Đang tải thông tin quảng bá...
危篤の母より元カノ?最低男を捨て宿敵の妻へ
霜月咲希(しもつき さき)は海鳴市で最も影響力のある秘書として知られ、並みいる経営者たちも彼女の前では頭を垂れる。 なぜなら、九条グル...
Chương (1)
第1章
霜月咲希(しもつき さき)は海鳴市で最も影響力のある秘書として知られ、並みいる経営者たちも彼女の前では頭を垂れる。
なぜなら、九条グループのトップである九条泰誠(くじょう たいせい)が、毎年咲希に十億単位の金を惜しげもなく使い、ついにはプロポーズまでしたからだ。
しかし、咲希にとってかけがえのない母親の容態が急変し、病院から危篤を告げられたその日に、泰誠は派手なパーティーを主催した。
会場では音楽が鳴り響き、まるで祭りのような賑わいだった。
第1話
霜月咲希(しもつき さき)は海鳴市で最も影響力のある秘書として知られ、並みいる経営者たちも彼女の前では頭を垂れる。
なぜなら、九条グループのトップである九条泰誠(くじょう たいせい)が、毎年咲希に惜しげもなく十億単位の投資をし、ついにはプロポーズまでしたからだ。
しかし、咲希にとってかけがえのない母親・霜月杏(しもつき あん)の容態が急変し、病院から危篤を告げられたその日に、泰誠は派手なパーティーを主催した。
会場では音楽が鳴り響き、まるで祭りのような賑わいだった。
「泰誠さん、本気出しすぎだろ!子どもの頃を思い出して紙飛行機大会をやっただけなのに、玲奈ちゃんが勝ったからって、そこまで祝うか?高級ワインに海岸の打ち上げ花火、有名バンドまで呼んで、おまけにプライベートジェットまで贈ったなんて!」
「そんな景気のいい話があるなら、俺も一日中、一番飛ぶ紙飛行機の折り方を研究してたのに!」
「お前が何をしたって無駄さ。あの仕事中毒の泰誠さんが、普段は食事の時間すら惜しんでるのに、1週間も時間を割いてまで紙飛行機を折り続けたんだからな。千個の中から一番よく飛ぶものを選んで玲奈ちゃんに贈って優勝させて……
ただの余興で参加したんじゃない、玲奈ちゃんを喜ばせるために本気でプレゼントを用意してたんだよ」
「さすが初恋の人だな。5年間も連絡が途絶えてたのに、帰国した途端、この扱いだ」
一人が声を上げた。「泰誠さん、俺も初恋の人になりたいよ!」
会場の中心にいた男は厳しい表情を崩さなかったが、隣の女性に話しかけられると、その目にはほんの少しだけ笑みが浮かんでいた。
急いでパーティー会場へ駆けつけた咲希は、その光景を目の当たりにして足が止まった。耳に当てた電話口の声に返事をすることさえ忘れて、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
「お姉ちゃん!泰誠さんに一体何があったの?病院まで運転手が迎えに来て、そのまま連れて行かれるなんて……もしもし?お姉ちゃん、早く帰ってきて。お母さんが……もう長くないのよ」
我に返った咲希は、痛いほど強く拳を握り締めると、声を震わせながら「今すぐ行く」と告げた。
そんな咲希に気づいた泰誠が、大股で歩み寄ってきた。
何も持っていない彼女を見て、泰誠は眉間にしわを寄せた。「玲奈のドレスはどうした?大きく裂けてしまって、君が持ってくる予定の特注のドレスを待っているんだ……今のままじゃ玲奈は踊れない」
「踊れない」その一言が、鋭いナイフのように咲希の胸を突き刺し、声が出なくなるほどの痛みを走らせた。
自分の母の命が消えかかっているというのに、この男は別の女が踊れないことを気にしているのか?
おそらく事前に、泰誠からメッセージか、あるいは運転手経由で伝言があったのだろう。だが、咲希は母の命が危ないという知らせに頭が真っ白になり、全く受け入れていなかった。
咲希が無言でいると、泰誠は冷たい声で責めた。「咲希、最近は一体どうしたんだ?いつもどこか上の空じゃないか?」
咲希は力を振り絞った。「お母さんが……」そう言いかけたが、続きの「もう長くない」という言葉が喉の奥で詰まり、どうしても吐き出せなかった。
だって、以前にも何度も言ったはずだったから。
1週間前、杏が脳梗塞で倒れた。
それからの7日間、咲希は何度も泰誠に頼み込み、第一線の脳神経外科医を紹介してほしいと伝えていた。
泰誠はそのたびに承諾していたが、話が全く進む気配はなかった。
連日の忙しさを見て、てっきり大きな仕事に追われているのだと信じ、頭を抱えるほど焦りながら、それでも健気に待っていたというのに。
泰誠は会社で別の女と紙飛行機遊びをしていたというのか?
千個も折る時間があるなら、少しでも医師探しに協力してくれていたら、母は死ななくて済んだのではなかったのか?
