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元カノの愛は金まみれ
俺、藤ヶ谷悠斗(ふじがや ゆうと)の彼女、神宮寺綾乃(じんぐうじ あやの)は東都でも名の知れた令嬢で、莫大な資産を持っている。 俺を試す...
Chương (1)
第1章
俺、藤ヶ谷悠斗(ふじがや ゆうと)の彼女、神宮寺綾乃(じんぐうじ あやの)は東都でも名の知れた令嬢で、莫大な資産を持っている。
俺を試すために、付き合って七年になるのに、彼女は一度も俺にプレゼントを買ってくれたことがなく、俺のために一銭たりとも金を使わなかった。
コンビニで避妊具を買うときでさえ、きっちり割り勘だった。
その後、母さんが重い病気にかかり、俺は親戚や知人から借りられるだけ借りたが、手術費にはあと4万円だけ足りなかった。
どれだけ彼女に頭を下げて頼んでも、彼女は結局、その金を貸してくれなかった。
俺は一人で母さんの後始末を終え、部屋に戻って荷物をまとめていたとき、彼女が近所に住む年下の男――加藤蒼(かとう・あおい)のために用意していたプレゼントのリストを、思いがけず見つけた。
高級別荘、ブランド物の腕時計、オーダーメイドのスーツ……
書斎のパソコン画面に、親友とのやり取りまで残っていた。
【綾乃、悠斗くんが4万円を借りるために、あなたに土下座したって聞いたけど、本当なの?】
綾乃のメッセージには、面白がるような嘲りと、どうでもよさそうな冷たさがにじんでいた。
【蒼の言う通りだわ。たかが4万円のために、あちこちで人に土下座するなんて、逆玉狙いじゃなかったら何なの。
まだ付き合ってたった七年よ。それなのに、もうこんなに必死で私から金を引き出そうとしてるなんて】
結局、七年にわたる試し行為のきっかけは、ただ近所の年下の男のひと言だったのだ。
もうどうでもいい。
どうせ母さんが亡くなったあの瞬間から、俺はもう彼女のもとを去ると決めていたのだから。
第1話
俺、藤ヶ谷悠斗(ふじがや ゆうと)の彼女、神宮寺綾乃(じんぐうじ あやの)は東都でも名の知れた令嬢で、莫大な資産を持っている。
俺を試すために、付き合って七年になるのに、彼女は一度も俺にプレゼントを買ってくれたことがなく、俺のために一銭たりとも金を使わなかった。
コンビニで避妊具を買うときでさえ、きっちり割り勘だった。
その後、母さんが重い病気にかかり、俺は親戚や知人から借りられるだけ借りたが、手術費にはあと4万円だけ足りなかった。
どれだけ彼女に頭を下げて頼んでも、彼女は結局、その金を貸してくれなかった。
俺は一人で母さんの後始末を終え、部屋に戻って荷物をまとめていたとき、彼女が近所に住む年下の男――加藤蒼(かとう・あおい)のために用意していたプレゼントのリストを、思いがけず見つけた。
高級別荘、ブランド物の腕時計、オーダーメイドのスーツ……
書斎のパソコン画面に、親友とのやり取りまで残っていた。
【綾乃、悠斗くんが4万円を借りるために、あなたに土下座したって聞いたけど、本当なの?】
綾乃のメッセージには、面白がるような嘲りと、どうでもよさそうな冷たさがにじんでいた。
【蒼の言う通りだわ。たかが4万円のために、あちこちで人に土下座するなんて、逆玉狙いじゃなかったら何なの。
まだ付き合ってたった七年よ。それなのに、もうこんなに必死で私から金を引き出そうとしてるなんて】
結局、七年にわたる試し行為のきっかけは、ただ近所の年下の男のひと言だったのだ。
もうどうでもいい。
どうせ母さんが亡くなったあの瞬間から、俺はもう彼女のもとを去ると決めていたのだから。
プレゼントのリストを元の場所に戻したところで、玄関のドアが開いた。
綾乃はほのかに酒の匂いをまとわせながら、ずかずかとこちらへ来て、俺の隣にどかっと腰を下ろした。
