試す彼女、99回目で御曹司に捨てられる

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試す彼女、99回目で御曹司に捨てられる

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一ノ瀬澄佳(いちのせ すみか)は昔から、人を試すのが好きだった。 大学を出たばかりの俺に、一億の住宅ローンを背負わせようとしたのも、そ...

Chương (1)

第1章

一ノ瀬澄佳(いちのせ すみか)は昔から、人を試すのが好きだった。 大学を出たばかりの俺に、一億の住宅ローンを背負わせようとしたのも、その一つだ。 俺が断ると、澄佳はすぐに、大学時代から人気者だった藤森雅彦(ふじもり まさひこ)へ、一億を超える豪邸を一括で買い与えた。 そして豪邸の権利書を手に、俺へ告げた。 「謹也、実は私、お金に困ってなんていなかったの。貧しいふりをしていたのは、あなたを試すためよ。 でも残念ね。あなたは不合格だったよ。もう、終わりにしましょう」 俺――遠野謹也(とおの きんや)は、ただ笑って背を向けた。 奇遇だな。 俺も国内一の資産家の息子で、貧しいふりをしていただけだ。 四年後、俺たちは富豪ランキングサミットで再会した。 その時の澄佳は、富豪ランキングの五十位以内に食い込んだばかりで、雅彦と腕を組んで会場へ入ってきた。 彼女は、ブランド物に見えない地味な服を着た俺が、カイエンのキーを手にしたまま子供を抱いてあやしているのを見て、どこかの家の運転手だと決めつけたらしい。 そして、嘲るように笑った。 「謹也、私に会うためにここまで来たの?ずいぶん必死なのね。 でも、もう無理よ。私は富豪ランキングに名を連ねる側で、あなたは人に雇われる側。今さら私に手が届くと思わないで」 俺は相手にしなかった。 ただ、親父にどうしても顔を出せとうるさく言われて来たことだけが、ひたすら恨めしい。 せっかく空けた、息子と過ごすための一日が、こんな場所で潰れてしまったのだから。 第1話 一ノ瀬澄佳(いちのせ すみか)は、仕立てのいいスーツに身を包んだ藤森雅彦(ふじもり まさひこ)と腕を組み、得意げな笑みを浮かべて会場ロビーへ入ってきた。 会場脇のラウンジの前を通りかかったとき、澄佳は隅のソファに座っている俺をすぐに見つけた。 俺の名は遠野謹也(とおの きんや)。 今日は、ようやく仕事を空けて息子と過ごすはずだった一日だ。 それなのに親父から、富豪ランキングサミットに顔だけ出してこいと押しつけられた。 妻はまだ出張先から戻っていない。仕方なく、俺は息子の遠野勇太(とおの ゆうた)を連れて会場に寄り、開会後に少し顔を出したらすぐ帰るつもりで、ラウンジで時間をつぶしていた。 息子を抱いていても負担にならないよう、今日は柔らかい生地の服を選んだ。 俺はカイエンのキーを指先で転がしながら、腕の中の勇太をあやしていた。 けれど澄佳の目には、俺がただの使用人にでも見えたらしい。 地味な服を着た運転手が、雇い主の子どもまで押しつけられている――そんなふうに決めつけたのだろう。 澄佳は足早にこちらへ来ると、俺を上から下まで眺め、鼻で笑った。 「謹也。まさか今は、運転手をやっているの?そのうえ子守まで押しつけられて……ずいぶん落ちたものね。 私と別れたら、あなたって本当に何も残らない人だったのね」 彼女はわざとらしくため息をついた。 「あの時、私が与えたチャンスを無駄にしなければ、今ごろ私の隣にいたのは、あなただったかもしれないのに」 澄佳は隣に立つ雅彦の手を、これ見よがしに握りしめた。 「でも、おかげで分かったわ。私をちゃんと大事にしてくれる人は、あなたじゃなかったんだって」 雅彦は澄佳をかばうように肩を抱き、余裕ぶった笑みを浮かべた。 