私の子を愛人に渡す気?子を堕ろして全て捨てる

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私の子を愛人に渡す気?子を堕ろして全て捨てる

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元婚約者・進藤律(しんどう りつ)に7年も尽くしたけれど、結局彼は私の義理の妹が大好きだった。彼は婚約を破棄させるために、私の顔でだらし...

Chương (1)

第1章

元婚約者・進藤律(しんどう りつ)に7年も尽くしたけれど、結局彼は私の義理の妹が大好きだった。彼は婚約を破棄させるために、私の顔でだらしない写真を合成して、それを街中にばら撒いた。 運転中にそのことを知った母は、動揺のあまり事故を起こしてしまった。 絶望の淵にいた私を救ってくれたのは、幼なじみの清原朔(きよはら さく)だった。彼は取り乱す私の代わりに、必死で医師を手配し、母のそばで一晩中付き添ってくれた。 それでも1週間後、母は息を引き取ってしまった。 第1話 元婚約者・進藤律(しんどう りつ)に7年も尽くしたけれど、結局彼は私の義理の妹が大好きだった。彼は婚約を破棄させるために、私の顔でだらしない写真を合成して、それを街中にばら撒いた。 運転中にそのことを知った母は、動揺のあまり事故を起こしてしまった。 絶望の淵にいた私を救ってくれたのは、幼なじみの清原朔(きよはら さく)だった。彼は取り乱す私の代わりに、必死で医師を手配し、母のそばで一晩中付き添ってくれた。 それでも1週間後、母は息を引き取ってしまった。 葬儀の後、朔は指輪を差し出して私に言った。「これからは俺が一生、お前のそばにいる」と。私は感動し、彼の想いを受け入れた。 あれから3年。私たちは誰もが羨む仲睦まじい夫婦として知られ、私・清原暮葉(きよはら くれは)は、朔との子供を授かっていた。そんなある日、検診帰りの私は、朔と私の元婚約者の律が病院で言い争っているのを目撃した。 「進藤、どうして晴香に会わせてくれないんだ! お前、忘れたのか?晴香が心臓病を患ったとき、俺が暮葉のお母さんを事故と見せかけて殺し、密かにその心臓を晴香に移植したおかげで彼女が生きてるんだろ? 俺はお前と晴香が暮葉に邪魔されないように、自分の幸せを犠牲にして彼女と結婚したんだぞ!」 彼はそう怒鳴りつけると、拳を振り上げた。 律は痛みにたじろぎながらも、引こうとはしなかった。「清原、お前は本当にイカれてる。晴香のために暮葉のお母さんを殺すなんてな、どうかしてるよ! でもな、晴香は今俺の妻なんだ。風邪を引いたなら俺が面倒を見る。お前が口出しできることじゃない!」 二人は揉み合い、すぐそこにいる私に気づかなかった。私は心の中が少しずつ凍りついていくのを感じた。 何かの間違いだと思いたかった。どうしてこんなことになったのか理解ができなかった。 頭の中が真っ白になり、奈落の底へ突き落とされたような激しいめまいに襲われた。 頭の中で、過去の出来事が走馬灯のように駆け巡った。朔がずっと、私に隠れて義理の妹・進藤晴香(しんどう はるか)に想いを寄せていた証拠はなかったのか、私は懸命に記憶を探った。 しかし今思えば、いろんなことの辻褄が合った。たとえば、晴香の誕生日になると、朔はどんなに忙しくても私を連れて彼女の誕生会に行き、心を込めたプレゼントを贈っていた。 彼女の具合が悪いと聞けば私よりも動揺し、時には私を置いて彼女の元へ駆けつけた。 彼が黒髪で、白ワンピの女が好みだと言い出したから、私はずっと髪も伸ばし、白の服を着続けた。それは最初から晴香の清純なイメージを追い求めただけだったのに。 私は彼を深く愛していたから、そのすべての振る舞いを、彼なりの優しさだと勘違いしていた。 結局、私と彼の婚姻はただの芝居に過ぎなかったのだ! 母のあの事故すら、彼が仕組んだことだなんて! 母が眠る病室に一晩中付き添ってくれたあの夜も、本当は私の母から心臓を取り出す準備のためだった! 私との結婚だって、結局は彼の最愛の相手、晴香の幸せを私が邪魔できないようにするためだった! 幼なじみとして一緒に育ち、3年もの間夫婦として隣で眠り、そして今、お腹に彼の子供がいるというのに。 彼を心から頼りにしていたのに、その信頼は無残にも打ち砕かれた。何より滑稽なのは、彼がいつから晴香を愛していたのか、私は最後の最後まで何ひとつ気づいていなかったことだ。 心が張り裂けそうなほど痛んだ。全身の血が凍りついたように冷え、震えが止まらなかった。 こんな男、私の子供の父親にふさわしくない。 