夢に散る花、君にさよなら

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夢に散る花、君にさよなら

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同窓会の二次会。 クラスのマドンナだった林堂小夜花(りんどう さやか)と、片瀬水輝(かたせ みずき)が相性ゲームで次々と正解を出し、周囲...

Chương (1)

第1章

同窓会の二次会。 クラスのマドンナだった林堂小夜花(りんどう さやか)と、片瀬水輝(かたせ みずき)が相性ゲームで次々と正解を出し、周囲の熱気は最高潮に達していた。 「相性度ナンバーワンの祝杯だ」と囃し立てられるまま、ぴったりと身を寄せてグラスを飲み干す二人。耳まで真っ赤に染まった彼らを見つめながら、私は目の奥がツンと熱くなるのを堪えていた。 「なに、まだ不貞腐れてんの?」 隣に座る同級生が、私――片瀬結音(かたせ ゆね)を横目で見て鼻で笑う。 「さっきのゲーム、水輝は結音がワサビ苦手なことすら知らなかったじゃん。あの二人、学生時代からずっと両想いだったんだから、ようやく結ばれるってわけよ。みっともないから、もうつきまとうのやめなよ」 私は何も言い返せず、ただ視線を逸らした。 「ずっと両想いだったから、ようやく結ばれる」? ――私と水輝が、極秘結婚してすでに3年になるというのに。 今日こそみんなに打ち明けようと思っていた矢先、当の夫は別の女と腕を絡ませて笑っている。 喧騒の中、スマホが震えた。水輝からのメッセージだった。 【怒らないでくれよ。今日は仕事の繋がりもある連中がいるから、ただ場の空気に合わせただけだって】 【そのうちちゃんと、二人の関係を公表するからさ】 それを見て、ふっと乾いた笑いが漏れた。 テーブルの向こうで私を見た水輝は、機嫌が直ったと勘違いしたのか、安堵したように微笑み返してくる。 違うよ。私が笑ったのは――もう公表なんてしなくていい、と思ったからだ。 誰にも言えず、こそこそと隠し続けるだけの結婚生活は、もう終わりにしよう。 第1話 同窓会の二次会。 クラスのマドンナだった林堂小夜花(りんどう さやか)と、片瀬水輝(かたせ みずき)が相性ゲームで次々と正解を出し、周囲の熱気は最高潮に達していた。 「相性度ナンバーワンの祝杯だ」と囃し立てられるまま、ぴったりと身を寄せてグラスを飲み干す二人。耳まで真っ赤に染まった彼らを見つめながら、私は目の奥がツンと熱くなるのを堪えていた。 「なに、まだ不貞腐れてんの?」 隣に座る同級生が、私――片瀬結音(かたせ ゆね)を横目で見て鼻で笑う。 「さっきのゲーム、水輝は結音がワサビ苦手なことすら知らなかったじゃん。あの二人、学生時代からずっと両想いだったんだから、ようやく結ばれるってわけよ。みっともないから、もうつきまとうのやめなよ」 私は何も言い返せず、ただ視線を逸らした。 「ずっと両想いだったから、ようやく結ばれる」? ――私と水輝が、極秘結婚してすでに3年になるというのに。 今日こそみんなに打ち明けようと思っていた矢先、当の夫は別の女と腕を絡ませて笑っている。 喧騒の中、スマホが震えた。水輝からのメッセージだった。 【怒らないでくれよ。今日は仕事の繋がりもある連中がいるから、ただ場の空気に合わせただけだって】 【そのうちちゃんと、二人の関係を公表するからさ】 それを見て、ふっと乾いた笑いが漏れた。 テーブルの向こうで私を見た水輝は、機嫌が直ったと勘違いしたのか、安堵したように微笑み返してくる。 違うよ。私が笑ったのは――もう公表なんてしなくていい、と思ったからだ。 誰にも言えず、こそこそと隠し続けるだけの結婚生活は、もう終わりにしよう。 周囲の囃し立てる声は、さらに大きくなっていった。 誰かがテーブルを叩いて叫ぶ。 「水輝!今や小夜花は、株式会社シラトリの白鳥社長の超お気に入りなんだぜ。