「今の彼を見れば、後悔しているのは明らかだろう。せっかく澄佳の隣に立てる機会を、自分から捨てたんだ。 まあ、自分で選んだ結果だ。今さら同情する気にもならないな」 雅彦は通りかかった会場スタッフを呼び止めた。 「今日は名のある方々ばかりが招かれているんだ。なぜ、こんな素性の知れない男を中に入れた? 万が一のことがあったら、君たちで責任を取れるのか。運転手か何か知らないが、早く外へ出してくれ」 俺の服は一見すると地味だが、どれもイタリアの一流職人が俺のためだけに仕立てたものだった。 この二年で親父の会社をすべて引き継いだばかりで、忙しさのあまり表に出る機会はほとんどなかった。 そのせいで、会場のスタッフも俺の顔を知らない。 彼らは服の派手さだけで判断し、雅彦の言葉を信じたのだろう。 スタッフは俺を見下ろすようにして、冷ややかに告げた。 「申し訳ございませんが、関係者以外の方はご退場ください」 俺は腰を上げず、落ち着いて口を開いた。 「俺は遠野家の代理で来ている。ここにいる資格はあるはずだ」 スタッフたちも、見た目だけでは判断できない相手がいることくらいは知っているのだろう。 一瞬だけ顔を見合わせたが、無理に俺を連れ出そうとはしなかった。 すると澄佳が、こらえきれないといった様子で笑い出した。 「何を言い出すかと思えば……あなたが富豪ランキングサミットに? 奨学金がなければ大学にも通えなかった人が、よくそんなことを言えるわね。 そこまで言うなら、招待者名簿を確認してもらえば?あなたの名前、載っているのかしら」 招待者名簿に、たしかに俺の名前はなかった。 遠野家の欄に載っているのは、まだ親父の名前だ。 今年、親父が正式に引退すれば、そこは俺の名前に変わることになっている。 俺がすぐに答えなかったのを、澄佳は言い返せないのだと受け取ったらしい。 彼女は勝ち誇ったように目を細め、スタッフたちに聞こえる声で言った。 「皆さん、ご存じないでしょう。この人、昔からこうなのよ。私が少し現実を見せただけで、すぐに逃げ出した人だから。 そのせいで、私の夫になれるかもしれなかったチャンスまで、自分で台無しにしたの。 結局、貧しい人って目先のお金しか見えないのね。どれだけ大きな機会を与えられても、その価値に気づけない。だから一生、そこから抜け出せないの」 会場入りした時間が早かったこともあり、本当に顔を出すべき大物たちは、まだほとんど到着していなかった。 先に来ていたのは、富豪ランキングで百位前後に名を連ねる者たちばかりだ。 その中に澄佳と顔見知りの者がいたらしく、彼女に調子を合わせるように笑い出した。 「それは惜しいことをしたね。一ノ瀬さんみたいに綺麗で仕事もできる女性を逃したんだ。今ごろ悔やんでいるだろうな」 「大学時代に一ノ瀬さんと四年も付き合っていたんだろう?そこまでいって逃すなんて、もったいないな」 だが澄佳は、何かを思い出したのか、ふっと笑みを消した。 大学時代、澄佳は周囲が噂するほど、俺に積極的にアプローチしてきた。 当時の俺たちは互いに、親が資産家であることを隠していた。 どこにでもいる普通の恋人同士のように、四年間を過ごした。 その四年の間に、俺は何度も彼女に試された。 彼女の試しに応えるために、俺はアルバイトで金を稼ぎ、献血をし、彼女が嫌う友人たちと縁を切り、怪我を負い、大学院への推薦枠を諦めたこともある。 あとから数えれば、それは九十八回にもなっていた。 けれど後になって、澄佳が貧乏なふりをしていただけだと知った。 俺の前に現れた困難も、追い詰められるような状況も、すべて彼女が仕組んだものだった。 その一方で、学内一の人気者だった雅彦には惜しげもなく金を使い、車もマンションも与えていた。 