どれほどの時間が経ったのだろう。私は涙を拭い、ふらつく足取りで産婦人科へと引き返した。 「先生、この赤ちゃんを諦めます」 医師は驚きのあまり息をのんだ。私がお腹の中の赤ちゃんをどれだれ大切にしてきたか、知っているからだ。 医師は懸命に止めてくれようとしたが、私の決意は揺らがなかった。最後には医師も諦めたように息をつき、手術の準備が始まった。 手術を終えたときには、全身の力が抜け落ちていた。顔色は青ざめ、身体が引き裂かれるように痛んだ。 入院を勧められたが、歯を食いしばって手続きをし、その日のうちに退院した。 雑貨屋で大きなギフトボックスを買うと、そこに血まみれの胎児を収めた。 そして妊娠しているように見せるため、服の下に偽のお腹を入れた。 深夜、泥酔した朔が帰ってきた。 彼はいつものように私を抱き寄せ、何度も額に口づけをした。 「暮葉、愛してる。本当に愛してるよ」 そう言って彼は私の腹部に耳を当て、子供の心音を探ろうとした。 酔っているせいなのか、それとも元々関心がないのか、作り物のお腹にまったく気づいていない様子だった。 私はそっと彼から離れ、静かに聞いた。「何かあったの?随分と飲んでいるようだけど」 頬を上気させた彼が、とろんとした目を見せた。「嬉しいことがあったからさ」 嬉しい、だと。私は引きつった笑みを浮かべた。「悲しい」の間違いでしょ。 愛している晴香は他人の妻、風邪を引いている彼女を看病する資格すら自分にないのだから。 彼は私の様子に気づかず、優しい手つきで私の膨らんだ腹を撫でた。「暮葉、お前にも子供にも、最高のとびっきりのサプライズを準備してるからな」 私は無理やり笑みを作り、今にも涙がこぼれそうな瞳で彼を見上げた。 「そう。ちょうど私もあなたに最高のサプライズを準備しているわ」 言い終えると、私は死んだ胎児が入ったギフトボックスを、彼の目の前に差し出した。 第2話 朔が手渡された箱を開けようとしたのを見て、私は声を上げて止めた。 「子供が生まれた時に開けて。サプライズの意味がなくなっちゃうでしょ?」 彼は一瞬きょとんとしたが、特に深くは考えず、大人しく寝室にある引き出しに箱をしまった。妻の頼みであればどんなことでも聞き入れるような様子だった。 それから、朔はネクタイを外し、スーツを脱いでバスルームへと向かった。 酔っ払っていたせいだろう。普段は肌身離さず持っているスマホを机の上に置いたままにしていた。 私はスマホを手に取り、晴香の誕生日を入力してみた。案の定、いとも簡単にロックが解除された。 画面を開くと、真っ先に飛び込んできたのは晴香の写真だった。 壁紙を彼女の写真に設定していたなんて。スマホを見るたびに見せるあの柔らかな表情の理由は、これだったのか。 アルバムを開くと、数千枚もの晴香の写真があった。 笑う顔、黙り込む顔、いろんな晴香の姿がカメラに収められていた。 続けてメモ帳を開くと、彼女の好みがびっしりと書き込まれていた。 【晴香は甲殻類アレルギー。海鮮料理はNG。 晴香は甘いものが好き。食べさせれば機嫌が良くなる。 一番好きな色は白、赤は嫌い。辛いものは避けて、できるだけ甘いものを……】 さらに朔のSNSの鍵アカも見つかった。そこには毎日、晴香への想いが綴られていた。 【晴香。君をいつもこっそり見ている。でも、振り向いてくれることなんて期待してない。 晴香。今年の誕生日も、君の幸せだけを祈っているよ。 一生、一番愛する人と結ばれないのなら。君が幸せになるのを見届けるだけで十分だ】 そして、母が亡くなったタイミングの投稿を見つけた。 【晴香に移植できる心臓がどこにもない。やっと見つけたのに、暮葉のお母さんのものだなんて。どうすればいいんだ。 最低なのはわかってる。でも晴香は俺のすべてなんだ。もし彼女がいなくなったら、俺には耐えられない。 晴香より大事なものはない。ひき逃げのドライバーも医師も手配済みだ。もう引き返せない。暮葉、お前への罪は、来世で必ず償うよ】 母から心臓を奪う計画が、緻密に綴られていた。読むだけで呼吸が止まりそうなほどの苦しみに襲われた。 朔。人の心を踏みにじった報いは、命で償っても足りないんだから! 翌朝に目を覚ますと、朔はもう出かけていた。 朝食まで用意され、優しい文面のメモも置いてあった。 【暮葉。起きたらちゃんと朝ごはん食べて。大事な商談があるから、帰りは遅くなる】 私は真顔で朝食をゴミ箱に捨て、メモを破った。 帰りが遅くなるなんてどうでもいい。私には他にやるべきことがあるのだ。 まず、弁護士に電話をして離婚届の準備を頼んだ。 次に、ビザを申請し、出国の準備を進めた。 