あの大型案件を取りたいなら、まずは小夜花様のご機嫌を取るのが必須条件だな! いっそのこと、お前らくっついちゃえばいいじゃん。そうすりゃ商談もスムーズだろ? 俺たち恋のキューピッドなんだから、めでたくゴールインした暁には特上の焼肉でも奢ってもらわないとな!」 水輝は小夜花を庇うように一歩前に出ると、目尻に甘い笑みを浮かべた。 「小夜花は女の子なんだから、お前らあんまりからかうなよ」 すると小夜花は恥じらうように頬を赤く染め、水輝の肩を軽く押し返しつつ困ったように笑ってみせる。 「もう、やめてよ。結音だっているんだから。結音が水輝のことをずっと好きなの、みんな知ってるでしょ?冗談も少しは配慮してあげてよね」 相変わらずの、気配り上手を装った当てこすりだ。 その言葉が出た途端、場の喧騒がわずかに引いた。 そして全員の視線が、部屋の隅に座る私へといっせいに突き刺さる。 別の誰かが、露骨な嘲笑を浮かべて吐き捨てた。 「同じ大学までストーカーみたいに追いかけて入学したって、何の意味もねえよな。散々媚びへつらっても、結局は脈ナシってことじゃん」 そんな心ない言葉を聞いても、水輝は眉一つ動かさない。 「よせよ。俺たち、同じクラスの仲間なんだから」 グラスを持った私の手がピタリと止まる。 同級生になって十年。片思いが五年。 そして――極秘に結婚してから三年。 なのに、みんなの前ではただの「同じクラスの仲間」。 水輝は息をするように自然に、私との関係を綺麗さっぱり切り捨てるのだ。 その結果として私がいつも通りクラスの笑い者になっても、水輝にとっては痛くも痒くもない些細な問題なのである。 「水輝はマジで優しすぎだろ。結音みたいな陰キャ女に何年もまとわりつかれて、よく平気な顔してられるよな」 「本当それ。俺だったらキモすぎて速攻で逃げるぜ」 「自分の身の程を知れって話。本気で水輝と釣り合うとでも思ってんのか?」 「どう見ても、小夜花と水輝がベストカップルだろ。あいつなんてただのピエロじゃん」 悪意に満ちた言葉が、容赦なく鼓膜を叩く。 私は何も言い返さず、ただ静かにグラスの酒を煽った。 こんな屈辱的な言葉は、水輝と出会い、想いを寄せていると周囲に知られたあの日から、一度だって途絶えたことがなかったのだから。 スマホが震え、水輝からまたメッセージが届いた。 【そう不機嫌になるなって。一人でやけ酒もやめとけ。胃の調子、まだ完全によくなってないんだから】 自嘲気味に口角を上げ、私はスマホを裏返してテーブルに置いた。 私が今日までこの秘密の結婚生活を耐え続けられた理由は、きっとこれなのだ。 『先に好きになった方が負け』。 16歳の時、バスケットコートで水輝の姿を初めて見たあの日から、私はずっと負けっぱなしだった。 水輝を追いかけて遠く離れた街の大学に進学し、就職も水輝に合わせて見知らぬこの都会に残った。 私が水輝に夢中で、自分のすべてを捧げているなんてことは、共通の知人なら誰もが知っている事実だ。 第2話 なのに、水輝はいつだって誰もが憧れる孤高の存在のように澄ましている。 人前では常に礼儀正しく私と距離を置き、視線を交わすことは1秒たりともない。 それなのに、二人きりになると、水輝はどこまでも優しくなるのだ。 私が生理で辛いときは冷たいものを避けるようにと気遣い、わざわざ温かい黒糖生姜湯を作ってくれたり。 深夜まで残業した日には、会社のビルの下まで迎えに来てくれたり。 そっと抱きしめて、甘い言葉で慰めてくれたり。 周囲から見れば、私は水輝にとって付きまとってくる厄介なお荷物であり、ただの笑い草だ。 一方で、そんな私を邪険にせず受け入れている水輝は、度量が広く寛大な男だと思われている。 水輝が本当は私の夫だという事実すら、時折、私の一方的な妄想なのではないかと錯覚してしまうほどだ。 気づけば視界がじわじわと滲んでいた。部屋の中央では、相変わらず同級生たちがドンチャン騒ぎを続けている。 私の夫であるはずの水輝は、小夜花の隣にぴったりと寄り添い、彼女に差し出されたグラスを代わりに引き受けていた。 