迷子のツバメは帰れない

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迷子のツバメは帰れない

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六歳で視力を失った年、私・藤原安奈(ふじわら あんな)は凍え死にかけていた森川澄也(もりかわ すみや)を拾った。 目の代わりになってくれ...

Chương (1)

第1章

六歳で視力を失った年、私・藤原安奈(ふじわら あんな)は凍え死にかけていた森川澄也(もりかわ すみや)を拾った。 目の代わりになってくれる相棒がほしいのだと嘘をついて、母に頼み込み、彼を助けてもらった。 私はこっそり、彼の耳元で約束した。 「あなたに盲導犬みたいなことをさせたいわけじゃないの。ちゃんと生きて。行きたいところへ、どこへでも行って」 けれど澄也は、私のそばに残った。母が再婚したあと、彼は私にとってただ一人の支えになった。 彼は私の成長を見守り、何年も何年も、私の白杖代わりでいてくれた。 それどころか、私の目を治すために、誰よりも優れていた絵の才能を諦め、医学の道へ進んだ。 けれど彼が眼科の名医になっても、私は相変わらず何も見えなかった。 そして私が二十五歳になった日、かつて澄也の理解者だった人が、美術界の大きな賞を受賞した。 澄也は書斎に閉じこもり、紙を破るような音だけを、かさかさと響かせていた。 感情を押し殺した声で、私への誕生日メッセージを書いているのだと言った。 嬉しくなって、彼にキスしようと近づいたそのとき、真っ暗なはずの視界に、突然コメントの列が流れた。 【安奈、いい加減気づきなよ。あいつ、自分の絵を全部びりびりに破ってる。裏には全部、『藤原安奈、死ね』って書いてあるんだよ】 【これ以上進まないで。あいつ、目の前にショートした電線を置いてる。踏んだら命がないよ!】 私はその場で固まった。それでもすぐに笑みを浮かべ、大きく一歩を踏み出した。 第1話 六歳で視力を失った年、私・藤原安奈(ふじわら あんな)は凍え死にかけていた森川澄也(もりかわ すみや)を拾った。 目の代わりになってくれる相棒がほしいのだと嘘をついて、母に頼み込み、彼を助けてもらった。 私はこっそり、彼の耳元で約束した。 「あなたに盲導犬みたいなことをさせたいわけじゃないの。ちゃんと生きて。行きたいところへ、どこへでも行って」 けれど澄也は、私のそばに残った。母が再婚したあと、彼は私にとってただ一人の支えになった。 彼は私の成長を見守り、何年も何年も、私の白杖代わりでいてくれた。 それどころか、私の目を治すために、誰よりも優れていた絵の才能を諦め、医学の道へ進んだ。 けれど彼が眼科の名医になっても、私は相変わらず何も見えなかった。 そして私が二十五歳になった日、かつて澄也の理解者だった人が、美術界の大きな賞を受賞した。 澄也は書斎に閉じこもり、紙を破るような音だけを、かさかさと響かせていた。 感情を押し殺した声で、私への誕生日メッセージを書いているのだと言った。 嬉しくなって、彼にキスしようと近づいたそのとき、真っ暗なはずの視界に、突然コメントの列が流れた。 【安奈、いい加減気づきなよ。あいつ、自分の絵を全部びりびりに破ってる。裏には全部、『藤原安奈、死ね』って書いてあるんだよ】 【これ以上進まないで。あいつ、目の前にショートした電線を置いてる。踏んだら命がないよ!】 私はその場で固まった。それでもすぐに笑みを浮かべ、大きく一歩を踏み出した。 「澄也、あなたの祝福なら、きっと全部叶うね」 私は慎重に歩いた。あのショートした電線を踏み損ねないように。 ふいに澄也が口を開いた。 「安奈!」 その声は涙に詰まっていたのに、結局その先を言えないままだった。 私は何も知らないふりをして、明るい声で彼をなだめた。 「また頭が痛いんでしょう。揉んであげる」 コメントの列が激しくまたたいた。 【安奈、もう行かないで。電線、すぐ目の前だよ!】 よかった。 目の前なら、踏み外さずに済む。 けれど私が足を下ろそうとした瞬間、玄関のチャイムがけたたましく鳴り、続いて椅子を乱暴に引く耳障りな音がした。 「危ない!」 強い力で押し倒され、頭の中ががんがん鳴った。