朔はかつて飛行機事故に遭ったことがあり、それ以来飛行機に強い恐怖心を抱いていた。 だから私ができるだけ遠くの国に行けば、もう二度と会うこともないだろう。 ただし、パスポートはまだ実家に置いたままだった。一度取りに行かなければならない。 実家の前に立った時、懐かしさと寂しさが入り混じった。 思い出の中の父・白川宗一(しらかわ そういち)と母は、仲睦まじい夫婦だった。 でも父は晴香の母親と出会い、不倫をしてしまった。 憑りつかれたようにあの女と結婚したがったのだ。 離婚届にサインした母は毎日泣き崩れた。親権争いにも敗れた母は私と離れ離れになり、一人で田舎に引っ越した後病気で苦しんだ。 その上、私は新しい家で晴香に長年いじめられ続けてきた。 私のほうが父の実の娘なのに、父は晴香親子をひいきしていた。 晴香は父の寵愛を盾にして、私に狭い部屋で寝泊まりさせ、大好きだったペットの犬を取り上げ、大学推薦のチャンスまで奪った。何もかも、奪われたままの人生だった。 ずっと、晴香のことが大嫌いだった。 それなのに。私の周りの男たちは、みんな晴香に夢中なのだ! チャイムを鳴らそうとした時、背後で馴染みのある声がした。 振り向くと、なんと車から降りた朔が晴香をお姫様抱っこしていた! 第3話 朔と目が合い、胸が引き裂かれるように痛んだ。「今日、仕事で商談があるんじゃなかったの?」 彼もここで私に会うとは思っていなかったようで、慌てふためいて言い訳をした。「暮葉、誤解だよ。今日ちょうど晴香が退院したんだけど、進藤は出張中だからさ。彼女を一人にするわけにもいかないし、迎えに行っただけだ」 晴香は彼の胸元で口角を上げた。「ええ。律に用事がなければ、朔さんをこんな風に呼び出したりしないわ。 でも、朔さんってば本当に優しいのね。電話を一本入れただけで、15分も経たないうちに病院まで駆けつけてくれたんだもの」 15分?私は思わず眉をひそめた。朔の会社から病院までは、少なくとも30分はかかるはずだ。最愛の人を迎えにいけるなら、そんなにも必死になれるのか。 家に入ると、父と義母は当然のように晴香をいたわり、甲斐甲斐しく世話を焼き始めた。 しかし父は、私には冷たい態度しかとらなかった。 「お前はどうした、手ぶらでやって来て!晴香が風邪で退院したばかりだと知っているだろうに、退院祝いの品ひとつも買わんのか!」 私はその叱りを気にも留めなかった。母が亡くなってから、この人はもう私の家族ではないのだ。 私は父の言葉を聞き流し、自分の部屋へ行ってパスポートを取り、そのまま帰ろうとした時、父が私を呼び止めた。 「明日、俺は晴香のお母さんと旅行に行く。晴香は退院したばかりで、律さんも出張でいない。しばらく彼女はお前の家で寝泊まりする」 私は鼻で笑い、眉をひそめた。「この家は家政婦を雇ってるのよね?なぜわざわざ私の家に?妊婦の私に、彼女の世話をしてやれっていうの?」 父の表情がみるみるうちに険しくなった。私が人の前で彼に逆らうことと、晴香への態度が許せなかったのだろう。 「この生意気な娘が!少し世話を焼くだけだろうが、ぐだぐだ言いやがって。彼女はお前の妹なんだぞ。分かったか、今すぐ返事しろ!」 「妹?母は私しか産んでない。私に妹なんていない!」 私と父が喧嘩し始めたのを見て、朔が慌てて割って入った。父をなだめつつ、私にこう言った。「暮葉、落ち着いて。大事な時期なんだから、あまり怒って体調を悪くしちゃだめだ。 晴香が家に住むだけのことだよ。家政婦をもう一人増やして家事をさせればいい」 私に優しい口調で説明するのも、結局は晴香を家に住まわせるためだ。 もう言い争うのはやめた。争う気力さえ、残っていなかったのだ。 帰り際、私は「少し用事がある」と言って外に出て行き、晴香は疲れたと言って早く帰ろうと駄々をこねた。 朔は一瞬ためらっただけで、すぐに彼女を家に送り届けることを選んだ。 理由は、彼女は客人なのだから、一人で帰すわけにはいかないとのことだった。 まあいい。朔が彼女を選んだおかげで、私が言っている「用事」とは、出国の手続きであることがバレずに済むのだから。 私は一人で、ビザ申請の窓口へと向かった。 すべての書類を提出し終え、あとは結果を待つだけだ。 私は頷き、窓の外を見上げながら、少し泣きそうな気持ちになった。 あと少しで、もう二度と朔と顔を合わせなくていいのだ。 それからの日々、朔は身も心も晴香のために尽くしていた。 晴香が来て以来、朔は自分の気持ちを隠しきれなかった。 あれほど大事にしていた仕事にさえ、今は適当な言い訳を作って出社しなくなった。 家にいるのは妊娠している私のためだと言っているが、嘘であることは明らかだった。