「小夜花は酒に弱いから。残りは俺が飲むよ」 そう言って小夜花の耳元で何かを囁くと、小夜花はパッと花が咲いたような笑顔を見せた。 水輝のことは、私が一番よく分かっている。 あれほど熱を帯びた眼差しは、決してその場の空気に合わせただけの「お芝居」なんかじゃない。 その時だった。 突然、小夜花の体がぐらりと傾き、そのまま崩れ落ちた。 場は一気に騒然となった。水輝はひどく狼狽した顔を見せ、さっきまでの酔いなど一瞬で吹っ飛んだかのようだった。 彼はすぐさま小夜花を横抱きにし、外へ向かって駆け出した。 私は無意識に立ち上がり、その後を追った。 店外へ出た瞬間、水輝は私の手から車のキーをひったくるように奪い取った。 「結音、俺は小夜花を病院に連れて行く!車使うぞ、お前は他のやつに乗せてもらって帰れ!」 「ちょっと待って、あなたもお酒を飲んでるのに――!」 私の制止など全く耳に入らない様子で、水輝は小夜花を抱えたまま、足早に夜の街へと消えていった。 私が個室に戻ると、周囲はまだ先ほどの騒動の余韻でざわついていた。 「見たかよ、水輝のやつ、どんだけ小夜花のこと心配してんだよ」 「本当だよな。小夜花が倒れた時に割れたグラスで手を切ったのに、全く気づいてなかっただろ。ポタポタ血が出てたのにさ」 彼らの視線を追うと、ドアの前の床には点々と血の痕が残っていた。 あの時、水輝の頭の中は小夜花のことだけで、自分の怪我にすら意識が向いていなかったのだ。 足元に落ちたその赤い染みを見下ろしながら、私自身の心にも鋭い刃物が突き立てられたかのように、息が詰まるほどの痛みが走った。 真夜中のこんな時間、ここにいる連中が私を快く思っていないことなど、水輝だって知っているはずなのに。 それなのに彼は一切の躊躇もなく、この気まずい場に私を放り出したまま、小夜花を連れて出て行ってしまったのだ。 「時期が来たらちゃんと言うから」と、関係の公表を何度も先延ばしにされ、「ただの仕事の付き合いだから」と、彼が他の女と親しげに振る舞うのを、私はただ黙って見せつけられてきた。 もう、限界だった。 堪えきれなくなった涙が、頬を伝って冷たく滑り落ちる。 「うわ、泣いてるし。何年も片思いしてんだから、とっくに慣れてるのかと思ったわ」 心無い声が聞こえてきたが、言い返す気力すらない。私はただ背を向け、逃げるように店を出た。 夜の冷たい空気に触れながら、スマホを取り出す。 連絡先を開き、一件のメッセージを打ち込んだ。 【黒川先生。私ども夫婦の離婚協議書の作成をお願いします】 送信ボタンを押してから、ずっとお気に入りに登録していた旅行サイトのページを開く。 そこはかつて、水輝と一緒に新婚旅行で行こうと約束していた南の島だった。 震える指先で深く息を吸い込み、私はただ一枚、自分ひとり分の航空券を予約した。 …… 朝になった。水輝はまだ帰ってこない。 ふと目覚めてスマホの画面を見ると、時刻は朝の5時10分。 SNSのタイムラインを開くと、真っ先に飛び込んできたのは、たった2分前に小夜花がアップした投稿だった。 【一晩中看病してくれてありがとう。私のために怪我までして……この恩はどうやって返せばいいのかな】 添えられた写真には、病室のベッドの縁に突っ伏して眠る水輝の姿。そして、包帯を巻かれた彼の手が、小夜花の手をしっかりと握りしめている様子が写っていた。 その投稿のコメント欄は、すでに大いに沸き立っていた。 水輝が小夜花を抱き抱えて個室を飛び出した瞬間の写真までアップする者もおり、こんなコメントが並んでいる。 【証拠写真ゲット!このエモい雰囲気、マジで尊い!】 【キュン死しそう!高校の時からこの二人は絶対お似合いだと思ってた!】 【早く結婚しろ!ご祝儀の準備はとうにできてるぞ!】 その中には、私への当てこすりのようなトゲのあるコメントも混じっており、容赦なく私の視界に飛び込んできた。 【水輝、手が血まみれだったのに小夜花のことしか見えてなかったよね。