来ない春は、もう待たない

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来ない春は、もう待たない

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前撮り当日、カメラマンにふと言われた。「笑うと、お姉さんによく似てますね」 そのひと言を聞いた近藤拓也(こんどう たくや)は、すぐに私...

Chương (1)

第1章

前撮り当日、カメラマンにふと言われた。「笑うと、お姉さんによく似てますね」 そのひと言を聞いた近藤拓也(こんどう たくや)は、すぐに私の姉、芳賀可奈(はが かな)にもウェディングドレスを勧めた。 せっかくだから、記念に何枚か撮ってもらおう、と。 写真を選ぶ段になると、家族そろって可奈の写った一枚に見入り、口々に褒めちぎった。 「可奈は生まれつき、ドレスが映えるプロポーションなのよね」と母が言った。 「花嫁のお前より、よほど華があるじゃないか」と父も言った。 拓也は画面から目を離さず、いつまでも眺めていた。指先が止まったのは、可奈が振り返った瞬間を捉えた一枚だった。 「これ、披露宴の受付に飾ろう。よく撮れてる」 私は尋ねた。じゃあ、私の写真はどこに飾るの、と。 そこで初めて、彼は私の存在を思い出したような顔をした。 「お前と可奈は顔立ちが似てるから、招待客だって見分けはつかないさ。それに、可奈は結婚する予定もないんだ。一度くらいドレスを着る機会を作ってやるのも悪くないだろう」 思わず、笑いがこぼれた。 物心ついたときから、いつだってそうだった。可奈は苦労してきたのだから、私が譲る。可奈が欲しがれば、私が差し出す。可奈の持たないものを、私が持ってはいけない。 自分の結婚式さえ、可奈の夢を叶えるための舞台になってしまうのか。 アルバムの中から、拓也とふたりだけで写った、たった1枚の写真を、そっと抜き取った。 写っている私は、彼の隣で、精一杯の笑みを浮かべている。 けれど今こうして見返すと、まるで見知らぬ誰かのように見えた。 春が私のもとへ来なかったわけではない。ただ私はずっと、誰かの影の中に立ち、そこで春を待ち続けていただけだったのだ。 今度こそ、もう待つのはやめよう。 第1話 前撮り当日、カメラマンにふと言われた。「笑うと、お姉さんによく似てますね」 そのひと言を聞いた近藤拓也(こんどう たくや)は、すぐに私の姉、芳賀可奈(はが かな)にもウェディングドレスを勧めた。 せっかくだから、記念に何枚か撮ってもらおう、と。 写真を選ぶ段になると、家族そろって可奈の写った一枚に見入り、口々に褒めちぎった。 「可奈は生まれつき、ドレスが映えるプロポーションなのよね」と母が言った。 「花嫁のお前より、よほど華があるじゃないか」と父も言った。 拓也は画面から目を離さず、いつまでも眺めていた。指先が止まったのは、可奈が振り返った瞬間を捉えた一枚だった。 「これ、披露宴の受付に飾ろう。よく撮れてる」 私は尋ねた。じゃあ、私の写真はどこに飾るの、と。 そこで初めて、彼は私の存在を思い出したような顔をした。 「お前と可奈は顔立ちが似てるから、招待客だって見分けはつかないさ。それに、可奈は結婚する予定もないんだ。一度くらいドレスを着る機会を作ってやるのも悪くないだろう」 思わず、笑いがこぼれた。 物心ついたときから、いつだってそうだった。可奈は苦労してきたのだから、私が譲る。可奈が欲しがれば、私が差し出す。可奈の持たないものを、私が持ってはいけない。 自分の結婚式さえ、可奈の夢を叶えるための舞台になってしまうのか。 アルバムの中から、拓也とふたりだけで写った、たった1枚の写真を、そっと抜き取った。 写っている私は、彼の隣で、精一杯の笑みを浮かべている。 けれど今こうして見返すと、まるで見知らぬ誰かのように見えた。 