晴香の隣に少しでも長くいたいだけなのだ。 裏庭に植えてあったバラは私のお気に入りだった。けれど晴香がうっかり刺に触れて怪我をした時、彼は即座に、それらすべてを引き抜いて処分した。 そして「家政婦が間違って処分してしまったから、後日にもっといいバラを植えるよ」と私に嘘をついた。 そうやって彼が晴香を愛する様子を毎日見ていた。慎重に感情を隠しているつもりかもしれないが、その瞳に宿る愛情は火を見るよりも明らかだった。 ある日、家の階段を下りようとした時、ちょうど晴香と顔を合わせた。 彼女は私を見ると口角を上げ、通り道をふさいだ。「ねえ姉さん。あなたはずっと前から、朔さんが愛しているのは私だって気付いてたよね? だって分かりやすすぎて、私でも分かったもの」 相手にする気はなかったのだが、彼女は強引に私の腕を掴んだ。 「行かないでよ。愛してくれる人もいないから、そんなふうにひねくれた性格になったの?実はあなたにある秘密を教えてあげようと思ってたんだよ」 そう言いながら、彼女はわざとらしく私のお腹に視線を落とした。 「あなた、前にも二度妊娠したことがあったわよね。でも、どちらも流産したでしょう?体が弱いせいだと思っていたの? 実は、あなたが飲んでいた常備薬、朔さんがこっそり中絶薬にすり替えていたの。どうしてだと思う?朔さんは、あなたを愛していなかったからよ。愛していない相手との子どもなんて、欲しくなかったのね。 今回は無事だから不思議でしょ? 教えてあげる。私は子供が産めない体なの。それで朔さんに、子供がほしいってねだったの。 だからあなたの赤ちゃん、生まれてきたらすぐ、朔さんが私に渡してくれるの。 可哀想な姉さん。笑えると思わない?」 第4話 これ以上傷つくことはないと思っていた。心はとうに絶望で擦り切れ、何も感じられなくなっているはずだったけれど、晴香の言葉は想像だにしない一撃となって、私を深く打ちのめした。 晴香の笑顔を見て、私は悪寒が止まらなかった。 ついに耐えきれず、私は彼女を突き飛ばした。 しかし彼女は私の怒りを予想していたのか、ポケットに忍ばせていた血糊の袋をわざと潰すと、悲鳴を上げながら階段を転げ落ちていった。 「朔さん!助けて!」 彼女の叫び声に驚いた朔はすぐに駆けつけてきた。血溜まりの中に倒れる晴香を見るなり、彼はとうとう良き夫を演じなくなり、私を突き飛ばすと真っ先に彼女のもとへ駆け寄った。 「暮葉、頭がおかしいのか!」 彼は私に怒鳴り、震える晴香を抱えて足早に去っていった。 突き飛ばされた私は、腹をテーブルの角に激しく打ち付けた。 ふと笑いがこみ上げた。笑っているはずなのに、涙は次から次へと頬を伝い落ちていく。 朔、なんて人なの。 本当に愛している人の前での気持ちは、どんなに隠しても、結局瞳から溢れ出てしまうものね。 朔が今までの振る舞いに、これほどまでの深い愛を秘めていたことに、どうして気づけなかったんだろう。 もし、中絶をしていなかったとしても、今の衝撃でお腹の子は危なかったはずだ。 その夜、安らかに眠ることはできなかった。これで事態が収まるとは思えなかったからだ。 案の定、翌朝には朔の秘書が現れ、私を病院に連れていこうとした。 晴香が流産したのだと彼は言った。 とんでもない冗談だ。子供が産めないはずの彼女が、どうして流産するの? 病院に着くと、得意げに笑っている晴香と、彼女に優しい視線を向けている朔の姿が目に入った。すべては彼女が仕組んだ罠だと直感した。 いつものように、ただ私を貶めるためだけの芝居だ。 朔も、彼女の嘘を知りながら、喜んでこの嘘に付き合っているようだ。 程なくして、旅行中だった父と義母までもが駆けつけてきた。 部屋に入るなり、私の頬を平手で打った。 容赦のない平手打ちに、口の中に血の味が広がった。 傍らの晴香は、父と義母の姿を見るといきなり泣き叫び始めた。「お父さん、お母さん!私の子供がいなくなっちゃった! もう二度と産めないんだって!全部姉さんのせいよ。小さい頃からどんな意地悪をされても許してきたけど、今回は私の一番大事なものを奪ったの!姉さんにも同じ思いをさせるべきよ!」 この場にいる全員が知っていた。私にとって何よりも大切なのは、絵を描くための両手だということを。 つまり、二度と絵が描けなくなるようにしてと言っているのか。 危険を感じて立ち去ろうとしたが、父の方がはやく動いた。私がドアへ向かう前に、ボディーガードに扉を塞がせた。 「熱湯を持ってこい!」 逃げ場のないまま、近づいてくる男たちを見て、私は恐怖に凍りついた。 「やめて!彼女は嘘をついているのよ! 