咲希の虚ろな眼差しを見た泰誠は、冷静に言った。「何かあったのか?知っての通り、俺は物忘れがひどいんだ。大事なことは何度も言ってもらわないと忘れてしまう」
「忘れ……た?」咲希は声を張り上げた。「お母さんが死にそうなの!私の大切な家族がいなくなるのよ!」
「泰誠!ドレス、持ってきてくれた?」一ノ瀬玲奈(いちのせ れいな)が、ほころびかけた服を抱えて小走りでやってきた。
「特注品は間に合わなかった。すぐに代わりの手配をするよ」咲希の言葉を遮るように、泰誠は無意識に振り向いて答えた。
そして彼は部下に電話をかけ始めた。
「すぐにダンス用のロングドレスを届けてくれ。色はカナリアイエロー、柄なし、サイズはS、身長165センチに合うものを……」
用件を済ませると、泰誠は再び咲希に向き直り、何かを思い出すように聞いた。「何の話をしていたっけ?」
咲希が抱えていた絶望、怒り、そして悲しみ。そのすべてが、あまりに残酷な一言に胸の奥で塞き止められた。
泰誠には、記憶障害がある。そうだ、そうなのだ。
自分の母が病気であることも、何度も約束した「忘れない」という言葉も、医師を紹介するということも、どれも彼は覚えていなかった。
けれど、5年も会っていないはずの玲奈のことはすべて記憶している。玲奈の負けず嫌いなところや、ちょっとした遊びでも一番を取りたがるところ。どんなご褒美が好きで、どれほど派手なことを好むかさえも。
咲希は唇を噛み締め、口の中に血の味が広がるのを感じた。「いいえ、もういいわ」
彼女は震える体を引きずり、壁を伝いながらその場を去った。
泰誠は金銭的には自分に惜しみがなかったから、てっきりそれが愛だと思い込んでいた。
今やっと分かったのだ。この男のような富裕層にとって、何より貴重なのは時間、最も惜しくないのは金なのだと。
病院へ戻る車の中で、咲希は5年前に亡くなった泰誠の母親・九条洋子(くじょう ようこ)のことを思い出していた。
あの頃は、泰誠にとってどん底の時期だった。
父親の九条光生(くじょう こうき)が病に伏し、会社では技術が盗まれ、敵対勢力に市場を食い荒らされる中、当時の恋人であった玲奈には「構ってくれない」と責められ、別れを告げられた。彼女はその後あっさりと海外へ行き、歌手の男と付き合い始めたのだ。
泰誠を支え続けたのは、秘書として隣にいた咲希だった。
本当なら、咲希こそ泰誠のもとを去るべきだったかもしれない。
かつての事故で泰誠をかばって大怪我を負い、集中治療室に三度も運び込まれて、ようやく命を取り留め、泰誠から半年の休職を与えられていたのだから。
けれど、主治医に止められていたにもかかわらず、わずか1週間でギプスを巻いたまま会社に戻り、仕事に復帰した。
咲希は泰誠のそばで会社と家族の両方を支え、日に日に衰弱して死へ向かう光生を見守る苦しみに寄り添い、かけがえのない家族の最期を共に見届けた。
胸を引き裂かれるような不安を一番深く理解しているはずの泰誠が、今、自分の苦境にはそこにいない。
咲希の瞳から、涙が静かにこぼれ落ち、やがて押し殺したような嗚咽に変わった。
泰誠のそばで、8年も時間を費やしてきた。
最初の3年間は休む間もなく働き続け、直属の秘書に昇進した。
4年目に泰誠をどん底から救い出し、恋人の座を得た。
そして8年目にプロポーズされ、人目を忍ぶ関係から、公に認められた恋人になった。
ずっと遠くから泰誠を見つめるだけだった片思いから、ようやく隣へ歩めたというのに……すべてを手に入れたようでいて、結局は何ひとつ手にしていなかったのかもしれない。
その時、スマホが鳴った。知らない番号から画像が送られてきた。
1ヶ月前に玲奈がネットで自慢していた、他の歌手とのプロポーズ写真だった。
何の意味があるのかと思いつつ投稿日を見て、咲希は体が凍りついた。
泰誠が自分にプロポーズをした日と全く同じ日だったのだ。彼が自分に指輪を渡したのは、玲奈のあのプロポーズ写真から3時間後だった。
4年にわたる秘密の関係。疲労困憊で眠る自分を夜10時に起こして行ったあの慌ただしいホテルでのプロポーズ、適当な装飾、サイズが合っていなかった指輪……
すべての答えがそこにあった。
関係を公表しなかったのは、玲奈が戻ってくるのを待っていたから。
自分を婚約者にしたのは、もう玲奈とは無理だと諦めたからだ。
自分はただの、本命を逃した代わりの「当て馬」に過ぎなかったのだ。
泰誠は最初から、自分に真心などなかったからこそ、自分の母の病もどうでもよく、記憶にも留まらないのだ。
自分が愛だと思い込んでいたもののせいで、母の治療を遅らせてしまったのだ……
胸の奥から突き上げるような激痛が止まらなかった。
病院に着いて車を降りる時、ふらついて立っていられなくなった咲希を気品のある女性が支えてくれた。
咲希はぼんやりと見て、相手が泰誠の宿敵である御堂弦(みどう げん)の母親・御堂裕美子(みどう ゆみこ)だと気づいた。
裕美子は、じっと咲希を見つめ、ひどく満足そうな表情を浮かべた。