「何日も姿を見せなかったから、てっきり意地を張って、もう戻ってこないのかと思ってた。
やっぱり私がいないとだめで、おとなしく戻ってきたのね」
さすがに口には出さなかったが、俺がまた戻ってきたのは、自分の金を当てにしてのことだとでも思っているようだった。
あるいは最初から、俺は彼女の中では、金目当てで女に取り入る男でしかなかったのかもしれない。
俺は視線すら向けず、わずかに身を横へずらした。
伸ばされてきた彼女の腕をかわすために。
綾乃は一瞬きょとんとして、自分の手を見てから、また俺を見た。
俺があの4万円のことで、すねているだけだと思ったらしい。
「少し飲んだから、喉が渇いたの。酔い覚ましのスープでも作ってきて」
彼女はいつもそうだった。無意識のうちに、お嬢様気取りになる。
だが七年前、彼女が俺に言い寄り始めた頃は、拙い芝居で、自分を貧しい女であるかのように装っていた。
そのせいで俺は、すっかり信じ込まされていた。
「悠斗、私には何もないし、あなたに安定した未来をあげることもできない。
でも、二人で頑張って、二人でいい暮らしを手に入れよう」
あのとき、あまりにも真剣な彼女の顔を見て、俺はうなずいた。
俺は金には困っていたが、それでも自分の力でやっていくことはできた。
それでも綾乃を選んだのは、二人で頑張って、二人でいい暮らしを手に入れよう――その言葉に心を動かされたからだった。
だが、一緒にいればいるほど、彼女は普通の人間とは違うと思うようになった。
手頃な値段の品に、ふとした拍子に嫌悪をにじませることもあった。
自分でできることなのに、俺に命じてやらせることもあった。
そしてアルバイト中、彼女が高級車から降りてきて、大勢にちやほやされながら高級クラブへ入っていく姿を目にした。
そのときになってようやく、俺たちの関係は嘘だらけだったのだと完全にわかった。
しかも彼女はずっと、俺が彼女の金を狙っていると警戒していたのだ。
綾乃が再び口を開き、俺の思考を遮った。
「これからお金が欲しいなら、私に直接言えばいいじゃない。自分の母親の病気を言い訳にするなんて。罰が当たるとか思わないわけ?」
彼女の言葉が、ひどくおかしくてたまらなかった。
俺は目を上げ、冷ややかに彼女を見た。
「直接言ったら、君はくれるのか?」
綾乃は一瞬言葉に詰まり、顔に迷いがよぎった。
だが次の瞬間、何かを確信したように、あからさまに嘲るような目を向けてきた。
第2話
「蒼の言う通りね。やっぱりあなたが私のそばにいたのは、私のお金が目当てだったんだ」
そう言いながら、彼女はスマホで俺にわずか100円を送ってきた。
しかも、わざわざ送金メモまで添えていた。
そこに書かれていたのは、たった一言。
【逆玉狙い】
彼女と付き合って丸七年、俺は彼女の金を一銭だって使ったことがない。
それどころか、祝日や記念日には、俺のほうが彼女にプレゼントを用意してきた。
彼女はそれを当然のように受け取っておきながら、自分が何も用意していないことについては、男が彼女を喜ばせるためにプレゼントを買うのは当たり前でしょ、と皮肉っぽく言っていた。
そんな俺のことを、彼女はことあるごとに逆玉狙いだと決めつけていた。
それが、莫大な資産を持つ東都のお嬢様だった。
彼女が蒼のために用意したプレゼントのリストを思い出す。
病に蝕まれてやつれ果て、それでも治療費がなく、苦しみながらこの世を去った母を思い出す。
もう一秒たりとも、こんな女と向き合っていたくなかった。
俺は立ち上がって出て行こうとしたそのとき、玄関のほうでまた物音がした。
蒼は中に入ってくるなり、上着を脱ぎ始めた。
その下には、体の線をやたらと強調する、男にしては妙に色気を狙った服を着ていた。