彼女は最初から妊娠なんてしてない!流産なんて自作自演よ!」 必死に叫んだが、父の目は氷のように冷え切っていた。血の繋がっていない娘のために、実の娘の手をダメにする気なのだ。 絶望の中、朔がようやく口を開いた。 しかし彼は私を冷ややかな目で見て、眉を顰めるだけだった。「暮葉は妊娠している身だ、右手だけで十分だろう」 その瞬間、私の目から希望の光が消えた。 父が私の手を力づくで熱湯に突っ込んだその瞬間、私は心の中で父との縁を断った。 「ああっ!!!」 私は血が出るほど唇を噛みしめ、ついに激痛で意識を失った。 再び目が覚めると、病室のベッドの上だった。 そして傍らから朔と医者の話し声が聞こえた。 「先生、妻のお腹の子は無事ですよね?」 医師は怪訝そうに顔を上げた。 「お腹の子ですか?それなら、ずっと前に奥さんが……」 第5話 医者が話を続けようとしたのを見て、私はとっさに声を上げた。 「朔!」 彼は私の声に反応して振り返り、医者の言葉の続きを聞き逃したようだ。 私は慌てて医者に首を横に振った。医者はただの夫婦喧嘩だと勘違いしたようで、それ以上は何も言わなかった。 医者は最後に彼に向かってこう告げた。「奥さんの火傷はひどいので、しっかりケアしてください。感染症になると大変ですから。 それに、たとえ回復したとしても、彼女の手は鉛筆一本握れないでしょう。 いやあ、残念なことです」 朔の瞳が一瞬揺れ、すぐに私を支えてベッドに寝かせると、抱き寄せて静かに慰め始めた。 「暮葉、すまない。俺がお前を守れなかったんだ。 ただ、当時の状況はお前も見てただろ。お父さんは晴香が流産したのはお前のせいだと思い込んで、ひどく怒っていたんだ。あの場で逆らうことなんてできなかったんだよ。 お前が傷つくのを見るのは、誰よりも苦しいんだ。俺が身代わりになればよかった。 安心してくれ。絵が描けなくても心配ない。俺が一生お前を支え、大切に愛すから」 愛情深い夫を演じる彼の姿を見ても、私はただ嫌悪感しか湧かなかった。 もし傷ついたのが晴香だったら、誰が相手だろうと彼は命がけで彼女を守ったはずだ。 でも、私は彼を問い詰めたりはしなかった。もうその必要がないからだ。 その後、入院中の数日間、彼は妻を溺愛する夫を完璧に演じ抜き、私に尽くしてくれた。 医者も看護師も頻繁に病室に現れ、私の体調を常に心配していた。 私の気分を良くするために、彼は大金を使って病院の廊下いっぱいにピンクのバラを飾り付けた。 食べたいものがあれば、何でも買ってきてくれて、私の口へ運んでくれた。 彼は昼夜を問わず私に付き添い、会社の仕事まで病室でこなした。 これほど完璧な夫がいることを、病院の誰もが羨むに違いなかった。 もし、私がすでに事の真相を知っていなかったら、その優しさに涙を流して感動していただろう。 彼は昔、こういった偽りの優しさで、私の心を掴んだのだから。 退院の日、彼は私のために退院祝いのパーティーを開き、多くの友人を招いた。 パーティーは実に豪華で、会場の装飾も全部私の好みに合わせていた。 会場の中央には、私と彼の仲睦まじい姿を写したツーショット写真が大きく飾られていた。 写真の中の彼は、最愛の人へ向けるような眼差しをしており、私の瞳にもまた、偽りのない愛情が宿っていた。 この時は朔の愛を少しも疑っていなかったし、この身のすべてを捧げる覚悟さえあった。 しかし、写真の中で私を愛おしそうに見つめていた彼は、心の中では晴香のことを想っていたのだろう。 今の私には、その写真がただ滑稽で仕方がなかった。 パーティーの途中、彼はステージに立ち、大勢の前で億単位の値がつくネックレスを私に贈った。 「このネックレスには『真実の愛』という名があります。皆さんには、俺が妻である清原暮葉へ永遠の愛を誓う瞬間を見届けていただきたいと思います」 会場は盛大な拍手に包まれ、誰もがその姿に心を打たれていた。 さらに、彼は落ち着いた様子で、もう一つの大きな発表を続けた。 全員の視線の中、彼は私の手を取り、愛おしそうに笑った。 「退院を祝うだけでなく、皆さんにもう一つお知らせがあります。俺と暮葉の子供が生まれたら、清原グループの株全てを、妻の清原暮葉に譲渡します!」 第6話 周囲のみんなは羨望の眼差しを私に向け、私のことを「世界一幸せな女だ」と語り合った。 私は笑顔で祝福を受けながら、隅の方で朔が晴香のそばにかがみ込み、その足を自分の膝の上に乗せて優しく揉んでいるのを目にした。 彼の瞳には心配と、隠しきれない愛情が滲んでいた。 「もうこんなにきついドレスを着るな。ヒールも高いし、踵が真っ赤じゃないか?」 その目は愛しさで溢れており、他の人など目にも入っていないようだった。 