その瞬間、俺の中に残っていた想いは、きれいに消えた。 九十九回目の試練を突きつけられた時、俺はそれを拒み、澄佳と別れて、そのまま海外へ出た。 周囲の者たちは澄佳の変化に気づかず、なおも俺を笑い者にし続けた。 その時、澄佳が感情を押し殺した声で言った。 「もういいわ。早く追い出して。目障りなの」 第2話 澄佳の言葉を合図にしたように、会場スタッフたちはもうためらわなかった。 数人が前に出て、俺を外へ連れ出そうと腕に手を伸ばしてくる。 俺はその手を振り払い、低い声で制した。 「離せ。俺に触るな。俺は父・遠野宗一郎(とおの そういちろう)の代理で来ている」 一瞬の沈黙のあと、周囲からどっと笑い声が上がった。 雅彦は口元に手を当て、こらえきれないというように肩を揺らした。 「遠野宗一郎氏のご子息といえば、スタンフォードを出て、帰国してわずか二年で遠野家の事業をほとんど任された人物だろう? 君とその人の共通点なんて、遠野という名字くらいじゃないか。運転手にしか見えない男が、よくそこまで大きく出られたものだな。 同じ大学にいたよしみで、将来、俺と澄佳の子どもの世話くらいなら任せてやってもいいけどな」 俺は鼻で笑った。 「その前に、お前、子どもなんて作れるのか?」 雅彦の笑みが、そこでぴたりと止まった。 俺はさらに続けた。 「それに、女に寄生しているだけの男が、偉そうに俺を見下すな」 その一言で、雅彦の顔から余裕が消えた。 雅彦は前々から、澄佳との間に子どもを作り、一ノ瀬家に正式に認められようとしていた。 しかし、乱れた私生活のせいで、彼は子供をできにくい体になっていた。 本人も相当焦っているようで、名医を訪ね歩き、あれこれ手を尽くしていると聞いたが、いまだに成果は出ていなかった。 弱みを突かれた雅彦は、怒りで顔を歪めた。 「何をしている。早くこいつを外へ出せ!」 会場スタッフたちは、今度こそ俺の話を聞こうとしなかった。 数人がかりで俺の腕を取り、強引に出口へ連れていこうとする。 腕の中の勇太がびくりと肩を震わせ、泣き出した。 このままでは息子に怪我をさせてしまう。 俺は力を込めて、スタッフたちの手を振りほどいた。 「自分で出る。息子に触るな!」 その瞬間、澄佳の表情が変わった。 彼女は信じられないものを見るように、俺の腕の中の勇太を見つめた。 「謹也、今なんて言ったの?その子、あなたの子なの?」 「ああ。俺の息子だ」 「あなた、もう他の女と結婚していたの?嘘よ。そんなはずない。あなたが私を忘れられるはずないもの」 俺は思わず眉をひそめた。 「何を言っている。俺たちは、とっくに終わっているだろう」 それでも澄佳は納得しなかった。 その視線が、ふと俺の手首で止まる。 見下ろすと、さっき揉み合った拍子に袖がまくれ、腕時計が外から見えるようになっていた。 澄佳はそれを見た途端、やっぱりね、とでも言いたげに笑った。 「謹也。まだそんな強がりを言うのね。 やっぱり私のこと、忘れられなかったんでしょう?そうでなければ、私があげた時計を今でも着けているはずがないもの。 今ここで正直に認めて、私に謝るなら、もう一度だけチャンスをあげてもいいわ」 澄佳がくれた時計だと? 俺は思わず笑いそうになった。 彼女が昔くれたのは、安物の模造品だった。 とっくに錆びついて、今どこにあるのかも覚えていない。 今、俺の手首にあるこれは、妻が贈ってくれたものだ。 俺がこのシリーズを気に入っていると知って、デザインから携わり、半年前から特注してくれていた。 世界に一本しかない、俺だけの時計だった。 俺は呆れたまま、文字盤に嵌め込まれたダイヤを指した。 「よく見ろ。ここに入っているダイヤ。お前に用意できるのか? これは妻が俺のために作ってくれた時計だ。