だが俺の姿を見た途端、驚いたように目を見開き、慌てて上着を羽織り直した。
「悠斗さん、どうしてここに?」
俺は顔を綾乃へ向けた。
「俺の記憶違いじゃなければ、ここって俺たちで借りてる部屋だったよな。
それを勝手に他人に暗証番号まで教えて、好きに出入りさせてるのか?」
俺がそう言うと、蒼はとんでもない仕打ちを受けたみたいな顔をした。
そして数歩で綾乃のそばまで行き、隣に座って彼女の腕をつかんだ。
「綾乃さん、僕をまるで他人みたいに扱わないでよ。鍵を忘れちゃって、今夜だけ泊めてもらおうと思って来ただけなのに。
それに、綾乃さんが一緒に住んでくれなかったら、悠斗さんは家賃を一人で払わなきゃいけなかったんだよ。
どう考えても、得をしてたのはそっちじゃないか」
こんなふうに煽るようなことを、俺の知らないところでいったいどれだけ吹き込んでいたのか知れない。
綾乃はそれを聞いても、自分が悪いとは少しも思わなかったどころか、蒼の言うことに理があるとまで思ったらしい。
「蒼の言う通りだわ。私、自分の住む場所はちゃんとあるのに、わざわざ家賃まで負担してあげてたなんて、本当に無駄だった。
お金を出して男を囲ってるのと、何が違うの?」
そう言うと、彼女はスマホに送金用のQRコードを表示させ、それを俺の目の前へ突き出した。
「あなたも、人に逆玉狙いだなんて言われたくないでしょ。
だったら、この七年間で私が払った家賃を返して」
あの1LDKの小さなマンションは、俺と綾乃が付き合い始めた頃に借りた部屋だった。
大学を卒業したあと、少しでも多く稼ぐために、俺は東都に残って働いた。
あの頃の俺の稼ぎでは、市街地から離れた場所にある、狭苦しい部屋を借りるのがやっとだった。
そこは遠すぎて会いに来るのが不便だ、と言ったのは綾乃だった。
あんな部屋は人の住む場所じゃないし、俺といい雰囲気になっても気分が台無しになる、と言ったのも綾乃だった。
だから、もう少し広いところを一緒に借りようと言い出した。
そうして俺は、高い家賃の負担を背負いながら、通勤時間を削って浮かせた分でもう一つアルバイトを増やした。
それなのに今の彼女は、この七年間で自分が払った半分の家賃まで俺に返せと言い出した。
それどころか、金を払って俺を囲っていたようなものだとまで思っていて、損をしたとすら感じている。
「綾乃、この七年、俺を何だと思ってた?」
込み上げてきたのは屈辱と怒りだった。ただただ、自分が情けなかった。
七年もの青春を、こんな人間のために無駄にしてしまったのだから。
俺の目の前にスマホを突きつけていた彼女は、俺の沈んだ表情を見た瞬間、わずかにその手を震わせた。
彼女は唇を引き結び、その手を引っ込めた。
「ちょっとした冗談よ。せいぜい……」
彼女が最後まで言い切る前に、蒼がまた、わざとらしく舌を鳴らし、軽蔑したような顔を見せた。
第3話
「綾乃さんのお金が目当てじゃないって、さすがに無理があるんじゃない?だって綾乃さんがいなかったら、こんないい部屋に住めるわけないだろう。
綾乃さん、来月にはもう解約したほうがいいと思うな。だって、いつまでも他人にいい思いさせる必要なんてないじゃん。
それかさ、悠斗さんにちゃんと借用書書いてもらえば?そのほうがお互い安心だし、フェアでしょ」
人を殴っても罪にならないなら、こいつらに一発ずつ平手打ちを食らわせてやりたかった。
だが本当に手を出せば、こいつらは間違いなくそれを口実にして金をむしり取ろうとするだろう。
品のない金持ちほど好んでやる、下衆な遊びだった。
七年だ。俺はもう十分すぎるほど、こいつらの遊びに付き合ってきた。
もう付き合うつもりはない。
「借用書なんか書かない。金が欲しいなら、勝手に訴えればいい。裁判所が俺の負けだと判断するかどうか、見てみればいい。
