋が一気に静まり返る。 蒼真は踵を返し部屋を出て行った。入り口で一度足を止めたが、振り返ることはなかった。 「ビザが下りるかなんてまだわからないんだから、喜ぶのは早いぞ」 ベッドの上のアルバムは、私の10歳の誕生日のページで開かれたまま。 そして、梨花はそのページを一枚引き裂いて持って行った。 その写真は、蒼真が私の手を引く姿が写っていたものだった。 …… 「本気で荷物まとめてるの?」 翌日の昼、また梨花がやってきた。 ドアの枠にもたれかかり、キャリーケースに服を詰め込む私を見下ろす梨花。口元の笑みはいつも通り、完璧に作り込まれたものだった。 「あなたに関係ある?」 「そんなつんけんしないでよ。私は心からあなたのことを心配してるんだから。言葉が通じない国での生活は本当に辛いんだよ。だから、蒼真くんも、あなたに合わないんじゃないかと思って――」 「だからわざと大事な書類を抜いたってわけ?」 梨花はまばたきを一つして、何も答えず棚から青い表紙のノートを取り出し、めくり始めた。 一気に頭に血が上る。 それは私の日記だ。 「それを置いて」 「あなた、昔はこんなに字が下手だったんだね」梨花がページをめくりながら声に出す。「今日、蒼真が傘に入れてくれた。彼も私のこと――」 私は日記をひったくった。 すると、後半のページに端が折られた跡があることに気づいた。 空白の部分には、鉛筆で何やら文字が書き込まれている。 しかし、これは私の筆跡ではない。 2月14日のページには「重要」、7月のページには「使える」と書かれ、横にはチェックマークもあった。 「ねえ……私の日記に書き込みをしてたの?」 「凪、なんで蒼真くんがあなたのことを、毛嫌いするようになったか、まだ分かってないの?」 梨花が椅子に座り、その顔からはさっきまでの笑みが消える。 「『面倒くさい』『重い』『自信がない』――そんなレッテルがどうしてあなたに貼られるようになったのか……考えたことがある?」 私は指の関節が白くなるほど、日記を強く握りしめた。 「私の日記の書き込みを、蒼真に見せていたのね……」 「だって、すごくよく書けていたんだもの」梨花が立ち上がり、ゆっくりとスカートを払った。 「蒼真くんは感情的な女が一番嫌いでしょ?でも、あなたはそれを全部紙に書いてくれた。だから、何ヶ所か選んで蒼真くんに見せたら、彼はあなたを面倒で品のない、面倒くさい女だと思ってくれたってわけ。 彼がなんであなたを避けるのか、なぜ恥ずかしい人だって言うのか……分かってくれた?」 「梨花……」 「被害者ぶらないでくれる?」 梨花が一歩踏み出してきて、息がかかるほどの距離で私に低く告げた。 「この家に来た日から、あなたは勘違いしてたの。所詮あなたは居候の厄介者。正式に認められた婚約者なんかじゃない。この家に、あなたの居場所なんて最初からないんだから。ビザも……手に入れられるのは私だけ。あなたには絶対渡らない」 その時、廊下から蒼真の足音が近づいてきた。 梨花の表情が一瞬で切り替わる。口元が下がり、瞳が潤み、か弱げに俯いた。 「蒼真くん……」梨花が今にも泣きそうな表情で蒼真に駆け寄った。「凪に……この家にいる資格がないって言われたの……」 まるで知らない他人のように私を見つめる、蒼真の冷ややかな眼差し。 「今度は何だ?」 「梨花が私に何を言ったのか、彼女に聞い――」 「もういい」蒼真は梨花の肩を抱き、きつい口調で私を遮った。「梨花は母親がいないんだ。もう少し考えてやれないのか?」 「彼女にもう一度言わ……」 「もういいって言っただろ」 梨花は蒼真の腕の中で震え、見事な芝居を続けている。 そして、蒼真の胸に顔を寄せたまま私を振り返り、唇を動かした。 声は出さずに、無言のまま。 [あなたの負け] 第3話 私が彼らに背を向けて荷造りを再開したとき、ポケットの中でスマホが震えた。 なんとなくSNSを開いて、梨花の名前を入力する。 画面には、フォロワー数83万のアカウントが表示された。 最新の投稿は1時間前。昨日の昼間、私が梨花の手首を掴んだ時の防犯カメラの映像が貼られていた。梨花の顔にはボカシが入っているのに、私の顔はそのまま晒されている。 