「咲希さん。私の方で、脳疾患の第一線で活躍する専門医たちを集めて、あなたのお母さんの治療方針を立てさせたわ。お母さんはまだ救えるわ。
ただ条件が……半身不随になってしまったうちの息子の妻になってもらうことよ」
第2話
咲希は、ほんの3秒で決断を下した。
杏はすぐさま手術室に運ばれ、第一線で活躍する専門医たちが万全の体制で待ち受けていた。
この物々しい雰囲気に、妹の霜月紗夏(しもつき さな)は涙を流しながら興奮気味に言った。「お姉ちゃん、この専門医の先生たちは泰誠さんが呼んでくれたの?これでお母さんは助かるんだね!?」
咲希は手術室を見つめながら、淡々と言った。「今日で泰誠とは別れるわ」
紗夏は不思議そうに聞いた。「もう結婚しないの?」
ビジネスの取引で結ばれただけの関係。感情のかけらもない、見知らぬ夫。そう思った瞬間、咲希の胸に虚しさが広がり、その声はどこか悲しそうだった。
「結婚はするわ。
挙式の予定は変えない。1ヶ月後に予定通り行う。でも、相手は違う。新郎が別の人に代わるわ」
……
3日後、杏の容態は深刻な状況から脱し、安定した。御堂家の病院へ転院することになった。
咲希はやっと一息つき、これでようやく終わらせるべき関係に向き合う気力がわいてきた。
まず、退職する。そして九条グループとの関係を完全に断つこと。
オフィスに足を踏み入れると、部下たちが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「昇進おめでとうございます!霜月さん、いえ、これからは副社長とお呼びすべきですね!」
咲希は驚かなかった。取締役会から直接辞令を受けたし、人事部からも社内に公示されていたからだ。
ただ、母の急変があり、まだ副社長として正式に皆の前に立ててはいなかった。
咲希はドアにかかった「副社長室」という輝くプレートを見つめ、さまざまな思いが胸をよぎった。
年中無休で働き詰めの毎日を8年間送り続け、やっと手にしたこの栄冠だった。
せっかく就いたポストをすぐに手放すことにはなったけれど、この実績はキャリアにおいて何物にも代えがたい大きな武器になるはずだ。
言葉をかけようとしたその時、冷たい声が響いた。「霜月さんは在職期間中、丸3日間出社せず、業務連絡も無視し続けている。プロ意識が欠けているため、今日付で部長職に降格。社内に通知しなさい。
副社長としての特権と持株はすべて没収。新しい副社長である一ノ瀬さんに移しなさい」
静まり返るオフィス。ドアのそばでポケットに手を突っ込んでいた無表情の泰誠を見つめ、咲希の呼吸は思わず重くなった。
以前、彼は大きなミスで会社に大損害を出した幹部をクビにする時ですら、配慮を見せていた。
なのに自分には、容赦のかけらもなかった。
休暇届も理由も確認しないまま、衆目の中で屈辱的な処分を言い放ったのだ。
そんな噂が流れてしまえば、業界内での評判は台無しだし、誇りだったキャリアにも汚点がついてしまう。
咲希は真っ直ぐ泰誠の目を見つめ、言い放った。
「休暇申請は済ませてあります。
この8年間、今回が初めての休みです。休暇中の後半3日間だけ、業務対応をしなかっただけで、そんな言いがかりをつけられる筋合いはありません」
泰誠は事務的に言った。「業務に支障を出したのは事実だ。弁解しても意味がない。今日から、玲奈が君の直属の上司だ。歓迎会を準備してくれ」
玲奈は前に出ると、ファンに向かって手を振るネットアイドルのように、少し腰を引いてしとやかに手を振った。
「みんな!よろしくね!」
ビジネスの場に全くそぐわないあざとい甘えた態度。それが泰誠には面白かったのか、彼は冷徹な瞳を少し和ませ、満足そうに口元を歪めた。
咲希は、思わず拳を握りしめた。
手術台に立つ直前まで連絡を返していた日々。診察室で点滴を受けながら資料を作った夜。目の前の、苦労など知らなそうなその女の姿を見て、胃の奥から嫌悪感がせり上がってきた。
副社長のポスト、泰誠からの評価……
血の滲むような思いで築き上げたものを、ただ5年間海外で遊んでいたという女が、ただの挨拶ひとつで簡単に奪っていった。
歯を食いしばって耐えてきた日々のすべてが、あまりにも軽く扱われたことが、咲希の胸を鈍く締めつけた。
彼女は急に横を向くと、喉元まで出かかった嗚咽をぐっと飲み込み、深呼吸した。
そして振り返り、泰誠を直視して言った。「そんな歓迎会なんてできません。今ここで辞めます」
第3話
泰誠は、わずかに顔色を変え、先ほどまでの笑みを瞬時に消し去った。
彼が口を開くより先に、咲希は踵を返し、自分のデスクへ戻ると、パソコンで退職届を打ち始めた。
退職メールを送ってから1分もしないうちに、泰誠から承認の通知が来た。
さらに1分後、彼から電話がかかってきた。
「玲奈は名義だけの副社長だ。彼女が投資でトラブルを抱えて金銭を必要としているから、助けてやりたいだけなんだ。変なプライドが高いから、仕事の報酬という形をとらないと受け取らないんだよ。昔からの付き合いだし、困っている友人を助けるのは当然だろう?