春が私のもとへ来なかったわけではない。ただ私はずっと、誰かの影の中に立ち、そこで春を待ち続けていただけだったのだ。 今度こそ、もう待つのはやめよう。 …… 私、芳賀祐那(はが ゆうな)が拓也とふたりきりで写ったあの写真をスタジオの受付のシュレッダーに押し込んだとき、拓也は俯いて可奈のショールを直していた。 物音に気づいた拓也が顔を上げ、こちらをちらりと見た。声はどこまでも素っ気ない。 「祐那、たかが写真1枚だろう。人前でみっともない真似をするな」 ソファに腰掛けた可奈は、申し訳なさそうな顔をした。「祐那、怒ってるんじゃない?受付の写真は、やっぱり祐那のにしましょうよ。私は気にしないから」 母がすぐさま可奈の手を握り、私を睨みつけた。「可奈は生まれつき心臓が弱いのよ。せっかく喜んでるのに、あなたはわざわざ不機嫌な顔を見せつけなきゃ気が済まないの?」 拓也は会計伝票をプランナーに差し出した。 「受付の写真は可奈のに決めよう。祐那の分はデジタルサイネージ用にあと2枚選んでおけば、これで納得するだろう」 私はシュレッダーの中で細い紙片になっていく写真を見つめたまま、何も言わなかった。 撮影スタジオを出ると、拓也は私たちを式場の試食会へ連れて行った。 個室には深い赤のテーブルクロスが敷かれ、メニューは私の手元にも置かれていたが、拓也は一度もめくらせてくれなかった。 「シーフードと辛い料理は全部下げてくれ。可奈は心臓が弱くて刺激物に耐えられないんだ。滋養のある料理を多めに出してほしい」 プランナーが一瞬戸惑い、私に目を向けた。「では、花嫁様のほうは……?」 ようやく拓也がこちらを見た。その目には、いつもの苛立ちが浮かんでいた。「祐那は好き嫌いなんかない。昔から聞き分けがいいんだ。俺の言った通りにしてくれ」 可奈が小さく咳をした。「拓也、祐那は本当は辛いものが好きなのよ。今日は祐那のための試食会なんだから、私のためにそこまで変えなくてもいいのに」 拓也は彼女にお茶を注ぎながら、声を落とした。「お前が気を遣うことじゃない。あいつはよく食べるから、何を食べたって同じさ。それより、お茶を飲んで」 最初に運ばれてきたのは、すっぽん仕立ての椀物だった。蓋が開いた瞬間、独特の濃い香りがふわりと立ちのぼり、鼻を突いた。 胃がぎゅっと締め付けられ、思わず指でテーブルの縁を掴んだ。 拓也は、私がすっぽんの匂いをどうしても受け付けないことを知っているはずだった。 大学時代、夏バテで寝込んだ私を心配して、彼がすっぽん雑炊を買ってきてくれたことがあった。私は一口食べただけで気分が悪くなり、立っていられないほど吐き続けた。彼は私を抱きかかえて病院へ運びながら、医者にこう言ったのだ。 「彼女がすっぽんを受け付けないってこと、ちゃんと覚えておきます。もう二度と食べさせません」 私は口を押さえて洗面所に駆け込み、便器に縋り付いて涙を流しながら吐いた。喉の奥まで苦味でいっぱいだった。 入り口から足音が近づいてきた。 拓也がドア枠にもたれかかり、疲れたような声で言った。 「祐那、可奈がせっかく食欲が出てきたっていうのに、お前は食卓であんな食欲を失せさせるような真似をしなきゃ気が済まないのか。受付の写真を可奈のに替えたことへの当てつけにしても、そんな下手な芝居をするな。もうすぐ結婚するんだから、分別を持てよ」 私は口元を拭い、掠れた声で言った。 「……拓也、この食事はあなたたちで食べといて。結婚式も可奈に譲る。この結婚、やめにするわ」 拓也は一瞬呆気に取られ、それからふっと笑った。 「結婚を取引材料にするのか?祐那、そんな手が通じると思ってるのか」 廊下の向こうから可奈の声が届いた。「私、来ないほうがよかったのかしら。祐那、本気で怒ってるみたい」 拓也は背を向けて歩き出しながら、それだけ言い残した。「ひとりで頭を冷やしとけ。