お前が口を挟む話じゃない」 文字盤に並んだダイヤは、照明を受けてまばゆく輝いていた。 詳しくない者でも、ただの安物ではないことくらい分かるはずだった。 だが雅彦は、いきなり俺の手首をつかんだ。 強引に時計を外すと、手の中で弄びながら薄く笑う。 「君がこんな時計を持っているわけがないだろう。 今日は金を持っている人間ばかりが集まっている。どこかで盗んできたんじゃないのか? 食うにも困っているなら、そう言えばいい。厨房にでも頼んで、何か恵んでもらえるようにしてやるよ」 雅彦の視線が、俺の腕の中にいる勇太へ向いた。 「親が盗みをするような人間なら、子どももろくな育ち方はしないだろうな。いずれ誰かに痛い目を見せられるさ」 その瞬間、胸の奥で何かが切れた。 「黙れ」 俺は雅彦を睨みつけた。 「俺の息子を、そんなふうに言うな」 雅彦はまだ何か言い返そうとした。 だが、勇太の顔を見た途端、その表情が変わる。 「待て……」 雅彦は目を細め、勇太の顔をまじまじと見た。 そして次の瞬間、声を上げた。 「この子、水瀬綾乃(みなせ あやの)の子じゃないか」 ざわめきが、周囲に広がった。 雅彦は俺を見据え、声を荒げる。 「謹也。どうして君が水瀬綾乃の息子を抱いているんだ? まさか、連れ去るつもりだったのか?そこまで落ちたとはな」 第3話 綾乃の名が出た途端、会場の空気がぴたりと止まった。 この場にいる者で、その名を知らない者はいない。 綾乃は世界的に有名な投資家だ。彼女が出資した企業はことごとく利益を上げ、その資産は世界中に広がっている。 国内一の資産家でさえ、彼女の前では霞むほどだった。 そもそも今回の富豪ランキングサミットに人が集まったのも、綾乃が出席するという話があったからだ。 誰もが彼女の目に留まり、少しでも縁を持とうとしていた。 勇太は俺の首にぎゅっとしがみつき、涙目で首を振った。 「ちがう……パパだもん。ぼくのパパだもん!」 だが雅彦は、勇太の言葉など聞く気もなかった。 彼は一歩踏み出し、勇太を奪い取ろうとするように手を伸ばしてきた。 ――綾乃と繋がりさえすれば、俺の人生は大化けするのだ! 転がり込んできたこの好機に、彼は我を忘れて歓喜し、その顔を醜く歪めた。 「謹也、その子を渡せ。拉致なんてしても金にはならない。警察を呼ばれたら終わりだぞ」 周囲の者たちも、綾乃に恩を売れるとでも思ったのだろう。我先にと距離を詰め、こちらへ手を伸ばしてくる。 勇太は怯えて泣き出した。 俺は勇太を強く抱きしめ、その場を離れようとした。 「勇太は俺の子だ。下がれ。俺たちは帰る」 だが雅彦が前に立ちはだかった。 「君の子?なら、水瀬綾乃が君の妻だとでも言うつもりか?」 雅彦は俺の服装に目をやり、鼻で笑った。 「少しは自分の格好を見てから言ったらどうだ。嘘をつくにしても、もう少しまともな嘘をつけ。 この場で警察を呼んでもいいんだぞ」 俺には後ろ暗いことなど何もない。 「ああ、呼べばいい。水瀬綾乃は俺の妻だ。警察が来た時、誰が連れていかれるのか楽しみだな」 その言葉に、周囲から呆れたようなざわめきが起こった。 「父親は国内一の資産家で、妻は水瀬綾乃?いくらなんでも話を盛りすぎだろう」 誰かがそう笑うと、雅彦もスマホを取り出し、勝ち誇ったように俺を見た。 「いいだろう。今すぐ警察を呼んでやる。警察の前でも、その強がりが通るかどうか見せてもらおう」 雅彦はスマホを取り出し、通報しようとした。 だが、その直前に澄佳が彼の手を押さえた。 そして、複雑な表情で俺を見る。 「もういいわ、謹也。 私たち、四年も一緒にいたでしょう。これ以上、大ごとにはしたくないの。 今ならまだ引き返せるわ。早くここを出ていきなさい」 彼女は少し声を落とし、続けた。 「お金が必要なら、私が用意する。