君が少し冷え切った態度を改めて、玲奈の問題が片づけば、副社長の座は君に返す」
咲希は黙ったまま何も返さなかった。
しばらく待ったあと、泰誠の声は冷たくなった。
「咲希、俺の婚約者になってから、ずいぶん偉くなったものだな。少し甘えが過ぎるんじゃないか?仕事をサボったり、退職をチラつかせたりしてまでわがままを通すつもりか?5分やる、冷静になれ。今すぐ退職届を撤回すれば、なかったことにしてやる。
もし本当に辞めるのが本望なら、俺もその意思を尊重するがね」
言い捨てると、電話を切った。
スマホの画面を眺めながら、咲希は自嘲気味に笑った。
泰誠が咲希に優しい言葉をかけられるのは、せいぜいここまでだった。彼は決して、その尊大な態度を崩すことはなかった。
彼はそういう性格なのだと思って、揉め事が起きればいつも咲希が先に折れてきた。
しかし、玲奈の機嫌を取っている姿を見た今、泰誠が突きつけた冷淡で融通の利かないこの条件を受け入れる気力は残っていなかった。
咲希は立ち上がり、窓辺で一息ついてから仕事の片付けに取り掛かった。
今はただ、1日も早く引継ぎを終えてここを去りたい。それだけだった。
午前中ずっと慌ただしく働き、休憩が終わる頃になってようやく食事へ向かった。
店に入った途端、低血糖の影響か視界が暗くなり、そのまま床に倒れ込んでしまった。
店員が慌てて駆け寄ってくる。「お客様!大丈夫ですか?」
外から足音が聞こえ、誰かが男性店員を押しのけるようにして、意識が遠のきかけた咲希を抱き上げた。「コーラを持ってきてください、早く!」
咲希がゆっくり意識を取り戻すと、手元で支えられたコーラを反射的に口に運んだ。
視界が晴れ、そこに泰誠がいることに気づき、自力でコーラを掴み直した。
泰誠はチョコレートを一片取り出し、咲希の口元に差し出してきた。
飲み込むのを見届けると、ハンカチで額の冷や汗を拭い、「少しは良くなったか?」と尋ねる。
咲希は短く頷くと、横にいる玲奈の存在を感じて目を伏せ、「ありがとう。もう戻っていいよ」と言った。
泰誠は眉を寄せ、突き放すようなその眼差しは次第に冷たくなった。やがて立ち上がり、道を空ける。
「もう大丈夫なら店を出ろ。玲奈はこの店のメニューが好きで、ここ以外に席が空いていないんだ。玲奈は口がうるさくてな。他の店だとろくに食べられず、胃を悪くする。
今日から入社なんだし、歓迎会の一つもしてやらないとは。飯すら満足に食べさせないなんて可哀想だろ?」
玲奈は笑いながら答えた。「もう5年前の話だよ、まだ覚えてたの?今はそこまで胃も弱くないから平気。霜月さんが私と同席したくないなら、他へ行くよ」
泰誠はスマホでQRコードを読み込み、画面を差し出した。「ずっと腹を空かせていたんだろ。他の店なんて行かなくていい。さっさと頼め」
玲奈は咲希のほうを見て、嬉しそうに微笑んだ。
「泰誠が頼んでよ。新メニューが多いからもう何がいいかわかんないし。いつもの私の好みを、まだ覚えてるよね」
咲希はストローをくわえ、空っぽのお腹をなだめるように残りのコーラを流し込んだ。
一本飲み干し、ふと顔を上げると、楽しげに注文を決める二人の姿が目に入った。
泰誠は咲希の気配に気づいたのか、静かな目で咲希を一瞥し、スマホをテーブルのど真ん中に置いた。
咲希にはわかった。泰誠が自分からの謝罪を待っていることが。
そのスマホを手に取り、自分の分を頼んで席に座りさえすれば、さっきの面倒な態度も、騒ぎも全て許してくれるだろう。
咲希はゆっくりと手を伸ばし、そのスマホを手に取った。
第4話
泰誠がじっと見守る中、咲希はスマホを躊躇いなく床に叩きつけた。
泰誠の声色が険しくなった。「咲希!」
咲希はテーブルに手をついて立ち上がった。体の不調ゆえか、その声は弱々しく、低く柔らかかった。
「もし今、低血糖で苦しんでいるのがあなたなら、どんな理由があろうと私はあなたを追い出したり、責め立てたりして無理に従わせるような真似はしないわ。
だって私は覚えているから。低血糖の人は、感情を揺さぶられるだけでも危ないって。空腹のまま店を出て、数歩も行かないうちにまた倒れたらどうしよう。
倒れた拍子に鋭いものにぶつかって、動脈を切るかもしれない。骨折するかもしれない。目を傷つけるかもしれない。もう一度倒れて完全に意識を失えば、糖分を補給することもできず、命に関わるかもしれない。