あとで俺に機嫌を取らせるなよ」 私は個室に戻らず、ひとりでタクシーに乗って店を後にした。 新居に戻ると、部屋のあちこちに結婚祝いのものが残っていた。 窓辺には贈り物の胡蝶蘭が並び、ベッドサイドには、私が自分で軸を削って仕立てた一本の絵筆が置かれていた。拓也が初めて画材店に付き合ってくれた日に、筆の材料を買ってくれたものだった。 その筆を握りしめ、私は先生に電話をかけた。「先生、決めました。一週間後に安川市へ行きます。アトリエの枠、まだ空いていますか」 電話の向こうでほんの少し沈黙が落ちた。「祐那、本当によく考えたのか?」 私は胡蝶蘭を見つめながら、低い声で答えた。「よく考えました」 ドアの鍵が鳴り、拓也が入ってきた。手にはホテルの持ち帰り箱を提げている。 箱をテーブルに置きながら、拓也の視線が私の手の中の絵筆に落ちた。 「可奈が、お前今日何も食べてないって言うから、残りを包んでもらってきた。あまり意固地になるなよ」 私は絵筆を引き出しに戻した。その時、彼のスマホが震えた。 画面が光り、可奈からのメッセージが届いていた。 【拓也、あの受付の写真にひと言添えたいの。「あなたの花嫁」って書いてもいいかしら?】 第2話 拓也はその画面を消し、まるで何事もなかったかのように、落ち着いた声で言った。「可奈は冗談好きなんだ。あいつのちょっとした悪ふざけをいちいち気にするな」 私は「差し入れ」をゴミ箱に全部捨てた。 拓也の顔が険しくなった。「お前は食べ物にまで俺に八つ当たりするのか」 私は答えなかった。ちょうどそのとき、玄関のチャイムが鳴った。 プランナーの若い女性が招待状の箱を2つ抱えて入ってきて、にこやかに言った。 「芳賀様、ご自身でお描きになったモクレンの招待状が届きましたよ。うちの人みんな、とても綺麗に仕上がっていると申しておりました」 私はしゃがんで箱を開けた。紙面に指先が触れた瞬間、動きが止まった。 招待状が半分足りない。 どの招待状にも、封の部分に私が描いたモクレンの小枝の絵がある。花びらに透かし模様をあしらった図案で、2ヶ月以上かけて何度も描き直したものだった。 私は顔を上げ、拓也を見た。「残りは?」 拓也はカフスボタンを緩めながら、当然のように言った。「可奈が気に入ったみたいだったから、半分やったんだ。闘病仲間の名前を書いて配らせてやれば、それも賑やかでいいだろう」 「これは私の結婚式の招待状よ」 拓也は眉をひそめた。「お前は元々友達が多くないだろう。残りで十分だ。足りなければWeb招待状でも同じことだ」 ドアの向こうから可奈が顔を覗かせた。手にはすでに書き込んだ招待状を数枚持っている。「祐那、拓也を責めないで。私が羨ましがりすぎたのよ。私は一生、招待状を配る機会なんてないかもしれないから」 拓也は彼女の手から招待状を受け取り、低い声でなだめた。「お前は気にせず書いてればいい。あいつは怒りっぽいだけで、すぐ機嫌を直すから」 プランナーはその場で固まり、苦笑いを浮かべたまま反応に困っていた。 私は残った招待状を1枚ずつきれいに揃えながら、彼女に尋ねた。「式のリハーサル、今日の午後よね?」 彼女は慌てて頷いた。「はい、全て準備済みです。近藤様が、まだ確認していただきたい流れがひとつあると仰っていました」 午後、拓也は車で可奈と一緒に両親を迎えに行き、私はひとりでタクシーに乗ってホテルへ向かった。 ホテルに着いて、ようやくその「確認事項」が何なのかを知った。 チャペルには白いバラが敷き詰められ、司会者が進行表を手に、ためらいがちに私を見た。「芳賀様、近藤様は、挙式前にまず芳賀可奈様とバージンロードを歩いていただき、そのあとで芳賀様にご入場いただきたいとのことです。この順番でよろしいでしょうか」 私は拓也を見た。 拓也は淡々と説明した。「可奈は体が弱くて、長く立ってると息が上がるんだ。