この部屋にももう住まない。加藤さんがここに住むつもりなら、綾乃にちゃんと家賃を払ってくれ。
じゃないと、君も逆玉狙いだよ」
俺が立ち去ろうとしたそのとき、綾乃がいきなり俺の腕をつかんだ。
さっきまでの面白がるような表情はもう消えていて、代わりに責めるような怒りが浮かんでいた。
「悠斗、そこまで大げさにすること?私も蒼も、ただ冗談で言っただけじゃない。
よく考えなさいよ。ここを出たら、もう二度とこんなにいい部屋には住めないわよ」
俺は本当に間違っていた。どうしようもないほど、ひどく間違っていた。
綾乃が東都のお嬢様だと知ったとき、少しなだめられただけで、別れようという気持ちを引っ込めてしまったこと。
それに、俺が金目当てだと疑われるたびに、恋愛に金を持ち込むべきじゃないという彼女の言葉を、俺は何度も信じてしまった。
真冬の寒い日には、自分の腹に俺の手を押し当てて温めてくれたことも、俺が頭痛のときには温かい手で優しくさすってくれたことも、俺はずっと心に残していた。
俺たちはたしかに愛し合っていたし、甘い時間だってあった。
だが俺たちの愛は、金と少しでも結びついた瞬間に、もう成り立たなかったんだ。
「綾乃、別れよう」
別れる――その言葉が俺の口から出た途端、彼女はようやく、薄らと浮かべていた嘲るような笑みを消した。
同時に、その顔にはわずかな焦りがにじんだ。
「別れる?悠斗、あなたが私に別れを切り出すの?
認めない。あなたに私と別れる資格があるとでも思ってるの?機嫌を損ねるのもいい加減にして」
彼女はいつだって、自分を高いところに置いていた。
まるで俺と付き合ってやることが、俺への施しでもあるかのように。
だから俺も、ただ淡々と彼女を見つめ返した。
「機嫌を悪くしてるんじゃない。君はいつも、俺のことを逆玉狙いだ、自分の金を狙ってるんだって思ってるんだろ。
だったら釣り合いの取れた相手でも見つけて、対等な恋愛でもすればいい」
もうこれ以上、彼女と話すことは何ひとつなかった。俺は背を向けて寝室に戻り、そのまま荷物をまとめ続けた。
三十秒ほどしてから、ようやく彼女の怒鳴り声が聞こえた。
「悠斗、後悔しても知らないから!」
俺は彼女の捨て台詞にも、蒼を連れてドアを叩きつけるように出ていったことにも、何ひとつ反応しなかった。
泥棒扱いされるような恋を、俺は七年も続けてきた。
母さんを救えなかったことを、綾乃のせいにしたことはない。
彼女には、俺に金を貸す義務なんてたしかになかった。
けれど、俺がいちばん助けを必要としていたあのとき、借用書を書くから母さんを救ってくれとひざまずいて頼んでも、彼女は見て見ぬふりをした。それどころか、俺のことをずっと逆玉狙いだと思っていた。あのとき、俺は彼女にも、七年続いたこの関係にも、完全に見切りをつけた。
真夜中、荷物をすべて抱えたまま、人通りのない通りを歩いた。
広い東都に、俺の身を寄せる場所はどこにもなかった。同じように、ここに残る意味ももう失っていた。
母さんはもういない。恋もまた、とうに別々の道へと分かれてしまった。
残された一秒一秒も、ただ悲しみを増やすだけだった。
行くあてもない俺は、近くの病院のロビーで一晩を明かした。
そして出勤して最初にしたことは、退職願を出すことだった。
俺の退職届を受け取った上司は、目を丸くしていた。
第4話
「辞める?神宮寺社長の許可は取ったのか?
そうだ、今辞めるとなると、今月のボーナスはほとんど出ないはずだし、今後の給与は、あのカードに紐づいた口座へまとめて振り込めばいいな」
俺は眉をひそめた。入ってくる情報が多すぎて、一瞬まったく理解が追いつかなかった。
一つの口座に振り込むって、どういうことだ。
それに、俺にボーナスなんていつあった。
何より――神宮寺社長って何だ?