泰誠、人を愛するということは、それほどまでに臆病になることなの。何をするにも怖くてたまらなくて、だから自分のプライドだって捨ててしまう。でもあなたは、いつだって何も恐れていない」
咲希はかすかに笑った。
「あなたは、怖がるという感覚を忘れてしまったのかもしれないわね」
それだけ告げると、彼女は振り返り、一歩一歩、泰誠の視界から離れていった。
弱々しいその後ろ姿を前に、泰誠はその場から立ち上がったものの、追いかけることはできなかった。
……
引き継ぎの仕事は山ほどあり、咲希は朝から晩まで残業して、終えるまでに半月以上かかった。
次に行うのは引っ越しだ。
これも大掛かりな作業だ。昼間は泰誠の家で荷物をまとめ、夜には業者に荷物を運び出してもらい、二人が同棲する前に買っておいたマンションへと運ぶ毎日だった。
この期間、咲希はずっとそのマンションで過ごしていた。
荷造りをして4日目、この部屋にあった咲希の私物はついにほとんど片付いた。
最後の片付けを終えようとした時、電話が鳴った。
通話ボタンを押すと、画面に表示された名前は泰誠だった。
半月以上ぶりに、彼から電話がかかってきた。会社で顔を合わせても二人は一言も話していなかったため、彼の声を聞くのも久しぶりだった。
その声は、いつも通り淡々としていた。「4日も欠勤しているが、いつまで意地を張っているんだ?仕事は遊びじゃない。ここは感情任せに好き勝手する場所じゃない」
どうやら泰誠は、咲希が退職届を出したことさえ忘れているらしい。
胸の奥からどっと疲れがこみ上げ、咲希は一言も発さず通話を切った。
最後の仕上げをして家を出たときには、すでに夕暮れだった。
階下で玄関を出ようとすると、ちょうど帰ってきた泰誠と玲奈に出くわした。
二人は大きな袋をいくつも提げ、今夜の鍋料理の味を何にするかで盛り上がっていた。
荷物が積み込まれたワゴン車を見た玲奈は、不思議そうに足を止めた。「これって……」
「結婚前の荷物整理だよ。咲希が、式までにこの部屋を片づけておきたいと言っていてね」泰誠は何でもないことのように説明した。
だが、咲希へと視線を戻した途端、その声からは温かみが消えた。
「結婚の準備をしているなら、そう言えばいいだろ。俺と揉めて、会社を休んで、家にも帰らず、まるで別れるつもりみたいな態度を取っておきながら、裏では式の準備を進めていたなんて。ずいぶん滑稽だな」
落ち込んでいた玲奈も、その言葉に思わず笑みをこぼした。
「霜月さん、私と同じこと考えてたんだ。私も泰誠と付き合っていた頃、結婚前にこの部屋をきれいにしておきたいって言ったことがあるの。この部屋の雰囲気が好きだったから。
でも、家族たちには『何を言ってるの、まだ結婚も決まっていないのに、彼の家を新居みたいに扱うなんておかしいでしょう』って怒られちゃった」
懐かしい思い出に触れ、泰誠の目元は穏やかに笑んでいた。
だが、咲希は少しも笑えなかった。
一度だって、この部屋を結婚準備のために片づけたいなどと言った覚えはない。
母も妹もいる。自分の家だってある。それなのに、なぜ泰誠の家を、二人の新生活の準備場所みたいに扱わなければならないのだろう。
結婚式の準備において、泰誠はお金だけを出して、内容には半分も心を砕かなかった。それなのに、自分とは全く無縁の嘘の情報だけは鮮明に覚えていたのだ。
それが、咲希をたまらなく虚しくさせた――
この5年間、咲希は泰誠の記憶を補うように、大小さまざまな用件を彼のために記してきた。
それなのに、咲希自身は彼の記憶の中で、何の意味も持たず、痕跡ひとつ残せなかった。
胸が張り裂けるように痛み、咲希は無言のまま、先へ進もうとした。
「あ!危ないです!」引越し業者が重い荷物をトラックへ運ぶ中、一番高い棚に置いてあった花瓶がぐらりと揺れた。
泰誠がとっさに反応し、玲奈をかばうように後ろへ引っ張ると、反射的に、落ちかけた花瓶を横へ押しやった。
花瓶はいったん角にぶつかると、咲希のほうへ倒れてきた。
咲希に当たった瞬間、ガラスが弾けるように砕け散った。
破片が飛び散った後、周囲が目にしたのは、両手を血まみれにした咲希の姿だった。
第5話
「大丈夫ですか?」引越し業者が慌てて声をかけた。「こんなに血が出ているなんて、動脈でも切ったんじゃないですか!?」
その鮮やかな赤を目にした泰誠は、まぶたをぴくりと震わせ、すぐに玲奈の目を覆った。
「見るな、血を見ると倒れるだろう」
泰誠は玲奈を部屋へ避難させると、足早に咲希の様子を見に戻った。
「木村さん!」彼は屋内に向かって叫んだ。「救急箱を!」