いくら欲しいのか言って」 澄佳はまだ、俺が彼女の金にすがろうとしていると思っているらしい。 当時、父は国内一の資産家だった。 俺はただ、平穏な学生生活を送りたくて、本当の身分を隠していただけだ。 澄佳が貧乏なふりをしていたと知った時点で、俺の中で彼女はもう特別でもなんでもなくなっていた。 一ノ瀬家の資産など、遠野家とは比べものにならない。 それなのに澄佳は、身分を隠していた俺が一ノ瀬家の金を狙って近づいたのだと、今でも信じ込んでいる。 さすがに馬鹿げている。 澄佳が俺を逃がそうとしたことで、雅彦の機嫌は目に見えて悪くなった。 彼は澄佳の手元のスマホに目をやり、わざと穏やかな声で言った。 「そうだね、澄佳。お金を渡して帰ってもらうのもいいじゃないか。 彼は昔から、金に弱い男だったんだろう?君を捨てたのも、海外で金を持っている女に乗り換えたからだと聞いている。 でも結局、その相手にも見放されて、何一つ手に入れることもできなかったらしい。そんな男にまで手を差し伸べるなんて、君は本当に優しいね」 スマホを握っていた澄佳の手が、そこで止まった。 その場にいた誰もが、雅彦の言いたいことを察した。 ここで澄佳が俺に金を渡せば、未練を断ち切れない女だと笑われる。 そういうことだ。 俺が海外へ出たあと、こんなくだらない噂まで流されていたとはな。 だが、今さら噂の一つや二つで揺らぐほど、俺の足元は不安定ではない。 俺には守るべきものがあり、信じてくれる妻もいる。 だから俺はその場で、雅彦が隠してきた過去を暴いた。 「お前こそ昔、金をせびるために外国人の女と一緒に暮らしていたくせに、澄佳には曖昧な態度を取り続けていただろう。 まさか、誰にも知られていないと思っていたのか? 女の扱いだけはうまいよな。澄佳も何年も、お前の都合のいい言葉に振り回されていたんだから」 雅彦は明らかに動揺した。 それでもすぐに平静を装い、慌てて否定する。 「何を根拠にそんなことを言っている。出まかせを言うな。俺が昔から想っていたのは澄佳だけだ。 そんな作り話で、俺たちの仲を引き裂けると思うな。澄佳はもう、君の言葉なんて信じない」 澄佳もすぐに雅彦を庇った。 「謹也、もうやめて。雅彦はあなたみたいな人じゃないわ。 彼は、私の家柄やお金に惹かれたんじゃない。私を選んでくれたの。 私が一ノ瀬家の人間だと知らなかった頃から、彼は私のために億単位のローンを背負おうとしてくれたのよ」 俺は思わず笑った。 「おめでたいな、澄佳。 こいつは最初から知っていたんだよ。お前が一ノ瀬家の娘だってことをな。 信じられないなら調べてみろ。こいつがこれまで近づいた女は、どれも金のある家の娘ばかりだ。 自分だけは違うとでも思っていたのか。随分と都合のいい頭をしているな」 第4話 俺の言葉を聞いた澄佳の顔色が、目に見えて悪くなった。 もともと疑り深い女だ。一度芽生えた疑念は、そう簡単には消えない。 澄佳は沈んだ目で雅彦を見つめた。 「今の話、本当なの?あなた、最初から私が一ノ瀬家の人間だと知っていたの?」 雅彦は一瞬だけ言葉に詰まったが、すぐに傷ついたような顔を作った。 「澄佳、そんなはずないだろう。あいつが適当なことを言っているだけだ。俺を疑うのか? 俺が好きになったのは君だ。一ノ瀬家の名前でも、金でもない。君だって、俺が今までどれだけ君のために尽くしてきたか、分かっているだろう?」 澄佳の目に、わずかな迷いが浮かんだ。だが、疑いが消えたわけではないらしい。 彼女は視線を落とし、秘書にメッセージを打った。雅彦の大学時代のことを調べさせるつもりなのだろう。 それに気づいた雅彦は、とうとう余裕を失った。 怒りに任せて俺へ詰め寄ると、いきなり拳で殴りつけてきた。俺が体勢を崩した隙を狙い、雅彦は俺の腕の中から勇太を奪い取った。 「パパ……パパぁ……!」 