結音のことなんて完全に空気でウケた】 それに対する返信。 【私が結音なら、空気読んでさっさと身を引くけどね。両想いの二人の邪魔すんなって話】 第3話 スマホの画面を見つめていると、やはり心臓がキュッと締め付けられるように痛んだ。 思えば昔から、私と水輝が並んで立っても、どう見ても不釣り合いだった。 学生時代、水輝は学年トップの成績で生徒会長も務める、先生たちの期待を一身に背負った優等生。 一方の私は、成績はいつも真ん中くらいで、授業中も隠れて小説を読んでいるような、存在感の薄い地味な生徒だった。 社会に出てからも、水輝は3年で異例のスピード出世を果たし、若きエリートとして頭角を現した。 私はといえば、その水輝と同じ職場で淡々と事務作業をこなすだけの一般職。平穏無事な日々に満足しているような人間だった。 だから、私が水輝に一方的な想いを寄せていると知る同級生たちは皆、小夜花を「心優しい子」だともてはやした。 小夜花だって水輝のことが好きなのに、結音の気持ちを気遣って、あえて水輝の思いを受け入れずにいてくれているのだ、と。 そして裏では私のことを、「身の程知らずにもほどがある」と嘲笑っていたのだ。 私と水輝は、人前で親しい素振りを見せたことは一度もなかった。 それでも、周囲からいつも冷たい目を向けられる中、水輝だけはさりげなく私を庇ってくれていた。 ある時など、私を不良グループから守るために刃物で怪我を負ったことさえある。 騒ぎを聞きつけた警察が駆けつけてくれて、ようやく私たちはその場から逃れることができた。 あの夜。水輝は泣き腫らした私の目を見つめ、こう言ってくれた。 「結音、これからはもう、夜道を一人で歩くなよ」 そのたった一言で、何年にもわたる私の片思いが、ついに報われたのだと思えた。 それから私たちは自然と付き合うようになり、誰にも内緒で婚姻届を出した。 これでようやく、私たちの物語はハッピーエンドを迎えられたのだと、私は信じて疑わなかった。 けれど、思いがけず小夜花がこの街に戻ってきた。 彼女は競合他社に入社すると、水輝が半年がかりで進めていた大型プロジェクトを横取りしてしまった。 そして「悪いことをしたから」と、その埋め合わせにいくつか大口の顧客を水輝に紹介してきたのだ。 そうして仕事のやり取りを口実に、二人はどんどん頻繁に連絡を取り合うようになった。 同級生たちの間でも、かつて結ばれなかった「ベストカップル」の再燃に、再び熱狂的な視線が注がれるようになった。 最初は、水輝も私を抱きしめながら優しく宥めてくれていた。 「あいつらが学生時代のノリで言ってるだけだろ。気にするなよ」 だが次第に、水輝の残業は深夜まで及ぶようになり、帰宅した彼の服からは、いつも見知らぬ香水の匂いが漂うようになった。 急にジムに通い始めたかと思えば、以前は見向きもしなかったような流行りのブランド服を何着も買い込んできたり。 水輝の車のダッシュボードには、いつの間にかイチゴ味のキャンディとドライマンゴーが常備されるようになった。 それは全部――小夜花の一番の好物だった。 中でも私に消えない深い傷を残したのは、3ヶ月前、私が流産した時のことだ。 心身ともにボロボロだったあの一番辛い時期、水輝はほとんど家に帰ってこず、電話すらろくに繋がらなかった。 後になって、彼が出張に行っていたこと、そしてそこに小夜花も同行していたことを知った。 そもそもそのプロジェクトは、水輝の役職ならわざわざ自ら現場に出向く必要などないものだったのに。 「帰ってきて、側にいてほしい」と泣きながら懇願する私に、水輝はとても優しい声でこう言った。 「分かってくれよ。このプロジェクトは俺にとって重要なんだ。それに小夜花は昔からの同級生だろ、助けられるなら助けてやりたいんだよ。 家事代行を頼んでおくから、家でおとなしく寝てなさい。体がよくなったら、結婚式を挙げような」 水輝はまるで何事もないかのように、いとも簡単に私を突き放したのだ。 それでも「結婚式」というその一言が、私の心に渦巻く疑念と不満に強引に蓋をさせた。 