【また凪に叩かれた。でも、怖くて蒼真くんには言えない】 コメント欄は罵詈雑言の嵐。 【警察に行ったほうがいいよ!】 【この凪ってやつ、何なの?】 【身元も住所も晒しちゃって!】 そのまま下へスクロールしていく。3か月前、半年……そして、1年前。 そのどれもが、完璧に被害者を演じきっていた。 そして、最初から最後までボカシ一つ入れられていない悪役は私。 一番「いいね」がついているコメントにはこうあった。 【こんな人間は、その家からすぐに追い出されるべき】 いいねの数は6300件。 …… 「もしもし、栗原さんでしょうか?」 3日目の朝、リビングで洗濯物を畳んでいると電話が鳴った。 電話の主は、留学プログラムの審査担当。 「スクリーンショットや動画が添付されており、栗原さんによるいじめが、匿名で通報されています。事実確認をさせていただきたくご連絡いたしました」 「通報ですか?」 「監視カメラの映像で、ある女性の手首を強く掴んでいる様子が確認されました。また、SNSに投稿された、栗原さんからの暴言や脅迫を受けたと主張する書き込みも多数送られてきています。事実であればプログラムの参加資格を再審査せざるを得ません」 危うく、スマホを手から落としそうになる。 電話を切って梨花を探すと、庭で花に水をやっていた。 「私を通報したの?」 「何のこと?」梨花は水やり用のじょうろを持ったまま、まぶしい笑顔で答えた。「通報って何?」 「あなたのアカウント。83万人のフォロワーがいるアカウントで、私に嫌がらせをされているって書いているでしょ。その画像が送られたせいで、留学プログラムの審査に引っかかったの」 「それはフォロワーが勝手にやったことじゃないの?」梨花は瞬きをひとつする。「私にはどうすることもできないから。まさか、私がやらせたって思ってる?凪、考えすぎ」 「じゃあ、あの動画を消して」 「動画って?」 「防犯カメラの映像の前後を切り取った、あの動画」 じょうろを置いた梨花が、ハンカチで指先を拭う。 「凪、あれは私の正直な気持ちを発信しただけ。それに、あなたが手首を掴んだのは事実でしょ?私が傷ついた経験をみんなと共有して、何が悪いの?」 「それを『共有』だって?私の顔を隠さずに載せて?あなたのフォロワーにカミソリを送りつけられたことだってあるんだけど?!」 「大げさだよ……蒼真くん!」 梨花の声が突然、大きくなった。 部屋から出てきた蒼真が、鋭い視線を私たちに向ける。 「ネット上で私が凪を苦しめているって言うの」梨花は蒼真の陰に隠れる。「私、ただ自分の日常を投稿しているだけなのに……まさかあんな通報をする人が出てくるなんて……」 「ある人が梨花の編集した動画を、留学プログラムの審査担当に送ったの」私はスマホを差し出す。「そのせいで、留学資格を再審査すると言われた」 蒼真は画面を一瞥しただけで、スマホを私の方へ押し返した。 「再審査してもらえばいい。やましいことがないなら、何も心配することはないんだから。違うか?」 「動画は最初と最後が切り取られていて――」 「凪」蒼真が私の言葉を遮った。それは、苛立ちを通り越したような、冷淡な口調だった。「お前は梨花と揉めるたびに、全部梨花が悪いと言い張るけど、自分に問題があると考えたことはないのか?」 「防犯カメラの映像を全て確認してくれたら――」 「忙しい」 たった一言。 梨花が蒼真の肩越しに、口角を上げ冷ややかに笑う。 またスマホが震えた。匿名からのメール。【その家から消えろ。梨花ちゃんを傷つけるな】 その下には私の証明写真が添付されていた。 部屋へ上がると、廊下に段ボールがいくつも放置されていた。 私の荷物だった。 私の持ち物がゲストルームのドアの外に置かれている。クローゼットにあった、両親の思い出の品を入れた箱まで一緒に…… しかもその箱は開けられ、中に入っていた写真は廊下に散らばっていた。 部屋から梨花がひょっこりと顔を出す。 第4話 「ごめんね、凪。蒼真くんが、あなたの部屋を私のウォークインクローゼットにするって言って。あなたの荷物はまとめておいたし、シワになったら困ると思って、カバーもかけておいたよ。