咲希は指先を動かし、痛みをこらえながら言った。「救急箱なんて役に立たない。病院に行かないと。腱が切れたみたい」
「わかった」泰誠は手渡されたガーゼを受け取ると、咲希に応急処置をしつつ、家政婦の木村恵(きむら めぐみ)に命じた。「早く部屋の床の血を拭いてくれ。俺の靴底にも少しついたかもしれない。玲奈に見せられないんだ。
それから玲奈の靴底も確認して、血がついていたらすぐに履き替えさせてくれ。
それが終わったら、外の血も綺麗に拭き取っておいてくれ」
人は、二つのことを同時にはこなせない。
咲希の処置をしながら指示を飛ばすうちに、傷口を包帯で巻くための手つきが、自然と遅くなっていった。
咲希は溢れ続ける血をただぼんやりと見つめ、泰誠の手の中から、自分の手を引き抜き、業者にガーゼを巻いてもらい自ら救急車を呼んだ。
泰誠はようやく意識を咲希に戻し、包帯を巻かれた手を見てはっとした。
「手は大丈夫か?」
咲希は黙って彼を見つめた。麻痺しかけていた心が、その言葉によってまた痛み出した。
傷口の痛みが全身の神経を伝い、胸の痛みと共鳴するように広がって、冷や汗が噴き出した。
またしても泰誠は、自分のことを忘れていた。
だが咲希は傷のことを説明することなく、彼の横を通り過ぎると花壇の縁に座り、救急車を待った。
泰誠が後を追おうとすると、部屋の中から玲奈の声がした。「泰誠!前に勧めてくれた経済の本、今探してくれない?暇で退屈しちゃう!」
泰誠は立ち止まり、出血で顔色が悪い咲希をちらりと見て言った。
「本を渡してから、君を病院に送るよ。ただの切り傷でも、診てもらった方が安心だ」
咲希は何も答えず、振り返りもしなかった。
足音が消えた頃、今度は玲奈が現れた。彼女は血の上を何食わぬ顔で踏み、咲希の傷を値踏みするように見た。
「痛いんでしょ?私なら、こんな名家に嫁ごうなんて思わないわ。身の丈に合わない富にすがるのは惨めだもの」
咲希はしばらく玲奈を見つめたあと、ゆっくりと口を開いた。「あなたと泰誠、本当に似た者同士ね」
玲奈は眉を上げた。
「二人とも、根っからの恩知らずで、救いようのない馬鹿だわ」と咲希は続けた。
玲奈は悪びれる様子もなく、引越し業者と掃除をしていた家政婦の前で大げさに地面へ倒れ込んでみせた。
「それでも別れないのね?いいわ、私が泰誠を諦めさせてあげる」
玲奈が目を閉じると同時に、泰誠が部屋から飛び出してきた。
「玲奈!」
気を失った玲奈を半ば抱き起こし、泰誠は鋭く咲希を睨みつけた。
「分をわきまえろ!血が苦手な人間を、わざと血で脅して満足か?重度の血液恐怖症ならショックを起こすこともあるんだぞ、分かっているのか!」
「私がそんなことをする人間なのか、それとも、そんな卑劣な真似をするはずがない人間なのか、あなたなら分かるはずでしょう?」と咲希は問いかけた。
かつて、業界では二人を黄金のコンビと呼んでいた。
敵が二人を仲違いさせようと仕組んだ罠の中でさえ、二人は疑いもせず互いを信じ合っていたからだ。
互いの本質を知り抜いていたはずだった。
かつての絆は、たった一人の女が戻ってきたことで崩れ去ってしまった。
泰誠は咲希に一言確かめることさえせず、彼女がそんなくだらないことをしたと決めつけた。
泰誠は咲希の問いには答えず、玲奈の頬を軽く叩いて起こそうとしていた。
あまりの様子に、作業員が声を荒らげた。「この人、芝居をしてるだけですよ!わざと倒れたんです!」
手伝っていた恵も頷く。
泰誠は咲希に向かって鼻で笑った。「こんなところで人を味方につけるとは、ずいぶん腕を上げたものだな」
そう言って泰誠は、到着した救急車へと玲奈を抱えて駆け足で去っていった。
「先に彼女を診てくれ!」
第6話
咲希は軽傷の方の手で、重傷を負った手を支えながら、救急車の前まで歩いていった。
「救急車を呼んだのは私です。この腕は、もうまったく動きません」
救急隊員が傷の状態を確認し、すぐに咲希を乗せようとした。
目を覚ましたばかりの玲奈は、咲希の包帯から滲む血を見て、荒い息を吐き始めた。
泰誠はさっと救急車のドアを閉め、咲希を車外に締め出した。
「玲奈は血を見るとひどく具合が悪くなるんだ。君と同じ空間にはいられない。別の救急車を呼べ」
泰誠が放つ強烈な威圧感に気圧され、結局、咲希を置き去りにしたまま救急車は去っていった。
咲希は空を仰ぎ、込み上げる涙をまばたきで押し込め、引越し業者に向かって声を絞り出した。「すみません。まずは病院に寄ってください。追加料金を払います」