晴香は恥ずかしそうに唇を噛み、甘えるように呟いた。「でも、この方が綺麗に見えるから」 朔は微笑み、目を細めて言った。「俺からすれば、君はどんな姿でも最高に綺麗だよ」 私は自分の身につけたきついドレスと10センチのピンヒールに視線を落とした。これら全て、彼が私のためにと言って用意したものだった。 愛があるかどうかで、これほどまでに鮮明な違いがあるなんて、どうして今まで気づかなかったのだろう。 彼は私を愛していると世間に知らせながら、裏では周囲に黙って、晴香へ愛を捧げていたのだ。 私が朔の元から去る日が近づいてきた。退院から3日後、私は一人で母の眠る墓地へ足を運んだ。 もう戻ることはないだろうから、母をここに置いていきたくなかった。 母の遺骨を携えて、海外へ移り住むのだ。 墓前に立つと、あの頃と変わらない母の穏やかな笑顔が脳裏によみがえった。 私はしゃがみ込み、墓石に寄りかかって小さく呟いた。 「母さん、会いたいよ。 もし母さんがまだ生きてたら、私はこんなに辛い思いをしなくて済んだのかな?」 母がいたあの頃に戻れたら。たとえ他の誰からも愛されていなくても、構わなかった。 もしあの時、律をおこがましく追い求めなければ、心の隙に朔が入ってくることもなかったし、母も死なずに済んだのかもしれない。 私は必死に止まらない涙を拭った。 確かに私にも非はある。けれど、より深い罪を負うべき人間は、私ではなかった。 だから、全ての責任を背負う必要はない。 母に別れを告げると、私は業者を手配して、墓石を動かしてもらった。 しかしその瞬間、私は目を疑った。納骨室の中は空だった。本来そこにあるはずの母の骨壺が、忽然と姿を消していたのだ。 母を亡くしたばかりの私は悲しみに打ちひしがれ、葬儀のことはすべて朔に任せきりだった。 嫌な予感を胸に、私はタクシーで清原グループのオフィスへ急いだ。一体何が起きているのかを確かめなければならないのだ。 元々彼を訪ねて会社に来ることが多かったため、カードキーは持っていた。私は誰にも止められることなく、社長室の前へと向かった。 まさにドアをノックしようとした時、室内から彼が友人と話す声が聞こえてきた。 「朔、晴香さんに尽くしすぎじゃないか?そこまで愛しているのか。株まで全て与えるなんて、あいつはお前の女じゃないぞ!」 朔の声は落ち着いていた。「愛しているからこそ、自分が持っている全てのものを与えてやりたいんだ」 「じゃあパーティーで公衆の面前で暮葉さんに株をやるなんて言ったのは、どういうつもりだ?」 朔は少し間を置いてから、冷たく吐き捨てた。「あんなのは全部嘘だよ。俺の財産は晴香のためにある。たとえ隣に居てやれなくても、彼女には少しも苦労をさせたくないからな」 第7話 愛する人を守りたい一心で、私を何度も欺き、踏みにじったのか。 「まったく、どこまで晴香さんのために尽くせば気が済むんだ。 彼女がちょっと体調を崩しただけでわざわざ医者を雇い、金がなければ送金し、泣けば駆けつけ、笑えばお前の方が喜ぶ。 あの時も、晴香さんを救うために暮葉さんのお母さんから心臓を奪い、遺骨まで捨てた。遺骨が残ってたら幽霊となって晴香さんに害を及ぼすことが怖かったんだろ? 暮葉さんは今も知らないだろう。ずっと大切にしていたその墓の下が、中身のない空っぽの穴だということを」 朔は眉をひそめ、窓の外を見つめた。「俺は犯した罪を認める。代償は何でも払おう。幽霊となって俺を苦しませたいなら受けて立つ。 だが、晴香には何の罪もない。彼女はか弱いから、死人の怨念なんかに耐えられるわけがないんだ」 私はドアの外で立ち尽くし、声すら出なかった。彼が放った言葉のひとつひとつが、鋭利な刃物となって私の心を切り刻んでいった。 彼に説明をしてもらう必要がなくなり、私はその場を後にした。 ビルを出ると、外は激しい雨が降っていた。彼が言った言葉が頭の中で繰り返され、私は雨の中をただ彷徨った。 母の遺骨は、もうとっくに捨てられたんだ。 きちんと葬られなかった死者は、あの世でも平和に暮らせないと言われているのに。 これまでの朔の嘘を思い返し、激しい憎しみが胸の奥から込み上げてきた。 これらの嘘は、私を絶望させるには十分すぎた。 長年連れ添った彼が私に向けた言動に、一瞬でも本当のものはあったのだろうか。 それとも、すべてが計算された嘘だったのか。 晴香が好きなら正々堂々と追い求めればいい。なぜこのような、汚い手口を選ぶのか。 彼にとって私は、晴香と一緒になるまでの踏み台でしかなかったのか! 冷え切った体が震え、雨に打たれながら家にたどり着いた時、私はすでに倒れそうになっていた。 