痛みでしばらく息もできなかった。 澄也は震える手で私を助け起こした。 「安奈……ごめん……今、電線があったんだ」 コメントの列は罵声で埋め尽くされた。 【森川澄也、この大馬鹿!殺そうとしたのは自分じゃないか。今さら後悔して手を震わせてるんじゃないよ!】 胸の奥が、じんわりと痛んだ。 馬鹿だなあ。 どうしてそこで、優しくしてしまうの。 私は痛みをこらえ、澄也を安心させるように笑った。 「電線があったなら、見えない私が悪いんだよ。大丈夫。痛くないから」 コメントの列が爆発したように乱れた。 【安奈、転んで頭でもおかしくなったの?なんで謝ってるの!】 でも私は知っていた。 今、澄也のほうが私よりずっとつらいのだ。 途切れ途切れの嗚咽が耳に届いた。彼がなおも何か言おうとしたとき、電話が鳴った。 女の人の声が聞こえた。 「家にいるのは分かってる。あなたに会えるまで帰らない。澄也、これを……最後にするから」 声で分かった。 テレビにも出ている天才女性画家、白石悦子(しらいし えつこ)だ。 悦子と澄也は、ボランティアをしていた頃、絵をきっかけに知り合った。 澄也はかつて言っていた。 理解者を見つけた、と。 悦子も以前、私に言ったことがある。 澄也の絵には、彼女がこれまで見てきた中でいちばん魂が宿っている、と。 けれど今、一人は天才女性画家になり、一人は目の見えない私のそばにいる医者になった。 澄也は医者でいることが好きではない。 手術を終えるたび、ひどく吐いて、立っていられなくなる。 澄也は突然、私の手を強く握りしめた。けれど次の瞬間にはぱっと離し、よろめくように玄関へ駆けていった。 突き飛ばされた私はよろめき、方向が分からなくなったまま、後頭部を鋭い机の角にぶつけた。血がどくどくと流れ出した。 私はか細い声で痛みを訴えた。 「澄也、痛い……」 けれどドアは、ばたんと音を立てて閉まった。 私には見えない代わりに、人よりずっと耳がいい。扉が閉まっていても、押し殺した声は聞こえた。 扉越しでも、外から潜めた声が私の耳に届いた。 悦子は泣き声まじりに言った。 「あの子の目はもう治らないのよ。あなた一人が背負い続けることなんてできない!あなたのその手は、私なんかよりずっと才能があったのに! 私と一緒に先生のところへ行こう。まだ間に合う。あなたが……」 けれど澄也は震える声で彼女を遮った。 「悦子、俺の命は安奈にもらったものだ。安奈は目が見えないまま、ここにいる。俺がどこにも行けない」 悦子の声は悲しみに沈んでいた。 「じゃあ、あなたの夢はどうなるの?それじゃあ……私は?」 第2話 澄也は長い沈黙の末、かすれた声で答えた。 「どんな時でも、俺たちはいちばんの……親友だ」 悦子は泣きながら走り去った。 「もうあなたには会いに来ない……気持ちが変わったら、それを持って先生のところへ行って」 朦朧とした意識のまま床に倒れていると、ふいに十三歳の頃のことを思い出した。 いじめられて、腫れた顔で視覚特別支援学校から帰ってきた私を見て、澄也は激怒した。あんなに賢い子だったのに、どうしても同じ学校へ転校すると言い張り、私のそばにいてくれた。 外の普通校の勉強に追いつくため、彼は一度もまともに眠れなかった。 十五歳のとき、母が再婚した。 母は私の手を握りしめ、泣きながら言った。 「安奈、新しいお父さんは目の見えない子まで養えないの。お母さん、本当に大変なのよ。分かってくれるわよね? 森川澄也は、もともとあなたのために拾った子なんだから。あの子があなたの面倒を見るべきなのよ」 母はスーツケースを引いて出ていき、古い家と澄也だけが残された。 十八歳になったばかりの澄也は、目の見えない私を抱え込み、無理を重ねて身体を壊していった。 私はいつも泣きながら澄也に訴えた。 もう行って。私のことなんて放っておいて、と。 けれど彼はいつも笑って、私の頭を撫でてくれた。 「泣き虫だな。ほら、下のツバメだって、ちゃんとつがいで飛んでるだろ。どっちか一羽だけじゃ駄目なんだよ」 今、その小さなツバメは疲れてしまった。 だから彼は、一人で飛び立つべきなのだ。 私みたいに誰にも望まれない目の見えない人間は、澄也に手を引かれてここまで生きてこなければ、とっくに死んでいるはずだった。 死ぬなら、澄也の知らない場所がいい。 そうでなければ、彼はきっと自分を責めてしまうから。 …… 私は激しく痛む後頭部に手をやり、血をぬぐった。手探りで立ち上がったところで、ドアが開いた。 「どうしたんだ?」 澄也の声はひどくかすれていた。 「なんでこんなに血が出てる」 コメントの列が飛ぶように流れた。 【何言ってるの。あんたが突き飛ばしたんでしょうが!】 私はどうにか笑ってみせた。 「ごめんね。見えないから、うっかりつまずいちゃった」 言い終えた瞬間、私の足元でコップが砕け散った。 「藤原安奈!この家に何年住んでると思ってるんだ。そんな近くの場所も覚えていられないのか!」 彼の荒い息づかいが聞こえた。 私はつらくなって、袖をぎゅっと握りしめた。 「ごめんね、澄也。私が役に立たないから」 澄也は長いあいだしまい込まれていた白杖を引っ張り出すと、私の腕をつかみ、大股で外へ歩き出した。 私はついていけず、何度も階段から落ちそうになった。それでも彼は足を止めなかった。 怖くなって、私は彼にすがった。 「澄也、どこへ行くの?」 澄也が突然立ち止まったせいで、私の鼻は彼の背中にぶつかり、鼻血が出た。 私は慌てて手を伸ばし、めちゃくちゃにぬぐった。そのとき、彼の崩れ落ちるような声が聞こえた。 「安奈!世の中には目の見えない人が大勢いる。みんな白杖を使って普通に暮らしているのに、どうしてお前だけできないんだ! 俺はお前の盲導犬じゃない。一生、お前の犬でいることなんてできない!」 心臓をわしづかみにされたようだった。 澄也に背中を強く押された。風の中から、冷えきった声が届いた。 「今夜、点字ブロックをたどって歩けるようになるまで、家には帰ってくるな」 澄也の声も、匂いも、消えた。 耳に残ったのは、風の音と、車の走る音と、通行人のひそひそ声だけだった。 「目が見えないの?なんで外に出てるんだよ。当たり屋か?」 暗闇と恐怖が、獣の口のように私をのみ込んでいく。 私は白杖を強く握りしめ、叫び出したい衝動をこらえながら、小さな声で澄也の名前を呼んだ。 「澄也、怖いよ」 五、六歳の頃、私はまだ失明したことに慣れず、眠りから覚めて目の前が真っ暗だと、怖くて泣き続けた。 そんなとき澄也は、いつも真っ先に部屋へ来て、私の手を強く握ってくれた。 「ここにいるよ。大丈夫、怖くない」 今、私に返ってくるのは、風の音だけだった。 コメントの列では、相変わらず怒りの声が飛び交っていた。 【信じられない。昔、一生手を引いてやるから白杖なんて覚えなくていいって誓ったの、あいつじゃなかったの?最低!】 私は涙をぬぐった。 違う。 そうじゃない。 私はもう、点字ブロックのたどり方も、白杖の使い方も忘れてしまっていた。 よろめきながら地面を叩く。 私みたいな目の見えない人間がいたら、澄也だって疲れるに決まっている。 私はあてもなく歩き、クラクションの音がいちばん大きく聞こえる場所で足を止めた。 このまま車にはねられたら、澄也はきっと、いちばん自由なツバメになれる。 けれど、予想していた衝撃は来なかった。 私は強い力で、誰かの腕の中へ引き戻された。 澄也の身体がかすかに震えていた。 その声は、絶望しきっていた。 「安奈、お前は目が見えないだけで、馬鹿じゃないだろ。どうして覚えられないんだよ!」 第3話 「どうして俺を拾ったのが、よりによって目の見えない子だったんだろうな」 どうしてだろう。 馬鹿だなあ。 それなら、どうしてまだ私のことを放っておかないの。 私はとうとう堪えきれなくなり、声を上げて泣いた。 「そうだよ、私は馬鹿じゃない!だったら行ってよ。あなたに面倒を見てもらいたくなんかない!」 五歳のとき、父と母は離婚でもめていた。二人は毎日、私を引き取りたくないと言って喧嘩ばかりしていた。 私が高熱で視力を失ったことにさえ、気づかなかった。 誰にも望まれない子どもは、目さえ守れないのだと、私は悲しく思った。 だから雪の中で、捨てられていた澄也を見つけたとき、すぐに胸が痛んだ。 この世界に、目まで失ってしまう子どもが、もう一人増えなくてもいい。 澄也は力なく私の手を握った。 「もういい。俺が悪かった。そんな意地を張るな。放っておいて、お前を車にはねさせるわけにいかないだろ」 彼は私の手を引いて家へ戻った。 それから白杖の練習のことは、二度と口にしなかった。ただ日に日に、書斎にあるものを見つめては黙り込むようになった。 