俺がわけもわからない顔をしていたからか、上司のほうも不思議そうな顔をした。
「君、社長と付き合ってるんじゃなかったのか?社長が特別に経理へ指示して、君の給料は分けて振り込むようにしてたんだよ。
基本給は君の口座に、ボーナスと昇給分は別のカードに紐づいた口座へ入れておけって。
社長みたいな彼女がいて、そこまで倹約してるなんて、たいしたもんだよ」
つまりこの何年ものあいだ、俺の手元に入っていたのは、入社当時の給与額だけだったということだ。
何度も昇給を求めてきたのに、仕事への努力が足りなかったからじゃなかった。
綾乃が、別のカードへ回していたからだった。
経理に給与明細の履歴を出してもらったとき、支給されるはずだったボーナスの欄には、はっきりと4万円と書かれていた。
数日前、最後の4万円をどうしても工面できず、病院への支払いが一日遅れた。
そのせいで母さんは手術を受ける前に、この世を去った。
しかも皮肉なことに、この七年間で綾乃に取り上げられていた俺のボーナスを合計すれば、母さんの治療費なんてとっくに払えていた。
俺は本当に馬鹿だった。
生活のあてを失うのが怖くて、クビにならないよう必死で働くことしか頭になかった。
そのうえ綾乃にいいように騙されていたことにすら、気づけなかった。
彼女に逆玉狙いだと思われたくなくて、彼女の金にはいっさい手をつけなかったどころか、自分が働いて得た金まで、彼女に横取りされていた。
嘘と侮辱に満ちたこの関係を、俺はそれでも七年も続けてしまった。
給与の履歴を手に、綾乃に問いただしに行こうとしたとき、当の彼女が平然と俺の前に現れた。
「悠斗、ただ少し言い合いになっただけなのに、家出して退職騒ぎまで起こすなんて。ずいぶん気が強くなったものね」
その後ろにいる蒼は、いかにも愉快でたまらないという顔をしていた。
わざとらしくこちらへ歩いてきて、こう言った。
「悠斗さんってほんと恩知らずだよね。綾乃さんのお金で生活して、綾乃さんが借りてくれた部屋にまで住んでさ。綾乃さんがいなかったら、あんた東都でやっていけたの?」
恥知らずな人間というのは、本当に顔色ひとつ変えずに平然と嘘をつけるらしい。
怒りのあまり、俺はかえって笑いそうになり、言い返そうとした。
だが、その前に綾乃が口を挟んだ。
「蒼の言う通りよ。この七年、私がいなかったら、あなたなんてとっくに野垂れ死んでたわ。
今日はあなたが勝手に拗ねているだけということにしておくよ。特別に休みにしてあげるから、黙って私と帰りなさい。
今日の分も欠勤扱いにはしないでおいてあげるわ」
綾乃の本性が見えれば見えるほど、俺は思った。
この長すぎる七年のあいだ、俺はどれだけ見る目がなかったんだろうと。
周囲の人間が、俺に向かってひそひそと何かを言い始めた。
しかも綾乃がそれを止めないとわかると、声はますます大きくなっていった。
「社長が身元を隠してたのは、藤ヶ谷さんが変に気後れしないようにって気を遣ってたからなんだよ。しかもずっと俺たちにも黙ってろって言ってたし。それだけ大事にされてたってことだろ」
「社長に金を出してもらって、住まわせてもらってるくせに、神宮寺社長にまで噛みつくとか何様なんだよ」
「逆玉を狙う気なら、まず自分にその価値があるか考えろよ。社長のところを離れたら、こいつに何が残るんだよ」
周囲であれこれ言う人間が増えるほど、綾乃はますます得意げになっていった。
蒼はなおも調子を合わせ、あることないことまで全部俺のせいにしていった。
「悠斗さん、綾乃さんに4万円をせびるために、自分の母親の命が危ないなんて嘘までついたんだよね」
第5話
「金だけはしっかり欲しがるくせに、自分は悪くないって顔までしたがるとか、さすがに厚かましすぎない?」
その一言をきっかけに、その場は一瞬で騒然となった。
その場にいた全員が軽蔑の目で俺を見て、罵声まで次々に浴びせてきた。