あ、別に感謝なんかしなくていいからね」 私は床にかがみこんで、一枚ずつ拾い集める。 そのうちの一枚は踏まれていた。 父の顔の上についた靴の跡。 遊園地の前で父が私を抱き上げてくれている、最後の家族写真。 「あなたが踏んだこの写真、父と撮った最後の一枚なの」 梨花は首をかしげた。「私、踏んでなんかないよ?荷物を運ぶ時にたまたま……」 すると、階下から蒼真の声が聞こえた。 「凪、片付けが終わったならゲストルームに移れ。廊下でぼさっとしてるな」 …… 【栗原様。ビザ申請が承認されました。3営業日以内にパスポートを受け取りに来てください】 深夜2時、リビングのソファでメールの通知音に目を覚ます。 画面の光がまぶしい。 「Approved」の文字を三度読み返して、夢じゃないことを確かめた。 起きて散らばった書類を確認し、必要なものだけをバッグに詰め込む。 ポケットの踏まれた例の家族写真を取り出し、丁寧に折ってパスポートケースに挟んだ。 大切なものが入った箱の底から、外に散らばらなかった最後の一枚を見つける。 それは10歳の頃、大雨の日の写真。学校の前から家まで、蒼真が私の手を引いて走ってくれた。制服はずぶ濡れだったが、彼は振り向いて笑っていた。その瞬間を収めたもの。 長いこと見つめてから、書斎の机に置く。 蒼真へ残そう。 そして、もう存在しない、あの蒼真へのさよならでもある。 深夜4時、スーツケースを引いて梨花の部屋の前を通ると、半開きのドアから電話をする声が漏れてきた。 「安心して。凪のビザなんか絶対通らないって、蒼真くんもそう言ってたから。重要な書類が足りないから、大使館が落とすはずだって」 そう言って、彼女は甘く、そして静かに笑う。 「不許可の通知が来れば、あの枠は当然私たちのものよ。決まったら美味しいものをご馳走するね」 ドアの前で、私は最後まで聞いた。 ノックもせず、声も出さずに。 スーツケースを持って階下へ降り、玄関を静かに閉める。 まだ薄暗い中、街灯の光が地面をぼんやりと照らし、空気は冷たく澄んでいた。 始発の電車に乗り込むと、車両には私一人だけ。 スマホには百件以上の未読通知。そのほとんどが、梨花のアカウントに煽られ、私を誹謗中傷するものだった。 ボタンを長押しして、電源を切る。 空港で搭乗券を受け取り、検査場へ並んだ。 そして、スマホからSIMカードを抜き、通路のゴミ箱に捨てる。 リュックをベルトコンベアに乗せた時、背後で誰かが叫んだ。 「凪!」 人混みを通り抜けて聞こえたその声に、心臓が大きく跳ねる。 私は振り向いた。 検査場の向こうに蒼真が立っていた。髪は乱れ、コートの袖を片方通し忘れたまま。どうやら、ベッドから飛び起きて、そのまま車で駆けつけたようだ。 彼はフェンスを叩きながら叫ぶ。「おい、待て!」 スタッフが蒼真を押しとどめた。 すると、蒼真はスマホを取り出して私に電話をかけた。しかし、耳に当て、数秒すると、ゆっくりと下ろすのが見えた。 繋がらなかったのだ。 フェンス越しに、蒼真がじっとこちらを見ている。 その表情は怒りでも焦燥でもなく、手の中から何かがこぼれ落ちていくのを、初めて自覚したような、呆然としたものだった。 私は係員に促され、前へと進む。その後も、蒼真は何か言っているようだったが、ガラス越しの私にはもう何も聞こえない。 ただ、私の名前を何度も繰り返し呼んでいることは、口の動きから分かった。 私は彼に背を向け、搭乗ゲートへ歩き出す。 搭乗ゲートまでは道が長く続いていた。 だが、振り返ることはしない。 飛行機に乗り込み、座席を見つけてシートベルトを締めた時、ふと上着の裏ポケットにある封筒に手が触れた。 母の字が書かれているもの。 奥山家へ移った日から持ち歩いていたけれど、ずっと封を切らずにいた。 表書きにはこうあった。【凪が大人になったら読んでね】 封を切る手が震える。 薄い便箋に、母の文字が一字ずつ、私が読み落とさないようにと丁寧につづられている。 【凪、お父さんの会社が倒産したのには理由がある。実は、罠を仕組まれて、全ての株を奪われてしまったからなの。 その男の娘に、凪ももう会っているはず。 その名前は、『井上梨花』】