私は何も起きていないふりをして、水輝が小夜花をあからさまに特別扱いしているという事実からも目を背けた。 ウェディングドレスの写真を眺め、式場を調べ、いつかみんなの前で晴れて夫婦として認められる日を想像することで、自分を誤魔化し続けてきたのだ。 けれど今日になって、ようやく現実を直視する覚悟ができた。 私と水輝が「不釣り合い」だと言われる本当の理由は、周囲の冷ややかな目のせいなんかじゃなかった。 肝心なときにはいつも私以外を優先し、彼自身が残酷なまでに引いてきた明確な境界線――それこそが、二人の間にある埋められない壁だったのだ。 水輝の心の中で、私は決して「絶対に手放せない存在」なんかじゃない。 ましてや、「一番」でもなかったのだ。 …… 水輝が家に帰ってきたのは、もう夕方に差し掛かる頃だった。 私からの冷ややかな視線に気づいたのか、水輝は無意識のうちに自分の手の甲を背中側へ隠した。 そして私の前に歩み寄り、目線を合わせるように身を屈める。 「昨日の夜、とっさに小夜花を庇ったときに割れたグラスで少し切っちゃっただけだよ。たいしたことないって。 あいつのSNSの投稿も、感傷的になって書いただけだから。他意はないんだ、変に勘繰るなよ」 私が身を引いて彼の手を避け、口を開こうとしたその時。 ガチャリと、玄関のドアが開く音がした。 第4話 スーパーの袋を提げた小夜花が、悪びれもなく入ってきた。 その手には、我が家の合鍵が握られている。 リビングにいる私を見ると、小夜花は明らかに動きを止めた。 その目には驚きの色が浮かんでおり、私がここにいるとは微塵も思っていなかったようだ。 水輝の顔がサッと強張り、後ろめたそうに私をチラリと見たあと、慌てて言い訳を並べ立て始めた。 「昨日は俺が結音の車を借っぱなしにしてたからさ!車を返すついでに、結音には家でちょっと待っててもらってたんだ」 小夜花は私に柔らかな笑みを向けると、いかにも「この家の女主人」といった態度で口を開いた。 「昨日は水輝にあなたの車で病院まで送ってもらって、本当に助かったわ。お礼を言わなきゃって思ってたのよ。 一晩中看病してもらったから、お礼に得意料理を作ってあげようと思って来たの。ちょうどよかったわ、結音も一緒に食べていかない?」 水輝の苦しい言い訳と、優しげな口調の裏に優越感を滲ませる小夜花の態度が、神経をひどく逆撫でする。 私が眉をひそめて口を開こうとした瞬間、水輝が慌てたように私に向けて目配せをした。 それと同時に、着信音が室内に響いた。小夜花のスマホからだ。画面には同級生の名前が表示されている。 電話に出ると、相手のやたらと大きな声が漏れ聞こえてきた。冷やかしと興奮に満ちている。 「俺、昨日の同窓会行けなかったのに、お前ら二人してとんでもないサプライズかましてくれたじゃん! 今や小夜花も仕事バリバリこなしてるし、水輝と肩並べるレベルだろ? 学生時代よりさらにお似合いのカップルじゃん! 長年の想いがとうとう実ったんだ、これからは末長くお幸せにな!」 小夜花は笑って否定しながらも、あろうことかスピーカー通話に切り替えた。 私の心は急速に冷え込み、顔から血の気が引いていくのが自分でもわかった。 水輝は慌てて声を上げ、話題を逸らしにかかる。 「お前、単に昨日の俺の奢り飯を食いっぱぐれたのを根に持ってるだけだろ。今度個人的に奢ってやるから」 そうやって電話口で軽口を叩きながら、手元のスマホでは私を宥めるためのメッセージを打っていた。 【結音、変に勘繰るなよ。あいつはまだ体調が戻ってないから、本当の事情を説明するタイミングがなかっただけだ】 【もう少し待ってくれ。俺たちが結婚式を挙げれば、みんなの誤解も全部解けるから】 私は無表情のまま、短く返信した。 【どうだか】 直後、水輝から立て続けにメッセージが送られてきた。「聞き分けのいい子でいてくれ」「我慢してくれ」「癇癪を起こすな」。そして「今まで約束したことは全部必ず叶えるから」と。 