俺が車椅子を押して歩かせてやれば、あいつにも結婚式の雰囲気を味わわせてやれるだろう」 「それで、私は?」 拓也が目を上げた。 「お前はその後に出てくればいい。別に支障はないだろう。あいつにはこの一度きりの機会しかないが、お前にはこの先、いくらでも機会があるんだから」 傍にいたウェディングプランナーが小声で言った。「ですが、入場は普通、新婦様のお父様がエスコートされるものです。先にお姉様が入場されると、少し……」 母がその言葉を遮った。「少し何なの?うちの可奈は小さい頃からずっと苦労してきたのよ。妹の結婚式にあやかって夢を叶えるくらい、何が悪いの?」 父も頷いた。「祐那、そんなに心の狭いこと言うな。可奈は別にお前の晴れ舞台を奪おうってわけじゃないんだから」 可奈は目を伏せ、目の縁を少し赤くした。「祐那、やっぱりやめておこうか。誤解されるのが怖いもの」 拓也が彼女のドレスの裾を整えてやりながら言った。「大丈夫だ、誰かが誤解したら俺が説明する。お前はただ綺麗に着飾っていればいい」 私は照明の届かない片隅に立ちながら、ふと、もう争う気になれないことに気づいた。 争って手に入れたところで、どうせまたすぐに奪われるのだ。 司会者が進行表を私の前に差し出した。「芳賀様、こちらにご署名いただけますか」 私はペンを受け取ったが、サインはせず、ただその進行表を折りたたんでバッグにしまった。 夜、拓也はゲストルームへ行った。 可奈は眠りが浅く、最近は結婚式前の緊張を口実に、私たちの新居に泊まり込んでいた。 拓也はドア越しに、彼女が眠りにつくまで優しく語りかけていた。声は驚くほど優しく抑えられている。「怖がるな、式の日はずっとお前のそばにいるから」 私はリビングに座り、モルディブ行きの新婚旅行の航空券をキャンセルし、代わりに7日後に安川市へ向かう新幹線の切符を買い直した。 予約完了の通知が届いたちょうどそのとき、ゲストルームから可奈のやわらかな笑い声が漏れ聞こえてきた。 私はシュレッダーを起動し、残った半箱分の招待状を一枚ずつ差し込んでいった。 拓也がドアを開けて出てきて、床一面に散らばった紙屑を見た瞬間、顔色が変わった。「祐那、お前、正気か!」 私は最後の1枚をシュレッダーに押し込みながら、静かに彼を見返した。 拓也が口を開きかけたとき、またスマホが光った。 可奈から写真が届いていた。 写真には、受付用の写真の裏に「あなたの花嫁」という文字が書き添えられ、赤いハートマークまで描かれていた。 第3話 私がシュレッダーの電源を抜いたとき、拓也はすでにスマホを握りしめてゲストルームへ向かっていた。 ドアがきちんと閉まっていなかったせいで、彼の声が漏れ聞こえてきた。「可奈、変なこと書くなよ。祐那が見たら余計なことを考えるだろう」 翌日は、私たちの交際7周年記念日だった。 拓也は朝出かける前、レストランの予約カードをテーブルの上に置いていった。「夜7時、展望レストランだ。昨日までの埋め合わせに、ちゃんとしたデートをしよう。昨日のことは水に流そう」 そのカードを見つめながら、私はふと、心が揺らいでしまう自分が滑稽に思えた。 夜7時、私は彼のお気に入りの白いワンピースを着て、レストランの窓際の席で彼を待った。 7時半、電話が鳴った。 拓也の声の背後は騒がしく、医療機器の電子音や足音が混じっていた。「可奈が急に動悸を起こして、俺は今病院にいる。飯は先に食っておけ、待たなくていい」 私はフォークを握りしめたまま尋ねた。「……重いの?」 拓也は一瞬黙り、それから声を冷たくした。「今それを聞くのは、あいつを心配してるのか、それとも俺がまたお前の記念日をすっぽかしたのが不満なのか、どっちだ」 私はそれ以上何も言わず、電話を切った。そして、一口も手をつけていない料理を持ち帰り用に包んでもらい、病院へ向かった。 病室のドアは半分開いていた。 可奈はすでに目を覚まし、枕にもたれていた。