俺は綾乃を見たが、彼女は相変わらず何とも思っていないような顔をしていた。
むしろ、蒼が自分の気持ちを代わりに言ってくれたとでも言いたげに、妙に被害者ぶった顔までしていた。
俺は口元を引きつらせ、ひどくばかばかしい笑みを浮かべた。
何か言おうとしたそのとき、綾乃のほうがあっさり俺の腕をつかみ、わざと寛大なふりをして仲裁役を演じ始めた。
「もういいでしょ、もういい。終わったことは終わったことなんだし、私だってそんなはした金、別に惜しくないわ。
これからお金が欲しいなら、変に遠回しなことをしないで、堂々と私に言えばいいのよ。
いちいちこんなに言い訳を並べる必要なんてないでしょ」
綾乃が口を開いた途端、オフィスの空気はさらに険悪になり、誰も彼もが俺を恩知らずだと決めつけた。
「そうだよなあ、社長くらい金があるなら、欲しいなら最初から言えばいいだけだろ」
「母親をダシにして金をせびるなんて、人として終わってるよ」
「藤ヶ谷がこんなやつだったなんてな。前は節約家だと思ってたし、よく食べ物も分けてやってたのに」
「こういうやつこそ社長に捨てられて、東都で生きていけなくなればいいんだ」
前までは俺と親しくしていた同僚たちまで、ここぞとばかりに俺を叩いてきた。
それに綾乃のやってきたことを思い返すと、もう何もかも、ひどくくだらなく思えてきた。
どうせもう去るのだ。
たとえ今ここで給与の振込履歴を突きつけたところで、綾乃と蒼はまた都合のいい理屈を並べて、みんなに俺を叩かせるだけだろう。
俺は黙って給与の履歴をポケットにしまい込んだ。
そして顔を上げ、綾乃に向かって薄く笑ってみせた。
「俺たち、七年付き合ってたんだよな。だったら一度ちゃんと数えてみろよ。俺がいったい、君の金をいくら使ったのか。
もし俺のために一円でも使った金があるっていうなら、言ってみろ。言えないなら、今度は君が俺に返すべき金を返せ。
それができないなら、君もこの会社も、訴えられる覚悟くらいしておけ」
口では、金の絡まない恋愛だと何度も言っていたくせに、実際には、最初から最後まで金まみれだった。
しかも周囲には羽振りのいい東都のお嬢様と見られているその女が、実際には、俺が母さんの命をつなぐために貯めていた金を使い込んでいた。
綾乃はしばらく必死に思い返していたが、そのうち目の奥にわずかな動揺が走った。
当然だ。俺にどこで金を使ったのかなんて、思い当たるはずがない。
避妊具の代金ですら俺ときっちり割り勘にするような人間だ。
金持ちほどケチなんじゃない。単に俺には、一銭の価値すら感じていなかっただけなんだろう。
たぶん彼女はまだ何か言い訳を続けたかったのだろう。だが俺は、もう聞く気すらなかった。
背を向けて立ち去ろうとしたその瞬間、蒼がいきなり俺を突き飛ばした。
不意を突かれて体勢を崩し、俺はそのまま床に倒れ込んだ。
「悠斗さん、そうやって話逸らすのやめなよ。綾乃さんがあんたに借りなんて作るわけないじゃん。
そんな見え透いた嘘までついて、警察を呼ばれても平気なわけ?
もしあんたが捕まったら、病院にいるお母さんのこと、もうどうにもできなくなるんじゃないのか?
これ以上みっともないこと言う前に、綾乃さんにちゃんと謝ったほうがいいよ」
蒼は、まだ俺を脅せると思っていた。
だが今の俺には、もう失うものなんて何もなかった。
そのとき、ちょうど通りかかった上司が、綾乃の姿を見つけて人だかりの中へ入ってきた。
手には一枚の申請書を持っていた。
「社長、藤ヶ谷くんのお母様が亡くなられて、もう数日になります。社員向けの弔慰金ですが、まだご承認をいただいておりません。
それから、藤ヶ谷くんから出ていた4万円の給与前借り申請ですが、社長のご指示どおり、こちらで取り下げ処理をしております。
ただ……お気の毒でした。聞いたところでは、藤ヶ谷くんのお母様、あと4万円あれば手術費用が揃ったそうで……」