扉を開けると、そこには先に帰宅していた朔の姿があった。 ずぶ濡れの私を見て、彼は驚いて駆け寄ってきた。 慌てて私に上着をかけ、家政婦に風呂の準備をさせる彼は、以前と変わらず優しかった。 まさに完璧な夫としての立ち振る舞いだった。 「暮葉、どうしたんだ?そんなに泣いて」 私は深く息を吸い込み、無理に笑顔を作った。 「なんでもないわ。悲しいドラマを見たら感情移入しすぎて、雨の中を歩いてみたいって思っちゃったの」 彼は私の頭を優しく撫でた。「もうすぐ子供が生まれるんだから、そんなものを見るなよ。悲しい気持ちになるだろ」 そして身をかがめ、私の腹に顔を寄せて、赤ちゃんの鼓動を聞こうとした。 しばらくして彼は首をかしげた。「おかしいな。最近、赤ちゃんの心音が聞こえない。 前はあんなに元気だったのに。お腹も頻繁に蹴っていたじゃないか」 私は静かに問いかけた。「朔、この子に生まれてきてほしい?」 彼はすぐに背筋を伸ばし、私を強く抱きしめた。「もちろんだ、当たり前だろう。 お前と俺の子供だ。俺たちの愛の結晶なんだから。 市の遊園地を買って、この子の名前をつけるつもりだ。盛大にお祝いするし、世界にこの喜ばしいことを知らせてやる」 彼はそう語り、幸せそうに私の額にキスをした。 「暮葉、愛してる。お前が産んだ子なら、命をかけて守るよ。 これからは三人で料理を作って、公園を散歩して、たくさん旅行をしよう。 想像するだけで幸せじゃないか……」 私は無表情で彼の言葉を聞き、まったく感動しなかった。 彼の口から出る言葉が、一つとして信じる価値がないことを知っていたからだ。 この男は、最初から最後まで、嘘ばっかりなのだ。 第8話 翌朝、私は朔に起こされ、「サプライズがあるから、一緒に見に行こう」と言われた。 期待はしていなかったけれど、ついていくことにした。 彼がまだこの芝居を続けたいのなら、付き合ってやるまでだ。 ある邸宅の前に到着すると、まさにこの邸宅が、私のために準備されたサプライズだったらしい。 彼は私を連れて建物内を回り、部屋の一つひとつについて熱心に説明を始めた。 「暮葉、ここには庭が二つあるんだ。将来はここに、お前が好きな薔薇をいっぱいに植えようと思う。 子供部屋も完璧だよ。青とピンクで用意したから、男の子と女の子のどちらが生まれても大丈夫だ。 それから、庭に大きな桜の木も植えたんだ。俺たちの子供が生まれたら、その木にブランコを作るつもりだ。毎年咲く桜を眺めながら、一緒に歳を重ねていこう。素敵だと思わないか?」 彼は興奮気味に未来について語り、私の表情がずっと冷たいままであることに気づいていないようだ。 帰ろうとしたその時、見覚えのある姿が現れた。 ——晴香だ。 彼女はにこやかに現れ、私を一瞥もせず、真っ先に朔に話しかけた。 「奇遇ね。私もこの家を購入しようと思っていたの。不動産会社から先に購入希望者がいると聞いていたけれど、まさかそれがお二人だったなんて。姉さん、この場所、本当にいいよね」 私はチラリと朔を見た。晴香が現れた瞬間から、彼の視線は彼女に釘付けになっていた。 晴香がこの家を気に入ったと知ると、彼女の言葉の続きを待たずに、彼はこう言った。「君が気に入ったのなら、譲るよ」 不動産会社の人は目を見開いた。「清原さん、この邸宅は億単位の物件ですよ」 朔は落ち着いた様子で言った。「構わない。億くらい、大したことじゃない」 私は思わず笑ってしまった。ああ、本当にその通りだ。彼にとって億単位の金は紙切れ同然なのだろう。 晴香を喜ばせるためなら、彼は自分のすべてを差し出すだろう。 私の笑い声を聞くと、朔は慌てたように言った。「暮葉、この物件は別に最高のところじゃないんだ。子供が生まれる前には、もっといい家を見繕っておくから。ね?」 もう、どうでもよかった。 いずれにせよ、その家には私も子供もいないのだから。 別れ際、晴香の帰る道と私たちが戻る道は別だった。しかし朔は「急用がある」と言い、晴香と一緒に車に乗って去ってしまった。私には「タクシーを呼んでくれ」とだけ言い残した。 むしろ好都合だ。目障りな彼らとは、最初から同じ空間にいたくなかった。 帰宅し、部屋でくつろいでいると、突然電話がかかってきた。 朔と晴香が事故に遭ったという、病院からの連絡だった。 私は静かに言い放った。「死んだのか?」 電話口の相手は一瞬言葉に詰まった後、こう答えた。「いいえ、命に別状はありません」 私は無言で電話を切り、ゆっくりと着替えてから、タクシーで病院へ向かった。 病院に到着すると、そこには採血を受けながら、晴香を救うために必死に血を提供している朔の姿があった。 