その顔色は、私が思ったよりもずっと血色が良かった。 拓也はベッドの傍らに座り、手にビロード張りの小箱を持っていた。 中から取り出したのは、留め具の裏側に「KN」とイニシャルが刻まれたルビーのブレスレットだった。 それは可奈の名前の頭文字だった。 1ヶ月前、拓也は私を連れて特注しに行き、ルビーは私の肌によく映えるから、結婚式の前日にプレゼントすると言っていた。 それが今、可奈の手首にはめられている。拓也は低い声で言った。「やっぱりこの色は、お前のほうが似合うな。手首が白いから、誰よりも映える」 私はドアの外に立ち尽くしていた。手の中の持ち帰り箱が、ゆっくりと冷めていく。 廊下の向こうから母がやって来て、私を見るなり顔を険しくした。 「可奈は生死の境をさまよったばかりだっていうのに、そんなに着飾って誰に見せるつもり?頭の中は自分の記念日のことばっかり、本当に冷たい子ね」 父も眉をひそめた。「可奈は病人なんだ、あまり刺激するな」 拓也も病室から出てきた。 彼の視線が私の何も着けていない手首に落ちた。ようやく何かを思い出したかのように言った。「ブレスレットは、また今度別のを買ってやる」 私が黙っているのを見て、彼は眉をひそめた。「祐那、意固地になるな。ブレスレット一つくらいで」 私は彼の顔を見つめた。この7年間、私は彼のことを、ただ情に厚く、病弱な姉の世話を焼いてくれているだけだと思っていた。まさか本当にここまで私をないがしろにするとは思ってもみなかった。 どうやら、私が勝手に買い被っていただけだったようだ。 私はただ静かに頷いた。「もういいわ」 新居に戻り、私は引き出しからあのモクレン材の絵筆を取り出した。 その下には分厚い思い出のアルバムが重ねられていて、7年分の映画の半券や絵葉書、切符、それに彼が書いてくれた何通かのラブレターが貼られていた。 私はそれらを黒いゴミ袋に詰め込み、彼からもらった贈り物とともに、階下へ運んで行った。 ゴミストッカーの蓋を開けると、すえたような臭いが鼻を突いた。 私は迷わなかった。 袋が落ちて、鈍い音が響いた。 そのときスマホが震えた。プランナーから、最終リハーサルの流れが送られてきていた。 添付には会場レイアウトもあり、受付の隣に新しく展示パネルが一つ増えていた。 パネルの見出しには、【芳賀可奈 闘病仲間からの祝福メッセージ】と書かれていた。 スマホを握りしめながら、私はふと、可奈が抱えていたあの招待状の束を思い出した。 彼女は、自分の友人たちを私の結婚式に連れてくるつもりだったのだ。 翌日ホテルへ行くと、ウェディングプランナーがちょうど作業員に展示パネルを運ばせているところだった。 パネルには可奈の闘病仲間たちの写真とお祝いの言葉がびっしりと貼られ、その真ん中には、彼女がウェディングドレス姿で振り返っているあの写真が飾られていた。 プランナーは私が来たのに気づき、気まずそうに言った。「芳賀様……近藤様が、これはサプライズ企画だと。昨夜急遽追加されたそうです」 私はその写真を指差した。「受付用の写真は、どこ?」 第4話 ウェディングプランナーがためらいがちにタブレットを差し出した。 トップページのレイアウト案では、ウェルカムボードのメイン写真が、私たちふたりのものから可奈ひとりのものへと差し替えられていた。 例の「あなたの花嫁」という言葉は消え、代わりに小さな一行が添えられている。 ――【すべての心残りが、優しく受け止められますように】 私は尋ねた。「この言葉、誰が決めたの?」 ウェディングプランナーはちらりと入り口へ目をやり、言いにくそうに答えた。「近藤様が、先ほどお決めになりました」 ちょうどそこへ、拓也がドアを開けて入ってきた。手には温かい飲み物を持っている。 彼はまずそれを可奈に渡し、それから私を見た。「祐那、ちょうどよかった。可奈の闘病仲間たちが数卓分増えることになったから、席はもう増やしておいたぞ」 私は静かに尋ねた。