私は部屋にこもり、電話をかけた。相手は私だと分かった途端、声を荒らげた。 「まだ私に何の用?もうあなたを育てる義務なんてないのよ」 鼻の奥がつんと痛んだ。私は小さく鼻をすすった。 「お母さん、養ってほしいわけじゃないの。ただ、私を引き取って、一緒に暮らすふりをしてくれない?」 絶対にすがったりしないと何度も約束して、ようやく母は、親子だった情に免じて、妹のサマーキャンプが終わったら迎えに行くと言ってくれた。 電話を切ったあと、私は笑った。 よかった。 お母さんには、もう新しい子どもがそばにいる。 澄也も、私という足手まといを捨てられる。 澄也の部屋のドアをノックすると、中で彼が慌てて何かを片づける音がした。 「何の用だ。また何か見つからないのか」 私は一瞬、言葉に詰まった。それでも、おどけるように笑ってみせた。 「澄也、お母さんから連絡があったの。今は幸せに暮らしているけど、私のことをずっと申し訳なく思っていたんだって。一緒に暮らしたいって言ってくれて、私、うんって返事したの」 澄也は信じられないというように言った。 「自分が何を言ってるか、分かってるのか?」 私はもう一度繰り返した。 「お母さんと暮らしたい」 澄也は突然、堰を切ったように怒鳴った。 「安奈、あの人に何をされたか忘れたのか。まだ懲りてないのかよ」 忘れるはずがない。 離婚のあと母に引き取られたあの数年間、母はいつも男の人と出かけてばかりいた。 数日帰ってこないこともあり、食費を置いていくことさえ忘れた。 幼かった澄也は、真冬の寒さの中、近所を回って小銭になりそうなものを集め、そのお金で買った菓子パンを、全部私に食べさせてくれた。 まだ子どもだった彼は、空腹でお腹を押さえながら、それでも声を押し殺して私を慰めた。 「大丈夫だよ。ちょっと食べすぎただけだから」 私は、澄也にちゃんと生きてほしくて、あの子を拾った。 なのに彼は、私という目の見えない重荷を背負ったせいで、一日だって楽に暮らせなかった。 私が考えを変えないと、澄也はひどく怒った。それでも、私も譲らなかった。 私は心の中で何度も、馬鹿だなあ、とため息をつき、悦子に電話をかけた。 「お願い。もう一度、彼を説得して……」 悦子から電話がかかってきた日、私はちょうど、医師のため息の中で目の再検査を終えたところだった。 「この目は……森川先生にも手の施しようがないなら、一生このままでしょうね」 澄也は拳を固く握りしめていた。 「安奈、どうしてこんなに駄目なんだ!」 私は申し訳なくて、ただ、ごめんなさい、と言うことしかできなかった。 電話越しの悦子の声は沈んでいた。 「澄也、私は数日後に先生と発つの。ここを離れたら……本当に、もう二度と機会はないわ。 あなたの人生は……本当にこのまま終わってしまう」 澄也は私の目をじっと見つめていた。 次の瞬間、感情がぷつりと切れたように乱れ、書斎へ駆け込むと、何かを持って飛び出していった。 ドアが閉まる音を聞きながら、私は幸せだった。 一日が過ぎても、澄也は帰ってこなかった。 悦子から音声メッセージが届いた。 「譲ってくれてありがとう。やっぱり澄也には絵が向いているわ。先生ともすごく話が弾んでいるの」 私はとても嬉しかった。 けれど丸一日、何も食べていなかったせいで、空腹がつらくなってきた。 今回、出ていくとき、澄也は、私の手が届く場所にお菓子を置いていくことを忘れていた。 音声操作で出前を頼んだ。けれどドアは、外から鍵をかけられていた。 夜になっても澄也は帰ってこなかった。 空っぽの胃がきりきりと痛み、喉の奥まで酸っぱいものがせり上がってきた。 私は手探りで、食べるものを探しにキッチンへ向かった。 けれど、目の見えない人間なんて、やっぱりこんなにも役に立たない。 何を倒したのかも分からないまま、キッチンに火がついた。 慌てて火を消そうとしたけれど、水をかける場所さえ、まともに分からなかった。 第4話 火はみるみる燃え広がり、煙に巻かれた私はその場に倒れ込んだ。皮膚は焼けただれ、痛みさえ感じなくなっていた。 私は泣きながら、必死に外へ這った。 「安奈、あなたみたいな役立たずが、こんなところで死んじゃ駄目!」 もし澄也が帰ってきて、黒焦げになった私を見つけたら、彼は一生、その記憶から逃れられなくなる。 