私は冷めた目で画面を見つめ、一切の未練もなくトーク画面を閉じた。もう一文字たりとも読む気になれない。 無視されたことに焦ったのか、水輝が私に近づこうと二歩ほど足を踏み出した。 すると、キッチンに立つ小夜花が笑いながら茶々を入れる。 「ダメよ水輝。私も結音も同じお客さんなんだから、あの子だけ特別扱いはなし。それよりお塩どこ? ちょっと手伝って」 その声を聞いた瞬間、水輝は頭で考えるよりも先に体が反応し、そそくさとキッチンの小夜花の元へ向かってしまった。 しばらくして、小夜花が私を手招きした。 「結音、できたわよ。私の手料理、味見してみて」 そして彼女は振り向き、私の車のキーを差し出してきた。 「はい、車のキー。あなたのおかげで本当に助かったわ。貸してくれてありがとうね」 私は無言でキーを受け取った。テーブルに並べられた手料理を見ると、ただただ吐き気がこみ上げてくる。 「結音、もう暗くなるし、食べ終わったら早くお家に帰ったほうがいいわよ」 小夜花の言葉に、水輝の体がピクッと強張った。だがすぐに、彼女に話を合わせるように私に探りを入れてくる。 「帰り、気をつけてな。家まで遠いんだろ?」 その言葉の端々から、私に早くこの場から消えてほしいという焦りが透けて見えた。 目の前でまるで新婚夫婦のように息の合った二人を見つめながら、私は心の中で自嘲する。 自分の家なのに、本当の妻である私の居場所なんて、ここにはもう微塵も残されていないのだ。 私は車のキーを握りしめ、淡々とした声で告げた。 「私、他に用事があるから食べていかないわ。二人でゆっくり楽しんで」 彼らの白々しい引き留めの言葉など聞く耳を持たず、私はそのまま真っ直ぐ玄関へ向かい、家を出た。 SNSのタイムラインには、まだ同級生たちの書き込みが溢れていた。 そのうちの一人が、【お前らが結婚する時は、絶対に一番に教えろよな!】と冷やかしのコメントを入れている。 それに対して、先ほど水輝のアカウントから返信があった。 【当たり前だろ。真っ先にお前に報告してやるよ】 私はためらうことなく、そのコメントに『いいね』を押した。 車のエンジンをかけて立ち去ろうとした瞬間、水輝が急に車のそばへやってきた。少し慌てたような声を出している。 「結音、違うんだ。今のコメントは小夜花が勝手に俺のスマホを使って返しただけで、俺の意思じゃない。 怒らないでくれよ。指輪だってちゃんと選び終わってるんだ。この馬鹿騒ぎが完全に落ち着いたら、俺たち……」 「もういいわ」 私は冷たい声で言葉を遮った。 第5話 水輝の声が急にイライラしたものに変わる。 「ちゃんと説明しただろ、なんでそんなに突っかかるんだよ! 俺の妻はお前なんだから。あいつらが勝手に盛り上がってるだけで……」 私は勢いよく車のドアを開けた。想定外の強い反発に驚いたのか、水輝が一歩後ずさる。 「私があなたの妻だってこと、わかってたんだ? 水輝。これまで何年も、私はあなただけを一途に想って、裏で黙って我慢して、いつも一歩引いてきたのに、あなたは私のことなんて少しも大事にしてくれなかった。 家を任せられる都合のいい存在に甘えながら、昔から憧れてたクラスのマドンナも手放せない。二兎を追って両方とも手に入れられるほど、世の中甘くないのよ。 結婚式なんて、もうしなくていい。二人でご自由にどうぞ」 水輝はその場に立ち尽くし、口をパクパクさせながら何か言い訳しようとした。 「俺は……」 最後まで言い終えるのを待たず、私は無言で車を出発させた。 サイドシートに置かれたスマホの画面が光る。数日後のフライト予約の確認メッセージだった。 …… それから3日間ホテルに滞在していたが、水輝からは電話一本かかってこなかった。 同級生たちのSNSには、相変わらず水輝の姿が頻繁にアップされている。 そして例外なく、そのすぐ隣には小夜花が写っていた。 以前の私なら、不安に耐えきれずとっくに家に帰っていただろう。 だが今の私は、経営管理の知識を猛勉強するのに忙しく、水輝のことなど構っている暇はなかった。 