勇太は俺に向かって手を伸ばし、泣きじゃくった。 俺はすぐにでも奪い返したかったが、下手に動けば勇太を余計に怖がらせる。俺は必死に声を抑え、離れた場所から呼びかけた。 「勇太、大丈夫。パパはここにいる。ちゃんと見てるからな。 ママもじいじもすぐ来る。だから大丈夫だ。勇太は、パパが絶対に守る」 何度も声をかけているうちに、勇太の泣き声は少しずつ小さくなっていった。それでも涙は止まらず、小さな肩が何度も震えている。その姿を見るだけで、胸が潰れそうだった。 雅彦は、勇太が俺の声で落ち着いたのが気に食わなかったのだろう。 腹いせのように、俺の頬を何度も叩いた。 それでも足りなかったのか、今度は会場スタッフたちにも手を出させようとしたが、澄佳がそれを止めた。 「もういいわ。ここまでにして。今日は、ほかに大事な用があるでしょう」 そう言ってから、澄佳は俺に視線を戻した。 「謹也、これ以上騒ぎを大きくしないで。今すぐここを出ていきなさい。これ以上続けるなら、私にも庇えないわ」 俺には澄佳の言葉など耳に入らなかった。 今はただ、勇太を取り返すことしか考えられない。 「勇太を返せ」 俺は声を低くした。 「勇太に何かあったら、絶対に許さない」 過去を暴かれた雅彦は、憎々しげに俺を睨みつけたまま、勇太を抱え込んで離そうとしなかった。 「許さない?それはこっちの台詞だ。今すぐ警察に突き出してやる。 お前は一生、塀の中で後悔していろ」 雅彦はすぐにスマホを耳に当て、警察に通報した。 「水瀬綾乃の息子が連れ去られそうになっています。犯人はまだ会場内にいます。至急来てください」 息を荒げながら、雅彦は一方的にそう告げた。 俺にとっては、むしろ好都合だった。 時刻を確認する。親父と綾乃も、そろそろ到着する頃だ。 それでも雅彦の怒りは収まらなかった。 泣きじゃくる勇太を抱えたまま、周囲に向かって得意げに声を張った。 「俺は水瀬様の息子を助けたんだ。水瀬様が来れば、必ず礼を言われる。 この男をきっちり懲らしめた者には、俺から水瀬様に話を通してやる。こんな機会、二度とないぞ」 その場にいた者たちは、みな綾乃とのつながりを欲しがっていた。 雅彦の言葉に乗せられ、彼らは我先にと俺へ詰め寄ってきた。 服をつかんで引き裂こうとする者もいれば、髪や顔に手を伸ばしてくる者もいる。 拳や蹴りが次々と体に落ち、俺は必死に身をよじりながら、急所だけは守った。 それでも全身に鈍い痛みが走り、息をするだけで胸が軋む。 横では、雅彦がなおも声を張り上げていた。 「もっとやれ!手加減なんかするな!」 その騒ぎに、ついに会場責任者が駆けつけてきた。 責任者は人垣をかき分けて入ってくるなり、気を失いかけている俺を見て、顔から血の気が引いた。 「やめてください!この方から離れてください! この方がどなたか分かっているんですか!遠野社長、ご無事ですか!」 その背後には、ようやく到着した親父と、空港から駆けつけてきた綾乃の姿があった。 だが、手柄を立てたつもりでいる雅彦には、責任者の言葉など耳に入っていなかったらしい。 雅彦は怒りに震える親父の姿を見るなり、得意げに俺を指さした。 「遠野会長、この男です。あなたのご子息を名乗っていたんですよ。すでに人を使って、きちんと懲らしめておきました」 そして今度は、まだ泣いている勇太を抱いたまま、綾乃の前へ進み出た。 必要以上に恭しく頭を下げ、いかにも自分が功労者であるかのように告げる。 「水瀬様、先ほどご子息が、この男に連れ去られそうになっていました。ですが、ご安心ください。すぐに気づいて、助け出しました」 雅彦は、称賛される瞬間を待ちきれないといった顔をしていた。 それでも謙虚に見せたいのか、わざと声を落として言った。 「当然のことをしたまでです」