コメントの列が、焦ったように行く先を示してくれた。 【安奈、こっち。こっちに逃げて!】 私はコメントの列が示すほうへ必死に這った。けれど、やがて息ができなくなり、少しずつ意識が遠のいていった。 目を覚ましたとき、私は病院にいた。ほどなくして澄也が駆けつけ、悦子も一緒に来ていた。 澄也は疲れきった声でつぶやいた。 「たった一日、家を空けただけだろ。どうしてまた、こんな目に遭うんだ」 私は落ち着かず、指をぎゅっと絡め合わせた。 「ごめんなさい……」 警察官が厳しい声で澄也を責めた。 「あなたは保護者でしょう。どうして目の見えない人を一人で家に置いていったんですか。あと少しで焼け死ぬところだったんですよ」 私は慌ててかばおうとした。けれどその前に、澄也の呆然とした声が聞こえた。 「俺が前に進もうとするたびに、お前は現実を突きつけてくるんだな。俺はお前のそばにいるしかないって」 そのとき、悦子が突然、悲鳴のように叫んだ。 「藤原安奈!あなた、わざと私に澄也を説得させたんでしょう?それなのに、彼がもう少しでうなずきそうになった途端、こんなことを起こして。罪悪感で彼を縛りつけるつもりだったのね!」 私には、澄也の目がどれほど赤く充血しているのか見えなかった。 私は突然、声を上げて笑った。 「そうだったら何?私の目が治らない限り、彼には一生そばで私の犬をしてもらうの。そうじゃなきゃ、何のために拾ったと思ってるの?」 ぱん、と乾いた音が病室中に響き渡った。 澄也に頬を打たれ、私の顔は横へ弾かれた。 私はかすかに口角を上げた。 馬鹿だなあ。 人を叩くときに、どうして手が震えるの。 「澄也、捨てられた子が、普通の人みたいに夢を見られると思ってるの?あなたが隠していた絵は、全部私が燃やした。どこかへ行けるなんて思わないで」 そのとき、私の携帯が鳴った。母の大きな声が、すぐに流れ出した。 「もうすぐ古い家に着くからね。荷物をまとめて待ってなさい」 私が返事をするより先に、澄也が携帯を奪い取った。 彼は私の腕を、骨が砕けそうなほど強く握りしめ、とうとう感情を完全に爆発させた。 半狂乱になって、私に叫ぶ。 「藤原安奈、俺は本当に、あの時雪の中で死んでいればよかった! 二十年だ!言っておくが、俺はもうお前に何も借りてない!」 彼は私をベッドから引きずり下ろした。 医師が何度も制止した。 「退院は無理です!火傷がかなりひどいんですよ!」 それでも澄也は、私を引きずるように連れ出した。 アパートの入口に着いたとき、十年ぶりに会う母もちょうど到着したところだった。 澄也は、母の前へ私を突き出すように押しやった。 その声には、ひどく傷ついた人だけが持つ、投げやりな冷たさがにじんでいた。 「お前の母親について、どこへでも消えろ。頼むから、この先一生、二度と俺の前に現れないでくれ」 そう言い捨てて、彼は去っていった。 私は心の中で、「私もだよ」とつぶやいた。 私は母についていった。 母はあからさまに嫌そうな様子で、私から距離を取っていた。 「私は親子だった情で来てあげただけなんだからね。約束は守りなさいよ。連れて行くだけで、そのあとは面倒見ないから。 それに、その怪我は私には関係ないからね。妹はいま学校に通っていて、お金がかかるの」 私は笑った。 悲しくはなかった。 だって、世界でいちばん私を愛してくれていた人に、私はすでに捨てられたのだから。 「分かってるよ、お母さん。中央公園まで送ってくれる?」 そこは、私が澄也を拾った場所だった。 着くなり、母は私を置いて行った。私にまとわりつかれるのを恐れるように。 冬の公園に人影はほとんどなかった。 目の見えないくせに外をうろつくな、と私を罵る人もいない。 私はそこで、ゆっくり、ゆっくり歩き回った。 火傷を負った身体が凍え、何も感じなくなるまで。 頭が痛い。 雪の中で、澄也がか細く助けを求める声が聞こえた気がした。 でも、澄也は目の見えない子に助けられたくなかったはずだ。 私は何度も助けを求めた。 けれど誰も応えてくれなかった。 澄也の呼吸は、どんどん弱くなっていく。 私はたまらなく焦った。 ごめんね、澄也。 今回もやっぱり、私みたいな目の見えない子が、あなたを助けることになるみたい。 私は慌てて前へ進んだ。 その瞬間、コメントの列が鋭い悲鳴のようにはじけた。