「じゃあ、私の同僚や友人の席は?」 拓也はまるで些細なことのように答えた。「後ろの席に移したよ。可奈の仲間たちは体が弱いから、出入り口に近いほうが都合がいいんだ」 私はタブレットの画面で、最後列の隅へ追いやられた名前を見つめた。そこには、大学時代のルームメイトも、私の絵を褒めてくれた恩師も、唯一招待した前職の同僚の名前もあった。 拓也は軽く私の手首を握った。「結婚式なんて人に見せるためのもんだ。席順なんかに拘るなよ、な?」 車椅子に座った可奈が、また目を赤くして俯いた。「祐那、まだ私のこと、怒ってる?だったら、私、やっぱり来ないほうがいいのかな」 母がすぐさま私を睨みつける。「可奈はあなたの結婚式に出るためにこんなに無理してるのよ。まだ何が不満なの?」 私は拓也の指から静かに自分の手を引き抜いた。「参加するなとは、一言も言ってないわ」 拓也は満足げに頷いた。「それでいい」 昼食の席で、可奈が突然胸を押さえ、息を荒くした。 隣の市に評判の医師がいて、その診察予約がちょうど結婚式当日の午前中に取れたのだという。 母はその場で慌てふためき、私の腕をきつく掴んだ。「祐那、昼のガーデンウェディングは中止にしましょう。夜の宴会場に変更するの。私たちと拓也は可奈の診察に付き添わなきゃいけないから、あんたの結婚式まで面倒見てられないわよ」 拓也は迷う素振りすら見せなかった。「夜のほうがちょうどいい。ガーデンは風が強いから、可奈の体に障る。俺たちは午後には戻るから、式の進行に支障はないだろう」 私は彼を見た。「親族紹介も、ウェルカムスペースでの挨拶も、ガーデンでの写真撮影も、全部なしにするの?」 彼の口調はどこまでも穏やかだった。「所詮は形式的なものだろう。お前は聞き分けがいいんだから、きっと分かってくれるはずだ」 私は静かに頷いた。「いいわ。夜に変更しましょう」 拓也は私を見つめ、ようやく肩の荷が下りたような顔をした。「そんなに冷たい顔をするなよ、祐那。式が終わったら、新しいブレスレットを買いに連れて行ってやるから」 私は答えなかった。 夕方、新居に戻ってパソコンを開き、安川市へ向かう新幹線のチケットを、結婚式当日の午前10時発に変更した。 さらに、不用品回収の業者に連絡を取り、翌朝6時半にすべてを処分してもらう手はずを整えた。 それを終えると、あのモクレンの軸の古い絵筆を、スーツケースの一番奥にしまい込んだ。 …… 結婚式当日。夜が明けたばかりの頃。 拓也は厚着をした可奈を抱きかかえて車に乗せ、母は薬の入った袋を抱え、父は焦った様子で運転手を急かしていた。 車の窓が下がり、拓也が私を見た。 「お前はひとりでタクシーに乗ってホテルへ行き、メイクを済ませておけ。大人しく待ってろよ。夜には、忘れられない式にしてやるから」 可奈は彼の肩にもたれかかり、申し訳なさそうに小さく言った。「祐那、大変だと思うけど、よろしくね」 車が走り去るのを見届け、私は踵を返して階段を上がった。 回収業者は時間通りに来てくれた。服も、本も、日用品も、窓際に置いていたあの観葉植物まで、私のものはすべて運び出してもらった。 部屋はあっという間に、空っぽになった。 壁にはまだ結婚式のウェルカムボードが掛けられたままで、そこにあふれる幸福そうな色彩がひどく目に刺さった。 午前10時。新幹線がゆっくりと動き出した。 私は拓也と両親の連絡先を削除し、メッセージアプリのアカウントを削除すると、スマホのSIMカードを抜き、ゴミ箱に捨てた。 夜7時。ホテルのロビーは煌々と明かりが灯っていた。 拓也が可奈の車椅子を押して入ってくると、両親もその横に付き添い、疲れを見せながらも取り繕った笑みを浮かべていた。 司会者が彼らを見つけるなり、血相を変えて駆け寄ってきた。「近藤様、新婦様がいらっしゃいません!お電話も繋がらず、まったく連絡がつきません!」