一行が急いで車に乗り込むと、恵が駆け寄って叫んだ。「霜月様、これをお忘れですよ!」
その手には、寝室に飾られていた二人のウェディングフォトが握られていた。
咲希の写真に映る、白いウェディングドレスの自分と、深いグレーのスーツを着た泰誠が、幸せそうに寄り添って笑っていた。
視線を逸らし、静かな声で告げた。「捨てて」
結婚相手を変えることはまだ泰誠に伝えていないし、わざわざ話すつもりもない。
彼が恋愛で自分を騙したのなら、自分は結婚で彼に返すだけだ。
これが公平というものだろう。
……
咲希の腱は3本断裂しており、病院は直ちに手術の手配をした。
手術後、医師から再三の注意を受けた。しっかり休養しなければ、腱が癒着してしまい、手は元のように動かせなくなる。
悪化すれば、物をつかむことすら困難になるという。
「前みたいに、ベッドの上で仕事なんてしちゃダメですよ。うちの病院では有名なんですから」
咲希は神妙に頷いた。「もう、そんなことはしません」
医師が去り、静まり返った病室で、咲希はふと、何をして過ごせばいいのか分からなくなった。
仕事も辞めた。引っ越しも終えた。弦と挙げる結婚式のために、ウェディングドレスも、空いた時間に試着して決めてある。
8年間、休む間もなく走り続けてきた日々が突然止まり、咲希は何をすればいいのか分からなくなった。そんな時間に、まだ少し慣れずにいた。
しばらく天井を眺めていた咲希は、寝ることに決めた。
雑念が多すぎて、ようやく深い眠りに落ちたと思った途端、誰かに揺さぶられて目を覚ました。
泰誠だった。
彼は冷ややかな目つきで見下ろしている。
「君がネットに根も葉もない書き込みをして玲奈を陥れたせいで、彼女は炎上して精神的に追い詰められているんだ。
血で玲奈を怖がらせた件は水に流してやる。だが、今回のことだけは見過ごせない。玲奈に対して、きちんと落とし前をつけてもらう。彼女は以前ネットで誹謗中傷を受けて、深いトラウマを抱えているんだ」
咲希がスマホを確認すると、玲奈が泰誠との関係に割って入ったと断言するような話題があがっており、そこには玲奈の写真まで添えられていた。
疲れ切った様子で眉間を揉み、咲希は言った。「私だと決めつけるのなら、証拠を見せて」
「玲奈が来てからずっと、君だけが彼女に突っかかってきたじゃないか?忘れたのか?あのドレスの件も、歓迎会を拒んだことも」
泰誠は真っ暗な窓辺へ近づき、沈んだ声で言った。「今すぐ、SNSで、君が悪意をもってデマを流したと認め、玲奈の潔白を示せ」
フォロワー数の多い自身のアカウントで、事実無根の悪行を認めるなど、社会的な自殺に等しい。
咲希はきっぱりと言い放った。「やっていないことは、認められないわ」
泰誠の視線は、夜風に冷やされたように冷たくなった。
「それなら俺が公に声明を出す。玲奈は俺の正真正銘の恋人だと世間に向かってな。
どっちを選ぶかは君次第だ。後者にするなら、これ以上結婚の準備を続けるのは無理だ。婚姻届だけは出しておくが、君の立場はしばらく公表できない」
咲希は言葉を失った。やっとの思いで声を絞り出す。「母は半生を、法律上は妻なのに世間には認められない『不倫女』と蔑まれて……あの時、私は誰よりも、世間がお母さんを叩くことに憤りを感じていたのよ……」
「そうか」と泰誠は淡々と咲希の言葉を遮った。「なら君はずっと公的な関係を望んで、派手な結婚式をしたかったはずだ。望みがあるなら、まず責任をとれ」
ドン。
その言葉が、落雷のように咲希の脳裏に鳴り響いた。
第7話
泰誠がそのトラウマを覚えているとは、夢にも思わなかった。彼は何の悪びれもなく数年間、自分と秘密の交際を続けていたからだ。
どんな女だって、胸を張れる関係を望むものだ。自分だって本当はそうしたかった。でも、泰誠にそれを強いることを恐れて、彼の方からのアクションをただ待ち続けていたのだ。
自分の切実な願いや不満に、泰誠は最初から気づいていた。全部見て見ぬふりをしていたのだ。
自分への愛がその程度だからこそ、彼は自分に対して優しさのかけらも持てなかった。
咲希はベッドサイドにあったグラスをひっつかむと、泰誠の頭めがけて力いっぱい投げつけた。「二度と来ないで!」
泰誠は額を軽く押さえ、じっと咲希を見つめた。「つまり、その選択をしたってことだな」
咲希の瞳からは止まらない涙が溢れ出していた。彼女は震える唇で、一語一句、言い放った。