秘書が側で彼を制止していた。「社長!進藤さんを庇ってご自身の怪我も重いはずです。これ以上血を抜くのは命に関わります!」 しかし彼は聞く耳を持たず、秘書を怒鳴りつけ、険しい表情で看護師に命令した。「やれ!晴香に必要な分だけ、全部抜き取れ!」 誰も朔に逆らえず、重傷を負っている彼の血液を抜き取るしかなかった。 必要な分の血液が抜き取られた時は、彼は力尽きて意識を失っていた。 第9話 彼が瞼を閉じる直前、その口は晴香の名前を呼んでいた。 どうしてこれほど彼女を愛しているのか、私には理解できなかった。 何年も前のあるパーティーのことをふと思い出した。私の頭上のシャンデリアが落ちてきた時、彼は迷わず命がけで私をかばった。私はその時から信じて疑わなかった。彼こそが本物の愛をくれる相手だと。 人間の愛なんて、いつ変わってもおかしくなかった。最初から偽りだった愛は、なおさら信用できないものなのだ。 朔が入院したその数日間、私は一度も見舞いに行かなかった。 退院の日、彼は朝から家にいて、私を抱きしめて謝ってきた。 「暮葉、病院に来てくれなかったのは、俺が事故で晴香をかばったから怒ってるのか?」 私が黙り込んでいるのを見て、彼は少しずつ焦り始めた。 「暮葉、俺が晴香をかばったのは、全部お前のためなんだ。 お前とお父さん、それに、晴香のお母さんとの仲が悪いのは知ってる。だから、俺が間に入れば、丸く収まるだろうと思ったんだ。お前の夫である俺が晴香を助けたと分かれば、お父さんたちもきっとお前をもっと大切にしてくれる。もっとたくさんの人間にお前を愛してほしいと思ったんだよ」 彼は真剣に語った。まるで嘘をついているのを忘れているかのように。私がまだ黙っているのを見て、彼はさらに続けた。「ごめんな、暮葉。もしお前が嫌なら、もう晴香とは会わない。お前と子供のことだけ考えて暮らしていくから」 それから、彼は本当にずっと私のそばにつきっきりだった。 そしてついに迎えた予定日、街は激しい風雨に包まれていた。 いつものようにそばにいた朔のスマホに、晴香から連絡が入った。 彼はちらりと私を見た。私に見られていないとわかると、スマホを手に別の部屋へ向かった。 相手が何を言ったのか、彼の表情が一瞬でこわばった。「怖いよな、すぐに行くから!」 電話を切ると、彼は戻ってきて私にこう言った。「暮葉、急ぎの仕事が入ってしまった。今は大事な予定日だって分かってる。でも、どうしても行かなくちゃならない。すぐ戻るから、待っていてくれるか? 何かあったらすぐに電話しろ、必ず駆けつけるから!」 そう言って、私の返事を待つこともなく、彼はあわただしく出て行った。 最初から私の返事を聞くつもりなどなかったのだろう。 彼は車を発進させ、晴香の元へ向かったのだろう。 朔が去っていくのを見送り、私はふっと口元を歪ませた。 彼は知らないだろうけれど、渡航の手続きはすでに完了していた。ビザもパスポートも手元にある。つまり、私は今日、彼から離れられるのだ。 私は起き上がり、作り物のお腹を服の下から取り出した。 可笑しいとは思わない?彼は毎日のように「愛している」と繰り返していたけれど、お腹の中の赤ちゃんがとっくにいなくなったということに、まったく気づいてもいなかった。 この家には、もう私が未練を抱くようなものは何一つ残っていなかった。そのため荷造りはあっという間に終わり、家を出るときの荷物は小さなスーツケース一つだけだった。 空港につき、電光掲示板の出発時刻を眺めながら、私は最後の一回だけ朔に電話をかけた。 すぐにコールが繋がった。 「暮葉か?どうした?もう生まれるのか? 焦らなくていい。すぐに秘書を向かわせるから」 出産の時でさえ、彼は来てくれないのだ。 私は鼻で笑った。「いいえ。ただ、この前私があなたに贈ったあのプレゼント。もう開けてみてもいいってことを、伝えたかっただけ」 中には、私たちの子供の遺体が入っている。 彼が私に嘘をついてさえいなければ、この子は元気に産まれてきていたはずなのに。 朔は声色を優しくし、甘く囁いた。「分かった。戻ったらすぐに確認するよ」 通話を終えると、私は迷わず彼の連絡先をブロックした。 外ではまだ、雨が降っているけれど、私が到着する場所ではきっと、眩いほどに晴れた空が迎えてくれるだろう。 あの箱を開けた瞬間の、朔の表情を見てみたいものだ。 きっと、最高のリアクションを見せてくれるだろうから。 残念なのは、それを私自身が見ることができないことね。 残りの人生、もう二度と会うことはないのだから。 搭乗のアナウンスが流れた。私は荷物を手に取り、振り返ることもなく搭乗ゲートに向かった。