しかしその日、会社のグループチャットで共有された業界コンペの受賞告知を見て、私の手は完全に止まった。 三ヶ月間、徹夜を重ねて作り上げた私の企画書。その受賞者名が、なぜか競合他社にいるはずの「林堂小夜花」になっていたのだ。 私は怒りで全身を震わせながら、すぐに水輝に電話をかけた。 電話に出た水輝は、まるで機嫌を損ねた子供をなだめるように、笑いながら甘い声を出した。 「あのさ、この賞がタダでもらえるとでも思ってるのか? 受賞したらその後、責任者としてどれだけ仕事が増えるか分かってるだろ? 結音は体調が良くなったばかりなんだから、ちゃんと体を休めなきゃダメだろ。心配してるんだぞ。 それに、俺たちこれから妊活もしなきゃいけないんだからさ」 私は、縁が手に食い込むほど強くスマホを握りしめた。 ふん、呆れて言葉も出ない。 「結音のため」なんて耳障りのいい理由を並べ立てて、勝手に私の作品を小夜花に横流ししたのだ。 水輝は心の底から、私の努力を見下している。 私は自分の得意だった専門分野を諦めてまで水輝につき従い、裏方である事務職の仕事に甘んじながら、水輝の目に映る「合格点の妻」になろうと必死に努力してきた。 けれど彼の目に映っているのは、自分のあとを必死に追いかける惨めな私と、文句も言わずに従う都合のいい私の姿だけなのだ。 だけど、私はもう昔の、彼の思い通りになる私じゃない。 金曜日に行われた業界コンペの授賞式。 会場には、小夜花の晴れ舞台を祝おうと、同じ業界ネットワークで繋がっている取り巻きの同級生たちも何人か駆けつけていた。 彼らが主役である小夜花を取り囲んでチヤホヤする中、主催者側はコンペに落選した私へ、あくまで形式的に「特別参加賞」という名目のささやかな記念品を用意していた。 それがまた、連中のいい笑い種になった。 誰かが私にさらに恥をかかせてやろうと悪ふざけを企んでいたところを、偶然水輝がそれに気づいて割って入ったらしい。 水輝は珍しく声を荒げた。 「こういう公の場で、みっともない真似すんな!」 周囲は一瞬静まり返ったが、すぐにまた冷やかすような笑い声が上がった。 「なんだよ。結音が何年もお前につきまとってるからって、同情して『お情け』でもかけてやったのか?」 「おい水輝、小夜花もここにいるのに、なんでお前が他の女庇ってんだよ?」 「もしかして、十数年もストーカーされて、ついにほだされちゃったとか?」 その言葉に、水輝は瞬時に言葉を詰まらせ、あからさまに目を泳がせた。 「そ……そんなわけないだろ……お前ら、何言ってんだよ」 全員の視線が水輝に注がれている。 小夜花もワンピースの裾をギュッと握りしめ、縋るような上目遣いで彼を見つめていた。 水輝は引きつった笑みを浮かべて短くため息をつくと、小夜花の手首をそっと引き寄せた。 「俺の気持ちなら、とうの昔に態度で示してるつもりだけどな」 その瞬間、会場中から「ヒュー!」という大きな歓声が沸き起こった。周囲が囃し立てながら、二人をさらにくっつけようと背中を押している。 私は、もう二度と振り返ることなく、静かに会場を後にした。 歩いていると、すぐにスマホが鳴った。水輝からだ。 「結音、怒らないでくれ。今のはただの場を盛り上げるための冗談だ。あそこで俺が否定したら、小夜花が恥をかくことになっただろ? 少しは俺の立場も理解してくれよ。 明日はウェディングドレスの試着に行く日だ。前からちゃんと予約してあるからな」 水輝にとって、自分のメンツや小夜花の体面は、私の気持ちよりもずっと、ずっと大切なのだ。 私は何も言わず、そのまま通話を切った。 電話を一方的に切られたことで、水輝はどうやら胸騒ぎを覚えたらしい。 授賞式が終わると、彼は慌てて家に帰ってきたようだ。 水輝が玄関のドアを開けた時、私はちょうどスーツケースに荷物を詰め終えたところだった。 水輝が何か言いかけようと口を開いた瞬間、彼の視界の端に、テーブルの上に置かれた書類が飛び込んだ。彼はその場でピタリと凍りついた。