「あなたを好きになったことが、私の人生で一番愚かな選択だった」
泰誠はその場に立ち止まったが、結局振り返ることはなかった。
翌日の夕方、紗夏から急に電話がかかってきた。「お姉ちゃん、お母さんがスマホでニュースを見てね。お姉ちゃんのことが酷く書かれてるのを見て激怒して、泰誠さんのところに抗議に行くって叫んで……そのまま卒倒して救急搬送されたの!」
咲希は手の傷の処置もままならないまま、慌てて御堂家の病院へと駆けつけた。
道中、ふとスマホを開くと、テレビ出演なんて絶対にしないはずの泰誠が、玲奈と一緒に恋愛番組に出ている動画が目に飛び込んできた。
番組内で泰誠は言った。「ネット上の書き込みは、社内スタッフによる一方的な逆恨みからくる過激な嫌がらせです。既に本人を懲戒解雇しました」
名前こそ出さなかったが、普段からネットで話題になりがちな泰誠の番組だ。放送後、すぐに正体を突き止める動きが広まり、周囲の知人たちまでが犯人は咲希ではないかとSNSで噂し始めていた。
咲希のアカウントには大量の誹謗中傷がなだれ込んだ。以前、幸せな気持ちをさりげなく綴っていた過去の投稿まで一つひとつ掘り返され、あらぬ邪推でボロクソに叩かれた。
さらに業界内の知人まで便乗し、デタラメを書き連ねている。【九条グループにいた8年間、霜月さんはずっと体を売ってのし上がってきた】
情報は業界内で一瞬にして駆け巡っただろうから、皆もう知っているはずだ。
これからの咲希は、その確かな能力も功績もすべて否定され、いかがわしいゴシップまみれの人間として見られることになってしまった。
スマホを握りしめ、乱れた呼吸を何度も整えようと深呼吸を繰り返した。
落ち着け、母がまだ大変な時に、しっかりしなきゃ。
未明になってようやく、杏は集中治療室から病室へ移動することができた。
一晩中付き添った後、咲希はその足で泰誠の家へと向かった。
指紋で玄関を解除し、書斎へ直行するとパソコンを開いた。泰誠と共有していた、新製品発表会のための重要なプロジェクトデータや、彼に渡すはずだった分析資料のすべてを、根こそぎ削除した。
これまでは、会社と自分の仕事に対する責任感だけで真摯に準備をしてきたというのに。
泰誠がいとも簡単に自分をどん底へ突き落とした以上、もうこの責任感もいらない。
家を出る際、ランニングから戻った泰誠と出くわした。
彼は咲希が戻ってきたことに驚いた様子もなかった。
「戻ってきたなら傷の養生をしろ。明日の結婚式は中止にするが、君は俺の妻だ。表向きには出せないが、身内の前で隠すつもりはない。午前中に役所で婚姻届を出し、昼からは御堂家の披露宴に行くぞ。
御堂家はずっとうちとは対立関係にあるはずだ。なのに今回、俺たちにまで招待状をよこした。明らかに裏があるし、あの噂の花嫁に関係しているんじゃないかと皆言っている。
うちの新製品発表の直前で狙いが読めないが、御堂家が招くというなら、こちらも受けて立つまでだ」
咲希は平然と答えた。「ええ、そうね。また明日」
彼女はそう言い放つとそのまままっすぐ外へ出て、即座に泰誠の連絡先をすべて着信拒否に設定した。
翌朝、泰誠は少しだけ仕事を片付けた。月の終わりに控えた新製品発表会の方に頭を悩ませていた。
パソコンに保存していた完璧な構成のデータがあるはずなのに、何度探しても見つからない。
担当に再送させたが、届いたファイルはどれも自分が見ていたものより遥かに質が低かった。
会議を開いて昼まで検討したが納得のいく案は出ず、ようやく気づいた。あの企画案は咲希が作ったものだったのだと。
咲希のことが頭をよぎったところで、今日午前9時に役所で会う約束だったことをようやく思い出した。
もう時計は11時半を回っている。
眉間を揉み、慌てて咲希へ電話をかけたが繋がらなかった。
二度目をかけようとした時、母の洋子からの電話が入った。これから御堂家の結婚式に出席するのかと尋ねられた。
泰誠は部下に車を回すよう指示しながら、何度も咲希にかけ続けた。
屋外のガーデンウェディングの席についてからも、電話が通じることは一度もなかった。
豪華絢爛な結婚式の会場を眺めながら、自分が中止させた結婚式を思い出した。かつて咲希がその式の内容を楽しそうに語っていた時の表情が重なり、心がざわついて仕方なかった。
どれくらい時間が経っただろうか。洋子の驚きの声を聞いて、現実に引き戻された。
「泰誠!新婦がどうして……咲希さんなの!?」
泰誠は勢いよく顔を上げ、祭壇の上の新郎新婦を見つめた。